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ハンターシリーズ064
『珊瑚の研究』(後編)

作・真城 悠

 

16.
「“リクエスト”とは?」
 予想は付くのだが、いちごは反問した。
『そのままの意味だ。先ほど見せたパフォーマンスが会場の皆さんはいたくお気に入りらしくてな。それなら指定する衣装に変えて見て欲しいということらしい』
 いちごの胸に吐き気がこみ上げた。何だその欲望丸出しの命令は。
「無理ですね」
「ちょっと!」

 即答するいちごに珊瑚(さんご)が食って掛かる。彼女にしてみればポイントを稼ぐチャンスなのだ。
「こっちだって暴徒の鎮圧に必死です。不可抗力でどうなるかも分からない状況下でそんな贅沢は約束できません」
『その通り。理想的な受け答えだ』
「…」
 ボスの真意が計りかねた。

『勿論俺もお偉いさん方にはそう言ったさ。しかしまあ、現場の苦労ってのはキャリア連中には分からんらしい』
「馬鹿抜かせ。こっちはこっちで勝手にやるぞ」
 小娘にあるまじき言葉遣いだが、こちらの方がいちごらしい。男同士だった頃のボスと一号の関係を匂わせるやり取りだ。
『それでいい』
 しばし沈黙。
「…何だと?」
『お前らの直属の上司はこの俺だ。こちらとしても部下をみすみす失いかねん危険な命令を出す訳にはいかん。だから俺からお前らへの命令は“最善を尽くせ。不可能と判断したら撤退”だ。こういう時に部下を庇(かば)うのも上司の役割だからな』

「いいですかボス?」
 これは珊瑚(さんご)である。
『ああ。何だ?』
「それって暗にリクエストに失敗したらボスは左遷とか減俸ってことでいいんでしょうか?」
『…そんなところだ』
 ケッ!格好付けやがって。
「仕方ねえな。やればいいんだろ?」
『そう言ってくれると助かる』
 ほくそえむ表情が見える様だった。
「この狸が」
 いちごは小さくつぶやいた。


17.
「先生…」
 黒服のボディガードとボスに囲まれた名無しの権兵衛氏…今は白衣の天使…にスーツ姿のうらなりが話しかけてくる。
「何かね」
 鈴の様な声で聞き返す看護婦。
「どうしましょう?リクエスト」
 下卑た表情にしか見えない。
 可憐な看護婦が表情を曇らせる。

「君らで考えたまえ」
 可愛らしい声と顔に似合わない口調だが仕方が無い。
「あ…はい。ところで内川さん」
 うらなりが今度はボスに話しかけてくる。
「申し訳ありませんがここでは匿名でお願いしたいのですが」
「あ、すいません。じゃあ何とお呼びすれば?」
 それには直接答えないボス。

「あの…次はボクをお願い出来ないでしょうか?」
「何のことです?」
 とぼけるボス。
「嫌だなあ。決まってるじゃないですか」
 その真意が「自分もちょっと女になってみたい」であるのはボスならば瞬時に察された。
「申し訳ありませんが、今回はあくまでも例外的な措置でして、基本的にはお断りしております」
「ええ?いいじゃないですか?減るもんじゃなし」
 その視線は目の前の折れそうにか細い可憐な白衣の天使に向いていた。

「申し訳ありませんが…」
「どうしても駄目か?」
「はい」
「…」
 何やら空気が変わった。
「おい…貴様どんな権限でモノ言ってるんだ?あぁ?」
 そのエグゼクティブはつい先ほどの瞬間までの高級官僚の皮を脱ぎ捨てて一気に不良チンピラに豹変した。

 その大きく低く響く声に周囲が振り返る。
「何と言われようと責任が持てません」
 ボスも一歩も引かない。この辺りの胆力は流石に一組織を預かる身である。
 と、いきなりボスのネクタイを引っ張って顔を突きつけてくるうらなり。
「分かってんのか?俺の一声で貴様の首なんぞ簡単に飛ぶんだぞ?」

「…止めたまえ」
 脚を揃えたおしとやかな姿勢のまま看護婦が言う。
「しかし先生…」
「現場を預かる彼が駄目だと言ってるんだ」
「でも先生はいい思いをしてるじゃないですか!」
 突如金切り声になった。

 ボスは表情を変えないのに苦労した。
 何だこの餓鬼は?今まで自分の要求が通らなかったことが無い様な生活を送って来たというのだろうか?たいしたご身分である。
「この能力に就いては全て分かっている訳ではありません。最悪二度と戻れなくなる可能性もありますよ」
「しかし…御前はやってもらってるじゃないか!」
「おい!」
 周囲から怒声がする。言ってはならないことを言ってしまったらしい。

「…っ!?」
 流石のうらなりも自らの失敗に気が付いた様だ。
「貴様…後で見てろよ…」
 ボスを睨みつけてくるうらなり。
「やめたまえ。私は危険性は承知の上だ」
 看護婦…となっている名無しの権兵衛氏…がなだめる。
「…そうなんですか?」
 この馬鹿はあれだけ説明したのに、この瞬間まで危険性など全く無いと思い込んでいたらしい。
「君も今から人生やりなおして見るかね?」
 そういって小ぶりながらも形のいい胸を張る。
「それは…」
 見た目は可憐な小娘だが、その貫禄は比べるまでも無かった。

 そのまま立ち去るうらなり。この場では矛を収めたというところだった。
 最後に捨て台詞を叩きつけようと振り返ったが、どうにか飲み込んで離れていく。
「…申し訳ありません」
 ボスが看護婦に頭を下げる。
「いや…こちらこそすまん。いらん心労を掛けた」
「勿体無いお言葉です」
「こちらとしてもお望みは適えてあげたいのは山々なのですが…」
 二度と戻れなくなってもそれはそれでいい気味だ…という含みがそこにはある。

「分かるよ。ああいう人種はもしも戻れなくなれば君を逆恨みすることになる」
「…」
 無言の肯定だった。
「隠居の身なんでどの程度力になれるか分からんが、あれの言うなりにはさせんつもりだ」
 明らかに大きな権力を保持していることを匂わせる言葉だった。
「感謝します」
 少なくとも無防備で放り出されることは無さそうだ。

18.
「…おい、何だよこれは」
 目の前のディスプレイに映し出された“リクエスト”を見ていちごがつぶやいた。
『仕方が無いわ。そのまんま流してるだけだから』
 水野さんの声である。
「しかしこりゃ…悪趣味にもほどがある」
「ま、あたしは言うとおりにやるだけだけどさ」
 これは三号こと珊瑚(さんご)。

 そこには黒々と光沢を放つ恐ろしく露出度の高い衣装が映し出されていた。
「敢えて口に出すけど『ボンデージ』って奴ね」
「…」
「ちなみに「ボンデージ」ってのは“拘束する”って意味よ」
「詳しいな」
「女としてのタシナミかな」
 色んな意味で挑発的な言葉である。

「連中にこれ着せてひーひー言わせろってんだな」
「ま、そうなんでしょ」
『今話してるのは俺だけだから何でも言ってみろ』
 ボスの声だけがする。
「こちとら連中を制圧するのは仕事だから一向に構わんし、こいつの能力を見せるのも吝(やぶさ)かじゃない。しかし、公開ストリップをやる気は無い」
『別に脱がせろとは言っていない』

「狙いは明らかだろうが」
『まーな』
「ねえ、いちごちゃん。早くやろーよ」
「少し黙れ。テメエに“いちごちゃん”何ぞ言われると虫唾が走る」
 かなりキツい言い方だが、この二人ではいつものことである。

「リクエストとやらはこれだけか?」
『…察しが良いな。流石は一流エージェントだ』
「やかましい」
『どうやらAVマニアも多いらしくてな。色々あったみたいだがとりあえずこれだけということにさせた。全員変える必要は無いが…何とか頑張ってくれ』
「了解です。ボス」
 珊瑚(さんご)は張り切っている。

「真面目な話だが、三号ちょっといいか?」
「あによ?」
「この衣装を着させるってことは暗に“縛り上げろ”って意味もあると思うんだが、それは可能なのか?」
「“可能”ってのは?」
「つまり、最初に接触して変えた段階でいきなり緊縛状態に出来るのか?ってことだ」
「若い女の子の口から“緊縛”とか聴くと刺激的だわぁ…」
「おい!」

「…ふん…ま、試したことが無いからわかんないわね」
「その程度か。大したことねえな」
 挑発的な言動を投げかけるいちご。
「『正式』が縛られてる状態だってんならもしかしたらだけど、多分あれってあの格好してから縛るんでしょ?だったらいきなりは無理じゃないかな?」
 何となく納得できないことも無いが…元が不合理な能力だけに何とも言えない。
「じゃ、監視者として命令するが、基本的には『最初から縛った状態』にするように心がけろ。いいな」
「そんなこと言われてもねえ…」

「貴様に縛る役をやらせたくない」
「それってあたしを気遣ってくれてるって訳じゃないわよね?」
「察しが良いな」
『そろそろいいか?』
 無言で視線を合わせて頷く一号と三号。

19.
 エレベーターは止まったが、音もしないしランプが明滅することもしない。白魚の様な指をこじ入れてゆっくりとエレベーターの扉をゆっくりと開ける。
 内部は真っ暗になっている。
 低く身体を伏せたまま周囲を見渡している一号と三号。
 全く無茶な任務である。銃器は保持していないらしいが、得物は間違いなく持っているであろう連中を制圧しろってのか。 
 一歩いちごが前に出たその瞬間だった。

 影になっていた部分から何物かが飛び出してきた。
「…っ!?!」
 アンブッシュ(待ち伏せ)されていたのか、不意を衝かれた形になった。
 こういう場合にはまずどこでもいいので身体を叩きつけてお互いによく分からない状態にもっていくのがセオリーである。
 当然いちごもそうした。
 飛び掛ってきたのが三号ではないのが確実なので…いや、仮に三号であったとしても…、気が付いた瞬間にそちらに向かって目一杯手を振り回した。

 何かにぶち当たった感触は確かにあった。
 あったのだが、相手の勢いの方が上回った。
 わき腹に相手の肩が当たって身体ごと突き上げられる。
「…くっ!!」
 不意を衝かれた相手に対して互角以上に格闘するにはいちごの体重は余りにも軽すぎた。
 軽い砲台からは軽い運動エネルギーの打撃しか出てこない。そもそも押し合いへし合いに「軽い」というのは致命的なのである。

 突き上げられて一瞬身体が空中に浮き上がり、そこから地面に叩き付けられる。
「ぐああっ!!」
 必死の空中制御も虚しくロクな受身も取れずにモロに背中を叩きつけられる。
 それでも死に物狂いで顎を引き、後頭部を打ち付けることだけは回避した。だが、したたかに背中を打ち付けて一気に肺が押し潰される。
 激しく咳き込むが、相手が上にのしかかってくる。
 恐怖に背筋が冷たく凍る。

 だが、相手が優位なのもここまでだった。
 身体の上が一気に軽くなる。
 下手人の身体がおなかから真横に折れ曲がるほどの衝撃で一気に吹っ飛ばされたのだ。
「あたしの前で若い女の子手篭めにしようたあ、いい度胸じゃない」
 ポキポキと指をならしている珊瑚(さんご)。
 こいつもいちご程ではないのだが格闘の心得が有る。

「こんな相手なら遠慮はいらないわね」
 珊瑚(さんご)は脱ぎ捨てるまでもなく手袋をしていなかった。「やる気」満々である。
 いちごは久しぶりに珊瑚(さんご)の仕事を目の前で見た。
 仰向けになったまま、地面からそのパノラマを観覧した。

 この状況では止めることも出来ない。
 確かに、「それを行なう」ことが今回の目標である。
 ということはこの状況は誰かに見られていることになる。
 それを考えるだけで悔しかった。

「…!?…うわ…うわあああっ!」
 これまで何度も観てきた光景が、ある種極限状態で暴力による威嚇を持って行なわれる最悪の例だった。
 ツナギの様な野暮ったい服装が見る見る内にゆるゆるになっていく。
 脚をバタバタさせて暴れるが、制圧するために上に乗っている…格闘技で言う「マウントポジション」という奴だ…三号の為にそれ以上抵抗できない。

 身体を少し動かすと電流が流れた様に痛みが走る。
 …こりゃ肋骨逝ったか?…この程度のタックルで不覚を取るとは情けない。
 男の頃だったらそもそもあの程度の体当たりで身体が浮き上がることは無い。元の一号位の体格だと特に肥満体でなくても100kgを軽く越えるのだ。ヘビー級プロレスラーなどはかなり痩せ型に見えるタイプでもが全員100kgを越える巨漢なのだ。周囲も軒並みでかいので目立たないだけである。

 蜂みたいに細い柳腰を無意識に少しずつ動かしながら身体が無事に動くかどうかを確かめている。
 …負傷しているのは間違いないが全く動けないほどではない。どうにかなりそうだ。
 と、目の前で暴れていた白いスニーカーがどす黒く染まっていくのが確認出来た。

 …やりやがった。
 実は意外なことにいちごは「スプラッター」などと呼ばれる映画が苦手だった。どうしてあんな気色の悪いものを好んで観る人間がいるのか全く理解できない。
 ちなみに事務員の水野&沢田二人組は若い女なのに…若い女だからというべきなのか…その手の映画が大好物でしょっちゅうその話題で盛り上がっている。
 ともかく、目の前で人間が異形の姿に変形していくのは気持ちが良いものではない。

 動きやすいスニーカーだったものは真っ黒になり、細く締め付けられ、先のとがった形になり、割り箸みたいな突起が飛び出す。
 …もう確認するまでも無い。それは黒光りする漆黒のハイヒールだった。
 とにかくすぐに起き上がって体制を整えなくてはならないのだが、思わず見とれてしまって身動きが取れない。

 照明は十分なのだが、組み敷かれている下の人間の着ている服にそれほど注目出来るものでもない。
 だが、何やら胸を締め付けられるような過剰にセクシーなフォルムがそこに出現していた。
 下になっている哀れな犠牲者の暴れ方が一層激しくなった。
 今自分の身に何が起こっているのかも丸っきり理解が出来ないだろう。

 犯人の「うー!うー!」といううめき声のみが響く中、わき腹の痛みをこらえながら立ち上がる。
 今度は周囲を慎重に見回してからくんずほぐれずしている二人に近づいていく。
 いちごが歩み寄る頃には「仕事」は既に最終段階に差し掛かっていた。
 完全に体型の出るハイレグのボンデージ衣装の足首と膝に何やら黒いひもが固く縛り付けてある。

 腕は背中側に回され、手首を縛り付けられている。
 更にご丁寧にもその手首と足首の結び目がある程度の距離を持ってこちらも結び付けられている。
 これでは地力で脱出することも、這って進むことすら出来まい。
「…いいようだな」
「ん?ああ、いちごちゃんね」
 夢中になっていてそばに来るまで気が付かなかったらしい。

 かなり暴れたらしく、長くなった髪はかなり乱れ、綺麗なお化粧も涙とよだれで流れまくっている。
 どこから持ち出してきたのか口もふさぐように何かが結び付けられている。
「…玄人はだしだな」
 精一杯の嫌味だった。

「見よう見まねだってば」
 軽く肩で息をしている珊瑚(さんご)。あられもない格好で「被害者」を横たえたまま立ち上がる。
 今もって何が起こっているのかも全く分かっていない犯人はますます手足をじたばたさせて暴れる。
 その都度手首や足首の緊縛が強く肌に食い込む。

 それが更にパニックを倍化させ、悪循環に落ち込んでいく。
「…大丈夫なのかこいつ?」
 いちごが一応不安を表明する。この極限状態で“どうにか”なってしまわれるのはまずい。
 猿轡(さるぐつわ)状態で嘔吐すると窒息してしまう事例がある。

「ま、大丈夫なんじゃないの?」
 余り興味が無さそうな珊瑚(さんご)。こいつの性格を考えるとそんなもんだろう。
 いちごはハンター組織特製の通信機に向かって喋る。
「もしもし、こちら一号」
『ボスだ』

「目標一名確保しました」
『うん。見せてもらった。怪我はどうだ』
「…少し痛みますね」
 組織で動くというのは根性論ではない。ここで無理に「大丈夫です」などと強がりを言って大失敗するようではプロ失格なのである。
 動けないのならそれを正直に言うしかない。

『100号に診察させる』
「生憎(あいにく)薄給でして」
 さり気なく嫌味を混ぜておく。ハンター100号は他人を治療できる超能力を持っているが、法外な治療費を請求するのだ。
 …非現実的な話であるが、元々触っただけで男を女にして女装までさせる能力などという物が流通している世界である。この程度は許してもらわないと。

『いや、もういい。退却しろ』
「…しかし目標は一人しか確保してません」
『もう一度正式に指令する。引き返してまずは報告しろ』
 …いちごは何か流れが変わったことを直感した。

 ついさっきまでは犯人の制圧が目的だった。いや、犯人を制圧させることによって成し遂げられる「何か」が目的だったのだ。
 だが、今のひと騒動で「目標」が達成されたか、その目標そのものに意味がなくなったということだ。
「了解。退避します」
『うむ』

「目標はどうしましょう?」
 いまだに唸りながら変わり果てた身体に巻きついた過剰にセクシーなボンデージ衣装と縄と格闘している犯人を見やるいちご。
『そのままで構わない。別の処理班を向かわせる』
「了解」
 いちごは通信機を切った。

「…だとよ」
 退避命令を珊瑚(さんご)に伝える。勿論、この間も周囲への注意は怠らない。
「あによそれ?そんな命令ってありなの?」
 いちごは軽く口の前に一瞬だけ人差し指を立てる。途端に珊瑚(さんご)の顔色が変わった。
 “聴かれているぞ”というサインである。腐ってもプロのエージェントである珊瑚(さんご)もそれを察知したらしい。

 当たり前の様に流してしまったが、ボスは通信が繋がった瞬間にこちらの怪我のことを心配してくれた。
 もしも本当に音声のみならばいちごがタックルをモロに喰らったことも分かる筈(はず)が無い。
 そもそもこの奇妙なミッションは「珊瑚(さんご)の能力を実戦で見せる」ことにある。モニターしていない訳が無いのだ。

 エレベーター内に戻った二人。
「これで終わりなの?」
「ボスがそう言ってるからには終わりだろ」
 “ボス”の響きを嫌味ったらしくしていちごが言う。
「あたしってまた緊縛されるのかしら?」
 …そういえばそれをまだ聴いてないな。
「もしもーし」
 壁のボタンから通信係をやらされている水野さんに呼びかける。

『はい、こちら水野』
「見てたか?」
 前提も何も無く本題に入るいちご。
「あーはいはい。見てたよ。大丈夫いちごちゃん?」
 だから“いちごちゃん”は止めろというのに…。
「100号の代金は組織持ちだそうだ。どうにかなる」
『あら、羨ましい』

「あたしがどうしたらいいのかだけ訊いて欲しいんだけどますみん?」
 珊瑚(さんご)が割り込んでくる。「ますみん」とは水野さんの愛称である。珊瑚(さんご)以外は使わないが。
 このエレベーター内は治外法権となり、オペレーターとなっている水野さんを通してしか外部とアクセス出来ない。
 誰にも聞かれない状況を用意することで緩衝材としているのだろう。
『特に訊いてないわね。ちょっと待ってくれる?』

 目の前でドアが開いた。
 着替えることを許されなかったいちごは、大きく切れ込みが入ったままで、黒いタイツの下の白い下着がちらちらと見える格好は流石にみっともない。
 “女装”というか「スカート」姿で他人の前に出るだけでも恥ずかしいのに、破れたスカートのまま引っ張り出されるとは何事か。
 そもそもわき腹がじわじわと痛む。治療すら受けていないのだ。
 そばには別スタッフに手錠を掛けられた珊瑚(さんご)が立ちすくんでいる。

 部屋の中にいたスタッフの多くが立ち上がって「英雄」二人を出迎える。拍手までは起こらなかったが。
 素早くボスがやってくる。
「ご苦労だった」
「…はい」

 いちごは一応答えはしたが、その表情はひどく不機嫌だった。それは付き合いの長いボスと珊瑚(さんご)にはそばにいるだけで感じ取れるほどである。
「もう行ってもいいですか?」
「すまんが、皆の前で軽く報告をして欲しい」
「…仕事なら何でもしますが、こちとらストリッパーじゃありません」

 破れ目のスカートから黒いストッキングの下の白い下着がちらちらと覗く格好はまるでフェチの記号を寄せ集めた様な格好である。
「せめて着替えさせてください」
 その時だった。
「いいから早くしろよー!」
 後方から野次が飛んだ。
 反射的にそちらに視線だけを走らせるいちご。
 そこにはさっきからいちごに暴言を浴びせ続け、ボスにもからんだ男がいた。

 そいつの下卑た表情を見て遂にいちごは確信した。

 …こりゃ…セクハラって奴だ。

 華代によって若い女にされてからというもの、そうした欲望の的にされる存在となっていることは薄々覚悟していたが、遂にその機会がやってきたのだ。
 背筋に寒気が走る。
 要するに報告の内容などどうでもいいのだ。若い女の熟れた肉体が破れて下着が覗いた様な格好で喋るのがみたいだけなのである。

「ねーぼす」
 やる気の無さそうな口調で珊瑚(さんご)が口を挟む。
「ん?」
「黙れ。貴様に発言権は無い」
 いちごが気丈に静止する。
「ひとつ質問だけさせてよ」
「…いいだろう」

「妙にタイミングのいい襲撃だったけど、あれって偶然じゃないよね?」
 珊瑚(さんご)の声が届いた範囲の関係者が固まった。
「…何だと?」
 ボスは黙っている。
「お前らが知る必要は無い」
 その答えでは肯定と変わらない。
「そうなのか?」
「何度も言わすな。報告だ」
 その答えと同時だった。

「おらおら〜!早くしろって言ってるだろ?」
 先ほどの若いエリートがやってきて、同時にいちごの下半身に手を伸ばそうとした。
 破れたスカートをめくり上げようとする動きだった。
「わゃぁっ!」
 反射的に腰を引いてスカートを押さえつけるいちご。
 関係者の誰もが初めて見るいちごの最も女らしいリアクションだった。
 次の瞬間に起こった出来事はこの場にいるたった一人以外は全く把握できない出来事だった。

 腹から二つに折れ曲がった状態で空中に吹き飛ばされたエリートが数メートルは後ろに転がる。
「…っ!?」
 何が起こったのかも分からなかった。
 だが、すぐにその状況は理解できた。
「うるせーんだこのどスケベが」
 珊瑚(さんご)が足を振り上げていた。
 棒立ちの状態から電光石火で衝き蹴りを放ったのである。

「てめえっ!」
 いちごが怒鳴った。
「あーごめんなさーい。あたしって自分以外が若い女の子にセクハラしてるの見るの大嫌いなの」
 自分はいいのかよ、とツッコミたくなるが、そんなことを言ってる場合ではない。
「自分基準じゃあもう堪忍袋の緒が切れてるんでね。好き勝手やらせてもらうよ」
 ボスが何か言おうとした瞬間、形だけの手錠をふっ飛ばして珊瑚(さんご)が飛び出した。

 止める間も無かった。というより、間違いなくこの場で最も俊敏で戦闘力の高いいちごが手負いの状態なので止める事が出来る人間がいないのだ。
 自分で蹴り飛ばしたエリートに駆け寄る珊瑚(さんご)。
 襟首を掴んで無理矢理に立たせる。
「き、貴様あ!」
 顔を真っ赤にして怒っているエリート。
「よくもうちのマスコットに“おいた”しようとしてくれたわねぇ」
 台詞を見ると怒っているが、明らかに楽しそうな表情と口調の珊瑚(さんご)。

「全く同じ目を見せてあげるから楽しみなさい」
 愉悦に歪む珊瑚(さんご)の表情。
 何故かむき出しになっていたその手でエリートの顔部分に「ぽん」と触る。
 その瞬間、エリートの髪の毛が凄い勢いでぶわあ!と伸びる。
 周囲の人間がどよめいて後ずさる。
「うわあっ!?」
 二度も目の前で見ている現象であるが、いざ自分に降りかかってくるとなると話は別だ。

「おらおらっ!ぼんきゅっぼんだ!」
 周囲を敵に囲まれている状況であることもあって、ここは被害者の一部ずつを変えていく“楽しみ”を味わっている暇は無い。
 その言葉の通り、哀れエリートはその仕立ての良さそうなイタリアンスーツの下の肉体を肉付きのいいダイナマイトバディの女性のものに替えられてしまっていた。
「お、おいっ!」
 ここに至ってやっとハンターの関係者が飛んでくる。一応ガードマンの仕事である。
「寄るんじゃないよ!」

 珊瑚(さんご)が威嚇する。
 関係者だけに何が起こるのか熟知している。足が止まってしまった。事情を知らなければ突っ込んで行って犠牲者となっただろう。
「お、おい!お前ら助けねえか!」
 口汚く喚(わめ)くエリートの声は甲高い金切り声になっていた。
「ふん、とんだヒステリー女だこと」
 こういう時にいびらせれば珊瑚(さんご)は天才的である。

 珊瑚(さんご)の仕事は素早く、次の瞬間にはイタリアンスーツはミニスカートのスーツとなり、大きく露出させられた脚線美には艶(なまめ)かしい黒タイツが被せられる。
 それは今のいちごと同じスタイルだった。
「…っ!?」
「どーよ自ら女になってセクシーな格好した感想は?」
「な、何だとぉ?」
「あんたがたの陰謀には反吐(へど)が出るわ。いつもはこんな過激なことまでやんないけど今日は容赦しないよ」

 珊瑚(さんご)にしては長めの口上を並べた後、いきなり大胆すぎる行動に出た。
「三号!」
 ボスの声にも耳を貸さずに、珊瑚(さんご)は美女の姿に変わり果てた哀れなエリート氏のミニスカートをびりびりと破り始めたのだ。
 絹を裂くような悲鳴が上がる。
 それは先ほどまで強がっていたエリート氏の男としてのプライドが崩れ落ちる声でもあった。
 その姿は動きやすくスカートに切れ目をいれたいちごと同じ格好であった。

「いい男がスカート破られた程度できゃーきゃー言ってんじゃねーよ!」
 いや、いい男でもそんな無茶苦茶な状況じゃあ悲鳴の一つも上げると思うぞ。
 そして、つい先ほどいちごが受けるはずだった“被害”をこのエリートは自ら受けることとなった。
 下着が完全に見える状態まで引き裂かれたスカートを珊瑚(さんご)が思いっきりめくったのだ!
「きゃああっ!!」
 その細い身体をくねらせ、黒いストッキングの下に浮かび上がる純白の下着を必死に隠そうとして押さえつける元・エリート氏。

 こんな光景を見せ付けられた周囲の連中もなんだか股間を押さえている。“被害”に遭っているのは、ついさっきまで男だった存在であると分かっていてもそのセクシー過ぎる肢体は男性を反応させてしまうものなのである。
 バランスを崩して倒れこんだところに更に追い討ちを掛ける珊瑚(さんご)。
「ふん、どうせいつも職場のOLにこーゆーことしてんでしょーが!」
 勝手にヒドイ偏見で決め付けると、手馴れた手つきで一瞬にしてエリート氏の胸を鷲掴みにし、お尻をつるっ!となで上げる。
「ああっ!」
 身体をくねらせ、一瞬の快楽に身を任せてしまうエリート氏。
 一瞬にして絶頂に達したのか、その場に「くたっ」と倒れこんでしまう。

「三号…貴様ぁ…」
 時間が経つに従って痛みが増してくる。いちごはもう立っているのも辛かった。
 珊瑚(さんご)はそんな声も耳に入っていない。入っていても無視しただろうが。
 この部屋にいる人間は目の前で行われた「蛮行」に恐れをなし、たった一人を残して部屋の墨に固まっている。
「確かリクエストってこれだったよねえ」
 悪魔のような笑みを浮かべる珊瑚(さんご)。

 いざという時の為に簡単には開かないように施錠されていたのがまずかった。部屋の隅に逃げ込んだまでは良かったが、脱出する事の出来ない袋小路にはまり込んでしまったのだ。
「う、うわあああっ!」
 恐れをなした一人がなるべく珊瑚(さんご)から遠いコースを通り、走って逃走を試みる。
「甘いっての!」

 直接の接触が僅かでもありさえすればいい珊瑚(さんご)にとって、逃げる相手を毒牙に掛けるのは訳の無いことだった。
 一瞬だけとはいえタッチされた相手は、走っていた勢いが見る見る衰えていく。身体の違和感によるものであろうか。
 背中側から見て、凄い勢いで黒髪が伸びていき、全身の露出度が上がっていく。
 そして足首が折れ曲がる様にくじけ、その場で倒れこんでしまう。
 その姿はSMクラブの女王様そのものだった。
 普通に立っているだけでも「爪先立ち」みたいなハイヒールに慣れずに転んでしまったのは明らかだった。

 部屋内はパニックに陥った。
「女にされる!」
 その恐怖が蔓延して押し合いへし合いになるものの、どこにも逃げ場が無い。
 ロクな戦闘経験も無いもやしみたいなエリート集団なんぞ、珊瑚(さんご)にとっては赤ん坊も同然である。

 最初の一人こそ果敢に掴みかかってきたものの、真っ赤なエナメルのボンデージ姿へと変えられ、網タイツをざらっ!となでられただけで緊張の糸が切れてその場にへたりこんでしまった。
 一分も経つ頃には、イタリアンスーツで決めていたエリート集団は、食い込みの激しい露出度の高いセクシーな衣装に、濃い化粧で着飾った“女王様”の集団へと変貌を遂げていた。

 あちこちで「お、お前…その格好…」「お前こそ…」みたいな会話と共に顔を見合わせて頬を染めているコンビがいた…ということはなく、ひたすら動揺している「にわか女」だらけとなった。
 言うまでも無く会合は滅茶苦茶になってしまった。
 みんな報告どころではなく、自らの変わり果てた姿に我を失ったりこの不始末に怒って怒鳴り散らしている女王様ばかりとなっていた。

 珊瑚(さんご)は、覚悟を決めたガードマンが女王様スタイルになることも厭わずに制圧することで、遂に捕獲することに成功した。
 今度は象が暴れても壊れない手錠を嵌められ、車椅子に拘束される。
 からからと運ばれていく珊瑚(さんご)。
 この不始末にどの様な責任を負わされるのかは分からないが、再び何時(いつ)果てるとも無い拘置・軟禁状態に置かれるであろうことは間違いなかった。

 この惨事を止めることが出来なかったいちごの目の前を通りかかる、車椅子に縛り付けられている珊瑚(さんご)。
 いちごは物も言わずにいきなり珊瑚(さんご)の頬を張り飛ばした。
 強烈な音が室内にこだまする。
「…この馬鹿が…」
 心なしか涙目になっているいちご。

「…心外ね。助けてあげたのに」
 赤く頬を晴らして嘯(うそぶ)く珊瑚(さんご)。
「大きなお世話だ」
 尚も腕を振り上げようとするいちご。
「その辺にしたまえ」
 ふと視線をそちらに向けると、そこには清楚な看護婦がいた。
 一番最初に関係者で性転換された名無しの権兵衛氏である。
「…はい」

「彼女の気持ちも分かる。方法はともかく酌んでやりたまえ」
 若い女の声に似合わないことこの上ない威厳に満ちた口調だった。
「しかし…」
「名無しの権兵衛さん?」
 珊瑚(さんご)が尚も図々しく話しかける。
「それならあたしを情状酌量して頂けます?」
 こいつの強心臓と面の皮の厚さにはもう関心しない。既に感動する域である。

「…努力しよう」
 どんな権力者でもそれは難しそうだった。だが、それでも否定的なことを言わない看護婦。
「あんまりこいつと親しく話してるのはまずい。行くぞ」
 そこには難を逃れたボスがいた。
「名無しの権兵衛さん。最後に一つだけ」
「…何かね」

「どうして看護婦になりたかったの?」
 看護婦は少し考えていた。
「それは彼女に話しておこう」
 ここでいう「彼女」とはいちごのことである。
「後で聞いてくれたまえ」
 珊瑚(さんご)の返事を聞くことは出来なかった。すぐに連れ出されたからである。

 その後の後始末は大変だった。

 何しろハンター組織は「珊瑚被害」にある程度耐性がついていたのだが、ここに集まっていた面々にはそんな知識も経験も無いのだ。
 それがいきなり女の身体にされた上に、生粋の女性でも一生着る事もなさそうなエナメルハイレグボンデージに網タイツとハイヒールの「女王様」スタイルにされてしまったのである。

 「その様な能力が存在する」ことを事前に知らされていた会合ではあったものの、自ら体験することを希望していた者などそうはいない。
 素早く着替えを済ませたいちごやボスたちは「ちゃんと戻れるんだろうな!」と詰め寄る厚化粧の女の集団(勿論全員元男)に囲まれることになった。

 ハンター組織に常備してある適当なジャージの数なんぞ全く足らず、仕方が無く非番のハンターまで呼び出されて適当な店で誰でも着られそうな服を買い集める羽目になった。
 それだけではなく、下着も買う必要があった。
 何しろ着せられているのが水着や下着も同然の女王様スタイルである。
 脱いでしまうと全裸になってしまうので、下着から一から準備しなくてはならないのだ。

 色々と問題もあったが、何しろ人手が足りないので、どう考えても「接客業」には向いていなさそうなハンター連中も借り出された。居候とか。
 被害者の身体は女性なのだが、中身が男なのでとりあえず応対するのが女には限らないことにした。はっきり言ってウチの組織は「華代被害者」ばかりなので、要は「元・男」の女が非常に多いのだが。

 この「着替えさせる」というのも大いに苦労した。
 元・男が女王様スタイルにされ、肉体まで女にされている状態で「男にそれを脱がされて、一時的とは言え全裸に近い女の柔肌を曝(さら)す」というのは余りにも過酷な運命である。
 中には只管(ひたすら)照れて小さくなっている者もいたし、何をときめいているのか頬を紅く染めてうつむいているのもいたりする。可愛い。

 結局ジャージとか適当な服に着替えることが出来たのは半数に留まった。
 余りにもびっちり肉体に張り付いた服である為に脱がすことも容易ではない。これが看護婦スタイルみたいなのだったら、白衣を着替える程度で構わないだろう。何もブラジャーからパンティまで脱いで全裸になる必要は全く無いだろう。
 ところが網タイツにハイレグボンデージの女王様スタイルではいざ着替えようと思ったら全裸に近くなる必要がある。

 半数はそれでも全て脱いで着替えた。あちこちで洗面所に連れて行かれて今メイク落としの真っ最中である。普通の男は油性の化粧品でも水で洗えば全部落ちると思ってるから指導がいるのだ。
 残りの更に半分はボンデージの上からジャージのズボンを履き、上着を羽織る様な形である。
 形態が下着同然なのでこれも現実的な対応と言えるだろう。

 それにしてもジャージを脱いだらそこに網タイツにエナメルハイレグの女王様スタイルが出現するというのはかなり刺激的な光景である。
 更に残りの数人はそのまんまを選んだ。
 ただ、露出度が高いので結構寒い。マント状になる大きなタオルなどを羽織っている。
 そしてほぼ全員が割り箸みたいなピンヒールは脱いで、スリッパやサンダル、運動靴みたいなのに履き替えている。

 女王様スタイルにスリッパや運動靴というのも恐ろしく釣り合わなくて味がある。
 中には「妙な汗をかくのが嫌だから」などと言って網タイツの上に靴下を履いて、更に運動靴を履いているというおっさん臭いセンスの女王様もいる。…まあ、実際に元はおっさんなのだろう。

 ある意味での救い(?)はこの手の衣装に非常に近い関係にある「バニーガール」では無かった事だろうか。
 バニーはお尻に付いているしっぽなどでも分かる通り、実は非常に男性に“媚び”た可愛らしいデザインなのである。
 その意味で女王様は受身ではなく攻め…というか責め…の姿勢が見える攻撃的な風情を漂わせる衣装なので、ギリギリ男性にも合う…訳は無いが少しはマシだった。
 ま、全身を複雑骨折したが、一箇所だけ単純骨折でしたと言われている程度の「マシ」であるが。

.
「どうだ?」
 ここはボスの控え室である。
 どうにかこうにか全員に納得してもらい、そのまま帰ってもらった。
 多くの参加者は妻子持ちであり、とてもではないがそのまま帰れないのでハンターが宿泊代を支払って近所のビジネスホテルに送迎する羽目になった。
 一応宿泊施設もあるので、希望者はそこに収容している。

 いちごが部屋に入ってきたところだ。
 勿論男心をそそる黒光りするストッキングに破れたミニスカートなんぞさっさと脱ぎ捨てていつもの白いシャツにジーンズというラフな格好である。
「まあ、どうにかなったと思いますよ」
 微妙に投げやりないちご。

 と、ボス室の異変に気が付いた。
 若い女性がいるのである。
 どこから調達したのか無骨な革ジャンを羽織っているが、その下は清純な看護婦の白衣である。
 名無しの権兵衛氏の変わり果てた姿であった。

「あ…どうも」
 ぞんざいな挨拶をするいちご。
 彼(女)の中ではこの名無しの権兵衛氏の印象は決して良くない。
 どこの“大物”だか知らないが、望んで若い娘になりがたる…しかも衆人環視の中で…というのは神経を疑う。
「おい…恩人にその態度は無いだろう」
 ボスがいつになく語調を強めて言った。

「まあいいから」
 革ジャン姿の看護婦がなだめる。
「恩人ですか?」
 ボスがため息をついた。
「あの大騒動の責任を誰が取らされると思ってんだ」
「はあ…」
 生憎(あいにく)だが下っ端のエージェントでしかないいちごには今更失うものなどありはしない。そもそも「ハンター」の素質ってのは生まれつきだからクビになんぞ出来ないのだ。

「この方が尽力してくれたから全てがうやむやになったんだ」
「まさかウチの組織が解体になるとでも?」
「その可能性もあった」
 一瞬沈黙がある。
「バカな!」
「本当の話だ」
「官僚ってのはそこまでバカ揃いですか。今度赤門をバカ門に改称しといてくださいよ」

「出来たらそうしたいね」
 ボスのジョークにも切れ味が無い。
「で?何ですか?とりあえず今日はゆっくりしたいんですが」
「彼氏とデートかね?」
 似合わない声で看護婦が面白そうに言う。
 いちごは反射的にカチンと来た。

 …危ういところで瞬間的に沸騰しそうになった怒りを静める。
 いちごは意識がどうしても男のままなので、今でも反射的に男トイレに入ろうとしたり一応かしこまった席でも普通に男言葉を使ったりしてしまう。これはもう仕方が無いだろう。
 そうか…そりゃ客観的に見ればこちとら小娘だからそんな言葉も出るんだな…と思いなおす。
「…違います」
 そのあたりの事情を熟知しているボスが一瞬不安そうな表情を浮かべるも、どうにか理性を働かせたことを察して安堵する。

「とりあえず約束があるのでね」
「約束…ですか?」
 特に意識して覚えていない。

「恐らく君も忘れているだろうとは思ったが、誤解を解いておきたくてね」
 相変わらず渋い口調である。格好いいな。看護婦姿で無ければ。
「はあ…先にこちらからいいですかね?」
 本来のいちごのペースが戻ってきた。
「何だ?」
 これはボス。

「軽く質問ですよ。今回の件は幾らなんでも秘密が多すぎる」
「内容に拠るな」
「それじゃあ話になりませんな」
「見合い相手なら世話するぞ」
 その瞬間、空気にヒビが入るかの様な殺気が充満した。
「おい…言葉選べよ三下」
 睨んだだけで人が殺せそうな殺気だった。

「…すまん」
 流石に気圧されたのかすぐに撤回するボス。
 男同士であった頃を知る二人にとっては「今いちごが小娘になってしまっている」ことには触れないのが暗黙の了解だった。
「まあまあ、ここは収めて」
 たまらず立ち上がる革ジャンを羽織った看護婦。
 白いストッキングに包まれた細い脚が清楚でいながら艶(なまめ)かしい。

 構わず看護婦を睨みつけるいちご。
「質問をしたいのだろ?答えられる範囲で答えるから」
「じゃあ単刀直入に訊くぜ」
 もう男言葉を隠そうともしないいちご。

「あんた誰だ?」
「おいっ!」
 真剣にいちごを見つめてくる看護婦。
 変身前がどうだったかは忘れたが、今はとても凛々しく若い女性の姿だ。こんな娘になら看護されてみたいと思わせる。
「…それは言えん」

「じゃあここで消えてしまってもどうということは無いですな」
「…そうはいかない」
「話にならねえな」
 踵を返して引き返すいちご。
「おいっ!一号!まだ話は終わってないぞ!」

「じじいの変態道楽に付き合う義理はねえな」
「おい!」
 ボスの怒鳴り声と部屋のインターホンが鳴るのが同時だった。
 仕方なく受話器を取るボス。
「ああ、俺だ。…今取り込み中だ。ああ」
 何の要件なのか分からないがすぐに受話器を置くボス。

 丁度インターホンが冷や水を浴びせた形になった。
「じゃあ独り言いいなよ。こっちは聞いてやるから」
 変わらず投げやりにいちごは言った。
「…いや、大した話じゃない」
 看護婦が語り始めた。

 .
「よお姉さん」
 馴れ馴れしい声がした。
「…」
 そこは「場末」と呼ぶのが相応(ふさわ)しい格子の嵌(はま)った小屋だった。
「ちょっと待ったり〜な。今解放してやるで」
 このおかしなイントネーションの男はハンター21号である。
 彼は、先ほど大暴れした珊瑚(さんご)がより厳重な監禁房に移される直前に、とりあえず放り込んでおかれた拘置施設へとやってきたのだ。

「凄い格好やな姉さん。若いお嬢がえらいこっちゃで」
 21号がそう言うのも無理は無い。
 何しろ迂闊(うかつ)に触れないので、拘束具に猿轡(さるぐつわ)までされた状態で床に転がされているのである。

「ま、しゃーないわな。聞いたで。居並ぶVIP全員ハイレグ網タイツの女王様にしてもーたらしいやないか。やりすぎやでホンマ」
 そこまで言ったところで牢の鍵を開けてズカズカ入って来る21号。
「…驚いた顔やな」
 ナイフを取り出す21号。
 珊瑚(さんご)の目が見開かれた。

「心配いらんって」
 ミノムシみたいにされた珊瑚(さんご)はその場から動くことも出来ない。
 21号は慣れた手つきで顔の後ろにナイフを走らせ、口の拘束具を切り落とした。これで喋ることが出来る。
「どや?しゃべれるやろ?」
「…何が狙い?」
 珊瑚(さんご)の第一声がこれだった。

「つれないお方やなあ。もうちょっと色気のあること言ってもらわんと」
「あんた関西人じゃないでしょ」
 ズバリと本質を衝いた一言だった。
 21号が頭をぽりぽり掻く。
「かなんなー姉さん」
「“姉さん”やめな。そんな不細工な弟持った覚えは無いんでね」
 ミノムシみたいな格好で転がされていながら悪態は相変わらずである。

 決して堂々としていられる境遇でも無かろうにどっしりと腰を下す21号。
「まあ、その位で勘弁しといてんか。それよりええ話おまんねん」
「標準語話せるんでしょ?普通に喋ってくれる?」
「絡みまんな。そないに気になりまっか?」
「なるね。あたしゃエセ関西弁が大嫌いでさ」
 しばし沈黙が訪れた。

「そないな態度でええんでっか?この場はワイの方が主導権握ってると思うねんけど?」
 確かにそうだ。
 方や全身をぐるぐる巻きにされて床に転がされ、自由に喋ることだけが出来る女で、方や全身自由なのは勿論手には刃物を持っている。
 状況だけ見れば3号こと珊瑚(さんご)が勝っているところは何も無い。
「あによ?あんたの機嫌そこねたら三枚に下すっての?やれば?」
「…」
 21号には悪いが完全に貫目負けだった。

「ワイは野蛮なことは苦手でんねん。それより話を聞いてんか?」
「あんた耳掃除好き?」
「…?何の話やねん」
「しょっちゅう耳掃除はするのかしら」
「まあ、人並みやな」
「前にやったのは何時(いつ)?」
「そんなん覚えてへんわ。思い出した時にやる位やわ。なあ姉さん今そないに大事なことでっか?」
「大事だね」

「何でやねん。耳掃除なんてどうでもええやろ」
「あんたには必要だからよ」
「意味がわからへん」
「耳クソ詰まった豚には何度エセ関西弁やめろって言っても聞こえてないみたいだからさあ」
「…なんやとゴルァ…」
 空気が張り詰めた。

 だが、珊瑚(さんご)も一歩も引かない。
「…あんた、見かけない顔だね。本当にウチにいたの?」
「ワイは21号や。姉さんにはまだ挨拶しとらんかったかな」
「ま、いい加減な組織だからねえ。あたしだって全員把握してる訳じゃないけどさ」
「でっしゃろ?人の入れ替わりも激しい組織なんやし、今も毎日の様に増え続けとる。姉さんみたいな古参が分からんでも無理ないで」
「“古参”余計だよ」

「で?何の様?異性体験キャンペーンなら開店休業中でね。本家の小娘あたって頂戴」
 ここで珊瑚(さんご)の言う“本家の小娘”とは真城華代を指す。
 珊瑚(さんご)の今の能力は彼女によって授けられてしまった“体質”であるからだ。
「遠慮しときますわ。姉さんに変えてもらったんならともかく、嬢ちゃん相手じゃあ戻れなくなりそうや」

「で?何の用よ?」
「そこや姉さん。交換条件と行きまひょ」
「はぁ?あんた今のあたしの立場分かってんの?」
「そら知ってま。軟禁超えて監禁状態の組織内のお尋ね者や」

「あんたに提供できるネタがあるとは思えないんだけど?」
「そんなことあらしまへんで。そないに自分を卑下したらあきません」
「別に卑下してないけどさ」
 少し考え込んでいる21号。
「姉さんみたいな人には回りくどい言い方はやめまひょ。単刀直入に言わせて貰うわ」

「愛の告白なら間に合ってるから」
 珊瑚(さんご)の体質では間に合っているはずも無いが、精一杯の悪態である。
「ま、ある意味それ以上やな」
 不適な笑みを浮かべる21号。

「あによ?あんたがアタシの給料倍にしてくれるっての?」
「ご希望とあらばやな」
「つまんない冗談だね」
「二倍で不満なんやったら三倍、四倍でもええで」
 しばし沈黙。
「…そろそろ真面目な話してもらえるかな」
「大真面目や。つまりヘッドハンティングやな」
 珊瑚(さんご)の顔つきが変わった。
「…あんた何者?」
「姉さんの推測当たりや。ワイは「ハンター」の人間やおへんねん」
 面白そうにニヤつく21号。

 .
 その時、ドアをノックする音がした。
「入れ」
 何故かボスが促す。さっきのインターホンはすげなく断ったのにこの扱いの差は何だろう。
「はい」
 ドアが開き、涼やかな二枚目が入ってくる。
 二十九号だった。

「…あの…」
 先客が二名もいたことに戸惑っている二十九号。
「構わん。言え」
「はい。今回の被害者は47名。全員をウォッチしています。既に戻った方が2名いらっしゃいます。ウチ20名が当組織備え付けのジャージ及び下着類に着替えて宿泊されています。残り15名がそのまま脱ぐことなく上から羽織っただけに近い状態で宿泊、残り10名が近所のビジネスホテルに宿泊されてます。着替えがどうなったかは現時点で不明。報告待ちです」
 立て板に水の様だった。

「…一応何とかなったか…」
「現在戻った2名をハンター科学班が事情聴取を申し込んでいるんですが余り上手く行ってはいません」
「怒ってるか?」
「…かなり」
 ま、そりゃ怒るだろうな。
 いつものラフなスタイルのいちごが29号を見やる。
 真面目な性格らしく、ビジネスマンみたいなスーツ姿である。運動部の女子大生マネージャーみたいないちごとは正に好対照だ。

 ふ〜ん、こいつもう元に戻ったんだ、といちごは思った。
 先ほど行なわれていた説明会でバニーガール姿の女に変えられるところを満座に公開されてしまっている。べつにいちごがVTRを作成した訳では無いが、何だか申し訳ない気がした。
「君はもしかして気丈な彼女を取り押さえようと奮戦していた勇敢な職員ではないかね」
 看護婦が何の遠慮も無く声を掛けやがった。

「…ボス、この方は…?」
「おいおっさん!」
 ボスは29号に目で合図した。「配慮しろ」というのは29号くらい人間の心の機微が分かるとこれでも通じるのだ。
「あ、いや僕は構わないよ一号」
 手で制止する29号。

「はい。確かに私です。ついでに言えばバニーガールになったのも私です」
 “この間風邪引いてました”位の軽いノリで成人男性としては大問題を口にする29号。
「そうかね…大変だったな」
 まさか激昂するとは思わなかったが、ここまで冷静に返されるとは思っていなかった看護婦姿の名無しの権兵衛氏は少し面食らった様だ。
「もう慣れました」

