「華代ちゃんシリーズ」



「華代ちゃんシリーズ・番外編」
「ハンターシリーズ」
「いちごちゃんシリーズ」

作・真城 悠


ハンターシリーズ63
『珊瑚の研究』(前編)
作・真城 悠


 1.

「わあああああ〜っ!」

 甲高く黄色い声が廊下にこだまする。

「まーちなさーい!」

 何事か?と廊下を覗き込んだ一部の職員は、そこに走りこんでくる哀れな犠牲者の姿を見る。

 彼女は漆黒のセーラー服に身を包んでいた。

 今時なかなか見られないシンプルなデザインである。

 全身真っ黒な中に純白の三本ラインが首もとの襟から背中側に回り込んで四角く折り返し、その胸には鮮やかな真紅のスカーフがたなびいている。

「ちょ・・・よせえぇ〜っ!」

 ひざ下十センチはあろうかという長いスカートが古風だ。

 そのスカートを走りにくそうにばたばたと波打たせ、到底運動には向かないストラップローファーの革靴を駆って、腰まで届きそうな艶やかな黒髪をなびかせて彼女は走り続ける。

 通り魔に襲われているのか、はたまた突如現れた変質者か。いずれにせよただ事ではない雰囲気だ。

 だが、その光景を見た人々は、屈強な体躯の二枚目まで揃ってすぐに顔を引っ込めてしまう。いや、のみならず自分のエリアを堅くロックし、シャットアウトを図ったのだ。

 

 何と言う薄情な行為だろうか。

 だが、通常ならばその非難は妥当でも、この組織の中では決して妥当とは言えない。この状況下で哀れなセーラー服の被害者を積極的に救済に行く蛮勇を持ち合わせているものはもういない。

 かつてはいた。だが、今では絶滅してしまったのだ。

 そして、被害者がある程度以上の被害に遭わないこともまた、全員が熟知していたことだった。

 遂に廊下は行き止まりとなり、立ち止まるほか無いセーラー服の美少女。

「むふふ・・・追い詰めたわよ」

 若干息を切らしていたが、それでも追跡者は仁王立ちになって見下ろしている。年のころは三十台にならんとするスリムで知的な印象を与える美女だった。

「や・・やめ・・・」

「いいわあ、その怯えきった表情・・・」

 その瞬間だった。

「きゃっ!」

 ばさっ!という音を立てて長いスカートが宙を舞い、清純な印象を与える純白の肌着と下着が広い空気にさらされる。

「いやあっ!」

 慌ててスカートを押さえ込む美少女。

 加害者の美女が、物も言わずにいきなりスカートをめくったのだ!

 その隙を突かれた。

「っ!!」

 背後に回りこんだ追跡者は背中から美少女の発育のいい乳房を両手で鷲掴みにしていた。

「あっ・・・あっ!ああっ!」

「困るわねえ。この程度で動揺しちゃあ。特殊公務員の名が泣くわよ」

 長い髪に隠されたうなじからはシャンプーと体臭がほどよく入り混じった年頃の女の子独特のいい香りが漂ってくる。

「行くわよ」

 次の瞬間、聞いている誰もが赤面しそうな声が廊下いっぱいに響き渡った。

 

 

2.

「・・・で?報告はそれだけか?」

「はい。これは被害に遭っている男性職員全員の総意でもあります」

「確かに・・・傍若無人ではある」

「科学班から更に気になる報告もあがっております」

 この部屋は「ボス」の個室である。

 その部屋にエージェント二十九号が報告に来ていた。

 人類が誇る対「華代」組織を司る存在・・・通称「ボス」は、地位だけで言えば警視総監と同列である。勿論、存在自体が極秘とされる秘密組織への就任が出世コースであるはずは無い。

 彼が部下の内でも特に事務方として優秀とされる男の報告を受けているところだった。

「で?犠牲者としては何人目なんだ?」

「それはのべ人数でよろしいのでしょうか?」

「・・・一人で何回もやられたのがいるのか」

「まあ、私もそうですし」

「のべでいい」

「もう百人を越えてますね」

「なんてこった・・・」

 気まぐれに現れては「相談を聞く」と称して哀れな被害者やその周辺の人々を性転換させてしまう、という謎の存在「真城華代」。彼女がそのまま活動を続けていたのならばとっくに人類の男女比のバランスは狂ってしまっているはずだった。

 だが、数万人に一人の割合で生れ落ちる「ハンター」気質を持った人間はそうした「華代被害者」を元に戻すことが出来る。

 そうした人間をスカウトし、「元に戻す」活動を行っている組織が「ハンター」である。

 「ハンター」には、犠牲者を「元に戻す」ことは出来ても、ハンター自身が他人を性転換させる能力はなく、また「ハンター」自身が華代被害に遭ってしまった場合は復活は不可能である、という特殊条件がつく。

 根本原因を絶つべく「華代」殲滅に乗り出したハンターもいたが、その悉(ことごと)くが「返り討ち」に遭ってしまっている。

 華代に「返り討ちに遭う」というのは即(すなわ)ち“女へと性転換させられる”ということに他ならない。

 今ではその愛くるしさ(?)から組織のマスコットのように扱われている「半田苺(はんた・いちご)」という美少女も、元はといえば「ハンター一号」であり、ハンター組織の中でも最も大柄でマッチョな男であったのだ。彼・・・今は“彼女”・・・は典型的な“華代被害者”でもある。

 ハンター組織の被害者の中には華代被害に遭ってそのまま女として結婚退職してしまった者もいる。

 

 「ハンター三号」こと「藤美珊瑚(ふじみ・さんご)」もその華代被害の“犠牲者”の一人だった。

 「華代被害」はほぼ百%の確率で「男性が女性に変えられる」という末路を迎える。中には女性が男性に変えられる被害もあるが、それはお互いに性別を入れ替えられた場合などであり、いまのところ華代によって単独で女から男に変えられた被害は報告されていない。もっとも、華代は神出鬼没なので「ハンター」組織が把握していない被害がどの程度あるのか見当も付かないので、実際にはあるのかもしれないが。

 ともあれ、その意味では、生まれつきの女性である「三号」は比較的安全であるはずだった。

 確かに男になって戻ってくることこそ無かったのだが、彼女もまた“華代被害”の立派な犠牲者だったのだ。

 彼女は自分の身体に触れた男性を、その意思に関わり無く女性に性転換させ、のみならず着ている服までも女性物に変えてしまうという「華代」と殆ど同じ能力を持つ身へと変化させられてしまったのだ。

 ただ、当然ながら「華代」は自らの能力をコントロール出来るのに対し、三号の能力は全く制御することが出来ない。「接触」すると即発動してしまうのだ。

 ということは、不用意に彼女に触れたり、触れられたりした男性は哀れにも女性へと変貌してしまうことになる。

 

 これはもう「能力」というよりも「体質」である。

 当然ながらこんな体質ではまともな社会生活など営むことは出来ない。三号はれっきとした女性であったが、男性とのお付き合いなど夢のまた夢である。何しろ触れた瞬間に女になってしまうのでは、キスどころか手をつなぐことも出来ない。無論“男性と”であるが。

 幸か不幸か三号の「男性を女性化する能力」は華代のそれと違って永続しないことが分かってきた。長くても数日、短ければ数時間で元に戻ることが出来る。大抵の男性は翌日の朝には男性として目覚めることが出来た。

 これが通常の会社であればパニックだろうが、何しろ「華代」被害を扱う特殊機関なので「そういうこともあるか」ということになり、次第にパニックは落ち着いた。不随意に女性になってしまうことでの安全性への危惧も限りなく低い・・・と考えられていた。痩せても枯れても特別に訓練を受けたエージェントばかりである。

 

 だが、「すぐに元に戻れる」という条件は必ずしも事態の好転には繋がらなかった。

 これで三号が“慎み深い女性”だったならばまだ良かったのだが、どちらかと言うと「加虐趣味」があった。分かりやすく言えば彼女は「S」(エス)…つまりサディストだったのだ。

 普段は科学班特製の「手袋」をしているが、少しでも気に入らない扱いをされたり、気まぐれに悪戯(いたずら)心が芽生えたりするともう駄目である。

 目の前の男性を徐(おもむろ)に性転換させて女性・・・特に“女の子”にして・・・思うが侭(まま)の姿に女装させ、オモチャにして楽しむのである。

 三号が女子高の出身で、後輩の女の子にセクハラギリギリの悪戯(いたずら)をして楽しんでいた経験もその趣向を加速させ、今では彼女の部署に近い男性の三分の一近くが被害に遭っていた。

 まあ、とはいうものの、三号の「悪戯(いたずら)」とはせいぜいスカート姿にしてスカートをめくるとか、露出度の高い服にしてこちょこちょくすぐるとかその程度である。

 最近ではお尻をなでまわしたり、乳房を揉んだりと若干「セクハラ」方面にエスカレートしているが、服の上から行うという一線は決して崩さない。

 一部の読者が期待しているかも知れない百合展開になったりは全くしない。女子高出身の三号に言わせれば「いたずらの内にも入らない」他愛の無いものであるが、何しろ「女にされる」というのは大変に精神的動揺が大きいために、男性職員にとっては正に恐怖の対象であった。

 唯一の救いは、華代とは違って「直接接触しなくては能力が発動しない」という点。

 冗談抜きで彼女の部署に男性が近づく際には宇宙服の様に全身防備してから行かなくてはならない、と囁かれていた。

 自然と転属願いが相次ぎ、いつの間にか周囲は“生まれつきの”女性のエージェント或いは職員ばかりになっていったのであった。

 

 もうお分かりだと思うが、冒頭で“いたずら”されていた“セーラー服の美少女”は哀れな男性職員の“なれの果て”・・・つまりは三号の能力の犠牲者である。

 この所…と言ってもここ数日だが・・・大人しくしていると思ったら、物見遊山でやってきた男性職員がその毒牙に掛かった格好になった。

 哀れ可憐な女子高生へと変身させられ、弄(もてあそ)ばれてしまったのである。

「やれやれ・・・大丈夫だろうなその職員は」

「今日は早退しました」

「女のままでか?」

「しばらくは戻れませんから仕方がありません」

「その・・・服もか?」

「女子職員の手引きでジャージに着替えさせました。セーラー服も一緒に持って帰らせてあります。あ、本人は固辞したみたいですが下着は女性もののままです」

「・・・」

 余りに「華代被害」ならぬ「三号被害」が広がったため、組織は初体験の職員・エージェントの為にすぐに女物から着替えられるようにかなりの数のジャージを用意する羽目に陥った。備えあれば憂いなしではあるが、決して裕福とは言えない組織には少なからず痛手である。

「一応ガイドラインがありますので、それにしたがってケアしています。これまでにほぼ全員がきちんと復帰していますのでご心配なく」

「“ほぼ”ってのは何だ?何人かはそのままってことか?」

 ボスが苦虫を噛み潰した様に言う。

「今現在待機中の職員がおりますので」

「ふん!“待機中”ねえ」

 憤懣やるかたない、というそぶりである。

 “待機中”というのは如何(いか)にもお役所的な言葉の言い換えであって、要するに現時点でも女のままで職場復帰していないということだろう。

 だが、実はこのボスもまた、三号の能力が発動した直後に体操服にブルマ姿の幼女に変えられた経験を持っていた。その時に撮影された写真が今も机の引き出しの中にしまってあるのはナイショである。

「しかし興味深い事例ではあります」

「確かに、あんな女は“滅多”にいないしな」

 嫌みったらしく皮肉を吐き捨てるボス。

「いえ、そうではなくて哀れな犠牲者の反応です」

「ん?」

「今回犠牲になった職員はハンターエージェントではなくて単なる職員です。しかし格闘技の覚えもあり、空手と柔道の有段者でした」

「それがどうした」

「あのぞろっとしたスカートであったとはいえ、その格闘能力が女性になることで完全に封じられてしまった訳です」

「フェミニストに怒られるぞ」

「そんなことはないと思いますが…。直後に面接しましたが、落ち着いた後ならばその格闘技の実力はかなり再現出来ていました。強かったですよ」

「そうか?女になってんだぞ。多少は小柄になってるだろうからリーチも短いし、体重も軽くなってるから格闘でも不利だろう。そもそも腕力が足りん」

「仰るとおりですが、柔道の有段者は力任せに相手を投げている訳ではありません。相手を崩した瞬間に投げるのです。タイミングさえ合えば自分の倍の体重の相手を転がすことも容易です。むしろ相手の体重を利用して振り回しますからね。確かにヨーロッパの柔道選手には腕力だけで相手を投げているようなのもいますが実に美しくない」

「格闘技講座はいい」

「いえ、興味深いですよ。女にされた瞬間の精神的な動揺で実質的に戦闘不能になっているのです。これを何らかの方法で応用できれば・・・」

「おい!何を考えてる」

「CIA辺りが高く買ってくれそうな気がしますが」

「下らんジャパニーズジョークだと一蹴されるだけだ」

「しかし、アメリカでも華代被害は出ているはずですが」

「あちらに「ハンター」が成立していないのを見ても分かるとおり、被害はわが国に際立って多い。そもそも劣化版の華代を職員として雇っているなど、全く笑えんね」

 しばしボスルームに沈黙が訪れた。

「ま、確かに肉体的にはまるでダメージは無いが、精神的なショックはかなりのものだ。制圧の役に立つのかもしれん。しかしそれならばスタングレネードで十分だ。離れていても効くしな」

 二十九号はそれこそアメリカ人の様に肩をすくめる仕草をして見せた。

 「スタン(気絶)グレネード」とは人質を取られた場合のテロリスト制圧などに使われる兵器で、強烈な音を発して相手の抵抗を削ぐためのものである。類似兵器としては強烈な閃光を放って相手の視覚を一時的に奪う「フラッシュ(閃光)グレネード」などがある。

「確かに」

「で、今日はその“気になること”の報告に来たのか?」

「いえ、報告は久しぶりの三号の“ご乱心”についてです。実験の提案に来ました」

「実験・・・?だったら報告書・・・上申書にして提出しろ」

「勿論その積もりです。その前に簡単にボスにお話を聞いてもらおうと思いまして」

 ボスはくるりと椅子を回して二十九号に背を向けた。

「それならば明日にしろ。お前も纏(まと)まってからの方がよかろう」

「そうですか・・・この騒動があったのでこの勢いに乗ってと思いまして」

「明日の方が落ち着いて話が出来るんじゃないかね・・・そもそも目のやり場に困る」

「・・・やはりそうですか」

 そういって二十九号は胸元の生地をくいっと引き上げた。そこに引っ張られて全身のみならず特に下腹部に“きゅっ”と引き締まりがやってくる。

 そう、二十九号は「ハンター」組織内でも一二を争うダンディな男だった・・・のだが、今は妖艶なバニーガールになってしまっているのだった。いや、「バニーガール姿の女性」へと変えられてしまっているのだった。

 元々背が高いところに持ってきて、割り箸のような漆黒のピンヒールを履かされているので机の前に立つその姿は見下ろしてくるかのようである。

 それでいて黒光りするバニースーツからこぼれそうな豊かなバストが目の毒である。

「・・・三号だよな」

「華代被害ならばこんなに落ち着いていません」

 といって長い髪の毛を爪で掻き揚げて耳に掛ける。濃い口紅が眩(まぶ)しい。

 ・・・何だかとても堂に入った女性的仕草なのだが・・・。

 脚が長いので、網タイツに包まれた脚が生えている腰…というか、ハイレグもまぶしい「股」部分がボスの机の上に三角形を見せ付けている。その臀(でん)部の丸っこい膨らみ具合は正にグラマーな女性のもので、女子高生の小娘には出せない色香が漂っていた。

「お前はジャージは着ないのか」

「三号が気を遣ってタキシードも着せてくれましたから。寒くはありません」

 確かにバニーガール仕様の燕尾服も着込んでいる二十九号だった。胸から上が殆ど露出されてしまう状態に比べればずっとマシであるが、より男性的な記号に隠されたその肉体が余計にいやらしさを助長していた。蝶ネクタイのすぐ下にぱっくりと肌が露出し、そこに胸の谷間が強調される形になっている。

 ハイレグ気味に大きく切れ込んだ脚線美が大きく露出し、艶(なまめ)かしい網タイツに彩られている。ズボンでもスカートでもない異様なそのスタイルはまるで水着か下着を思わせる。それでいてお尻の上に「ちょこん」と乗った白いしっぽを模したアクセサリーの場違いな可愛らしさが恥ずかしさを助長する。

 よくこんな恥ずかしい格好をさせられて平気な物だ、とボスは思った。

 声も低く抑えられているが、まるで宝塚の様にどう聞いても女性の声なのである。

「それに・・・」

「それに何だ」

「この衣装は殆ど下着みたいなもんで、脱いだら裸なんですよ。ジャージ着るとしてもこの上から羽織る感じですかね」

「分かった分かった!」

 ジャージを脱いだらその下がバニーガールなど・・・何やら想像しただけで複雑な気分になってくる。しかし、それでもそのハイレグをさらすのは勘弁して欲しかった。

「ボス、知ってますか?バニースーツってトイレに行く時には全裸にならないと用を足せないんですよ」

「知るかそんなこと!」

 …それは全く知らなかった。さぞかし不便なことだろう。まあ、こちとら一生着る予定は無いので知ったことではないが。

「それにしても落ち着いたものだ」

「初めてではないもので」

 この二十九号の様に三号によって何度も女性化された職員・エージェントは後を絶たない。中にはこの様にある程度“慣れてしまう”ふてぶてしいのもいた。

「いいから!続きは明日だ!」

 追い払う様にバニーガールとなっている二十九号を送り出すボス。

「はい、では」

 カツン!とハイヒールの踵(かかと)を鳴らして百八十度ターンする二十九号。

 なるべくその網タイツにぴっちりと包まれた脚線美を見ない様に心がける。

 男の本能とは悲しいもので、元・男と分かっていても思わず目を奪われずにはいられないものなのである。

 女になると自然とそういう歩き方になってしまうのか、ボスからはざらりざらりと燕尾服のしっぽ部分の裏地に網タイツのバックシームを擦(こす)らせながら歩く。

 その動きが映画の中のマリリン・モンローの様に左右に振れる様に見えた。白いうさぎのしっぽが燕尾服のお尻部分の割れ目からぴょこん、と顔を出している。

 ボスは視線を外してこらえた。

 すぐにドアの閉まる音がした。

 

 

3.

