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ハンターシリーズ030『翠碧の暗殺者』 作・てぃーえむ

ハンターシリーズ30
『翠碧の暗殺者』

作・てぃーえむ

イラスト:zockさん (URL

 

 今にも朽ちそうなアパートの一室に、大男が一人たたずんでいた。
 二メートルを超す長身は、ただでさえ狭い部屋の中を、いっそう狭く感じさせる。ボディビルダーとは違う、実戦で鍛え上げられた筋肉は、今は包帯に覆われていた。
 浅葱千景。『翠碧』の名で知られる、暗殺者だ。 
 千景は体に巻かれた包帯を慎重に外していった。現れた上半身には、大小様々な傷が付いている。特に左肩の火傷が痛々しい。
 これらの傷は、謎の銀色人間との死闘によって出来た物だ。そいつの背丈は千景の半分ほどで、しかも全体の三分の一が頭で、目がこれまたデカかった。手には謎の光線銃を持ち、火器がほとんど通じない。やっかいなことに相手はバリアーを使用してきたのだ。死闘は二時間に及んだが、最後は肉弾戦に持ち込むことにより、辛くも勝利した。まったく、これほどまでに苦戦したのは謎の吸血動物の集団と戦ったとき以来だった・・・。
 などと、すでに終わってしまった戦いを回想しながら、千景は傷口に薬を塗り、新しい包帯を巻いた。
 体は順調に回復しつつある。一週間以内に、元の調子に戻れるだろう。
 と、ズボンにしまい込んでいた携帯電話が『東京砂漠』を奏でた。
 すかさず千景は電話をとり、応対をする。
「はい」
『浅葱千景?』
 不自然な低音。おそらくボイスチェンジャーを使用しているのだろう。調子からして、おそらくは女性か。
「ええ」
 ともあれ、千景は肯定した。
『君にふさわしい仕事がある』
 どこかで聞いたような言い回しで、そいつは言った。
『今から君の元へ資料がやってくる。まずはそれを読んで欲しい』
 千歳は眉をひそめた。真意を問いただそうとしたが、それより先に玄関前に人の気配が現れる。そしてチャイム。
『早速、届いたようだ』
「・・・・・・」
 千景は無言で玄関まで来ると、殺気がないことを確認してからドアを開けた。
 立っていたのはひ弱そうな青年で、彼は荷物の受け取りと、捺印を求めてきた。素直に応じて荷を受け取り、もと居た部屋へと戻る。
 包みを慎重に開くと、ファイルが現れた。
 これが、資料らしい。
「真城華代?」
 表題にはそうあった。早速、ファイルを開いて中身を読む。
 そこには真城華代と呼ばれる少女の似顔絵や特徴、これまで彼女が行ってきた行為が記されていた。曰く、仕事と称して、男性を女性に変えている、と。最後のページには名詞が挟まっており、それにはこう記されていた。
 ココロとカラダの悩み、お受けいたします。真城華代
「これは何の冗談だ?」
『ふん、そこに書かれている事はすべて真実だよ。先日君が戦った相手を思い出すといい。真城華代という少女は、それらと同類だ。あるいは、それ以上か・・・。しかし今は無駄口など入らない。肝心なのはその少女を殺せるかどうかと言うことだ』
 相手は、そこで間をあけた。
『五千万』
「うん?」
『受けたのなら五千万だそう。それが前金だ。成功したのなら十億』
 桁外れの報酬だった。
「小娘一人に、随分気前が良い」
『それほどの相手だ。さあ、どうする?』
 逡巡したが、すぐに彼は決心した。
 断る理由などありはしない。そして自分に殺せない物も無い。超能力を持った少女か。リハビリにはちょうどいい相手だ。
「いいだろう」
 安請け合いしたその時、彼はまったく自覚していなかったが。
 こうして千景の運命をかけた戦いは始まった。

 ファイルによれば、ターゲットは公園か学校に現れる可能性が高いらしい。
 千景は全国の中から、ターゲットの出没頻度が比較的高いとされる、ある街の公園を選びだし、そこから二キロ離れたビルの屋上から監視することにした。
 こちらから探しに行くのも手だが、ファイルを信じるのなら、相手は空間を移動できると言う。探知機のような物があるならばともかく、闇雲に動いても出会える可能性は低いだろう。
 千景が考えたプランは単純だ。見つけたら愛用のライフルPSG1で射殺する。それだけだ。もしこちらの動きに気が付いて接近してきたならば(これはまずあり得ないだろうが)、待ち伏せし、懐のデザートイーグルで頭を打ち抜く心づもりだった。

