「華代ちゃんシリーズ」



「華代ちゃんシリーズ・番外編」
「ハンターシリーズ」
「いちごちゃんシリーズ」

作・真城 悠

ハンターシリーズ16
(いちごちゃんシリーズ)
 
『さようなら、いちごちゃん』

作:真城 悠


 俺は「ハンター」だ。
 不思議な能力で “依頼人” を性転換しまくる恐怖の存在、「真城 華代」の哀れな犠牲者を元に戻す仕事をしている。
 最終的な目標は、「真城 華代」を無害化することにある。
 とある事件――というか「華代被害」――に巻き込まれた今の俺は、15〜6歳くらいの娘になってしまっている。その上、ひょんなことから「半田 苺(はんた・いちご)」を名乗ることになってしまった。
 華代の後始末の傍ら、なんとか元に戻る手段も模索している。

 さて、今回のミッションは……



 

「おい……降ってくるぞ」

 いちごは答えなかった。
 ぽつり、ぽつりと降り出した雨は、すぐに土砂降りに変わった。

「……こりゃえらいこったっ」

 走り出すいちごと5号。「……あ、あそこに電話ボックスがある! 入ろう!」

 この間抜けハンター5号に、「半田苺(はんた・いちご)」ことハンター1号は何度となく煮え湯を飲まされ続けている。
 正直冗談じゃなかったが、このバケツをひっくり返したような雨では仕方がない。
 二人してそこに飛び込み、身を寄せ合う。

「ふうっ、やれやれ。……あ、あの……ひどい……雨……だな――」
「……まーな」

 肩で息をつくハンター5号に、素っ気無いいちご。
 予想はしていたが、この狭い密室に男と女2人では実に居心地が悪い。
 ごくり……とつばを飲む、5号。
 濡れたシャツがいちごの肌に張り付いて、ブラジャーが浮き出している……

「い、いちご……」

 頭ひとつ違う男女。
 つい最近まではもう少し身長差があったのだが、とある事件をきっかけに、いちごは15〜6歳の少女から17〜8歳程度まで成熟してしまった。

 何も聞こえないほどの凄まじい雨だった。

 濡れた服が奇妙な熱を持っていた。何故か心臓の音が大きく聞こえる……

「あのさあ……」
「な、何だよ」
「前から思ってたんだけど……さ」

 土砂降りの雨の中でも、何故かその声は明確に届いてきた。

「その……こうして見ると、お前って……可愛い……な――」

 心臓を打ち抜かれたようだった。周囲の空気が自然発火するほど真っ赤になっていちごが叫ぶ。

「ば……馬鹿じゃねえのかお前っ!」

 どん! と5号を突き飛ばす。
 だが、いつもいちごにボコボコにされているはずの5号が、しっかりとその衝撃を受け止めた。
 そしてその腕を握り締め、いちごを正面から見据える。

「本気だ。本気で…………好きなんだっ!」

 5号はいちごの身体をがっしりと抱きしめた。

「はっ!?」

 ふいを衝かれた。
 長い時間に感じられた。
 感覚が研ぎ澄まされていた。
 雨の音がより鮮明に聞こえた。いや、その瞬間だけ鮮明になったのだった。その数瞬前まで何も音が聞こえていなかった。聴覚が雑音を受信するためのものであることすら忘れていた。
 こうして抱きしめられていると、自らの華奢な体つきが嫌でも実感される。
 抱きしめる力が強くなった。

「おい……よ……せ――」

 この程度しか言えなかった。
 何故抵抗出来ないんだろう……どうして……

「好きなんだ……」

 また繰り返した。
 その声は、すぐそばにある耳にのみ届く空気の振動だった。

「馬鹿な……だって――」
「関係ない! そんなの関係ない! 俺はお前がその姿になった時から……」
「こ、この――変……た……い…………」

 がばっ! と、いちごの両手を掴んでその身体を引き剥がし、5号は彼女の目をじっと見つめた。

「本気なんだ……!」

 まばたきを一生分繰り返した。
 真正面からこちらを見つめ、一度もそらさないその眼差しを、いちごは見返すことが出来なかった。
 上を向き、その目に打ちひしがれて下を向き、また上を向くことを何度も繰り返した。
 そしてその間、5号は全く視線を逸らす事がなかった。

「……」

 下を向いていたいちごが何かを発した。

「え……?」

 聞こえない。

「…………」

 5号は自分の耳を、いちごのくちびるにくっつくほどに近づけた。

「オレ――」

 確実に聞こえる距離になったことで、いちごはその言葉を伝えることをためらった。

「いいよ。言って」
「……」

 ……長かった。その言葉を搾り出すのに、いちごは万難を排さなくてはならなかった。

「オレ……オレ……で、…………いいのか?」

 5号の表情が、ぱっ! と明るくなった。そして彼女にやさしく耳打ちする。「当たり前じゃないか……」

 胸が、きゅうっ! と締めつけられ、肩が小刻みに震えた。
 身体の内側に手も足も包み込むように縮こまっているいちご。そのほんのり染まった頬に、濡れた髪が色っぽい。

 いつの間に、こんなに可愛らしくなったのか……。

 お互いに一生の心拍数の何分の一かは打ち尽くした、その永遠とも思える長い数十秒後、いちごは目を閉じていた。

「……」

 何かを言いかけた5号は、それを飲み込んだ。
 いちごはふるふると震え続けていた。祈るように身体の前で合わされたその両手の先から発される念動力に後押しされるかのように、少しずつ、少しずつその可愛らしい顔を上に向けてくる。
 桜色をしたいちごの唇に、5号の唇が重なった。
 同時に、固くその身体を抱きしめる。