 薄暗いショットバーのカウンターに仲睦(むつ)まじい男女がじゃれあっていた。

「幸子・・・結婚しよう」

「ケンジ・・・」

 それは突然の提案ではなかった。

 空気の様に当たり前になったお互いの存在の確認だった。

 遂に確約を貰った幸子は幸福感に包まれていた。

「ふうーん、お幸せだこと」

 驚いて慌ててそちらを向くケンジと幸子。

「あ、先輩・・・」

「どーもー」

 手をひらひらと振る「三号」こと藤美珊瑚。

「ケンジ・・・」

 突如現れた闖入者に不安を隠しきれない幸子。

「あ、この人は職場の先輩の藤美さん」

「どーもー。森岡君の彼女ね」

「え・・・はあ・・・」

 人品卑しからぬ相手のはずなのだが、何故か動物的本能で警戒感が解けない幸子。

「だいじょーぶだいじょーぶ!そんなんじゃないから!あたしと森岡君は職場の同僚以上の関係じゃないんでね」

「先輩・・・ここで何を・・・」

 ケンジは自分が非常に隠密性の高い秘密組織に勤めていることは幸子には話していなかった。余計な心配を掛けさせたくないということもあったが、何より守秘義務の為に話したくても話せない事のほうが多かったのである。

「ん?別に何てことも無いよ」

 ケンジの目に珊瑚(さんご)の手が入ってくる。そこには「不測の事態」に備えた手袋がある。

 決してこの人は「いい先輩」ではない。後輩を・・・露骨にいびりはしないが、少し邪険に扱ってその反応を見ている様な“意地悪な”ところがある。

 ケンジも理不尽なことをされた覚えがある。

 それに、この先輩には恐ろしいタブーがあるのだという。何故か周囲の人間はその話題に触られることすら忌避するかのように硬く口を閉ざして何も教えてくれなかった。

 何だかとても嫌な予感がした。

「ごーめーん。聞くつもりは無かったんだけど聞こえちゃった。プロポーズしたみたいね。おめでと」

 「おめでと」の部分を幸子に向かって言う珊瑚(さんご)。

「は、はあ・・・」

 祝福してもらうのは有難いのだが、こういうときは二人で浸っていたいので正直邪魔だった。ましてやこんな美人が割り込んでくるなど、彼を信じてはいても胸中穏やかではない。

「いーわよねー、あんたがたは。普通に恋愛できてさ」

 口調は優しかったが、その奥底に明らかに剣が隠れている。

「あ、あの先輩・・・僕ら急用を思い出したので」

 ケンジが気を利かせてその場を立ち去ろうとする。

「待ちなさい!」

 少し大きな声になる珊瑚(さんご)。

「幸子ちゃんって言ったかしら?」

「・・・ええ」

「お幾つ?」

「二十三です」

「ふーん、社会人になったばっかりってとこね」

「先輩!彼女は関係ありません」

「何なんですかあなた?」

 遂に幸子が珊瑚(さんご)に牙をむいた。

「ん?森岡の先輩だけど」

「先輩なのは分かりました。でも、この状況がどんな状況か分かるでしょ!?プライベートもプライベート、大プライベートなんですよ!」

 妙な表現だが言いたいことは分かる。

「あたしたちのことは放って置いてください!」

「幸子!よせよ!」

 当然、ケンジは今後のことも考えてことを荒立てないように立ち回ろうとする。

「あらあら、可愛いこと。森岡君のことを愛してるんだ」

 敢えてなのかからかうように言う珊瑚(さんご)。

「・・・はい」

 重い返事だった。それは決意の表れだった。

「幸子・・・」

「ふーん、それじゃあ何があっても彼を愛し続けるって誓える?」

「先輩・・・」

「誓えます!」

 この場はもう「女の戦い」の方がメインだった。

「何があっても?」

「何があってもです!」

 店中の人間が振り向くほどの大騒ぎになってしまった。

 珊瑚(さんご)が不敵な笑みを浮かべた。

「じゃあ、試してみようかしら」

 ケンジの目に「手袋を抜き取る」オーバーなアクションが目に入った。

 次の瞬間、脇に控えていたケンジに向かってくる珊瑚(さんご)が一瞬目の前にフラッシュした。

「うわっ!」

 一瞬意識が途切れた。

 

 ・・・何だ?・・・俺・・・何してたんだ?

 時間にすればものの数秒も無かっただろう。

 ・・・そうだ、思わず目をつぶってしまったんだ。

 ゆっくりと目を開ける。

 だが、まぶたを上げようとするべくまぶたに血液が流れ、周囲の筋肉が動く準備をした瞬間にはもう違和感が全身を貫いていた。

 ・・・何か・・・何か変だ・・・。全身が…全身の感覚が何か…どこか違う…?

 そのまま目を開ける。

 目の前に幸子がいた。

 だが、その風景は先ほどまでとかなり違っていた。

 視界全体に何やら白い霧(きり)というか靄(もや)が掛かっているかの様なのだ。

 違う!違和感はそれだけではない!

 顔全体をくまなく覆うこの厚ぼったい様な独特のまとわり付く感覚…それに…耳が…耳たぶに何かついてる?

「け…んじ…」

 幸子の顔は真っ青になっていた。

「幸子…」

 声を出した瞬間、恥ずかしい様な何とも言えない感覚が襲ってきた。

 何だ?…何だこの、初めて自分の録音された声を聞いた様な自己嫌悪に陥りそうな違和感は…。

 そして幸子に向かって一歩歩き出そうとしたその時だった。

 

 しゅるっ!

 

 全身からその音がした。

 反射的に自らの身体を見下ろす。

「…!!!…っ!?」

 余りの事に頭の中が真っ白になった。

 何だ…これは…。

 まぶたをぱちぱちさせるが、まぶた全体が重いような違和感はそのままだった。

 違和感…違和感といえば、何やら周囲の見えている景色が先ほどと少し違う…いや、景色そのものは同じだ。いい雰囲気のショットバーのままなのだ。違うのは…視点だ。視点の高さだ!

 思わず自分の手を目の前に持ってくる。

「っ!!」

 信じられなかった。

 ごく普通のサラリーマンが着る様なスーツだったはずのその手は、真っ白だった。

 いや、それは白一色の手袋だったのである。

 て、手袋…?いつの間に…?

 それに、右手には手袋をしているのが分かるのだが、左手は…これは何だ?

 思わず、左手に力を込める。

「…あ」

 ここで初めて声が出た。

 余りにも馬鹿馬鹿しい事態に、いかにもとりそうなリアクションを取れなかったのだ。

 そこには花束があった。

 それも、いかにもこじんまりと持つことが出来る様に綺麗にまとめられたそれだった。

 ことここにいたって、ケンジは自らの身を襲った出来事に“あたり”が付き始めていた。

 

 馬鹿な…そんな馬鹿な…まさかそんな…

 

 “きゅっ”と首を動かしてみた。

 窮屈に首周りを締め上げていたネクタイは既に無く、大きく開いていた。

「あ…あ…」

 鎖骨周りが無防備に空気にさらされ、大理石の様に白く美しい素肌が目に飛び込んでくる。

 耳元でちりちりと鳴いて耳たぶを下に向かって引っ張っているのはイヤリングに違いなかった。

 遂にもう一歩を踏み出してみるケンジ。

 

 しゅるり。

 

 間違いなかった。

 その大量の生地の下で全身を緊縛するかの様に設置された女性物の下着の感覚が全身を襲う。僅かに動きをとっただけで大きく生地の海が揺らぎ、衣擦れの音を響かせる。

 目の前を遮る霧(きり)は…アップにまとめられ、うなじを晒した髪の頂点から垂れ下がるウェディングヴェールだったのだ!

「きゃあああああああーっ!」

 幸子の絶叫が響き渡る。

「え、えええええええっ!」

 どよめきが店中に広がった。

 そ、そんな…そんな…。

 ケンジは一分の隙も無く手袋に覆われた手で全身を撫で回してみた。

 

 しゅるり、しゅるる、しゅるるるるぅっ!

 

 あ…そ、そんな…こ、これは…う、ウェディングドレスじゃないかあっ!

 

「あーら森岡ったら、綺麗になっちゃってまあ・・・」

 振り仰ぐとそこには腕組みをして勝ち誇ったかの様に仁王立ちになっている珊瑚(さんご)がいる。

 

 そ、そんな馬鹿な…どうしてこんな事が…これは…これは夢に違いない。

 着ていた服が…頭のてっぺんからつま先までガチガチの男物だったのに一瞬にしてウ、ウェディングドレス…!?だってぇ!?

 俺は…俺は男だぞ。

 お、男に純白のウェディングドレスなんて…そんな馬鹿な!

 し、しかもこの感触…、ま、まさか…か、身体まで…お、女に…!?!?!?

 

「せ、先輩・・・」

「とっっってもよく似合ってるわよ。羨ましいわ」

 黒い微笑みを湛えている美女。

「あなた結婚するんでしょ?だから手助けをしてあげたのよ。これで今すぐにでも結婚できるわね」

 

 な、何を言ってるんだこの人は・・・!?

 まるでこの人には不思議な力があって、その力で俺をウェディングドレス姿にしたと言ってるみたいに聞こえるぞ・・・。

 そんなことが…そんなことが出来る訳が無い!そんな非現実的なことが起こるわけが無いじゃないか!

 

「ま、結婚ったって“女として”だけどね」

 つかつかと歩み寄ってくる珊瑚(さんご)。

「い、いや・・・」

 何故か女性的な声が出てしまう。

「何よ、女同士なんだしそんなに嫌がること無いじゃない」

 官能的な声ですぐ近くまで寄ってくる珊瑚(さんご)。

「幸子ちゃん・・・?どうしたのよ。元気ないわよ」

 幸子は、可愛そうにガタガタと震えながら両手で顔の両側を押さえて立ち尽くすのみである。

「こーゆー露出度の低い服だと分かってもらいにくいんだけど、単なるコスプレじゃなくてじゃんと女になってるからね。ほれ」

 蜂の様に細くなっているケンジ・・・今は純白の花嫁・・・の腰を“きゅっ”と抱き寄せる珊瑚(さんご)。

「・・あっ・・・」

 羞恥に頬を染め、思わず顔をそらす花嫁。

 

 せ、先輩…や、やめて…ください…。

 こんな…こんな身体になって…しかもこんな格好で…女の人相手にとはいえ抱きしめられて顔を赤くして身体をくねらせている…なんて…。

 は、恥ずかしい…。

 

「うーん、可愛いわあ。本当に予想通りのリアクションで嬉しくなっちゃう」

 愉悦に歪む珊瑚(さんご)の表情。

「幸子ちゃんよく見なさい!ほれほれ!」

 ウェディングドレス姿のケンジの、大きめに開いた胸元を幸子の方に見せ付ける珊瑚(さんご)。そして、その細身の身体を抱きしめて「胸の谷間」を作ってみせる。

「・・・いやっ・・・」

 そんなものを見せるまでもなく、その病的なまでのスリムなウェストは、既にさっきまでのケンジのそれではありえなかった。

 

 ああっ!こ、この感触…こ、これが女の胸…ち、乳房なのか…!?

 そ、そんな!本当に身体まで…お、女になってしまったっていうのか!?

 

「勿論、下の方も・・・ね」

 ウィンクする珊瑚(さんご)。全く可愛くない。

「ほれ!愛する幸子ちゃんのところに行きな!」

 どん!と哀れな花嫁を突き飛ばす珊瑚(さんご)。

「ああっ!」

 慣れないウェディングシューズと、何より生まれて初めて身を包むドレスの大量のスカートに足を取られ、幸子の胸の中に倒れこむ格好になってしまう。

「きゃっ!」

 当然、幸子には支えきれずに一緒に床に崩れ落ちてしまう。

 床一杯に大量のスカートと、ダイアナ妃のウェディングドレスすら思わせる長くて大きなトレーンが広がった。

 “女すわり”の状態でよよとよろめいた姿勢で見詰め合う女同士。一人はスーツ姿の女性。そして場違いなウェディングドレスに身を包んだ女である。

 勿論その内一人・・・純白のウェディングドレスに身を包んだ可憐な花嫁・・・は先ほどまでれっきとした男・・・ケンジの変わり果てた姿だった。

「幸子ちゃん、どんなことが起こっても森岡君を愛せるって言ったわよね。どう?こうして女になっちゃったけど?その上あなたに先駆けて花嫁さんになっちゃったけど、これでも愛せるかしら?」

 幸子は可愛そうに、顔色は真っ青を通り越して真っ白に近くなっている。その上歯の根が合わないほどガタガタと震えている。

「さ、幸子・・・み、見ないで・・・くれ・・・」

 恥ずかしさに身をよじって視線をそらす純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁には、ケンジの面影はどこにも無かった。

 ショットバー全体に幸子の悲鳴と、そして珊瑚(さんご)の高笑いがこだました。

 

 

4.

「・・・ったく・・・ひでえことしやがる」

 行儀悪く机の上に座った年頃の娘が悪態をついている。

「こーれ、いちごちゃん!お行儀が悪いわよ」

 水野さんが窘(たしな)めるが、聞き届ける気は無いらしい。

「ほんまや!・・・やられた側にしてみたらたまったもんやないっちゅーねん!」

「しかもその後高笑いしてたってゆーじゃねえか。・・・悪役キャラか?」

「最近は特にストレスがたまってはりますなぁ。被害の件数も増えとるわ。その上、一度も被害に遭ってない男を捜して餌食にするのが趣味らしいし」

「何だよそれは・・・いい趣味してやがる」

「でな、珊瑚(さんご)はんが、「珊瑚(さんご)被害」の未経験者の男を何て呼んではるか知ってます?」

「知らん」

「処女(バージン)だそうですわ」

「けっ!」

 先ほどから口の悪い、無地のシャツにジーンズとシンプルそのもののこの娘が噂の「ハンター一号」である。最初は忍び込んだ屋敷のメイドにされ、しばらくはメイド姿のままハンター稼業をこなしていたが、紆余曲折あって女子中学生となり、更には女子高生となって現在に至る。

 元々正体不明ではあったのだが、恐らくは三十台から四十台の筋骨隆々たる大男だった。

 それが今では肉体年齢では十七から十八の小娘になってしまっている。

 勿論人格はそのままだし、覚えこんだ各種の格闘技能などは引きついでいる。

 「華代被害」に遭ったハンター職員の多くが引退に追い込まれたり、なかにはそのまま行方不明になってしまう場合が多いさなかにあって、小娘になってしまいながらも仕事を続けている稀有な例である。

 目の前の男は「ハンター二十一号」。

 出身は奈良県らしいのだが、親の仕事の関係で引越しが非常に多く、幼少期から思春期までを関東で過ごす。

 その後進学・就職で関西に移り住む。

 家族が揃って阪神ファンであったりするところからも分かる通り、ずっと関東に在住していたにもかかわらず、いや関東に住んでいたからこそ関西への憧れが強い。

 それはいいんだが、二十歳に近くなってからやっと関西弁を駆使する地域に移り住んだ為に、肝心の関西弁が非常に覚束(おぼつか)ないのが本人の悩みの種だった。芸能人がたまにつかう「いんちき関西弁」みたいになってしまうのである。

 それでも意固地に関西弁を使い続けている。

 そもそも、遠慮の無い言い方でずけずけ迫ってきたり、何かというと商売のことばかり考えるセンスは…こういう例えをしてしまうと関西人が怒り出すほど…悪い意味での“関西風味”だった。唯一関西弁だけがつたないだけである。

 なまりの無いいちごも、二十一号の喋り言葉はまれに「どうも関西弁としては変だな」と思っている。だが、指摘できるほどの知識が無いのでそのままにしている。

 

 ちなみにハンターのナンバーは固有の番号ではなく、代々その番号を受け継いでいくものである。でなくては数十年の歴史を持つこの組織で「一号」などが空いているわけが無い。