「これまで何回やられた?」
「ボス!こんなのあんまりです!」
 29号本人に言っても埒が明かないのでボスの方に助けを求める。これでは29号が可哀想ではないか。
「一号、僕なら大丈夫だって」
「うるさい!もうお前は喋る必要は無い!それ以上言うな!」

 しばらく29号は黙っていた。
「一号、僕は別に構わないよ。仕事だし」
「あれが“仕事”か?」
 「あれ」というのは言うまでも無く女の身体にされた上に恥ずかしい格好に女装させられ、更にくすぐられたりすることのことである。

「ああ。仕事だ」
「笑えねえサービス残業だな。戻るまでの時間請求したか?」
「…しない」
「それみろ」
「じゃあ君は今頃大金持ちだな」
「…貴様」
 分かる人間が聞けば分かる。それはいちごが既に何らかの原因で性転換させられた存在であることを示している

「君がプロなら僕も負けない程度にはプロさ。…いいかな?」
 口調は静かなままだが、気迫の感じられる断言だった。
「…勝手にしろ」
 部屋には沈黙が訪れた。
「やれやれ。えらいことになってしまったな」
 看護婦が嘆息した。だが、表情は柔和である。

「じじい。てめえは黙ってろ」
 もういちごを誰にも止められない。
 ボスが頭を抱えている。
 だが、看護婦は余裕である。生意気な小娘を悠々と見下ろしている“大物”という風情だ。
「4回です」
「そうか」
「最初の一回目はセーラー服でした」
 いちごが舌打ちした。

「この頃の短いスカートではなくて膝下まである落ち着いたデザインでしたよ。白い三本ラインに真っ赤なスカーフでした」
 立て板に水である。
「…そうか」
 流石の看護婦姿の名無しの権兵衛氏も少し気圧されている雰囲気だ。
「どうだったかね?」
「“どうだった”とは?」
「いやその…感想の一つもあるだろう」
「別に…」
 クールな奴である。
 実はその時の写真は残っていて、いちごも見たことがある。
 取り乱すことが多い「初の珊瑚(さんご)被害直後」にあってとても落ち着いた風情だった。本物の女子中学生であると言われれば信じてしまうほどだった。真っ黒な長い髪が腰まで伸びていた。
 「堂に入った美少女ぶり」とはこのことか。

「次はOLの姿でした。ピンク色でした」
「ほう…その時の写真は」
「ありますが今ここにはありません。取り寄せますか?」
 何ともシュールな会話である。ここだけ切り取ったのでは何のことやら分からないだろう。

「あ、いやそれには及ばない」
「そうですか。三回目はアイドル風のドレスでした」
 それはいちごも見たことがある。80年代のアイドルみたいな少女趣味満開のフリフリドレスである。

「変遷の意味は分かるかね」
「『変遷』ですか」
「ああ。女学生、事務員、タレント…ホステス」
 言い方がいちいち古臭い。
 「女学生」というのは女子高生の制服のことだろう。「事務員」というのがOLのことだろう。「タレント」ってのは…この言葉も久しぶりに聞いた…。アイドル風ドレスのことだ。

 そして「ホステス」ってのがバニーガールのことだな。そういえばこの爺さん…今はうら若き可憐な看護婦だが…はさっきもバニーのことを「ホステス」と言っていた。
「そうですねえ…」

「彼女…ハンター三号ですね…は最初の頃は間違いなく自暴自棄でした。また、…こういう言い方は本人に失礼に当たるとは思うのですが…豪放磊落な性格ですので他人の迷惑を顧みないところがあります」
 慎重に言葉を選んで話す29号。
 いちごとしてはその分析に大いに同意するものである。

「ですので自らの身体の特性に気付いた瞬間に、周囲の人間を実験台にすることになりました」
「ちょっと待った」
 看護婦が制止した。

「彼女の能力は生まれつきのものではないのかね?君の話を聞いているとある日突然他人を性転換させる能力が身に付いた様に聞こえるが」
 しまった!
 いちごは心の中で舌打ちをした。
 素早くボスが29号に目で合図をする。

 小さく目で頷く29号。
 これを看護婦に気付かれたかどうか分からない。
「そうです。謎の現象でした」
 29号がいけしゃあしゃあと抜かす。この程度の心臓が無ければハンターはやっていられない。

「信じられない話ですが、信じるしかありません。そうでしょ?」
 看護婦姿で畳み掛けられれば反論の仕様も無い。自分自身が経験者である。そもそも数十人を自由自在に変えて見せたところを目撃している。
「話を続けます」

「彼女はある日から突如あの能力を得たんです。ここまではいいですね」
「…ああ」
「最初の夜は流石の当組織もパニックになったんですが、数日もすれば三号の能力が時限式であることは分かります。ところが三号は『どうせ戻れる』ということに味をしめてしまい、悪戯(いたずら)半分で同僚を性転換とそして女装させることに快感を覚え始めたんです」
 それはその通りである。
 ここのボスまで含めて男性職員の大半は犠牲になっている。

「女性が男装するのと男性が女装するのでは意味が違いますからね。生憎(あいにく)心理学は管轄外なので分かりませんが」
「ごもっともだ」
 看護婦が言えば説得力満点…と言いたいところだが半ば望んで若い小娘となり、ナースコスプレをしているじじいの言う事だ。何とも判断が難しい。
「ある段階から三号の他人を変身させる能力の使い方が進化を遂げます」

「“進化”?」
「ええ。「進化」です」
「最初は無我夢中だったので変化もランダム(無作為)で規則性の無いものでしたが、変身後の姿も恣意的に操る事が出来、一切の制限が無いことが分かってからです」
「どういうことかね」
「一号がミーティングをやったそうなので、そこで説明されたかも知れませんが、既に目的が“男性に屈辱を与える”ことにシフトしていますので、それに相応しくない服装を避ける様になるんです」

「そこまで考えていたのかね」
「間違いなくそうでしょう。私が最初に変えられたのは膝下まであるスカートのセーラー服だったのですがこの形ですと非常にスカートがめくりやすいんです」
 まるで化学実験の結果のデータを読み上げる様に淡々と話す29号。
「…なるほど」
「当然私もめくられました。一瞬でしたが」
 いちごは思わず想像してしまった。…あの美少女ぶりではさぞ映えたに違いない。

「何故一瞬なのかね」
「その時は大勢の中の一人でしたので、次の犠牲者を狩りに走っていきました」
 目に浮かびそうである。
「…その後君はどうしたのかね」
 そういえばあの最初の夜のことはいちごも聞いていない。
 もう恒久的に女になってしまっているいちごとしては“犠牲”になることもないのでそれほど興味も無かったのだが。

「…困りましたね」
「冷静だな」
「変わってしまったものは仕方がありません。喚(わめ)いても現状は変わりませんので」
 確かに冷静だ。この時は時間が経てば戻れるなんて分かっていない頃である。大した心臓だ。
「話を戻しますね」

「二回目はOLの制服でした。ウチの事務員も着ているものですね。ウチはブルーですが私が着たのはピンク色でした」
 いかにも真面目そうなスーツ姿の男が淡々と言うんだからシュールである。
「どうもこれが彼女…三号にとっては失敗だったみたいです」
「失敗…かね」
「はい」

「あのスタイルですとスカートがめくれませんから」
 …確かに。
「ま、お尻はなでられました。女性同士ですがセクハラですね」
 聞いているこっちまで複雑な気分になってくる言いようだな、といちごは思った。29号には案外そういう文才があるのかもしれん。

「ただ、三号はその程度では満足出来なかったみたいです。この次に着せられたのが古風なアイドルみたいなふりふりドレスですと最初から半ばめくれ上がっているようなものですから、簡単にスカートをめくれます」
「めくられたのかね?」
「回数は忘れましたが」
 不毛な議論だ。

「この次がバニー・ガールのスタイルで、この状態ですとただ着ているだけでかなり恥ずかしいです」
「だろうな」
「お試しになりますか?すぐに調達出来ますが」
「…遠慮しておく」
「まあ、そうおっしゃらず。今のあなたならさぞお似合いでしょう」
「…」
 有効な反撃だったらしく、流石に言葉に詰まる看護婦。

「で、報告は以上か」
 これはボス。
「報告は以上ですがお耳に入れたいことがあります」
「何だ?知っての通り三号は収監されたぞ」
「いや、それとは違いますが…」
 29号は人目を気にしている様だった。
「後にした方がよくないか」
「いえ、秘密にする様なことでもありませんので」

「何か」
「私、ハンター29号はこの度真城華代無力化ミッションに志願したいと思います」
 一瞬部屋に沈黙が訪れた。
「馬鹿な!何を言ってる!」
 いちごが立ち上がって怒鳴った。

「黙れ。貴様に権限は無い」
「しかし!こいつは自棄糞(やけくそ)になってますよ!」
「どうなんだ29号?」
「そんなことはありません」
「だそうだ」
「本人に聞けばそりゃそう言うでしょうよ!」
「一号、気持ちは分かるが君が僕を止める根拠は無いよ」

「何の話かね」
 …ていうか完全に外部の人間に聞かれてるじゃねえか。といちごは心の中で毒づいた。相変わらず適当な組織だ。
「いえ、こちらの話ですよ」

「では、早々に始めますので」
「そうか…」
 二十九号の言葉には淀みが無かった。
 いちごは腕組みしてその場に座り込んだ。
「無茶だ…」
「君ほどじゃないが知ってるよ」
 そう言って二十九号は出口に向かった。

 .
 珊瑚(さんご)は自らの手首をまじまじと見た。
 跡はついていないらしい。
「どないでっか?自由の身になった感想は」
「良くないね」
「そうでっか」
「悪いけどあんた信用なら無いから」

 こちらも単刀直入だった。
「そうでっか?悪い話や無いと思うねんけど」
「大体ウチの組織の内情を知って、しかもあたしみたいなのを引き抜くのなんのって…そんな漫画みたいな話があるとは思えないんだけど」
 客観的に考えればそうとしか言い様が無い。

 頭をぽりぽり書いている21号。
「ま、普通に考えればそやろな。しかし、あんたいつまでもこの組織におっても先はないで」
 少し考える珊瑚(さんご)。
 確かにそうなのである。タダでさえ普段から問題行動ばかり起こしているところに持ってきて、少しはポイントが稼げたかも知れないあの場面で前代未聞の大騒動だ。
 まさか消されはしないだろうが、この軟禁生活は当分続くのは間違いないだろう。

「考えてもらえましたやろか」
「あ、あんたの言う事も一理あるけど…」
「けど?」
「だからオタクの組織に行ったから左団扇で過ごせるとも思えないんだけど」
 今度は二十一号が黙る。

「ごもっともな話や…じゃあこういうのでどうやろ?とりあえずワイがここからあんたを解放しまっさ。あんたは自由な生活を満喫しとったらええ」
「…」
「その生活に飽きたんなら、ウチの組織に入って貰えばええ。どうやろ?」
「生活力は無い方なんでね。ホームレスも友達いないし」
「馬鹿にしてもらっとったらあきまへん。毎日ホテル暮らしをしても大丈夫なだけの前払い金をまずはお支払いたします」

「…上手い話ね」
「その通り。上手い話でんねん。疑われるやろうと思って持ってきましてん。これは一部です」
 そう言って懐から銀行の帯封がされたピン札の束を二つほど取り出す。
「現金で買われると思うのは面白くないんだけど」
「姉さん、奇麗事言っとったらあきまへん。我々も霞を食って生きとるわけやないねんから。それに姉さんの特殊事情はウチの組織も重々承知してんねん。これは先行投資でっせ」

 ひょいと取り上げる珊瑚(さんご)。現金を扱うにしてはぞんざいだ。
「…どないや?子供銀行券やないで」
「生憎(あいにく)諭吉さんにはあんまり縁が無くてね。使った途端に偽札で別の臭い飯とか無しよ」
 かっかっかと笑う21号。
「姉さん最高やな。ちょっと思いつかへん悪知恵や。益々欲しくなったで」
 下卑た笑い顔だった。

「で?どないや?考えてくれましたやろか?」
 腕組みをして考え込んでいる珊瑚(さんご)。
「もう一つだけ質問」
「どうぞどうぞ」
「最終的な決断はあたしってことでいいのね?」
「勿論そうです」

「新しい服とか用意してくれてんの?」
 にやりとして紙袋を取り出す21号。
 丁度逃走用の地味な服が入っているものだった。

 .
「ねーねー聞いた愛ちゃん?」
「ん?何」
 ハンター組織の事務室である。話しかけてきたのは事務員の水野真澄。
「また華代ちゃん討伐に志願者が出たんだって!」

「え〜、またしょーこりも無く!?」
 半ば面白そうに言う事務員・沢田愛。
 これまでにそのトライが成功した試しは無い。大抵は返り討ちで女の子になって帰って来る。
 それどころか何がなんだか変なことになって帰って来るハンターが多数である。
 女性なら安心かというとそんなことはなくて、今正に問題になっているハンター3号こと藤美珊瑚も「触った男性を女性化する」という妙な能力を持ってしまっているのだ。

「で?誰なの?」
「誰だと思う?それがね〜、29号さん」
「ええ〜っ!!」
 びっくりしている沢田さん。
「違和感は無いけど…」
 何しろ珊瑚(さんご)被害の常習者なので下手すれば女性の時の方がイメージが強いほどだ。

「また仲間が増えちゃうのかなあ」
 “仲間”というのは女性と言う意味である。
「こ〜ら!まだ失敗するって決まったわけじゃないでしょ」
 その時、電話のベルが鳴った。水野さんが受話器を取る。
「はい。事務室です」
 同時にドアが開いて噂の人物が入ってきた。

「あ、二条さん」
 思わず本名を口走ってしまう沢田さん。
「あ、どうも。申請書類を出しに来たんだけど」
 気軽に言ってくれる。
「29号さん…やっぱりやるの?」
 言い直してから聞く沢田さん。
「うん。まあね」
「お話中悪いんだけど電話。29号さんに」
 これは水野さん。

 .
 建物の裏であった。
「あ、どうも…すみません何だか」
 そこには気の弱そうな可愛らしい女性がいた。
「久しぶりだね」
 やってきたのは29号だった。

「二条先輩…公務員になったって聞いてたけどどこにいるんだか分からなくて…」
 実は29号の本名は「二条九郎」(にじょう・くろう)という。
 正真正銘の京都生まれの京都育ちである。それでいて地元の人間と喋る時以外には完全に京なまりを消し去っている。
 「二条」は地名であり、これに由来した苗字は数多い。有名なのが「一条」(いちじょう)だ。

 「九郎」というのも恐らく日本歴史上でもナンバーワンの人気者である源義経(みなもとのよしつね)の「九郎判官」(くろうほうがん)にあやかったものなのではないか?と思われる。
 そして彼は「29号」である。
 …相変わらず安易な組織だ。

 今ここに来ている女性は高校時代の後輩である。
 29号こと二条九郎は弓道部の先輩の立場だった。
 後輩の岡野泉は東京からの転校組で、排他的な地域になかなか馴染めなかったのである。それを影に日なたにフォローしてくれたのである。

「今どうしてるの?」
 優しい笑顔だった。
「あたしは単なる事務員です。先輩なまりが消えてますね。何か変な感じ」
「そうかな…普通だと思うけど」
 といいつつ、イントネーションがどこか京風である。

「先輩はどうしてるんです?あんなに将来有望だったのに突然いなくなっちゃて…」
「まあ、そういうこともあるんだよ。日本では珍しいけどね」
「日本では?」
「う〜ん、自分の事だとちょっと言いにくいな」
 微苦笑する29号。

 だから同じ学生をCIAとDIAが取り合うなどという現象も日常茶飯事である。
 29号もその意味では有望な人材だった。
 文系・理系問わずに何でもこなせるオールラウンダーであったのだ。
 ただ、「数学バカ」である5号と違って「これ」という得意分野が無いのも事実だった。
 その意味で「学科試験は優秀ではあるが、やりたいことが見つからない」タイプだったのだ。

 29号が引き抜かれたのはそんな時だった。
 謎の女の子が、「性転換現象」を次々に引き起こしており、それを復元する任務だという。
 人並みに小説も読んでいた29号だったが、そんな出来損ないの漫画みたいな話が自分の身に降りかかってくるなんて思いも拠らなかった。

 ただ、これまでにないやり甲斐を感じたのも確かだった。
 申し訳ない話だが、こと学科試験やスポーツなどで「挫折」を経験したことのない優等生として、「何かこの世に自分の思い通りにならないことはないか?」と常に刺激を求めていた29号にはうってつけだった。

 そしていざ組織の様子を見てみると、本当にそうだったのだ。
 行く先々で引き起こされる謎の性転換現象。
 そして確かに自分にはそれを戻す能力があったのだ。
 もう迷う余地は無かった。29号は輝かしい未来を投げ打ってハンター組織に入ったのだ。

「お忙しかったですか?」
「あ…いや…大丈夫だよ」
 特に多忙って訳では無い適当な組織だから…とは流石に言えない。
 29号は学歴エリートにありがちなキリキリしたせっかちさは無く、いい意味でのんびりしていて、付き合いやすいタイプである。
 だから少々暇だからといってイラついたりすることはない。島流し感覚も無い。
 勉強は趣味みたいなものだから色々資格試験の勉強はしているが、ハンターを辞めてステップアップするつもりも無い。

 29号は個人的に一応特殊公務員で身分も公でないはずのウチの組織を一介の事務員と名乗るこの子がどうやってかぎ付けたかが気になっていた。
 ま、ウチの組織じゃ何が起こっても不思議は無いのだが。
「まだお仕事中ですよね?」
「ま、一応ね」
「よろしかったら今夜お食事でも…いかがです?」

 29号は少し考え込んだ。
「今から行こう」
「え?でも…」
「こんな時間に訪ねてくるくらいだから岡野も今日は会社休みなんだろ?行こう」

 29号が焦る理由は明白だ。
 これから華代を無害化する試みに出発するのである。
 まともに生還できる可能性はきわめて低い。
 帰ってこられない可能性すらある。

 …一番高い可能性は二度と戻れない形で女になって戻ってくる事だろう。

 だったら男と女の立場で食事などしようと思ったら今しかない。
「え…まあ…でも、先輩はいいんですか?」
「まあ、有給でも取るよ」
 そんな手続きしたことないが、多分何とかなるだろう。
「どこがいいかな?フレンチかイタリアンか…」
「そんな!悪いですよ」
「後輩だろ?黙っておごられろよ」
 優しい笑顔だった。

「何かたかりに来たみたいで…」
 照れている。
「悪くないイタリア料理店がある。行こうか」
「え…」
 何故か逡巡している後輩。
「良かったら先輩の職場とか見せてもらいたいんですけど…食事はその後にでも」
「…ふむ…」
 29号は少し考えた。

 腐ってる…じゃなくて腐っても国家の秘密機関である。
 余り外部の人間を気安く招きいれるべきではない。…肝腎の華代がしょっちゅう入り込んでいるのだが。
「いいじゃない。入れてあげれば」
 背後から聞きなれた声がした。
 殺気を感じて29号が振り返る。

 地味な作業服みたいな格好で野球帽を目深に被った人物がすたすた近寄ってきた。
「…まさか」
「格好いいこと。最高ね」
 帽子のつばをくいと上げるとそこには3号こと藤美珊瑚(さんご)の美貌があった。

 脂汗を流しながら腰を落としてじりじりと下がる29号。
「先輩…この方は…」
「動くな岡野」
 当然か弱い後輩を背後にかばいながらである。
「あらあら、すっかり悪役になっちゃったわね」
 自分の立場に自覚はあるようだ。

「不思議そうね」
「…」
 確かに合点がいかない。
 珊瑚(さんご)は元から厳重に軟禁されていたところに持ってきて昨日の大騒動である。事実上抹殺されていても不可解(おか)しくないのに何故こんなところをうろついているのか。

 ただ、あのオシャレな珊瑚(さんご)がこんなみすぼらしい格好でいるというのは何らかの予測不能な事態が起こったと考えられる。
「可愛い子ね?どういう関係?」

 状況は非常によくない。
 一般人の女の子に無差別に乱暴狼藉を働いたりはしないが、「人が一番大事にしているもの」を壊して悦に入るようなところがこの女にはある。
 自分の知っている男が知らない女と親しげに話している…などというのは珊瑚(さんご)には一番面白くない構図である。

「…何でもない」
「なんでもないってこと無いでしょ?紹介してよ」
 猫科動物のような鋭い目で僅かに腰を落とす珊瑚(さんご)。
「岡野…逃げろ」
 小さな声で呟(つぶや)く29号。

 そのただならぬ気配を察したのか、か弱い一般人である岡野泉は逆に立ちすくんでしまった。
「お前…何故ここに」
 当然の疑問だった。
「生憎(あいにく)あたしにも友達がいたのよね」
 その台詞からは内通者か外部からの介入を意味している。

 珊瑚(さんご)は既に手袋すらしていない。
 期せずして臨戦態勢である。
 対するこちらは非力な一般人を抱えて得物(武器)の一つも持っていない。絶対的な危機だった。
 次の瞬間だった。
「…っ!?」
 足元の石を珊瑚(さんご)が29号の顔に向けて蹴り上げたのだ。

 動きの予備動作もあり、身構えている人間にそんな見え見えの攻撃は当たらない。
 顔の前で腕を交差させてがっしり受け止める29号。
 腕も痛いが、顔面に直撃を喰らうよりはマシである。

 だが、この時点で「詰み」だった。
 腕を下げた瞬間、目の前に珊瑚(さんご)の不適な笑みがあった。
 その距離は数十センチ。
「残念。今回もアウト」
 同時に両側から肩を掴まれる感触が襲ってきた。

「岡野!逃げろ!」
 かなり大きな声で叫ぶ29号。
「え!?…あの…」
 ひたすら戸惑う岡野。
 それはそうだ、この時点で何かが起こっている訳では無いからだ。
 確かに蹴った石で顔面を狙うなどという性質(たち)の悪いことは行なっているが、それは岡野には目視出来ていない。

「早く!」
 振り返った29号だったが、その髪は早くも伸び始めていた。
「…!?」
 掴まれた肩を振りほどけないまま、変化は次々に襲ってきていた。
 肩幅は目に見えて縮み、全身の服がゆるくなっていく。

「…貴様…」
 目の前の顔に向かって睨みつける29号。
「あ〜ら、お邪魔だったかしら?」
 その29号の顔の髪はまっすぐに伸び、真下に垂れ落ちている。
 シャンプーのコマーシャルに出そうな艶やかな光沢を放つ美しい黒髪だった。

 そこから先の変化は一気呵成だった。
 だぶだぶになった服が細くなった29号の身体にぴたりと張り付いていく。
 黒い革靴が柔らかい素材の白い靴に変化していく。
「に、逃げろぉっ!」
 そう叫ぶ29号の声質が高いものに変化していたことに岡野泉は何となく気が付いた。

 何が起こっているのか良く分からなかった。
 これは大掛かりな手品か何かなのだろうか?
 イリュージョン(幻視)とはこういうものなのだろうか?
 いや、手品や演劇の「早変わり」というのは舞台袖に引っ込んでそこで大急ぎで着替えるものであって、目の前で生き物の様にぐにぐに変形していくものでは無いだろう。

 29号の目の前に不敵な表情の珊瑚(さんご)の顔がある。
 両肩に添えられた手はより力を込められ、振りほどくことが出来ない。
 既に全身は女のものに変わっている。既に慣れてきた下腹部の喪失感。
 だが未だに慣れない細い細い身体の感覚。
 脚はむき出しにはなっていないらしいが、皮膚と変わらないほどの薄い皮膜で包まれているだけになった感覚が襲ってくる。

「…っ!?」
「あたしも初めてなんだけど…どうかしら?」
 得意げな珊瑚(さんご)の表情。
 実はこれまでにも「新しい衣装」のネタを仕込んではハンター仲間や職員を実験台にすることがよくあった。
 今回もそれであろうことは明白だった。
 ふと気が付くと珊瑚(さんご)を見上げていた。
 珊瑚(さんご)は女性にしてはかなり長身ではあるが、背まで低くされたのは間違いない。

 少し足を動かした。
 足の裏の感覚が不可解(おか)しい。
 …何だこれは?これは靴じゃないのか…?足の裏が薄い布みたいなものでしか覆われていない感じになっている。
 思わず足元を見下ろした。
 長い髪がぶわりと揺らぐ。

「…っ!」
 正に踊っている最中だった。
 足首から先は既に肌色に近いピンク色の生地に覆われていた。
 膝の部分まで薄く白いタイツに覆われており、それが徐々に上昇してきている。
 くるぶしの下辺りから生えていたつるつるの素材の長いリボンが生き物のように踊り、足首に巻きついて行く。

 ことここに至って事態は明らかだった。
 今度ばかりは29号の背筋に冷たいものが流れ落ちる。
「早く逃げろおっ!」
 なるべく声を低くして背中に向かって怒鳴るが、それは危機というよりは今の自分の姿を後輩に見せたくないという心の叫びだった。

 リボンが最後まで締まり、足首に軽い拘束感が襲ってくる。
 結び目がくるぶしの下、リボンの下側に押し込まれる。
「…くっ…」
 意志の力ではこの変化を止めることは出来ない。

 サイズに余裕のあったズボンが綺麗に下半身に張り付き、お尻の大きな女性的な体型が露(あらわ)になっていく。
 ついさっきまでれっきとした成人男性だった29号の下半身に艶(なまめ)かしい脚線美が出現するこの光景はシュールそのものだった。

 両手で肩を掴まれたままの29号の下半身は全て白化した。
 のみならずぴっちりと肌の透ける生地が張り付き、お尻を包み込む部分はパンツの形の光沢を放つ生地となっている。

 今の29号の背の低さは見た目にも明らかで、モデル体型ですらりとした珊瑚(さんご)の前では女子中学生の様である。
 29号の切なる願いとは裏腹に岡野の視線は変わり果てた姿になりつつあるその姿に釘付けとなっていた。

 成人男性そのものだった29号の体型は完全に針金のように細い少女になっていた。
 白化は更に進んでいる。ごく普通の紺色のスーツは見る影もなく光沢を放つ生地へと変化する。
 更にそれがぴっちりと身体に張り付いていく。

 それほどメリハリの無い体型が浮かび上がる様は、幼児体型を愛でる習慣の無い人間にも背徳的で蟲惑的な感情を歓喜する。
 再び目の前の珊瑚(さんご)に向き合っている29号だが、全身を這い登る感触に必死に耐えていた。

 これまでも何度も女にされ、女物を着せられてきた。
 身体が変わった後に女物の下着が一つづつあてがわれていく感触に耐え、一番最後に外観が変わる。
 一瞬である場合もあるが、今回はじわじわと変わるタイプだった。

 しかも今回はまるで下着のまま全身を放り出されたかのような感触だった。
 そよそよと吹く風が直接肌を撫でる様である。
 これまで生足でのスカート姿にされた経験もあるが、今回はかなり特殊だった。
 ストッキングであろうことは間違いないが、まるで素脚のような感触なのである。

 次の変化は上のほうだった。
 長い袖だった紺色のスーツが見る見る内に縮んでいく。
「っ!!」
 29号のスーツはあの格好悪い「半そで省エネルック」みたいな格好になりつつある。
 が、この変化の帰結がそんな生易しいものではないことは29号ほどの「ベテラン」ともなると既に知っていた。

 際限なく縮み続けた袖は遂に半そでを越え、ノースリーブとなり、タンクトップになってもまだ縮んでいく。
「これは…!」
 分かってはいても口に出さずにはいられなかった。
「そう。ご推察の通り」
 満足げな珊瑚(さんご)の口角が上がった。
 まるでその露出部分をしっかり見てもらいたいとでも言うかのごとく長い髪が生き物のように蠢(うごめ)いてまとまり、うなじまでが全て露出する。

 透き通るような白い肌の「腕」が全て空気にさらされ、遂に首の周りのネクタイも根こそぎ空気に溶けてしまった。
「あ…あ…」
 細い鎖骨までがむき出しになり、腕も大部分が空気にさらされた。
 唯一残っているのはまるでブラジャーの様な細い肩ひもが一本ずつのみだった。

 岡野のまばたきが激しくなった。
 彼女の知識の中でもリンクするものは確かにある。
 あるんだが、それが成人男性が一瞬にして変化する帰結として結びつくという超現実が信じられない。
 至極当然の話である。

 生地の縮みは更に進み、背中側の肩と、腕の残りの部分まで大きく開いていく。
 贅肉の全く無いその肉体に肩甲骨までが美しく浮き出すのが見える。
 それほど大きく盛り上がっていない乳房を綺麗にかたどって生地が成形されていく。
 29号は今や全身が真っ白なレオタードに包まれた少女の様になっていた。
 そこに決定的な変化が追い討ちを掛けた。

 腰の部分に一瞬蠢(うごめ)く様な変化があったと思った瞬間、真横に向けて円盤の様な突起が飛び出してくる。
「あ…あ…」
 流石の29号も情けない表情でうろたえている。
 そうこうする内にもその突起は何度も何度も新しく次の生地が湧き出してきて強さを補強していく。
 ほどなく上半身が円盤の上に乗っている様な形状の衣装が完成した。

 変化の最後の仕上げだった。
 その円盤の表面がキラキラの装飾と羽飾りに覆われていく。
 胸の形の縁(ふち)取りまでが宝石を埋め込んだような美しさへと変化していく。
「うわ…ああっ!」

 白魚の様な細い指先の透き通るような爪が綺麗に切りそろえられ、透明なマニキュアで補強される。
 耳にはピアスの穴が開き、付け睫毛(まつげ)が出現、もう“重さ”まで感じるほどの濃いアイシャドウが瞼に乗っていく。

 これは岡野からは見えないが、珊瑚(さんご)にとっては距離数十センチの特等席だった。
 目の前で水を掛けたらひび割れが起こりそうな頬紅がつぼみ始めたばかりの美少女の顔を覆っていく。
 その官能的な感触に表情を歪(ゆが)めて抵抗する、変わり果てた29号。

 そして遂にそのさくらんぼの様なくちびるを、真っ赤な口紅がぬるりとなぞっていく。
「…っぁあっ!」
 顔に施されたメーキャップには全てキラキラの粒が混ぜられている様だった。
 最後に頭に羽飾りが出現した。
 …変化は終了した。

 その折れそうにか弱い肩を遂に珊瑚(さんご)が離した。
 よろよろとあとずさる29号。
 いや、今やその姿は完全に一人の可憐なバレリーナであった。

 気を張って上がっていた腕が下げられ、同時にコーヒーカップの様に広がっていたスカートにかさかさと当たる。
 …何の変哲も無いごく普通の中庭に、今正に舞台に出て行こうとしているかのような完成されたバレリーナがいた。
 その光景はシュールと言う他なかった。

「せ…先輩…?」
 やっと声を出すことが出来る岡野。
 事態をやっと飲み込むことが出来た岡野の表情は青ざめており、紫色になった唇がわなわなと震えている。
 バレリーナは振り返らなかった。

「その…違いますよね…?」
 かすれる様な声だった。
「…」
 綺麗な舞台化粧までした踊り子はキラキラと陽光を反射する衣装に視線を落としながらうつむいている。
 どうやら岡野はこれが一種の「入れ替わり」であると信じようとしているらしかった。つまり目の前のバレリーナは29号その人ではなく、全くの別人の女であると。

 つかつかと歩み寄ってきた珊瑚(さんご)がその細い手の手首を掴み、“ぐい!”と手前に引っ張った。
「ああっ!」
 勢い余って回転しながら引き寄せられる哀れな踊り子。そこに先ほどまでの成人男性の面影は無い。

 今度は背中を向ける形でまた両肩をがっしりとくわえ込まれる29号。
「信じられないみたいね?そうでしょ」
 その言葉は明らかに岡野に向けられたものだった。
 それはそうだ。憧れの先輩が目の前で女の身体に変えられた上に一瞬にしてバレリーナになってしまった…などという馬鹿馬鹿しい現象が信じられるわけが無い。

「でもね、この綺麗なバレリーナちゃんはあなたの大好きな先輩その人本人なのよ…」
 いかにも愉快そうに言い放つ珊瑚(さんご)。
 人が嫌がったりしているのを見て楽しむ性質(たち)の悪い性格の女である。
「そんな…でも」
 当然ながらすぐに信じたりはしない岡野。

「…どうなのよ?ねえ?」
 嫌味ったらしくバレリーナに語りかける珊瑚(さんご)。
 恥ずかしそうにうつむいたまま答えない踊り子はまるで思春期の少女のようだった。
 ピンと張ったその瑞々しい肌に、幼い体型でありながら露出度が高い衣装がミスマッチである。
 踊り子は答えない。
 それは肯定しているのと変わらなかった。

 29号にとっては逃げ場の無い状況だった。
 「あなたは二条先輩なのですか?」と訊かれて「違う!」と答えても全く同じことなのである。
 どの様に答えてもこの状況を打破することは出来ない。
 そしてこの場から逃げ出すことも難しい相談だった。
 相手は運動神経抜群の珊瑚(さんご)だ。

 追いかけっこになったらまず勝ち目が無い。
 こちらは激しく動くことを想定して作られている舞台衣装とはいえ、全力疾走するようには出来ていない。
 足首から先を拘束する「トゥシューズ」は「シューズ(靴)」という名前こそついているが、実際には『「つま先立ち」をする為に木製の補強材をつま先にくくりつける為のもの』と言う方が正確なのである。

 であるから足の裏の素材は普通の靴の様に硬い素材で出来ている訳では無い。
 「手袋」を足にしていると思えばそれが実態に近いであろう。
 今この瞬間も足元に転がっている細かな石がかかとや土踏まずに突き刺さる。
 裸足(はだし)とそれほど状況が変わらないのである。
 そもそも「爪先立ち」は出来ても普通に歩くことも出来そうに無い奇妙奇天烈な履き心地はそれだけで観念ものだった。

 悩んでいたその時、中ほどまでむき出しになっていた背中を珊瑚(さんご)の人差し指がつつーっと撫で下げる。
「ああっ!?」
 その官能的な感触に思わず背を反らし、達したかのように身をよじってしまう29号。
 それはもう小娘のそれでしかなかった。

 珊瑚(さんご)は手を緩めない。
 背後から折れそうな細い身体を抱きすくめ、両方の手首を握って身体の正面で交差させる。
「…っ」
 すっかりバレリーナとなってしまった29号は頬を赤らめ、顔を斜めにうつむかせる。

 その仕草は“何かを胸に秘めて祈りを捧げる乙女”の様であった…といっても背後の性悪女が無理矢理それをさせているのも明白なのではあるが。
「み、見ないで…くれ…」
 涙はこぼれなかった。が、確かに踊り子はそう言った。

「せ…先輩…」
 ここに来て遂に岡野はやっと事態を飲み込むことが出来た。
 単なる女装ではなくて、明らかに別人の身体になってしまっている。
 身体の体積が半分にもなっているようなこの変化は少なくとも「単なる女装」ではありえない。それは分かる。

 だが、身体が小娘のそれになっていようとも、29号の人格を持つ肉体がバレリーナとなって「よよ」、となっていることは間違いないのだ。
 望むと望まざるとに関わらず、あのどこかユーモラスな衣装に身を包んで身をくねらせていることには間違いないのである!

 時間が永遠にも感じられた。
 岡野はどうしていいのか分からず、困り果てていたが、散々に逡巡した挙句に踵(きびす)を返して走り去っていった。
「あ…」
 一瞬声を掛けかける踊り子だったが、どうにもならない。
 小さくなっていく岡野の背中を見送るバレリーナと化した29号であった。

「ふんっ」
 哀れなバレリーナを解放する傲慢女。
「ごーめんなさいねー。何か邪魔しちゃったみたいで」
 全く謝意が感じられないその言い草。
 明らかに嫌がらせの為に二人の間に割って入り、男の方をあろうことか可憐なバレリーナへと変えて弄(もてあそ)んだのである。
 こんな酷いことがあるだろうか。

 その引き締まったウェストの腰の部分を指先でつるりと撫でる3号。
「…っ!」
 “びくっ!”と身をのけぞらせるが、声を出さずにこらえ、ぴょんと飛びのく。
 真横に広がったそのスカートは、こうした動作をした際に期待された挙動を見事にこなした。
 つまり、空気に煽られて一瞬ふわりとめくり上がり、そして着地の衝撃で羽根の様に揺らいだのである。
 正に“踊り子”であった。

「…ふぅん。あたしもこんなに間近で見るの初めてなんだけど…これは可愛いわね」
 感心する様に言う29号。
 親戚の子供の発表会であるならばともかくも、同僚の男をこの姿に変えてのたまっているのだから悪趣味な女である。

「ま、ともかくこれでお別れね。達者で暮らしてよ」
「…何だと?」
 踊り子が振り返って言う。
「じゃ!」
 岡野と同じ方向に走り去る地味な格好の高飛車女。
 かなりの露出度を誇る衣装だけに、女物の下着姿で放り出された様な感触の29号は自らの肩を抱いた。

 逃げることも叶わなかったバレリーナが本気で逃げる珊瑚(さんご)を止めることが出来る筈(はず)が無い。
 だが、務めは果たさなくてはならない。
 不本意だがこのスタイルで最も速い移動方法である、ぴょんぴょん飛び跳ねる方法で内線のある箇所にまで移動し、珊瑚(さんご)が脱走していることを通報した。

 甚(はなは)だ不本意ではあったが、最も近い出口に行く為にはぴょんぴょん飛び跳ねながら行くしかなかった。
 バレエを覚えたばかりの幼稚園の幼児が綺麗な衣装を着せてもらって嬉しくて跳ねているみたいだった。

 あれだけ頑丈に括りつけられている様に見えた「トゥシューズ」だが、「普通に歩く」だけで脱げそうになるのだから驚いた。
 こんな厄介な物はいっそ脱ぎ捨ててしまおうとも思ったのだが、何しろ真横に広がったスカートが邪魔で脚や足どころか下半身すら全く見えないのである。

 慣れている人間ならばこのバレリーナの衣装…チュチュ、それもこの真横に丸く広がったスカートのタイプは『クラシック・チュチュ』というらしい…を着た状態でトゥシューズを履いたり脱いだり出来るのかも知れないが、今の29号には無理だった。

 ごく普通の…というには特殊な職場だが…成人男性で、バレリーナなど身近には全く感じないで生きて来た。
 それが今や身体まで小娘のものになり、しっかりとバレリーナの姿にされた上で砂利の敷き詰められた中庭に放り出されているのである。
 トゥシューズなんて見たことも無い。どこをどう結んでいるのか、そもそもどうやって留めているのかも全く分からないものを脱げる訳が無い。

 どうにかコンクリートのあるところまでたどり着いたバレリーナは出口近くにあった内線で珊瑚(さんご)が逃走していることを告げたのだった。
「もしもし、こちら29号。中庭前です」
『はい、こちら事務室…って29号さんですか?』
 その声は沢田さんだった。
「はい」
 鈴のような声で答えるしかない踊り子。

『どうしたんです?まさかもう華代ちゃんに…?』
 この組織に勤めている事務員なので昨日まで男性だった事務員が女性になっていることは日常茶飯事である。いちいち天地がひっくり返る様に驚いてはいられない。
 ましてやこの29号は何かと言うと「珊瑚(さんご)被害」に合ってスチュワーデスだバニーガールだと華やかなコスプレを体験させられてきたエキスパート(?)である。

 その沢田さんですら即座にまた珊瑚(さんご)が出没したという連想は働かなかったらしい。それも当然だ。
「いや、違います。三号が再び現れました」
『それホント!?』
 水野さんの声が割り込んできた。
「はい、間違いありません」

 少し音声が途切れた。
 どうやら館内放送をすべく手回しをしているらしい。
 すぐに館内に警報が鳴り響き、水野さんの良く通る声がスピーカーから流れてきた。
『職員に警告。職員に警告。拘置中の三号が逃亡した模様。全ての出入り口を閉鎖。職員は周囲に注意せよ』
 素早い対応だった。

「お見事だね。水野さん」
『あ…そうですね。ちょっと待ってください。中庭入り口でしたっけ』
「あ、あの…」
 止めようと声を掛け掛ける29号。
『え?何か…』

「いや…」
 白銀のチュチュに身を包んだ折れそうに細い美女が躊躇いながら廊下の一点を見上げる。
 そこには赤いランプが光る監視カメラがあった。

『えっ!?二条さん?』
 …沢田さんは今の自分の姿を見たらしい。
 そりゃ信じられないのも無理は無い。
「ま、見ての通りでね」
 半ばヤケクソである。水野さんは職務上見る権利がある。

『きれ〜い…』
 内線の構造上こちらから沢田さんの表情をうかがい知ることは出来ないが、さぞうっとりしていることだろう。
『それも藤美さんね?』
 水野さんが割り込んできた。
「はい。すみません。取り逃しました」

『詳しい状況は分からないんで…出かける前によろしいですか?』
 状況を報告しろと言うことだろう。当然だ。
『ちょっと暫(しばら)く手が離せないんで…ちょっと待ってもらえます?』
「構いませんよ。こちらから行きます」
『え?でも…』
「じゃあ」
 可憐なバレリーナは受話器を置いた。

 普段は平和な組織なのだが、流石にこの状況では蜂の巣をつついた様な騒ぎになっていた。
 まだ元に戻っていない“女王様”たちが多数組織内に宿泊している。
 拘置所の中身を確認し、内通者がいないかのあぶり出しに躍起になっていた。

 一応すぐに「もう建物内にはいない」ことが分かったが、それでやることが終わる訳では無い。
 関係者入り乱れて走り回る廊下をとぼとぼとバレリーナが事務室に向かって歩く羽目になった。

 珊瑚(さんご)が現役だった頃には何処(どこ)と無く男の頃の面影を残したセーラー服の美少女が走っていたりした廊下ではあるが、流石にここまで華やかな闖入者は珍しく、失礼と思われつつもじろじろと見られてしまう。

 ちなみに、こんな格好だからといってからかってくる様な男はいない。
 少なくともハンター体質のあるなしに関わらず男性職員ではまずいない。
 何しろ「明日はわが身」なのである。いつ似たような目に遭わされるかわかったものでは無いのである。

 からかって女子高生になった同僚のスカートをめくったりした日には、次の日にはレオタードのお尻を撫でられているかも知れないのだ。
 …つまり、それほど無差別に男を女に変え、女装させまくっていたのである。あの女は。

 バレリーナの衣装…今、29号が着ている、いや着せられている様な衣装である『クラシック・チュチュ』は、身体の横に腕を垂らすことが出来ない。
 手首のあたりが真横に広がったスカートの縁(ふち)に当たってしまうのである。

 外観は柔らかくてつるつるしているみたいに見えるが、実際にはある程度の強度を保つ為に結構固いのである。
 「チュール」と言ってウェディングドレスのスカートを膨らませるのにも使われる固くてざらざらした素材によって支えられている。
 平たく言えば蚊よけの「網戸」を刻んだみたいなものである。

 こんなものを布一枚隔てて身体に密着させているのだから、平たく言うと「固い」「痛い」のである。
 その上、その縁(ふち)は何枚も重ねられたそれが露出している。
 そこに白魚みたいな乙女の柔肌をがさがさと接触させたのではかなわないという訳だ。

 であるからとにかく歩きにくい。
 無理矢理身体の脇に手を密着させて歩こうと思えば綺麗に真横に広がったスカートを押し潰してしまうことになる。

 幾ら無理矢理着せられた衣装で、忌々しく思っているとはいえそれは忍びないので、必然的に手を広げて歩く事になる。
 だが、このポーズでぴょこぴょこと歩くと、いかにもバレリーナが軽やかに踊りのステップをしているみたいな雰囲気になってしまうのだった。

 非常口から事務室までの道のりはそれほど長いものではないが、マラソンコースのように長く感じられた。
 バレリーナとなっている29号は冷たい…というのか暖かいというのか…視線に耐えながらも腕の位置をどうしようか悩みまくった。

 小学校でよくやらされた「小さく前にならえ」みたいにひじを九十度曲げた状態で折りたたんで身体の横に密着させる形にしてやっと落ち着いた。
 これで手を全く動かさなければ幾ら歩いても腰の高さでふわふわ可憐に揺れ動くスカートに当たる事が無い。
 …それにしてもつくづく「踊る事」に特化した衣装である。
 日常生活においては「普通に歩く」ことすら出来ないのである。

 その内身体の横に九十度曲げて密着させていた手を「腰に手を当てる」形に変更して歩き続けた。
 実はこれは本物のバレリーナが舞台そでなどで移動する際のポーズだったりする。
 派手なコスプレ姿の元・男性を見慣れているこの組織のOLたちが突如現れた踊り子に「きゃー」などと黄色い声を上げている。
 ヤケクソなのか軽く手を振ったりするバレリーナ。

 事務室のドアは一時的に閉められていた。
 先ほどは書類を取りにやってきた部屋だったのだが、まさかバレリーナになってとんぼ返りすることになるとは思わなかった。

「あの…すいません」
 鈴の鳴る様な声で入り口に佇(たたず)む踊り子。
「…っ!?…二条さん?」
 沢田さんが驚いている。

 こくり…と頷くバレリーナ。
「…変わりましたね」
 これは水野さん。
 今までも随分変わっているんだが、今回のインパクトはトップクラスである。

「3号はどうなりました?」
 可愛らしい声で事務的な内容を質(ただ)す美少女。
「逃げられたわ」
「そうですか…」
「二条さんのせいじゃないよ…」
 沢田さんが慰めてくれる。

 沢田さんからは本当ならば飛びついて抱きしめた上に色々遊びたそうな表情がありありと伺える。
 だが、今回ばかりはその深刻な目つきに気圧されてしまっている。
「沢田さん…いいよ触っても」
 痛々しい笑顔だった。

「いや…でも…」
「二条さん、着替えは用意してあるから」
 ハンター組織内で立ち上がった「珊瑚(さんご)対策」として身体を女に変えられ、衣服を女物に着替えさせられた職員用にジャージなどの「臨時着替え」を完備した部屋がある。そのことを言っているのである。

 だが、言うまでも無く29号こと二条はそんな事は分かっている。
 何しろこれまで最も珊瑚(さんご)被害に遭ってきた人間であり、つまり最もこの施設を利用して妙齢の美女としてジャージ姿を晒してきた本人なのだ。

 スチュワーデスの制服やOLの制服のようなものはまだ良かった。
 スカートとブラウスを脱いでその上からジャージを羽織れば一応の格好がつく。ま、その下はブラジャーとパンティ姿ではあるのだが。
 だが、先日着せられたバニーガールの衣装ということになると、水着と変わらないので、着替えるには一旦全裸になるしかない。
 これは屈辱である。

「あ、そういえばさっきの女の子」
 と、思い出した様に沢田さんが口走った瞬間、水野さんの鋭い視線が飛んできて思わず口を塞ぐ。

「こちらでは把握してますか?」
 あくまで冷静なバレリーナとなった29号。
「さっきの後輩の子ね?」
「はい」

 水野さんが自分の机のパソコンのキーボードをぱちぱちと弾いている。
「…うん…少なくとも今は建物内にはいないわね」
「今は?」
 沢田さんが訊く。

「…私が3号に遭遇して被害に遭った時に目撃されまして、その時に外に向かって走って行くのを確認しています」
「あ…そうなんだ」
 その意味を事務員二人は噛み締めた。

 何というか、いちごはあれだけ引きこもりまくるんだけど、芯の所は結構打たれ強くてそれほど心配いらないのだが、29号みたいな真面目一徹のタイプは気丈に振舞っていても脆(もろ)くて折れそうなところがあるのだ。
 ちょっと怖くて余りいじりたくない領域だった。

 バレリーナ姿の29号はこうしている間にも「手」の置き所にとにかく困っている様子だった。
 普通に身体の横に垂らしたのではスカートに当たってしまうのだ。
 これがまたちょうど手首の辺りを硬くてギザギザのところが当たるのだ。

 意図に反して女装させられている身としてはそれに諾々と従いたくは無い。
 幾らセクシードレスを着せられていても、それに従って身をくねらせるキャラクターではないのだ。
 であるから、両手を広げて踊り子然とはしていたくない。だが、物理的に不可能なのである。

 そこで両手を腰に当てる舞台裏のバレリーナのポーズを取る訳だが、このポーズはとても『偉そう』に見えるのである。
 まるで堂々と胸を張っているみたいなのだ。
 別に悪い事をしている訳ではないのだが、かといって別に誇れることをしていると言うわけでもないので、普通に会話するにはとても困る。
 そこで仕方なく肘を90度曲げてお腹のところで指を組み、掌(てのひら)をあわせる様にした。

「じゃ、折角なんで記念に」
 何を言い出したのかと思うが早いが、綺麗に処理されて無駄毛一つ無いわきの下を見せ付けるように大きく腕を振り上げて頭の上で手の甲をあわせた。

 この衣装はとても露出度が高い。
 そこに持ってきてわきの下を見せ付けるみたいなポーズなんて普通の人間が取るものではないので、事務員二人組みも「ドキッ!」とした。
 29号が取ったのは所謂(いわゆる)「バレリーナっぽい」ポーズだった。