 5号はこの宝物を一生離さない……と決心した。





 あとはブラジャーだけだった。
 勢いで飛び込んだのは、休憩所……ラブホテルだった。
 薄暗い照明の中、いちごは後悔していた。

「や……やっぱり……恥ずかしい――」

 消え入りそうな声だった。

「恥ずかしがらなくていいよ……」

 あくまでも5号はやさしかった。
 そして……いちごは生まれたままの姿になった。

「綺麗だよ……いちご」
「馬鹿、よせよ……」

 この会話は、のちのちこの二人の常套句となる……

「じゃあ、いくよ……」
「あ、待っ……て――」

 二人を妨げるものは、もう何もない。

「その――」

 ……それはいちごが男時代に別れを告げる最後の一言だった。

「やさしく……して…………」

 もう後は一直線だった。





 その日から、いちごの様子が明らかに変わっていった……

 仕事は引退こそしなかったが、第一線から身を引き、水野さんや沢田さんと同じ事務職に転属した。
 これまでは全く履かなかったスカートを日常的に身に付けるようになり、数日を経ずしてOLの制服を着るようになっていた。
 化粧も覚え、別人のように美しくなっていった。
 この頃に流れた噂に、「いちごが行方不明になった」というものがあった。実際には全くのデマで、いちごは常に「ハンター」内にいたのである。誰もこの楚々とした美女が、地味な服装で男勝りに闊歩していたおてんば娘と重ならなかったのだ。

 「女は変わる」というが、これほど実感させられるとは、ボスを始め誰も想像もつかなかった。

 “育ての親” を自認する仲良しOL二人組、水野さんと沢田さんは勿論嬉くもあり、少々複雑でもあった。新しい同僚は仕事もよく覚え、何より可愛らしかった。すぐに流行のファッションや下着のお店の情報を交換する仲に変わっていった。

 そして……5号とのデートが頻繁に目撃されるようになる。

 本人たちは隠してはいるつもりなのだろうが、そこは情報組織である。そのあたりを探り出すのは造作も無いことだった。
 公然の仲となった二人を、全員が祝福していた。

 そして……その日はやってきた。





 ……息を呑むような美しさだった。

 ハンターたち、そして組織のほぼ全員が勢ぞろいした会場に、純白のウェディングドレスに身を包み、美しい花嫁となったいちごが入場してきた。
 紆余曲折あったが、皆この二人の門出を心から祝福していた。
 いちごの目には、ボスや同僚たち、水野さんと沢田さん、ドレスアップして小さな女の子を抱いたハンター2号婦人も目に入っていた。

 そして……彼女の隣には生涯の伴侶がいた。

 いちごはこの日、世界で一番幸せだった…………


















 


「『そして子宝に恵まれ、幸せに暮らしました』……って、何だよこれ?」
「あっ! い、いちご……いやその――」
「どーして俺とお前が結婚してんだ? ああ?」
「いやその……」
 パソコンに向かっていたハンター5号は、恐縮……というか「照れ」ている。
「どーしてオレが “楚々とした美女” になってんだよ? ……大体何だ、このベタなラブシーンは――」
 ポキポキ指を鳴らしている。
「……じ、実はこ、今度創作小説コンテストが、あ、あってだな……その、いい出来かな〜、とか……」
「『やさしくして』? ……だぁ?」
「いいシーンだと思うんだけど…………駄目かな?」
「……お前才能ねーよ」
「え? じゃあ激しいほうが好きなのか?」


「……また引き篭もっとるのかあいつはっ」
「そうみたい……ですね」
「全く……少しは仲良くしてほしいもんだ――」
 と、そこに水野さんが通りかかった。
「ボスっ! いちごちゃんが――」
 何やら泣きそうになっているではないか。「大変なんです! いちごちゃんが……いちごちゃんがどこにもいないんです!」
「おいおい……どうせ部屋に引き篭もってるんだろ?」
「いえ! 部屋はもぬけの殻なんですっ!」
「何だと?」


 その後、組織をあげて建物内の徹底的な捜索が行われたが、いちごの姿はどこにも見つからなかった。
 最初のうちはいつもの引き篭もりだの、下痢でトイレだのと言っていたメンバーも、本当に見当たらないらしいと分かって焦り始めた。
「ぼ、ボスっ! これが……」
「どうしたっ?」
 それは置き手紙だった。
 まず無断で任務を休むことへの謝辞が述べられ、長期休暇の法的手続きの記述が続く。

「……とりあえず組織にいちいち帰る生活を一旦やめてみたいと思います。華代は日本中を移動しています。手元の資金を元にそれを追いかける生活に入らせていただきたいと思います。
 目的を達成するまでは帰らない覚悟です。誠に勝手ではありますが、どうぞご理解ください。 半田 苺」

「いちごちゃん……」

 一躍組織のマスコットと化していた「いちごちゃん」ことハンター1号は、こうして組織を離れ、旅に出た。





 

また会えるその日まで、さようなら、いちごちゃん・・・・・・