 そしてこの「二十一号」は昭和の世の中を震撼させた世紀の愉快犯「怪人二十一面相」にあやかったらしい。そのひねくれ具合はいかにも関西的である。

「ま、オレは怖くもなんともねーけどさ」

 いちごがつぶやいた。

「そらそーですわ!いちご姉さんはこれ以上変わりようがあらしまへんからな!」

「・・・何でもいいけど“いちご姉さん”は何とかならんか。お笑い芸人じゃないんだから」

「まー、えーやないですか!」

 ・・・やっぱりどっか関西弁としてはおかしい気がするが、別にやめてくれとも言えない。

 「三号」こと藤美珊瑚(さんご)の能力は、当然ながら女性には全く何の効力も持たない。ここも本家の華代ちゃんと違うところだ。「男を女にする」能力はあっても「女を男にする」能力は無いのである。

 これがあればすぐに「珊瑚(さんご)被害」の被害者を元に戻せてしまう訳だから、問題はここまで大きくはならないのである。正にこの「自由に戻すことが出来ない」からこその悲劇なのである。

「しかし実際これだけ被害が大きいと幾らうちの組織がちゃらんぽらんでも少しは対策を考えんとまずいだろ」

「しかしいちご姉さん、あの能力って金儲けに使えませんやろか?」

「はぁ!?」

 事務室にいた残りの二人の声がハモった。

「あ、どうも二十一号さん」

 そこに沢田さんがお盆に四人分のお茶を載せて入ってくる。

「あーこりゃどうもすんまへんなあ!お気を使わせてしもて!」

「何だよ金儲けって」

 沢田さんがそれぞれに湯気を上げる日本茶を配っている中でいちごは二十一号に尋ねる。

「何って珊瑚(さんご)はんの能力ですわ」

「銀行強盗するとか」

 水野さんが割って入る。

「そーですなー。『こらー!手を上げろーさもないとこの銀行の行員を全員OLにしてまうぞー!』って違うわ!」

 ・・・これが必殺の「ノリツッコミ」という奴だった。「違うわ!」以外の部分が棒読みなのがポイントである(何の?)。

 実はこの「クドさ」が嫌われる原因なのである。クドくても面白ければいいのだがそれも中途半端だった。二十一号が去った後の事務室はいつも悪口大会になるのが通例である。

「そーやなくて!男を一時的に女に出来るんでっしゃろ?女性化願望のある男なら一回十万円でも百万円でも出しまっせ!」

 まさかわざと「金に汚い」キャラを演じている訳でもないのだろうが、その「全てを儲け話に転化する」思考能力はあきれるばかりだった。

「まるで便利屋だな」

「そう思いませんか?」

「思わんね」

「なぜでっか?」

「・・・水野さんたちには悪いけど生まれつき女でも無ければ不便でやってられねーよ。なってみてつくづく思い知ったぜ。面倒なことも多いし」

 豊かな胸を腕組みで支えながら言ういちご。その言葉には非常な説得力があった。

「ちゃいまんねんちゃいまんねん。姉さんみたいな健康的な男ではなくて、“女性化願望のある”男ですわ」

「そりゃ嫌味か」

「それって性転換手術の代わりってこと?」

 これは沢田さん。

「そーですそーです!今ももぐりの医者相手に大金積んで大変らしいですわ」

「詳しいな。なじみのオカマバーから仕入れた情報か?」

「何でもお見通しでんなー!いちご姉さんには」

 本当にそうなのかよ。

「でも・・・だったら不合格だな」

 いちごがばっさりと斬る。

「何故ですの?」

「あいつの能力は時限式だぜ。長くても数日で戻っちまう。オレはそーゆーのが知り合いにいないから分からんけど、そういう人ってのは恒久的に女になりたいんだろ?それじゃ却って生殺しだ」

「駄目かあ・・・」

「確かにそうよね・・・うちにも二十八号みたいなのはいたけど」

 二十八号とは、「一号」こといちごに次いで華代被害に遭いつつもけなげに仕事を続けているハンターの一人である。元から女性化願望があり、華代被害と本人の意思が一致した世界的にも珍しい事例とされる。

「じゃあ、こんなのはどうでっしゃろ!純粋な体験アトラクションですわ!」

「・・・何だよそれは」

 段々アホらしくなってきたがとりあえず付き合ういちご。

「これこそ最高のアイデアやわ!人間…というか男なら誰しも“一度でいいから女になってみたい”という願望があるもんです。かく言う僕にもあります」

「・・・そうなの?」

 と、水野さん。良くも悪くもこてこての売れない関西芸人みたいな三枚目の口からそういう言葉が出ると反応に困る。というか率直に言っておぞましい。

「勿論そうです。水野はん、彼氏はいらっしゃいますか?」

「・・・いるけど」

「その彼氏も一度は思ったことがあるはずです」

「・・・そんなことないよ」

「いや!間違いありません!」

 こういう人の心にずけずけ入り込んでくるところが関東の女性には嫌われるのだが、当然本人にはその自覚は無い。

「それで?それからどうした」

 いちごが助け舟を出す。逆にいちごはそういう細やかな気配りが出来る上に、態度や口調こそ乱暴に見えるが実に可愛らしいので女性陣のアイドル的存在だった。

「ですから!『一泊二日レンタル』みたいなもんですわ。後腐れなく一日だけ女を体験してみませんか?しかも安全安心!時間が来れば完全に元に戻れます!」

「あ、それ面白いかも!」

 無邪気に飛びついてしまう沢田さん。

「おもろいでっしゃろ?僕がお客なら喜んで出しますね」

「どうなのいちごちゃん?」

 これは水野さん。

「どうって・・・何が?」

「あなたが男のままだったらどう?そんなサービスがあったら使ってみる?」

「・・・下らん」

「気軽にやればよろしーがな!学園祭や忘年会の女装なんて日本人男性の二人に一人はやっとります!それと同じ感覚ですわ」

 そんなわけねーだろ。

「それって服も変えられるのかな?」

 何だかすっかり乗り気の沢田さん。

「変えられるんじゃねーの?珊瑚(さんご)の通った後はまるでコスプレ大会だからな」

 ここも華代被害と似ていて、珊瑚(さんご)に触られた男性は身体が女性化するのみならず、来ていた服までが女性のものに変化してしまうのである。

 しかも珊瑚(さんご)はあの性格だ。「相手の嫌がることをする」のがモットーみたいなところがある。身体だけ女に変えて満足するはずが無い。なるべく「恥ずかしい格好」をさせようとしてくる。自然と珊瑚(さんご)によって女性化された男たちは各種制服などの「コスプレ」要素の強い服を着せられる場合が多かった。

「いんや!駄目です」

「なんでー」

「同じ店のそばにレンタル衣装店を併設します」

「カネ取るのかよ!」

 完全に商売人の発想である。ここまで来るといっそ清清(すがすが)しい。

「どうです?大もうけの予感がビンビンしまっせ!」

「確かにうちの組織ならやりかねないわね・・・」

 水野さんが頭を抱える。

 確かに予算の都合なのか何なのか、華代被害が沈静化している時には半分「何でも屋」的に使いまわされることが少なくない。

「無理だな」

 いちごがまたもやばっさりと斬った。

「えーっ。何でよー」

 何故か沢田さんのほうが乗り気になっている。

「悪用されたらどうする。それこそ忘年会女装程度で済めばいいが、そいつが銭湯の女湯に駆け込まない保障は無い。それに最近じゃ「盗撮」事件が多発してる。女になってれば堂々と女子便所だろうが女子更衣室だろうが忍び込めるだろうが」

「えー、でも自分の身体も女になってるんだから自分で自分を見ればいいんじゃないの?」

 と、沢田さん。何だか女子中学生みたいな質問である。

「んー、確かにそうでんなあ。・・・沢田はん、男の生理ってのはそういうもんでは無いんですわ。最初の内は自分の身体見て満足していても、どうせすぐに戻るんだしそれならば思い切って他人のレア映像を入手しようとするのは当然でっしゃろなあ・・・」

「それ見ろ」

「なら、外部に出さへんってのはどうでっしゃろ?」

「・・・はぁ?」

「元々秘密は守ってもらわんことには困ります。ですから体験者には・・・どうせ一晩だけですし・・・ホテルか何かにカンズメになってもらって、そこで朝までお楽しみに・・・」

 “お楽しみ”の部分の響きになにやら淫靡なものがある。

 いちごは嫌悪感を催した。

「・・・許可はどうする?とにもかくにも商売なんだろ?無許可で営業するのか?許認可受ける際に“本当に性転換するかどうか”を証明してみせるのか?そもそもその商売が評判になれば、芋づる式に『この世に華代みたいな存在がいる』ってことまで知られちまう。これまでオレたちが秘密組織として頑張ってきたのに全部意味がなくなっちまうだろうが!」

 少し大きな声だった。

 事務室が沈黙に包まれる。

「やっぱり無理みたいですなあ」

 首をすくめるエセ関西人。

「でも、秘密厳守でインターネットで募集すれば?」

「い、インターネットって・・・あんたはそんな怪しい商売に応募してみたいと思うの?」

 水野さんが呆れた。

 確かに。考えるだけでアホらしい前提だった。

 ウェブページ上に展開される「一晩だけの女性化体験!翌日には元に戻ります」の広告・・・どれほど冒険好きでもちょっと遠慮したい内容である。冗談ならばもっとスマートにやるべきだ。

「でも客単価はべらぼうに高くて大丈夫でっせ。インターネット上の広告なんて只みたいなもんなんやから年間一人二人でも十分ペイできます」

「あたしならサプライズパーティに使うなぁ」

 夢見モードに入っている沢田さん。可愛い。

「何だよサプライズパーティって」

 珍しく女性に対して乱暴な語尾で訊くいちご。

「お兄ちゃんの誕生日にケーキを吹き消した瞬間に女の子にするの!びっくりするけどどうせすぐに戻れるんだし」

 どんな妹だ。

「・・・それでお兄ちゃんは喜ぶワケ?」

 水野さんがツッコミを入れてくれた。

「まあ、怒るかも知れないけど・・・でも、これも誕生日プレゼントだと思えば」

 まあ、考え方として全く分からないわけではない・・・。

「他にも使えまっせ。セクハラ上司へのキツいお仕置きやら、ストーカーへの仕返しやら」

 その瞬間だった。

「馬鹿な!話にならん!」

 今度こそ大声を上げるいちご。

「お前はこの能力を何だと思ってやがる!他人を傷つける為に使うだと?ふざけるな!」

「・・・い、いちごはん・・・そないに怒鳴らんでも・・・シャレやないですか。それに傷つけるやなんて・・・とてつもない不細工やら動物に変えるならともかく、可愛い女の子でっせ。アタシも何人も珊瑚(さんご)はんの被害者を見てますけど、みんな羨ましい位に綺麗になってます」

 それは事実だった。珊瑚(さんご)の趣味なのか何なのかしらないが、珊瑚(さんご)によって女性化された元・男性は例外なく可愛らしさ、美しさを向上させていたのだ。

「お前はその目的まで依頼者から判断出来るのか?」

 ダン!と机を殴るいちご。

「本当にサプライズパーティならそれでいいだろう。だが、悪意を持ってある人物を性転換させて乱暴狼藉を働く意図のある悪人だったらどうだ?お前はそこまで判断出来るのか?」

「いや・・・それはその・・・」

「法律上も、悪意ある使用を予見できた場合にはそれを手助けする者は罰されることになってる。料理に使うならともかく、どうみてもこれから人を刺し殺しに行きますって風情の人間に包丁を売ればそれは犯罪なんだよ!男が女になるってのはそういう意味なんだ!それ位危険なんだよ!軽はずみに考えるな!」

 今度という今度はしゅん、となってしまう事務室。

「アホくさ。オレは帰るぞ。仕事が入ったら部屋にインターホンくれ」

 出口に向かってつかつか歩き出すいちご。

「いちごはん・・・またひきこもりでっか?」

 その瞬間だった。

 凄まじい轟音がして、二十一号が壁まで吹っ飛ばされて、激突し、周囲の文具を巻き込みながらひっくり返った。

 煙を巻き上げながら失神している二十一号のしまりの無い身体。

「さいてー」

 そこには平手を振り切った後の沢田さんが仁王立ちしていた。

 いちごに気がつくとぱちっとウィンクする沢田さん。

 いちごは何も返さずに踵を返した。

 

5.

「で?あたしに何の用なの?」

「・・・」

 ここは日中のオフィスだった。

 「ハンター」組織もれっきとした国家機関である。建物は完備している。

「・・・貴様・・・飲んでるな」

「飲んじゃ悪いの?」

 悪びれる様子も無く珊瑚(さんご)はだらしなく言い放つ。その赤ら顔に髪も乱れていた。

「貴様もエージェントなら誇りを持たんか!」

 叱責しているのは年のころ十七と思しき少女、いちごだった。

「くだらないわね。わざわざお説教しに来たの」

「貴様個人がどうなろうと知ったことか。だが我々の給料は国民の血税だ。飲んだくれの中年女に払う余裕はびた一文無い」

「うっさいわねえ!あたしだってあんただって給料から税金引かれてるじゃない!払うもんは払ってんのよ!公務員だからって何かというと税金泥棒みたいに言わないで欲しいわ」

「言いたいことはそれだけか」

「あによ。これから処刑するって口ぶりね。格好いいわ。一号」

 実はこの二人は何故か犬猿の仲だった。原因は分からない。

「あたしらは国民の性別を守って日々働いてるのよ!天下り先で三色昼寝つきで大金せしめる高級官僚あがりの方をもっと批判してもらいたいもんだわ」

「語るに落ちたな三号。そんなにわかジャーナリズム気取りが何になる」

「でも、事実でしょうが」

「貴様が人並みに働いていれば聞いてやらんこともないが、その体質になって以来というものは、ロクに仕事もせず毎日クダ巻いているだけじゃねえか」

 残念なことだが、「華代被害を元に戻すことが出来る」という「ハンター」能力は純粋に生まれつきのものである。その為、代替が全く利かない。

 ということは、理論上一度雇い入れたハンターエージェントは並みの国家公務員に比べても容易に首を切ることが出来ない。

 もし仮にかなり悪質なサボタージュを行ったとしても手をこまねいてみているしかないというのが現状なのだ。

 そしてこの「三号」には例の特殊能力が備わってしまっている。

 野に放つわけには決して行かなかった。

 

「貴様のこの頃の傍若無人ぶりは目に余るものがある」

 噴出すように失笑する珊瑚(さんご)。

「だから何よ。アタシに触られて女になったって翌日には戻れるのよ?華代被害に比べればてんで大したこと無いわ。それどころか滅多に無い貴重な経験がノーリスクで出来るんだからむしろ感謝してもらいたい位だわ」

「本人の意思に反して強制的に性転換させて女装させるのは人権侵害だ」

「笑わせるわね。法律に書いてあるの?「人を性転換させるべからず」って?」

「貴様に説明せずとも、そんな個別の記述が必要ないこと位は分かるだろう」

「・・・」

「忘れるなよ。我々はこの組織に入ると同時に通常の市民権は剥奪されている。その身柄は全て国家のものだ」

「だから何よ!お説教はたくさん!」

「その気になれば強制力を発動することも出来る」

「何よ・・・?どうしようっての?不穏分子は消せっての?」

「そんな命令は受けていないが理論上は可能だ」

「あたしが何したってのよ!ちょっといたずらしただけでしょーが!」

「細かい言い訳など聞く必要は無い」

「問答無用だっての?」

「今まで言ってこなかったが、オレは形式上貴様の上司にあたる。その気になればそういう内容の報告書を上げることも出来るんだ」

 流石に“上司”という単語には珊瑚(さんご)も色を失った。

「・・・何よそれ・・・いつあんたがあたしの上に立ったっての・・・そんな話は聞いてないわ」

「当然だ。先ほど内示が下ったばかりだ」

「ふざけないでよ!」

「事実だ。確認してみろ」

 その態度に珊瑚(さんご)は流石に確信した。いつも丁々発止のやり取りをしている間柄だから分かる。一号は決してこの手のハッタリはかまさない。恐らく事実であるのだろう。

「・・・いっぱしの役人風吹かせようっての?その上司様があたしに何の用かしら?」

「命令はすかん。だが助言は出来る」

「出来るってんなら命令しなさいよ!」

 金切り声を上げる珊瑚(さんご)。犬猿の仲の相手が先に出世してしまったことが彼女のプライドをいたく傷つけてしまったらしい。

「難しい話じゃない。もっと自重しろ」

「・・・この趣味を止めろってのね」

 “この趣味”とは言うまでも無く、珊瑚(さんご)に備わってしまった「触っただけで一時的に男性を女性化し、女装させることが出来る能力」を使っておもむろに男性を女性化した上、弄(もてあそ)ぶ、という趣味である。