 その場でくるくると回転…しようとするものの、特別な練習をした訳でもない人間がああも特殊な舞をすることが出来る訳も無く、すぐによろめいてしまう。
「…とと…」
 その動きにすらふわふわと上下動するスカートがとても美しく…そしてどこかユーモラスだった。

 その瞬間、踏み込んできた安土桃香が余りにもシュールな風景に出くわす。
「…っ!?」
 桃香は前傾したバレリーナの真後ろからその風景を見る羽目になった。
 真っ白な円盤の真ん中に真っ白で薄っすらと肌色が透けたタイツに包まれた脚とパンツ部分のみが乗っかった様な形状の…バレリーナのスカートの下以外ではまずみられない異様な形状の物体だった。

「…着替えます」
 体制を立て直した29号がすぐに続けた。
「いつもの部屋が使えるから」
「はい」
 『いつもの部屋』とは、言うまでも無く「3号被害」に遭った男性職員用の一時的に着替えるジャージなどを完備した部屋のことである。

 歩きにくそうなトゥシューズを引きずりながらバレリーナが事務室の出口に向かった。
 桃香が飛びのく様に道を譲った。普通にすればいいんだろうが、なかなかそうも行かない。
「あの…」
 沢田さんが申し訳無さそうに声を掛けた。

「…はい」
 何しろ「普通に」は動きにくい衣装なので、その場で身体を動かさずに首から上だけを回して振り向こうとする29号。
 肩の部分のひもが身体をひねることで浮き上がり、細い鎖骨がきしむ。
 下着同然の衣装に皺(しわ)が寄り、薄く肌色が浮かぶバレエタイツが素脚よりずっとセクシーさを掻き立てる。

「すいません。今日のミッションですけど…延期ですよね?」
 これは辛いが確かに確認しておかなくてはならないポイントだった。
 先ほど申請書類を提出したばかりの「華代説得ミッション」である。
「いえ、行きますよ。この格好じゃあ街中を歩くのは辛いんでね」
「…え?」
 その先を聞く前に事務室から29号は姿を消していた。

 .
 その直後から事務室は再びかなりの混乱に陥った。
 あれだけ警備を固めていたにも拘らずまんまと3号の逃走を許した失態は大きかった。
 状況から考えてヤケクソになっている可能性のある3号は放置しておける存在ではないのだが、ことの性質から世間一般に広報をする訳にもいかない。

 現在、わが国に男性に接触するだけで性転換して女性とし、しかも着ている服までも一瞬にして女性物にしてしまう中年女が逃走していますのでお気をつけ下さい。
 …などという広報を打てるだろうか?
 考えられる訳が無い。

 これまでも組織内にかなりの被害と混乱をもたらしてきた3号を事実上放任していたハンター上層部(などというものがボス以外にあるのかもよく分からないが)の責任が追及されるのは間違いなかった。
 だが、今は関係者の処分よりも「現実の対策」の方が先であった。

 その日の内に「3号ハンター」計画が持ち上がり、現在人選に入っているということだった。
 要は「3号狩り」である。
 状況から考えて、内通者の手引きによって逃走した可能性が高いためにそちらの洗い出しも進められているという話だが…少なくともそちらの方面でどういったことが行なわれているのかは一般の事務員、そしてハンターにすら流れてくることは無かった。

「…ということみたいね」
 得意げに一気に語り終わった沢田さんが一息ついた。
 「3号逃走」の一報がもたらされてからものの2〜3時間しか経過していない時点でのことである。

「…っつってもなあ、ぶっちゃけ難しいわよね」
 一息ついてお茶をすすりながら言う水野さん。
「だよねー」
 現場に狩りだされる心配の無い事務員として落ち着いて茶飲み話に花を咲かせる三人娘だった。
「まさか監禁しとく訳にもいかないし…今回はそうしようと思ったみたいだけど」
「でも、藤美さんもやりすぎよね〜」
 「藤美さん」とは3号の本名である。

「まーね。多分あたしもあんな能力があったら多少は使ったと思うけど…藤美さん限度を知らないから」
 先日の「大量『女王様』量産事件」で、着替えだのメイク落としだのには事務員達も借り出された口なので言う権利はある。

 いわば「珊瑚(さんご)の尻拭い」ではある。
 ただ、野次馬根性が勝る彼女達は「女王様(SMボンデージ衣装)の姿にさせられた、元・おっさん」達をこれでもかとばかりに観察する体験が出来たのでそれほど恨みがある訳では無い。

「あ、どうも」
 聞きなれない女性の声に一斉に振り返る事務員三人娘。
 そこには小奇麗でかつユニセックスな服装の清楚な女性がいた。
「…二条さん?」
 可愛らしい声で沢田さんが訊いた。

「…はい」
 意識はしていないだろうが、きょとんとした可愛らしい表情で答える29号。
「じゃあ、行ってまいりますので」
「あ…ミッションですか?」
「はい。書類の手続きはもう終わってますから」
 こともなげに言う29号。

「皆さん興味がおありでしょうから先に言っておきますけど、中身は男物です」
「…はあ…」
 「中身」とは下着のことであろう。確かに今の服装ならば男女どちらでも通用する。この瞬間に男に戻ってもそれほど違和感は無い。
「いつ戻っても大丈夫な様にね。もっとも、今度は永続する可能性もある訳ですが」
 確かに今は「珊瑚(さんご)被害者」であるが、これから向かうのは「対華代ミッション」である。永続が普通である「華代被害者」となる可能性もあるのだ。

「しばらく戻らないと思いますので皆さんによろしく」
 もう無駄話をする必要が無いと判断したのか、踵(きびす)を返して事務室を出て行く29号。
 しばらく事務室は静寂に包まれていた。
「…びっっっくりしたぁ…」
 ため息とともに水野さんが口を開いた。

「そうね…」
「あれなら女優として活躍できるわ」
「あたしならお嫁に欲しいんだけど…」 
 好き放題言っている。
 とはいえ、女にされた29号がそれほどナチュラルな女性の魅力を発散していたのは間違いない。

「ノーメイクであれだけ綺麗だしね」
 当然、バレリーナにされた直後には濃厚な舞台メイクをさせられていたのだが、とれも綺麗に落とされている。
 当然29号としては女性として着飾るつもりも無いし、男の気を惹く装いをする気も無い。
 それが『飾らない』魅力になっているのである。

「しっかし、今回は成功するのかしら」
 ため息をつきながら水野さんが言う。
「華代ちゃんのことよね?」
「うん…」
 この組織の存在意義ともいえる「対華代ミッション」の中でも最も直接的な作戦である。

 「元を断つ」とばかりに、本人を説得に掛かるのであるが、これに成功した例はほぼない。
 それこそ3号こと珊瑚(さんご)の様に、一瞬成功した様に見えても、実はある意味それよりも性質(たち)が悪い場合も少なくないのだ。

「でも…今回はある意味初めてかも知れない」
「…何が?」

 .
 29号は華代探知機を持って近所を徘徊していた。
 特にこれといって勝算があった訳では無い。
 とにかくまずは接触しない事には仕方が無い。

 これまで、華代をこちらから探したことなど無いのだが、いざ探し始めるとなかなか出会えるものでは無いのが皮肉ではある。
 29号自身は意識していなかった。
 実は、間接的な華代被害者が華代本人を説得しに来たのは史上初だったのである。

 今の状態であれば、ストレートにかんがえれば「それなら女の人にしてあげる!」とはならないはずだ。
 何しろ現状が女なのである。
 さて、どうなるであろうか。

 29号は「華代探知機」を片手に持ち、常に動向をチェックしながらとりあえず最寄り駅まで到着した。
 華代は人気の多いところに現れるとは限らない。
 人間がいないところには現れないが、人口の過多は決定的な要素ではないのである。

 寂しい郊外の公園で遭遇した例もあるし、たった一人で部屋にいるところを踏み込まれる例もある。
 学校や会社の様な、一種の「閉鎖空間」にも良く現れる。
 そういえば…29号は思った。
 駅の様な「完全不特定多数」の人間が出入りする場所での被害報告は少ないのではないか?

 と、「華代探知機」ではなくて普通の携帯電話の方が振動した。
「はい、29号です」
『こちらハンター本部』

 声は水野さんたち女子事務員ではなく、男性職員のものだった。
 声質からして29号と直接面識のある担任ではない様だ。

『現在位置を報告せよ』
「その前に暗証番号を」
 29号は即答しなかった。

『お、すまん』
 その声は暗証番号を読み上げた。

 暗証番号を確認すると、29号は安心して話を続けた。
「現状の進展はありません。単独ミッションにて華代探索作業中です」

『何?単独ミッションだと?』
 意外そうな声だった。
「はあ…そうですが」
 組織内でこちらの動きを知らないのは仕方が無い。特に個別の対華代ミッションは広報される訳でもないのである。

『だったらいいニュースかもしれないな。近くに華代反応がある』
 29号に緊張が走った。
「…そう…ですか」
『それにしてもいい声だな。データによると男のはずだが』
「3号のお陰ですよ」

 一瞬間があった。
『…なるほど。そういうことか』
「ええ。いい煙幕になります」
 29号は強がりを言った。
『それにしてもそんな状態で単独ミッションとは…』
「色々ありましてね」

『ふむ。いい声だな。終わったら食事にでもどうかな』
「遠慮しておきます」
『冗談だ。ともあれ出現予想範囲を言う。その範囲にいるハンターは今のところお前だけだ』
 出現予想範囲が読み上げられた。確かに今、自分はそのごく近くにいることが確認できた。
 礼を言って電話を切る。

 29号は胸ポケットに携帯電話をしまう。
 いつもの自分の身体と違って、内側から形のいい乳房が押し上げているのでそこに当たってどうにも居心地が悪い。
 なるほど、女性の衣類には胸ポケットって余り無い気がする。
 割とどうでもいいことに気が付く29号だった。

 さて、どうしたものか…。
 出来れば華代の「悪行」が行なわれる前に阻止したい。
 もしも華代被害による性転換騒動が起これば、そちらの処理に忙殺されることになる。
 華代が現場に長く残っている報告は皆無だからその間に取り逃す可能性がある。

「困ったもんだ…」
 小さくつぶやく29号。
「何かお困りですか?」
 足元で声がした。

 反射的に視線を振り下ろした。
「おねーさん!」
 そこには無垢な笑顔があった。
 真城華代本人だった。


「…やあ」
 少し詰まったが、どうにか言葉を繋げることが出来た。
「わあ、綺麗なお姉さんですね!何かお悩みはありませんか?」
 …報告は受けていたがこれが本人か…と関心するやら何やら心の中が騒がしい。
 写真で観た事はあっても、実物と接触するのは勿論初めての経験である。
 形のいい乳房の下の心臓が高鳴った。

「あ…そうだね…うん」
 咄嗟に女言葉など出るわけが無い。さっきからしどろもどろである。
 あれほど実物に遭遇した時にはどうしようかとイメージトレーニングしていたのにこのザマである。
「ま、落ち着きましょう。うん」
 仕方が無いので『馬鹿丁寧』な態度で押し通すことに決めた。
 そして華代の返事を聞く前にすぐ近くにあったベンチに座る。

「そうね。じゃあそうしましょう」
 ウキウキした態度で跳ねる様にベンチに向かう華代。
 こうして見ると本当に普通の女の子にしか見えない。
 29号は周囲を見渡した。

 駅前ではあるが、ロータリーを隔てた公園の近くということで人通りは必ずしも多くない。
 それに先ほどの電話でこの地点に華代反応があることは本部に伝わっているはずだ。つまり、比較的安全ということになる。
 …29号自身を除いては。

 ここはもう腹を括るしかない。
 正直、ヤケクソになって志願してしまったのだが…なんとも妙なことになったものである。
 29号に女に変えられた状態でどの様に生きていくかのビジョンがあった訳でもなんでもない。
 何故か突発的に志願してしまったのである。

 ああも毎日の様に女に変えられ、その辺の女性も経験したことが無いほど様々な衣装を着る…いや、着せられる機会に恵まれた。
 だからと言って慣れた訳では無い。
 では何故志願したのだろうか。

 …良く分からない。衝動的な行動であるのかも知れない。
 先のことを何も考えていなかったのだろう。
 流石に華代被害に遭って死んだという例は余り聞かない。ただ、女になってしまったり行方不明になった例には事欠かない。
 行方不明になっている人間はどこかで女としての生活を営んでいると考えられる。

 ははあ、大体思い出してきた。
 実は華代被害も千差万別で、肉体と精神のギャップに苦しむこともあるが、中には精神まで完全に変わってしまい、結果的に幸せな生活を営んでいる「被害者」もいるのである。
 こうなってしまうとある種生まれ変わる様な物である。
 …そういう「リセット」を掛けようとしていたのかも知れない。
 遠まわしな自暴自棄である。

「はい、お姉さん!」
 目の前の可愛らしい女の子が得意げに名刺を差し出してくる。いつもの行動だ。
「あ、ありがと」
 適当に受け取る29号。
 何しろ知識があるもんだから特にリアクションということもない。
 それにしても「お姉さん」と呼ばれるってのは…まあたまには悪いことも無いな、と思った。
 これから一生になり、遠からず「おばさん」になるかも知れないが。
 そう思うと苦笑が漏れた。

「お悩みはありませんか?」
「…そうだねえ…」
 思わず男言葉が漏れてしまったがもう適うまい。
 そう言われるとハタと悩んでしまう。

 そもそも、記録に残っているだけで数十年或いはそれ以上神出鬼没を繰り返してきた存在である。
 説得して出来るものならば苦労は無いのである。
 …ここは考え方を変えてみるのはどうだろうか?
 29号は思いついた。

 そうなのである。「根本的解決」を目指すのではなく、「とりあえず一時的に華代ちゃんを押さえ込む」という方向性ならばどうだろう?
 …という訳だ。

「じゃあ、相談していい…かな?」
 「かしら?」とは言えなかった。
「はい!任せて!」
「華代ちゃんって、毎日活動しているの?」
「うん!毎日やってますよ」
「休まないの?」
「そうねえ…休みませんね」
 実はこれだけちゃんと悩み以外の会話が成立するのは珍しい。

 29号も報告を読んで知ってはいたのだが、かといってどの程度まで意図的に会話の流れを操れるのかは分からない。
 2号の報告を読む限り、下手な小細工は却(かえ)って大怪我をしかねないのだ。
 何とかならないか。

 短い時間だが、可能な限り会話は長引かせるべきではないので、29号は脳をフル回転させる。
 少しでも誤解の余地を減らすのだ。何しろたった一言でトンでもないことをやってのける人間災害である。
 そして…ごく僅かな時間に29号は思わぬ思考に到達した。

 …本当に困っていることを相談してはどうだろう?
 これはいいアイデアであるかのように思われた。
 ここは行き当たりばったりでも何とかするしかない。

「実は…悩みがあるの」
「はい!どんなお悩みですか!?」
 身を乗り出すとはこのことか。
 勢い込んで聞いてくる華代ちゃん。

 もう知恵熱が出そうである。
 これを一体どの様に答えるべきか。
 直接的に言うべきか間接的に言うべきか。
 直接的に言っても誤解される。
 間接的に言っても伝わらない可能性の方が高いから誤解される。
 …どの様に言っても無駄ということか?

 29号は3号のレポートを思い出していた。
 あの時はかなり直接的な用語を繰り出している。
 「性転換によって依頼者の悩みを解決することをやめて欲しい」と。
 そして華代は「分かった」旨の答えを一応は引き出しているのだ。
 だが、結果は知っての通り。
 3号こと藤美珊瑚は男性に接触すると一時的とはいえ女性化&女装させてしまう因果な体質になってしまったのだ。

 一体どの様な論理的帰結を経れば「相談してきた女に、男に障ると一時的に女にする」能力を付与することになるのかサッパリ分からないが、とにかく彼女はその様に判断した。
 これは珊瑚(さんご)個人にとっては悲劇には違いないが、この一件によって被害が一件減ったという考え方も一応は出来る。
 …ま、その分今の自分みたいに弄ばれるのも出てくる訳だが。

「実は…戻れない人がいるの」
 自分が何を言っているのか分からなかった。
「戻れないって?」
「その…私の同僚に、男を女に変える人がいるんだけど…」
 まるで口が勝手に喋っているみたいだった。

「それとは別に、女になったっきりの男の人もいるのね」
 語尾が自然と女言葉っぽくなる。
 だが、それは大きな問題ではない。
 3号の様に華代の能力そのものに言及して本人に対して控えることを厳命するのではなく、その齎(もたら)した影響そのものに今の自分は言及しようとしている。
「それって何とかならないかな」

 と、華代ちゃんは腕組みをして考え込み始めた。
 大人びた挙動が妙に可愛い。これは被害者の多くが油断してぺらぺら喋ってしまう理由も分かるというものだ。
「よし!わかったわ!」
 突如立ち上がる華代ちゃん。

 急に大きな声を出されてびっくりする29号。
 まだか弱い女性の姿なのでとても可憐である。
「まかせて!お姉ちゃん!それじゃあ!」
 それだけ言い残すと、風の様に走り去ってしまった。
「あ…あの…」
 その声はもう届いていなかった。

 .
「…ということか」
「はい」
 ここはボスの部屋である。
 ドブネズミ色の地味なスーツに身を包んだ男性の姿の29号がそこにいた。

「結局華代がその時に何を合点したのかは不明です。私自身も被害には遭っていませんし」
「そしてその直後に男に戻れた…と」
「ま、時間切れだった可能性も大きい訳ですが」
 ボスは大きなデスクに座ったままである。
「ふむ…」
 これまでしょっちゅう3号に女にされた状態でやってきてはバニーガールの妖艶な肢体を見せ付けたりされていたのだが…とりあえず今回は目のやり場に困ることは無さそうだ。

「その後現場に到着した別の班とも共同して周囲の探索を続けましたが、周囲には華代被害は観測されませんでした。私の関係者と思える人間も可能な限り範囲を広げて調べましたが異常ありません」
「そうか…」
 華代被害というのは接触した本人だけにふりかかるものではない。
 「妹が欲しかった」などと口走った為に家に帰ってみると弟が妹になっていた…などということもある。

「ま、ともあれ無事に生還してなによりだった」
「そうですね」
「が、くれぐれも油断しないように。お前には言うまでも無いが時間差で発動することもあるからな」
「心得ています」
 過去には華代被害が時間差で発動した事例もある。誕生日記念だとか、数年を経て発動したと思われる例すらあるのだ。

「お伺いしてよろしいですか?」
「何だ?」
「三号はどうなりました?」
「気になるか?」
「気になります」
「…報告書を読め」
「その積もりですが、是非ボスの口から」

「オレは便利屋じゃねえぞ」
 字面では悪態だが、表情は必ずしも怒ってはいない。
「申し訳ありません」
 こちらもあまり申し訳無さそうではない。
「今のところ行方不明だな」
「そうですか…発信機は」
 当然居場所を特定するために3号の身体にはGPS発信機が埋め込まれている。
「分からん。反応しない」

「分からん…とは?」
「そうイジメるなよ。電池が切れたのか、自力で掘り出したのか…ともあれ追跡は難しいな」
「内通者がいたと言われていますが」
「流石に情報が早いな。…一応そういう風に考えないと辻褄が合わないことが多すぎる」
「では、誰が内通者なのかはまだ分からないと」
「ウチの組織は職員を監視する伝統はまだ無い」
 「まだ」の部分が意味深である。

「最後に一つだけ」
「何だ」
「被害者は全員元に戻りましたか?」
 ここで言う「被害者」とは、先日の騒動で「女王様」スタイルに変えられた政府高官たちや、組織内にかなりいた珊瑚(さんご)被害者のことである。

 ボスはため息をついた。
「そういう殊勝な心がけしてるのはお前くらいだよ…」
 この間にも色々あったのだろう。心労が覗く。
「とりあえず女王様スタイルにされた人間は全員元に戻った。ぶーぶー言ってた奴もいるが、まあ騒いだところで相手にされないだろうからほっぽらかしてるよ」

 確かに、謎の組織に極秘に視察に行った挙句そこで女にされて恥ずかしい格好をさせられました、と騒いだとしても相手にしてはもらえないだろう。
「あいつらの場合は華代被害じゃなくて珊瑚(さんご)被害だからな。少し特殊な経験が出来たとか思わせとけばいいんだよ」
 偉い“特別な経験”もあったものだが、どうもボスはあの政府関係者たちを余り快く思ってはいないらしい。

「噂のナースとかもですか?」
 29号が言っているのは自ら「女にされる実験」を買って出た上に「看護婦」スタイルまで指定してきたロマンスグレーの自称「名無しの権兵衛」氏のことであろう。
「…とりあえずあの人のことには触れるな。以上だ」
「はい。…で、私はこれからどうしたら?」
「どうしたら?通常任務に戻ってもらう。それだけだ。後は報告書を提出して、事務から聞け」
「はい」
 29号は部屋を出た。

 .
「…ということで戻ってきました」
 ぽかんとして固まっている事務員三人娘、水野さん・沢田さん・安土桃香。
「お…めでとうございます」
 最初に口を開いたのは沢田さんだった。
「残念そうですね」
「いえ!そんなこと無いんですよ!」
「まあ、成功率を考えると無理もないんですが」
 29号は苦笑した。

「ど〜も〜」
 だみ声が響き渡った。女子事務員たちの表情が一斉に嫌悪を持つそれに変わる。29号がそれを察して振り返る。
「お、無事に帰還でっしゃな。おめでとうございまー」
 相変わらずインチキ臭い関西弁を駆使する男、21号である。

 勝気な水野さん以外の二人は自然と29号の影に隠れる形になる。
「なんやねん。えらい嫌われようやなー」
 ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている21号。本当に自覚が無いとしたら大したものである。

「で?どないでした?29号はん」
 行儀悪く机の上に座る21号。
「どう?とは」
 特に口調を変えずに応じる21号。こちらは直立不動である。正に好対照だ。

「決まっとりまんがな。華代ちゃんや」
「どうにかやり過ごせたよ」
「“やり過ごせた”?眠たいこと言っとったらアカンわ兄さん。折角志願してそんなもんかいな。がっかりやわ」
 思わぬ嫌味に部屋の空気が凍る。

「…ちょっと。いい加減にしてもらえますか?」
 沢田さんが顔を赤くして怒っている。口調こそまだ押し殺しているがかなり本気で怒っているみたいだ。
「ん?怒ってはりま?すんまへんなあ。関西風の軽い挨拶ってなもんや」
「29号さんは京都出身ですよ」
 ぽつりと桃香がつぶやいた。

 突如言葉に詰まる21号。
 彼は常々生粋の関西人でないことを気にしていた。目の前に「本物」がいたことに多少恐縮したというところだろう。
「…ほんまでっか?」
 21号の額には脂汗が浮かんでいる様に見える。

「そうだけど…」
 29号は『別にだからどうということはないよ』とでも言いたげだ。
「ま、それはええわ。うん」
 明らかにトーンダウンしている21号。
 だが、長年染み付いた「エセ関西弁」は簡単には直らない。

「ウチはえらいことになってまんな。聞きましたか?3号はんのこと」
「あんまりぺらぺら喋らないで貰えますか?」
 水野さんが釘を刺す。
「かまへんやろ。ここには関係者だらけや」
 その調子で表でもやられちゃ適わないんだけど…と言いたいところだったが飲み込む。
 ハンター組織では誰もそんなことを言う人間はいないが、エージェントと事務員では立場が違うのだ。

「どこへ逃げたやら分からんらしいそうやな」
「みたいですね」
「“みたいですね”ってそんな調子ではかなんなあ兄さん。あんたも関係者の一人やで。当事者意識持ってもらわな」
「あなたもね」
 間髪いれずに、それでいて冷静に返す29号。
 「そーよそーよ!」と21号に見えないように口を動かす沢田さんと桃香。
「それはそうと…みせてもらったで二条はん」
 突如本名を呼ぶ21号。
 軽く睨みつける29号。例え事務員の前であれ、本名を呼ぶのはマナー違反である。
「見せてもらったで。スチュワーデスにバニーガール…この間はバレリーナでしたな」
 下卑た笑いを浮かべる21号。よだれが垂れてきそうだった。

「いやあ、たまりませんわ。モデルのおなごでもあんなに色んな格好をしたりはしてへんやろな」
 えへへ…という声までは聞こえないが、明らかにそういう表情である。
「いちどでええからあんなスッチャですさんのお尻を触ってみたいですわ。それが自分でやり放題。極楽でんなあ」
「それは残念でした」
 さらりと流す29号。

「実は…何枚か写真にも起こしてまんねや」
 と言って胸元から生写真を取り出す。
 そこには色鮮やかな赤い口紅を苦悶に歪めて背後からあちこちを三号に揉みしだかれる妖艶なバニーガールが映っていた。
 これは監視カメラの映像を写真としてプリントアウトしたものだった。
 そう…この哀れなバニーガールは29号が三号に性転換&女装させられた姿である。

「21号さん…それは」
 水野さんが制する。
 言うまでも無く監視カメラを勝手に覗いたり、ましてやそこに映っているデータを勝手に使うなど幾らエージェントとはいえ内規違反である。
「まあまあ水野はん。固い事は言いっこ無しや」

「それが何か?」
 全く動じていない風の29号。
「…何とも思わへんか?」
「別に」
 ぺらりぺらりと何枚も捲(めく)る21号。一体何枚持っているのだろうか。

「ちょっと…!」
 幾らなんでもやりすぎである。
 と、写真束の内の一枚がはらりと落ちて沢田さんの足元に飛んでくる。
「おっと…」
 すぐに拾い上げる沢田さん。
「返してもらえまへんか?」
「嫌です」
 明確に敵意を見せながら言い返す沢田さん。

 ちらりと写真を見た。
 そこには下着も同然のキャミソールワンピース姿の女性が三号にスカートをめくられている場面が映っていた。
 29号では無い様だ。
「…誰です?」
「ま、被害者の会の下っ端ってところや」
 下卑た笑いを浮かべる21号。

「見せてよ」
 少し離れたところから水野さんが言う。
 沢田さんが写真を水野さんの方に向ける。
「…事務員の高橋くんだね」
 エージェントではない単なる事務員である。珊瑚(さんご)の毒牙に掛かって性転換&女装させられたところの様だ。

「流石でんなあ。髪の毛もなごおなって面影はかなり消え取るのに」
「手当たり次第に男の人を変身させる珊瑚(さんご)さんも問題あるとは思うけど、その被害者の写真のコレクションなんてもっと悪趣味だと思いませんか」
 水野さんが抑えた声で抗議する。
「何言うてまんねん。減るもんやなし」
「でも、みんな嫌がってるじゃないですか!」
 これは29号の後ろに隠れている桃香である。

「人聞き悪いなあ。大体これは組織の貴重な資料でっせ。それとも何でっか?夜な夜なワイがこの写真を使ってご飯食べてるとでも言いたいんでっか?」
 遠まわしだが実に下品なギャグである。21号の品性を象徴するようだ。
「で?何です?何か御用ですか」
 29号が切り込んだ。

「おっとっと…そうやそうや。本題を忘れるところやったわ」
「ねえ…この写真はいいの?」
 沢田さんが先ほどのキャミワンピ美女の写真をひらひらさせる。
「あ〜、プレゼントしまっさ。ネガはこっちにあるさかい」
「ネガ?」
 水野さんが素早く反応した。

「いや何。29号はんが華代対策に乗り出されたからてっきり美女になってご帰還かと思ったんで寄って見たんでっさ」
「そしたら男のままだったと」
「ま、そういうこっちゃ。あてが外れたわ」
 完全に人の不幸を望んでいたみたいな口ぶりだ。
 もっとも、無事に帰ってきてはいるので、一種の歓迎とも取れなくも無いのだが。
「残念でしたね」

「だから、プレゼントしたろとおもっとった写真やけどな。買い取ってもらいたいんや」
「…といいますと?」
 にやりとする21号。
「さっきのバニー写真やけどな。あれは二条コレクションのホンの一部なんや」
 『二条』とは29号の本名である。

 『二条コレクション』という言い草にその場にいた女子事務員たちは言いようの無い怖気(おぞけ)に襲われた。
 それが何を意味しているのかは明白だったからだ。
「ワイは趣味には惜しまず金を出す方なんや」
 手元でゴソゴソと何かを漁っている21号。
 ふと見ると彼の足元にはカバンがある。持ち込んでいたらしい。

「関西人は何かとケチやと思われとるみたいやけどな。そんなことあれへん。しょーもないことには使わんと、使うべきところにドーン!と使うっちゅーこっちゃ」
 似非(えせ)関西人が京都生まれの京都育ちの人間に関西人気質を説くのだから滑稽な場面である。
「ちょいとばかり苦労したで。ワイはどちらかというと根気は無い方やからな」
 カバンからA4の大きさの本を取り出す。紙袋に入っている。
 21号がかさかさと紙袋を外した。
 その場にいる人間は息を呑んだ。

 その薄い板みたいな「本」の表面に印刷されていた絵柄は余りにもインパクトがあったのである。
 表面に「29」という文字が大きく入っているのだが、何と言ってもその写真である。

 それは大きく白くてそして丸いものだった。
 いや違う。
 それは「しっぽ」だった。

 正確に言うと、バニーガールの衣装のお尻の部分についているウサギのしっぽを模した飾りである。
 それが大写しになっていたのだ。
 これが映っているということは…。

 そう、この写真は…網タイツにパンパンに張り詰めたバニーガールのヒップ部分のどアップ写真だったのだ。
 その艶かしさは、もはや「女体の美しさを鑑賞する」というよりは、生々しすぎて気分が悪くなってくる類のものだった。
「あんたそれ…まさか…」
 既に水野さんはエージェントである21号を「あんた」呼ばわりしていた。

 希望通りの答えを引き出せたことで満足したのか一層笑みが深くなる21号。
「そや…29号はんやで」
「最低!」
 沢田さんが吐き捨てた。
「何言うてまんねん。あんたがた女にされたハンターエージェントたちを毎日着せ替え人形にしとるやないかい」
「でも…」
 確かにそう言われるとぐうの音も出ない。

「いや、違うわ」
 水野さんが毅然として言い返す。
「どう違うっちゅーねん。説明してもらいまひょか?」
 確かにいちごを始めとした女性化ハンターたちに無理に女物を着せたりはしていたが、それはあくまでも女同士のじゃれあいの延長である。
 そもそも彼らはこれから女としての生活に対応していかなくてはならない。必ずしも弄(もてあそ)ぶばかりではない。

 だが、21号のそれは違う。
 明らかに「女性化されたハンター」や珊瑚(さんご)被害者たちを男性的な視点から性の慰みものとして鑑賞しようとしているのだ。
「終わりでっか?」
 しかし、この違いを今の自分が主張するのはいかにも苦しい。

「ちなみにこの『お尻』の方が表紙でんねん。ワイのセンスや」
 得意げに語る21号。
「でもってこっちは裏表紙や。ええやろ?」
 裏返して『裏表紙』の方を見せ付ける21号。
「…っ!」
 そちら側には「お尻」の反対側。つまり、下腹部にクローズアップされたバニーガール…といってもこうもカメラが寄っていては誰なのかも分からない…の写真だった。
 こうなってしまうと、「女性」という人格のある存在というよりも、単なる「パーツ」でしかない。
 しかも、この吐き気を催すほど生々しくセクシーな写真の主は、今ここでスーツ姿で毅然と立っている29号という成人男性のなれの果てなのである。

「最近の監視カメラは画質がよくなっておまんな。コマ送りにして目一杯拡大するだけで写真集に耐えうるだけの素材がそろいまっせ」
 水野さんは小さく舌打ちをした。
 しまった…まさかそんな盲点があったなんて思いも寄らなかった。
「…そんなの作ったんですか」
 あきれ果てた沢田さんがつぶやく様に漏らす。

「そや。29号はんオンリーの『写真集』やで」
 最悪の展開だ。
 男性に触ると一定時間女性化&女装させてしまう「3号」こと藤美珊瑚(さんご)の騒動は、その効き目が一時的であることもあって内部の騒動に留まるとばかり思っていた。だが、こんなことになるなんて…。
 その『写真集』は一見するとそれほど厚くない様に見えたのだが、その実数十ページはありそうだった。
「とりあえず、記録にのこっとるコスチュームは全部網羅させて頂きましたで」
 何枚かぺらぺらとめくり始める21号。

「見たくありません」
 黙っている29号に気を使ってかはっきりと言い切った水野さん。
「まあまあ、そう言わんと。あんたがたOLはんたちはおなごになった男どもを毎日いじっとるやないか」
 そういわれると弱い。弱いのだ。
「そやな…29号はんはセクシーなのがええんやが、女学生みたいな清楚なのも捨てがたいで」
 どうもいちいち言語センスがレトロな男である。「女子高生」ではなくて「女学生」ときた。

「これなんかどうや?」
 見せ付けて来た写真には、トラッド調のブレザーにチェックのプリーツスカートに身を包んだ美少女が呆然と立ち尽くしているところが映し出されていた。
 流石に高速度カメラではないので、手前の方には何か物凄い速度で横切っているらしい物体がブレて映りこんでいる。その辺りがいかにも監視カメラから引き伸ばした代物という感じだ。
 だが、その可憐さは息を呑むほどだった。
「可愛い…」
 思わず呟いてしまった桃香が慌てて口を塞ぐ。

 ニヤリとする21号。
 これを引き出せば勝ちみたいなものである。
 そう、この美少女は29号の変わり果てた姿である。
 いつの記録なのか分からないが、女子高生の制服姿にされた時もあった様だ。
「ポイントは次の写真や」

 ぺらりと次のページにすると、そこにはめくれ上がるスカートを内股になって懸命に押さえつける少女が映っていた。
 どうやら一度通り過ぎた珊瑚(さんご)が引き返してきて、すれ違いざまに思い切りスカートをめくった様だ。
 あの女ならやりそうな話だ。
 はっきり映っていないのだが、手前の影が珊瑚(さんご)だろう。

「どうやこの可愛らしい仕草!たまりまへんなあ」
 下卑たにやつきと共に言う21号。完全にセクハラである。
「きょーびこないな可愛らしい仕草の女学生なんておりまへんで。電車の地べたに座り込んでモノ食い散らかすド厚かましいガキばかりや」
 酷い偏見である。
「それに比べてどうや!このホコリ一つ付いてへん、アイロンと洗濯糊の香りまでしてきそうな清潔な制服に身を包んだ可憐な少女は!」

 確かにそれに関しては事実だった。
 「きょーびの女学生」云々はともかく、写真に写っている珊瑚(さんご)によって少女に性転換させられ、女子高生の制服を着せられている29号の可愛らしさは本物である。
 珊瑚(さんご)の変身させ基準についてはまだ不明なところも多いのだが、恐らくは「変身させよう」と考えればその格好にさせることが可能であるようだ。

 いつのことなのか明確な記憶も定かでは無い。
 監視カメラの画像なので、画面のどこかに日時と時間が映りこんでいる筈(はず)なのだが巧みにカットしてあるので判然としない。
 だが、珊瑚(さんご)のことだから、この時も大勢の男性を毒牙に掛けたことだろう。
 普通に考えれば逃げ回る相手や「すれ違いざま」の人間までいちいち衣装を吟味はしていられないので、いきおい「適当」に割り振ることになる。
 生真面目を絵に描いた様な29号はどうしても悪戯(いたずら)好きな珊瑚(さんご)の標的になりやすい。
 この時にどの程度珊瑚(さんご)が相手を特定して衣装を選ぶ精神状態にあったのかは分からない。
 だが、廊下ですれ違う29号を確認して女子高生スタイルをあてがわれた可能性はかなり高いのは間違いないだろう。

「二条はん。覚えてまっか?この時のことを」
「さあ」
 とぼける29号。
「あんまり女にさせられとっていちいち覚えてられへんか?」
 それはある程度事実だが、その様な屈辱的なことを答える必要は無い。
「あなたは無いんですか?」
 今度は29号こと二条が21号に切り返した。

「ワイでっか?」
「そうです」
「ワイがあんたらみたくおなごの身体にされて女装させられた挙句にスカートめくられて「きゃー」言うたことがあるか…と、そう聞いておまんのか?」
「…はい」
 沢田さんがあまりにもネチネチとしつこいものの言い方にまた手を上げようとするが29号が制止しながら言う。
「ありまへんな」
 勝ち誇った様だった。
「悪いねんけど、ワイには動物的な危険察知能力がありまんねん。『こらヤバイで』思うたらそっち方面には近づきもしませんわ」

 危険察知能力とやらがあるのかどうかはともかく、21号が珊瑚(さんご)被害に巻き込まれていないのは事実だった。
「やからワイは一度も経験が無いねん。そこで聞きたいねんけどな。あの時の気分はどないやねん」
「『あの時』とは?」
 あくまでもとぼける29号。
「決まっとるやないか。女にされ、女物を着せられた時や。兄さん…いや、姉さんかな?…の珊瑚(さんご)はん被害回数はトップクラスやで。知らんとはいわしません」
「別に」

「『別に』って何や。れっきとした男やで?それが女にされた上に女装させられて何も思わんってことがあるかいな」
「ありますよ」
 あくまでも淡々と答える21号。
「あの…何が言いたいんですか?」
 何とか助け舟を出す水野さん。だが、21号の舌鋒(ぜっぽう)は止まらない。

「外野は黙っといてんか!これはワイと二条はんの間のことや」
「だったら外でやって下さい!」
 無視して続ける21号。
「どうや?ここは正直に教えてくれへんか。男同士やないかい」
 さっきは「姉さん」などと挑発的に呼んだくせに今度は「男同士」である。調子のいい男だ。

「別に。特に何もありませんよ」
 まだ猫なで声で続ける21号。
「んな訳あるかいな。男が憧れてやまへん女の身体やで?その上着方も分からんパンティーにブラジャーまでしとんねや」
 この脂ぎった厚かましい男の口から「パンティー」だの「ブラジャー」だのといった言葉が出ると、途端にいやらしくなる。

「どやねん?写真を見る限り年相応…といっても「女子高生」のやで?…の形のいいおっぱいをブラジャーで“むぎゅっ!”と包み込まれた感覚は?寂しくなった股間をパンティ一枚ですっぽんぽんにして空気に晒したんはどや?他の女子高生にされた連中に訊いたんやけどな、何でも女物の肌着まで着せられてんねんってな。あのスリップとかシュミーズとかいう柔らかくてすべすべした女物の下着の肌触りの感触に全身包まれた感触はどないやねん?」
 一気にまくし立てた21号。
「うるさい!」
 遂にたまりかねて水野さんが怒鳴った。

「大きな声出さんでもえやないかい」
「そういう話はセクハラです!私達の前ではやめて下さい!」
「セクハラぁ?姉さんセクハラ言いまんのかいな」
「水野さんいいから」
「ええそうです。不愉快ですからやめて下さい」
「姉さんセクハラの正確な定義知ってはるの?」
「姉さん姉さんやめて下さい!私はあなたのお姉さんじゃありません!」
「そうかい、じゃあ水野はんセクハラの正確な定義を言ってみんしゃい」
「待った!」
 今度は29号の大きな声だった。

「争いはやめましょう。ここは私と21号さんの話です」
「でも…」
 水野さんが不安そうだ。
 その水野さんに向かって「大丈夫だから」とアイコンタクトを送ってくる29号。仕方なく攻撃の手を緩める。
「感想の話でしたね」
 再び話題を21号に向かって投げかける。
「そや。聞かせてもらいまひょか」
「何度でも繰り返しますが別にどうということはありませんよ」
「またそれかいな」

「だってそうでしょ?人類の半分は女性です。女であるというだけで上へ下への大騒ぎになってしまっていたら日常生活もままなりませんよ」
 一瞬部屋に沈黙が訪れた。
「そ、そーよそーよ!」
 沢田さんと桃香が応援する。
「あなたがおっしゃる感覚が無いと言ったら嘘になりますけどね。でも、それこそ女子高生たちにしてみれば普段着です。普段着にそれほど特殊な感想も何もありません」
 …確かに論理的には話は通る。

「そないなこと聞きたいんちゃうわ!あんさんわかっとるやろ!女の身体に女の服やで!男として色々あるんちゃうんか!」
 さっきは水野さんに「大きな声を出すな!」と言っていたくせに自分で大きな声を出している。
 と、その言葉尻に被せる様に29号が言った。
「はい、それです」
「な、何やねん」 
 明らかに動揺する21号。

「先ほど「男として」とおっしゃいましたね」
「言うたわいな。それともあんさん女やとでも言いたいんか?」
 そこまで言った時に21号の脳裏に「しまった」という感情が横切った。
「今は男ですが、その時は女です」
 ここに至って水野さんにも合点が行った。
「女が女の格好をするのは別におかしくないでしょう」

「…そ、それはそやけども…しかし、すぐ前まで男やってんで?」
「あなたは3号に変身させられたことは無いとおっしゃいましたね?」
「まあな」
「だったらお分かりにならないかもしれませんが、女の身体になりますと少なくとも男性的な“性欲”みたいなものは無くなるんですよ。経験が無いのならばお分かりにならないでしょうが」
「…っ!」
 ここに来て「経験が無い」という弱点を衝かれた格好の21号。

「けど…スカートめくられてきゃーきゃー言うてたやないかい!」
「可憐な女子高生ならばスカートめくられればきゃーきゃー言うでしょう。ま、私は反射的に抑えただけで悲鳴は上げてませんが」
 監視カメラの映像から引き伸ばした写真には当然「声」は映っていない。
「ふ…なかなかしぶといな兄さん」
 実はこの論理は詭弁(きべん)だった。
 実際には「男性的な性欲」と言えるものなのかは分からないが、精神的には珊瑚(さんご)によって性転換させられた後も全く変わらないのである。
 なので、女装させられれば例え肉体的には不自然ではない女性のものであれ、男の時に女装させられたのとほぼ同じ程度には動揺するのである。

 だが、ここは21号に経験が無いことを突いて曖昧なまま誤魔化す手法に逃げ込んだのである。
 これは29号が学んだ「ディベート術」の一環だった。
 会話の流れから、ここで弱みを見せるのはまずいと判断しての窮余の策である。

「しかし…次の写真を見ても冷静でいられまっかいな?」
 21号は特製の『29号写真集』のページを更にめくった。
 内股でめくれ上がる前面のスカートを押さえ込む可憐な少女…性転換させられ、女子高生の制服を着せられている29号…の見開きページの次のページにはある意味で度肝を抜く写真が掲載されていた。
「最低!」
「何よこれ!」
 水野さんと沢田さんが同時に叫んだ。

 今度はスカートをめくられるところが背後から撮影されている写真だった。
 先ほどの写真のアングル違いのようである。
 同じところに二箇所も監視カメラは不必要だと思うのだが、どうやらその様だ。
 しかし、今度は写真の中の「女子高生」は完全に不意打ちをモロに喰らっている。
 どの様にそれを行なったのかは不明だが、どうにか前面の「スカートめくり」による下着の露出を防ぐ事に成功した「女子高生」は、その背後から全く同じ様にスカートをめくられていた。

 つまり、元々ふとももの中ごろまでしかない短いスカートは完全にめくれあがってしまっており、既に「パンチラ」の域を越えて「パンティ丸見え」状態になってしまっていたのである。
 本来ならばこのめくれ上がるスカートを抑えるべき手は、直前に行われたであろう前面方向からのスカートめくりに対処する為に身体の前に当てられてしまっている。
 つまり、完全に無防備である。
「…」
「どや?よく撮れてるやろ?」

 得意げに21号が言う。
 あまりのことに絶句して二の句が告げない女性陣たち。
 もしかしたらヌードを見せ付けられたよりも強烈だったかも知れない。
「モデルさんの感想を聞きたいもんや。どないや?」
 どこの世界に盗撮犯本人が被写体の感想を求めるシチュエーションがあるというのか。
 これがいちごだったら間違いなく21号は半殺しにされているところだ。

「肖像権の侵害ですね」
 いかにも軽い調子で言う29号。
「ここに至ってジョークとは見上げたもんや兄さん」
「何が望みです?」
「さっきは傑作ショット言うたけどな。実はまだまだ序の口でんねん。他にもいっぱいありまっせ」
「何が望みです?」

「例えばこれなんかどうや?同じ制服シリーズでな、このブレザー形式の他にセーラー服も着てはりまんねんけど、こっちでも綺麗にスカートめくられとる。膝下まであるスカートやのに下着がばっちり見えるてそらないで」

 ドガン!

