「華代ちゃんシリーズ」



「華代ちゃんシリーズ・番外編」
「ハンターシリーズ」
「いちごちゃんシリーズ」

作・真城 悠


ハンターシリーズ51
『鈴代さんと探偵少女』
作・てぃーえむ



 町からちょっと離れた山の中に、その建物は建っていた。
 こんなへんぴな場所だからこそ建てられたのだろう、巨大な建造物。いつ見てもへんてこだ。僕がまだちっちゃな子供だった頃、テレビで再放送していたヒーローものに出てくる基地を思い出させる建物だ。へんてこすぎて、この建物を作ると決めた責任者と、まじめに設計して実際に築き上げた建築士に敬意を表したいくらいだった。
 こんな存在自体が冗談みたいな所であの子が暮らしていると思うと複雑な気分になる。でもこんな所だからこそ、あの子はここに留まっているのだろう。ここはある意味で聖域と呼べるのだから。
 自動ドアをくぐると、中はいたって普通で、ロビーがあってカウンターがあってロビーの向こう側にはカフェも見える。
 あの子……千景ちゃんによれば、ここはイベント企画から要人警護までなんでもござれの便利屋さんの本部なのだそうだ。本当はそうじゃない。ここはある目的のための組織だ。でもカフェに集っている人たち、普通のOLに混じって巫女服の女の子や黒いスーツのごつい男がいたりするところをみると、彼女の言を信じたくなってくる。
 閉まったはずの自動ドアがまた開き、人が入って来るのを感じて僕はちょっと慌てて歩き出した。
「あら、鈴代さんいらっしゃい」
 カウンターまでやって来ると、すっかり顔なじみになった受付嬢が声をかけてきた。
「こんにちは」
 僕はぺこりと頭を下げる。
「千景ちゃん、待ってますよ」
 受付嬢はそう言って、ロビーの向こうを指さした。
「あ、どうも。ありがとうございます」
 僕はもう一度頭を下げると、カフェへと向かった。