「当たり前だ。貴様には女にされた上女装させられる男の気持ちなど分かるまい」

「そりゃ分からないわよ。こちとら生まれつき女なもんでね!」

 けらけらと笑う珊瑚(さんご)。

「分からなければやっていいという道理は無い。すぐに止めろ」

「・・・それは命令かしら」

「望むのならば命令という形にしてやってもいい」

「生憎(あいにく)と事故なら防げないわね。何しろあたしの意思に反して、接触しちゃった男はみんな女になっちゃうのよ。そのつもりが無くても・・・ねえ」

 “わざとではない”という口実で言い逃れようというのだろう。

「正直貴様の体質についてはまだ不明な点が多いが・・・しかし、いつもしているその手袋によってかなりの程度防ぎうることは分かっている。許可無く手袋を取った場合は、事件発生の有無に関わらず罰する。勿論事故が起これば問答無用で罰する」

「横暴だわ!わざとじゃないって言ってるのに!」

「故意で無ければ車で人を轢き殺しても無罪なのか!?いい加減に餓鬼の屁理屈みたいな御託は止めるんだ三号!」

 しばし沈黙が訪れる。

「・・・じゃあ、どうしろってのよ・・・」

「別にどうもしなくていい。粛々と任務をこなせばいい。それだけだ」

「あたしには恋愛の自由も無いのよ!」

 勢いあまって机の上の書類の束が滑り落ちた。

 どさりという音と共に床に広がる書類たち。

「・・・気の毒だとは思ってる」

 三号の体質では異性、つまり男性に触れると必ず女性化させてしまう。手袋をしていればそれを防ぐことは出来るが、より深い肌の触れ合いなど望むべくも無かった。

「だが、華代被害の犠牲者は貴様だけではない。現にオレだってそうだ」

 自らの身体を示すいちご。

 そこには健康的な肉体をはじけさせんばかりの健全な女子がいる。無地のTシャツにジーンズというシンプルな出で立ちは相変わらずだ。

「・・・ふん、あんたらはいいわよ。観念さえしちゃえば普通の女として生きていられるんだから。でもあたしはどうなるの?こんな変てこな女にされちゃって!」

「その文句なら華代に言え」

「・・・っ!・・・」

 ぐうの音も出ない。確かに道理だった。ここでいちごに当たっても何も解決しない。

「貴様の性根などお見通しだ。普通に恋愛出来ない腹いせに、男そのものに八つ当たりしてるんだろ」

「あんたに何が分かるのよ!」

「聞き及んだところでは、結婚を約束したカップルに割り込んで男を花嫁にしていたぶったそうだな」

「・・・そこまで知ってるんだ」

「腐っても情報組織だ。お前はその幸せなカップルが憎たらしかったんじゃないのか?」

「・・・っ!・・・・・・」

 ぷるぷると拳を震わせて怒りを押し殺している珊瑚(さんご)。図星だったらしい。

「今・・・」

「ん?」

「今・・・森岡はどうしてるの?」

「ああ、お前が花嫁にした男か。そりゃ戻ってるさ」

「そう・・・」

「どうした?ひょっとして戻って無いかも知れないと心配になったか?」

「まさか!・・・そんなはず無いじゃない・・・」

「だが今回はちょっとやりすぎたな」

「・・・なんですって?」

「肉体は元に戻った。着ていた服もだ。だが精神までは・・・」

「何よ!その先言いなさいよ!」

「気になるか?」

「いいから早く!」

「軽いショック状態だ。それはまだ回復していない」

「・・・な、情け無いわね。たかが女になった位で・・・」

 その声は心なしか震えていた。

「問題は婚約者の方だ」

 いちごの表情が沈んだ。

「こちらのショック状態の方が深刻でな。まだ正気が戻らないらしい」

「嘘ばっかり!」

「こんな嘘ついてどうする」

「嘘よ!あたしを動揺させようと思って口からでまかせ言ってるんでしょ!!」

「じゃあ聞くが!」

 少女の声で精一杯どすを利かせた響きだった。

「貴様が同じ目に遭遇したらどうする?華代被害も何の知識も無い小娘の状態で、突然やってきた女に最愛の婚約者を女に性転換されて花嫁にされ、陵辱されて置き去りにされたらどうだ!貴様は正気でいられるってのか!」

「・・・りょ、陵辱って何よ!突き飛ばしただけじゃない!」

「報告書には無理やりキスしようとしたとある」

「誤解だわ!あの女に胸の谷間を見せてやろうと・・・」

 流石に言葉が続かない珊瑚(さんご)。それがキスとどちらがマシなのかは考えるのは徒労に思えた。

「流石に組織の外部の人間・・・男を無差別に襲ってはいない様だが、今回は外部を巻き込んだ。もう放置は出来ない」

「・・・どうしようってのよ」

「伝えてもいいのか」

「・・・」

 珊瑚(さんご)は答えられなかった。確かに今回ばかりは少しやりすぎたとは思う。しかし、誰一人死んだ訳ではない。

「貴様をほとぶりが冷めるまで拘置する」

「こう・・・ち?」

「分かりやすく言えば軟禁(なんきん)だ」

「な、何よそれ!!人権侵害よ!」

「貴様が言うな貴様が!そもそも公共の福祉の観点から国民の人権は一定の制約を受ける!その程度は義務教育の教科書にすら書いてあるぞ!この痴(し)れ者が!」

 いちごは男だった時の癖で、興奮してくると言葉遣いが難しくなる・・・というか時代がかるところがあった。時代劇ファンなのだろうか。

「何で・・・なんであたしが・・・」

「自分の胸に手を当てて考えるんだな」

「・・・ねえ、何とかならないの?」

「今度は泣き落としか。大した女優だな」

「一号!」

「案ずるな。軟禁(なんきん)の場合は食事は支給される。面会も差し入れもそのままだ」

「そんなこと言ってるんじゃないのよ!」

「お前が考えそうなことは全て封じるからその積もりでいろ。看守は全員女だ。男の看守も絶対お前の手の届かない距離にしか近づけさせない」

「ふ・・・その程度で」

「貴様が工作員としても一級なのは知っている。こちらもその道のプロだ。容易には出さんぞ」

「今この瞬間、あたしが逃亡したら?」

「だからオレが来た」

「何ですって?」

「普通の野郎のエージェントじゃ駄目さ。お前に向かって『身柄を拘束する』と言った瞬間にはスカートひるがえして“きゃ〜”ってなもんさ。だがオレなら問題ない」

 全てお見通しだった。

 これまでに何人もの同僚が説得を試みるが、全員が「返り討ち」に遭っていたのである。何しろ接触しさえすればいいのだから、勝負はやるまえから分かっていた。

 その点、「いちご」ならば“女にされる”心配は全く無い。

 三号の足元に力が入る。

「やめとけ」

「あんたを倒す必要は無いわ。突破さえすればいいのよ。外に出ればこっちの・・・」

「その程度を予想していないとでも思ったのか?」

「・・・え?」

「言いたか無いが、この部屋の周囲には狙撃班がぐるりと取り囲んでいるのさ」

「・・・わが国の銃刀法はいつ改正されたのかしら?」

「暴徒鎮圧用のショックガンだ。コルクの塊を打ち出すに過ぎん。貴様なら恐らく死にはしないが、それなりに痛いはずだ」

「・・・それなり・・・ですって?」

 やり場の無い怒りが三号の美貌を歪ませる。

「当たり所が悪ければその綺麗な歯並びから何本か持っていくかも知れんそ、場合によっては失明だ。それでも脱出のチャンスはゼロじゃない。試してみるか?」

 立ち上がった状態で固まってしまう三号。

「・・・何よ。何が望みなの?」

「観念したか」

「何が望みなのか言いなさいってば!」

「軟禁の方針には変わり無い。手荒なことはしたくないから説得した」

「はっ!笑わせるわね。説得ですって?」

「・・・手を後ろに回して引きずってもいいんだぞ。オレは貴様が自分の足で房に行って欲しいからこうして出張ってきてるんだ」

「小さな親切大きなお世話ね!あんたに案内してもらわなくても歩けるわ!」

「そうは思わん」

「あんですって・・・?」

「本来ならば穏便に済ます積もりだった・・・」

 独り言の様にいちごはつぶやく。

「だが貴様と話してみて確信した。今の時点では危険が大きすぎる」

「刑期は何年なの?」

「勘違いするな。貴様は法廷で裁かれた訳じゃない。組織としての対抗策だ。刑期なんてものは存在しない」

「じゃあどうしようってのよ!ババアになるまで臭い飯食らえっての!?」

 ヤケクソになった三号はそこいらの机の上の物を床の上にぶちまけながらわめき散らす。

「・・・貴様が取るべき唯一の方法がある」

「・・・悔い改めることよね?」

「以前ならそれでも良かったのかも知れんが、今ではそれでは不足だな」

「じゃあ、見世物小屋に行けっての?」

「或いはそれに近い」

「何ですって?うちの組織もヤキが回ったわね。マジックショーの最後に変身マジックでもやれってのかしら」

「それなら普通に手品師を呼べば済む話だ。貴様の能力は見世物の芸ではない」

「持ち上げたり落としたり忙しいわね。結局どうしろってのよ?」

「その能力を使って組織に協力しろ」

 しばし沈黙が訪れた。

「・・・何よそれ。元々あたしたちは華代被害の・・・」

「そうじゃない。その能力ならオレにもある。その「三号能力」さ」

「「さんごうのうりょく」!?・・・巷(ちまた)じゃそう呼んでるんだ」

「ちまたは知らん。ウチの組織内の話だ」

「協力って何よ?一回幾らで女装願望のお望みを叶えろってのかしら?それならアフターケアつきでバイトしてあげてもいいけど」

「それじゃあ貴様がいつもやってることに追い銭をくれてやるだけだろうが」

「随分ね。で、どうすればいいのよ?」

「分からん」

「・・・はぁ?」

「実は貴様の能力は分かっている様で分からないことの方が多い」

「話が見えないんだけど」

 構わずいちごは続けた。

「これまで貴様によって女性化及び女装させられた被害者はのべ百人を越える。組織としては可能な限り全員を徹底調査した」

「ふんふん」

「それでおおよその特徴は掴めたが、元に戻る時間帯などの観測にはばらつきが大きいし、衣装や変えられたシチュエーションなどとその後の振る舞いの因果関係などまで追及すればサンプル数が少なすぎるといわざるを得ない」

 三号の表情がうっすらと余裕のあるものに変わってきた。自分にも交渉のカードがあることに気がついたのだ。

「『組織に協力』ってのはそのことね。調査させろってんでしょ?」

「ありていに言えばそうだ」

「ならあたしは実験材料を提供する側ね。もう少し丁重な扱いを要求するわ」

「何度も言わすな。貴様は組織の歯車に過ぎん。今回の調査にしたところで『もしも使い物になりそうなら、それはそれで御の字』程度の話だ。リスクが大きすぎると判断すればそれまでだ」

「リスクって何よ」

「お前のコントロールさ」

「・・・そこまで危険視されるのは心外ね」

「自業自得だこの馬鹿が」

 しばし沈黙が訪れる。

「・・・ねえ、危険って言った?」

「何が」

「あたしの能力よ」

「可能性の話だ」

「あたしの能力は極めて安全性の高いものだと思ってたけど」

「貴様の能力ではない。華代に与えられたものだ」

「同じでしょうが」

 いちごは床に散乱する書類を掻き分け、適当な机の上にお尻を乗せた。

「お行儀悪いわね」

「(無視して)そうでもなくなって来たのさ」

「どういうこと?」

「・・・調査に協力するんだな?」

「その後のことを少し教えてくれれば」

「『その後』?」

「もしもあたしの能力が組織にとって使いでがあるということになったら、あたしはその方面でこき使われるわけよね?」

「場合によってはそうなるかもしれん」

「だったらあたしが協力的になるかどうかは分からないわよ。面倒くさいと思えば適当な調査をするかも知れない」

 首をふるいちご。

「・・・良くわからんな。こういう言い方は心外だが、お前らはみんなそうなのか?」

「『お前ら』ってどういうことよ」

「『女は』ってことさ」

 少し珊瑚(さんご)の表情が曇る。

「意味が見えないんだけど」

「オレなんかは、別にうちの組織で無くとも貢献出来ることにはやりがいを感じるもんだがな。ボランティア精神がどうこう言わんでも」

「それで?」

「そこに行くと何だお前は?自分の能力を盾にギャラの条件交渉か?どうしてそこまで利己的になれる」

「あんたほど滅私奉公が趣味じゃないだけよ」

「貴様一人にどれだけの予算が使われてると思ってるんだ。有り余る恩恵を受けておきながら美味しいあがりだけかっさらおうというのは筋が違うんじゃないのか?」

 しばしの沈黙が訪れた。

 いちごの言い分はいちいちもっともだった。

「・・・分かったよ。協力するから」

「『その後』の事は気にしないか?」

「しないから」

「じゃあ教えよう。貴様の能力は「華代」のそれの一部の能力を抽出した時限式の劣化版だと思われてきた」

「そうね」

「男にしか効かず、一定期間で元に戻ってしまう」

「ふん」

「ところがそうではないサンプルが現れ始めたんだ」

「・・・なんですって?」

「これまでのデータでは数時間で元に戻っていた。服まで含めてもな」

 無言でうなづいている珊瑚(さんご)。

「遅くても翌日の朝には男に戻って目覚めることが出来ていた」

 珊瑚(さんご)は考え込んでいる。

「ところが、通算三度目になる犠牲者の中に、元に戻るのに三日間を要するケースが観測された」

「・・・そうなの・・・?」

「ふん、予想はしていたが貴様人を女にしておいて放ったらかしか。追跡調査もしてなんだろ」

「それで!?」

「幸か不幸か唯一のケースだが、恐らく通算五度目の女性化となる職員の一人だが・・・一週間を経過した現在も女のままだ」

 珊瑚(さんご)の背筋に冷たいものが当たった。

「単純に考えればだが・・・女にされる通算回数が多ければ多いほど、元に戻るまでの時間が長くなることになる」

「なるほど・・・そういうことだったわけね」

「気楽に考えられる問題ではない。何しろ貴様が無差別に能力を発動するからろくなデータが取れん。回数と戻るまでの時間が正確に比例しているとは限らない。今のところ確認されていないが、中には精神も女性化する場合だって考えられる」

「・・・」

「別にここでいう“精神の女性化”ってのはオカマっぽくなるという訳じゃないぞ。つまりは変えられて自分の身体に違和感の無い状態だ。お前にしてみればいじっても面白くないって状態な訳だ。まあ、女同士じゃれあうのは嫌いじゃないみたいだが」

「そんな!そんなの誰も」

「これまではいなかったがこれからどうなるかは分からん。そもそも華代の能力だってその場の気まぐれみたいに効果がデタラメということ位知っとるだろうに」

「それを調査しようってのね」

「最初に貴様の能力でパニックになったのは、それこそ恒久的な女性化能力だと思われていたからだ。翌日には全員が元に戻って“そういうもの”だと認識された訳だが、いつ恒久的な女性化能力になるのか分かったものではない。或いはランダムにそれが発現する状態になっているのかもしれない。ある者は一度目、ある者は三度目」

「あー、もー分かったから!」

「そんな危険な存在でありながら、いたずら半分でそれを行使しまくる人間を野に放ったままにしておくわけにはいかん。・・・説明は十分か?」

「・・・十分よ」

 観念した様に立ち上がる珊瑚(さんご)。

「娑婆(しゃば)に未練は?恐らく当分出られんぞ」

「水野と沢田に挨拶したいな」

「女子職員とは面会希望を出せばほぼ会える」

「そう・・・」

「他に要求は」

「・・・ないわ」

 

 

6.