 …と机を殴る音が響いた。
 音の方を見ると、水野さんが怒りに燃えた目で21号を睨んでいる。

「…ひゃ〜。おっかないわぁ」
 おどけて言う21号。沢田さんも桃香も水野さんがこんなに怒るのを見たことがないのでそれだけで震え上がってしまっているのに、全く応えていない。
 どうやら21号もそれなりに修羅場を潜った事のある猛者であるらしい。
「ま、しゃーない。本題にはいりまひょか」
「そうですね」
 『その答えを待っていた』とでも言いたげな超然とした態度の29号。

「なんや。最初から分かってたんかい」
「まあ、予想はつきましたよ」
 机が変形しそうな勢いで殴るという切迫感のある状況下でありながら軽快なやりとりを続ける男2人。
「この写真集…素材もいい上に紙質も印刷も最高や。製本も装丁も申し分なし」
「はあ」
「けどなあ…その分元手がかかってまんねや」
 軽く頷く29号。遂に本題が来た。

「もう1,000部ほど印刷してしまってんねん」
「せ、千部!?」
 思わず桃香が声を上げる。
「ああ、そういうこっちゃ」
「それで?」
「何しろ小部数なもんやから一冊あたりの単価がえらいことになってまんねや。しかもただ印刷すればえーちゅうもんでもありまへん。ま、もろもろひっくるめて1,000万円っちゅーとこかいな」
 出て来た金額の大きさに色を失う女性陣たち。
「よかったらこれを二条はんに買い取ってもらいたいねん」

 遂に本音が出た。
 この下衆男は最初からそれを狙っていたのである。
「ワシとしては実際の売上利益でもどっちでもかめへんねん。どや?この写真集が一般の書籍に出回るのとワイにその分の利益を払って済ますのとどっちがええやろか」
 完全な強請(ゆす)り行為である。
 被害者の「女にされて女装させられた上に恥ずかしいことをされている写真集をばら撒かれたくなかったら金を払え」という訳だ。
 普通はこんなムチャクチャな脅迫など通らないのだが、ことハンター組織内ではそれも可能性として否定されないのが恐ろしいところである。

「そんなの払えるわけ無いじゃない!」
 沢田さんが怒った。
「あんたは黙っとき!ワイはこの兄さんに話してんねん」
「デジタルデータの原版も渡してくれるんですね?」
「眠たい事言っとったらあかんで。今回の話はあくまで写真集そのものについてや。知ってまっか?在庫ちゅーて倉庫に眠らせ取る代物にも財産やゆーて税金かかんねん。ワシとしてはさっさと売り払いたいねんな」
 一呼吸置く。
「どや?悪くない買い物やで」

「前の人は幾ら払ったんですか?」
 一瞬たじろぐ21号。
「…そこまで気がついてんねや」
「まあね。というかあなたさっき言ってたでしょ?」
「いや、そんなことは言うてへんで」
「制服を着たことがある人に聞いたってね。下着の感触を」
「あっ!」
 これは桃香である。
「つまり私以外にもこうして強請(ゆす)られた人がいるってことかなと」

 ムチャクチャな話である。
 29号は精神的にとてもタフな人間である。その上ディベート術の心得があり、容易く相手の口車に乗ることは無い。
 だが、ごく普通の珊瑚(さんご)被害者がこういう風に強請(ゆす)られてしまえばお金を出してしまう可能性は充分にある。というか間違いなく負けてしまうだろう。
「なんてことを…」
 怒りに震える水野さん。
「ま、それはナイショや。単価はあかせんわ」

「さっき僕がどう思ったかをかなりしつこく聞きましたね」
「そやけど…だから何や」
「きっと『女になった』ことを肯定的に語ったりした証言を取りたかったんでしょう。しかしね…」
 何故か沈黙を置く29号。
「しかし何や!」
「そんなに意識したんじゃポケットに隠しマイクがあるのはすぐ分かっちゃいますよ」
 咄嗟にびくっ!とリアクションを取る21号。

「おや?どうしました」
「…流石やな」
「分かりやすい人ですね。あてずっぽうだったんですが当たりですか」
 そう、21号はこの部屋に入ってきた時からずっと会話を録音していたのである。
 もしも29号の口から「女物の下着の感触は気持ちよかった」的な発言があったならばそれをダシにして更に強請(ゆす)る気だったのである。
「結論から言うとお金を出す気はありません」
「何やて?」

「払う必要は無いですね」
「正気かいなあんさん」
「至ってね」
「じゃあ、この写真が流出してもええんやな?」
 紙質がいいのでかなり重そうな写真集を掲げてペラペラと捲(めく)る21号。
 そこには「連続写真」が映し出されていた。
 まだかなり最初の頃なのか、逃げ惑う29号の後ろから追いすがる珊瑚(さんご)…という図式である。

 どの様に素材を採取したのか分からないが、かなり激しい動きであるはずなのだが鮮明に撮影されている。
 ごく普通のスーツ姿の男性が後ろから走ってくる妙齢の美女に背中を叩かれた瞬間、弾ける様に髪の毛が空中の四方八方に伸びたまさにその瞬間だった。
 次の写真では、走りながらも身体の前面を押さえて蹲(うずくま)りかけるも、尚体制を立て直して懸命に前進しようとしているところのショットだった。
 髪の毛は腰まである流麗なものであり、すっかり美女然とした顔つきになっている。
 ほっそりとした体型に似合わない男性もののスーツを着こなしたマニッシュなOL…というところだ。
 その彼女が長い髪を振り乱して尚も逃げている。

 だが、その美しい髪があだとなった。
 髪の毛を掴まれて勢いが減少する美女。
 次の瞬間、遂に追いついた珊瑚(さんご)…といっても、こちらは巧妙に顔が映らない様にアングルに工夫がしてあり、時には修正されている…がスーツの背中を鷲掴みにし、思い切り後方に引っ張ってむしりとっている。
 連続写真なので、掴み、引っ張り、引き剥がす過程が良く分かる。
 下手人が女であるとはいえ、これは立派に強引に衣類を剥ぎ取られる女性の連続写真そのものだ。

 だが、奇妙な事にその「剥ぎ取った」筈(はず)の服はその瞬間に空中に熔(と)ける様に消滅していた。
 同時にその「スーツの下」が露出するが、そこには意外なものがあった。
 白いワイシャツが見る見るうちに漆黒に染まり、凄い勢いで露出度を上げていく。
 すぐにその黒い生地は身体にぴったりと密着し、そのメリハリのある体型を露にする。
 上半身が一瞬裸になったかの様な感慨を催すが、胸から下にだけその「黒い生地」が生き物がうねるかのようにまとわりついてぴったりと張り付いた。

 その生まれたばかりの敏感な乳房、そして背筋を「むぎゅっ!」と締め付けられて、背筋をのけぞらせてびくつく美女。
 振り乱された髪が舞い踊り、この一瞬のやりとりで汗ばんだ顔に一筋張り付いてなんともセクシーである。
 その生々しさにもう水野さんたちは正視していない。

 次の写真でもその「変容」は続き、ぴったりと身体に張り付くその「黒いもの」は全身を覆っていた衣類を巻き込みながら変化させ、成長を続けていた。

 最早「ズボン」はその体を為しておらず、上半身の胴回りから下腹部までひとつながりの一体化したものとなっていた。
 完全に下半身の大きく張り出した臀(でん)部にふともも、艶(なまめ)かしい脚線美そのままの形にぴったりとはりついたかつての「ズボン」はハイレグのレオタード状に形を残すと、「脚」全体に無数の穴が開いていく。
 これほど奇妙な写真はこれまで見たことも無かった。

 次の写真ではもう何が起こっているのかははっきりと分かった。
 「脚」全体を包み込んでいた漆黒の生地…「ズボン」のなれの果て…全体に無数に開いた細かい穴はすぐにその大きさを広げて行き、「これ以上穴が大きくならない」とことまで広がって止まった。
 脚全体が網掛けされた様な模様が浮かび上がったのだ。

 これは単なる素脚よりも、そして肌色ストッキングよりも、そして黒いストッキングよりもずっとエロティックだった。
 そう、それは「網タイツ」だったのである。

 写真では、その「変身模様」に襲われている被害者はまだけなげに抵抗を続けている。
 動揺の余り立ち止まってしまうが、すぐに気を取り直してまた逃げようと走り出す。
 だが、腕を掴まれて逃げることが出来ない。
 そうこうする内にお尻の部分に白いぽんぽんが「ぴょん!」と出現する。
 まるで本当のうさぎのしっぽみたいに湧き出てきたみたいだった。
 いつの間にか手首にはカフスが止まり、首元には申し訳程度の蝶ネクタイが止まっている。
 どの段階でどれが出現したのかも鮮明に分かる連続写真である。

 必要に応じて時にはクローズアップし、時には全体を俯瞰(ふかん)する実に巧みな編集技術である。
 一瞬姿勢を崩して転びそうになる「被害者」。
 写真は足元の革靴が、エナメルのハイヒールに変貌しているところをしっかり捉えていた。
 しかもごていねいにストラップ付きで容易に脱げないタイプである。

 ぐらりと姿勢がゆらいだことでカメラに向かってお辞儀をする形となり、期せずして胸の谷間が見せ付けられる。
 髪の毛をかき分ける様にうさぎの耳を模した髪飾りが頭皮から生えて来る…様に見える。

 自らの変わり果てた姿に動揺している「被害者」の表情にぬらりと濃いメイクが乗っていく。
 一瞬何かの痛みを感じたかの様な表情と共に耳たぶをイヤリングがつまみ、爪の先に真紅のマニキュアが走って行く。

 次々にめくられたために枚数も把握できなかったが、二十枚には及ぼうかという連続写真の結果として、そこには完璧な「バニーガール」が出現していたのである。
 文句を言おうとしていた水野さんたちもいつの間にか写真に釘付けとなり、最後まで付き合ってしまっていた。
「どや?良く出来とるやろ?」

 意思に反して強引に履かされたハイヒールのために、前方につんのめりそうになっている哀れなバニーガールがよろよろとしながらも懸命に姿勢を保ちながら、自らの身体を必至に観察している。
 どうやら「珊瑚(さんご)被害」に遭うのがまだ経験が浅い頃であるらしく、その狼狽振りは写真を通してすら明らかだった。
「まだこの部分続くんやで!どや!どや!どや!」
 次々にめくられていくが、今度という今度は見るに耐えないものだった。

 「初バニー」となったと思われる被害者。
「ワイはこの表情が好きなんや。初めて女へと性転換させられた挙句にこないなこっ恥ずかしい格好をさせられる…。なまじのおなごでもこないなケッタイな格好した経験のある人はそうそうおらしまへんで。それをよりにもよって男が女に変えられてさせられる!たまりまへんなあ。どやこの表情!」
 念入りなことに表情まで引き伸ばして大きな写真にしてある。
 残念ながら表情を正面から捉えたカメラは存在していなかったらしく、うつむき加減ではあるが、その狼狽振りはよく伝わってくる。
 大きく見開かれたその目には青くアイシャドウが乗り、マスカラたっぷりのつけまつげが重そうだ。
 真っ赤な唇を広げるとも歪(ゆが)めるとも分からない形にして両方の掌(てのひら)を自分の方に向け、目の前のバニーガールの衣装に包まれた「胸の谷間」を見下ろしている生まれたばかりの美女。

 その哀れなバニーガール…勿論いまここにいる男性の29号その人…が姿勢をのけぞらせて飛び上がる。
 …という様に見える写真である。
 余りにも活き活きしていて「きゃん!」という嬌声まで聞こえてきそうだ。
 どうやら、ちゃんと映りこんでいない加害者…つまり珊瑚(さんご)…が、背中かおしりをいやらしくまさぐったらしい。

 ここから先は「連続写真」というよりは逆に「スローモーション」の様だった。状況が変化するたびにいちいち、身体の各部分がクローズアップで挿入される写真の順番構成。
 網タイツの膝部分あり、ハイヒールそのものに寄った写真あり、勿論汗ばんだ胸元や紅い口紅もまぶしい口元など。
 その後は苦悶なのか羞恥なのか、表情を苦しそうに歪め、身体をのけぞらせて逃れようとするバニーガールと、それをたくみにすり抜けて交わしつつ全身を撫で回し、つんつんとつっつく痴女とのくんずほぐれつ写真が延々と続いた。

 この妖艶なバニーガールが元・男性であるという注釈が無ければ立派にそちら方面の商品として通用するのではないか?と思わせる。
 無論、バニースーツを脱がせる様なことは決してしない。
 ずれそうになることはあっても、ずれることはまずないが、それでもなまじ見せられるよりもずっとエロティックである。

「どや?最高の見世物とは思わへんか?」
「あなたにとってはそうでしょうね」
「余裕もここまでやで。ワイの知り合いを舐めたらあきまへん。もう手筈は整っとるんや。電話一本で出荷するで」
 携帯電話を取り出す21号。

 す…と手を上げる29号。
「分かりました。買いましょう」
「二条さん!」
 沢田さんが思わず声を出す。
「へへへ…物分りのいいこって助かりまんねん」
「定価を伺ってよろしいですか?」

「そやね。なんちゅーても部数が少ないねんから1冊10,000円で1,000冊で1,000万円で手を打ちまひょか」
「いや、それは全体の金額でしょ?私が聞いているのは1冊あたりの単価ですよ」
「店頭価格っちゅーわけやな?」
「はい」
「こういう特殊な舞台仕立ての「シチュエーション写真集」みたいなのは固定客がおりよってな。15,000円や」
「それが1冊の店頭価格ですか?」

「店頭とは限らへん。注文を受けて郵送することもありまっさかい」
「それにしても安すぎませんか?」
「何や?経営コンサルタントかいな?別にええやろ。値段交渉で自分から値段吊り上げようとする物好き初めて見ましたわ」
「まあ、いいでしょう。では」
 といって財布を探り始める29号。

「丁度持っていて幸いでした」
 そういうと、1万円札1枚と5千円札1枚を21号に向かって突き出してくる。
「…兄さん。何やねんこれは?」
「1万5千円ですが」
「んなことはわかっとるわ!桁が大分ちゃうんちゃうか言うとんのじゃ!」
「折角なんで記念に自分用に一冊貰えますか?」
 不意打ちだった。

「何やそんなことかいな…んなもん出さんでええわ。1冊くらい進呈するわいな。ワイとて鬼や無いねんから」
「そうですか。それは結構」
「それにしても何に使いまんねん?やっぱやらしい自分の姿見てええ気持ちになろう言うんかいな?」
「ま、そんなところです」
 あくまで受け流す29号。

「じゃあ、今あなたが持っているその1冊を頂いてよろしいですか?」
 先ほどから散々見せられた分厚い写真集「29」である。
 扇情的ではあるが、ある意味「珊瑚(さんご)被害」の被害者を捉えた貴重な資料でもある。
「あ?これか?…これはまだ細かい調整前のサンプルや。あんさんにはきちんとした完成品を提供しまっさ」
「いや、別にそれで構いませんから」

「まあ、そう焦ったらあかんわ。ちゃんと持ってくるさかい安心しなはれ」
「じゃあ、この話は1冊頂いてからということで」
「どうしちゃったの?二条さん…」
 沢田さんが思わず口に出してつぶやいた。
 21号に見えない様に沢田さんの方を向いた目をぱちっとつむる29号。ウィンクだった。

「同時やな」
「同時と言いますと?」
「目の前のパソコンで振込み操作しなはれ。ワイが確認したらあんさんのところへの郵送と、完成した写真集の廃棄を指示したるわ」
「あくまでも今この瞬間に私用の写真集は頂けないと?」
「しつこいな!そないに自分のバニーガールやらセーラー服の写真が見たいんかいな!後で必ず届ける言うとるやろが!」
 必死で怒鳴る21号。
 その声には傍から聞いていても明らかな焦りがあった。

「じゃあ、交渉決裂ですね」
「何やて?」
「あなたに払うお金は1銭もありません。写真集そのものの現物にならば出す用意もあったんですがね」
「本気かいな?何が起こるかわかっとるんか?」
「別に何も起こりませんよ」
「脅しやないで?」

「脅しですね。単なる」
 自信満々に言い切る29号。
「ほう、言うやないか。世界中にあんさんがバニーガールになる写真が溢れてから後悔しても遅いねんで」
「少なくとも写真集が出回ることは無いですね。だって印刷されてませんから」
 部屋の空気が凍った。

 水野さん。
「二条さん、それはどういう…」
「21号さんは印刷なんてしてませんよ。あるとしたら手元にあるその1冊だけですね」
「馬鹿言うたらアカンわ。何やねんそれは」
「ポイントは店頭価格と僕に売りつける値段の差ですよ」

「普通に売れば1,500万円になるのに弱みを握っている相手にダンピングしてどうするんですか。僕なら3,000万円で買い取ってもらいますね」
「さ、3,000万円!?」
 桃香がびっくりした声を上げた。
「勿論この額はハッタリです。最終的には2,000万円くらいで手を打つかも知れないけど、最初から定価割れで交渉持ちかけるなんてありえない」
 この辺りの交渉術は京都生まれの京都育ちである29号の為せる業なのだろうか。

「つまり、印刷なんてしてないってことですよ。ずばり、実際の写真集の形になっているのは今21号さんの手元にある1冊のみか、或いはせいぜい数十冊というところでしょう」
「…」
「とても立派な装丁ですから小部数だと単価が跳ね上がります。その1冊で少なく見積もって20万円は掛かっているでしょうね」
 21号が心なしか青ざめた様に見える。

「大体、もし本当に印刷していたとしても交渉に応じる気はありませんよ」
「何やて?」
「私があなたの立場なら、折角印刷した写真集を廃棄するなんて考えられません。口封じのお金をせしめた上で売りさばいて儲けますよ。当然じゃないですか」
「…ワイの見込み違いやったようやな」
 じわりと後ずさりする21号。
 反射的に水野さんに目配せする29号こと二条九郎。
 水野さんがアイコンタクトで頷いた。

 同時に事務所の入り口の扉が閉まった。
「畜生!」
 脱出が間に合わなかった21号がその太った腹を抱えて何度もショルダータックルをするがびくともしない。
「大人しくしろ。裏切り者が」
 29号がそれまでの柔和な立ち振る舞いからは考えられないほど厳しい声を発した。

「…うるさい!」
「お前が内通者だということはもう分かっている。これ以上怪我をすることもあるまい。大人しくするんだ」
「やかましわい!」
 何かを投げつけようとしたのだろうが、周囲に何も無かった為に飛び掛ってくる21号。
 だが、その瞬間太った身体が宙を舞っていた。

 ずしん!と大きな音を響かせて背中から落下する21号。
「むぎゃあっぅ!」
 訳の分からない悲鳴を上げてのけぞる。
「あんた受け身も知らんのか」
 29号がその体術で21号を投げ飛ばしていた。
 いや、相手の力を利用して転ばせたのだ。
「水野さん警備員を呼んで」
「はい!」
 即座に電話する水野さん。

 事務室は騒然となった。
 たちまち駆けつけた警備員に取り押さえられた21号は無駄な抵抗をしようとするが、投げ飛ばされた際にロクに受け身の姿勢もとらないまま背中から落下した為に一時的に肺が潰されてしまい、その息苦しさに悶絶している。
「怖い思いをさせてしまいましたね」
 まだ21号から視線を逸らさずに女子事務員たちに言う29号。

「いえ…いいんですけど…」
 修羅場の経験も豊富な桃香はともかく、ごく普通の事務員である水野さんと沢田さんにはショックな現場だったかもしれない。
「元々この21号さんには疑惑が多くてね。でも決定的な証拠が掴めていなかったんです」
「今日も証拠固めをしてたんですか?」
「内通者を見張るのは僕一人ではないし、対華代ちゃんミッションに名乗り出たことで一応の引継ぎもやってたんでね」

「あ…」
 対華代ミッションは、恒久的に性転換して帰って来るのはまだいい方で存在を抹消されたりどこか別の存在に置き換わったりしかねないので一応身辺を清算してから行なうことになっている。
 度々珊瑚(さんご)被害に遭っていた29号を強請(ゆす)ろうと狙っていた21号が焦って動いたために何か証拠が出てきたのだろう。

「おい!立て!」
 苦しがっている21号を無理矢理立たせようとしたその時だった。
「死ねやこのドサンピンがぁ!」
 突如叫んだ21号の手には小さな銃器が握られている。
 卑怯なことに21号は29号を直接狙わず、もっとも一般人である沢田さんに狙いをつけていた。
「危ない!」

 気が付いた瞬間には29号が沢田さんを突き飛ばしていた。
 のみならず、床に叩き付けられない様に抱きかかえ、相撲で言う「かばい手」でフォローしていた。
 21号の銃弾はあらぬ方向に逸れ、天井に穴を開けていた。
 見ると、桃香が手刀を一閃させ、銃ごとなぎ払っていたのである。
 最も危険が少ないであろう天井方向に向けてだ。

 警備員に羽交い絞めにされた状態の21号はそれでも尚訳の分からない呪詛を吐き散らしていたが、怒りに燃える桃香と…そして水野さんの強烈なパンチをかなりの数食らって伸びた状態で連れ出されることになった。
「…大丈夫ですか?」
 ゆっくりと起き上がりながら29号こと二条が言う。
「ええ。有難うございます」

 あんなことがあったのに気丈に振舞う沢田さん。
「起き上がれます?どこも打ってませんか?」
「はい…いいですか?離してもらって」
「あ、失礼しました」
 心ならずも沢田さんを押し倒す様な形になっていた29号が慌ててどく。
 事情を知っているので男女のモラルに厳しい女子事務員たちも誰も非難なんかしない。

「それにしてもトンだことだったわね…」
「スミマセン。あたしが気が付くべきだったのに」
 桃香が落ち込んでいる。
「元々怪しいと思ってたのよね…ってどうしたの愛ちゃん?」
 あの饒舌な沢田さんが何故か黙りこくっている。
「そんなにショックだったのね」

「…何か…へん」
 立ち尽くしてじっと自分の身体を見下ろしている沢田さん。
「どこか打ったりしたの?」
「いや…そうじゃなくて…」
 次の瞬間だった。

「う…あ…あああっ!」
 信じられない光景だった。
 ぴちぴちのミニスカートが見る間にその素材を伸ばして行き、筒状の形状がそれぞれの脚を包み込む。
「な、何よこれ!?」
 冷静な水野さんも叫んだ。

 ミニのタイトスカートはゆったりとしたズボンへと変化していた。
 変化は止まらず、ブラウスはワイシャツとなり、何処(どこ)からとも無く紺色で地味な色合いのネクタイが出現する。
 あっという間に沢田さんはだぶだぶの男性もののスーツ姿に「男装」している形になってしまった。

「愛…さん?」
 先ほど大活躍した桃香も呆然としている。
 そこから更に信じられない変化が沢田さんの肉体を襲っていく。
 小柄で柔らかいその身体はバランスよく筋肉のついた逞(たくま)しいものになっていく。
 童顔だったその顔は面影を残した凛々しい青年のものへと変化してしまった。

 水野さんは悲鳴を上げたかったのだろうが、理性が抑えたのか呆然として言葉も出せなかったのかその場で固まっていた。
「…これって…」
 そう言って全身をぺたぺたと触る元・沢田さん。
 それを最後にその場で崩れ落ちてしまう沢田さん。
 飛び掛る様にして昏倒で頭を打つことを防ぐ29号。

「二条さん!華代反応!」
 正気を取り戻した水野さんが叫んだ。
「あ、ああ」
「桃香ちゃん医療班呼んで!」
「はい!」
 テキパキと指示をする水野さん。
「…華代反応は無い」
「そんな…」

 突然の性転換が起こったからにはそばに華代がいる可能性がある。
 だが、華代反応は無いという。
 確かに華代探知機は100%ではない。それにしてもこれは不可解である。
「医療班来ました!」
 伸びているハンサム(元・沢田さん)をタンカに乗せようとしたその時だった。

 手伝っている看護婦さんが突如苦しみ始めたのだ。
「…!?」
 今度の変化は一瞬だった。
 着ている服が看護婦の白衣から、男性看護師の白衣へと変貌を遂げたのだ!
「きゃー!」
 絹を裂く様な悲鳴と共に「患者」も放り出して飛び上がる看護婦。
 だが、その声は徐々に野太いものになってしまう。

 完全に男性看護師へと変貌を遂げると同時にこちらもまた気絶してしまう。
 事務室はパニックに陥った。
「落ち着いて!みんな落ち着いて!」
 修羅場を潜った経験のある桃香はともかく、水野さんがこの期に及んで平静を保っているのは驚嘆すべきことだった。
 流石は単なる事務員とはいえ特殊機関に務める職員だけのことはある。

「二条さん離れて!」
 水野さんが大声を出す。
「…水野さん…」
「いいから離れる!離れなさい!」
 まるで強盗犯を追い詰める婦人警官みたいな厳しい調子である。
「部屋の隅に行って!すぐに!」
「どうしたんですか?ますみん」
「いいから!」

「落ち着いて下さいよ水野さん」
 流石の29号も動揺が見て取れる。
「悪い方の予感が当たったみたいよ二条さん」
「何!?何のこと?」
「これ以上被害を出せない!とにかくひとまず離れて!」
「…分かりました」
 何やら観念した様に立ち上がると、事務室の隅にまで下がっていく29号。

「申し訳ありませんが、拘束されて頂けますか?」
「拘束!?二条さんを逮捕するっての?」
 脂汗が流れ落ちる29号こと二条九郎。
「すみませんが…それはどういう権限で…」
「知ってます。あたしは単なる事務員ですからそんなことを強制できません。自主的にお願いしたいんですが」
 沢田さんはまだ男性の姿で伸びている。
 すぐそばには哀れな男性看護師となった看護婦が同じく伸びている。

「桃香ちゃん!すぐにボスを呼んで!それから誰でもいいからハンター能力を持つ人を呼んで頂戴!今すぐ!」
「…何事です?華代被害が出ているんならばハンターはそちらに回さないと」
「…二条さん。あなたなら推測がついているでしょ?」
 29号は答えなかった。それは無言で返事をしているも同じだった。

「大丈夫。あたしも実験台になるから」
 水野さんと29号以外には全く分かっていない。
「じゃあさあ、飛行機のパイロットのこととか思い浮かべてくれますか?」
「本気ですか?」
「ええ本気よ。あたしだってこの組織に入ったときから覚悟してる」
 その時だった。
「何事だ!?」
 ボスの声だった。

 .
「では、状況をまとめてくれ」
 ボスが腕組みをしたまま言う。
「えー詳しくは報告書に書いてあるけども…」
「あー1号。ここは職場なんで一応わきまえてくれ」
 いちごは少しむっとしていたが、
「了解。3号は内通者の手引きで逃走。直後に29号の幼馴染みを名乗る若い女性が29号に接触を試みます」

 いちごは、黒いストッキングも艶(なまめ)かしいタイトスカートなどという窮屈な格好はもちろんしておらず、いつもの白いTシャツにジーパンというラフな格好である。
「そこに3号こと藤美珊瑚が現れて29号を性転換させ、踊り子の扮装をさせます」
 『踊り子』というのはバレリーナのことである。
 いちごなりに直接表現するのは気を遣っているのであろうか。
「このドサクサにまぎれて3号は逃走。幼馴染みの女性はその後一切の監視カメラに記録が残ってませんので、恐らく内部には入られていない模様」
 ボスが頷きながら聞いている。

「気丈なことに29号は女のまま…勿論割と常識的な格好に着替えてですが…対華代ミッションに参加。毎度のごとく何の成果も無く組織に帰還します」
「そこまでは良かったんだが…」
「はい」
 聞きなれない相槌がボスの部屋に響いた。
 そこにはすらりと背の高いハンサムがパイロットの制服に身を包んで直立不動で立っている。

「対華代ミッションに出かけて行って元の性別のまま帰還した例は稀です。ましてや本人に直接接触していながらということになるとこれ以前には1例しかありません」
「ふむ」
 言うまでも無くそれは珊瑚(さんご)の例である。
「その後21号が事務室にやってきて二条さん…29号さんを脅し始めます」
 これはパイロット氏。

「何故奴は素直に逃走しなかったんだ?」
「それは何とも…しかし元々お金に汚いトークはしてましたから、最後のひと稼ぎってところだったんじゃ無いですかね」
「…こうして声を聞くと、口調は変わらんな。水野さん」
「は…私も声に違和感があります」
 といってにこっと笑うパイロット。
 この「男性」は水野さんが男性化し、男装させられた姿である。

「あれから組織全てに調査を掛けたんですが、ハンターエージェントに被害者はいません。しかし、ごく普通の男性職員で被害に遭った人が何人かいました」
「それは、女装姿を写真に撮られて「ばらまく」と脅されて金を払ったということか?」
「そうなりますね」
「被害総額は?」
「現在調査中です」

「全貌が明らかになることは無いでしょうね」
「恐らくな」
 ボスがため息交じりに言う。
「21号の私物は?」
「今、14号が5寸刻みで調べています。パソコンは5号が」
「証拠を残すとも思えんが」
「本人の自供に頼るしか無いでしょう」

「それってまさか…」
「ウチは会社じゃねーよ。何かと言うとひっぱたいたりはしねえ」
 『会社』というのは情報組織の隠語でCIAのことを言う。
 いちごは口を割らせるための拷問の可能性を否定したのだ。
「とにかく問題は29号です」
「うむ」
「ここにいる…水野さんをはじめとして3人が被害に遭ってるんで間違いないでしょう」

「珊瑚(さんご)の能力の真逆ですね。触れた女性を一時的に男性化して、男装させる能力を身に付けてしまったと思われます」
「という訳で私もそんなことになってしまいました」
 割と冷静に言うパイロット。
「しかし、何故その格好なんだ?」
「分かりませんけど、珊瑚(さんご)さんの能力だとしたらどうせすぐに戻れると思いましたし…実は小さい頃にパイロットに憧れていたこともあったので」
 肝の据わり方は大したものである。

「まだ元に戻った女がいないので分かりませんけど、発動は今のところ100%。私が見たところ条件も同じです」
「なんてこった…ウチのエージェントの中でも切れ者で使える男だったのに…」
 残念そうにしているボス。
「あー、別に死んだ訳じゃないんで」
「そうですよ。それに29号の性格を考えれば悪用することは考えられません」

「ふん…」
 電話が鳴った。
「ちょっと失礼」
 しばらく電話口でしゃべるボス。
「あー分かった。ご苦労」
 受話器を置くボス。
「64号からの報告だ。やはり珊瑚(さんご)と21号の間には個人的な金銭授受があるらしい」
「決まりですか」
「そう判断するしかあるまい」
 要するに21号の強請りは珊瑚(さんご)に直接依頼して「被害者」を狙い撃ちしていた可能性が高いということだ。

 珊瑚(さんご)が執拗に女性化&女装させられた被害者を弄(もてあそ)ぶのは「おいしい構図」をカメラに収めるためであった可能性が高いということになる。
 正に「能力の悪用」の最たる例である。
「もっと前から監視しておけばよかったですね」
「今さら言っても仕方が無い。29号はどうしてる?」
「一応拘留してます。ボスの判断を仰ぐということで」
「珊瑚(さんご)ほどの監視は必要ないだろう。だが、珊瑚(さんご)と同じ手袋などの処置は必要だろうな」

「ま、女になっちまうよりはマシかもな」
 自嘲気味に言ういちご。
「どうかな?珊瑚(さんご)のあのヤケクソぶりはかなり自暴自棄もあったんだろ?」
「みたいですね。こっちもなれるもんなら自暴自棄にもなりたいですが」
 戻る見込みの無い少女にされたいちご始めとした華代被害者の立場とどちらが過酷であろうか。

「とりあえず珊瑚(さんご)用に作った手袋をさせて29号をこの部屋に。いちごは21号を締め上げろ」
「はい」
 少し『にやり』とした様にも感じられるいちごだった。
「多少の手荒い処遇は構わんが、情報収集が第一だ。取引を持ちかける形にしろ。空手形なら幾らでも切っていい」
「了解です」
 恐ろしいやりとりが上層部で交わされている。

「水野さんは悪いが科学班監視の元、戻るまで個室だ」
「はい。覚悟しています」
「別に硬くなることはない。戻るまでの様子を観察するだけだ。好きな本を読んでいても構わないし、外部との連絡も自由。勿論寝ていてもいい。ただ、珊瑚(さんご)被害の時には最初の被害でも長ければ2日はそのままだ。その間完全に監視下に置かれることになる」
「分かりました」
「では、下がってくれ。今回の仕切りはお見事だった」
「有難うございます。失礼します」
 水野さんが部屋を出て行った。

「さて…と、どうしたものかな」
 水野さんが下がった部屋で2人きりのいちごとボス。
「どうもこうも無いでしょう。21号に吐かせます」
「奴は珊瑚(さんご)と連絡を取り合っていると思うか?」
「間違いなく。そもそもあの二人が繋がっているなら珊瑚(さんご)が見返りを求めてくるでしょう」
「やれやれ…ウチは自分のところの職員を監視する制度がなっとらんな」
「こんな風にやられたんでは仕方が無いでしょう。…そもそも21号はどういう経緯でウチに入ったんで?私も知らなかったんですが」

「その辺りは不透明でな。正直、ハンター能力があるのかどうかも分からない」
「どっかのツテで押し付けられたとか?」
「そんなところだ」
「身辺調査は?」
「やったが形式的なものだ」
「そんないい加減な!」

「オレも辛いところでな。一エージェントだった頃には好きなことやってればいいが、偉くなると何も分かっとらん政府のお偉いさんのご機嫌を取るのも仕事のウチでな」
「ウチは天下りを受け入れるほど余裕はありませんが」
「こんな組織に来る物好きなんぞおらん。旨みもゼロだ」
「とにかく、どこのツテなのかは聞きませんが、これから先は遠慮する方向でよろしく」
「まあ、言いやすくはなったよ」

「珊瑚(さんご)の居場所は?」
「ん?ああ、ようとして知れずだ」
「奴は21号が捕縛された事には気付いてますかね?」
「ユニット2によると今のところ21号にどこかから連絡が入った形跡は無い。だが、もう別組織に保護された可能性は捨てきれない」
「ウチに対抗しようとする組織?CIOとか?」
 「CIO」とは「キャビネット・インベスティゲーション・オフィス」の略で、「内閣情報調査室」通称「内調」のことである。

「いや、向こうは表向きは「日本のNSA」などと嘯(うそぶ)いちゃいるが実際には職員全員が名簿に名前が載っている公務員さ。海外支部だってその日のこの国の新聞を翻訳してFAXしてる程度の組織さ」
 それも大事な情報には違いないが、店頭で売られている新聞ソースの情報など機密度が高いわけが無い。
 「民間企業の情報の方が速い」と言われる所以(ゆえん)である。

「逆に国内組織ならウチになんぞ手を出さんだろう」
「…海外の組織だと?」
 ボスは無言で頷いた。
「…それは…」
 いちごも脂汗が流れてきた。これはただ事ではない。

「国によるが、本物の情報組織となるとウチみたいな町内会の延長みたいなのとは訳が違う。ましてやあいつは女だ」
「あの能力持ちですが」
「みなまで言わすな」
 その通りだった。
「政府には話は?」

「一応別件で指名手配することは考えている」
「道路封鎖もんですよ」
「ウチの権限じゃ無理だ」
「…ことの重要性が分かってないんじゃ?」
 しばらく考え込むボス。
「分かってるさ」
 立ち上がって窓の外を見る。
「人海戦術しかない」
 その時だった。

 室内の電話が鳴る。
 水野さんがいないからなのか、そのまま受話器を取らずにスピーカーホン状態にするボス。
「どうした?」
『華代被害出ました。都内です』
「わかった」
 すぐに切るボス。
「ということでよろしく頼む」

「そんなことやってる場合ですか?」
「華代被害の復旧も我々の重要な役割だ。それからご苦労だが同時に珊瑚(さんご)がいないかも目を光らせておいてくれ」
「んな無茶な」
「無茶は承知だ」
 やれやれ…と首をふるいちご。

「とにかく何でもいいから奴を指名手配してください。一刻も早く確保しないと」
「お尋ねものにする気か?」
「交番に掲示して一般人にさらせってんじゃないですよ。警官なんかの関係者だけでもいい」
「ウチの国にはそういう体制が無くてな」
「…」
 何かを思いついた風のいちご。

「あの名無しの権兵衛氏は?」
「あの人のことは忘れろ」
「無理ですね。絶対に何かある」
「この国にとって重要な人物だ」
「結構。ならば協力を仰ぎたい」
「余り我々みたいなはみ出し者と関わったことをつつかれたくない」

「いいとしこいて看護婦コスプレ願望を持ったじいさんがそんな重要人物だと?」
「はっきり言えばそういうことだ」
「あの時にSM嬢のコスプレをした連中が大勢いたでしょ?見たところ高級官僚めいたのも大勢いた。今なら国を動かせる。違うか?」
 ため息をつくボス。
 手元の電話機で内線を掛ける。
「安土くん聞こえるか?」
『はいボス』

「さっきの華代被害は?」
『24号27号が向かいました。現場到着。被害者も確保したそうです。もう収束します』
「もう大丈夫か?」
『今の現場は大丈夫だと思いますが、近隣に兆候があるので現場待機です』
「良く分かった。ありがとう」

「じゃあ、話してみるか?」
「…今、なんと?」
「名無しの権兵衛氏は今ここにいる」
「それなら話が早い。是非話したい」
「何を話す」
「決まってる。珊瑚(さんご)のアホをさっさと確保することです」
「その協力を仰ぐと」
「権力者なんでしょ?」

「余り期待はするな。それと」
「それと?」
「弁(わきま)えろよ」
「保障できませんね」
「お前の欲求不満の解消がウチの組織の破滅になってもか」
「…そんなことにはなりませんよ」
 ドアを閉めていちごは部屋を出た。

 .
 そこは滅多に使われない応接室だった。
 座り心地のいいソファがあり、そこにあの「名無しの権兵衛」氏が座っていた。
「失礼します」
 すたすた入ってくるいちご。勿論カジュアルな格好のままである。
「こんな格好で失礼しますが、緊急事態なもので」

「やあ、これは先日のお嬢さんですね」
 『お嬢さん』と言われてムッとしたが、事情を知っているハンター関係者ならばともかく、全くの部外者であるこのじいさんがそう言うのもある程度は仕方が無いだろう。
 何しろ外見的には完全に「若い娘」でしかないのだから。
「単刀直入にいいですか?」

「まあ、座りなさい」
 上座に鎮座している格好になっている名無しの権兵衛氏が向かい合っているソファを促す。
「長居をする気はありませんので」
「まあ、そう言わずに」
「緊急事態なんです」
「そうか…ならば私の機嫌を取ることだ」
 全く口調を変化させずにそう言う名無しの権兵衛氏。

「地金が出ましたね。権力で押し潰すと?」
 にやりとするいちご。何故か勝ち誇るかのようだ。
「いや、そうではない。分かってもらえないかも知れないが、事態をより正確に把握するためだ」
「…意味が分かりませんが」
「現場の判断に介入する気はない。基本的には。だから何を言われてもそのまま右から左だ。現役時代は」
 どすん!と座るいちご。

「つまり現在は『現役』ではないと」
「そういうことだ。公務員には定年というものがある」
「公務員ねえ…」
 まるで信用していない、という風情である。

「この間は有難う」
「…ん?ああ、珊瑚の時のことですか」
「ああ。とても嬉しかった」
 柔和な顔で微笑む好々爺。
 ただ、今この老人が感謝しているのは自分を女にして看護婦の服装をさせたことに対してである。

 ぶすっとしてそっぽを向いているいちご。
「私も一応常識はわきまえている積もりではありますが…とにかく非常事態なんですよ。井戸端会議をしている暇は無いんです」
「そうか…それは悪い事をした」
「この際なので聞きたいんですが、この間のコスプレは何故?」
「こす…何かね?」
 「コスプレ」という用語が分からなかったらしい。

「あーすいません。要は何故看護婦の格好なんかを?」
「…」
 黙りこんでしまう名無しの権兵衛氏。
「お陰様で珊瑚の非常識な能力をお偉方に解説するのは何よりの素材になりましたけどね」
「ま、やはり非常識に見えるよな」
「そこまで言いませんが…志願だったですからね」
 それこそ誰か下っ端に押し付ければいい話である。

「あれは…もう30年も前のことになる」
 遠くを見る様な目になる名無しの権兵衛氏。
「結論だけ言うと大きな事故があってね」
「…事故?」
「ああ。当時は私も今の様なじじいではなくて働き盛りだった」

 昔話が始まってしまった。
「お気づきの様に私は元役人でね。今は汚職だなんだと騒がれているが、その後汚職で逮捕された奴含めてもまあ恐ろしく忙しい職場だったよ」
「そうですか」
「この話は退屈かね?」
「いえ。興味深いです。本物の高級官僚に出会うのは初めてなので」
「…キツい皮肉だな」
「そんな積もりは無いんですが」

「とにかく、家庭を顧みる時間も無くてね。一度も娘の学校の行事に参加したことが無い」
「はあ」
「タイムマシンでその頃に帰ったとしても…やはり仕事を優先したろうな。そういう不器用な人生だ」
「その娘さんは今何を?」
「死んだよ」

「…っ!」
 いちごは絶句した。
「あの…すいません」
「いや、構わんよ」
 胸元を探る名無しの権兵衛氏。一枚の写真を取り出してきた。
「これが娘だ。二十年前の写真だが」
 手に取ることなくその写真を眺めたいちごは息を飲んだ。
 そこには、先日「変身」させられた姿そのまんまの「看護婦」がいたのだ。

 全てが氷解した。この老人はかつての娘の幻影を変身後の姿に求めたのだ。
「…そういうことでしたか」
「多少おかしなことになってしまったがね」
「やっぱり自分で体験しないと?」
 頷かなかった名無しの権兵衛氏。
「あれは奇妙な感覚だった。バランスが悪いというか」
 そりゃその「男の老体」から「若い娘」ではギャップも大きかろう。

 いちごも経験があるが、特にストッキングというのは男にはどうしていいのか良く分からん感覚になるのだ。
「久しぶりに娘に出会ったよ」
「それは…どうも」
 妙な言い回しだったが、「おめでとう」と言っていいものやら分からない。
「夢の中に娘が出てきてね」
「あのまま眠られたんですか?」
 『あのまま』というのは当然女の身体…そして看護婦の衣装のままという意味である。

「ああ。悪いがそうさせてもらった。脱ぎ方も分からないしな」
「…寝苦しかったでしょう」
 にっこりと笑って名無しの権兵衛氏は言った。
「君の様に若いと分からないかも知れないが、若い肉体というのは格段に無理が利くのだよ。確かにあちこち慣れない感触はしたが…何とかなったさ」
 自分はその感覚は分からんな…と思った。
「どれくらい継続しました?」

「翌朝には戻っていた。布団で目覚めたら娘は綺麗さっぱり消えていたよ」
 要は自分の肉体は男の老人のものに戻り、服装もスーツに戻っていたということだろう。
「夢の中で娘さんと夢の中で語られたと」
「ああ。久しぶりだった」
「何て言ってました?」
「笑ってたよ」
 何とも嬉しそうな表情である。

「それは…何に?」
「決まってるだろ。私の格好にさ」
「…もしかして看護婦の扮装のまま娘さんと?」
「…ああ」
 頬が赤くなる名無しの権兵衛氏。夢の中とはいえ何ともシュールな光景である。

「娘さんは看護婦だったんですね」
「ああ。四年制を出て俺と同じ道を歩むことも可能だったんだが…小さい頃からの夢だったそうだ」
 「四年制」というのは「四年制大学」ということだろう。
 控え目に言っているが、相当の高学歴だと推測がつく。
 頭のよさというのは遺伝の影響が大きいし、何より本物の高級官僚の家庭ならば学習環境は理想的だったはずだ。

「もしかして反対を?」
「…まあな」
 辛そうな表情になる名無しの権兵衛氏。これは単なる「反対」などというレベルでは無さそうだ。
「月並みな表現で恐縮ですけども…この写真を見る限りは…娘さんは夢を実現したと思いますよ」
 すぐにしまわれた写真の看護婦さんはとても爽やかに笑っていた。

「よく言われる。今でもあの判断が正しかったのかどうかは分からん」
「娘さんが看護婦の道を選ぶ判断ですか?」
「いや、反対したことだ」
 少し考えるいちご。
「でも、娘さんは選ばれたと」
「ああ。…俺が言うのも親バカなんだが…絵に描いた様な箱入り娘でね。運動などまるで出来ない。親に逆らったのもあれが最初だ」
 じっと聞いているいちご。

「どうやら病弱だった幼少の頃に看病された看護婦に憧れたまま育ったらしいんだが…」
 首を上げたり下げたりしている名無しの権兵衛氏。話すことで色々思い出しているのだろう。
「厚生省のダチがいるんだが…看護婦業務ってのは過酷だ」
 今は『厚生労働省』だ。古い時代の官僚らしい。
「そのダチさんは東大の同級生かどなたで?」
「まあな…っ!」
 答えた後に「しまった!」という表情になる。図星らしい。

「参ったな…君には適わない」
「別に口外したりはしませんよ。興味も無いし」
「ふむ…。それで反対した。あれに勤まるとは思えない」
「私が娘さんなら反発しますね。そんな事親に言ってもらう必用は無い」
 遠慮なく言い切った。
「その通り。あれは反発した。無理に縁談をねじこんだりしたがどうにもならなかった」
「それは卒業していざ看護婦になろうという時にですか?」
「いや、大学在学中にだ」

「んな無茶な。戦国武将じゃあるまいし」
「客観的に考えれば全て君の言うとおりだ。恐らくこんな相談を持ち掛けられれば君と同じ答えをするだろう。だが…」
「だが…?」
「いざ自分の娘となると判断が雲ってね」
 娘を持った経験は無いが、何となく分かる気はする。
 文部官僚は自分たちで「ゆとり教育」を推進しておきながら、自分の子供は私立の学校に通わせるというが、それと似たようなものだろう。

「俺だってそれなりに理想には燃えてた。決して金銭的見返りだけが目的で働いていた訳じゃない。だが…それは自分にしか出来ないとうぬぼれていたからだ」
 自嘲的な表現を使ってはいるが、かなり自信に満ちている。
 このじいさん、今でこそ好々爺然としているが若い頃は相当ヤンチャでならした口らしい。
「世の中に割りのいい仕事なんぞ幾らでもある。わざわざ看護婦なんて…」
「しかし、娘さんは見事に合格したと」
「ああ」

「そして…ロクに交流も無いまま事故の報だ」
「…」
 いちごは黙りこくった。部外者が「感想」を述べていいような話ではあるまい。
「その時も俺は仕事中だった」
「…」
「今の君の立場ならばある程度理解はしてもらえると思うが、国家の命運が掛かった仕事でね。喪主も妻に任せるしかなかった」
「いいですか?」
 いちごが軽く手を上げた。

「どうぞ」
「恐らくオレ…私が同じ立場でも同じ様に対処したと思います。あなたの判断は間違ってない」
「…ありがとう」
「娘さんは父親不在を非難したりは?」
「…いや、しない。妻は盛んにしたがね」
「オレ…じゃなくて私が娘さんでもそうしたでしょう。寂しくはあっても父の仕事を非難なんてしない」

 ふ…と笑って顔を伏せる名無しの権兵衛氏。
「私自身が娘に化ける必要も無かったな」
「きっと分かってくれますよ」
「年頃の娘は父親を避けるというが…残念ながら避ける避けないというほど交流は出来なかった。その距離感が良かったんだろうな、仲のいい親娘だったと思う。一度だけだったが一緒にゴルフも行ったしな」
 言葉の端々に「上流階級」の匂いを感じさせる爺さんだな…といちごは思った。大学生の娘と一緒にゴルフだぁ?
 少なくともいちごには縁の無い話である。

「で、夢の中で娘さんとはどんな話を?」
「とにかく笑ってた。おかしそうに」
「どんな姿で?」
「もう娘は年を取らないんでね…。同じ看護婦の姿だった」
 親娘で全く同じ若い看護婦姿という再会はどうなんだろう?夢だけど。

「どんな話をしたのかは憶えていない。だが、とにかく楽しかった」
 きっとその「夢の中の娘」さんは久しぶりに出会った堅物の父親がよりによって若い娘に化けていたのみならず看護婦の扮装である。
 まずは爆笑…というところではないのか。
 オレが娘なら久しぶりに出会った父親が看護婦コスプレなんてゴメン…と言いたいところだが、この場合の娘は父親の側が生み出した想像の産物だ。

「有難う。楽しかった」
 どうやら話はこれで終わりにしてくれるらしい。
「ではこれで…」
「それにしても君は若い頃の私に似ているな」
 一人称が『私』に戻っている。
「そうですか…」
 実はいちごも薄々それは感じていた。
 一見すると好々爺に見えるが、まだまだ熱いところを失っていない侮れない爺さんである。

「女の身体はどうかね?」
「…は?」
「違っていたらすまない。だが、もしかしてと思ってね」
 その意味するところは一つだった。
 名無しの権兵衛氏はいちごが何らかの原因で性転換された元・男だと気がついている。
「何のことやら分かりませんが」
「うん…そうだな…」
 勝手に納得してやがる…と思いつつも、途中から「男同士」の会話になっていたのはいちごも感じていた。これ以上は言わなくても分かるというところだ。

「私に協力できることがあれば力になろう」
 いちごはこの瞬間に気が付いた。
 今、自分はこの「影の権力者」らしい人物に絶大な信用を勝ち得たのだと。
「それは…」
 別に媚びを売った訳では無い。というか明らかにケンカ腰だった。
 打ち解けられたのは偶然だ。
 いちごは少し考えた。

「ではお願いがあります」
「ああ」
「今我々に必要なのは先日の「藤美珊瑚」を確保することです。一刻も早く」
「あの妙齢の婦人かね」
「ええ。情けないことですが現在逃走中で行方が知れません」
「かなりキツく拘束されていたが」
「内通者がいまして…ともあれ現在行方不明のままです」

「内川からはそんな報告は受けていないが…」
 『内川』というのはボスが普段名乗っているらしい名前である。
 大体ウチの活動内容をどこかの誰かに報告する習慣などあったんだろうか。
「もうご存知でしょうが、奴は触れるだけで男性を一時的に女性化・女装させることが出来ます。こいつが暴れ回れば国内は大混乱に陥ります」
「確かに大事だ」
 普通はこんな途方も無い話は到底信じてはもらえないのだが、この人は全く違う。何しろ自らが「体験者」なのである。

「先ほど『内通者』と言ったな」
「ええ。詳しいことは今調査中ですが、もしかしたら外国の情報組織の手引きである可能性もある」
「あの婦人が外国の手に渡ると?」
「奴の身柄も心配ですが、ウチの組織の内情が漏れます。とにかく一刻も早く確保しないと」
 目を閉じて考え込む名無しの権兵衛氏。

「一応エージェント全員にGPS発信機を持たせてますが奴がそれに気が付かないはずがありません。身体に埋め込んではいないのでとっくに捨てたでしょう。実際反応していない」
「行きそうな場所の目星は?」
「奴は組織が掴んでいる限りは天涯孤独なので行くあてはウチの組織だけです。最後に目撃された時間帯から推測して捜査範囲を絞り込むしかありません」
「じゃあ道路封鎖は?」
「ウチにそれだけの権限があると?」

「彼女の写真が欲しい。つい最近の」
「…ええ。事務に言えばすぐに手に入るかと」
「手配してくれ。すぐに動員を掛ける」
 さも当たり前の様に言う名無しの権兵衛氏。
「え…じゃあ…」
「情けないことだが、わが国はまだ「法治主義」よりも「人治主義」なところがあってね。その分無理が利くこともある」
 要はOBの権力を最大限に利用するということだろう。
 口ぶりだと警察官僚か何かだとは思うが…それ以上の何かかも知れない。
「…では」
 いちごは部屋を出た。

 .
「ま、そういう訳だ」
 名無しの権兵衛氏と別れたいちごはすぐに事務室に直行し、要請された資料その他を全て手配した。
 すぐにあちこちに連絡を取っていた名無しの権兵衛氏だったが、かなりあちこちに影響力を持つ大物であったらしい。
 といっても「ハンター」組織を余り大っぴらにする訳にもいかないので現状では間接的な連絡が何度も入るくらいでしかない。
「ふ〜ん…何だか凄い話だね」
 新発売の「チキン照り焼きパン」を頬張りながら5号が相槌を打ってくれる。

「…ところでそりゃ何だ?また新製品か?」
「うん。焼きたてが売りのコンビニ」
 そんなのがあるのか。
「で?どうなんだ?美味いか?」
「う〜ん、仕方ないけど作り置きしちゃうから…冷えてくると照り焼きって固くなるね」
 当たり前だ。
 悪いがこいつは戦力にはならん。
 元々ハンターのエージェントになるには「ハンター能力の有無」が最大の基準なのでこういうちゃらんぽらんなのも動員はされるのだ。

「で?どうだった?21号のパソコンからは何か分かったか?」
 ここにこうして「連絡係」として留守番をしているからには解析は終わってこれといった収穫は無かったのだろうが、直接は聞いていない。
「う〜ん、やっぱり何も残ってないね」
「折角パソコンがあるのにか?携帯ででもやりとりしてたってのか?」
「肝腎のやりとりの記録は外部記憶装置に収めてたみたいだね。推測するしかないけどフラッシュメモリか何かだと思う」
 コンビニの新製品と全く同じ調子で全てをしゃべるのでちと戸惑う。