 カフェは若者受けしそうなシックな装いだ。それに結構広くて客席も多い。ついでにウェイトレスさんの制服も可愛かった。
 見渡してみると、黒いワンピースを着た黒髪の女の子が隅っこの席に一人で座っていた。のんびりと静かにカップを傾けている。千景ちゃんだ。
「やあ。またせちゃったかな」
「いいえ。どうぞ、すわってください」
 彼女はちらりと声をかけた僕を見ると、着席を促してきた。
 前回会った時はぶっきらぼうだったけど、今回はやわらかな口調だ。彼女は会うたびに口調をとっかえひっかえしてくるのだ。何か条件があるようなんだけど、よく分からない。コートを羽織っている時はよくぶっきらぼうになるけれど、そうじゃない時もある。記憶を失う前は、こんな事はなかったんだけど。理由を尋ねてみても、千景ちゃんは曖昧に笑うだけで答えを教えてはくれなかった。
 席に着きながら僕はメニューを見る。そこにある品は豊富で、値段も良心的だ。まあ問題は味だけど、これもまあまあだった。ここが町中にあったなら、結構繁盛するんじゃないだろうか。
「あ、そうそう、おみやげ持ってきたんだ」
 僕は努めて明るく振る舞いながら、持ってきていた鞄の中から紙袋を取り出した。その袋からさらに焦げ茶色の包装紙に包まれた箱を取り出す。
 すると、千景ちゃんは目を丸くした。
「すやの栗きんとん羊羹ですか!」
「昨日まで中津川にいてね。ついでに買ってきたんだ」
 千景ちゃんの頬がゆるんでいた。普段のどこか冷めたような、諦観がこもった微笑みじゃない、年相応の笑顔だ。彼女は御菓子好きで、特に栗菓子と棹物が好きだからこれならばと思ったけれど、正解だったらしい。
「わざわざすみません。あの、食べてもいいですか?」
 と言いつつも、すでに手がかかっている千景ちゃん。
 僕は頷いた。
「どうぞ」
 千景ちゃんは包装紙を剥がし、透明なケースから箱を取り出した。そして箱をのふたを開けてひっくり返すと、金色の包装袋に包まれた長方形のかたまりが出てきた。さらにその袋を丁寧にカットしていくと……、琥珀色の栗きんとん羊羹の姿が現れた。千景ちゃんはそれをじっと見つめて、付属のプラスティック製の串でちょこっとだけ端を削って口に含む。何かに納得したように頷くと、一口分切り取ってぱくりと食べた。
 僕は満面の笑みを浮かべる千景ちゃんを尻目に、こっそりと赤色ファイルを取り出した。あるいくつかの事件の詳細が記された資料、といっても極秘資料って訳じゃない。一般人でもがんばれば集められる程度の情報だ。
 もっとも、今これを差し出すのは無粋だろう。食事の邪魔をしちゃ行けない。そう思って黙っていると、千景ちゃんは手を差し出してきた。遠慮しないで渡してくれってことらしい。
 僕からファイルを受け取ると、千景ちゃんは片手で表紙を開いた。そのままページをめくり、眼をせわしなく動かす。もちろん、栗きんとん羊羹を食べる手も休めない。器用なことだ。でも、何時の間にこんな技を覚えたんだろう?
 感心しながら見ていると、ウェイトレスさんがお水を持ってやってきた。
 見れば知っている子だった。千景ちゃんの友達の疾風ちゃんだ。見事な銀髪を、制服と同じ色柄のリボンでしばってて、それが実に似合ってる。普段はパンツルックなので、スカート姿はなんだか新鮮だ。本格的に刀術を習っているらしく、いつもは模擬刀を持ち歩いているけど、さすがに今は携帯してないようだ。千景ちゃんと同い年だから中学生のハズ。でも学校へ行っている様子はない。まあ、登校拒否中なのは千景ちゃんも同じなんだけど。きっと深い理由があるんだろう。
 政府管轄の組織のカフェが子供を雇うわけがないので、感心にもお手伝いしてるのだろうか?
 でも気のせいだろうか、笑顔が僅かに引きつっていて、目つきがやけに鋭い気がする。
 疾風ちゃんに気がついた千景ちゃんがにやりと笑った。からかいを含んだ笑みに、疾風ちゃんの表情が引きつる。いつもなら、ここで彼女は食いついていくんだけど職務中だからなのか、きっと睨み付けるだけだった。
 千景ちゃん、疾風ちゃんをおちょくるのがブームらしい。最近、怒ったり悔しさのあまり半泣きしたりする姿が可愛いと気づいたとか何とか……っておいおい。でも、いつもおとなしい千景ちゃんにそんな一面があるなんて、ちょっと以外な気がする。いや、元々こんなものかな? あるいは記憶をなくしたことで、新たな自分を発見したとか。
 とりあえず、ウーロン茶を注文すると、疾風ちゃんはちょっとぎこちない営業スマイルに戻って去っていった。
 疾風ちゃんの姿が見えなくなってから、千景ちゃんはいたずらっぽく笑った。
「ちょっといろいろあったんですよ」
「いろいろ、ね」
 きっと、いつも通りにケンカして、いつも通りに追いかけっこになり、いつも通り暴れた結果勢い余ってカフェのテーブルか何かを壊しちゃったんだろう。疾風ちゃんは、千景ちゃんが関わると短気になるみたいだから。……って、施設内で追いかけっこしたり模擬刀振り回すのは感心できないことなんだけどね。
 しばらくしてウーロン茶がやって来る。その頃には、栗きんとん羊羹はすべて千景ちゃんのお腹に収まってしまっていた。
「それじゃあ、いいですか」
 資料を読み終えた千景ちゃんが、ファイルをこちらに返しながら、唐突に言葉を紡ぎ出した。囁くように、詠うように。
 僕ははっとする。突然、千景ちゃんから表情が消えていた。代わって翠碧の瞳に灯った不思議な光。隠れた真実を見抜く輝きだ。
 僕は慌てて手帳を広げて、メモを取った。
 赤色のファイルには、僕等警察が捜査中の事件に関する情報が書かれている。千景ちゃんはそれを読んで推理をし、ヒントを出す。僕はそれを控えて、本庁へ持っていき、捜査に役立てる。ヒントを出すのだから、当然答えは分かっているのだろう。でも決して犯人を示したりはしないし、説明もしない。こちらからの問いかけに回答することもない。
 これが、彼女と僕らが取り決めた約束事だった。
 千景ちゃんは以前はよく、警察に協力する天才少女なんて名目でメディアに担ぎ上げられていた。だけど違う。警察の偉いさんどもが彼女を利用していたんだ。いかなる謎もほどく神懸かり的な力を持つ小さな子供を、大人達は見逃してはくれなかった。でも、彼女が失踪したあげくに記憶をなくしてしまってから、連中も少しは考えを改めたらしい。千景ちゃんの、ヒントだけなら出してもいいという言葉を、彼らは受け入れた。そしていろいろあった末に、僕が定期連絡員として派遣されるようになったのだ。同僚は、子供のご機嫌取りも大変だななんて言うけれど、むさい男の顔を見続けたり陰惨な事件現場に赴くよりは、こっちの方がずっといい。それになにより、今度こそ千景ちゃんを守るという僕の望みも果たせるのだから。