 部屋の電気がつけられる。

 いちごの後から入ってきた男どもは、その光景に一瞬息を呑んだ。

「では始めます」

 黒づくめのスーツ姿のいちご。

 細いタイトスカートから伸びる健康的なカモシカ脚を包み込む黒光りするストッキングが艶かしい。

 余程のことが無い限りスカートルックを避けてきたいちごだったが、政府のお偉いさんも来るこの席では「正装しろ」と厳命されて、仕方なくこの格好をしていた。勿論水野さんと沢田さんの手助けを得て、である。非常に不本意だがうっすらと化粧もしている。

 何しろ肉体的には女子高生程度の年齢なので、化粧に頼らなくても十分見栄えのする美少女なのだが、そこは社会人としてのタシナミということらしい。研究員として上から白衣を羽織っただけのパンツルックも主張したのだがいちごが別に何か研究しているという訳ではないので却下された。

 この場にやってきた「ハンター」組織以外の人間でいちごが元男だったことを知るものは一応いない。

「いちご・・・ハンター一号。これはちょっとやりすぎではないのかね」

 ボスが言う。

 この「ボス」もよくよく考えれば正体不明の男だった。ハンター五号こと五代秀作やハンター三号こと藤美珊瑚等のように本名が割れているエージェントも多くいるなか、「ボス」としか呼ばれていない。

「いえ、局長。こうしないと危険です」

 とはいえ、ここは公式の席なので「局長」と呼ぶ。全く慣れていない上にそぐわないが、これも仕事だ。

 背後の中年の団体がざわざわと声を出す。

 確かにそう言いたくなる気持ちも分かる。

 この部屋に入って見せられたそれは、まるで流行のサイコ・サスペンス映画も顔負けのインパクトのある絵面だったのだ。

 無機質な灰色の壁に囲まれた何も無い部屋の中央に設置された椅子に、一人の女が縛り付けられている。

 全身真っ白な拘束具によって緊縛され、口には機械式のマスクが嵌(は)められている。

 髪は振り乱されて前方にうな垂れるに任せている。

「もしも彼女を自由にすれば、一瞬にしてここにいる皆さんは・・・」

 そういって両手を広げて自らの身体・・・スーツ姿の美女・・・を示すいちご。

「私のようになってしまうかもしれませんよ」

 また、ざわざわというどよめきがおおきくなる。

 とはいいつつも、いちごは頭の中で“そうはならんだろうな”と思っていた。

 こいつの性格だから、自分をこんな目に遭わせた連中なんぞもっともっと恥ずかしい格好をさせられるのは目に見えていた。仕立てのいいスーツ姿の美女なんてトンでもない。良くてもグラビアアイドルの水着姿とか、ストリッパーとかそんなんだろう。或いは八十年代のアイドル歌手顔負けのフリフリドレスとか、とにかく“恥ずかしい”格好にされるはずだ。

「分かった・・・始めたまえ」

「はい」

 遂に「ハンター三号」ことエージェント藤美珊瑚(ふじみ・さんご)の能力を分析し、その結果の一部を報告する会合が開始された。

 とりあえず現在まで判明している事実を報告し、その後幾つかの実験を行う算段になっていた。

 

 珊瑚(さんご)のプロフィールなどを説明するいちご。

 その中にはいちごが知っている程度の情報でも矛盾や辻褄の合わない点が散見される。恐らくこの書類はそれっぽい体裁を整えているだけで、事実とはかなり異なるものなのだろう。流石にエージェントとしては何もかも正体が割れてしまっては問題がある。

 唯一間違いないのは、三号は生まれつきの女性であり、一号たちに出会う前は実は男で華代によって女性化されたりはしていない、ということである。

「最初にその能力が発現したのが、飲み会の席です。これがその写真」

 壁に映写機で大きく映し出された写真にまたもや関係者たちはどよめく。

 よくある居酒屋の店内がまるでコスプレパーティの様になっているのだ。

「流石にエージェントの鏡です。こんな有様になっていても必死に情報収集をするべく写真撮影に勤しんでいた訳です」

 所謂(いわゆる)コスプレパーティとは違うであろうポイントは、とてもでは無いが「楽しい写真撮影」という風情ではなく、それぞれが非常に混乱しているということだ。

「他にもありますのでどうぞ。尚、写っているのはほぼ全て党組織のエージェントですので・・・顔もかなり変わってはいるのですが・・・顔部分にはマスクをいれてありますのでご了承ください」

 次々に映し出される顔の部分をマスク加工された写真。

 それは非常にシュールな光景だった。

 ごく普通の官庁の廊下という、日常性溢れる背景に次から次へと居並ぶ女性たち。ある者は・・・燦燦と照りつける太陽の下こそが最も望ましいであろう・・・レースクイーンのハイレグ衣装に傘まで持たされており、またあるものはかなりの予算が掛かった時代劇でもない限りお目にかかれそうも無い豪奢な十二単に身を包んで裾(すそ)を引きずっている。

 またある者は宝塚に登場しそうな豪華なドレスのお姫さまスタイルとなり、またある者は下着も同然のキャミソールワンピースをひるがえしている。

 ライティングやポジションなど、劣悪そのものの撮影環境は、それらの衣装が写真に納まる時に良く見られる状態ではなかった。ある者は髪を振り乱し、ある者はみっともなく胸部分がはみ出している。

 良くも悪くも生々しい肢体が映し出されていた。まるで女の体臭までが匂ってきそうである

「これが・・・全員元・男だと言うのかね」

「はい。間違いありません」

 ほんの少し身体を傾けただけでも下着が外部に露出してしまいそうな短い制服のスカートを目一杯がに股におっぴろげて取り乱している女子高生には流石に失笑が漏れそうになった。まるで若手お笑い芸人みたいなリアクションである。

 違うのは、その被害者の体型や肌の張り含めて全てがまぎれも無い女子高生のそれであり、本物の女子高生の美少女はどんなに頼まれてもこんなみっともないポーズは絶対にしないであろうということだ。

 ・・・つまり、紛れも無く彼女の精神は直前まで男性だった者のそれであるということだ。

「・・・ひどいな」

 誰からとも無く声が漏れる。

 確かにこれが本当ならば酷い話である。

「この時の映像は残っていないのですが、連続写真はあります」

 そう言って映し出される連続写真。

 まずは必死に逃げる男性職員の後ろから追いかけてくる珊瑚(さんご)の姿が映し出されている。男性職員は恐らくそれまでの悲劇を目撃していたのであろう、目を血走らせて必死の形相だ。

 だが、二枚目では善戦虚しくその背中にタッチされてしまう。

 三枚目。その次の瞬間に爆発したかのように長い髪の毛が頭から一気に伸びてくる。室内が大きくどよめく。

 四枚目。まだ走り続けるも、髪の毛に隠された上半身の胸の部分を抱きかかえる様に上半身を折り曲げる男性職員。五枚目のその続きである。

「この写真ですと分かりにくいのですが、この時服の下では肉体が男性の物から女性のものに変化しています」

 ざわ・・・ざわ・・・と息を呑む室内。

 六枚目。気丈なことにまだ逃げようとする男性職員だったが、足がもつれそうになる瞬間を写真に捉えられる。

「ご覧ください。この写真の下半身部分を」

 その部分を拡大してみせるいちご。

「もうズボンが原型を留めていません」

 確かに、速い動きによる像のブレ以上にただ事ではない変形振りをそのズボンは示していた。

「この時点でズボンは非常に裾のすぼまったタイトスカートに半分以上変形しています」

 七枚目。もう形がはっきりしている。男性職員の下半身は紺色にピンストライプのタイトスカートとなり、スカートから覗く脚は漆黒のストッキングに包まれていた。上半身がごく普通のネクタイ姿の男性の面影を大きく残しているだけに、非常にインパクトのある構図である。

「これでスカートはほぼ完成です。上半身がそのままに見えますが、恐らく下着は既に変わっているでしょうね」

「・・・それは・・・ブラジャーをしているということか」

「間違いありません。肌着も着せられていますね」

 関係者たちがきゅうっと両足をすぼめた気がした。まあ、こんな話を聴かされたのでは無理も無い。

「お気づきになっていますか?実はこのネクタイも前の写真とは色が変わっているんです」

 八枚目。ネクタイはこれまた紺色のスカーフとなっていた。前の写真では上半身を覆いつくさんばかりだった髪の毛は生き物の様に自らの意思を持って動き、頭の上に集結しつつある。

「ネクタイがスカーフに変わっています。後の調査で判明したのですが、この時点でワイシャツは女性もののブラウスに変わっていました。勿論ボタンの留め方も左右逆になっています」

 まあ、ここにいる男どもは女のボタンが男と反対なんていう“体験的な”知識はあるまいな・・・といちごは思っていた。・・・出来れば俺もそんな知識とは無縁でいたかったが・・・。

 九枚目。髪の毛を纏めるかのごとく頭頂部には帽子が出現し、既に原型を留めていない男性職員の顔はすっかり女性のものとなりっていた。

「拡大します。・・・顔部分にしっかりとメイクが載っているのをご確認出来るでしょうか」

 ポインターが口の部分を指し示す。確かにそのさくらんぼの様な唇にはピンク色のルージュが流れていた。

 そしていちごは写真の倍率表示を元に戻す。

「もうお分かりですね。彼は一瞬にしてスチュワーデス・・・今は客室乗務員・・・キャビンアテンダントというらしいですが・・・にされてしまった訳です。勿論、単なるコスプレではありません。肉体も女性化され、下着から何から完全に女性ものを着せられてしまったのですね。この写真ではフレーム外になりますが、靴もきちんとキャビンアテンダント専用のそれになっています」

 またもや、ざわ・・・ざわ・・・というどよめきが広がる。

 それはそうだろう。ここで示された証拠は国家機密扱いだ。華代被害と実質的に代わりが無いのだから、こんな写真が流出するようではそれこそ一大事である。

「まだまだありますが、とりあえずここまでで質問などありましたら答えられる範囲でお答えします」

 初老の紳士から手が挙がった。

「どうぞ」

「私は・・・」

「あ、官職名その他は名乗らなくて結構です。普通の会議ではありませんので」

「そうか・・・では“名無しの権兵衛”ということで」

「どうぞ権兵衛さん」

「うむ・・・恐らく「ハンター」組織について朧(おぼろ)げな噂では聞いていても実際にその全貌を知らされたのが初めての人間・・・私も含めてここにいるほぼ全ての人間・・・は皆同じ心境であろうと思うが・・・にわかには信じられない」

「・・・そうかも知れませんね」

 茶化す訳にはいかない。適当に相槌を打ついちご。

「これは合成写真とかではないのか?」

「勿論違います。というかこれから後にじかに目の前でお見せしますから」

 これまでで最大のどよめきが広がる。

「被験者はこちらで用意していますが・・・皆さんの中で希望者がいらっしゃれば受け付けていますよ」

 悪戯(いたずら)っぽい微笑みを浮かべるいちご。なにやら小悪魔的な小娘の演技である。

「・・・とりあえず分かった。では更にいいかね?」

「どうぞ」

「衣装は見たところ千差万別の様だが、何か基準はあるのかね?」

「それについてはこの後報告しますが、基本的に三号・・・この能力を得たエージェントです・・・の意思次第、ということです」

「じゃあ、こいつには何を着せるかということまで思いのままであると?」

「その通りです」

 またうるさくなる場内。

「皆さん、静粛にお願いします」

 遂にいちごが制止せざるを得なくなる。

「君に聞いても分かるかどうかわからんが・・・」

 “名無しの権兵衛”氏は苦笑しながら言った。

「何でしょう?」

「では、この場合は何故スチュワーデスだと思う?別に何の制服でもいいのではないかね?」

 意外な質問だったのか、ざわめきが若干小さくなる。

「・・・確かに本人でないと分かりにくいですね」

「そうだよな」

「あくまで推測ですが・・・」

 再び九枚目の写真が映し出される。スチュワーデス姿で必死に逃げている女の後ろに追いすがる三号のツーショットだ。

「実はこの後に十枚目があります。少々刺激が強いのでどうしようかと思ったのですが、ご覧に入れますね」

 十枚目が映し出された。

 そこには、紛れも無い女性である三号こと珊瑚(さんご)が、身をよじり、涙を流して嫌がるスチュワーデスを抱きしめて「唇を奪って」いる写真があった。

 室内は余りのショックに声も無い。

「・・・彼女の悪い趣味ですね。別に同性愛者では無いのですが、女子高出身とやらで、女同士の少々度を越したスキンシップに抵抗がありません」

 “度を越したスキンシップ”という表現が適切かどうかは分からない。もしもこの写真の唇を奪っているのが男性だったならば最早これは「猥褻(わいせつ)図画」である。女性同士であってもこれほど生々しいのである。

 写真の表示が消える。

「あくまで推測なのですが、この場合は特にこの被害者の“自由を奪う”のが目的であったのではないかと思われます」

「“自由を奪う”とは?」

「多くの場合、ズボンに比べてタイトスカートは運動能力を非常に制限します」

 いちごはその場で横を向き、前後に大きく脚を踏み出して“ぎっ!”とタイトスカートの幅で止められてしまうパフォーマンスを披露した。

「・・・つまり、男を女にし、タイトスカートの制服姿に変えれば走りにくくなる・・・と?」

「そうです。これが素脚が殆ど露出している女子高生の制服や、大きくスリットが入ったチャイナドレス。はたまたレオタードなどの様に身体に密着する衣装ですと、本人の精神的ショックはともあれ運動能力はさほど制限されません。むしろズボンよりも動き易いとすらいえる」

「ということはタイトスカートの制服ならば何でも良かったのかね」

「恐らくそうでしょう。実際職員の中には・・・写真は残っていませんが・・・バスガイドやエレベーターガール、OLの制服姿に変えられたものも大勢います。勿論肉体も女にね」

 ざわざわざわ・・・と静かな波が広がる様に騒がしくなる室内。

 まあ、無理も無い。こんな奇天烈な話は、普通は信じられないだろう。

「以上でよろしいでしょうか?」

「どうして彼女は男にキスをしようとするんだ!?」

 名無しの権兵衛氏が礼を言う間もなく、若い男が割り込む様に挙手と同時に言った。 

「・・・それこそ本人に訊かなくては分かりませんけど・・・恐らくこの時は自棄(やけ)になっていたのでしょうね。折角華代を見事説得できたと思ったら、こんな体質にさせられていたという」

「しかし悪質だ!」

「仰るとおりです」

「彼女にだって男が女になる屈辱の意味位分かるだろうに!ましてや直後に強引にキスするなど悪趣味極まる!」

 それはその通りだが、オレにあたってどうするのか、といちごは思った。

「これでは明日に死ぬと告げられた人間が手当たり次第人を殺して歩く様なもんだ!お前のところの組織ではそんな人格破綻者を雇っているのか!?」

 いつの間に糾弾大会になったのか。

「質問が無ければ報告の続きに参ります」

「おい!逃げるのか!?」

「静粛にしたまえ!」

 先ほどの“名無しの権兵衛”氏だった。

「しかし・・・」

「ここで彼女に当たってどうする。彼女たちだって被害者なんだ」

「え?じゃあ元・男?」

 何なんだこのクソ若造が。

「いえ、生憎(あいにく)私は今回の被害の前からこんなでした」

 ・・・とりあえず嘘は言っていない。

 聡明な人間ならば「生まれつきの女ですよ」というメッセージを若干の皮肉を交えて言ったものと解釈してくれるだろう。

 どうやらボスの狙いが分かってきた。この場に男だけがいた日には会話の下劣度が際限なく下降する可能性がある。司会として小娘が居座っていることで少しはそれが抑制されるのである。自分がその立場でも、目の前に若い娘がいるのでは発言が慎重になったであろうことは想像がつく。

 もしももう少し砕けた席で、司会含めて全員下世話な男だったならばどんな卑猥な言葉が飛び交っていたのか想像も付かない。

 とはいえ、逆に言えばいちごは容赦の無いセクハラの嵐にさらされる可能性もあるということだ。確かに水野さんや沢田さん、そして二十八号などにこんな役目はさせられない。そうなればこちらから買って出たに違いないが、それにしてもボスめ・・・やってくれる。

「ちなみに、この時の被害者の衣装が千差万別であるという話がありましたが、実は変化後の姿も多種多様です」

「ブスもいるってことか?」

「(無視して)こちらの写真をご覧ください」

 そこには小学生と思われるいたいけな幼女が、体操服と今では絶滅寸前の紺のブルマ姿で写真に納まっていた。

「中にはこの様に年齢が退行してしまう例もありました」

 武士の情けで胸の「ぼす」の字にはモザイクが入っている。ささやかないちごの抵抗だった。

「さて、愈々本題です」

 

 

7.

「初日においては泥酔状態であった三号は、この日だけで約四十人を性転換させた挙句、路上で酔い潰れてしまいます」

 この報告って三号にも聞こえてるんだよな・・・とふといちごは思った。

「一応、当組織にも臨時の拘置施設がありますので、女性職員の力を借りてその日の晩は三号には牢の中で夜明かししてもらいました」

 その後、大混乱の中自暴自棄になるエージェントや職員もいたが、一番早い人間では深夜二十三時頃に始まった混乱の中、明け方を待たずに一時間後には元に戻っている現象が観測されることになる。

 この瞬間に「時間限定の変身である」可能性が開け、全員に安堵が広がったと報告書にはある。

「何しろ全員が華代被害については熟知していましたから、そのまま女になって一生過ごさなくてはならない可能性もありました」

 そういえばオレはどうなるのだろう。直後はともかく、最近はあまり考えたことが無い。

「ですから、時限式であるという可能性が齎されたのは朗報であったと思われます」

 最後のエージェントが元に戻ったのは翌朝の六時。変身時刻の正確な記録が無いが、最大七時間ということになる。

「勿論、服も戻っています。中には着せられた女物を脱いで男物に着替えていたのもいますが、置いてあった服がきちんと元に戻っていたそうです」

「ん?つまりどういう意味だ?」

 これはまた別の男。こういう「質問係」みたいなのがいるのは有難い。

「この晩に着替えたのは二人いますが、その一人は看護婦・・・今は看護士ですね・・・の白衣姿に変えられ、直後に混乱をきたしながらも白衣を脱ぎ、男性物のシャツとパンツ姿で過ごしたそうです。白衣は勿論のこと、ストッキングやパンティ、ブラジャーの類も部屋の中に脱ぎ散らかしたそうですが・・・翌朝にはそれらは男物のトランクスにシャツ、ズボンに背広に戻っていた、ということです」

「もう一人は?」

「・・・彼は中々に好奇心旺盛でして・・・事務員の制服姿に変えられたのですが、やはり混乱をきたしながら自宅にたどり付き、何を考えたのかそのまま妻の服に着替えたまま爆睡してしまいました」

「つまり、女物を脱いで女物に着替えたってことか」

「・・・そうなりますね」

「何故だ!?女装趣味者か?」

「そこまでは分かりません。履歴書には書いてないみたいですが」

 ジョークの積もりだったが誰も笑わない。

「で、どうなった?」

「脱ぎ散らかされた事務員の制服は先ほどの例と同じく変身前に彼が着ていた服に復元されていました。そして、寝る前に着込んだ妻の服は・・・そのままでした。以上です」

 再び、ざわざわとどよめきが広がる。

「これが言ってみれば『ファースト・コンタクト』になります」

 

 

8.