「あとはメールの記憶だけど、一々全てを消去していたみたい。しかもただ消すだけじゃなくて削除ツールも使ってるね」
「“削除ツール”って何だよ?ゴミ箱に入れればいいんじゃねーの?パソコンなんて」
 ちゅーちゅーといちごミルクを吸い込む5号。見ているだけで胸焼けがしそうなほど甘ったるいパッケージである。
「パソコンで「データ削除」ってのは全部消しちゃうって意味じゃないんだよ。要するに本の目次だけ消すのと一緒で「読み出せなくする」くらいでデータそのものは残ってるんだ」

「じゃあ、消したはずのデータも容量を圧迫してるのか?」
「基本的にはそう」
「意味ねーじゃん」
「勿論消されたデータは他の部分の容量が一杯になったりしたらどんどん上書きされていくから放って置いたら本当に消えちゃうよ。でも消した直後ならまず再現出来るね」
「ハードディスクごとフォーマットされてもか?」
 ぶっ!と照り焼きチキンパンを噴出しそうになる5号。

「駄目駄目!全然駄目だよ。フォーマットすればデータが完全に読み出せなくなると思ってる人がいて本当に困っちゃうけど全然消えてないよ。フォーマット程度じゃ」
「…そうなのか?」
 期せずして「パソコン講座」になっているが、一応「司令部」として本部待機となっているいちごにしてみればこの状況下でありながら連絡を待つ他は無いのだ。

「うん。まあ、僕とか石川さんに掛かれば殆ど完全に再現しちゃうね」
 「石川さん」とは14号のことである。
「やれやれ…プライバシーも何もあったもんじゃないな」
「だから物理的フォーマットを行なうんでもないんなら削除ツールがいる」
「その『物理的フォーマット』ってのは何だ?」
「そのまんまの意味。ハンマーで叩き壊すとか」
 なるほど。
「流石にそうやればもう読めないか」
「原始的だけど一番確実だよ。その際はハードディスクに大穴が開いたり完全に割れてるのを確認しないと駄目だけどね」
「まさかヒビが入った程度じゃ読んじまうとか?」

「流石にそれは無いよ。でもアメリカのスパイ映画とかで証拠を残さない為にデータ演算室を爆弾で爆破したりする場面があるじゃん」
「…お前、結構見てるんだな」
「うん、まあ何となく」
 照れて嬉しそうにしている5号。現金な奴だ。
「あれだともしかしたら残る可能性がある。ハードディスクは結構頑丈に収納されてるからね」
「爆弾で吹っ飛ばされてもか?」

「機密保持の為に部屋を丸ごと一つの爆弾で爆破しても数十台並んでいる内の一台のハードディスクくらいは残るかも知れない。アフガニスタンで空爆された家に残されていた半壊したゲームボーイが起動したって話もあるんだ…ディスプレイは壊れてたけどね」
「…凄い話だな」
「それこそ証拠隠滅をやるんならEPMの方が確実だよ」
「EPMって何だ?」

「アメリカ軍が極秘に研究を進めているらしい非殺傷兵器の一つでね。「電磁パルス爆弾」と言われてる。要するに爆心地を中心に周囲の電磁機器を破壊する爆弾のこと。直接人間が死傷することは無いけど、僕らにとっては背筋が凍る様な兵器だよ」
 確かにそうだろう。
 というか、パソコンはもとより携帯電話など、電磁機器に囲まれた現代社会においては恐ろしい威力を発揮するはずだ。
「話を削除ツールに戻すけど、要するにこれはデータのインデックスを消すのみならず、ハードディスク内で該当のデータが記録されていた部分を集中的に何度も何度も上書きして絶対に読み出せない様にするツールってこと」

「なるほどそういうことか…で、専門家から見てどうなんだ?『削除ツール』とやらを使えば絶対に読めなくなるか?」
「間違いなく」
 自信満々で答える5号。
「ふん…で、21号の野郎はそれを使ってると」
「みたいだね」
「そこまで用意周到に一体ウチで何をしようとしてたんだか…」
 部屋の電話が鳴った。

 受話器を取るいちご。
「もしもしこちらデータ室」
 とりあえずそういう名前がついているので。
『あ、いちごちゃん?』
「そうだけど」 
『大変なニュースよ!』

「あの…仕事中はせめて「1号」で…」
『あ、すいません。そんなに変わらないからいいかと』
 今は水野さんも沢田さんも「二条被害」で観察状態となっているので、安土桃香が一人で事務室を仕切っているのだ。
「で?大変なニュースってのは?」
『二条さんが脱走しました』
 いちごは頭を抱えた。
「…ウチの組織の警備はザルかよ…」

 もう一つ設置された電話が鳴った。
「はい、こちらデータ室」
 5号が電話を取る。
「はい。はい…えーちょっと待ってください」
 不思議そうな顔をしている5号。
「あの…いちごちゃん。山田さんって人から電話」
「山田?誰だそいつは」
「名無しの権兵衛って言えば分かるって…」

 受話器を奪い取るいちご。
「もしもし。こちら1号」
『あー…山田と言います』
 聞いた事の無い男性の声だった。
「名無しの権兵衛氏を知っていると」
『はい。知っています。しかし本当だったんですね』

「本当ってのは?」
『いや、本当に「1号」とか言うんですね』
 何やら馬鹿にした様子も感じ取れる。
「…ひやかしなら切りますよ」
『あ、これは失礼。そちらにメッセンジャーは?』
「すいません。ここに技術担当がいるのでスピーカーホンにします」
 スイッチを押すいちご。

「あーもしもし」
『写真の画像を送りたいんだけどいいですか?』
「じゃあそっちのアドレスとパスワードを」
 てきぱきとキーボードに何かを入力していく5号。
 この辺では全く適わない。
「データ来るよ」
 目の前のパソコンに荒い画像が映り始める。

『映像は行ったかな?』
「まだ途中だ」
 徐々に全貌を現す画像。
 その中央付近にサングラスを掛けた女が映っている。
 精一杯変装しているのだろうが、腐れ縁のいちごには一目瞭然だった。
『提供された女性と思われる人間が映っているがどうかな』
「ああ。間違いない。場所は?」
『都内の百貨店だ。一応出入り口を固めている』

 内線のボタンを押していちごが怒鳴る。
「桃香!珊瑚発見!出動中のエージェントに一斉連絡準備!」
『分かりました!』
「山田さん。情報提供感謝だ。急行する」
『我々は何をすればいい?一応手は出すなと言われてるんだが』
「懸命だな。恐らくあんた方の手には負えない」

『えと…名無しの権兵衛さん…からも聴いてるが、何故手を出せないんだ?理由が分からない』
「話している暇は無い。オレは現場に行く」
『ちょっと待ってくれ。簡単でもかまわないから説明を受けないと納得できない』
「あんたは今どこにいるんだ」
『百貨店の警備室を借りてる』
「なら話が早いそっちに行って説明する」

「5号。このにーちゃんの電話をオレの携帯に転送しろ!移動しながら話す」
「了解!」
 言うが早いが部屋を飛び出すいちご。
 いちごは見かけは女子高生程度の年齢なのだが、組織の特権で普通運転免許を所持している。
 すぐに携帯電話が鳴る。転送されたらしい。

「もしもし!」
『あ、山田です』
「百貨店の場所はウチのデータ室に転送は?」
『今やった。手配はそちらでよろしく』
 5号の声が割り込んでくる。
『こっちはまかせて。…1号』
 廊下を大股で急いで歩きながら携帯に向かって大声を上げているいちご。

『じゃあ聞こう。何故我々は手を出せない?』
「今おたくの組織でその百貨店を包囲している中に女はいるか?」
『女?女性捜査官ってことか?』
「そうだ」
『いない。全員男だ』
「じゃあ無理だな。引っ込んでてくれ」
 いちごは組織を出て車までたどり着いた。

 座席に座り、スピーカホンにした状態でエンジンを起動。走り出す。
『それは男尊女卑ならぬ女尊男卑では?』
「参加したいんで?」
『我々だって仕事だ』
「男のプライドがあるんならフォローに務めて欲しい」
 遠まわしに表現するしかない。
 人通りの少ない路地を出るいちご。場所から考えると到着まで1時間は掛かりそうだ。面倒なことになっていなければいいが。

『…とりあえず何をすればいい?』
「監視を怠らないでくれ。もしも奴が暴れだしたら確保してほしい」
『我々は徹底的に脇役か』
 不満そうな声である。事情から考えれば意味も分からずに借り出されたというところだろう。全体像が全く見えないのでイラついているらしい。
 しかもこんな小娘にアゴで使われるとなれば当然面白くはあるまい。
「申し訳ないが余り詳しい説明は出来ない。機密事項なんで」
『彼女は男にだけ効く爆弾でも持っていると?』
「…端的に言えばそういうことだ」
 失笑が聞こえてきた。
 “馬鹿馬鹿しい”と一笑に付したというところだろう。

「この車には転送された画像を見るためのディスプレイが無いんで直接聞きたい。モニターしてるんだよな?山田さん」
『ああ。してる』
「彼女が手袋をしているかどうか分かるか?」
 安全運転に配慮しつつ限界までスピードを上げるいちご。
『手袋?…良く分からないが…していない様に見える』
「畜生…あの野郎…」

『彼女が手袋をしているかどうかがそんなに大事かね』
「決定的にな。していないとなると大惨事になる可能性がある」
『さっぱり分からんが、とにかく協力するよ』
「…山田さん」
『何か?』
「無理を承知でもう一点お願いしたいことが」
『女性捜査官の調達は無理だ』
「それは間に合ってる」

『では何を?』
「もう一人探して欲しい」
 ため息が聞こえてきた。
『その人間も「歩く災害」だと?』
「そういうことだ」
『あんた方の組織は凄いな。人材豊富だ』
 嫌みったらしい皮肉に目の前にいればぶん殴りたいが今は貴重な戦力なのでこらえる。

「優先度は目の前の女の方が遥かに高いので基本はそっちの監視をお願いする。今ウチの組織の人間で現場に近い人間をそちらに向かわせてるが、基本的にオレ…私が到着するまで監視のみにして欲しい」
『彼女が動き出したら?』
「好都合だ。なるべく周囲に人が少なくなった段階で確保したい。追跡しておいてくれ」
『了解した』
「また連絡する」
 いちごは電話を切った。

 間髪入れずに電話を掛けなおすいちご。
『もしもし、本部です』
 桃香の声である。
「こちら1号。今現場に向かっている。とうこさんに繋いでくれ」
『了解しました』
 しばらく間がある。
『あーこちら10号』
 女性にしては低い10号の声がする。
「もしもし、21号は吐きましたか?」

『いや、思いのほか口が堅い。ま、私も手荒な事は禁じられているんだが』
 肉体派のとうこさんが本気になればよっぽどタフでないと黙り続けることは難しいだろう。
「恐らく21号の持っている携帯にこれから珊瑚から連絡が入ります。奴に何とかして協力させてほしい」
『逆探知させるということか?』
「逆探知は一応やりますが、珊瑚の位置はもう特定してますので、それよりも何とか人気の無いところに誘導するべく話をさせて欲しいんです」

『分かった。やってみる』
「よろしく」
 いちごは電話を切って考えた。
 今一番警戒しなくてはならないのは、別組織に先に接触されることだ。
 奴が組織を逃走した段階からかなり時間が経っているのでその辺りの算段は既に出来ていると考えるのが妥当だ。
 つまり、話が難航しているのだろう。
 或いは、高飛びする前に自らが糸を引いている強請りの金の分配を打ち合わせするために21号と連絡を取ろうとしているのかも知れない。

 携帯電話が鳴り始めた。なかなか忙しい。
 運転中なのでスピーカホンである。厳密にはこれも道路交通法には抵触するらしいのだが、緊急事態だ。
 そもそもこの車には着脱式のサイレンも積んであるし、サイレンさえ鳴らせば合法的に信号無視も出来る。それなりの権限を与えられているのだ。
「もしもし。こちら1号」
『中間報告よ。いちごちゃん』
 水野さんの声だった。

「水野さん!戻れたんだ」
『ええ。ついさっきね。最初だから時間も短かったみたい』
 触ると女を男にして男装させてしまう「二条現象」は、男女が逆になっているだけで珊瑚による現象と酷似している。
 この能力は同じ人間が何度も掛けられると徐々に「戻るまで」の時間が長くなっていくという特徴がある。
 その時間と周期は個人差が激しい。
 現在のところ何度掛けられれば戻れなくなるのか?というデータは存在しない。

「沢田さんは?」
『愛ちゃんはまだ男のまま。あたしの方がタイミングとしては男にされたのは遅かったんだけどね…。やっぱ個人差が激しいみたい』
「男になった感想は?」
『監視されてたから余り好きなことは出来なかったわね…ってそうじゃなくて!とりあえず彼氏に見られなくて良かったわ』
「ごもっとも」
『次に男にされたらデートしましょ』
「悪くないね」
 とにかくこれで「二条現象」が一時的なものであり、男性化された女性も元に戻れることが判明したわけだ。
『とにかく中間報告ね。現在までの調査だと内通者は21号さんのみ。名無しの権兵衛さん協力の部隊は百貨店のフロア単位で珊瑚さんを監視中』
「ふむ」

 目標の面が割れているので監視そのものは楽だ。
 監視映像を観る限りは武器を携帯している様子はない。確保そのものは難しくないが、なるべく騒ぎにしたくはないのだ。
 この人の多いフロアで珊瑚が無差別性転換をやり始めれば大混乱は必至だ。
 元々華代被害を処理している我々には良くある局面ではあるが、逆に珊瑚能力は華代被害と違って瞬時に戻すことが出来ないので余計に厄介な側面がある。
『いちごちゃんは逆探知しないって言ってたけど、ウチや21号さん以外に電話する可能性もあるから電話番号を監視中』

「フロアを封鎖して人の出のみとして入りを禁止は無理か?」
『ボスが百貨店側に掛け合ってみたけど現実的じゃなさそうね。珊瑚さんに気付かれたらお客を人質に立て篭もる可能性もあるし』
 そうだろうな。
 もうここまで来たら単なるお尋ね者では済まない。奴だって必死だ。
『えーとね…21号さんが「こちらから掛けさせろ」って言ってるみたい』
「駄目だ」
 いちごは即答した。

「その案は却下だ。用心深い珊瑚がこっちからの電話なんぞ受けるか!受けても逃走しちまう」
『あたしもそう思ったんだけど…21号さんは警察に自分の身柄を引き渡す交換条件として珊瑚さんを人気の無いところに誘導する役を買って出たんだって』
 舌打ちするいちご。
 余りにも見え見えの要求である。
 警察はハンター組織のことも何も知らないので恐らく何も罰することは出来ないだろう。
「その報告はとうこさんから?」
『ええ』

「とうこさんと話したい」
『了解。すぐにつなぎます』
 しばらくあちこちへの電子音が交錯した。
『こちら10号』
「とうこさん、聞きましたよ。あれはないでしょう」
『だが他に手が無い。それにあちらから掛かってきたとしてもやるべきことは同じだからな』

「しかし…」
 そこに5号が割り込んできた。
『いちごちゃん…じゃなくて1号、聞こえる?』
「ああ聞こえる」
『山田さんからの報告で、事情を知った上で協力してくれそうな女性のエージェントは確保出来そうにないって』
「ま、そりゃそうだろうな」
 電話を切った後に一応探してはくれた様だ。
 不平不満の多い男だが、誠意は感じられる。

『私が行ってもいいが』
 これはとうこさんである。
「無理です。とうこさんは珊瑚に面が割れてます。いざとなったら奴と取っ組み合いになることが考えられるので、その意味では適任ですが見た瞬間に逃げられる可能性が高い」
『ベタだが変装などはどうだろう?』
「わざとらしいマスクやサングラスじゃあ却(かえ)って目立ちます。どれだけメイクしても素顔に近い状態では見破れるでしょう。それこそ男に変装するくらいに変えれば何とかなるかも知れないが今は時間が無い」
 赤信号で車を停車させるいちご。この間ももどかしい。

「5号。現場の様子はそこからもモニター出来るのか?」
『掛け合ってるけど情報をそこまで回してくれないんだ。でもその方がいいかも知れない』
「どうして?」
『余りにも巨大な情報をやりとりすると対抗組織に嗅ぎ付けられる可能性も高くなる』
「『対抗組織』ってのは何だ?ウチの国はスパイ組織が予算を奪い合うほど充実してねえぞ」

『珊瑚さん…じゃなくて3号が話してた存在の事。あるかどうか分からないけど用心に越した事は無い』
「じゃあ分かった。ドカベンに言っとけ。奴がうろついてる店内にはなるべく男を近づけるなと」
 「ドカベン」とは山田のことだろう。
『百貨店のど真ん中だよ?』
「百も承知だ!それを何とか考えろって言ってんだよ!」
『確かに珊瑚の能力は男にしか効かない。事情を知る女性エージェントで固めるのが一番いいんだろうが…』

「女なら誰でもいいって訳じゃないからな」
『そこだ』
 3号は格闘術の指南を受けているので生半可な男では太刀打ち出来ない。しかもその辺に落ちている物を道具として使うのは当たり前、いざとなれば何の関係も無い一般人を人質に取る位のことは平気で行なうだろう。
 しかも「珊瑚能力」をかわすことは実質的に不可能なので、屈強な男であってもか弱い女となった状態で立ち回ることになる。
 服装も向こうの思うが侭(まま)なので動きにくい格好にでもされればアウト、どうしようもない。
 結局、女の肉体でありながら格闘に長けたいちごが最も適任ということになる。

 確かに、元々女ならば「女にされる」心配は無い。珊瑚には「服のみを変える」という器用なことは出来ないのでその点でも有利だ。
 いや、相対的に不利な点が少ない。
 ただ、そうなると純粋な格闘能力の差ということになる。
 そんな都合のいい存在などそうそういるとは思えない。一応わが国にも女性の要人を警護する女性SPが何人かいるがこちらに回してもらえるとも思えない。
 組織と関係ない一般人にそこまでやってもらう訳にはいかないだろう。

『いちごちゃん、現場まであとどれくらい?』
「目一杯飛ばすがあと10分は掛かる。ヘリでも使えりゃ話は別だが」
 その瞬間、緊迫した声が響いてきた。
『現場に入電!珊瑚さんの携帯に電話が掛かってます!』
「逆探知!」
『やってます』
 いちごは現場にいられないもどかしさにハンドルを殴った。
 信号が赤から青に変わった。

 .
 サングラスで一応の変装をした珊瑚は周囲をきょろきょろと見回していた。
 …今のところ周囲に監視している人間はいない。
 離れたところから監視されている可能性はあるが、町内会に毛が生えたみたいなウチの組織にそんな高度な真似が出来るとは思えない。
 恐らく逃げ切れるだろう。
 それにしてもこんなところで待ち合わせるというのが何とも…。
 珊瑚は実は迷っていた。

 組織を裏切る形で飛び出したものの、本当にこれでよかったのかどうかである。
 あのまま居続けてもモルモットにされるだけだろう。
 流石に切り刻むわけは無いが、以前の様な自由な生活はまず不可能と思われる。
「…ちょっとやりすぎたかな」
 被害者感情を斟酌して後悔する様な性格の珊瑚ではない。
 だが、自分の立場を決定的に悪くしたという意味では自分の行動を反省はしている。

 もう八方塞(はっぽうふさがり)だった。
 華代ミッションに名乗りを上げたのは自分が女だから女にされる危険性は無い…つまりは実質的にノーリスクだと踏んでのことだった。
 過去に女性ハンターが単独ミッションに駆りだされた例は無いし、理由は知らないが華代は単体で女を男にすることはあまりしていない。
 ある程度「男にされる」覚悟はあったのだが、まさか「触った男を性転換&女装させる」体質が身に付いてしまうなど想像が出来ようか。

 こうなってしまうともう自暴自棄だった。
 自由に操れる能力であるのならば、これを利用して金を儲ける程度のことは考えつくのだが、発動は強制である。
 手袋をすることである程度は抑制できるが所詮は付け焼刃に過ぎない。
 本気でキスをしたり、ましてやそれ以上ということにでもなれば相手は肉体的に女になってしまうのだ。

 性的にストレート(異性愛者)である珊瑚にはこれは何よりの苦痛だった。
 この体質が直る見込みが無い以上、普通に男性と恋愛をすることは出来ないも同然なのである。
 そこで同じ組織の男への悪戯(いたずら)を繰り返したのである。
 普段偉そうに「男でござい」とふんぞり返っているみたいなのに限って女にしてひらっひらのスカートをめくられると「きゃー」などと可愛い声を上げてしまうのだ。

 タイプで言えば完全にいじめっ子側だった珊瑚は、そういう姿を見るのが楽しくて仕方が無かった。
 だが、こんな事をやっていて未来がある訳では無い。
 次第にその行為はエスカレートして行った。
 ある程度知識もあるハンターのエージェントたちに留まらず、隣接部署の男子職員なども手に掛け始めたのだ。
 格闘技を修めている訳でもない男たちにワンタッチする程度のことは珊瑚にとっては造作も無かった。

 入り口から入るなり、全員の逃走経路を塞ぐ様に端から性転換させていくのはまるでシミュレーション・ゲームを楽しむかの様だった。
 最初は何が起こったのかも分からないままに全員が性転換されてしまう。
 勿論、変化が起こった後にすら何が起こったか分からずに呆然としているのだ。
 むさ苦しい…というか何と言うか若いのに老成している面白味の無い男どもの集団はあっという間に女子高生たちの昼下がりの教室みたいになってしまったものだ。

 慌てて立ち上がってしまう女子高生達の短いスカートを捲り上げながらその間を走り抜ける快感!
 これは経験した者でなければ分かるまい。
 …珊瑚以外にこの世で誰がこんな経験が出来るのかといえば誰もいないだろうが。
 21号ということにして潜り込んでいたスパイだが、こちらは21号の言う「組織」の全貌が分からない。
 気楽にホイホイ付いて行っていいものなのかどうしても計りかねる。

 こちらの能力は充分交渉する際の武器になる。
 ただ、強制発動なので極論すれば珊瑚自身が生きていさえすればいいということになるし、面倒になれば始末すればいいだけのことだ。
 その瞬間、電話が鳴った。

 周囲を見渡す珊瑚。
 人通りの多い百貨店のど真ん中、開けた紳士服売り場と婦人服売り場の境界である。
 少し離れたところに子供に人気のゲーム機があるらしく、周囲は非常ににぎやかだ。
 目に付く範囲内に携帯電話で話している人間こそいないが、別に電話に出たからと言って目立つものじゃないだろう。
 珊瑚は携帯電話のディスプレイを見て相手を確認した。

 電話番号しか映っていない。
 非通知設定ではないので冷やかしということでは無さそうだ。
 珊瑚は思い切って受信のボタンを押した。
「…もしもし?」

 .
『珊瑚さん、電話に出ました』
「逆探知は?」
 いちごは相変わらず車の中である。まだ現場に着かないのだ。
『番号を特定しました』
 5号の声が早い。
「誰だ?」
『…これは…』
『うそ…』
 水野さんも驚いている。
「誰なんだよ!?」
『二条さん…29号です』

「…なんだと?奴は行方不明だって聞いたが」
『いちごちゃん!通信内容を聞きましょう』
 携帯同士のやりとりを離れた場所から傍受するためかノイズが多くて中身を聞き取ることが出来ない。
「畜生!何が何だか分からんぞ!14号!」
 石川恭介の名前を怒鳴るいちご。
『おう!』
「この音声データをクリンナップ!何を言ってるのか分かる様にしろ!」
『もうやってる。それから…二条さんの居場所も分かった』
「どこだ!?」
『これからいちごちゃんが行く百貨店の中だよ』

 .
「…もしもし?」
『あ、よかった。出てくれたんだ』
 珊瑚(さんご)にとっては聞き覚えのある声だった。
「…もしかして29号?」
 余りにも意外な相手である。この男は珊瑚(さんご)がいつも何かと言うと性転換し、女装させては弄(もてあそ)んでいたのである。
 まともな男ならば自分(珊瑚)を殺したいほど憎んでいても仕方が無いはずだ。
『何の用?待ち合わせしてるんで手短にお願い』

 今の自分が組織から追われていることは幾らなんでもこの男も知っているだろう。ということは電波が繋がった状態で逆探知を掛ける為に掛けてきたと考えるのが妥当だ。
『電話では話しにくいかな?』
「そうね。切るわよ」
 会話はそこまでだった。
 ピッと無機質な音を響かせて通信は途絶した。

 周囲を見渡す珊瑚(さんご)。
 …今ので逆探知されただろうか?
 携帯電話なので最も近い中継局までは瞬時に絞り込めてもそれ以上は困難なはずだ。
 とっとと場所を変えたい。
 だが、ここで21号が手引きしてくれた「組織」との接触を逃せば遠からず「ハンター」に捕縛されて一生飼い殺しだ。

 周囲に怪しい人影は無い。
 少なくとも訓練されたプロの動きをしている人間はいない。

 その時だった。

 意外なものが目に飛び込んできた。

 .
『いちごちゃん!山田さんから入電!』
「つなげ!今百貨店が見えてきた。合流する」
『車は適当に乗り捨てればいいって。後でフォローしてもらえるから』
「了解した」
『こちら山田。ハンター1号さんか?』
「ああそうだ!」
『朗報だ。あんたの探してた男が見つかった』
「さっき聞いた。その建物の中にいるそうだな」

『ああ。今正に「標的」と接触を図ろうとしてるぞ』
「…何?」
『どうする?我々は止めた方がいいのか?オタクの組織の人間だと聞いたが』
「そうだ。…5号!ボスにつなげ!」
『分かった』
 いちごの視界に手を振るスーツ姿の男が見えてきた。
 「名無しの権兵衛」氏の配下にある組織の人間であろう。

 いちごは車を路肩に停める。
 百貨店の目の前の3車線道路である。車も多く、目の前には「駐車禁止」の標識がある。
 降りてすぐに男に声を掛ける。
「別室の半田です」
 「別室」とは予(あらかじ)め打ち合わせておいた符丁である。「ハンター」では余りにもマンガだからだ。
「話は聞いてます。車は我々が移動させておくので今すぐ警備室へ」
 屈強な男がテキパキと言う。
「場所は?」
「私が案内します」
 携帯が鳴った。

 男に続いて非常用の職員専用エレベーターに大股で歩きながらいちごは会話をオンにした。
『こちらボス。状況は?』
「現場(げんじょう)到着。監視モニターのある警備室に向かっています。ボス!29号が珊瑚(さんご)に接触しようとしてますがいいんですか?」
『…ああ。いい』
「何ですかそれは?知りませんよ何がどうなっても」
『今は説明している暇は無い。現地のチームと合流してパニックになった時の収拾をする準備をしてくれ』
「だから29号はどうするんですか!」
 ここまで話したところでエレベーターに入った。

『構わんからやらせとけ』
「あいつが餌食になれば周囲の客は大混乱になりますよ」
 エレベーターが男のボタンによって上昇を開始する。
『冷静に考えてみろ。お前が今、奴の立場で29号を変身させるか?』
「…」
 確かに言われてみればその通りである。
 現場を混乱させて逃げることは出来るのかも知れないが、それでは「本懐」を果たせなくなる。
 ギリギリまで我慢するはずだ。

「…ボス…」
『何だ?』
「奴について何か知ってますね?」
『「奴」とは?』
「29号です」
 しばらく沈黙があった。
『仕方が無いな。いつかは分かることだ』
 エレベーターのドアが開いた。
 そこには薄暗い中、ずらりと並んだ館内のモニターを眺める男たちがいた。

 .
「あ〜ら、お元気?」
 2メートルほどの距離に近づいていた29号に向かっていつもの挑発的な言い方をする珊瑚(さんご)。
「ああ、お陰様でね」
 余裕の微笑みであるが、心なしかやつれている様に見える29号。
 この間に色々な事がありすぎた。

「さっき踊り子にしてあげたと思ったけど?」
 周囲には行きかう客も多く、余り目立つ言動はしにくいのだろう。
 『言葉責め』も得意技の一つである珊瑚(さんご)が「バレリーナ」という用語を意図的に封印するとしたらそれしか思いつかない。
「貴重な体験だったよ」
 さらりと受け流す29号。いつものことである。

「悪いけどあんたに付き合ってる暇は無いの。消えてくれる?」
「こちらもそうさ。良かったら場所を変えないか?」
「…試したことは無いけど、あんたを今すぐ全裸のスーパーモデルに変えることだって出来るんだからね。悪いけどさっさと失せて」
「多分君が待っている相手というのは僕の事だよ」
 しばし沈黙のあと、あきれたという体で失笑する珊瑚(さんご)。
「はっ!なにかってーとセクシーな女になってあんあん言ってる優男(やさおとこ)がトンだプレイボーイ気取りだこと」
 その元凶は他ならぬ自分なのだが、それを棚に上げての発言である。

「いや、別にデートに誘ってる訳じゃない」
「デートじゃなきゃ何よ?一緒に女湯にでも漬かりに行こうっての?」
 いちごに対してもそうだが、男を挑発する際に相手が女になってしまっていたりその経験があったことをちくちくとつつくのが珊瑚(さんご)の常套手段である。
「このマークに見覚えは?」
 29号が胸から身分証の様なものを取り出し、珊瑚(さんご)が確認したと思った瞬間にすぐに戻した。

 .
「今のは何だ?」
 薄暗い部屋の中でディスプレイを睨んでいたいちごが言う。
 カメラの角度も悪く、一瞬なのでここからは視認できなかった。
「5号!映像行ったか?」
 ハンターに残って画像解析している5号に檄を飛ばす。
『今来た!分析中』
「何分くらいで分かる?」
『…今見てるけど…こりゃ元の映像が悪すぎるよ。精一杯やるけど多分分からないと思う』

 .
 珊瑚(さんご)の顔色が明らかに青ざめる。
「…何よそれは…そこいらのおもちゃ屋で買ったの?」
 精一杯の強がりであるのが客観的には明らかだ。
 静かに首を振る29号。
「話せば長い事情がある」
「聞きたくないわね」
「別に聞かなくても構わないけど…一緒に来てくれれば」
「どっちによ」
「どっちが望みかな?」
 恐ろしい表情で珊瑚(さんご)が睨み返してきた。

「…悪かった。ハンターには戻りたくないよね」
「察しがよくて助かるわ」
「けど、残念ながら橋渡しは出来ない」
「はぁ?どういうこと?」
「そこのところを話すと長くなる…お店の前で立ち話も何だからお茶でもどうかな?込み入った話なんで」
「ゴメンなんだけど」
 あくまで平行線である。

「そうか…昨日僕はこのお店にシャツを買いに来たんだけどねえ…。不良品でさあ。雨が降ったら縮んじゃうんだ」
 珊瑚(さんご)が怪訝な顔をした。

 .
「山田さん。現場チームに伝えてくれ。客に姿が見えても構わんから例の店を取り囲んで包囲してくれ」
「何だよ急に」
「いいから早く!」
「訳を言え!」
「面倒くせえな!商品の話をした場合は「緊急事態」、天気の話をした場合は「作戦決行」の符丁なんだよ!いいから行け!」
 漸(ようや)く事態を察した山田氏の表情が変わった。
「現場チーム!構わんから包囲!」
 その声と殆ど同時だった。

 珊瑚(さんご)がふっ!と何かに気がついたかの様に自分に向かって右…目の前のブティックの方に顔を向けた。
 目の前で話していた29号がそれにつられない訳にはいかない。これは一種の「反射」である。
 殆ど同時に珊瑚(さんご)が持っていたバッグを遠心力をつけて横なぎに29号の頭部をなぎ払う。
 ボグン!と鈍い音がして体制を崩す29号。
 同時にフロア中央に向かって走り出す3号。

 .
「畜生!始めやがった!」
 脱兎の如き勢いで警備室を飛び出すいちご。
「おいあんた!どこに行くんだ!」
「これはあんた方の手には負えねえよ!」
 その先も何か言っていた様だが、山田の耳には届かなかった。

 それなりに人通りが激しい百貨店の廊下を駆け抜ける珊瑚(さんご)。
 無事に脱出出来る可能性は限りなく低い。
 ウチの組織だって馬鹿じゃないんだから、29号が来たってことはもう組織的バックアップは万全だろう。出入り口を固められている可能性は高い。
 一か八かの可能性に賭けて脱出を模索する。
 それが駄目なら…最後の手段。人質をとっての篭城作戦しかない。

 目の前にスーツ姿の男が2人ほど進路を塞ぐ様に立ち塞がった。

 一見すると細身の長身に見えるが、その実均整の取れた筋肉質が離れていても伺える。
 そしてその眼光の鋭さ。
 明らかに「心得のある」人間どもだ。
 警備員のツナギなどを着ている訳じゃないのはこの人ごみで目立たないためだろう。どうやら包囲はされてはいたが、かなり緩かったらしい。
 そして…得物(えもの)も持たずに制圧する積もりでいるらしいところが、調査不足というところだ。
 珊瑚(さんご)の口角がにやりと上がった。

「危ない!気をつけろ!」
 背後に追いつきつつある29号の声が迫った。
 だが、どうしようもないものはどうしようもない。
 周囲の客は全速力で廊下を失踪するこの女を認識することまでは出来たが、そこから具体的にどうしていいのかは分からなかった。
 恐らく万引きでもして警備員に追いかけられているのだろうが、下手に係わり合いになって怪我をしてもつまらない。
 そうこうする内にも珊瑚(さんご)と黒スーツの男たちとの距離は詰まっていく。

 黒スーツの男たちは少し動揺した。
 こういう場合、逃走犯は逆方向に逃走を始めるか、或いは脇道に入って追っ手をまこうとするものだ。
 ましてや「廊下」とはいえ開けたフロアの百貨店である。
 店にドアがついている訳でもないので、横から入って反対側に抜けることも簡単なはずだ。
 しかし、2人で待ち構える廊下をまっすぐ前進してくるのである。
 この「犯人」は一体何を考えているのであろうか。
「止まれ!」

 周囲の人間が震え上がる様なドスの効いた声である。
 だが全く止まってくれない。
 二人は腰を落とした。
 警棒などの得物が使えず、ましてや銃器などを使うわけにもいかないのだからタックルによって押し倒して制圧するしかない。
 しかし、珊瑚(さんご)が全く何の迷いも無く突っ込んできたことによってタイミングを制されることとなった。
 腰を落とすところまでは良かったが、相手のお腹から下に肩から突っ込んで押し倒す前にもう「彼女」は目の前にいたのである。

 その後回想してみても、これほど長く感じられた数十秒は無かった。
 状態を全く説明してもらうことなく数百メートル離れたところから対象を見張っていた彼は、突然の突撃命令を受けて距離を詰め始めていた。
 その数秒の後に、オリンピック選手もかくやというような猛スピードでその女がこちらに走ってくるのである。
 事前に知らされていなければそんな危険人物だとは到底思えないモデルの様に背の高い美女である。
 気が強そうなところがあるが、そんなものは大した問題ではない。
 一応格闘技を修めているという話だったが、残念ながら取っ組み合いになれば体重の重いほうに分がある。

 残念ながらこれは真実である。
 彼は身長こそ平均男性よりも少し高い程度だが、全身を筋肉の鎧で覆い尽くすまでに鍛え上げており、体重は実に120kgに達する。
 それでいて全く肥満しているようには見えない。
 全ては脂肪細胞よりも重い筋肉細胞の重さなのだ。

 その上、アマチュアレスリングの経験があり単に重いだけならばともかく、どっしりと腰を落として構えたならばどれほどの怪力男であってもひっくり返したりましてや投げたりすることなどまず不可能である。
 つまり、「その女、危険につきなるべく接触するな」との指令も、暗器(隠し武器)などによるものであると高を括っていた。

 全力を込めてさえいればナイフすら受け付けない腹筋を持つのだ。
 どんな格闘技を修めたのか知らんが、見た所体重60kgも無さそうなモデル風美女に一体なにが出来るというのか。
 合気道は確かに強力だが、アマレスで日本代表を争ったこの俺に「相手の力を最大限利用して投げる」合気道は通用しないぞ。

 …とか何とか考えていた訳では無い。
 訳では無いんだが、道を塞いでいながら全く迷い無く突進してくる目標に一瞬頭が真っ白になっていた。

 これが男ならば、こちらも全く迷い無く顔面にパンチの一発も叩き込んで伸ばすか、回し蹴り一閃で腹の中のモノを全部出してもらうかなのだが、全力で撫でれば折れてしまいそうな美女であったことが不幸だった。
 どの様に手加減して怪我をさせずに制圧するかを考えていたその時、気が付くと目の前の視界には見慣れぬ模様があった。
「…!?!」
 強い衝撃が全身を襲い、そして違和感が包み込んだ。

 どの位意識が飛んでいたのかは分からない。
 だが、どうやら自分は床に寝転がって天井を見ているらしいことに気がついた。
 柔道をやっていた時に叩き込まれた「受け身」によって後頭部を強打することは免れたらしいが、腰や背中をある程度打ったのは間違いない。
「珊瑚(さんご)被害出た!現在の犠牲者は2名!確保頼む!」
 良く分からないことを怒鳴りながらサラリーマン風の男が駆け抜けていく。
「すいません!今は構ってられないんで!」
 申し訳無さそうに言ってそばを駆け抜けていった。

 彼もすぐに起き上がろうとする。
 だが、先ほどから感じている強烈な違和感がまたも全身を包み込んできた。
 いや、これまでが「包み込む」程度ならば、今度は「鷲掴み」というところだ。
「…!?!」
 仰向けだった状態から身体を回して膝を付き、そのまま立ち上がろうとしたその瞬間、「びんっ!」と何かが引っ掛かり、たまらず前方につんのめってしまう。
「わあああああ〜っ!」
 後方で間抜けな声がした。甲高い女性の声だった。

「な、…な…何だぁ!?」
 目に飛び込んできたのは衝撃的な光景だった。
 真っ黒なスーツ姿の相棒がいるはずの場所には、純白のウェディングドレスに身を包んだ可憐な花嫁がいたのである。
「…あんたは…っ!」
 「誰だ?」と続けようとした瞬間、猛烈な悪寒が全身を貫いた。
 何だこのヘンな声は…。
 ふと自分の身体を見下ろした。
 息が止まった。

 目の前には艶やかな光沢を放つ純白のウェディングドレスと、そして何よりもぱっくりと開いた胸元に「谷間」を見下ろすことが出来ているのだ。
「え…?…えええええっ!?」
 周囲を必死に見渡した。
 そこは間違いなく先ほどまで自分が配備されていた百貨店である。
 これは夢ではないのだ。
 そしてぶんぶんと顔を振り回して周囲を見渡したことでまた気がついたことがある。
 耳たぶを引っ張る様なこの感覚…これはもしかして、イヤリングなのではないか?
 顔全体がもったりしたこの感触…視界を薄くぼやかす掛け物。
 そして…全身に感じられるこの緊縛されたような感じ…もしかしてこれは…お、女物の下着の感触!?

 立ち上がろうとして、また「びんっ!」と跳ねつけられる。
 いや違う!これは立ち上がる際に長い長いスカートの一部を踏みつけてしまっているのだ!
 ふと気が付くと、自分の手は真っ白な手袋で覆われている。
 徐々に復活してきた感触は、全身のありとあらゆる箇所が経験したことの無いそれに囚われていることを認識させてくれる。
 この何ともいえない甘い香りは…俺自身の化粧の香りだというのか…。

 今度と言う今度はスカートを踏まないように立ち上がることに成功する。
 だが、今度は「ぐっ!」と腰の部分に負荷が掛かってきた。
 ずざざあっと周囲の床を覆い尽くしていたスカートの海が、引きずられる様に一緒に持ち上がる。
 彼はよろめいた。
 お、重い…。
 そして、そのスカートの重さもさることながら、靴の形までが強烈な傾斜を持つハイヒールになっているらしく、まるで爪先立ちをしているようにつんのめってしまうのである。
 なんてこった…。
 彼は言葉に出さずに努めて冷静に現状を認識した。

 俺は…俺は…お、女になってしまったというのか?
 しかも、ウェディングドレスまで着せられて…。
 やっと少しは意識と感覚をすり合わせることに慣れてきた彼は、下腹部がありえない感覚になっていることに思い至った。
 「ない」のである。
 そして、胸部分が強烈に押さえつけられている。
 どうも胴回り全体を等しく押さえつけられているらしく、所謂(いわゆる)一般的な「ブラジャー」の形状ではないようだが、その乳房と臀部を強調するためのものであることは嫌でも認識させられた。

 立ち上がって周囲を見渡すと、周囲は騒然としていた。
 少し離れたところにいる、床一杯にスカートを広げて座り込んでいるのは相棒だろう。もう立つ事もままならない様だ。
 ふと気が付くと、自分のお尻…いや腰のあたりから何かが出ていることに気がついた。
 それは重いスカートを持ち上げながら立ち上がり、覆う床面積を小さくしたにも関わらず半径1メートルの半径を描いて地面を埋め尽くすスカートの背面方向を完全に覆い、更にその後ろの床を長々と埋め尽くしていた。
 これは俗に言う「引きずる様に長いウェディングドレスのすそ」である「トレーン」と呼ばれる装飾品なのだが、当然ドレスの知識などない彼にはそこまでは思い至らなかった。
 勿論、簡素化がトレンドである現在の結婚式においてこれほど長く、大きなトレーンを身に付ける花嫁が少なくなっていることにも気付くはずはなかった。

 .
「二条さんからの通信です」
 5号がハンター組織内のデータ室で状況を追跡する。
「つなげ!」
『珊瑚(さんご)逃走!現在エージェント2人をお嫁さんに変えました!』
「発砲を許可する!フロアから出すな!いちご!全チームにつなげ!発砲を許可する!」

 .
 通信内容はいちごにも聞こえていた。
 耳に押し込んだイヤホンからである。
 珊瑚(さんご)は話している途中に29号がこちらに繋がっていると踏んで一か八かの逃走に賭けたのだろう。
 グズグズしていては逃走経路を失う。
 回りこむことをせずに警備員にまっすぐ突っ込んで行ったのも奴らしい作戦だ。
 触れた瞬間に相手が男ならば「女への性転換&女装」をさせられる。
 どれほど屈強な格闘家みたいなのがいたとしても突き飛ばして逃げるくらいならば出来る。

 男が女になっても肉体的にダメージを負わせる訳では無いから、根性のある奴ならばそのまま組み付いてくるかも知れない。
 なので、猛烈に動きにくい格好にしてしまい「物理的」に反撃を押さえ込む。
 純白のウェディングドレスにしたのも、奴の趣味…も多少はあるが、それだけではない。
 何しろ、着た経験のあるいちごだから分かるがあれは猛烈に動きにくい。
 走ったり格闘したりなど問題外である。

 全く不可能という訳では無いだろうが、全精力を逃げることに傾けている人間を追いかけて捕らえる用途には全く向いていないのは間違いあるまい。
 恐らくスカートの中の靴も、限界まで前のめりにつんのめったハイヒール状のウェディングシューズに変えていることだろう。
 これではあの掛け布団みたいなスカートのドレスを着ていなくてもまともに歩くこともままならない。
 同じ趣旨ならばそれこそバニーガールでもチャイナドレスでも構わない理屈だ。ハイヒールとセットであるということだけを考えるならば。

 だが、奴(珊瑚)の狙いはそれだけではない。
 床一杯に広がりかねないスカートは、倒れているその犠牲者を乗り越えて追いかける味方を大いに邪魔するのだ。
 日常的にあんなスカートを履いた人間が周囲にいないであろう人間は、スカートのどの辺に脚があって、それを踏まないようにすればいいのかが咄嗟に判断出来ず、どうしてもブレーキになってしまう。
 構わず駆け抜けても、脚を踏めば踏まれた側のダメージもさることながら、踏んだ人間もバランスを崩してしまう。
 それが狙いなのだ。

 もっと言えばあいつは恐らく限界まで大きなトレーン付きのドレスにしたはずだ。
 トレーンは巨大なものでは数十メートルにも及ぶドレスの装飾品で、要するにスカートの裾をより大袈裟に見せるためのものだ。
 仮に鋼の精神を持つ犠牲者が転ばない様にスカートを抱え、ハイヒールを乗りこなして可憐な花嫁姿で走って追いかけたとしても、巨大なトレーンを引きずったままだと、トレーンのどこか一箇所を踏まれただけでまるでコントみたいにずっこけることになる。
 下着みたいなつるっつるの素材のトレーンは純粋に足を滑らせやすい。
 追っ手を撒くことだけを考えるならばこの状況下ではもっとも適切な女装衣装だろう。
 俺があいつでもそうする…といちごは考えた。

 1階上の階にエレベーターを停めたいちごはそのまま非常階段からゆっくりと目標の階に下りていく。
「誰だ!」
 全身を針鼠(はりねずみ)みたいに武装したオバケみたいな兵隊が銃を向けてくる。見ればガスマスクまでしている。
「別室の者です!」
 このかん高い小娘みたいな声が恨めしい。
「別室だぁ!?子供が来るところじゃない!下がりなさい!」
「いいんだ!」
 いつの間に追いついたのか山田が声を掛けてくれる。

「隊長…」
「いいんだご苦労。配置に戻れ」
「はっ!」
 確かにこの状況下に二十歳にもならん小娘がカジュアルな格好で現場にいるのはそぐわない。
「感謝する。現在のフロアの状況を知りたい」
 だが、山田は応えなかった。
「…?」
 と、恐ろしい表情で睨み返してくる。

「俺の我慢にも限度があるぞ」
「何の話だ」
「あの女は何だ!あいつに触れられた男はみんな女になっちまう!」
「だから用心しろと言っただろうが!」
 音の響く非常階段で突然の怒鳴りあいが始まった。
「そんな話は聞いてない!」
「じゃあ聞くが!」
 どん!と床を踏み鳴らすいちご。

「正直に言えば素直に協力してくれたのか?あぁ?」
「…」
 言葉に詰まる山田。確かにそんな話を聞かされても一笑に付していただろう。
「俺の部下を…どうしてくれる」
「心配するな。一晩もすれば元通りだ」
「…何だと?」
「言ったとおりだ。いいか?ここで言い争いしている場合じゃない。一刻も早く奴を確保することだ!今どうなってる!」

「…ある子供服の店に立て篭もってる。人質を取ってな」
「篭城状態だと」
「子供の命には代えられん」
「その子は男の子か女の子か」
「俺が知るか!」
 イライラして怒鳴り散らす山田。
 修羅場を何度も潜っているいちごは少々ムカッとは来るがこの程度でびびりはしない。
「…おい。協力する気があるのか無いのか」
 むすっとしたままの山田。

「事情を全て聞くまでは協力できんな」
 ため息をつくいちご。
「説明はしてやるがとりあえず現状を教えろ」
「黙れ!」
 天井が抜けそうな大声で怒鳴り散らす山田。
 もしもこの現場に女子事務員の一人でもいればその勢いに泣き出してしまったことだろう。
 山田がいちごの目の前に顔を持ってきて言う。
「いいか、こちらは上からの命令で従ってやってるが、その前にその態度と言葉遣いを何とかしろ。小娘でなければ胸倉掴んで引きずり回してやるところだ」

 余りにも近視眼的な頭に血の上り方に呆れてしまういちごだったが、確かにいい年こいた大の大人がこんな小娘に上からモノを言われてアゴで使われるのは面白くは無いだろう。
 もしもいちごが男のままでこういう任務を押し付けられたら…その判断は難しい。
 いちごは携帯を取り出した。ボタンを押し、電子音が響く。
「ボスにつないでくれ」
 山田は黙ってそれを見ている。

『こちらボスだが』
「面倒なことになりました。どこまで話していいんですか?」
「おい。電話を置け」
 ふと見ると拳銃を構えた山田がいちごの頭部に照準を合わせている。
「…何の積もりだ?」
「いいから電話を置くんだ」
『どうした1号!』
 ボスが電話の向こうで大きな声を出しているが、返答出来そうに無い。

「どうした?乱心か?」
 …という具合にからかってやりたかったが、何とかに刃物である。ここは下手に出ないと仕方が無いかも知れない。
「どこまで話していいのか許可を取っているところ…」
「黙れ!」
 いちごの声を遮って怒鳴る山田。
「どこまで話すかだと?全部に決まってるだろうが」
「正気か?こんなことが分かれば問題になるぞ」
「いいから受話器を下げろ」

 ふと見ると山田は巧みに距離を取っている。
 約3メートルというところだ。
 この状態で飛び掛っても飛び道具があるあちらが有利だろう。
 人間を撃ったことがあるのかどうかは分からないが、訓練されている人間ならばこの程度の距離は多分当ててくる。
 いちごはゆっくりと受話器を下げた。
「よーしそれでいい。床に置け」
 まるで犯人に脅されている人質である。

「生憎(あいにく)だがもう指図は受けん。お前の身柄は俺の元に置く」
「勝手にするさ。どうなっても知らんぞ」
「黙れと言ってる。もうその生意気な口もそこまでだ」
 とことん女に見下されるのが気に入らないらしい。狭量な男だ。
 いちごは心中で歯噛みをした。
 これでは現場に行けない。
 女の肉体のままであいつを組み伏せられるのは今の自分しかいないだろう。
 珊瑚(さんご)もそれを承知で努めて1号と直接殴りあう局面になることを避けてきた節がある。