 千景ちゃんはすべてのヒントを出し終えると、カップに残っていたお茶を飲み干した。瞳にあった不思議な灯火は消えて、いつもの微笑みを浮かべている。
 それから少し遅れて、僕もペンを置く。そしてウーロン茶に口を付けて、ほっと一息ついた。
「おじさまには会っていきますか?」
「うん。渡す物もあるし」
 問いかけに対して、書類の入った鞄を掲げてみせると、千景ちゃんはこくりと頷いた。
おじさまというのは、この組織を束ねる男のことだ。名前は解らない。秘匿とされているという訳じゃないのだろうけど、この組織の人間はおじさまのことをボスと呼んでいるようだ。そして僕もまた、それに倣っている。
 一時期、行方をくらませていた千景ちゃんを探しだし保護したのがこの男だ。彼女がこの組織に引きこもったのもそんな縁があったからだ。
 実のところ、用事がない限りわざわざ挨拶しに来ることはないとボス本人から言われている。うちの上司とボスは仲が悪いからなおさらだ。いつもならここで帰るんだけど、今日はそうも行かなかった。
 時計を見ると、ちょうど4時。
 ふと、影が横切った。疾風ちゃんだ。ウェイトレス姿のままで仁王立ちして、千景ちゃんに指を突きつけている。
「ようやく終わったぞ! よくもこんな格好にしてくれたお礼に今度はお前にこの服を着せてやるからな!」
 お手伝いタイムは4時で終わりだったらしい。それにどうやら、疾風ちゃんはかなりお怒りのようだった。
 そんな彼女を見て、千景ちゃんはゆっくり立ち上がって小首をかしげて見せた。
「でも自業自得じゃないですか」
「う、うるさい! あのとき貴様が避けなければ……いや、絶対仕組んでただろう!」
「仕組む。なんのことやら。それはそうと疾風」
「なんだ!」
「はい、ポーズ」
 千景ちゃんはどこからともなくデジタルカメラを取り出し、シャッターを切る。疾風ちゃんは、びしっとポーズをとった。
「……って、何をさせるんだ!」
「ふふ。あとでプリントアウトしてあげますね」
「いらんわ!」
「えー?」
「えー? じゃない!」
「あ。それと、残念ですがその服ですけど……私じゃ着られませんね」
 ここで千景ちゃん、残念そうな顔をしながらも胸をはった。
「だって『その服』じゃ一部サイズが合いませんから」
「!!?」
 二人は背丈も体型も同じくらいだけど、一部だけ違うところがあった。
「きーさーまー!!」
 疾風ちゃんは、とんでもない速さでつかみかかった。武道で鍛えているだけあってすばらしい瞬発力。普通は避けられないだろう。けれど千景ちゃんはこれを予想していたらしい。疾風ちゃんが動くと同時に絶妙なタイミングでひょいっと横に避けて、横を通り過ぎる彼女の背中を押した。
 疾風ちゃんは勢い余ってテーブルに激突……はしなかったけれど、テーブルに強く手をついた。
「それじゃあ、鈴代さん。ごきげんよう」
 その隙に千景ちゃんは優雅にぺこりとお辞儀すると、とっても楽しそうな、和菓子を食べてるときに匹敵するような笑顔で一目散に逃げ出した。緩やかなフォームなのにむちゃくちゃ足が速い。あっと言う間もなく姿が消えた。そういえばいつぞや、いつも追いかけっこしているおかげで、すっかり逃げ足が速くなったって言ってたっけ。
「はっ! 待てー!!」
 疾風ちゃんも気を取り直して追いかける。こちらはさらに速かった。今の彼女なら世界を狙えるかもしれないってくらいだ。
 僕は苦笑しながら手を振って、二人を見送った。