「その後は珊瑚(さんご)も社会復帰する様な形になります。勿論エージェントとしての業務をこなしながらですが」

 ちなみに、実は「華代」そのものの存在は伏せている。であるから基本的には謎の少女によって性転換された被害者たちを戻して回っているとはここにいる面々は誰も知らないのだ。普通の諜報活動(エスピオナージ)をしていると思っている。・・・ことになっている。

「事故は無かったのかね」

「“事故”と申しますと?」

「決まっている。間違えてその辺の男性に触ってしまったりという事態だ」

「結論から言えばありました」

 また動揺が走る。

「彼女の能力の補足説明になりますが、彼女の場合は『能力』というよりも『体質』とでも言うべきものです。発動するしないを自らの意思で選ぶことが出来ません。ですから、相手を・・・言ってみれば“悪意”で・・・イタズラしようとして変身させることも勿論出来ますが、直接接触する以上、変えてしまう意図が無くても相手は勝手に変身してしまいます」

「それは実験によって観測されたデータなのかね?」

「間違いありません。彼女とて日常生活で出会う男を全員性転換させるのが目的ではありません。例えば、健康診断の際に男性医師を看護婦・・・看護士に変えてしまって非常に混乱したことがあります」

 これには流石に少し失笑が漏れる。

「その際に彼女は『女医』に変えるつもりは無かったのかね?何故看護士なんだ?」

 名無しの権兵衛氏が尋ねる。

「そうだ!対比関係になっていないぞ!」

 どんな野次だ。

「落ち着いてください。別に変わる対象が対比関係にあるわけではありません。でなければサラリーマンがスチュワーデスにはならないでしょ?」

「それは自らの意思で変えようとした場合だ。変える意思が無い場合の法則めいたものは無いのか?」

 もっともな疑問である。

「残念ながら確固たるものはありません・・・が」

 ボスは先ほどから腕組みをして目を閉じている。まさか眠っているということはあるまいが。

「傾向としては“全く関係ない”姿にはならない傾向にあります。“女医”にならなかったのは確かに不可解ではありますが、ここでスチュワーデスではなく、看護婦・・・どうしてもなじまないので以降は「看護婦」でいきます・・・に変わった訳ですし。これも仮説ですけども、三号にその意思が無い場合はどうやら被害者本人が考えていることが影響するのではないかと思われます」

「被害者本人?」

「はい。何しろ意図しない変身はサンプル数が極端に少ないので確たることは言いにくいのですが、その時に考えていた女性の姿になるのではないかと」

「だから女医ではなくて看護婦か」

「推測ですけが」

「いや、ちょっと待て」

 またあのクレーマー野郎である。

「男が全員常に女の事考えてるという訳じゃないぞ。その場合はどうなるんだ?」

「ですからサンプル数がまだ・・・」

「話の腰を折るのは止めたまえ」

 またもや助け舟を出してくれる名無しの権兵衛氏。

「いいから続けなさい。最後まで行ってから質問等は受け付けるということにして」

「はい」

 どうにも小娘というのはなめられていけない。

 この姿にされる前の一号も幹部連中に囲まれれば“若造”には違いないが、その身体だけで無言の圧力を掛けることが出来た。小さな頃から身長が伸びていた一号は、幼少期に大人はともかくも同級生を見上げた経験が全く無いという存在だったのだ。

 それがこの小娘にされてからというもの、モデル体型の三号は勿論、実は数学の天才らしいが丸っきりの能天気馬鹿にしか見えない五号すら見上げなくてはならん始末である。

「現在の拘束状態に至るまでは、三号は基本的に手袋を着用してもらっていました。何しろ統計的な実験がこれまで全く行われずに野放し状態であった為に、断片を寄せ集めた推測でしかありませんが、恐らく“自らの意思で”他人を変身させようとした場合は少なくとも自分の側は素肌でなくてはなりません」

「ん?良く意味がわからない」

「はい、ここは大事なところですので良く聞いてください」

 そう言っていちごは手袋を取り出した。

「三号の能力は“接触”によって発動します。つまり直接触らなくてはなりません」

 いちごが手袋をはめてみせる。

「この様に、自らの意思で“直接相手に触れない”ことを明確にした場合は、どうやら少々触った程度では変化しないみたいです」

 思わぬ新事実の判明に砕けた空気が流れる。

「なら安心じゃないか」

「しかし彼女も人間です。他人に一切触れない生活はそれなりに苦しいものです」

「相手が女だったら?」

「・・・すみません。説明していませんでしたね。三号の能力は男性のみを女性化そして女装させる能力であって、女性には全く何の効力ももたらしません」

「それは彼女・・・三号によって女に変えられた女もか?」

 予想外の質問に少々戸惑ういちご。

「・・・そうですね。確かに。その時点で女になってしまっていますからその上彼女に触られることで特に何かが起こるということは無いみたいです」

 そうか、それは考えなかったなと思ういちご。

「説明続けます。ともかく手袋をしていれば相手に触っても変化が起こらないことは知られています。同様に服の上から相手の服に接触した場合も発動しません。満員電車で押し合いへし合いの結果、お尻どうしが接触しても大丈夫ということです」

「ならば安心じゃないか」

「ところがそうでもありません。三号の腕がむき出しだったりした場合は、被害者の服の上から触っても能力は発動します」

「つまり女になると」

「はい」

「じゃあ、三号がノースリーブで満員電車に乗った場合、寄りかかった男は女になるのか?」

「・・・実験していませんが、恐らくなるでしょう」

「被害者が裸で、三号が手袋をしていた場合は?」

「その場合は発動しません。本人の側が基本的に優先されるみたいです」

「ならば安全じゃないか」

「ところがお互いに素肌同士が触れ合った場合・・・それこそ握手したりする場合ですね・・・は三号の意思に関わらず触った男性は性転換してしまいます」

「素肌で三号の服の上から被害者が触った場合はどうだ?」

「その場合は発動しません。その代わり、肩に手を置いて振り返った三号の顔がその手に接触すると発動することになります」

 またざわめき。

「ややこしいな」

「・・・確かに一見込み入っているのですが、法則めいたものはあります。衣類によって遮蔽されることで効果の発動を防ぐことが出来るのは基本的に三号の側からであり、被害者側は防ぐことが出来ません」

「もっと具体例を出してくれ」

「はい」

 図解されたものが映し出される。

「三号自らが無差別に効果を発動させないように手袋をした状態ならば、誰に触っても効果は発動しません。この場合、露出しているのは首から上だけですから徐(おもむろ)にキスすれば効果は発動するでしょう。また、三号がストッキング無しでミニスカートを履き、半ズボンの男性に素脚を接触させれば同じく発動することになります」

 図が切り替わる。

「対して被害者側は、直接の接触を避けようと全身タイツに身を包み、頭部をフルフェイスヘルメットで覆ったとします」

 スタッフの一人なのか、説明の通りの格好をした写真が映し出される。図でいいのに。

「この場合は三号との間に“偶然の事故”はまず起こりません。どんな場合であれ素肌同士が接触すれば100パーセント発動しますが、これで条件は満たしませんからね」

「ふむ」

「ところが、三号が“相手を性転換させる”という明確な意思がある場合、これでも無駄です」

「何だって!?」

「手袋を外した三号が“服の上から”相手を触ってもはやり能力は発動してしまいます」

「重ね着をすればいいんじゃないか?」

「無駄ですね。何枚着込んでいてもそれが“被害者側の”衣装である場合はそれを貫通して効果が発動することが確認されています」

「実験したのか?」

「毎日のように女性化させられて悪戯(いたずら)されるのを嫌がった男性職員が日々一枚ずつ着るものを増やしたのに無駄だった、という報告がありますので」

「宇宙服の様に中に空洞がある衣類はどうだ?」

「宇宙服での実験はやっていませんが恐らく無駄でしょう。完全に身体に接触しない衣服はありませんから。但(ただ)し、“触媒”は使用不可であることは確認されています。同じ池に足まで漬かっているからといって、“間接的に”触れている遠くの男性を性転換させることは出来ませんし、マジックハンドの様なもので遠くから触っても効果は発動しません。あくまでもむき出しの肌で直接触るのが条件です。直接触りさえすれば、相手が裸・・・あるいは素肌の部分・・・であろうが服の上からであろうが関係ありません」

「じゃあ、男の側で防ぐ手段は無いってことか」

「ありませんね」

 ざわ・・・ざわ・・・とどよめきが広がる。

「直接触られなければいいんだな?」

「そうですが・・・」

「格闘技の達人ならばどうだ?三号とやらが裸で突撃してきたというのならばともかく、実質的に手首から先だけ注意すればいいんじゃないか?」

「ごもっともな疑問です。我が組織には多少の問題があろうと女性に手を上げる男性エージェントなどおりませんが、『触られれば女にされる』となれば夢中で必死に防ごうと言うことはありえます」

 遂に動画が映し出された。

「現時点で最も新しい動画です」

 セーラー服姿の女の子を背後からかき抱いている三号が、何かに気付いてその子を振り払う場面だった。

 振り払われた女子高生は可哀想によよ、とよろめいて床にへたりこんでしまう。

「言うまでも無くこのセーラー服の彼女も元・男性職員です」

 やはり動画のインパクトは大きかったらしい。

「か、完全に女の子じゃないか!」

「あんなにも変わってしまうというのか・・・」

 その驚きはごもっともだった。

 三号の能力を熟知しているいちごですら舌を巻く見事な「変身させ」ぶりだった。腕が上がってきているらしい。これは可愛いぜ・・・。

 その古風なセーラー服姿の美少女は、ついさっきまでは無精ひげのそり残しがあったかも知れない男だったと知識で知っていても今すぐ抱きしめたいほどの庇護欲を掻き立てる可憐さを漂わせていた。

 動画の中で咎めにやってきたらしい男性の姿が映る。背が高く、見栄えのする二枚目だった。

「ナンバーはお教えできませんが、当組織のエージェントの一人です」

 二十九号だけどな、と頭の中でいちごが言う。

「ご覧下さい。特殊警棒です」

 荒い画面の動画の中で、手に一センチ以上は直径のありそうな長い棒を持っている。

 腰を低く落とし、特殊警棒を前方に突き出して三号を威嚇している。

「三号はこの時点で手袋を取ってますから、完全に臨戦態勢ですね」

 緊張感が伝わってくるようであった。

 三号は何やら見慣れぬ構えをして泥の中を歩くように左右にゆっくりと移動する。

「二人とも格闘技の達人ですから容易に踏み込めません」

 それにしても男にしてみれば分の悪い勝負だった。

 いくら得物(えもの)を手にしているとはいえ、相手は暴徒ではないのだから本気で打ち据えて気絶させる訳にもいかない。そこに行くと相手はその手が身体の一部にさえ接触すればいいのである。こちらは有効打撃を防ぐどころか、ガードをしてすら女にかえられてしまうのだ。

 それでも一瞬の隙を突いて踏み込んで打撃を放つ男。

 しかし、次の瞬間には身を翻して大きく後退した。

 見ると、既に特殊警棒は三号の両手に挟み込まれている。

「真剣白刃取りか・・・」

「真剣ではありませんが・・・。流派によっては武器を持った相手と戦う場合の訓練をしています。この場合、にじゅう・・・男がどの程度武器に頼っていたのか分からないのですが、ともかくあのまま突進していれば武器ごと手元に引き寄せられて、一瞬にして恥ずかしい格好で嬌声(きょうせい)を上げていたでしょうね」

 相変わらず難しい言葉使いである。

 ところがこれが見かけが小娘であるがゆえに知的な印象を与えるらしく、実はいちごは結構「じじ殺し」なのだが、本人には余りその自覚が無かった。

 次の瞬間、特殊警棒を男に向かって投げつけ、飛び掛ってくる三号。

 悲鳴に似たものが室内から上がる。

 だが、意地を見せた男がその両手をひじと手首の真ん中あたりをがっしりと握りこむ。そしてそのまま両手を目一杯広げた。

「どうにか接触を避けるにはこうするしかありません」

 こちらも意地になった三号は手首から先を必死に折り曲げて腕を掴んでいる男の手首から先を狙うが、男は力をいれて何とか届かせない様にしている。

「もしもこれで手首近くを掴んでいたらもうこの時点でアウトです。肘から内側も駄目。本当にここしかありません」

 三号は顔を必死にそのくいこむ指に接触させようとするが、そこは両側に必死に広げることで回避している。次の瞬間、若干前のめりになっていた顔めがけてチョーバン(頭突き)が飛んでくるが、これも何とか身を引くことで回避してみせる。

「この日は三号も動き易いスリット入りのスカートだったんですが・・・そこは大人の女性のたしなみが裏目に出ましてストッキングを履いていますので、この場で靴を脱いで蹴りを放っても無駄です」

 不自然な姿勢で必死に三号をの腕を鷲づかみにし続けている男の奮闘振りが伝わってくる。この状況で彼を文字通り男に踏みとどまらせているのは、その「握力」以外に無かった。

 次の瞬間、水平に蹴りが男の腹部に突き刺さる。

「・・・靴で直接蹴りやがりました」

 たまらず姿勢が崩れる男。だが、その手は離さない。見上げた根性だった。

 この画像は防犯カメラのものなのか、音声は入っていないが実に見ごたえがある。

 三号が行儀悪く蹴った足を振り回して靴を放り飛ばす。

「音声は入っていませんが、ここで三号は恐らくこう言っています『頑張ったんだけど・・・残念』と」

「どういうことだ?」

「見ていただければ分かります」

 靴が取れたストッキングの足のつま先が、ここまで頑張っていた男の脛(すね)に優しく触れる。

 先ほどの蹴りとは対照的な、足の指で生卵の黄身をつまむ様な優しさだった。

 次の瞬間だった。

 正に一瞬の出来事である。

 漆黒の革靴は、黒光りするエナメルのハイヒールとなり、ねずみ色のズボンはバックシーム入りの網タイツへ、スーツは胸から下の全身をぴっちりと包み込むハイレグのバニースーツとなり、腕を始めとした胸から上の部分は悉(ことごと)く消滅し、素肌が露出した。

 髪の毛は一瞬で肩に掛かりそうなセミロングとなり、その頭にはウサギの耳を模した髪飾りが出現している。

 画面では不鮮明なので確認しにくいが、いかついその顔は丸みを帯びた可愛らしいものとなり、真紅のルージュと濃紺のアイシャドウに彩られている。

 そう、一瞬にして彼はバニーガールへと変身させられていたのだ!