 こちらに銃で狙いをつけていたままの山田の携帯電話が鳴った。
 一瞬ひるむが、決して視線を切らない。
 なるほどそれなりに訓練はされているらしい。一瞬でも視線を切ればそこがチャンスなのだが。
「もしもし」
 名乗りたいのだろうが、こちらに偽名「山田」以外の名前の情報を与えない山田。
「ふむ…よし分かった。突入準備をしておけ」
 電話が切られる。

「武士の情けで教えてやる。現場は完全に包囲した。あんたのお仲間も風前の灯火(ともしび)だ」
「…」
 いちごは色々と考えた。
 床に置いた携帯電話はスイッチを切っていない。
 ボスなら異常事態に気付いて手を打ってくれているはずだ。

 現場だが、物理的に接触するのが危険であると気がついた現場捜査官たちが銃器を楯に珊瑚(さんご)を追い込むも、子供を人質に立て篭もっているというところだろう。

 酷く不細工なことである。
 確かにこれ以上花嫁を生産しないことは確かだろうが、子供を人質にとられた純粋な誘拐事件に化けただけの話だ。
「正確な事情を話してもらう」
「この状態で何か言えと?」
「言うんだ!」
 バン!と音がする。

 銃口から煙が上がっており、硝煙の匂いが鼻を突いた。
「空砲だな」
「ああそうだ。一発目はな。だが次は外さん」
 弾をリロードし、しっかりと狙いを定める山田。声は若干震えているが状況は見えている。
「知っての通りこんなところでぶっ放せば外して壁に当てても跳弾(ちょうだん)で俺も死にかねん。つまり当てるってことだ」
「どんな根拠で丸腰の小娘に空気穴開けるんだよ?」
「…この期に及んでまだそんな軽口を叩ける度胸は褒めてやる。だが、現場の判断だ。これ以上振り回される訳にはいかん」
 絶望的な気分になってきた。

 いちごの今の状況が、ではない。
 命令をしたならばハイハイと何も考えずに従ってくれる部下がいないという現状にである。
 命令を出しているのは名無しの権兵衛氏なのだろうが、現場指揮官が逆らって派遣された同じ職員を拳銃で脅して尋問とは笑えない冗談だ。
「…見ての通りあの中年女は触った男を自由に性転換し、そして女装させる力がある」
「…」
 馬鹿馬鹿しいことを言うな!と一喝したいのだろうが、もう実際に目撃してしまっているので反論のし様が無い。

「その上素行に問題のある人間でな。なるべく表には出さない方針だったんだが、逃がしてしまった。だから確保をお願いしている」
「お前らは何だ?何者なんだ?」
 難しい質問だ。今なら華代の説明をしても分かってもらえそうではあるが、そこまで一般に情報を拡散させてもいいものか。
「別に何者でも構わんだろ。あの花嫁製造機をほったらかすのは治安上問題があると思うがね?どうだ?」
「偉そうな口を利くなと言ったぞ。俺の娘ならもう数十回は張り倒してる。目上で年上の人間に対する口の聞き方も習わなかったのか!」

「やっぱりそこかよ」
「何だと!」
「生憎(あいにく)天涯孤独でね。親の顔もきょうだいの顔も知らん。家族もいない」
「…それは気の毒だが、だからと言って大の大人にタメ口を効いていい理由にはならんぞ」
 仕方が無い…いちごは判断した。
「いう気は無かったが仕方が無い。オタクはみたところ30代中盤に差し掛かるというところだろうが、俺の方が年上だ。多分」
「…何だと?」

 明らかに動揺している山田。
「どういう意味だ!」
「そのまんまの意味だ。あんたよりも俺の方が長く生きてる」
「バカな!どうみても二十歳前の小娘にしか見えんぞ!」
「肉体はな」
 しばらく空気が凍った。
「…まさか…」
 山田が今の状況をどの様に理解したのかは察しがつく。

「さっきお前は元に戻ると言ったな」
 珊瑚(さんご)被害者のことだろう。
「ああ」
「現にお前は戻っていないじゃないか!」
 やはりいちごを珊瑚(さんご)被害者だと思い込んでいる。
 全く的外れという訳でも無いが、実際はかなり異なる。
 だが、とりあえずそう思わせておく方が楽だ。
「何度もやられた場合の話だ。今回の被害者たちはみんな最初の1回目だろ?なら確実に元に戻る」
 これは本当である。

 山田はじっと銃を構えたまま押し黙ってしまった。
 それはそうだろう。こうも突飛な話を続けざまに聞かされて混乱しているのだ。
 聞かされるだけならばともかくも、実際に目の前で大の男が純白の花嫁にかえられる奇想天外ショーを目撃させられてしまったのである。
「とりあえずこれでいいか?」
「まだだ!」
「何だよ。もう話すことはない」

「何故奴を殺さない?」
 奴というのは珊瑚(さんご)のことだろう。
「俺は殺人鬼じゃないんでね」
「何故だ!女になんかされて…」
 そうだった。こいつはいちごが珊瑚(さんご)によって今の姿にされたと思い込んでいるのだった。
「殺して解決するんなら殺してる。だが仕方が無いだろうが」
 だが、山田は自らを女の肉体にされたことを粛々と受け入れている様にしか見えないいちごに納得が出来ない様子である。
「もういいか?奴を放置することは出来ん」

「もう一つだけ聞きたい」
「なら銃を降ろせ。もう必要ないだろ」
「…」
 一度振り上げた拳を下ろすのはそれはそれで勇気がいる。
「この質問が終わるまでだ」
「じゃあ答えない」
「貴様…」
 山田の額を脂汗が流れ落ちる。
 自分でもどうしていいのか分からないのだろう。

「奴をどうする」
「どうもしない。連れて帰る」
「ここまでの大事にしておいてか!」
 音が反響しやすい非常階段に響き渡る大声だった。喉の頑丈な男だ。
「確かに大事だがね。別に犠牲者が出た訳でもない。非常訓練として丁度良かったんじゃないか?」
「お前なら出来るのか?」
「生粋(きっすいの)の男には出来ないこともある。俺なら今さら奴に性転換される心配も無い。格闘の心得もある。何とかするさ」
「…」
 実際には人質事件になってしまっているのでそう単純ではないが、どうにか指揮権を取り戻さなくてはならない。

「身柄は渡せん。あの女は犯罪者だ。人質を取ってる」
「ほう、拘置所から刑務所から花嫁学校にすると?」
 実際にはウェディングドレスを着せるばかりではないのだが、説明が面倒くさいのでそういうことにしておく。
「…畜生!」
 誰に向かって怒鳴っているのか分からないが大声でわめく山田。もう何がなんだか分からないのだろう。
「とりあえず確保に協力してくれ。その後はウチとオタクの上層部で話をつければいい。ここで議論してても始まらん」
「もうすぐ警察が来る」

 やっぱりこいつらは警察じゃないらしい。
「だったら話が早い。花嫁姿にされたのは何人だ?」
「…」
「…おい!俺たちが喧嘩してる場合じゃねえぞ!」
「…8人だ」
「そいつらは今どうしてる?」
「…知らん」
「何だと?」
「うるさい!今は残りの隊員で問題の店を包囲してるところだ」

「そこまでだ」
 野太い男の声がした。
「失礼。現場に駆けつけてみるとこんなことになっていたのでね」
 白いスーツに立派な体躯の気障な男がつかつかやってくる。
「どうも、私は彼女と同じ組織に所属する柚木と申します」
 …柚木恭介…ハンターガイストと呼ばれている男である。
 恭しく名刺を差し出すガイスト。
 「ガイスト」ではやっぱりマンガになってしまうので名前を名乗っている。

「…何しに来た?」
 思わず無愛想に聞いてしまういちご。
「ごあいさつだな。フォローに来たのさ」
 第三者の乱入と同時に銃を下げている山田。
「すいませんどうも。見た目が女子高生なもので誤解されがちなのですが…彼女は我が組織随一のエージェントです。今後ともよろしくお願いいたします」
 言葉は丁寧だが、有無を言わせぬ迫力があった。
 普段は警察で言う「公安部」の様な働きをしているのがハンターガイストである。つまり、組織内の味方を見張るのが仕事だ。
「…我々には話の全貌が全く見えません。これ以上何の説明もなしに協力したくない」

 山田の言葉を言い終わる前にいちごの目の前にガイストの手が出てきた。
 激昂して殴りかかるのと止めようとする仕草だった。
「どこまで話は聞いてます?」
「その…あの女性の得意技について」
 自らの口で「男を触ると女へと性転換させた上にウェディングドレスを着せる」などと言ってしまうことへの躊躇(ためら)いが見え見えだった。
「なら話が早い。その通りです。確保に協力して頂きたい」
「しかし…」
「幸い、もう完全に包囲しているみたいですね。だったら後は投降させればいい。話は簡単です」
「…」
 山田は応えない。

「大丈夫ですよ。あなたは上の命令に従っただけです。サボタージュだなんて誰も思わない」
「…もう一度確認させて下さい」
「どうぞどうぞ」
 山田は携帯電話を取り出してどこかへ掛けている。
 いちごは足元の携帯電話を拾った。
 流石はボスである。この状態でも切れていない。
「…もしもし。聞こえましたか?」
『ああ。全部聞いた』

「何とかなりませんか?」
『何が?』
「やりにくくて適わんです」
『珍しいな。泣き言か』
「…」

『すまん。だが、普通の警察と連携する破目になるよりはずっとマシだ。辛いだろうがこらえてくれ』
「ガイストが来たんで、こいつを間に立てれば何とかなりそうですが」
『うん。間に合ってよかった』
「現場の状況を聞きたいんですが。こっちはそれすら分かってない」
『山田氏に聞け』
「勿論聞きます。だがその時のことを考えてです」

 ガイストの態度は慇懃無礼にも見えるが、「大人の男」の説得力は確かにある。女子高生にしか見えない男言葉の小娘とは説得力が段違いだ。
 確かに自分が山田の立場でも頭に血を上らせて怒鳴りあいをしていた内容が、ふらりとやってきた第三者に裏付けられれば冷静にもなろうというものだ。

 いちごは少し離れたところで話し込んでいるガイストと山田を視界に捉えた。
 声のトーンを落としているので内容までは伝わらない。
 恐らくいちごが直接聞けば激怒するような内容も含めて山田を説得に掛かっているはずだ。
 いちごとてプロなので、それはそれでいい。

「おい!一号!」
 それに気が付いたのかガイストが声を掛ける。
「…?」
 いちごが目で「いいのか?」とサインを送る。
 ガイストは「問題ない」と返す。
「じゃ、ボス。とりあえずここまでで」
『健闘を祈る』
 返事もせずに切った。
「場所を変えよう」
 自信に満ちた表情でガイストは言った。


「あそこか」
 解像度がそれほど高くない映像が目の前にある。
 ガイストのとりなしでスタッフの一員として管理人室に一緒に並んでいる。
 そこには可愛らしい女の子を背後から抱え込んでブティックの奥の壁に座り込んでいる珊瑚(さんご)が映っていた。
 何事か叫んでいる。
「流石だな」

「そうなのか?」
 山田が声を掛ける。
「ああ。背後を壁にして視界の広い位置を確保している。店もフロアの隅だ。背後から奇襲を掛けるとしたら壁をぶち抜くしかない」
「感心してる場合か。これからどうするんだ」
「…一応聞きたいんだけど、あの女の子は最初から女の子だったのかな?」
「はぁ!?」
 …と言いかけた山田は質問の意味を理解した。
「そうだな。最初から女の子だ」
「ふむ…その程度の良心はあるらしいな」
 もしも幼少の男の子だったら小さな子には酷な話だ。
 珊瑚(さんご)の能力は年齢もある程度いじれるからいい年こいたおっさんが元である可能性もあるが、それにしても人質は厄介だ。

「ガイスト…じゃなくて柚木さん」
「ん?」
「問題のフロアを閉鎖したところまではいいが、現地にウチのスタッフは何人くらいいるんだ?」
「今のところ余りおらんな。あ、7号が到着したらしい」
 携帯電話を取っているガイスト。
「話していいか?」
「ああ」
 携帯を差し出すガイスト。
 山田は蚊帳の外である。

「ななか?こちら一号」
『あの…「ななちゃん」はやめてもらえないかな…』
「まー細かいことはいいから。今どこにいる?」
 普段の調子が戻ってきたいちごだった。
『現場(げんじょう)には入れてもらえてないね。目の前に動揺しまくってる花嫁さんがいるよ』
 先ほどの珊瑚(さんご)の犠牲者に間違いあるまい。
「…どんな感じだ?」
『なんというか…見てられないね』

 珊瑚(さんご)の性転換&女装能力は華代のそれと比較すると数段落ちる。
 変えるのはあくまでも肉体の性別と服だけで、性格や精神、仕草や口調などパーソナリティ(人格)に関わる部分はそのまんまなのである。
 職場環境から、外部の人間を無差別に手に掛ける機会は少なく、二度三度と被害に遭っている「関係者」ばかりだったので、こうしたケースは珍しい。
 …が、これまでの「経験」からどの様な状況かはある程度推測することが可能だ。

「どうかな?サポートはいるか?」
『うん…呼んだ方がいいかも知れない』
 華代被害でも、精神状態はまちまちである。
 精神まで完全に女性化された場合や、理由はよく分からないがパニックを起こさない様に沈静状態までセットにしてくれる場合もあるらしく、全く動揺していない場合もある。
 何より、ハンターが華代被害者に接触するということは、ほぼ間違いなくそこから元に戻してあげることが出来る。
 つまり、最も「動揺する原因」をさっさと取り除いてしまうので大半の問題はそれで解決してしまうのだ。

 ハンター職員が華代被害が発生してから現場に到着することが出来る時間はまちまちである。
 短ければ数分後に接触出来るが、そうでない場合は翌日になってしまったりもする。
 精神的に全くフォローしてくれていなかった場合、余りのことに放心状態になってしまっているか、さもなければ恐慌状態になって暴れまわることになる。

 そうなった時の「乱れ方」はもう「筆舌に尽くしがたい」という形容がぴったりの状況となる。
 涙でメイクは流れ落ち、多くの場合は長く伸びている髪は振り乱され、綺麗に着付けられた服も何もぐちゃぐちゃになっていて、正に「修羅場」というに相応しいのだ。

 つまり、現在ななことハンター7号の目の前にいる「花嫁」はその様な恐慌状態にあるというわけだ。
 さながら花婿に逃げられた哀れな花嫁というところか。
 無論そんなことは声に出して言わない。
 万が一聴かれでもしたらそれこそまた「修羅場」というところである。

 珊瑚(さんご)被害に慣れっこになっているハンター職員ならばともかくも、戻れることなど及びも付かない一般人がこんな被害の犠牲になった日にはそりゃパニックにもなろう。
「さっき犠牲者は8人だと聞いた」
『えーと…そうだね。8人いる』
「全員花嫁姿か?」
『程度の差はあるけどね』

 つまり、誰も着替えていないということになる。
 突如女にされた上に着るのも脱ぐのも大変な衣装を着せられているのだから、落ち着いてジャージなんぞ着ている方が不自然ではある。だが、その程度が出来るほどに落ち着きを取り戻した被害者はいなかったということでもある。
 ま、いちごも着た…というかその場のノリで強引に着せられた…ことがあるので分かるが、ウェディングドレスというのは拘束具の様な下着を着込むので、初体験者がガイドもなしにおいそれと脱ぐことなどありえないと言えるが。

「すまん、ちょっといいかな」
 山田が声を掛けてきた。
「何か?」
「その…連中は確かに戻れるんだよな?」
 『連中』というのは肉体含めて花嫁姿にされた隊員たちのことだろう。
「珊瑚(さんご)による被害の1回目ならばまず間違いなく戻れるな」
 いちごが断言した。

「その保障は?」
「実例がある」
「実例…」
 何と言っても現に目の前で花嫁に変えられている人間が大勢いるので、「変身現象」は否定のしようが無い。
「名無しの権兵衛氏もそうだよ」
「なにぃ!?」
 山田が飛び上がるほど驚いた。

「若い娘になって看護婦の格好してた。一晩で戻ったがね」
 別に秘密でもなかろう。それに安心してもらえる材料として使えるならば本望だろう。
「…なんてことだ…」
 青ざめている様に見える山田氏。
 まあ、いちごも自分ならどんな表情をすればいいのかも分からんだろうなあと同情した。

「山田さんも試してみるかい?一晩のアバンチュールにゃ最適だ」
「まさか!冗談じゃない!」
 慌てて否定する山田。心なしか頬が紅潮しているように見える。
 ま、ここでこれ以上からかっても仕方が無いだろう。

 .
「やあ」
 珊瑚(さんご)の耳に衝撃的な台詞が飛び込んできた。
 壁を背にして見晴らしのいい位置を確保している。
 床に座り込んだ形でお尻を床に付けて脚を広げている形だが、その胴には幼い女児を抱え込んだ形だ。
「てめえ…二条」
 顔を出したのは29号こと二条九郎だった。

 反射的に獣の表情で銃口を29号に向ける珊瑚(さんご)。
 両手を上げる29号。
「まあまあ落ち着いて」
「うるせえ!」
 かなり興奮している。

「単刀直入に言うけど、投降して欲しい」
「ムカつくツラだ。今度は何にして欲しい?ああ!?」
 銃口の先がぷるぷると震えつつも29号から反れない。
「今投降すれば悪いようにはしない」
「バカ抜かせ!ここまでの状態にしておいてそんなわけがあるか!」
「『ここまでの状態』ってのはどういうことかな?」
 両手を上げたまま平静な口調で29号が言う。

「見てわかんねえのか!」
 頭の上で凄い声を響かされて女児はすっかり怯えてしまっている。
「犠牲者は誰も出てないよ。多少特殊な体験はしたと思うけどね」
 女に性転換されてウェディングドレスを着せられた8人の隊員のことを言っている。
「分かってるとは思うけどこの現場にはまだ警察は到着していない。今ならことを穏便に済ませられる」
「穏便にだ!?お前バカか!」

「どうせあたしなんて闇から闇だ。こんな大騒ぎをしたんじゃあっちの組織への手引きももう無駄だ」
「その話なんだけどね…」
「何だよ…」
「21号が全部吐いたよ。悪いけど元々その方向で身を処すのは無理だ。諦めるといい」
「どういうことだよ…」

 .
 29号と珊瑚(さんご)の会話を警備室でいちご、ガイスト、山田の3人が注視していた。
「何を話してるんだ…?」
「そこまでは無理だな。とにかく投降してもらえば何とかなるんだが…」
「強行突入出来ないのか?」
 これは山田。
「人質がいる。危険だ。それにオタクの組織に『何が起こって』も逮捕術を駆使出来る人間はいるか?」
 『何が起こって』がどういう状況を指すのかはこの段階では明白だった。

「…それであんなに女の隊員を要求してたのか…」
「ま、そういうことだ。…です」
 山田に気を使って語尾を敬語っぽくするいちご。
「一応女性VIPに付けるための女性SP隊員はいることはいるが…」
「急な調達は無理だろ?」
 黙り込む山田。認めているも同じである。


 .
「…という訳で少なくとも君の身柄をあちらの組織で保護する気は無い」
「嘘ね」
「嘘じゃない」
「嘘だ!」
 29号の真上あたりの天井に何かが当たった。
 珊瑚(さんご)の持つ拳銃の銃口から煙が立ち昇っている。
 だが、29号は表情一つ変えない。

「そこで交渉だ」
 珊瑚(さんご)の表情が意外なものを観た様になる。
「…交渉?」
「ああ。今の状態で戻れば君の身分は保証する」
 珊瑚(さんご)はツバを床に吐いた。
「笑えねえ冗談だ。コメディアンは諦めろや」

「気持ちは分かる」
「うるせえ!お前にオレの気持ちが分かるか!」
 凄いタンカだが、怒鳴っているのは珊瑚(さんご)の方である。
「…」
「次はどうすんだ九郎子ちゃんよお?バニーにバレリーナにスッチーの次は花嫁さんにでもなるか?あぁ!?」
 ヤケクソになった中年女ほど見苦しい物は無い。
「君の境遇と全く同じとは言えないけど、似たようなものだよ」

「意味がわからねえよ」
 29号は携帯電話を取り出した。
「おっと止めとけやにいちゃん。この子がどうなってもいいのか?」
 怯えている小さな女の子。
「君の逃げ場は無いよ」
「説得は効かねえぞ。絶対に逃げ延びてやる」

「説得はしない。見てもらうだけだ」
「何だと?」
「掛けてもいいかな?」
「駄目だ」
「なら警備員を呼んで直接伝言することになるけど、そっちの方がいいかい?」
「…」
 視線を全く逸らさずに考え込んでいる珊瑚(さんご)。

「どこに掛ける気だ?」
「どこでもいいんだけど…ウチの組織に繋がりさえすれば」
「いちごの野郎か」
「そうだね。現場にいるし」
 死の様な沈黙が支配した。
 静まり返った真昼間の百貨店のフロアは実に不気味だった。

「携帯よこせ。オレが入力する」
「それで?」
「ダイヤル始まったらお前に返す。余計なボタン操作したらこの子はタダじゃすまんぞ」
「分かった。それでいい」
 29号は携帯を足元に置くと、手で珊瑚(さんご)に向かって滑らせた。

 決して人質の女の子から手を離さずにそれを足で受け止める珊瑚(さんご)。
「お前は両手を上げっぱなしにしとけ」
「ああ」
 携帯を手放した後の29号は両手を掲げたままである。
「登録はしてあるのか?」
「『1号』と書いてあるだろ」
「…妙なところだったらぶち殺すぞ」
 慎重に探りを入れる珊瑚(さんご)。

「ああ。『1号』の番号にはちゃんと1号の電話番号が入ってる」
「…」
 珊瑚(さんご)はボタンを押し、ダイヤルが始まったことを確認して再び携帯電話を床に滑らせた。
「妙な動きを起こすなよ。片手で電話を取れ」
「ああ」
 床に座って女の子を抱えている珊瑚(さんご)に対して、数メートル離れたところから話しかけている29号という図式である。
 かがみこんで電話を取る29号。

「もしもし?1号かな?」
『…よう。達者だったな』
「お願いがあるんだけどいいかな」
『辞職願いだったら間に合ってるぜ』
 無断行動をしていた29号への会話に剣があるいちご。
「3号に見せたいんで、事情を知ってる女性と今回の犠牲者を一人連れてきて欲しい」
『何だって?』
「頼むよ」

 数分後。
「はい。珊瑚(さんご)さん。どうも」
 そこにはハンターでの女子事務員の制服姿の安土桃香がいた。
「…」
「何か来いって言われたもんで…」
「あたしは呼んでないけどね」
 珊瑚(さんご)は概(おおむ)ね女子事務員との関係は良かったので、人質をとって立て篭もっている状況を見られたくなかったのだろう。

「安土さん、事情は聞いてるよね?」
「はい。水野さんの様子も見てます」
「何の話をしてる?大体そいつは何だ?」
 珊瑚(さんご)の疑問ももっともだった。
 というのも、29号と桃香の二人組のとなりには哀れ純白のウェディングドレスも眩しい花嫁がスカートを広げて立っていたからだ。
「どうも…ご足労掛けます」
「いえいえ」
 何ともシュールな光景である。

「失礼ですがお名前は…」
「佐藤です」
 平凡な名前の花嫁の挙動は実に「普通」だった。
 何故か律儀にウェディングヴーケを手放そうとしない様子が余計に異様である。
 勿論、理由はあって珊瑚(さんご)が「関連物」として変化させるものは多くは「元の物質」が存在するので、備品を一つでも捨てると元に戻った際に欠損する恐れがあるのだ。
 この佐藤は珊瑚(さんご)被害にあった犠牲者の一人ながら、最も取り乱し方の少ない人物だった。

「じゃあ見せるからみていてくれ」
 珊瑚(さんご)のほうに向かって言う29号。
「何の話だ?」
「じゃ、安土さん行くよ。希望はある?」
「ん〜と…じゃあお巡りさんで」
「…なんで?」
「何となく」
 無邪気に笑顔を見せる桃香。
 そして29号が肩の部分に手を触れた。

 一瞬にして桃香の身長は一回り伸び、体つきは逞しくなり、女子事務員の制服は凛々しい警官のそれとなった。
 そう、桃香は男性警察官になってしまったのだ!
「…っ!?」
 花嫁が動揺している。自分も似たような被害に遭っているのだが、やはり目の前で変身する瞬間を見せつけられると衝撃なのだろう。

「…見えたかい?」
 動揺しているのは珊瑚(さんご)も同じだった。
「…ど、どういうことよ!」
「見ての通りだ。僕にも能力が付与されたらしい」
「あんたまさか…」
「うん。華代ちゃんに会って来た」
「そんな…」
 全ての事情が了解出来た様だった。

「わー」
 逞(たくま)しい男性となった桃香は「お巡りさん」の自らの身体を見下ろしたり捻ったりいろいろしていた。
 挙動や表情はとても可愛らしいのだが、見た目が完全に男性なのでちと違和感があるが仕方が無いだろう。
「じゃあ、よろしいですか?」
 花嫁に話しかける29号。
 意味するところは明らかだった。

「あ…ええ」
 少し動揺している花嫁。
「もう未練はありませんか?」
「そ、そりゃもう。はい」
 と言いつつも「どうせ戻れることが確定してるんならもう少し…」とでも言いたげな表情がありありと読み取れる。
「私も着たことはないですけど…ま、ここまでとさせてください」
 意味ありげなことを言い放ち、かぼちゃ状に盛り上がった肩のパフスリーブの上からぽん、と花嫁にタッチする29号。

 変化そのものを楽しませようとは全く思っていない29号の能力発動は一瞬にして花嫁を屈強な男性に戻していた。
 手元にウェディングヴーケを持ったままの手のポーズの黒スーツの男がそこにはいたのだ。
「…っ!!??」
 思わずよろける佐藤。
「どうです?」

「あ…その…」
 思わず身体のあちこちを動かしたり触ったりする。
 このあたりの反応は老若男女を問わない様だ。
「はい…問題ありません」
「それはよかった」
 青くなってぶるぶる震えている珊瑚(さんご)。
「見ての通り。僕の能力は君と正反対らしいんだ」

「女性に触ると一時的に男性にする。勿論服もね。そして男性に触っても基本的に影響ない」
「…だから何だよ。ビックリ人間大集合かよ」
 お前が言うなという感じである。
「安土さん、佐藤さんとりあえずいいからここは任せて」
「…いいんですか?」
「ええ」
 29号が安土桃香と佐藤に話しかけている。

「3号…」
 向き直って珊瑚(さんご)に話しかける29号。
「僕も今気が付いたんだけど、どうやら僕は君の能力を打ち消すことが出来るらしい」
「…」
 珊瑚(さんご)は答えない。
「てっきり女性になっている男性に触ったら、その状態で『男性になる』のかと思ったら元に戻る見たいだね。つまり打ち消していると」
「…だから何だ。自慢か?」

「…」
 29号はしばし沈黙した。
「あの…本当にいいんですか?」
 桃香が緊張気味に29号に声を掛ける。すっかり男性のおまわりさん姿なのだが。
「ああ。大丈夫だから」
 実は桃香ならば取っ組み合いになっても充分戦力になるのだが、ここは邪魔しない方がいいのだろう。

「じゃ、行きましょ」
 普通に女性のリアクションで制服警官が佐藤に声を掛ける。
「あ…はあ…」
 佐藤は今のこの目の前の男性はさっきまで女性だったのだよなあ…と考える。
 といっても、自分自身もついさっきまで純白のウェディングドレスに身を包んだ女性だったのだから、その程度のことは実際に起こりうるのだ。
 なんだかサッパリ分からないが、とにかくそういうことらしい。
「では…」
 桃香と佐藤は退散する。

 しばらくそれを見送る29号。
「…あれを見せてどうしようってんだ?」
「君なら分かってくれると思ったんだけどな」
「…何だと?」
「とりあえずその子を解放して欲しいんだけど」
 今珊瑚(さんご)が胸元に抱え込んでいる女の子のことだ。

「耄碌(もうろく)してやがる。こいつを放せばあたしがどうなるか分からんとでも思ってんのか?」
「そう言うとは思ったけどね…」
 頭をかいている29号。
「今なら間に合う。一応こんなんでも国家の情報機関だよ。悪いようにはしないから」
「…あたしの危険性は良く分かってるでしょうが。どれだけ殊勝な態度を取ったところで監禁生活から逃れられないじゃねえか」
「だから、今見せただろ?」

 珊瑚(さんご)が一瞬「はっ」とした。
「僕の能力はどうやら君の能力を打ち消すらしい。だからどんな格好にされようともすぐに戻せる」
「…」
「つまり相対的に君…3号…の危険性は大きく下がったのさ」
「…分かるもんかよ」
「ん?」

「実験的に確かめられた訳でもなんでもない。信用出来るか!」
「ということは君はまた無差別に組織内に女子高作ったりするつもりなのかな?」
 実際に事務員その他がいる一角に踊り掛かってそこにいた男全員をお揃いの女子高の制服姿に一変させたことがある。
 あの時は何とも上品な雰囲気になり、しかもなんだかとてもいい匂いがしたもんだった。
 当然その騒動に29号も巻き込まれ、腰まである長い髪の美少女にさせられた上に珊瑚(さんご)に思いっきりスカートをめくられたのは言うまでも無い。
「それは…」
「君にその気がなければ『事故』は起こらない。決してね」

「そしてもしも『事故』が起こってもフォローが出来る…ってか?」
「そういうことになるね」
「ふざけんな!」

 小さな子を抱え込んでいるのに大声を出す珊瑚(さんご)。
「あたしが行くとこ行くとこお前がへばりついて来るってのかよ!」
「別にそういう訳じゃないよ。でも」

 一拍おいて29号が続ける。
「問題は小さくなった。そうだろ?」
 考え込んでいる珊瑚(さんご)。

「とりあえず人質を解放して欲しい」
「下手な駆け引きだ」
「なら交換条件を飲もう。何でも言ってくれ」
 沈黙が支配した。
「…あたしを逃がしてくれるなら」
 軽くため息をつく29号。

「一応“交渉”なんだからさ。もう少しつりあう条件であって欲しい」
 視線を全く外さないまま考え込む珊瑚(さんご)。
「あんたがあたしならどうするよ?」
「どうする…とは?」
「鈍い奴だね。その程度の想像力もねえのか」
「ちょっと!」
 手を翳す29号。
「まって欲しい」

「そういう交渉も人質がいなくても出来るだろ?」
「だから…」
「その子がいなくても君の安全はウチの組織が保障する。あとは条件交渉だけだ。そうだろ?」
「…」
 すぐに返答することが出来ない珊瑚(さんご)。

「ごめん。言い方が悪かったね。じゃあこちらから条件を提示しよう。まず、このフロアから関係者を全て排除する」
「…何だと?」
「直接交渉するのは僕だけだ。それこそ取り押さえようとしてもすぐには出来ない。…これでいいかな?」
「…本当ならいいだろう」
「交渉成立だね」

 数分後、全ての準備が完了した。
「これで完了だ。その子を離してくれ」
「…一人で歩いて行かせろよ」
「約束どおりだ」
 29号は女の子とアイコンタクトする。
 そばにいてあげたいが、そうもいかないだろう。

 可哀想に女の子はふらふらとその場を離れて行く。
 フロア全体から関係者を排除させられているので彼女は一人で誰かがいるところまで歩いていかなくてはならない。
「気が済んだかい?」
「…」
 上目遣いで29号を睨んでいる珊瑚(さんご)。

「さっきの話の続きをいいかい?」
「…なんだったかな」
 とぼける29号。
「もうお前にゃ怒る気にもならんよ」
「ごめんごめん。同じ立場になったらだっけ」
「いいよもう。勝手にしろ」

「まあ、そうヤケにならずに」
「これがヤケにならずにいられるかよ!」
 大きな声だった。
「…そばに行ってもいいかな?」
「今度は何になりたい?あのガードマンと同じ花嫁か?」
「任せるよ」
 しばし見つめ会う二人。
「覚悟の上か」
「まあね」

「…いいよ。じゃあその辺に座っとけ」
「隣に座らせてはもらえないんだ」
 少し考え込む珊瑚(さんご)。いや、その表情には戸惑いが感じられる。
「…中学生じゃねえんだ。仲良く並んでお話でもねえだろ」
「じゃ、並ばなくてもいい。話をしよう」
 失笑する珊瑚(さんご)。
「だから話って何だよ。好きな子でも告白しあうのか?」
「いいね。それで行こうか」

「じゃあこちらから質問してもいいかな?」
「血液型なら教えねえぜ」
「いや、そうじゃなくて男性になるんならどんな姿になりたいかってこと」
「…何だと?」
 にこにこと笑顔を見せる29号。
「…そういうことかよ」
「ああ。“そういうこと”さ」

 交わした言葉は多くなかったが珊瑚(さんご)は全てを了解した。
 珊瑚(さんご)も異性と親密な肉体接触を伴うコミュニケーションが出来ない身体となってしまっているのだが、それは29号も同じなのである。
「隣に座ってもいいかな?」
 29号は繰り返した。

「…勝手にしろよ」
「分かった」
「待ちな」
 言葉で制止する珊瑚(さんご)。
「気を付けなよ。今度は水着でファッションショーでもすることになるぜ」
「君の見立てなら問題ないだろ」
「うるせえよ」

「それからさ」
 軽く頭をかきながら言う29号。
「今まではずっと君が生殺与奪の権利を握ってたけど、今はそうじゃないんでね」
「あんだよ。脅迫か?」
「そうさ」
「…随分直接的じゃねえか」

「そういうこと。君は…そうだなあ。ボディビルダーの男性になりたいかな?」
「テメエはグラビアアイドルの小娘になりてえのかよ?」
「…ま、そういうことだ」
「…」
 また沈黙が支配した。
「悪いが…こちらとしては気の毒にな、としか言えねえよ」
「僕もだ。言葉では色々言えるが、最終的に共感することは出来ない。立場が違うからね」
「そうだろうが」
「これまではね」

「君に色々弄ばれた事務員の多くは…レースクイーンになろうがバニーガールになろうが…翌日には元に戻ってる。そしてその多くは普通にその後女性とも付き合ってる。…けど肝腎の君はそうじゃない」
「…嬲(なぶ)る気か」
「まさか。共感してるんだよ」
「…」

「僕も女性に触ればたちまち同類だ。男同士じゃあどうもね。大体中身は女性だから気の毒でたまらない」
「…」
「変態同士傷を舐めあうか?」
「表現によるけどね。マイナーな趣味の同好の士ってのも悪くないよ」
 その時だった。
 すたすたと一気に29号が間合いを詰めてきた。

 虚を衝かれてびくっ!と飛び上がる珊瑚(さんご)。
「おい!やめねえか!女にすんぞごるぁ!」
 凄い脅し文句だが、事実なのだから凄い。
「どうぞ。もう何度目か忘れたけど慣れたから」
 尚も距離を詰める29号。
「よせぇっ!」
 覚悟を決めた相手ほど厄介なものはない。全くひるまず手を触れられる距離まで近づく。

 立ち上がって壁に背中を押し付ける形ですくんでいる珊瑚(さんご)。
 そこに覆いかぶさる様にして迫る29号。
 この二人の関係で、これほど29号が押したことがあっただろうか。
「そんなに嫌がること無いだろ?」
「…この変態が…そんなに女になりてえのかよ」
「望んでなりたい訳じゃないけど…そうなればお互い様だろ?」

 そうなのである。
 仮にこの状況で珊瑚(さんご)が29号を女性化するということは、同時に29号も珊瑚(さんご)に接触するということなので、珊瑚(さんご)もまた男性化することを意味するのだ。
「あたしは嫌だよ。そんな趣味は無い」

「僕だってそうさ。君のお陰で随分女の子にしてもらったけど、男性にいたずらされたことはない」
「女に悪戯(いたずら)されたことはあったってか?」
「お陰さまでね」
 子供の様な笑顔を見せる29号。

 勿論、その「張本人」は珊瑚(さんご)である。
 散々女性化し同時に女装させられた29号のスカートをめくり、お尻をなで上げ、時にはおっぱいをもんで来た。
「…負け犬同士傷を舐めあって生きようってのか!」
「…君は何を持って“負け犬”と?」
 目の前に顔を寄せ合って問答をするふたり。

「決まってるだろうが」
 こんな因果な体質になっちまって…と続けたかったが、珊瑚(さんご)の口からはそれ以上言葉が出てこなかった。
「組織に戻ってくれ」
 29号がごく普通のフラットな口調で言う。
「…とんだくどき文句だな」
 珊瑚(さんご)が視線をそらした。

「ああ。そうさ」
 対する29号は全く視線を逸らさない。
 珊瑚(さんご)は大きくため息をついた。
「お前の体質は?どうなんだ」
「どう…とは?」
「ウチのボスとかは何と言ってる?」
「別に…何も言って無い」
「んなわけあるか!」

「事実だ」
「そうかい。あたしゃ随分な目に遭わされたけどねえ。禁固刑にされるは拘束具は付けられるわ」
「自業自得さ」
 視線を合わせにくる珊瑚(さんご)。
「…言いにくいことをハッキリ言うねえ」
「人格者なんでね」
「あんたみたいな性格は嫌いだよ」
「それは残念。僕は君が好きなんだけどな」

「…何?」
「聞こえなかったかな?もう一度繰り返そうか」
 怪訝な顔の珊瑚(さんご)と普段どおりの表情の29号。
「それは…趣味ってことかよ」
「照れなくていいよ」
「な、何を言ってんだお前は!」
 かあっと赤くなる珊瑚(さんご)。不意を衝かれた格好だ。

「“何を言ってるか”と言われれば「正直な気持ち」としか言い様がないけど」
 びっくりしてわなわな震えている珊瑚(さんご)。
「あんた…自分が何を言ってるか分かってんの?」
「分かってるよ」
「これでこの騒ぎを抑えるための方便だとか言ったら首絞めるよ」
「まさか」
 余りのことに視線をあちこちに泳がせたり戻したり忙しい珊瑚(さんご)。

「…その…気持ちはまあ…受け流しとくけど」
「流されちゃうんだ」
「物理的に無理だろうが!」
 勢いに押されて接触するリスクも厭わずに身を乗り出す珊瑚(さんご)。
「あんただって毛むくじゃらの男に組み敷かれる趣味は無いだろうけど、あたしだって生暖かい女を抱く趣味は無いんだよ。生憎(あいにく)ね」
「そうだね。それが一番の問題だ」
 仮にこの二人がお互いに接触すると、その身体に付与された能力によってお互いを性転換してしまうことになる。

 そうなれば、女性だった珊瑚(さんご)は男性となり、男性だった29号は女性になってしまう。
 見かけ上は男女カップルだが、どちらも精神は本来のものと逆ということになってしまうのだ。
「決裂だな」
「君となら構わないよ」
「…あんたさあ…本気で言ってんの?」
「本気だ」
「言うのは簡単だけどね。これは冗談じゃ済まないんだよ?」

「君におっぱいを揉まれるのももう慣れた。その白魚の様な指じゃなくなるのは残念だけどね」
「…」
 珊瑚(さんご)は沈黙した。顔色は青くなったり赤くなったりと信号機の様に忙しい。
「…どこがいいわけ?」
 珊瑚(さんご)の口から小さな声が漏れた。

「どこが?」
「あたしのどこがいいのよ。自分で言うのも何だけど性格キツいよ?」
「お陰様でよく知ってる」
「うるさいよ。…もしもあたしが男だったらあたしみたいなのだけは勘弁だもん」
 自分で言うのも凄い。
「う〜ん…そう言われても困るなあ」
「あたしが男だったら…そうだねえ。事務の沢田みたいなカワイコちゃんとか、誰だっけ?あの女子高生…双葉か。あの子なんて可愛いじゃん。元男だけど生まれつき精神的に女みたいなもんでしょ?その辺のガサツなコギャルよりずっと女の子してるよ」
 正確な指摘だ。

「関係ないね」
「…何よそれ」
「一目惚れだから、理由は無いんだよ」
 また不意を衝かれて頬を紅潮させる珊瑚(さんご)。
「…はぁ!?」
「これ以上の理由は無いな。うん。確かにみんな可愛いけど、別に関係ないよ」
「…それだけ自信持って言い切れればえらいよあんた」
「うん…そうやって照れながら言い訳してるところも可愛いね」
 反射的に目の前の29号を思いっきり突き飛ばす珊瑚(さんご)。
「あっ!」

 珊瑚(さんご)は思わず目をつぶっていた。
 しまった!という思いが頭の中を交錯する。
 これまで意識せずに接触してきた男を女に変えたことは幾らでもある。
 最初にこの能力が発現した飲み会の席などもそうだし、立場を弁(わきま)えずに腕を露出するファッションだった時に触れてしまった男などである。
 だが、その時にもきっちり「能力」は発動した。
 これまで女への性転換と同時に女装しなかった例は無い。

 そして同時に、29号の能力を受けてしまったことも意味していた。
 人を散々異性にして弄(もてあそ)んでいながら、珊瑚(さんご)自身は性転換したことは無かった。
 まあ、普通は気軽に性転換を体験するように人類は出来ていないのだが、ハンターに所属しているとそれほど珍しくもなくなるものなのである。

 男が女になるのはそれは恐怖だろうが、女だって男になるのは怖い。
 それは未知の世界だからだ。

 珊瑚(さんご)は目をつぶったまま必死に呼吸を整えた。
 そうか…今まで自分が弄んでいたのはこういう感情だったのか…。

 突如女にされてスカートをめくられたり、背中をまさぐられてブラのホックをいじられたり…。
 冷静に考えるまでも無く生まれつきの女がされたって訴えたら勝つレベルのセクハラを性転換したての男にやりまくっていたのだからそのショックは察するに余りある。

 柄にも無い「反省」の感情と供に、必死に現状を悲劇から解放するための思考をめぐらす珊瑚(さんご)。

 自分の能力は時限式だ。
 いちごによると、何度も性転換&女装させられた人間は徐々に「戻り」が遅くなったりといった症状は観測されているらしいが、とりあえず最初の一回目で元に戻らなかった人間は…男はいない。

 29号の能力が全く同じものであるという保障なんてどこにも無い。
 どこにも無いんだが、目の前で観察する限りではきっとそうだろう。
 ということは…多少時間は掛かるかも知れ無いが問題なく元に戻れる!戻れるんだ!

 恐る恐る目を開こうとする珊瑚(さんご)。

 …男の身体ってのはどんなもんなんだろう?
 29号こと二条は、相手を男性化して自分みたいに相手の性別の特徴をいじる…この場合は股間を蹴り上げたり?…するんだろうか?

 目の前には尻餅をついた29号がいる。

「酷いなあ…」
 文字にすると怒っているみたいだが、楽しげに言う29号。

「…!?あんた…」
 変わらぬ女声が自分の喉から出てびっくりする珊瑚(さんご)。
「…あれ?…」
 そう、目の前で尻餅をついているのは29号。男性の姿そのままだったのである。
「変わってない?」
「…みたいだね?」
 お互いに顔を見合わせる珊瑚(さんご)と二条。
 珊瑚(さんご)はモデル並のスリムな体型を持ち、ハンターの女性の中ではトップクラスの身長を持つが、二条はそれよりも頭半分ほど大きい。

「…掛け方が浅かったかな?」
 妙な表現を言ってしまう珊瑚(さんご)。
 これまでに明確に観察したことは無いが、「不発」だったことは充分考えられる。
「確かめてみようか?」
 二条が提案する。
「…そうだな」
 珊瑚(さんご)の胸は久しぶりの動悸が激しく突き上げていた。
 先ほどの事態の意味するところがよくわかっていたからだ。

「じゃあ、お互いに間違いないように握手しようか」
「…うん」
 二条も珊瑚(さんご)に関しては随分研究したので良く知っている。
 お互いの素肌を接触させれば珊瑚(さんご)の能力は間違いなく起動するはずなのだ。
 おそるおそる伸ばした珊瑚(さんご)の手を勢い良くむぎゅっ!と掴む二条。
「きゃっ!」

 柄にも無く可愛らしい声を上げてしまう珊瑚(さんご)。
「…どうやら無事みたいだね」
 久しぶりの男性の感触が珊瑚(さんご)の手を包み込んでいる。
 男は触れるとすぐに女になってしまうので、珊瑚(さんご)はあの華代被害以来男性と物理的に接触したことが無いのである。常に手袋ごしだったのだ。
「これは…」
 どうなってんだ?と続けたかった。
 この因果な体質がすっかり元に戻ってしまったのか?

「実験する必要があると思うけど…」
 握った手を離さない二条が続けた。
「僕らはお互いの能力を打ち消しあうみたいだね」
「あ…」
 珊瑚(さんご)の脳裏に、さきほど「珊瑚(さんご)被害」に遭った男性をたちどころに元に戻す二条の姿がフラッシュバックした。
 あれは「女を男にする」というよりは「女性化を解除する」という風に見える。
 もしも「女を男にする」ならば「元に戻る」とは限らないのだから。
 突如「ぐい!」と抱き寄せられる珊瑚(さんご)。
「きゃっ!」

「お、お前…何を…」
「さっきの返事を聞いてなかったんだけど…どうかな?」
「どうかなって…」
 全身が心臓になった様に鼓動が早鐘の様に打っていた。男性に抱きしめられるのは久しぶりの感触だ。
「結婚して欲しい」
 珊瑚(さんご)は大きく目を見開いた。

 .
「あの二人は何を話してんだろーな」
「何ともな」
 少し時間の戻った監視室である。
 二条の要請で音声は切られている。
 会話をしているのはいちごとガイストだ。
「何ともややこしい二人だぜ」
「正に倒錯カップルだな」
 渋い声でうまい事を言うガイスト。
 触った瞬間にお互いの性別が逆転する男女の組み合わせというのも中々に刺激的である。

 .
「その…急に言われても」
 こんな小娘みたいな殊勝なことをほざく自分が顔から火が出るほど恥ずかしい珊瑚(さんご)。
「駄目かな?」
 全く視線を逸らさない二条を思わず上目遣いで見上げてしまう珊瑚(さんご)。
「…いや、…駄目…じゃない」
 消え入りそうな声だった。

「え?ごめん。良く聞こえなかったんだけど…」
 思わずムッとする珊瑚(さんご)。
「だから!いいって言ってるだろ!」
 売り言葉に買い言葉みたいに言い放つ。
「ありがと」
 笑顔の二条。
 そこから先の言葉は要らなかった。
 珊瑚(さんご)は遂に身体の力を抜き、二条に身を任せた。

 .
 デパートの一件は遂に収束した。
 フロアを丸ごと人払いするという前代未聞の大捕り物となったが、結果的には犠牲者もケガ人も出なかった。
 一応珊瑚(さんご)によって純白のウェディングドレスの花嫁姿に変えられた関係者の精神的なショックが被害と言えば被害であったが、これは名無しの権兵衛氏によってフォローされたらしい。
 勿論、人質になっていた女の子にもカウンセリングが施され、今では事件のことは殆ど忘れて元気に遊んでいるという。

 21号の処理も問題となった。
 顛末はこうだ。
 口八丁で別組織に珊瑚(さんご)の能力を売り込もうとして全て糸を引いていたという。
 あの非常識な能力をどうやって信じ込ませたのかが大いに問題なのだが、現在もその調査は続いている。

 珊瑚(さんご)は大いに利用こそされたが肝腎なことはあまり知らされていなかったみたいだ。
 どうにも都合がいいのだが、少なくともいちごはその様に聞いている。
 全てを21号に押し付ける形にして珊瑚(さんご)を守ったようにも思えなくも無いが、まあ別にそれはそれでいい。

 こちとら21号などといういかがわしい奴のことは良く知らない。それよりも腐れ縁の珊瑚(さんご)を大事にするなら大いに結構だ。

 珊瑚(さんご)の処遇は当然ながら大いに問題になった。
 一度は強制的に拘束されるまでの立場になり、その後大騒動を起こして挙句に逃走、更には特殊部隊まで繰り出しての大立ち回りである。
 一般には存在を秘匿されている組織のエージェントとはいえ、何らかのペナルティが無くてはしめしが付かない。

 だが、思いのほか寛大な処置に留まるらしかった。
 その原因の一つがやはり29号の存在だろう。

 傍若無人そのもので、面白半分に男性に性転換&女装ショーを強行していたのだが、その原因の大きなものの一つが「まともな恋愛が出来ない」という悩みだったのだ。
 だが、今やそれは解消した。
 体質的に真逆の能力を付与された29号が都合がいいことに「いい仲」になってくれたのである。

 正直、あの性格のキツい女に惹かれる男というのも気が知れないが、田で食う虫も好き好きというではないか。
 正面切って直球の告白などされたことの無かった3号こと珊瑚(さんご)はあれこれあったもののそれを受け入れて人が変わった様になったという。
 少なくともストレスや欲求不満が「外部への八つ当たり」と言う形で噴出することは減っているのだ。

 残念ながら珊瑚(さんご)の「変身させ体質」は元に戻った訳では無い。
 だから未だに日常生活においては手袋を外せない。
 なので「事故」の可能性は残っているが、これまで一昼夜から長いと数日掛かっていた「戻るまで」の期間をほぼゼロにする「対策」が同時に生まれているのである。
 それが29号こと二条の持つ能力である。

 29号の能力そのものは「触れた女性を男性にし、男装させる」ものなので、仮に珊瑚(さんご)被害にあった被害者…つまり「女性にされ、女装させられている」人間…に触っても“それを更に変える”ことになるのではないか?とも思われるのだが、どうやら「打ち消す」…つまり「元に戻す」ことになる模様だ。

 二人の能力は「華代能力」とは完全に同じではないらしく、他のハンターによる還元では元に戻すことが出来ない。
 お互いの能力で打ち消すしかないのである。
 全く非科学的というか不合理の塊(かたまり)みたいな話だが、そんなことを気にしていては華代を相手にはしていられない。
 「そういうもんだ」と割り切るしかないだろう。

 .
「で?どうなの?やっぱりその辺はどうなるのかしら?」
 何故かヒソヒソ声の沢田さん。
「実は結構お互いのことを研究してるらしいわよ!」
 こちらは安土桃香である。
「え?でも子供はどうするの?」
「それはその…」
 何故か赤くなる桃香。

「あー、ちょっといいかなあ。あんたがた」
 水野さんが事務室に入ってくる。
「あ、ますみん」
 最近、沢田さんは水野さんのことを“ますみん”と呼ぶ。
「何をヒソヒソ話をしてんのよ」
「そりゃ珊瑚(さんご)さんと二条さんですよ!」
 二条さんというのは29号のことである。

「別に男と女が結婚するのは普通でしょうが。それにあの二人はウチじゃあ珍しく生まれたままだし」
 元・男の女とかが矢鱈(やたら)に多いハンター組織にあって確かに「生まれつきの性別のまま」のカップルというのは珍しいかも知れない。
「これが華代ちゃんの被害者と男性だったりしたらそりゃ話題かもしれないけどさ」
「でも水野さん」
 これは桃香。

「双葉ちゃんが男性と結婚しても違和感ないでしょ?」
 双葉ちゃんとは28号のことである。女性化されたハンターの中でも珍しい元から女性化願望のあった存在である。本当に天使の様に可愛い。
「…無いね」
 無いどころか双葉なんて元が男だったことの方が大いに不自然である。
「ねえ!結婚式はいつなんですか!?」

「もうすぐみたいよ」
「楽しみねえ」
 すっかり盛り上がっている事務室。
「おっす」
 そこにいちごが入ってきた。

「きゃー!いちごちゃん!」
 沢田さんがはしゃいでいる。
「…相変わらずここはにぎやかだな」
「どしたの?」
「経費の精算だよ。ほれ領収書」
 一応国家機関なので予算の概念がある。あるったらあるのだ!