 今回の場合は、身体の変化は余りにも一瞬のことで捉えられていなかったが、その豊満なヒップや艶かしい脚線美から、その肉体が男性の物である可能性は皆無だった。

「な、何だぁ!?」

「どういうことだ!?」

 色めき立つ室内。正に映像マジックだった。

「全く、用意周到なことです。彼女はこんなこともあるかと思ってつま先に穴の開いたストッキングを履いてたんですよ」

「そんな馬鹿な!」

「・・・直接接触って・・・そんなんでもいいのか!?」

「ご覧になっていただいた通りです。以前に同じく彼女を押さえ込もうとした時にも、わざと壁に脚をこすりつけてストッキングを伝線させて反撃されたことがあります」

「何てこった・・・」

 実はこの後の映像として、“仕返し”とばかりにバニーガールにした二十九号の全身を触りまくったり、胸の谷間に指をつっこんでこちょこちょくすぐったりする狂態が収録されているのだが、そこまで見せる必要は無いだろう、とカットしたのだった。

 こういうのを見ていると分かるのだが、三号は被害者をもんだりくすぐったりはするが、乱暴に髪を引っ張ったり、拳や平手で打撃を加えたりは決してしない。自称フェミニストだからだ。笑わせる。

 「いきなり露出した肩の部分や背中」を指先でつーっと撫でるだけでそういう刺激に慣れていない男は身悶えしてしまうものなのである。別に乳房や、もっと敏感なところを直接触る必要など無いのだ。

 

 ・・・哀れなことだ。二十九号。

 

 その後の、太ももの網タイツ部分をざらざら撫でられ、バニーガールのお尻のぽんぽん飾りをくいくい引っ張られている二十九号の口紅にゆがんだ口が脳裏に蘇り、そう感じずにはおれないいちごだった。

 男どころか、大半の女すらこんな目に遭った経験など無いに違いない。

 いちごも女にされてから結構経つが、逆にそういう人間であるからこそロクに女装もせずに済んでいるところがある。

 最初のメイド姿や、女子高への潜入ミッション、そして今日のタイトスカート以外はスカートすら滅多に履いていない。・・・実はそれ以外にもそれなりにあるが、まあそれはいい。

 

 二十九号。

 彼はいつもこういう場合、果敢に取り押さえようとして返り討ちに遭うのである。腕の中ほどを掴むやりかたも、キックの打撃に耐えるやりかたも、それら「試行錯誤」の中から生まれてきたものである。一応腹部への打撃に耐えるべく腹筋を鍛え、どの程度効果があるかは疑問だが、下腹部にはプロ野球のキャッチャーがボールが当たっても大丈夫な様に装着するファウルカップも備えていた。

 まあ、一瞬にしてその必要も無くされたのだが・・・。きっとあのバニースーツの下にはファウルカップなど跡形も無く消えているに違いない。今は中にバニースーツの着込むTバックの一部にでも変形しているのではないか。

 普段はクールな二枚目であるが故に、全身をくすぐられて悩ましい表情で身をくねらせる濃厚なメイクのバニーガールとのギャップが著しい。

 推測だが、彼は学園祭で同級生の女子の制服を借りてはしゃいだりするお調子者タイプではない。女装そのものすら経験が殆ど無いであろうにこの仕打ちとは・・・。

「ご覧になってお分かりの通り、この彼だからこそどうにかこれだけの時間、三号の体術をかわし続けることが出来ましたが、心得の無い男性だったなららば正に赤子の手を捻る様にその術中に堕ちたことでしょう」

 抜群の説得力だった。

 会場内には「とてもワシには無理だ」「絶対に一瞬のうちに組み伏せられるな」と情け無い自信が漲(みなぎ)っている。

「質問いいかね」

「どうぞ」

 名無しの権兵衛氏だった。

「彼の場合はその・・・ホステスの格好をさせられた訳だが」

 ホステス・・・?・・・ああ、バニーのことか。

「そうですね」

「三号とやらの意図は何かね?踵(かかと)の高い靴はともかく、かなり動き易い服装に見えるが・・・」

「・・・まあ、考えても仕方が無いのですが、恐らく屈辱を与える為でしょうね」

「屈辱?」

「あの衣装はバニーガールと言って、仰るとおりホステスの制服です。女装というか女性の衣服にも色々ありますが、中でもああいう扇情的な服装は男に着せた場合、より女性性を押し付けることになりますから、余計に精神的な恥辱を味あわせることが出来ます。あんな格好をさせられる位ならば素っ裸の方がマシでしょ?」

 うんうん、と頷く連中が何人か確認できる。

「ここで詳しくは述べませんけど、あの衣装は何年も掛けていかにいやらしく見せるか研究された成果の結晶です。私は女ですけど、もしも自分が男であんな格好にされることを考えたらぞっとします」

 我ながら嘘が滑らかで嫌になるが、とりあえずここまで言わなくては分かるまい。

「何故三号は彼をそんな目に遭わせるのかね」

「それは三号のセンスというより他に無いのですけど・・・」

 いちごは言葉を選んだ。

「抵抗されたからでしょうね。だからこそお仕置きした。それに」

「それに?」

「元々こんな能力を得たからと言って、無差別に使うなんて本当に暴挙です。結論から言えば彼女はサディストの気質があるんですよ。女にされて慌てふためく男を見て楽しんでるんです」

 さっき怒鳴れらたことをこちらから裏書きしてしまった。

 しかし、本人も間違いなくそう言っている以上認めなくては仕方が無い。

「事実、女性的な男性よりもマッチョだったり、女性にもてるタイプのダンディな男を狙い撃ちする傾向があります。それこそ名無しの権兵衛さんは一番の標的ですね」

 ウィンクはしなかった。見ると、何故か落胆しているように肩を落とす名無しの権兵衛氏が目に入る。

「・・・この映像を通して言いたかったのは、彼女の能力の特質です。彼女がその気になりさえすれば、手袋を取って向かってくればいいだけです。それこそ同じ部屋にいる限り逃れる術はありません。どれほど厚着をしようが意味はありません。格闘技の達人である彼女の“攻撃”を防ぎきるのはほぼ不可能でしょう」

「・・・その様だな」

「盾を持ったらどうだ!?中世の騎士みたいなのを」

「・・・試してみますか?」

 恐らく盾ならば防ぎきれるであろうが、そんなもの後ろに回りこむのは容易だ。というか、密着状態になれば盾の裏側に手を伸ばすだけで全てが完了する。それで完全にシャットアウト出来るなど、恐らく発言者すら本気にはしていないだろう。

「では、次に変身させる衣装の中身についてですが・・・これはもうこれまでの話の流れで出てきてしまいましたね。どんなメカニズムなのか分かりませんけども、知識がありさえすればどんな衣装であろうと思いのままです。セーラー服がよければセーラー服、バニーガールがよければバニーガール・・・」

「下着まで全て変わっているんだね?」

「ええ。以前に宮廷婦人みたいなドレス姿にされた奴の下着はきちんと高級品だったそうですよ。そして女子中学生にされた奴はバーゲンセールの三枚千円のショーツだったとか」

 ボスが睨んでくる。すっかり“男口調”になっていたからだ。

 仕方なく気をつけることにする。

「恐らく本人は下着の銘柄まで指定してはいないでしょう。そこは能力そのものがアレンジしてくれるのものと思われます。・・・全く便利なことです」

 いちごは皮肉をかました。

 この辺りの一見融通無碍なところは正に華代能力と同じなのだが、そこまで言及することは出来ない。

「大雑把には解説出来たかと思います。ではこれから実験に入りますがよろしいですか?」

「“実験”とやらの被験者は誰なのかね?」

「当組織のエージェントです」

「それは人権的に問題が在るのではないかね?」

「どうなんだ内川?」

 ん?今何と言った?

 と、ボスが声を掛けた人間を睨みながら返事をした。

「確かにリスクはゼロではありませんが、外部の人間に漏らす訳にもいきません。それに確実に元に戻れるのですから大丈夫です」

 最初の一回目はな、といちごが頭の中で茶化す。

 それにしてもボスの本名は「内川」か…案外地味である。偽名の可能性もあるが憶えておいて損は無いだろう。

「では始めます」

「君…」

 名無しの権兵衛氏だった。

「…何でしょう」

 いちごが神妙に答える。

「望めば希望者を受け付けるとのことだったね」

「そうですが」

「私では駄目かな」

 静かな重低音のどよめきが広がった。

「先生…」

 周囲の人間が思わず漏らす。

 どうやら本名を口走るほど愚かな者はいなかった様だが、普段呼んでいるのであろう呼称がもれてしまったらしい。

「…すみません。あれは一種の冗談です」

 動揺を抑えながらいちごは言った。まさか本当に希望者が現れるとは思っていなかったのだ。

「私のことなら心配要らない。頼むよ」

「…おっしゃっている意味がお分かりになってますか?」

 若干挑発的な口調で言ういちご。

「三号に触られたら女になってしまうんですよ?その身体が」

「今聞いた」

 紳士は全くひるまない。それも静かに落ち着いた口調のままである。

「失礼ですがこれまでに女装のご経験は?」

「キミぃっ!」

 鋭く静止する声がとりまきからするが、そんなもの知ったことか。

「…残念だが無いな」

「結果的にこれからしていただく事になりますけどそれでも構わないのですね?」

「ああ、構わん」

「三号のそれは本格派ですからね。下着は勿論のこと、髪型もアクセサリーもメイクも全て女性ものになりますよ」

「君の説明で全て聞いた」

「それでも構わないと」

 無言で頷く名無しの権兵衛氏。

「…服だけではありませんよ。肉体も…性器も女になりますが」

 反応は同じだった。

 彼は「初老」と言っていい年齢に見える。かといって腰折れ、背中の曲がった老人ではなく、若い頃はスポーツをやっていたのであろう健康的な肉体を保っている。身長こそ高くないが、素敵なロマンスグレーとして若い女の子にキャーキャー言われそうなダンディズムぶりである。

 それが「女になってみたい」とこんなところで手を上げるとは…。

 いちごは思わずボスに助けを求めるかのように視線を投げた。

 ボスと目が合った。

「…本当によろしいのですね?」

 ボスが再度名無しの権兵衛氏に確認する。

「ああ。構わない」

「一号、だそうだ」

 椅子から立ち上がりもせずに促すボス。

 名無しの権兵衛氏といちごの視線が交錯した。

 彼は余裕のある温かみのある表情をしていた。

 

 

9.

 拘束具に全身を緊縛された三号の隣にやって来る男と女。いちごと名無しの権兵衛氏。

 その周囲には間違っても三号に接触されないように距離を取った黒服軍団が取り巻いている。

「ではこれから、三号の変身体質実験を行います。三号、いいな?」

 こくこく、と頷く三号。

 従順な態度を見せてはいるが果たして…。

「もう確認はしません、名無しの権兵衛さん。最後にリクエストを聞かせていただいて宜しいですか?」

「リクエストとは?」

「服も着替えさせられてしまいますが、その衣装についてです」

 何故か周囲はハラハラしている。それほどの“大物”なのだろうか。ま、こっちの知ったこっちゃ無いが。

「衣装か…ワシは余り女の服に詳しくない」

 詳しいのもなんだぞ、といちごは突っ込んだ。

「看護婦の白衣で頼む」

 ケッ!制服マニアかよ。

「承りました…だそうだ三号」

 またこくこくと頷く。

「伺っておいて何ですが、一応覚悟はしておいて下さい」

「覚悟ならもう出来とる」

「そうではなくて、衣装のことです。この能力は不随意ですから、女になってしまうことは間違いないのですが衣装に関しては保障できません」

「…それは、彼女がリクエストを無視するかも知れないという意味かね」

「…」

 いちごは明確に答えなかった。珊瑚(さんご)がこの状況下で素直に言うことを聞く性格ではないことは嫌と言うほど知っている。看護婦の白衣となればそこに期待するのはどうしても清楚なイメージの女性である。それならば、逆に嫌みったらしく扇情的な衣装に変えるという嫌がらせを仕掛けることも考えられる。先ほど二十九号が着せられたバニーなんて格好の例だ。

 そうでなくてもランジェリーパブの店員みたいな格好やボンデージ衣装など“扇情的”な女物の衣装など幾らでも思い浮かぶ。

「そうなのか?一号」

 ボスが促した。

 この構図ではまるで三号の管理監督責任が一号にあって、粗相をした場合は一号の責任みたいな図式になってしまっている。一号はそれが無性に腹立たしかった。

「能力の誤発動ということもありえます」

 そういうことにしておけば、三号含めて誰の責任でもない。

「…構わんよ」

「分かりました…では始めます。三号!」

 どこからか遠隔操作されたのか、右手のひじから先だけが開放される。やっと自由になって手首をひらひらと動かしてみる三号。勿論その他の部分が全て拘束されたままである。

「どうぞ。握手して下さい。それで全て終わります」

「…そうか」

 少し考える名無しの権兵衛氏。いざとなると少し不安なのだろう。一号にも経験があったが、誰も見ていないのならばともかく、衆人環視の中自ら名乗り出ているのである。余り下手を打つわけにもいかない。

 思い切って手を前に出す名無しの権兵衛氏。

 硬く節くれだってはいたが実にいい手だった。

 それが白魚の様な細く美しい三号の手と接触する。カブトガニがマシュマロを包み込むかの様だった。その握手している手ばかりを注目していたいちごは、一瞬にして握っているカブトガニが、同じくマシュマロになるのを見届けた。

 部屋中にどよめきが広がる。「おおわあっ!」「んむぅ!」といった押し殺した様な声だ。

 よろめいた名無しの権兵衛氏が一歩下がる。

 薄く肌色が透き通る純白のストッキングに包まれたサンダルが再び床に触れる。

「ん…」

 華代被害…いや、三号被害の犠牲者すら見慣れていたいちごも思わず息を呑むほど清純で美しい白衣の天使がそこにはいた。

「あ…あ…」

 すらりとスレンダーに伸びた細い体に、純潔の記号でもある看護婦の制服とナースキャップに身を包んだ可憐な美女だった。

 つい今しがたまでロマンスグレーの渋い初老の男性だった名無しの権兵衛氏は、自分の孫と言っても通用するような若い娘へと変貌してしまっていた。

 この手の被害に遭った人間が共通して取る典型的なリアクションである、「自分の身体を見下ろしてあちこち動かしてみる」を実行している。これは反射的に出てしまうものである。

「成功しましたね。如何(いかが)です?女になった気分は?」

 “被害者”の先輩として、若干の嫌味を込めて言ってみる。

 背後に控える黒幕連中は、恐らく目の前でこうも見事に変わってしまう情景を目の当たりにして固まってしまっている。

「あ…ああ…」

 名無しの権兵衛氏がここまで平常心を保っているのは驚嘆すべきことであると言えた。自分たちの様に極限状態での訓練を受けているのならばともかく、大抵の人間は恐慌状態にまでならずとも、大いに取り乱してしまうものなのだが。

「ご心配には及びません。きちんと用意させましたから」

 いちごが黒服達に目配せをする。

 間髪入れずに黒服は全身鏡をどすん!と目の前に置いた。

「っ!!」

 心の準備が全く出来ていないところに、突然自らの変わり果てた姿を見せ付けられることになった名無しの権兵衛氏は今度こそ大いにうろたえた。

 そこには自分自身であると全く認識できない人物がいたのである。

 だが、驚きのリアクションを取る仕草が自分のものと完全にリンクしている。この綺麗な看護婦が自分であると信じるしかなかった。

「かなり若返ったみたいですね。お綺麗ですよ」

 いちごはしたことも無い追い討ちを掛けた。

 “生まれたばかり”の看護婦は大きく目を見開いて硬直してしまっている。

 どうしたんだよ?念願の女になれたんだぜ。どんなコスプレ願望があったのか知らんけども看護婦の制服まで着せてやったんだ、もっと喜べよ!

 …と心の中で悪態を付くいちご。

「あ…ああ、そうだな」

 まるで似合わない可愛らしい声で言う看護婦。その口調は先ほどまでの名無しの権兵衛氏に間違いなかった。

「どうです?感想は?」

 しつこく尋ねるいちご。ボスの視線が痛いが、ボスも興味があるのかいちごを放置している。

「…不思議な体験だ」

 名無しの権兵衛氏はかなり自己を制御する克己心に長けているらしい。すぐに股間をまさぐって「無い!」と言ったり、自らの乳房をもみほごしたりは決してしなかった。

「下着も女性ものにちゃんとなってます?」

 確認を装ってデリケートな話題にまでふみこむいちご。

「一号!」

 流石にボスが窘(たしな)める。

「あ、いや構わない。彼女も仕事だからな」

 小娘となった名無しの権兵衛氏が鈴のような声で全くそぐわない威厳を漂わせる。

「…どうやらそうらしい。余り詳しくないので分からんが」

 そうそう、最初はアンダーバストが息苦しいんだよ。見たところかなり胸は豊かみたいだから感じる重量感は結構なものだぜ。…といちごは思った。

 それは必死のレポートだった。

 二十歳過ぎ程度であると思われる健康的な女性と化し、あまつさえ下着まで含めて完全に看護婦の制服を着せられるという驚天動地の体験をした直後に、その感想をしつこく求められているのだ。胸を押さえつけるブラジャーの感覚だけは非常に強いが、後は良く分からない。

 強く押さえつけられている為か、下腹部の喪失感も別の感覚にかき消されているし、ストッキングを履かされている為に噂の「スカートのすーすーする感覚」も感じられない。

 

 その時だった。

 耳を劈(つんざ)く警報が鳴り始めたのである。

 

10.

「何事だ!」

 周囲の黒服が反射的に飛び出してVIP達の周囲を固める。

 いちごは仕方なく看護婦と化した名無しの権兵衛氏の肩を抱きかかえる様にして元の席へと引っ張っていく。

「…っ!っ!」

 激しく動いて初めてスカートの運動性能の悪さに気が付いたらしく、何度も姿勢を崩しかける名無しの権兵衛氏。急に身長が変わったので、その意味での身体制御への悪影響もあっただろう。更に、つるつる滑る素材で出来たサンダルをストッキングに包まれた足で履くというバランスの悪さが急激な運動を阻害する。サンダルの裏の素材で床とサンダルはスリップしないのだが、足とサンダルがスリップしそうなのだ。こればかりは体験してみないと分からない。

 ここは成り行き上いちごが「彼女」をフォローするしかない。周囲の黒服どもに任せる訳にはいかないのだ。

 頬が触れ合うほどの近距離を保ちつつ、元の席に座らせる。白衣の膝丈のスカートから中が見えそうな姿勢になってしまうが仕方が無い。三号の能力は本家の華代のそれと同じく、「仕草」まで変えるかどうかはその時の気分次第である。

 いちごは咄嗟に椅子に座った「看護婦」の両脚を密着する様に揃えさせ、「く」の字に折り曲げて斜めに配置した。女としての嗜みのポーズである。

「あ…す、まん…」

 “女として”仕草を矯正されたことに気が付いた名無しの権兵衛氏が礼を言った。一瞬自分が何をされたのかも分からなかっただろうが、自然とこの様に「なよっ」としたポーズをとらなくてはならない性になってしまっていることが自覚されたのかもしれない。

 男はどうしても関節が固いし、この様なポーズを取るのは逆に筋肉を使うのだが、女の身体ならば柔軟性があるし、がに股よりもずっと自然である。

 遅れてやってきた「今、自分は女の身体となり、女の衣服を着せられ、女としての立ち居振る舞いを強制されている」という意識に突き動かされてか、心なしかその頬がほんのり紅潮している様に見える名無しの権兵衛氏…だった看護婦。

 おっさん連中の只中に看護婦を座らせると同時に、周囲を見渡して胸ポケットに入っている通信機のスイッチを入れるいちご。それによって、耳の穴に差し込んだイヤホンにボスが行っている通信が流れ込んでくる仕組みだ。

 あぶらぎったおっさんどもの中に小娘一人残すのは若干の不安もあったが、先ほどの名無しの権兵衛氏の扱いを見ていると、この中にあっても最高級のVIPであるらしいことは明白だ。例え煩悩やら獣欲に狩られたとしても「間違い」は起こらないだろう。

 確かに、争ってでも手に入れたい可憐な美貌ではあるが、何しろ「元・男」である。

『どうした!?何事だ』

 ボスの切迫した声だ。

『侵入者です!』

 

 

11.

「…侵入者ってどういうことだ!?ウチなんてフリーパスなんじゃねーのか?」

 通信機に向かって怒鳴り返すいちご。完全に男言葉に戻っているが、場合が場合である。「ウチ」というのは勿論、組織「ハンター」のことだ。

「一号!こっちだ!こっちに来い!」

 ボスが手招きしているので飛んでいくいちご。タイトスカートが走りにくい。

 部屋の隅に小型ディスプレイがある。そこを見ると、確かに武装強盗団みたいな覆面の一群が所内を荒らし回っているところが映し出されていた。

「…何だこいつらは?」

「分からん。だが、お前らの出番かも知れんぞ」

「はぁ?」

 お互いに床に置いたディスプレイをしゃがんで覗き込んでいたので、その顔は触れ合いそうな距離である。

 いちごはその場に膝を立てている。もしも今正面から誰かが見ていたらスカートの中の下着が丸見えになっていたことだろう。…無論、そんな不届き者がいれば半殺しの目に遭わせるところだ。

「こいつらの狙いは知らんが、ここまで深く入り込んだらもう駄目だ。もう四方の隔壁が閉鎖された。連中は袋のネズミだ」

 確かに調子に乗って書類を漁っている連中はさっさと逃亡する算段でも立てていたのだろうが、これだけの時間、中でうろうろしていたのではどうしようもない。

「大胆な連中だな。いくらちゃらんぽらんとはいえウチにカチコミ掛けるたあ身の程知らずにもほどが在る」

「まあな」

 今は男と女、壮年の男盛りと十代の小娘という関係になってしまっているが、かつては無骨な男同士だった二人である。

 ちらりと背後を振り返るいちご。

 組織のエージェントである黒服(ハンター能力者ではない)が部屋中に詰めているのでセキュリティ上の心配は無いが、この状況を放置しておいて良いわけが無い。

「で?どうすんだよ。このお祭りをよ。そもそもこいつらは何なんだ?ウチが宝石店にでも見えたのか?だったら眼科に連絡しとくが」

「ハッキリとは分からんが、状況はこちらに有利に展開してるぞ。水野!」

 通信機に向かって叫ぶボス。生意気に水野さんを呼び捨てである。

『はいボス』

 キビキビと答えが帰ってくる。流石はハンター組織きっての常識人にして知性派の水野さんだ。噂では組織内でも最高の学歴とIQを持つ才媛だと言うが…。

「俺の記憶が正しければこいつは全国広域指定犯罪者第567号の筈だが」

「は?」

 所謂(いわゆる)「指名手配」のことである。

『ビンゴです。ボス。手下が四人いるみたいですが、みな前科持ちの執行猶予中か仮釈放ばかりです』

「…だ、そうだ。首謀者は無期懲役を二度も喰らって出るたびに殺人未遂を起こす常習犯だ。こちらが遠慮することは無い」

「何でそんな奴を野に放つんだよ…」

「知らんよ。判事が人権派弁護士に袖の下でも貰ってるんじゃないか」

「笑えねえな」

「ともかく、ウチの権限ならばこいつらを闇に葬っても全く構わんということだ」

 暗に「殺しても良い」と言っている。いや、殺さずとも二度と同じ様に社会復帰させる必要は無いと言う事だ。

「…あんたまさか」

「三号の能力をライブ(生放送)でお披露目する絶好のチャンスだと思うが?」

 ボスの口元がいやらしく歪んだ。

 

12.

 椅子のまま彼女はエレベーターの中に運び込まれてきた。

『遠隔操作でロックを解除する。後の舵取りはお前に任せるから』

 エレベーターのドアがしまった。

 中にいちごだけが取り残されることとなる。

「…ったく。俺はいつも貧乏くじだな…」

 がちゃり、と音がして三号の口の部分を覆っていた拘束具が外れ、地面に滑り落ちて大きな音を立てる。

「ふう…久しぶりにしゃべれるわね」

 まだ目の部分には何も見えない様に透明度ゼロの巨大なサングラスが掛けられている。

「確認するが、状況は聞いたよな」

 久しぶりに双方向で会話が成立する様になったところで話しかけるいちご。

「まあね」

「今回のミッションは侵入者の制圧だ。ボスは生死を問わず(デッド・オア・アライブ)なんて物騒なことをほざいてたが基本は生きたまま確保。“多少”手荒く扱っても構わんが、余り傷つけるとウチの医療班に残業代を払う羽目になるかも知れん」

「はいはい」

「連中は飛び道具は持っていない。後は俺達に任せるとよ」

「…任せるってことは好きにしていいのね」

「そういうことだ。今回ばかりは張型を持たせても良かったとよ」

「あら、そそるわね」

 そこまで会話が進んだところでサングラスが透明になった。

「…まあ、可愛らしいこと」

 黒いストッキングで浮かび上がる脚線美もまぶしいタイトスカートのスーツ姿のいちごが目に入って言う珊瑚(さんご)。

「…これも仕事だ。好きでこんな格好するか」

 紛れも無い本心だった。

「ティーンエイジャーのカラータイツってそそるわ。…でもタイトスカートでカンフーの経験はあるのかしら?」

 如何(いか)に素人ならばたった一人で数十人をなぎ倒す戦闘力を誇るいちごとはいえ、ここまで極端に運動を制限するスタイルで戦地に趣くのは初めてだった。

「ジャージ置き場に寄ってる暇が無いんでな。こうするしかなかった」

 ひょい、と身体を横にしてその部分を珊瑚(さんご)に見せ付けるいちご。

 そこには身体の脇に沿って、無残に切り込みを入れられた仕立ての良さそうなタイトスカートがあった。それはもう「もも」部分まで見えるスリットというよりは腰の部分まで切り裂かれた布切れだった。少し動くと、スカートの色と同じ真っ黒な裏地がぎざぎざの切れ端を見せて揺れる。確かにこれならば脚を振り上げた拍子に黒いタイツに覆われた下着が丸見えになることを気にしなければ運動性能的には問題は無かろう。

 不適に笑う珊瑚(さんご)。

「勿体無いことするじゃない。そんな切り方したんじゃスカートだけ買いなおしね」

「知るか。二度と着ねーから関係ねーよ」

 これもまた本心だった。

「あのお偉いさんはどうだったの?」

 まだ雑談を続けたかったらしい。

「ああ、あのコスプレマニアの変態オヤジか」

 孫もいそうないい年こいた大の男が二十歳前後の小娘になって看護婦の制服姿になることを希望するなんざいちごには全く理解出来ない趣味嗜好だった。少なくともいちごは男だった時にはその手の願望には全く縁の無いタイプの堅物だったのだ。それが今ではこの有様というのが何とも皮肉である。

 恐らく男が女になってやってみることといえば一つなのだが、あれだけの衆人環視の中ではじっとしている程度しか出来ないであろうことがいい気味である。

「サービスしてかなり可愛くしてあげた積りだけど」

「殊勝なこった。てっきり「看護婦」なんて依頼を聞けばランパブの店員にでもするかと思ったがな」

「あたしだって保身は考えるもんでね。点数稼げそうなところで突っ張ったりしないわ。…で、どうだったの?可愛かった?」

「いいだろうもうそれは」

 両脚が遠隔操作で解放された。後は一二箇所を解放するだけで珊瑚(さんご)は限定的ではあるが自由を手にすることになる。

「分かってると思うが、無罪放免になるとは思うな。今回のミッションでのみ限定的に解放される」

「へーへー。分かってますって」

「俺がお目付け役だからお前が暴走しても心配は無いが、ミッションが終われば再び拘束される」

「…了解」

「一応俺は取っ組み合いで貴様ごときに遅れを取る積りは無いが、極限状態だけに何が起こるかは分からん。もしも妙な気を起こせば半端なペナルティではすまんからその積りでいろ」

「ん?それはもしかしてあたしが解放された瞬間にいちごちゃんの首を絞めかねないって言いたいの?」

「“いちごちゃん”止めろ」

「そうなんでしょ?」

「ああそうだ」

「随分信用されたもんね。がっかりするわ」

「餓鬼みたいな理屈をこねるな。これは立場が同じなら誰にでも一応は言う警告だ。貴様でなくても五号や沢田さんでも同じことを言うさ」

「ふ〜ん。ならいいけど」

「では拘束具を外す」

 遂に最後の拘束具が外された。

 

13.

「…彼らはどうなったのかね」

 鈴の鳴る様な可憐な声で尋ねる看護婦。少し前まで「名無しの権兵衛」と名乗っていたロマンスグレーである。

「現在準備中であります」

 ボスがすぐ近くまで来て直(じか)にボディガードを勤めている。侵入者達を完全に排除するまでは緊急事態体制が継続しているのである。

「まさかあのならず者達に立ち向かわせる気かね?女性二人を?」

 思わず噴出しそうになるのをこらえるボス。

「…!?君?」

「いや失礼。あの二人をそういう概念で捉えたことが余り無いもので新鮮に感じてしまいましてね」

「何を言っているのかね…」

「その心配ならご無用です。連中ならスタジアムを埋め尽くしたフーリガンの真ん中に置き去りにしても生還するでしょう。戦闘力ならウチでも随一ですよ」

 

14.

 拘束具が外される瞬間をいちごは見ていなかった。

 密室となったエレベーター内で珊瑚(さんご)に背を向けたまま携帯電話を取り出してどこかに繋いでいる。

 珊瑚(さんご)はその場に立ち上がり、確かめるように両手首をふるふると振り回し、首をコキコキ鳴らしている。

 無骨かつ野暮ったい装束だ。宇宙服の出来損ないみたいなつなぎである。拘束金具が全て外された状態なのでほぼ自由に動くことが出来る。軽く息を吐く珊瑚(さんご)。

 目の前にいちごの可愛らしい背中が見える。

 モデルばりのプロポーションを持つ珊瑚(さんご)は女性にしてはかなりの長身でかつ手足も長い。十七歳の小娘相手ならば威圧的に見下ろすことも十分可能なのだ。最も、格闘技に覚えはあるもののこればかりはいちごには適わない。リーチと、恐らく単純な腕力でも勝るであろうが実戦に裏打ちされた「経験」とやらにはどうしても適わないのだ。

 だが、それはお互いの条件が五分である場合だ。

 相手が一方的に油断している場面ならば不利な条件を覆すことも出来る!

 豹のようなしなやかさで物音一つ立てずに、珊瑚(さんご)が素早くいちごの背中に飛び掛かった!

「ぎゃああああ〜っ!!!」 

 瞬時に首を決め、片腕の関節を捻り上げてその立場を逆転…するはずだった。

「ふん、その程度の攻撃も想定していないとでも思ったのかこの馬鹿が」

 頭を掻き毟りながら地面をのた打ち回っているのは珊瑚(さんご)の方だった。

「悪いがお前の頭の中には俺の持つコントローラーでいつでも電流を流すことが出来る様になっている」

「そ…そんな…」

 泣きそうな表情を浮かべ、目に涙を溜めている珊瑚(さんご)。よほど電流のショックがこたえたらしい。

「どうせこんなこったろうと思って思い切って付けさせて正解だな」

「殺してやる!」

 髪を振り乱し、目を殺気に血走らせて掴みかかろうとする美女。

 だが、すぐに絶叫と共に床に突っ伏してしまう。

「この痴(し)れ者が!いざとなったら腕力で強引に突破しようとでも思ってたか?当てが外れたな」

「貴様ぁ…何てことをぉ…」

 恐ろしい表情で呪詛を撒き散らすその表情は先ほどまでの美女の片鱗すら残っていない。

「見くびるなよ。こちとら目的の為には手段は選ばん。貴様が大人しくこちらの言うことを聞くとは思えなかったんでこうしたまでだ」

「あたしの…あたしの人権はどうなるのよ!」

「隙を見て襲い掛かろうとした狂犬がほざくな!貴様の素行を見ての当然の措置だ。言っとくがな、その気になればこちとら一歩も動かずに貴様を殺すことも可能だ。電流を強めにして長時間掛ければいいだけのことだ。最も、殺す為につけた装置じゃないから絶命するまではかなりの長時間に渡って苦痛が続くことになるだろうがな。試してみるか?」

 そこまで聴いて遂に観念したのかその場にへたりこむ珊瑚(さんご)。

「…俺だってサディストじゃねえ。こんなこと望んでなんかいねえよ。使わせるな」

 失笑を漏らす珊瑚(さんご)。

「笑わせるわね。サディストじゃない?こんな装置を付けるどころか思いついただけでノーベル賞もんだわ。平和賞以外のね」

「何とでも言え」

「あたしならつけた相手に渋谷の真ん中で裸踊りを強要するわ」

「そうか。良かったな。俺はせん。以上だ」

「それを信じろっていうの?」

「そうだ」

「無理ね」

 しばし沈黙。

「じゃあこれからのミッションは」

「あんたが勝手にやればいいでしょ。人数も大したこと無いみたいだし。性転換ならさっき見せたわ。今ごろ黒服と組んずほぐれずやってんじゃないの?」

 既に捨て鉢になっている珊瑚(さんご)。無理もないが。

「俺は構わんがそれだけ貴様の自由になるまでの期間も延びることになるぞ」

「脳内に電気ショック装置埋め込まれて『自由になる』!?笑わせんじゃないわよ。あたしがあんたがたなら絶対にこんな装置外さないわ。どんな復讐を受けるか分からないもんね!」

 今度はいちごが失笑を漏らす。

「…何が可笑しいのよ」

「脳になんぞ埋めるか馬鹿が。そもそも脳に痛感覚は無い。それに変な電流を流せば身体のどこが誤作動するか分からんじゃないか」

「…じゃあどこに…」

「さっき組織がお前に改造手術を施した様なことを言ってたが、あれは正確じゃない。専ら俺個人でやったことだ」

「…あんた、言ってる意味が分かってんの?」

「ああ。お前の恨みは俺が全部引き受ける。組織に迷惑はかけん」

 しばしの沈黙が訪れた。

「…どうすればいいのよ」

「辛かろうが当分は組織のいいなりになって差し出されるミッションを馬鹿みたいにホイホイこなし続けることだな。今回の目標はあいつらだ」

「あたし結構“溜まって”るんだけどいいのかな?」

 抑揚無く言い放つ珊瑚(さんご)。目が座っている。

「好都合だ。目一杯ぶつけろ」

 

15.

 いちごがスイッチを入れるとエレベーター内の通信状態が回復した。

 珊瑚(さんご)と話を付けるまでは到底外部には聞かせられない会話の内容になることが予想されていたので、自由に通信を途絶出来る様にしておいたのである。出なければあの名無しの権兵衛氏を変態呼ばわりなど出来る筈(はず)が無い。

「もしもし、こちら一号。これよりミッションに入ります」

『一号、通信をスピーカーに切り替えろ』

「…?はい」

 ボスに言われた通りにするいちご。

『あー、あー聞こえるか』

 通信機器を通してくぐもったボスの声が広めのエレベーター内に響き渡る。

「はい。聞こえます」

『三号、聞こえるか』

 ボスが直接声を掛けたのは三号こと藤美珊瑚(さんご)だった。珊瑚(さんご)と直接話したいが為に音声をスピーカーにさせたらしい。

「…はい」

 珊瑚(さんご)はボスと話すのは久しぶりのはずだった。

『運動不足になっていないか?能力はまだ使えるな』

「はい」

 珊瑚(さんご)は余計なことは何も答えなかった。元々ちゃらんぽらんな組織なのでこの能力を得るまでは上司と部下の関係なのにタメ口でドつきあっていた様な間柄だった。

『今回はご苦労だが一つ頼む』

「はあ」

『不満か?』

 珊瑚(さんご)の視線がいちごの方に泳いでくる。「正直に言ってもいいのか?」とでも言いたげだ。いちごは「勝手にしろ」という表情をした。

「海外旅行が趣味でしたから」

 監禁されていることへのさり気ない嫌味だろう。分かりにくいが。

『そうか、そいつは残念だだが、海外旅行はもう少し辛抱してもらう。宿題が終わるまでな』

 「規定のミッションをこなせ」という意味だろう。

「どうぞ。何でもやりますよ」

『それじゃあ頼む。実はな…こちらからリクエストがあった』

「リクエスト?」

 これはいちごの方の反応である。

「誰からのです」

『ゲストからだ』

 「ゲスト」とはあの部屋に集められていたお偉いさん達のことだろう。

 

 

後編に続く)