「あーはいはい。振込みでいいね」
「ああ」
 淡々と事務処理をこなしている水野さんといちご。
「ねーねーいちごちゃん!珊瑚(さんご)さんたちの結婚について聞いてる!?」
「まあ、聞いてるよ」
「どうなの?どうなるのよ!?」
 正に“前のめり”になっている沢田さん。

「別に…何だかんだで二人とも謹慎処分中だからな。今ごろ二人で打ち合わせでもしてんじゃねーの」
「ええーっ!?そうなの?」
「じゃあ、結婚式するんだ」
「珊瑚(さんご)の奴は嫌がってたみたいだけどな。書類だけでいいとか駄々こねてたらしーが」
「ボスでしょ?」

「おお、あのおっさん結構イベント好きなんだよ」
 “おっさん”とは随分な言い草だが、そこは腐れ縁のボスといちごならではなのだろう。
「珍しくめでたい話題だからな。ハンター全員出席で盛大に祝うってよ」
「本当ですか!?」
 桃香が飛び上がりそうになる。
「正式な話はまた今度伝えられると思うぜ」

「ああ、楽しみ。珊瑚(さんご)さんウェディングドレス着るんでしょ?」
「みたいだな」
「結婚式の方式とかは?」
「イルダさんが仕切るみたいだね。モニカはまだ自分で何か出来るほどでもないらしいし」
「地味に宗教対立あるよね」
「だから『結婚式』そのものは地味だと思うぜ。本番は「披露宴」だ」

「ああ、「お色直し」とかする宴会があれよね?胴上げしたり裸踊りしたり…」
 水野さんといちごが顔を見合わせている。
「そりゃ「二次会」とかとごっちゃになってるぞ」
「それに披露宴ではお色直しはしても裸踊りはしないでしょ」
「いや、二次会でもしねーよ」
 掛け合いみたいになっている。

「あーでも珊瑚(さんご)さんが結婚とはねー」
 沢田さんがへたりこんでいる。表情は楽しそうだが。
「そーよねー」
 桃香が合わせる。
「ある意味一生結婚相手探してるタイプじゃない」
 酷い言われ様だ。
「だってあの体質じゃねえ」
 これはごもっとも。

「正に一発逆転よね」
 目をギラギラさせながら沢田さんが言う。
 あわよくば自分もそういう機会を伺っているというところか。
「さわ…愛ちゃんも結婚したいのかい?」
 いちごが水を向けてみる。
「そりゃ結婚したいよ!それこそ二条さんみたいな人なら大喜びだね!」
 二条さんとは29号のことである。

「でもあの体質じゃねえ…」
「どんなカップルでも男同士になっちゃうもんねえ…」
 29号こと二条九郎は女性に触れればたちまち男性化させ、着ているものも男物に変えてしまう。
 …ま、逆バージョンである珊瑚(さんご)に対して、29号の場合は服も変えないと「女装した男」を量産することになってしまうので、必然なのだが。
 それでいて「華代被害」で女性化している元・男には効果が無いというのだから逆の意味で至れり尽くせりの能力ではないか。

「お前らの好みってよく分からんなあ。二条でいいの?」
「いいよ〜!ハンサムで優しくて最高ジャン」
 物凄く砕けている沢田さん。
「そんなもんかねえ」
「いちごちゃん、オレならどう?とか思ってる?」
 水野さんがからかう。

「あ、いちごちゃんなら結婚してもいいよあたし」
 沢田さんが大胆発言をする。
「でもいちごちゃん女の子だしねえ…」
 変わらずニコニコしながら続けるのだから始末が悪い。

「筋肉ムキムキの大男とかどうだよ」
 かつての自分なのだが、一応言ってみるいちご。
「う〜ん、あたしはパスかなあ」
 水野さんが“じゃあ駄目じゃん”という表情になる。

「でも、最後は性格ですよ」
 桃香が追加する。
「そーねー。二条さん怒ってるところ見たこと無いもんね」
「どんなワガママでも許してくれそうです」
「珊瑚(さんご)と夫婦生活だからなあ」
 これはいちご。

「あれだけ性転換されまくっても怒らないんだから」
 う〜ん、それは怒っても無駄だったということもあると思うぞ。「あたしが聞いた話じゃあ、二条さんのほうから告白したんでしょ?」
「らしいな」

「ん、ここにいるのは何人だ?」
 突如ボスが入ってきた。
「おっと…おいおい、黒一点かよ」
 いちごが茶化す。自分も女(の身体)なので冷やかしているのである。
「やかましい。全員に告知だ。結婚式及び披露宴を行う」

「珊瑚(さんご)さんと二条さんですよね?」
 沢田さんが身を乗り出す。
「ああ。今回はちょっと大変だぞ」
「大変というのは?」
 水野さんが質(ただ)す。もう事務員モードに入っているらしい。

「ああ。今回の結婚式及び披露宴は深夜に行われる」
「…は?」
 いちごが怪訝な顔をした。
「何だよそれ?二次会の話じゃねえの?」

「いや、結婚式と結婚披露宴が深夜だ。二次会は別に構わんが、下手すると明け方スタートになるな」
「何でだよ。式場関係者から披露宴のホールまで深夜営業させるのか?」
「まあ、そういうことになる」
「どうしてですか?ボス」

「うむ。結論から言うと最源四姫の皆さんが立会い人になるんだ」
 事務室に緊張が走った。
「…何?」
「あー心配いらんよ。別にどうということはない」
「あの…あっちの世界に連れ込まれたりとか…」
「ないない。そんなことはない」
 軽く一蹴する風に言うボス。

「本気でそんなこと考えてるんならとっくにやってる。ま、普通のハンター職員にとっては美少女とかそんな風にしか見えんだろうからそれで押し通す」
「はあ…」
 いかにもこの組織らしい。
「結婚式ってことは新郎新婦の親戚縁者も来るんですよね?」
「問題はそこだ」
 ボスが少し考え込んで言う。

「何しろ普通の職場じゃないからな。銀行だの市役所に勤めてるのとは訳が違う」
「ですよねー」
「珊瑚(さんご)の方は天涯孤独らしい。知り合いが一人もいないというもんでもないんだろうが、ま嫌がるのを無理矢理引っ張り出させることもないだろう」
「その方がいいだろうな」
 いちごがフォローする。
 珊瑚(さんご)の生い立ちというかプロフィールには謎の部分が多い。
 あまり触れられたくない過去である可能性がなくはない。
 ボスは更に詳しい事情も知っているのだろうが、深く追求しないところから予想は当たっていると思われる。

 ハンター組織に入る条件はただ一つ。ハンター能力の有無のみだ。
 水野さんや沢田さんの様に単なる事務員として雇われている人間もいるが、基本的には例外であり、かつ「替えの効く」人材なので極論すればリストラの対象にもなる。親方日の丸なのでそういうことは無いだろうが。
「二条さんは?」
「これが更に問題だ」

「以前に聞いたことのある話としては両親は健在、親戚もきょうだい含めてかなりいるらしい」
「あら羨ましい」
 世話好きおばさんみたいになっている水野さんが言う。
「ただ、ウチの職場を何と説明したものか…」
「確かに」

「それにあいつはあまり両親に見せたい目には遭って無いからな」
 全員の脳裏にバニーガールにされた二条の艶(なまめ)かしい脚線美や可憐なバレリーナにされた際の華奢な身体に折れそうな鎖骨、セーラー服の女子高生にされた際にめくられたスカートの内側の白い下着などのイメージが浮かんだ。
「…私にお兄ちゃんがいたら余り見たくは無いかもです」
 桃香が言った。
「そっかなー。あたしは見てみたいけど」
 楽しそうな沢田さん。余り参考になる意見では無さそうだ。

「こういう時に情報組織はどうしてるんだ?それこそCIAとかKGBとかは?」
「ま、ひっそりとやるわな」
「仕方が無いんじゃない?とりあえず入籍したことだけ報告って形で」

「それで結婚式や披露宴の出席者には口止めするってか?」
「そうなる。ま、関係者ばかりだから可能だろう」
 いちごは正直、あの生真面目な二条のルーツに興味が無い訳でもなかったが、その辺は無理強いする方がいろいろと問題が出ることは良く分かる。

「49号はいるんなら両親は必ず出席させろと強く言ってるんだがな」
「あーイルダさんなら言いそう」
「結婚式ってやっぱりキリスト教式なの?」
「いや、彼女は一神教は認めないらしいからキリスト教式にはならない」

「え?イルダさんってキリスト教関係者じゃないの?そんなイメージだったんだけど」
「いや違う。細かく言うとややこしいんだが、キリスト教ではない」

「魔女宗だと思うが…宗派までは知らん。まあ、お前らは適当に包んで当日待ってればいい」
「全部イルダさんがやるってこと?」

「まあ、そういうことだ」
「お子様ハンターズとかは?」
「…連中にもちゃんとギャラは払ってるんだがな…。まあいい。連中は隅のテーブルでジュースでも飲ませとけ」

「あとさあ、ドレスとかは…」
 ボスが遮った。
「後は披露宴で本人からたっぷり聞け。あと当日は一部の昨日を残して昼間は開店休業状態にするからたっぷり寝とけ」

 そんなこんなで連絡の行き渡ったハンター職員・関係者たちは結婚式当日、披露宴の日に呼び出されたのだった…。


 某日。
 場所は屋外。
 時間は深夜である。
 煌々と夜空に咲き誇る満月がまぶしい。

 野外だが、基本的に昼間に催(もよお)しを行うことを想定しているので専用の照明は存在しない。
 しかしあちこちに魔法の照明が置かれているので不自由はない。

「…いちごちゃん。何だか寒いね」
「我慢しな。結婚式が済めば部屋ん中でご馳走と披露宴だ」

 29号こと二条九郎と3号こと珊瑚(さんご)の背中が見える位置でいちごと沢田さんがひそひそ話している。
 周囲には濃い面々のハンターメンバーがずらりと勢ぞろいしている。
 足元は草原で、けっこうぐらついている。

「いちごちゃん、どういう順番なのかしら?」
 これは水野さんである。
 普段はこういうことを取り仕切って裏方で走り回るしっかり者なのだが、今回はイルダさんが仕切るということで、関わらせてもらっていないのだ。
「よー知らんが、今やってるのが『結婚式』本体で、これが一通り終わったらホテルの会場で披露宴なんだそうだ」

「じゃあウェディングドレスとかは?」
 これは桃香。どうもいちごの周囲には女子事務員が集まる。
「チャペルでバージンロードとか想像してたんだけど」
「だからそれはキリスト教式だろ?イルダさんはそうじゃないんだとさ」

 この間にも祭壇において聖職者(イルダ)の祝詞が捧げられ続けている。

 祝詞が一段落したところで、聖職者は目の前の二人に話しかけた。
 二人は日本人が想像する婚礼衣装からするとかなりシンプルな装いである。
 頭には草と花で編み上げた冠を載せている。
「二条九郎さん、藤美珊瑚さん」
「「はい」」
「あなたがたは、誰に強制されることもなくあなた方自身の意思でこの結婚を望みますか?」
 二人は一瞬見つめあい、そして答えた。
「「はい」」

「あー、いちごちゃん」
 背後から5号が話しかけてくる。
 柄に合わず、それなりにめかしこんでいる。といってもサラリーマンが着る様なスーツの色が濃いもの程度だが。
「おー…って何だよその格好」 
「おっと!五代くん格好いいじゃん」
 これは沢田さん。
「あ、どうも…」
 といって目尻が下がる。調子のいい男だ。

「あの後ろの方にいらっしゃる方々はどちらさまですか?」
 何故か敬語になっている5号。
「あー…あれはだな」
 恐らく多くの参列者が気になっているであろうその存在は最源四姫の皆さんである。
 これほど多くの人間の前に姿を晒すのは珍しい。
 説明が非常に面倒なことになる。元々何でもありの組織だが、ここで魔界がどうこう言うのも破天荒だ。
「ま、関係者だよ。うん。仲人みたいなもんだ」

 激しく適当な説明だが、仕方が無い。
 本当は結婚式が真夜中に設定されざるを得なかったのもあそこの皆さんの所為(せい)だったり色々あるんだが、その辺は流す。
「ふーん、そうなんだ。大変だねえこんな夜中に」
 幸せな奴である。

 イルダ・リンカーンはそばに立たせたボスと代表のエミルネーゼに立会人の確認を行う。
 結局二条九郎、藤美珊瑚の親類縁者の出席は叶わなかった。
 ボスとエミルネーゼの二人とも立会人としてこの結婚式を認めることを表明する。

 イルダは二条と珊瑚の手を取り、結ばせる。
 事前の打ち合わせで、この手は結婚式の間は決して離さない様にすることを聞かされている。

 そして再び聖職者が祝詞を上げる。

 聖職者が改めて2人を結びつけられるのは2人の自由意思だけであると宣言し、2人に結婚の意思の確認と指輪の交換を促す。

 二条と珊瑚の2人はそれぞれ結婚を望む相手を宣言し、その相手の指に結婚指輪をはめる。

 盛り上がるポイントなのだろうが、遠くからは良く見えない。
 しかし、二人のほのぼのした雰囲気は伝わってくる。

 聖職者が誓いの言葉(呪文)を読み上げ、2人にそれを復唱させる。
 これも練習の賜物だ。

 式は次々に進み、次の段階に移る。
 聖職者が花婿(二条)に盃を渡し、花嫁(珊瑚)が中身を飲む。
 飲んでいる間、盃は花婿である二条が支えている。

 次に聖職者が花婿にパンの乗った皿を渡し、花婿は花嫁にパンを食べさせる。
 珊瑚の口の中が一段落したのを確認し、また何かを唱えている。
「あれって…」
 思わず23号(二岡)がつぶやいた。

「ん?どうした?」
 発言に気が付いたいちごが声をかける。
「あ、いや何でも…」
 あれは『庇護』の魔法だな、と二岡は確信した。
 確かにこれから旅立つカップルには相応(ふさわ)しい贈り物だろう…と人知れずうなずく。 

 固唾を飲んで見守っていた一同に、会場スタッフがイルダさんからの合図を伝達してきた。
 これで結婚式部分は終わりということだ。
「よーしみんな!これからバスで会場に移動するぞ!」


 バスの中は早くもお祭り騒ぎになりかけていた。
 深夜に呼び出されているので早くもテンションが上がっているのがいる。
 一応国家機関なので半分の職員は翌日の仕事に備えて休みである。それ以外は基本的には参加だ。
 未成年であるお子様ハンターズや女子高生ハンターズの参加は賛否両論あった。お子様軍団は見かけがお子様なだけで実際は職員なのでいいとして、現役の学生たちは色々と問題がある。
 しかし、滅多に無いことなので特別にボスの許しが出た。
 まあ、何と言っても彼女たちが「花嫁さんを間近で見たい!」と熱望したことが最大のポイントではあるのだが。

 披露宴会場に着くと、そこにはすっかりご馳走の用意が出来ていた。
 席には名前が書いてある。
 参加者は100人を越える人数なのだが、いつもくっついている仲良したちが近くに配置されるようになっており、その辺は考えられている。
「…で?スケジュールはどうなってるんだ?」
 幹部…という訳でもないのだろうが、古株のいちごとボス、そして事務員の水野、沢田、安土が前の方の卓に同席となった。

「来賓挨拶でもないからな。新郎新婦紹介なんぞ正直にやった日にゃお笑いになる」
 ボスがぼやく。
 そりゃそうだろう。新婦はあたり構わず男を女にしてはスカートめくったりおっぱいもんだりの狼藉を繰り返し、新郎にいたっては最もその被害に遭って女子中学生から女子高生、女子大生にOL、スチュワーデス、バレリーナからバニーガールまで一通り体験しました…では恥をさらす為に式をやってるみたいなもんである。

 とはいうものの、結局この場はハンター関係者ばかりということになるので秘密の漏洩に気を遣う必要だけは無い。
「一応節目の挨拶やらケーキカットはやるし、お色直しもやるが基本的には次から次に運ばれてくるご馳走食らっとけばいい」
「そうさせてもらうよ」
「いちごちゃんって今の肉体年齢は女子高生くらいだよね?」
 これは沢田さん。

「…その様だ」
 いちごは“女子高生”という表現に物申したかったがとりあえず肯定。
「未成年だよね?お酒どうするの?」
「無礼講だ」
 ボスがフォローする。
「『無礼講』ってそういう意味だっけ…」
 桃香が首をかしげる。
「これくらいなら別に構わん。お子様軍団は別だ」


「では新郎新婦の入場です!」
 会場が暗くなった。
 いちごには余り馴染みのない音楽が流れると、スポットライトに照らされた扉が開き、そこには純白のウェディングドレスに身を包んだ珊瑚と腕を組んだ29号こと二条が入場してくる。
 音楽はどっかのクラシックらしい。「今さら派手な披露宴なんてこっ恥ずかしい」と抵抗していたらしい珊瑚が無難なところを選んだのだろう。

 会場の照明が落とされ、新郎新婦にスポットライトが集まる。
 参加者たちは大いに盛り上がった。
「どうやら本当らしいな」
 その喧騒の中、いちごが独り言の様に言った。
「何なに?」
 珍しく水野さんがいちごのひじをつつく。
「連中、手を組んでやがる」
「あ、ホントだね」
 当然だが新郎新婦は手を組んでいた。

 珊瑚のウェディングドレスは長い手袋ではなくて、長袖で手首から先が露出するタイプだったのだ。それで新郎に接触しているのに変身現象を起こさないのだから、噂に聞く「お互いの強制変身能力を無効化する体質」は本物なのだろう。

 いちごはどうにも照れくさかった。
 珊瑚に恋愛感情なんぞ抱いたことは一度も無かったが、こうも腐れ縁関係を続けていると親戚やら自分の姉だか妹だかが似合わない一張羅でめかしこんでいるのを見せ付けられているみたいでこっちの方が恥ずかしい。

「しかしまあ…」
 いちごは少しあきれた。
 よほど恥ずかしいのか何だか分からないがじっと俯いて、足元をたしかめながらしゃなりしゃなりと歩く「花嫁さん」の着ている純白のウェディングドレスは、正に「一昔前」のお姫様みたいな豪奢な…というか「コテコテ」のものだった。
 実はいちごも着せられたことがあるのだが、その時のファッションデザイナーの言によると、現在は晩婚化が進んでいることもあって「ウェディングドレス」と一言で言っても実に多様化が進んでおり、非常にシンプルで大人しいデザインも増えてきたという。

 いちごは現在の性別に関わらず結婚式そのものに余り興味は無い。
 だが、まるで寝巻きか下着かとすら思えるキャミソールワンピースみたいなのを「ウェディングドレスです」と言われてもちと違和感がある。
 興味が無い分「記号的な」分かりやすさを求めるところがあるのだ。
 しかし、それにしたってこのドレスはどうかね。

 手の甲まで覆い隠す長袖はもちろんのこと、肩にはモビルスーツみたいなちょうちん袖…パフスリーブというらしい…、スカートはよほど中に膨らます素材か骨組みでも入っているのだろうというほど見事に膨らんで半径一メートルはありそうだった。
 純白のドレスのスカートの長い無い裾は大きく伸びて絨毯を覆い尽くしている。

 自慢の黒い髪も結い上げられてうなじが露出し、上半身を覆い隠すのみならず背中側の一部が床に達しそうなヴェールに覆われている。

 ふと見るとやはり女子高生ハンターズはきゃーきゃー言っている。
 そして沢田さんと桃香もうっとりして言葉も無い。

 こんなコテコテの「花嫁さん」みたいな格好が許されるのも二十歳前のアイドルか衣装モデルくらいなんじゃないか?と表情をひきつらせるいちご。
 披露宴は花嫁が主役なのでどんなデザインのドレスを着ようと勝手ではあるが、やはり照れが先に立ったのかも知れない。

 正面の新郎新婦席に二人が座る。
 予想通り珊瑚は膨大なドレスのスカートに苦戦していたようだが、どうにか腰を落ち着けることに成功した。
 同時に新郎と目があってお互いにっこりするのが何かむかつく…。
 ってな具合にいちごはあれこれ考えていた。

 ふと見ると、ボスが会場の前の方に移動してマイクを取っていた。

『あー、テステス』
 定番である。ボスが挨拶を始めた。
『この度はハンター29号こと二条九郎くん、ハンター3号こと藤美珊瑚くん、ご結婚おめでとう』
 拍手が起こる。二人はボスの方に会釈をする。
『この場は関係者のみということなので申し上げておきたい。恐らく噂では聞いているだろうが、ここでの説明で報告に換えるので聞き逃さないように』
 何だか堅苦しい挨拶だ。

『知っての通り珊瑚くん…これからは「二条夫人」なので名前で呼ばせてもらうが…には特殊能力があった』
 改めて口にすると事実でありながら荒唐無稽になるので慎重に言葉を選ぶボス。
『その能力は現在も健在ではある。そして、ごく最近であるが29号こと二条九郎くんもとある能力を得た。それは珊瑚夫人と対をなすものである…と言えば多くの諸君は察してもらえると思う』
 会場からはおお〜という静かなどよめきが上がった。
 ここで初めてその事実を知った者もいたに違いない。

『あ〜静粛に』
 「そうだったのか」「でもどうなってんだ!?」といったひそひそ話が止まないのでボスが促す。
『珊瑚くんは…ここだけの話非常に苦労をかけてくれた』
 普通は会場から笑いが起こる…のだろうが、この会場においては誰も笑わない。
 この場にいる人間は、生粋の女性か華代被害者で現在女性で固定している人間を除けば…つまり男性のほぼ全員が「珊瑚被害者」でもあるからである。
 参加者の何人かはスカートの感触やら、レオタード地の感触なんかが全身によみがえったりしていた。
 ボスが続ける。
『結論から言えば、お互いに反対の能力を持つ二人の体質はその効果において“打ち消しあう”ことが証明された』
 またどよめきである。

『この特異体質の二人が結ばれることについて疑義を感じていた者もあるだろうが、これで理解してもらえたと思う』
 なるほど、ボスはそのあたりの疑問を払拭しておきたかったわけね、と納得するいちご。
 口さがない連中は、「あの二人はお互いの性別を反転させた状態で結ばれるんじゃないのか?」などと言っていたが、その噂を打ち消した形だ。
『同時に、これからは夫婦の片方がしでかした粗相は、もう片方によって打ち消せるということでもある』
 ボスは明言していないが、要するに珊瑚に女性化&女装させられた元・男性の被害者は九郎さえ要ればすぐに元に戻してもらえる…ということだ。
 逆に九郎に男性化&男装させられた元・女性は珊瑚がいればすぐに元に戻してもらえるということになる。

 またどよめきだ。
 これでよからぬことを考える輩が大勢いるであろうことはいちごでなくとも想像がつく。
 要するにこの二人に協力してもらえば「インスタント変身」が可能になってしまうのである。
『あ〜、諸君の考えることは分からんでもない』
 またどよめきを抑える様にボスがかぶせる。
『だが、珊瑚くんたちの能力には不明な点も多い。連続して行ったりした場合、必ずしも元に戻れるとは限らない。そうなった場合には組織としてはなんの責任も負いかねるのでその点了承願いたい』

 これは事実だ。
 実際、何度も珊瑚被害に遭った被害者は徐々に「元に戻る」までの時間が長くなっていたことが明らかになっており、この先何が起こるかは何とも言えないのだ。
 まあ、「真面目が服を着て歩いている」様な九郎がイニシアチブを握っている以上お遊びや娯楽でその様なアクシデントが起こる可能性は皆無に等しいだろうがね。
『珊瑚くんもまだ能力は健在だからといって、これまでのようなことはしないように』
 大人しく頭を下げる花嫁。

 ま、恐らくその点は大丈夫なんだろう。いちごは楽観していた。
 元々サディスティックなところのある女ではあったが、周囲の男をああも女にしたり女装させたりしていたぶっていたのは個人的な欲求不満だったり、異性とまともな恋愛が出来ないという絶望感だったりしたのだが、そのあたりが軒並み解決したのである。
 九郎は一見するとのほほんとしているが、包容力のある男である。そもそも「性格のキツい女が好き」という物好きなのだ。
 これからはほよど求められたりしない限りは珊瑚(さんご)が傍若無人に振舞うことはあるまい。

『言わんでも大丈夫だとは思うが、29号もな』
 こくりと頷く新郎。こいつが悪戯(いたずら)で戯れに女性を男性にして弄(もてあそ)ぶところなど想像できない。
『お互いに浮気の心配が全く無いので夫婦円満なのは間違いないだろう』
 ここでやっと笑いが起こった。
 そうなのだ。
 この二人は「絶対に浮気が不可能」なのである。
 何しろ二人とも異性に障った瞬間に「同性」へと変身させてしまうのである。
 プラトニックならばともかくも、それ以上となると手をつなぐことすら出来ない。正に完璧な「浮気対策」となっているのだ。
 ま、華代被害者のハンター職員に関してはそうでもない様だが、それこそありえない話だ。

『これからとりあえず披露宴ということになるが、形式ばった挨拶はこれまでとする。要するに新郎新婦を「披露」することが出来ればそれでいいので、お色直しの際に入場をアナウンスはするが、それ以外は時間までご馳走を食ったりしながら会場の前の方にいる新郎新婦に入れ替わり立ち替わり挨拶に来たりする様に。以上!』
 遂に会場からは拍手が起こる。
『上司のボスからでした』
 会場アナウンスも関係者なので砕けている。
『では、お食事をどうぞ!』

 どうじにあちこちから物凄い勢いでがっつく音だの何だのが聞こえてくる。
 いちごが首を伸ばしてみると、もう双葉は自分の皿を空にしていた。隣のテーブルにいた5号は味をかみ締めている。
 深夜に開催された結婚式&披露宴ということで、夕食のタイミングを掴めなかった連中が散々お預けを食らわされた後に一気に開放された形となったのだろう。
 見ると新郎新婦が何やらにこやかに話し込んでいる。
 珊瑚のやろうのこうも屈託の無い笑顔なんて初めて見る。
 妙な言い方だが、こいつも女だったんだなあ…と悪友としていちごは思うのだった。

「ふん…じゃあ行って来るか」
 いちごが席を立った。
「あ、もう行くんだ」
 これは水野さん。
「嫌いなおかずから先に食べる方でね」
「素直じゃないねえ。もしかして嫉妬してる?」
「あいつに?ねーよ。しかしまあ…」
「何よ?」

「妹が嫁に行ったみたいでどうにもこっ恥ずかしいや」
「あ、それちょっと分かるかも」
「そうか」
「うん。あたしも甥っ子が結婚した時は別に甥っ子と恋愛感情なんか無かったけど仲良かったから物凄く複雑だったもん」
「…ふん。じゃあどうする?この卓行くか?」
 ふと見るともうボスが新郎新婦に向かって歩いて行っている。
 先を越されるのが嫌な訳ではないが、いちごが卓の先導を切って歩んだ。
 五号も付いてくる。

 新郎新婦の座る机の正面に来るいちご。
 目の前で見ると本当に凄いドレスである。
 近づいてくるいちごに気が付いたらしい珊瑚(さんご)。
「…よう」
「あによ。からかいに来たの?」
 見た目は無垢な花嫁だが、悪態は変わっていない。
 うっとりするほど美しい花嫁の、透き通る様な白い肌に描かれた可愛らしい口紅の縁(ふち)から毒舌が飛び出してくるのはなんともシュールである。
「…ふん。馬子にも衣装だな。ま、おめでとよ」

 不意打ちに驚いたのか、かあっと赤くなって横を向いてしまう珊瑚(さんご)。急に顔を回したのでイヤリングがチリチリと鳴り、ヴェールが波打つ。
「…あたしはこんなコテコテなの恥ずかしいって言ったんだからね!…」
 普段は見せないうなじに、ドレスのデザインの為首の周りが大きく鎖骨まで露出しているので赤くなっているのが良く分かる。
「ボクがリクエストしたんですよ」
 29号がベターハーフをフォローする。

「お前…いい趣味してるよ」
 どう考えても恥ずかしがっている女にこうも可愛らしい格好をさせて楽しむとは…案外この真面目人間の29号もそっち系のサドなのかも知れんなあ…と思ういちごだった。
「お色直しも色々あるのでお楽しみに」
「もお!」
 軽く旦那をどつく花嫁。早くも関係は良好の様だ。

 挨拶が続く。

5号(五代秀作)
「お、おめでとうございます!三号さん!とってもお綺麗ですよ!ま、いちごちゃんには敵いませんけどね!…ぐはぁ!(いちごに殴られた音)」

水野真澄「先を越されちゃったわね。お幸せに」

沢田 愛「きゃ〜!きれ〜!おめでとーございまーす!後で一緒に写真撮らせて下さいね!」

ボス「…とりあえずおめでとうとは言って置こう。分かってるとは思うがこの職業には結婚退職は無い。これからも働いてもらうぞ」

ハンター2号
「あらあら、綺麗な花嫁さんね。おめでとうございます。お幸せに」

 赤ん坊を抱えた元・ハンター2号が挨拶に来ていた。
 すっかり「素敵な奥さん」という風情のその出で立ちは元男であったことなど微塵も感じさせない。
 華代被害に遭ったハンターの中でも幸福を掴んだことが分かっている数少ない例であろう。

「…お前も久しぶりだな」
 いちごが思わず漏らす。「寿退社」という形になっている2号とは滅多に遭うことはない。
「ご無沙汰」
 にっこり笑う2号。
 お互いに「変わり果てた姿」となっているが、当然そのことに触れる事はない。

 次々と列席者が挨拶に来る。いちごたちは自分のテーブルに帰っていった。

6号=半田りく
「ええっと……あの、こういう場合どういったらいいのか……」
安土桃香
「あ、りくちゃん、自分でもあんなかっこうしたいと思ってるんでしょ?」
りく
「い、いやちがうぞ……ちがう……(なぜか真っ赤)」

 何故か漫才コンビみたいになっている。

7号=七瀬銀河
「仲人は僕らじゃないみたいだね。せっかく新婚夫婦より目立ってやろうと思ったのに」
七瀬紫鶴
「もう銀河ったら! でも、私たちの結婚式が昨日のことのようね」

 未だにラブラブの夫婦なのだった。

38号=空魅夜子
「わぁ、やっぱり花嫁さんてきれいです」

 と言い残して去っていく38号の背中を見て顔を見合わせる二条夫妻。
 あんなのも会場にいるのか…と思うが、このカオスな組織ではそれもありなんだろう。

*コメント協力 Zyukaさん

10号=半田 燈子
「おめでとう! いやぁ善き日哉善き日哉。夫婦そろって、私の訓練を受けに来るのを楽しみにしておるぞっ! なぁに遠慮はいらん。健康的な体であれば丈夫な赤ん坊も産めるからな! とにかく、お幸せにな」

14号=石川 恭介
「おめでとさん〜。とっても似合いだよ、二人とも〜。新婚旅行には僕の開発した全地形対応音速車を使って……え、使わない? そっかぁ、残念だなぁ。ついでにデータをとっ――と、これは駄目だね。とにかく、おめでと〜」

31号=石川 美依
「おめでとぉございますぅ。珊瑚さん、とぉってもきれいですよぉ。お二人とも、お幸せにですぅ。――それにしても、少し前の記憶がないです……」

 マイペースな鬼教官に師弟コンビもそれなりにめかしこんでいておかしい。

*コメント協力 マコトさん

17号=半田 伊奈
「お姉ちゃん達おめでとう。また伊奈と遊んでください。今度はナイフできりあもごもご」

19号=半田 郁美=モニカ
「伊奈ちゃん、楽しい場所でそれは言っちゃだめですわ。……こほん。お二人とも、おめでとうございます。これから先、数多くの苦難が待ち受けておられるでしょう。ですが、それに負けぬ愛でがんばっていってくださいまし。末永くお幸せに。主よ、この二人に永遠(とわ)の幸あれ……」

 即席コンビが出来上がっている。
 モニカは宗教的にこういうイベントに参加して大丈夫なのか?と思わないことも無いが、「結婚式」そのものならばともかくも、「披露宴」にはドレス以外の宗教色がないのでいいのだろう。

*コメント協力 マコトさん

20号=ジオーネ・ハンターベル
「おっめでとぉ〜!(ぱふぱふ←ラッパ)いやー、二人ともお似合いだよっ! あー大丈夫、すり替えなんてしないから♪ 幸せにねっ!(光の粒子を撒き散らしつつ専用の席へ)」

23号=二岡光吉
「さすがの僕もこの展開は予想宇出来なかった! おめでとう!!」

 人間以外も祝福に来てくれている。
 と、隅っこに独り言を言っている人物がいた。

居候その1=浅葱千景
「行く先に幾万の幸福がありますように」(端っこで眩しそうに目を細めつつ)

 いつも変わらぬ地味なスタイルのままである。

*コメント協力 マコトさん

28号=半田双葉(藤崎双葉)
「きゃーっ。珊瑚さんきれいーっ。いいなぁ。あたしも早くウェディングドレス着たい」

 照れつつも感謝を述べる珊瑚(さんご)たち。
 娘みたい…とまでは言わないが、明らかに一回りは年下の女の子にこんな格好を褒められるのは本当に照れくさい。

ハンター秘密警察室長。ハンターガイスト(柚木陽介)
「29号。3号…いや。今日からは二条夫妻か。結婚おめでとう。身を固めたことで職務にも集中できるであろう」

 相変わらず真面目な男なのだった。

*コメント協力 城弾さん

30号(御傘袮十倍:上から赤、白、合)
美央「珊瑚先輩  、 結婚できてよかったな。  末永くお幸せにな。
美玲 3号先輩  、ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せになれる事願っております♪
美登 珊瑚さん先輩、 結婚おめ〜♪       末永くお幸せにね♪           」
※三人同時にw

39号=未来「3号さん、結婚おめでとうございます。あの結婚祝いに二人が付き合う切っ掛けとなった名刺いります? あっ、もちろん3号さんと29号さんが華代被害にあった時のですよ。」
※彼女は名刺コレクターなのでいつの間にか貰ってたw

*コメント協力 天爛さん

44号=獅子村 嵐
「くぅぅぅっ! 感動っ! 仲間の幸せはあたしの幸せ! その幸せとともに熱い生活を営んでくれぃ! おめでとぉぉぉぉぉ!(涙だばだば)」

居候2=黄路 疾風
「え〜とテキストテキスト……こほん。お二人ともぉ、おっめでとぉですぅ☆ 末永くお幸せにっ! あたしも応援してるよっ☆ って、何だこれはぁ!? 用意してたのと違うぞぉ!? ……はっ、まさか……き、貴様っ……! ええい、とにかくおめでとう!!」

*コメント協力 マコトさん

48号=四葉ちゃん
「先輩方おめでとうです(^^)/
(はーこれでやっと僕の服が・・・・・)」

77号=なずな
「入ったばかりなのに、こういうおめでたい席に同席できて光栄……きゃっ」
77号ことなずなは段差に躓いて転ぶ。
「てへへ……えっと、これからの人生何が起きるかわかりませんが、しちてん……じゃなかった、七転び八起きの精神で、前向きに頑張ってください」

*コメント協力 ふうさん 高樹ひろむさん

87号=真沙羅華
「お二人とも本当におめでとうございます。
 それから入院中の睦美ちゃんからメッセージを預かってます。
 『2人ともおめでとうございます!
  先輩方の大事な日の前日に怪我で入院してしまったのは残念です。
  だけど例え病室からでも先輩方の結婚式の成功及びこれからの幸せを願っています。
  末永くお幸せに!
  本人怪我のため代筆・真城華代』
 以上です」

*コメント協力 匿名希望さん

100号(=半田百恵)
「寝相と寝顔のひどさは、私の能力では治せないぞ」
珊瑚
「失礼な事言わないでよ!」
29号
「そうだぞ、100号。夜中に抱きつかれたことも、可愛い寝顔を見た事も無いくせに、でたらめを言うな!」
珊瑚
「恥ずかしい事言わないでよ!!」
29号
「あべしっ!」

半田さつき=32号……華代ちゃんをけしかけた罰で香川医院にてただ働き中。
半田いずな=57号……さつきに同じ。(香川医院……華代ちゃんシリーズ「補充」参照)
半田ムイ =61号……衣装は水野と沢田に着せられた。

*コメント協力 あのよろしさん


ハンター15号
「珊瑚先せ……じゃなくって珊瑚さん、二条さん。ご結婚おめでとうございます。
珊瑚さん、ウェディングドレスがとっても似合って素敵です。
あたしもいつか……
「ん? どうした……。も、もしかしてその姿のままウェディングドレスを着た想像してんじゃないだろうな?」
そのまさかだったり? てへっ
「『てへっ』じゃない。『てへっ』じゃっ!」

 コメント協力:天爛さん

95号(クーゴ=ハンター)「珊瑚先輩、29号先輩、おめでとうございます! お幸せに!」
99号(大神 九十九)「おめでとう……ございます。 ……御二人の幸せが、末永く続きますように。
   (私もいつか空お兄ちゃんと……)」
大神冥「おめでとう。幸せにね(面白いカップルだな、ひひひ)」
大神天音「おめでとう。貴方達の未来に幸あれ」

*コメント協力 冥龍さん

ルナ(67号)「珊瑚さん、九郎さんご結婚おめでとうございます。これから人生を共に歩むお二人に、私から祝福の歌を送りたいと思います。それではお聞きください」

 そして彼女は歌いはじめた。優しく全てを包み込むような、静かな海をイメージさせるような曲。
 人の知らない言語のその歌詞は、それゆえ聴いていたほとんどの者は意味を理解出来なかった。しかし、それでもとても素晴らしい歌だった。
 歌い終わった時、周りから拍手が沸き起こった。

ルナ(67号)「どうか、お二人の未来に幸福がありますように。」

*コメント協力 StarDreamさん

80号(ヤオ)「ずいぶんと華やかだな、おめっとさん♪
 笑う門には何とやらっていうからな、いつも笑ってるといいよ。
 ほら照れないで、スマイルスマイル♪(にかにか)」

*コメント協力 GmaGDWさん
「ふん…終わった終わった」
 いちごが席に戻った頃には、新郎新婦の前に長い行列ができていた。
「あいつらも幸せもんだよな、いい意味でも悪い意味でも」
「その言い方はないんじゃないの?」
 これは水野さん。
「…かもな」
 そう言って席を立つ前に注がれた泡立つ茶色の液体に口をつける。
「…何だこりゃ?」
「どうしたの?」
「…『無礼講』だって言っておきながら、こりゃノンアルコールビールだ。」
 いちごがボスのほうに目をやると、ボスの顔が一瞬引きつったのが判った。ただしボスはいちごのほうを見ていない。
「まあ、こういうことをするのは1人しかいないよな…」
 いちごが首を伸ばしてみると、ボスの視線の先にその「原因」の姿が見えた。
 結婚式の時には紫色の宗教的な衣服を着ていたが、今は萌えたつ緑のドレスに身を包んでいる。

*協力:ELIZAさん

「お疲れさん」
「ありがとうございました」
「お二人とも、改めて、おめでとうございます。」
 他の多くの参列者が自分から声をかけていく中、イルダ・リンカーンには先に声がかけられた。
 結婚式の終了直後に見せた疲労の色はかなり取れているが、まだ完全に回復はしてないようだ。
「今夜お二人は、てのひらを重ねられることになりました。今夜あなた方がしたこと、そしてその意味を忘れないようにしてください。」
 顔を見合わせる二条夫妻。かけられた言葉の意味を理解してうなずく。
「そしてこれらは…私と入田利康さんからの、心ばかりの品です。お受け取りください。」
 小さな包みを2つづつ、新郎と新婦の前に置くイルダ・リンカーン。普通では考えられない行動だが、文化が違うためだろうか。

*協力:ELIZAさん

「本当は入田利康さんも出席するべきなのですが、ご存じの通り、私たちは同時に存在することができませんから、失礼ながら手紙に代えさせていただきます。」
 手紙を受け取って封を開け、二人して黙読する二条夫妻。読んだ後で手紙を丁寧に戻してしまいこむ。
「…そういうこと、ですか。ありがとうございました。」
 丁寧に返事をして、置かれた包みを受け取る新郎。新婦は感極まったのか、目を潤ませて何も言わない。
 一体何が書いてあるのか…いちごは手紙の内容が少し気になったが、自分には関係ないとばかりに料理を食べ始めた。

*協力:ELIZAさん

 この他にも一般職員などの挨拶が続いた。
「一号、ちょっといいか?」
 ボスが声を掛ける。
「ん?」
「本人たちには伝えてあるが、細かいことが色々とな」
「なんだよ?めでたい席で」
 骨付きの鶏肉にかぶりつくいちご。

「21号だがな」
 いちごの表情が曇った。
「…あの裏切り者のデブか。どうした」
 内通者として外部組織に通じていた素性の良く分からないエセ関西弁の男である。
「裏切り者ではないのかもしれん。元々スパイとして入り込んでいた様だ」
「やれやれだ。で、どうした?」
「正式に採用することにした」

 しばし沈黙。
「…すまん。よく聞こえなかったんだが?」
「奴を正式に採用する」
「冗談にしちゃ笑えねえな」
「冗談ではない。もちろん、不穏な動きはご法度だ。そもそもあいつには機密性の高い情報は触らせない」
「当たり前だ。しかしどうすりゃそんな話になるんだ」
「今さら放逐は出来んだろ。それこそ始末するしかないんだが、あいつを世に放つくらいなら飼い殺しにした方がいい」
 そういう判断なら分からないことも無いが…。

「21号は珊瑚(さんご)と組んで脅迫まがいのことをやってたはずだ」
「その辺は全部吐かせた。次にそんなことが発覚すれば手に掛けて構わん」
「そりゃその積もりだがどうかね?あれだけのことをやってのけた奴が大人しくなるのか?」
「二重スパイだから基本は隠密行動だ。組織外でストレス発散する分については感知しない。無論、違法行為があれば…」
「あれば?」
「49号に言いつける」
「ならいいだろう」
 すっかりあてにされている。

「それとこれはもう本人に言ってあるんだが」
「何だよ」
「二条の女の後輩が尋ねてきたことがあった」
「ああ、目の前でバレリーナにされてあれやこれやされたっていう」
「そうだ」
 ちと想像もしたくない図である。
 いちごとて望まぬ女の身体になって今の状況だが、それだけにそこまでの恥辱的なシチュエーションには遭遇していない。

「どうも彼女もスパイらしい」
「…なんだと?」
「ある地点から先の情報が辿れないんだが、少なくとも市井(しせい)の一般人というわけじゃあなさそうだ」
「キナ臭い話だ」
「二条によると彼女は執拗にハンター組織の内部を見たがったらしい」
「そりゃ怪しいな」
「ああ。こんなところの建物に興味がある若い娘がいるとは思えん」
 ひどい言われようだが事実である。

「まあ、そんなところだ」
 翻って別のテーブルに行こうとするボス。
「あのさあ…」
「どうした?」
「名無しの権兵衛さんは…どうしてる?」
「ああ、そのことか」
「こちらから連絡が取れないもんであんたなら知ってるかもと思ってな」
 ボスは少し考え込むようにして言った。

「面白がってたさ。今回の騒動だって人的被害が出たわけでもないし。経済損失はかなりのもんだがね」
「それ見ろ」
「もみ消し工作に数億円は掛かってる…だがまあ、緊急事態ってのはある程度あった方がいいって考え方の人だからな」
「こちとらかなり花嫁を量産したぜ?」
「それも含めてだ。名無しの権兵衛さんは花嫁一人一人と面接したらしいぜ」
「ほお…そりゃまた」
 どんな会話が交わされたのかは想像するより他に無い。

「あの人は表立って動いたりはせんよ。今日も来たがってたって噂はあるがね」
 どうやら『雲の上の人物』ということらしい。恐らくはもう会うことも無いだろう。
 いちごは肩をすくめた。
『ではお色直しで〜す!』
 動きにくそうなドレスのスカートを引きずって花嫁が退場して行く。
 一応二条はそれを先導する。かかあ天下になるのは目に見えているが、今日だけは立てて貰ってる…というところか。

 扉が閉められた。
「ちょっと待っていて下さい」
 スタッフがお色直しのメイク室の様子を確認しに走り出す。
 会場の裏側に当たる廊下に残される新婚夫婦。
 何も言えずに視線が合う。
「綺麗だよ」
「うるさいなー…趣味が悪いよ。こんなコテコテの格好…」
 しゅるしゅるとスカートを撫でる花嫁。
「あたしはもっと控え目がよかったのに…」
 ぶつぶつ文句を言っているが、これは彼女の性格を考えるとこれまでならばありえない。
 自分の希望を妥協などまずしない性格の女なのである。

「これからあと3回お色直しがあるんだから頑張らないと」
「まー…滅多にあることじゃないしね」
 満更でも無い様子の珊瑚(さんご)。
「にしても遅いなあ…あたし先に行ってるから」
 と、ぞろっとした格好を省みず駆け出そうとしたその瞬間!
「わああっ!」
 なんと、長いスカートの裾がドアに挟まったままだったのだ!
 そのまま思い切りつんのめってしまう。
「珊瑚(さんご)!」
 29号は思わず飛びついた。

 ドレスのスカートの裾に引っ張られる形で花嫁は一瞬空中で制止した。
 同時にドアに挟まっていた部分が外れ、勢いよく放り出される格好になる。
「わああっ!」
「きゃあああっ!」
 どしん!ともんどりうって倒れこむ新郎新婦。
 頭から飛んで行く形になったので、大量のスカート生地もクッションの役割を果たしてはくれない。
「ん…」
「大丈夫かい?」
「あ…ええ…」

 上半身を起こす花嫁。
 大量のスカート生地に覆われて細くくびれたウェストから上が生えている様な形である。
「危なかったね」
「ええ…??」
「どうした?」
「あなた…もしかして…」
 珊瑚(さんご)の顔色が明らかに青くなっている。
「あたし…やっちゃったかも」

「…え?まさか…これくらいで?」
「わかんないけど…」
 何やら二人にだけ通じる会話がなされている。
「んっ!…」
 胸を押さえて蹲(うずくま)る姿勢になる珊瑚(さんご)。
「いやっ…こ、こんな日に…」
「おい…!」
 床一面に広がっていたスカートが見る見る内にその面積を小さくしていく。
 瞬く間にスカートはその形を失い、二本の脚の周囲を囲むそれへと変貌を遂げた。
 それは…間違いなく「ズボン」だった。

「あ・・・あ…」
 跳ね上がる様に立ち上がった珊瑚(さんご)。
 先ほどまでの可憐な花嫁姿はもう無い。
 ヒールの高いウェディングシューズは既にその色を濃く変え、平べったい革靴へと変貌させていた。
 大きく膨らんでいたパフスリーブは綺麗に消えうせ、ごく普通の背広へと姿を変え、大きく開いた胸元はカッターシャツで覆われ、純白の色は黒いモーニングへと変貌する。
「おい…」
 立ち上がってその手を取ろうとする29号。
「駄目!触っちゃ駄目!」
 男装の麗人の様になってしまった珊瑚(さんご)が抵抗するが、その瞬間には両手を掴まれていた。

 透き通るように白かったファンデーションも口紅も消えうせ、イヤリングもネックレスも空気に溶けてしまった。
 結い上げられていた長い髪はいつしかスポーツ刈りよりも少し長い程度にまとまっている。
 そして、変化は最終段階を迎えていた。
 パンパンに張っていたズボンのお尻の部分はゆったりとし、ワイシャツを押し上げていた二つの丘は逞(たくま)しい胸板に飲み込まれる様に平板になって行った。
 首は以前に比べて太くなり、のど仏が盛り上がる。
 肩幅も広くなり、その顔は面影を残しつつも精悍さが上書きされた。

 そう、先ほどまで可憐な花嫁だった珊瑚(さんご)は、一瞬にして「凛々しい花婿」へと変貌してしまったのである。

「ごめん…どうしよう…」
 目に涙を溜めている花婿。
 傍目から見ると、花婿が男同士で間近で見詰め合っているという構図である。

 そうなのである。
 実はこの二人、完全に「他者を性転換&異性装」させる能力が消滅したわけではなかったのだ。

 それは今をさかのぼること数日前のこと。
 組織に休暇を貰って式場の手配と着るドレスの打ち合わせなどで方々を歩いていた日々のことである。
 通常こうした「結婚式」そのものへのこだわりは女性の方が強く持つものであるが、余り熱心ではない珊瑚(さんご)に比べると相対的に二条の熱意は高いものだった。
 珊瑚(さんご)に毎日のように女性化&女装させられていた…ことは関係ないと信じたいが、ともあれ「絵に描いたような」花嫁姿のドレスにこだわったのである。

 ギリギリまで妥協を重ね、お色直しの回数や着る衣装などの打ち合わせに珊瑚(さんご)はヘトヘトになっていた。
 何しろ試着や仮縫いなどで引っ張りまわされるのは当の本人ではなくて珊瑚(さんご)の方なのである。そりゃ当然なんだが。

 そんなある日、入籍前の夫婦喧嘩が早くも勃発した。
 とはいえ、ケンカっぱやい珊瑚(さんご)はともかく、29号はそれを受ける気など全く無い。だが、弾みで振り下ろした手が台所のまな板を叩き、運悪くそれが料理の途中で放り出されていた包丁を宙に舞わせた。

 二条は慌てて珊瑚(さんご)を突き飛ばした。
 包丁は幸い、あさっての方向に逸れた。

 もんどりうって倒れた二人。
 思わず無事を確認して抱き合ったのだが、その直後、二人の身体に変化が訪れた。
 結論から言うと、お互いの身体に接触する形となった二条夫婦は、かつてのようにお互いを性転換&異性装させる能力を発動させてしまったのである。

 その晩はお互いに異性の身体をもてあまして半ばパニック状態だった。
 単に変化してしまっただけならば、数日を待たずして元に戻るのでその点は重要ではない。
 だが、折角お互いの能力が発動しないパートナーを見つけたはずだったのにこれではあんまりではないか…という訳だ。

 特に珊瑚(さんご)の動揺は大きく、この晩は女になった二条が男になった状態で泣きじゃくる珊瑚(さんご)を抱きしめたまま寝る…という惨状となってしまった。

 二人の身体は翌朝には綺麗に元に戻っていた。
 そして、再びお互いを触ってみるが、能力が発動する気配は無い。
 昨日の晩の出来事は一体なんだったのかと笑いあうことになった。

 二条の分析によるとこうだ。
 基本的にはお互いの能力を打ち消しあう体質があるというのは間違いない。
 だが、特定の条件が重なるとそのロックが解除されてしまうのではないか?というものだった。

 そうともなれば、実験して確かめてみなくてはならない。二条はそういう性分なのだ。
 だが、また包丁を放り投げるとかお互いにぶつかってみるというのは余り建設的とは思えない。

 そうこうする内に何事も無く数日が過ぎ、結婚式を仕切るというイルダさんと本番の打ち合わせを何度も行った。
 そうしている日々の時、またも偶然が起こったのである。

 詳細は省くが、珊瑚(さんご)が車に轢かれそうになってそれを危うく二条が救出するシチュエーションだった。

 そして、その時に果たして「変身」が起こったのである。

 無論、この「変身」のことは組織はもちろん夫婦以外には隠し通した。
 全てがご破算になる可能性があったからだ。

 二人はお互いの性別が入れ違いになったまま、何度か実験を繰り返してみた。
 その結論として、「変身耐性体質」が解除になるのは、実に単純なきっかけであることがほぼ間違いないというものに達したのである。

 それは「びっくりすること」である。

 余りにも単純であるが、単純であるがゆえに不随意の発動もありえる危険なものだ。
 幸い、日常生活ではそれほど驚くことばかりではない。
 街中を歩いていていきなりゾンビが現れるほど驚く必要は全く無い。
 無理にランク付けするならば「小・中・大」の内、「中」以上のショックがあればこの体質は解除されてしまう。

 そして、お互いを性転換&異性装させた場合、元に戻るまでのタイムサイクルは他の被害者とほぼ同じであることも実験で判明した。

 この体質は多くの場合、それほど問題にはならない。
 元々この夫婦は「触れた異性を一時的に異性化&異性装させてしまう」能力を日々発動させっぱなしなのである。
 これは「お互いを触った時に偶然、物凄く驚いた状態にある」という偶然が重ならない限り起こらないのである。

 だから問題にならないはずだった…。

「仕方が無いよ。それに…もう手遅れみたいだ」
 二条が首を振る。
「まさか…」
 青ざめた端正な顔立ちの青年が嘆く。
「ほら」
 二条の髪がするすると伸び始めていた。
「あなたっ!」
「駄目だよ…そんな格好で女言葉なんて…んっ!」
 苦しげに前のめりになる花婿。
 その肉体は、かつて何度も行われた際の感覚を思い出していた。

 そこから先の変化は一瞬の出来事だった。
 膝から上が内側に曲がっていき、膝同士がぴたりと張り付く。
 臀(でん)部は丸みを帯びて膨らんで行き、パンパンに張ったズボンは艶(なまめ)かしい脚線美のラインを浮き立たせる。
 肩幅は縮まり、なで肩になったと思うと、緑なす黒髪がふわりと膨らんで腰にまで伸びる。
 下腹部が寂しくなったかと思うと、おなかの上のほうがきゅっ!と細くなり、全身から頭髪以外の無駄毛が消失した。
「…」
 29号は着ている服こそ花婿衣装だったが、その出で立ちはすっかり「男装の麗人」と成り果てていた。
 肌はきめ細かく滑らかで、今自分で見つめている指は白魚のようだった。
 彼は間違いなくその肉体を女性のものに変貌させてしまったのだ。

「…ということは…この状況だと…」
 珊瑚(さんご)たちの持つ能力は、肉体を性転換させるだけではなく、着ている服までもその性に合った物に変えてしまうことが出来る。
 しかも、本人が望むままにだ。
 だが、稀に術者が意図しない変身をさせてしまうことがある。
 この場合などはその典型である。
 そういう場合、服までは変わらないのか?というともちろんそんなことは無い。
 そういう場合は、「最も関係のありそうな」「最も連想しやすそうな」服に変わったりするのだ。
 実に都合のいい能力という他ないが、そういうものなのだから仕方が無い。
 ある時など、珊瑚(さんご)が自分が着ている服に相手を変えてしまったこともあった。

 それは元々29号は知識としては知っていた。
 そして、この状況では次に何が起こるのかも容易に想像がついたのである。

「いやっ!」
 野太い…とまでは言わないが、逞(たくま)しい声で「夫」の変身をとめようとする珊瑚(さんご)だったが、それが不可能なことは分かっている。
「…っ!」
 服の中で身体が強く締め付けられた。
 着ていたシャツやパンツが女性物に変形しているのだろう。
 レオタードの様にパンツ部分と胸の部分が一体化した下着に強烈に締め上げられる二条。
 同時に靴下がぐぐっ!と伸び、そして薄くなった素材がその縁(ふち)にレースの刺繍を纏わせて太ももまで上がってきた。
 これは…ストッキングだな…と冷静に分析している二条。

「む…」
 手を見ると、袖の部分が融解し始めていた。
 息つくまもなくそれは純白に染まると、きらびやかな光沢とつるつるした素材の持つ反射を纏わせながら上半身を全て純白に染めて行く。
「ああっ!」
 珊瑚(さんご)とてもう何が起こるかはわかった。
 履いていた靴がつま先を尖らせ、踵(かかと)の下を押し上げる。
 肩の部分が“ぶわっ!”と丸く膨らみ、そこに光沢を目立たせんとしてか綺麗な皺(しわ)が寄る。
 腕はその袖の「演出」もあって折れそうなほど細く見え、長袖は手の甲を覆って中指にゴムで引っ掛けられる。
 生地が腰の部分で「きゅっ」と引き締められたかと思うと、ズボンが一気にその形状を失って爆発的に花開いた。
「わああっ!」

 床一面に広がる美しいスカート。
 ズボンの下の下半身は一気に開放され、支えるパニエによってスカートの内側に脚が接触することは無い。
 首元が一気に開放され、鎖骨が露出する。
 長かった髪はしゅるしゅると結い上げられて、艶(なまめ)かしいうなじが露出する。
 間髪入れずに耳にはイヤリングがぶら下がり、首元には真珠のネックレスが回される。
「ん…あ…」
 先ほどまで凛々しい花婿だった二条が、艶(なまめ)かしい声を上げている。
 その「生まれたばかりの花嫁」のまつげがきゅきゅきゅっ!と伸び、そのさくらんぼのような唇に端からきゅーっ!とルージュが載っていく。
「…ぁ…」
 どこからともなくぶわり!とウェディングヴェールがその顔を覆い、その手には華やかなヴーケが握られていた。

 つい先ほどまでは凛々しい花婿だった二条九郎は一瞬にして、「純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁」となってしまったのである。

「…」
 暫(しばら)くそのまま動かない二条。
 どうやら「変身」行程が終わったらしいことが分かる。
 最後には思わず目を閉じてしまっていたのだが、それをゆっくりと開ける。
「…」 
 す…と視線を下げる花嫁。
 そこには純白の生地の海があった。
「…やっぱりか」
 すっかり女性のものになっているその声にたじろぐことも無い。
 きゅ…と腰をひねって自分の背面側を覗いて見る花嫁。
 スカートの裾が大きく広がって廊下を引きずっている。

 顔を大きく回して動かしたことでイヤリングがちりちりと鳴り、ヴェールが波打つ。
 その都度ドレスは衣擦れの音を立て、二条の全身に重さを伝える。
「…ごめん」
 泣きそうな花婿が目の前で謝っている。

「…ん?ああ。しょうがないよ。うん」
 実に落ち着いた花嫁である。
 ここだけの話、もう二条は「女性化&女装」はベテランである。
 女物の衣装の着脱は勿論のこと、入浴やそれ以外の日常行為も慣れっこである。
 だが、それを口に出すことはしない。
 それでは相方を責めているのと変わらなくなってしまうからだ。

「どうしよう…式が台無しね」
「そんなことはないさ」
 両手を広げる純白のウェディングドレス姿の花嫁。この中身が「おムコさん」でなければそりゃ問題ないだろうが、現在はそうではない。

「まさか…」
「元々派手目の衣装に乗り気じゃなかったろ?ボクが替わりに着てあげるよ」
「…」
 何と言う提案だろうか。
 といっても、現実的にはそうするしかない。
 今の「中身」に衣装を合わせてしまってはトンだ「コスプレ結婚式」になってしまう。
「あの…」
 間抜けな係員がやっと到着した。
「そろそろお色直しを…」

「あーすみません」
 花嫁が振り返った。
 その衣装は珊瑚(さんご)が先ほどまで着ていたものと全く同じであった。
 お互いに肉体的性別と、衣装を綺麗に入れ替えたことになる。
「ちょっと呼んで欲しい人がいるんですが」
「はあ…」
 怪訝な顔をする係員。

「…とまあ、こういう訳なんだ」
 花嫁が話し終えた。
「…」
 ぽりぽりと頭をかいている年頃の娘。ハンター1号こといちごだった。
「そういうことだったのか」
 これはボス。
 二人は会場から廊下に呼び出され、一連の顛末を聞かされたのだ。
「すいませんなんだか」
 口調がまるっきりリラックスしている花嫁。
 余り日常生活で「結婚式当日のお嫁さん」と会話する機会が無いのでそのつややかなウェディングドレスにいちいち気おされてしまう。
「じゃあ…お前が29号か」
「ええ」
 けろっとして答える花嫁。

「で、お前が珊瑚(さんご)と」
 ムスっとして俯いている花婿に話しかけるいちご。
「…悪かったね」
 男の声ではあるが、この悪態は間違いない。
「…どうすんだこの有様は」
 いちごがボスに向かって話しかける。
「その、きっかけは本当なんだな?普段は何とも無いってのは」
「はい。本当です」
「普段は日常生活もちゃんと出来てるんだな?」
「夫婦生活も出来てます」
 同時にどん!とひじを付かれる花嫁。
 このあたりの関係は外見的に性別が入れ替わっても変わっていないらしい。

「ちゃんと説明するしかあるまい」
「ま、そうだろうな」
「ですよね〜。じゃ、会場に戻りましょうか」
 と、29号はまるで花嫁のように(物理的には間違ってないが)花婿の腕にひじを絡ませて引っ張っていこうとする。
「ちょっと待って!もういいよ。帰ろうよ」
 いつもの気丈な珊瑚(さんご)はどこへやら。すっかり気落ちしている様だ。
「大体九ちゃんちょっとはしゃぎすぎ!こんな格好させられてちょっとは怒りなよ!」
 “九ちゃん”というのはお化けでも鳥でもなくて、29号の愛称らしい。

「お陰様で色々打たれ強くなってね!」
 なんと29号は花嫁姿であっかんべーをする。
 確かに失うものが無いくらいにやられたのは確かではある。
「責任感じてるんならそれこそ最後まで披露宴やって欲しいな。公衆の面前に男になった姿をさらすのが恥ずかしいのかもしれないけど、それならボクはどうなるのさ」
 といって、スカートを掴んでその場でくるりと一回転する花嫁。
 ざざあっと衣擦れの音が響き渡り、化粧品の甘い香りがその場にいた全員の鼻腔をくすぐる。
 いちごは口に出さなかったが…どう見ても楽しんでいる様にしか見えない。
「九ちゃん…もしかして楽しんでないよね?」
「まさか!」
「ひょっとしてあんなに熱心に衣装を選んでたのも自分で着る積もりだったんじゃ…」
「ひどい!そんなこと言うなんて!」
 何故か「オカマ演技」でおどける29号…なのだが、見た目は完璧に花嫁姿の美女なのでハマり過ぎて逆にドン引きである。

「それにさあ…」
「あによ」
「珊瑚(さんご)の花婿すがた…格好いいぞ」
 かあっと赤くなる珊瑚(さんご)。
 見た目は男なのだが、すっかり尻にしかれている旦那状態である。
 普段の関係が伺える。
 あれほどキツい性格だと思っていた珊瑚(さんご)だが、二条の前ではすっかり乙女になってしまっている。
「こりゃ驚いたな…」
 誰にも聞こえない様に独り言を言ういちご。
 これほどぴったりのカップルだとは思わなかった。正に理想の夫婦ではないか。
「こいつう!」
 やっと元気が出てきた珊瑚(さんご)は調子にのって男の肉体で花嫁姿の二条を抱きしめる。
「きゃはっ!」
 おどけて甲高い声を出す二条。お前はノリ過ぎだ!
「あー…すまんが…」
 声で割って入るボス。
「そーゆーのの続きは家でやってくれたまえ」
 同感だ。

「じゃあ、解説するからお前ら会場に戻るぞ」
 いちごが言った。
「え?でももうウェディングドレスは披露しちゃったよ?」
 やっと“素”の喋り方が戻ってきた珊瑚(さんご)。
「ボクのウェディングドレスをまだ披露してないもん」
 その場にいた全員がジト目で花嫁を注視している。
「ここまで来たんならそこまでやんないと!また照明落として入場の音楽掛けるところから!」
 声まですっかり変わっているせいか、何だか物凄く子供っぽくなった気がする。あの真面目が服を着て歩いている様な29号とはとても思えない。案外二重人格だったのかも知れぬ。

 そんなこんなで二度目のウェディングドレスによる入場が始まる。
 その部分だけはサプライズで行われたので、何故か殆(ほとん)ど変わらない格好で入ってくる二人を来場者たちはぽかーんと眺めているだけだった。

「あーテステス」
 定番のボケみたいなことをしてからボスが話し始める。
「あー諸君。この事態について簡単に説明する」
 ボスはかいつまんで解説した。
 この二人の能力はお互いに打ち消しあう性質を持ち、結果としてお互いに触れ合っても性転換&異性装現象は起こらないが、唯一「とてもびっくりした」瞬間にはそのロックが解除されることがありうることが判明したこと。
 不幸なことに、その瞬間にお互いが接触していた場合にはその能力が発動してしまうこと。

 会場がざわざわしてくる。
 そう、現在目の前で見せられている顛末の「オチ」が想像できたからである。
 ボスの解説は続く。
「残念なことにさきほど会場裏の廊下でそうした事故が起こってしまった。であるので今現在諸君らが見ている新郎新婦は…つまりそういうことだ」
 “おお〜”とも“ええ〜”ともつかないざわつきが広がる。
「最大で数日も経てば元に戻るあたりの現象は普段のそれと変わらないらしい。とはいえ、この式典の間に元に戻ると言うことは無いと思われる」
 ボスの後ろに立っているいちごが「やれやれ」という体で首を振っている。
「だが、本人たちたっての希望で式はこのまま続行することにした。…そういうつもりでよろしくだ。以上!」
 会場がまたざわざわすることになった。

 いちごたちが指定されていたテーブルに戻ってくる。
「ねえねえ!あれってどういうことなの!」
 沢田さんが身を乗り出して聞いてくる。
「聞いたとおりだよ」
「じゃあ、あの花嫁さんが二条さん!?」
「その様だ」
「きゃー!綺麗ー!きゃー!」
 言うが早いが飛び出して行く沢田さん。
 見ると、双葉やらあんずも二条に群がっていた。
 そして気さくに一緒に写真撮影に応じたりしている。
 ピースサインなんぞ作っていたりしてどう見てもノリノリだ。

 照れてその場でろくすっぽ動けなかった珊瑚(さんご)と違って、二条の方は言ってみれば「宴会女装」のノリなのでもうはじけまくりである。
 同時に二枚目だったので思いを寄せる女子職員も少なからずいたのだが、花嫁姿ではしゃぐところを見せられて軽く幻滅したところもあったという。
 まあ、妻帯者がそれほど一般的な人気を博しても仕方が無いのでこの点は怪我の功名というところなのだろう。
 珊瑚(さんご)は珊瑚(さんご)で、「中身が女のイケメン」ということで軽く酔っ払い始めている水野さんが腕組んで写真に納まったりしている。「貞操の危機が無いイイ男」は女子にとっては格好のオモチャである。
 このあたりは「女同士」のノリなんだろう。

 楽しい写真撮影タイムはものの数分で終了し、やっと本来のお色直しをしに二人が退場して行った

「あのさあ1号」
「ん?」
 いつの間にか14号が隣に座っていた。
 もう席なんぞみんな勝手にあちこち動き回って落ち着かないことこの上ない。
「あれって…本当に二条くんなの?」
「遠慮せずに確かめてくればいいじゃんか」
「まあ…そうだけども…」
 といってワインをあおる。
「なんかその…近寄りがたいというか…」
 そういう気持ちは分からんこともない。同級生が有名人になって話しかけにくいみたいなものか。

「あの…本当にそのまま進行するの?」
「らしいな。オレだってさっき話聞いたばっかりだ。知らんよ」
「ということは…他にもいろんな格好を?」
「そうなんじゃねーの?お色直しってくらいだからさ」
 台詞を文字だけで見ると素っ気無い感じだが、まあ楽しい雰囲気である。
「身体も…なってるんだよね」
「でなきゃあのドレスは着られんわな」
 いちごも着た…というか着せられた経験があるので分かるが、ドレスはゆったりした衣装に見えるがそれはスカート部分の話で、むしろ上半身はぴったりと張り付くタイトな衣装なのである。
 長袖のウェディングドレスともなると、細身の女ですら腕がそれほど自由に動かせない様な代物なのである。
 女の体格に合わせて作られたものを男が着るなど不可能だ。
「ということはこれから先の衣装ってその…二条くんが着替えるってことだよね?」

 14号こと石川恭介は意図的に省略したが、「女の身体で女の衣装に」着替えるってことだ。
「まあ…そうなるな」
 としか答えようが無い。
「トンだ結婚式もあったものだな」
 ふと見るとハンターガイストが腕を組んで座っていた。
「ま、あいつららしいや。そうだろ?」
 ハンター組織に勤め、しかも触れた異性を一時的に性転換&異性装させてしまうという破天荒な「体質」を持つカップルの門出としてはある意味相応(ふさわ)しい…のかも知れない。
「珊瑚(さんご)さんの能力で変身させられた人は多いけど、服も一緒に変わっちゃうから基本的には脱ぐだけで良かったけど今度は…」

 確かに言われてみればそうだ。
 あいつの「性転換&女装」ってのは極論すれば「一発ギャグ」みたいなもんだから、「脱げばおしまい」というところがある。
 一度目の変身においては個人差はあるが短ければ数時間で元に戻る。
 その間に「現実を見たくない」として着替えないまま元に戻る人間も少なくない。大体、着替えてしまうと一緒に変形した服が元に戻ることが無いため、「男の身体で女の服」状態になってしまう危険性もかなりある。
 だからこそハンター組織には男女兼用のジャージみたいなのが準備してあるのである。
 珊瑚(さんご)の能力は「着せられる」というのとはかなり…いや、根本的に違うのだ。
 一瞬にして服が全て変形してしまうので、それこそ「変えられる」に等しい。 「着せられる」というのはそれこそ下着から一つ一つ身に着け、袖を通してファスナーを閉め…という行程をねっとり体験させられることになる訳だ。

 結婚式にそれほど詳しい訳ではないが、恐らくこれから珊瑚(さんご)…ではなくて二条が着るのはカラードレスだろう。
 つまり、これからウェディングドレスの背中のファスナーを開いて下着に拘束された身体を引っ張り出し、ウェディングヴェールなどの付属品を取り外し、靴を履き替え、そして今度は別のドレスに脚を通し、袖を通してウェストを締め付け、背中のファスナーを上げて付属品を付け…。
 そして鏡を前にして、すっかり女になり、そして綺麗になっていく自分を確認させられながらメイクをねっとりと塗られていくことになる…訳だ。

 むーん…すっかり女の身体になって生活しているいちごだが、これは結構精神的にダメージになるんではないか…と想像した。
 当たり前っちゃ当たり前だが、これでは完全に「結婚式当日の女」を全身で体験させられているみたいなもんである。というかそのまんまだ。

「でも、結構ノリノリだったみたいですけどね」
 能天気な顔が出てきた。別のテーブルから料理を拝借して来た5号である。
「しかしさあ、見てみろよ」
 いちごが会場を指した。
「確かに二条も珊瑚(さんご)もモテモテみたいにみえるが、はしゃいでるのは生まれつきの女連中だけだ」
 言われてみれば二条のウェディングドレスにむしゃぶりついてるのも、クールなイケメンの珊瑚(さんご)の手にすがりついてるのも生まれつきの女連中だけだ。
「ま、元々野郎にとっちゃ結婚式なんて基本的に居心地悪いもんだがね」
 事実である。
 ただ、それにしても「中身は男の花嫁」も「中身は女の花婿」もどっちも男にとってはリアクションに困る存在には違いない。

 と、また会場が暗くなり、前方にスポットライトが当てられる。
 女子どもはすっかりノリノリで「ひゅ〜ひゅ〜!」なんて囃してるのまでいる。やれやれだ。
 入場してきた花嫁…中身は二条九郎…は予想通りカラードレスだった。
 先ほどとは違う頭部の装飾で、大きな花があしらわれているブルーのドレスである。
 余りの可憐さに思わず胸がきゅん!となる。
 年頃の娘の身体にさせられているいちごですらそうなんだから会場の大半の人間が大いに複雑な気持ちになっていることだろう。

 さきほどまでノリノリだった二条だが、延々と自分の今の姿を鏡で見せ付けられたせいか「シャレにならん」とすっかり落ち込んでいるみたいだった。ま、想像だが。
 そのお陰でとても恥ずかしそうにしゃなりしゃなりとスカートを引きずって進むその姿はいかにも花嫁然としていた。

 …この瞬間ほど「両親や親類縁者を呼ばなくてよかった」と思ったことは無いだろう。

 さっきに比べても物凄い勢いでカメラのシャッター音が鳴り響き、会場がフラッシュの閃光に包まれている。
 …この写真どうする積もりなんだろうか。年取ってからの羞恥プレイにしかならん気がするんだが。

 特に進行とかは無いので、「ケーキカット」とかも注目しているのは半分くらいで、後は飲みまくり&食いまくりである。
 む〜ん、しつこいが「夫婦初めての共同作業」とか言ってドレス姿で男の外見をした嫁の手を取ってケーキカットする気分ってどんなんだ?
 お互いに承知の上でやってんだから別にいいんだが。

 次のお色直しでは赤とところどころに黒が混ざったいちごが見てもかなりオシャレなドレスで登場した。
 珊瑚(さんご)もその都度着替えてはいるんだが、ちっとも印象に残らない。この点女は得だ。つーか元々結婚式のそれも披露宴なんてのは花嫁が主役で、男はオマケみたいなもんである。
 二条もまさかこの組織に入った時にはこんなファッションモデルみたいなことをやらされるとは思わなかったことだろう。

「ねえねえいちごちゃん」
「ん?」
 ふと見るとそこには沢田さんと女子高生ハンターズがいた。
 普段は制服姿しか見かけないが、それなりにオシャレしてきていて中々可愛らしい。
「綺麗だねえ。花嫁さん」

「…どう答えればいいやら」
 いちごは肩をすくめた。
 と、その時にまた新たにお色直しを終えた新郎新婦が入ってきた。

 今度は和装だった。
 重そうな文金高島田を頭に載せてすりすりと二条が入ってくる。
 やれやれご苦労さんだ。これで3回目のお色直しだぜ。

「あの二人って夫婦になるんですよね?」
 飯田あんずである。
「そりゃな。もう入籍はしたみたいだし」
「もう一緒に住んでるんですか!?」
 勢い込んで双葉が聞いてくる。
 あんずは最初から女の子だが、こいつはなあ…。すっかり女子高生しやがって。ま、今は自分も“人のことは言えない”のだが。
「知らんよ。そうらしいとは聞いてるが」

「…ということは…ねえ」
 お互いに見詰め合ってくすくす笑っている女子高生たち。
「何だよ」
「いちごさん、夫婦が最初にすることって言ったら?」
「は?…何だよ」
「特に今日!」
 楽しそうに双葉が囃したてる。
「…何だったかな」
 とぼけるいちご。どうもこういうノリは苦手だ。いちごは見かけこそ若い女の子だが、中身は壮齢の男だったのである。ついていきにくい。
「もお!決まってるじゃない!」
 これはなずなである。

「それはあれかな」
 会話に割ってはいる人間がいた。
「あ、どうも」
「うむ。遠慮するな。めでたい席だ」
 一応めかしこんではいるんだが、立ち居振る舞いがいちいち貫禄のある10号こととうこさんである。
「なになに?とうこさん!」
 こいつら怖いもの知らずだな…あの鬼教官に向かって…。
 と思うのはいちごのようにかつての姿を知っているものだけだった。
「そりゃ夫婦の最初の夜といえば…初夜だろ」
 一瞬沈黙があって、女子高生ハンターズがいっせいに「きゃーっ!」と嬌声を上げた。

 やれやれ、こういうことが好きなのは古今東西女は変わらんな…といちごは思った。
「あのなあ、連中は中学生じゃねえんだ。いい年こいた大人なんだから今夜が初めてってことはねえだろう」
「そうじゃないんだよ1号」
 いつの間にか水野さんが戻ってきていた。
「例えそうであっても結婚式の日の夜ってのは特別なの!」
 そういうもんなんだろうか。
「ねーねーでもさあ!」
 何故か興奮が抑えきれない様子のあんず。
「お互いにああいうことになっちゃってるんだよね!と言うことは今夜の初夜は…」
 また悲鳴とも付かない声を上げる女子高生ハンターズたち。やれやれだ。

 しかし、冷静に考えればそういうことになる。
 二人はその環境から考えてもお互いがベストパートナーで、それ以外は考えられない。
 それでいてお互いに逆の性別の肉体になってしまっている。
 「つがい」という意味に於いては生物学的には間違っていない。妥当な組み合わせだ。
 そして、ある程度人工的に操作できるとはいえ、今の状況はそれほど長続きしない…となれば…。
「まあ、これが今までの珊瑚(さんご)みたく赤の他人に対してやってるってんあら大いに問題だろうな」
「あら?じゃあ問題ないとでも?」
 水野さんが煽る。
「夫婦のこったからな。多少倫理的に問題があったとしても…他人の知ったこっちゃねーよ」
「…そうかもね」
 うっとりしながら和装の花嫁さんを眺める水野さん。

「しかしまあ、こっち方面じゃあ倦怠期のなさそうな夫婦ね」
 水野さんが言う。
「そりゃどういう意味だい」
 いちごが訊いた。
「よく聞く話じゃない。お互い刺激がなくなってくるとか。それで過激な方に走ったりするのよ」
「何の話をしてんだ!いい若い娘が!」
「あの子たち見てるとそう言われるのも嬉しいわ」
 女子高生ハンターズたちはまた花嫁にじゃれに行っていた。ある意味モテモテだな二条。
「どうなんだよ?お宅は結婚しねーの?」
「ま、その話はおいおいね。感謝してるわ1号」
「当然のことをしたまでだ」
 どうやらこの二人には過去に何かあったようだ。

 結局お色直しは5回にも及んだ。
 よほど二条が凝ったプランを考えていたらしい。
 純白のウェディングドレスから始まってブルーのカラードレス、赤と黒のカラードレスに和装。何故かもう一度白いドレスだが、今度はお尻の形がくっきり出て、脚にまとわりつくみたいな「マーメイドライン」といわれるドレス。そして最後は胸の上から全て…肩や腕、首筋そして背中など…露出した大胆なイエローのイブニングドレスである。

 結局、最初のウェディングドレスこそ珊瑚(さんご)も着たのだが、それ以外は全部花婿であるはずの二条九郎が着る羽目になっているのだから何が何だかである。
 女子は最初から熱狂してるからいいとして、最初は「色物」を見る目で見ていた男どもも、二条の花嫁姿の余りの美しさにすっかり魂を抜かれてうっとりする羽目になった。
 これは明日からお互いに顔を合わせる度に複雑な気分になりそうだ。

 深夜に始まった結婚式と披露宴が終わる頃にはすっかり朝になっていた。

 最後には会場から出て行く一人一人に最初の新郎新婦姿に戻った二人がお見送りである。
 無論、「最初」と言っても性別まで戻ったわけではない。最初の純白のウェディングドレスとタキシード姿ということだ。
 理由は簡単だ、この格好で変身してしまったので元に戻る際にこの服でないと衣装まで含めて元に戻らないのだ。
 それこそお互いにユニセックスなジャージでも着た状態で「戻る」瞬間に備えればいいと思うんだが、そこは特別な日ってことだろう。

「どーもー」
「ありがとうございましたー」
 にこやかな花嫁が愛想を振りまいている。こっちの中身の方が男なんだが…。
 珊瑚(さんご)は…流石に夜を徹しての宴は疲れたのかげっそりして今にも舟を漕ぎそうである。

 言うまでも無いが、二人が来客と握手をしたりすることは無い。
 何と言っても「能力」が健在な二人である。
 すぐそばに「解毒剤」がいる状態とはいえ、余計なトラブルは起こしたくないというところだ。

「じゃあ…オレ帰るから」
 といってもハンター本部の寮なんだがね。
「お疲れ様でした。ありがとう1号」
 笑顔を絶やさない花嫁…中身は二条…が言う。
「いや…何もしてないから」
「そんなことないって!」
 握手をする二人。実は二条の能力はいちごにも通じないらしい。ハンター能力者の常で、ハンター能力を持つ人間が華代被害に遭った場合、ハンター能力で元に戻すことは出来ない。
 それと同じく、「変身能力」は「華代被害者の女性」の肉体を男性のそれに変えることは出来ないらしい。

 その理屈で言うと、「華代に男性に変えられて固定化した男性」ならば珊瑚(さんご)の変身能力の被害にも遭わないで済むことになるが、実はそういう人間は殆(ほとん)どいないので参考にならない。
「にしてもよくやったよな。お前。普通の男はこんなことやんねーよ」
 『こんなこと』のあたりでドレスを見下ろすいちご。
 ちらりと横を見る二条。
 丁度珊瑚(さんご)は桃香と何やら話し込んでいる。
「ボクもそういう積もりじゃなかったけどね。彼女のショックの受け方が酷かったから努めて明るく振舞った結果だよ」
「…そうか…」
 確かに直後に呼ばれた際に、あのキツい性格の女が借りてきた猫みたいに大人しくしょげていた。
 あれはあれで自分のミスで結婚披露宴を台無しにしてしまったと思い込んでいたんだろう。

「パートナーはフォローしてあげないとね。その為だったらこれくらい安いもんさ」
 といってスカートをつまんで持ち上げ、手を離す。
 しゅるしゅると衣擦れの音を響かせながらスカートが落下し、接地する。

 女の身体になっているため、普段はいちごよりもかなり背の高い二条が珊瑚(さんご)と同じくらいになっている。
「参ったねどうも」
 また頭をかくいちご。
「お前さん、今の『なり』はそんなんだけど、立派な『男』だぜ」
「そりゃどうもありがと」
 と言うと腰を落とし、両手でスカートをつまんであげる「おじぎ」をする。
 「男だ」と言われていかにも女性的な挨拶で返すんだから実に逞(たくま)しい。案外冗談の分かる面白い奴だったみたいだ。
 さっきの「オカマ演技」もそうだが。

 男は女装を冗談で捉えられるタイプと深刻に考えてしまうタイプがいるが、二条はどうやら前者の様だ。
 この一連の結婚披露宴だって、肉体まるごとのコスプレ感覚ってところだろう。
 でなければあれほど珊瑚(さんご)に毎日のように女性化&女装をさせられてどうにもならない訳が無い。

「まーそいじゃお幸せに。また明日会おう」
 この後、結局二人はあの格好のまま新居に帰ったらしい。「元に戻った時のため」ということだったがどこまで本当なのやら。
 傷ついた嫁さんかばおうというのは分からんでもないが、だったらその嫁さんに旦那の花嫁姿を何時(いつ)までもさらすのはどうなんだろう。
 ともあれ元に戻った後のレンタル婚礼衣装は何故か「買取り」になったんだそうだ。
 『夫婦』の間で何があったかは神と本人たちのみぞ知る…である。

 二人はこの後元に戻るのを待って新婚旅行に出かけた。
 何かと忙しいハンター組織なんだが、職員同士が結ばれるなんてちょっとした事件である。なので特別に一週間の休暇が許された。
 昔から好きだったというエジプトと北米を回り、最後には何故か国内の温泉に旅行に行ったという。

 2人がハンター本部に復帰を果たした時にはすっかり「懐かしい顔」となっていた。
 毎朝全員が集合する職場でもないので、まず二人は事務室に訪れた。
「ただいま復帰しました。29号です」
「3号です」
 そこにはボスやいちごたちが偶然たむろっていた。
「どうもー!毎度です!」
 二人の前にいきなりうさんくさい顔が現れた。
「…21号?」
 いきなり「キツい女」の表情に逆戻りする珊瑚(さんご)。

「そないに怖い顔せんでもええやないですか!姉さん」
「…思い出してきたわ。そのイラつくインチキ臭い関西弁」
「すまんな。彼も一応ハンター組織所属となった」
「ま、一応聞いてるけどさ」
「そうなんですか」
 二条が不安そうな顔をする。
「基本的には外部勤務だ。所謂(いわゆる)ハンター能力者とは別の任務なので余り顔は合わせないだろうが、よろしく頼む」
「そんなこんなでよろしゅーに!」
 手を伸ばしてくる21号。
「あたしらは他人と握手できないのよ。悪いんだけど」
 ふと見ると二人とも手袋をしている。特異体質夫婦の苦労である。直接接触を避けるための工夫だが、手袋をしていたからといって必ず防げるというものでもないのだ。気休めというところである。

「言いつけは守ってる様だな」
「…まあね」
 珊瑚(さんご)は29号やボスの許可無しにはその能力を行使することを禁じられている。
 過酷な様だが、余りにも強烈な能力なので仕方の無い措置だろう。
「なんや面白くないのー。折角珊瑚(さんご)はんに握手してもろてそのまんま銭湯でも行こうと思ってたっちゅーに」
 21号以外の眉根がぴくりと上がった。
「え…じょ、冗談やがな冗談!あんさんたち顔がこわいで〜」
「笑えねえっての。ねえ…どうよこれ?」
 同意を求める様に夫の顔を見る新婦。
「ボス…。例のバイトって開いてますかね」
「ああ、すぐに手配出来る」
 無言で珊瑚(さんご)の目を見る二条。それが合図だった。
「ふん…久しぶりだこと」
 一気に手袋を引っ剥がす珊瑚(さんご)。

 『かぽーん』という音が鳴り響いた。
「うう…こりゃないで珊瑚(さんご)は〜ん!」
 べそをかいているセーラー服の少女。
 スカートは膝上で結ばれ、長い髪は手ぬぐいで結ばれている。
 デッキブラシでごしごしと床を磨き、脱衣所の落ちたタオルを片付けたりしている。
 …そう、21号は不埒な発言の罰として珊瑚(さんご)能力によってセーラー服の女子中学生にされた上に銭湯でのバイトをさせられていたのである。

 「男湯」のだった。

 当然ながら裸の男があちこちぶらぶらしている中でである。
 何故か男湯では女性職員が普通に働いているが、それをやらされたのである。
 女湯の方には面白そうなので付いてきた双葉が働いている。確かに元・男だが精神的にも肉体的にも完全に女なので何の問題も無い。無いったらないのだ!
 かいがいしく働く若い女の子である双葉は女性客にも評判がよく、この後も何度もバイトを頼まれることとなる。

 当然ながら、双葉にはもしも21号が女湯側に入り込もうものならば即座に叩き出す様にキツい命令が下されているのは言うまでも無い。

 そんなこんなでハンター3号こと「藤美珊瑚」が意に反して体得してしまった「体質」をめぐる騒動は落着した。
 サディスティックな性格と、万能に近いその能力を傍若無人に振り回して散々に迷惑を掛けた珊瑚(さんご)だったが、懲罰としての監禁とその後の大立ち回りを通して、反対の体質を持つ男性のパートナーを見つけ、その伴侶として落ち着くという意外な結末を迎える。

 能力そのものは健在だが、その「猛獣」の首には見事に見えない首輪が付けられた形である。

「あー暑いねえ。どうしてこう夏ってのは暑いかなあ」
「知るかよ。太陽に文句いいな」
 毎度おなじみのいちごと珊瑚(さんご)の掛け合いである。
「おっとっと…ってわあっ!」
 背後で素っ頓狂な声が上がると、突如珊瑚(さんご)の上に足をつまずかせた男性職員が覆いかぶさってくる。
「わああっ!!」
 空中を手でかいていた男性職員はモロに珊瑚(さんご)の首元の肌が露出した部分に手を付いてしまう。
 次の瞬間だった。
「わきゃああっ!!」

 そこにはグラビアアイドル真っ青のナイスバディな水着美少女がいた。
 先ほどの男性職員が、珊瑚(さんご)の素肌に接触してしまったことで変身してしまったのである!
「おい!珊瑚(さんご)!てめえ!」
「うるさい!こんなのまで知らないっての!!」
「いいからステディ呼んで来い!この馬鹿!」
「今出張中だよ!」
「お前らいつも二人組みでひっついてろって言ったろうが!」
「あ…あの…ボクはどうすれば…」
 つぶらな瞳をうるうるさせている水着美少女。
 その時、華代警報が鳴り響いた。
「…悪いね。これはあんたが悪いよ。ウチの旦那が早く帰ってくるのを祈りな。いちご!行くよ!」
「お前に言われるまでもねえや!」
「あ…」
 走り去っていく美女二人を呆然として見送るしかない水着美少女。殆(ほとん)ど裸に近い様な格好だ。どうやら「暑い」という珊瑚(さんご)のイメージが具現化したものの様だ。
「ふふふ…久しぶりの珊瑚(さんご)さん被害者ね…」
 ふと振り返るとそこには事務員二人組…水野さんと沢田さんがいた。
 まるで野獣のような不穏な雰囲気に気おされてしまう即席美少女。
「昨日、秋の新作を買ってきたのよね…ちょっと試させてもらおうかしら…」
「いざという時に備えて買ってあるコスプレ衣装がこのところ役立たずなのよねえ…」
 久しぶりの『獲物』を前に目をギラギラさせている二人。
「ひぃ…た、助けてぇ〜っ!!」

 今日もハンター組織の一日は楽しく過ぎて行くのでした。

(「珊瑚の研究」終)


*最後までお読みくださいました皆さん、本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。
 ハンターシリーズの「65」ということでかき始めたこのエピソードも気が付くともう2年も経過してしまっていました。
 ハンターシリーズの方も順調に投稿が重なりましてもう200に迫らんとする勢いです。

 元々私はストーリーそのものよりもシチュエーションをねっとり書き込むことに重点を置きたいタイプですので、一つのシーンに延々と筆を走らせることが多かったです。
 今だって未熟ですけども、書き始めた当初なんてもっともっと未熟で、思いすくことは全て書き込んでいました。だから書いても書いても終わらないという悪循環状態。

 元々「次々に敗れ去るハンターのバリエーション」として登場させた「藤美珊瑚」なんですが、男性を女性にしていたぶるサディスティックな性格、という骨格があったのでこうしたエピソードのストーリーを思いつくことは容易なことでした。
 というよりも、珊瑚(さんご)が無実の(ここ大事!テストに出ます)事務員を追いかけてスチュワーデスにしたり、真面目で何の落ち度も無い29号みたいな堅物を格闘の末にバニーガールにしてもてあそんだり…という「シチュエーション」そのものが書きたかった訳です。
 間のエピソードはそれこそブリッジ(つなぎ)みたいなもんです。むしろそっちの方がオマケなんですね。

 一番最初に、「泣きながら逃げる漆黒のセーラー服美少女」を追いかけていたぶる珊瑚(さんご)…というビジュアルイメージが浮かんだ時に、どうにも抑えきれずに延々書き込み始めたのが最初。
 そこから「とりあえず」みたいな調子で書き始めたのが運のつきで、「何とか完成させてから一挙公開しよう」と頑張ったんですが、どうにも終わらず、仕方なく出来ている部分までを「前編」として分割公開し、残りの部分を「後編」と銘打って日々の連載で書く方式に転換しました。

 このイメージの原型ってのは間違いなくアニメ「うる星やつら」の「青い鳥」エピソードです。最初の犠牲者が「廊下を走って逃げるセーラー服少女」ってあたりが既にそうですよね。
 それにしてもあの「古風な」セーラー服っていまどき本当に見かけませんよね。あの膝下十センチはありそうなスカートなんて、今のパンツ見えそうなミニスカートの制服が当たり前の女子高生に見せたら普通に「スケバン?」と思われるかもしれません。でもね、当時はこれが当たり前だったんだよ!

 ちなみに、「サディスティックな女が男を女に性転換させて楽しむ」と言う構図は男性作家にとってはかなり「使える」ものであるらしく、近年出色の出来であるTS作品「トランス・ヴィーナス」(たまきひさお)はモロにこれです。

 主観ですけども、私は諸星あたるには「男性的な欲望」の匂いが余りしません。
 「あんなスケベにどうして?」と思われるかもしれませんが、あたるって女性に対してやらしいことって殆(ほとん)どしないんです。一番の目的は「住所と電話番号を聞く」こと。今ならメールアドレスでしょうか。
 だって女になっちゃった面堂終太郎に対してすら「住所と電話番号」聞こうとするんだもん。知ってるだろって!いや、知らなくても毎日会うじゃん!
 とにかく彼がやる「やらしいこと」ってせいぜい「スカートめくり」のレベル。実際に女性生徒のおっぱい揉んだりは多分してないはず。女になった面堂のスカートめくったり、女にされた自分のおっぱい揉んだりはしてるけど(爆)。
 このあたりは女性作者のいい意味で上品なところが出たと思います。

 あたるは「もてないキャラ」だけど、現実は別に女たらしの遊び人が全員美形のハンサムという訳ではないしね。
 実際にあたるが現実の生臭さを持つキャラだったら「うる星やつら」という作品そのものがああもさっぱりとはならなかった訳で。
 話がそれましたが、「他者性転換」の能力主体だった諸星あたるは、私は「性的には無色透明」だと思います。
 女性ではもちろん無いんだけど、かといって「男性」として機能しているかというと微妙。だから無色透明。「原生動物」では女になった面堂を追いかけてはいたんだけど、図らずもその後に放送された「青い鳥」では「住所と電話番号教えて〜」と「続きの台詞」を言っちゃってましたね。
 つまり、中心で「渦」を巻き起こし、面堂のスカートをめくる「風」なんですよ。

 「触れた男を女にする」と言う意味ではこの「珊瑚(さんご)能力」は「青い鳥」の諸星あたるの再現なのですが、そこに色々と工夫があるのは読んで頂いてお分かりの通り。能力主体が「女」である珊瑚(さんご)だったりとかいろいろね。

 個人的には「集団性転換パニック」ものって大好きなんですけど、本当に追随者がいないので今回もかましちゃいました。「女王様風ボンデージコスチューム」ってのがちと中途半端なんですけど、バニーガールはその直前でやってましたからね。

 お陰様でイメージしていたシチュエーションは軒並み盛り込めました。
 私としては29号をバレリーナにするところは是非描きたかったし、最後の結婚披露宴が期せずして「逆転結婚披露宴」になっちゃう下りなどは書いていて本当に楽しかったです。いやホントに。
 「キャラが勝手に動く」とはよく言いますけど、まさか私も29号があんなに弾けるキャラだとは思っても見ませんでした。

 書いている時に見ていたものがモロに影響するのが何ともおかしかったですね。2008年の初頭は実は私、アメリカのテレビドラマ「24-Twenty Four-」にかなりはまってまして、全てのエピソードをほぼぶっ続けで見ちゃった後だったんですね。
 だから車の中で電話で緊迫した会話をしたり、「対テロ組織」みたいなのが出てきたり、「電磁爆弾」みたいな話が出てきたりするんです。

 私がいつまでも試験勉強に掛かりっきりで「片肺飛行」にならざるを得ないため、ハンター運営委員の皆さんには本当に面倒を掛けっぱなしで申し訳ないです。折角のイベントなのでハンターキャラたちに「祝福のメッセージ」を寄せてもらったり、提案者さんたちに聞いて「結婚式」そのものの考証までして頂きました。

 一応「歩く災害」だった珊瑚(さんご)もちゃんと身を固めまして、設定として落ち着いたものになったと思います。
 「名無しの権兵衛」氏とかには特にイメージは無いんですけど、こういうロマンスグレーみたいな人が看護婦さんとかになっちゃうと面白い…というか萌えるんじゃないか?というのが発端です。
 部下の山田とか、あと数々の珊瑚(さんご)犠牲者たちも一応共通財産のキャラとしてお使い頂いても構いません。余り考えずに出しているので細かい設定とか無いのが申し訳ありませんけども。

 ともあれ、こうして「細切れにして連載する」という方法を取ることで脳内に凝り固まっていた「いつかは書きたい話」の内の一つをどうにか陥落せしめることが出来まして本当に有難うございます。
 この方式出なければ間違いなく今だに脳内でこねくり回して悶々としていたと思います。

 まだあと少なくとも2〜3エピソードはこれくらいのヴォリュームのものがありますので、すぐに次の機会を作って取り組みたいと思います。
 今回は本当に有難うございました。

2009.06.02.Tue


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