 監視を始めてから一日が経ち、二日が経ち、六日目を迎えた。
 陽に焼かれ、風に吹かれながら監視を続ける。そんな千景の元に、客人がやって来た。
「せいが出るな」
 その客は開口一番そう言った。
 高校生ほどの少女で、つややかな髪をポニーテールにしている。愛らしい顔立ちで、アイドル並みと言ってよかったが、常人でないのは見て取れた。気配といい、足の運びといい、かなりの腕利きだ。だが、武器を所持している風には見えず、よって負ける気がしない。なんの用かは知らないが、邪魔をする気がないのなら放っておいていい。
 そう結論付けると、千景は再び監視を始めた。
「無意味だ。やめた方が良い」
 少女は言ったが、千景は無視した。
「あんたの依頼人な、死んだよ」
「何?」
 今度は無視できなかった。
「抗争に巻き込まれてな。彼は・・・いや、彼女はマフィアだった」
 そう言う彼女の声には憐憫の気配があった。
 青い。そう千景は思った。同時にうらやましいとも。誰かを哀れむ心など、とうに枯れてしまっていたからだ。
「依頼料はもらっている。仕事はこなさねばならない」
「気持ちは分かるが、駄目だ。俺は真城華代を知っている。人に殺せる存在じゃないんだよ」
 千景は短く息を吐くと、監視をやめて少女に向き直った。
「君は誰だ?」
「俺か」
 少女は、まともに取り合ってもらえて気をよくしたのか、薄く笑みを浮かべた。
「ハンターだよ。真城華代を追っている。あんたの依頼人ともその関係で遭遇した」
「真城華代は、人には殺せないと言ったな」
「ああ。華代の力は常軌を逸している。なにせあいつは因果律にすら干渉できるからな。そんなヤツをどうやって殺す?」
「ではなぜお前はヤツを追っている。殺すためでは無いのか」
 逆に質問すると、少女は唇をゆがめた。
「違うね。華代の現れるところには必ず犠牲者が出る。俺たちは、主にその被害者を救うために活動しているのさ。この『救う』にはもちろん、あんたも入っている」
「私が?」
「ああ。あんたもきっとそうなる。だからその前にやめるべきだ」
「そう、とは。私が死ぬと?」
「あるいは、な」
 千景はその答えに鼻を鳴らして見せた。
「せっかくだが、私には入らない気遣いだ。去ると良い」
 物言いが気に障ったのか、少女は舌打ちをして、千景を睨み付けた。
「ったく。親切には素直に甘える物だぞ」
「知らんな」
「・・・・・・ちっ」
 少女は取り次ぐ間も無いと判断したのか、もう一度舌打ちすると、姿を消した。
 千景はこれまでのやりとりなど無かったかのように、監視を再開した。



 それからさらに九日。
 ちょくちょくあの謎の少女はやって来たが、そのたびに千景は彼女を追い払った。
 そして、待望の瞬間がやってきた。
 青年に話しかける八歳かそこらの少女。手には例の名詞と思われる紙切れがある。念のためにと、唇の動きを注視する。
『ましろかよ、よ。見ての通り、セールスレディーよ』
 そう動いていた。間違いなくターゲットだ。
 腕時計を見れば、三時五十分。千景は殺人の際、実行時間を確かめることにしている。
 双眼鏡をPSG1に持ち替えて、額に照準。
『へえー、探偵が活躍して紙面をにぎわしてるところが見たい、ねえ・・・』
 話が進んでいるが、どうでも良い。
 千景はセーフティーを外し、
『んー』
 トリガーに指をかけ、
『わかったわ』
 引き金を引いたその瞬間。
 真城華代は、二キロ離れた場所にいる千景を直視した。
「!?」
『明日の朝刊をお楽しみにね』
 銃弾はまっすぐ真城華代に向かって、途中で偶然飛んできた石ころに当たって軌道がずれて、植林の一つに当たった。それと同時に、少女の姿がかき消える。
 馬鹿なと思う暇も無い。
 まず千景はPSG1を手放した。
 後ろに生まれる気配の大きさに戦慄しながら、懐のデザートイーグルを取り出す。
 全力で振り向きながら、視界の隅に写った少女に銃口を向ける。
 引き金を引くのと、不可思議な気配に飲まれるのとは全くの同時だった。
 しかし、銃弾は出なかった。
「そんな!?」
 銃の僅かに狂ったバランスからすべてを理解する。
 動作不良。
 完璧にメンテされたはず銃が、初弾から。
 偶然に?
 きっとそうだと直感できた。彼女は、偶然に守られているのだと。
 体中に走る違和感と、どんどん下がっていく視界に震えながら、千景は少女の言葉を聞いた。
「じゃあ頑張ってね、探偵さん。それと、そんなおもちゃで遊んじゃ駄目よ。危ないんだから」

 意識が覚醒すると同時に。
「ほら、着きましたよ。起きてください」
 千景は体を揺り動かされた。聞き覚えのない声だから、他人だろう。いつの間にこんなにも接近されたのか。
 危機感と共に目を開き、はね起きると、誰とも知らない相手の腕を取ってねじった。
「ぐわたたた!」
 悲鳴は気にせず、状況を確認する。どうやらここは車内らしい。装備と内装からして、パトカーか。しかし、それにしては広かった。
 問題は、なぜビルの屋上にいた自分がこんなところにいるのか、だが。
「ああああ、ややこしいとこ触ってごめんなさいいいい」
 騒いでいる男を観察すると、彼は制服警官だった。結構大柄だ。直立した彼の顔を見るためには、視線をあげる必要があるだろう。
 彼が自分を運んだのだろうか? 殺気がないから敵ではないらしいが。
 手を離すと、警官はやれやれと言わんばかりに首を振って、笑顔を見せた。  
「もう・・・。それより着きましたよ」
 着いた。どこに? 
 千景は周りの気配を探って危険がないことを確認してから、車を降りた。
 ここがどこなのかすぐに分かった。自分が住んでいるアパートの前だった。それにしては小ぎれいだし、二回りほど巨大化しているように見える。
 夢を見ているようだが、肌に触れる空気と臭いが現実であることを告げていた。
「毎度ながらご苦労様でした。それじゃあ、ゆっくり休んでくださいね」
 警官は好意的な笑顔でそう述べると、手を振って去っていった。
 とにかく千景は自室に向かった。急な階段を上り、長い廊下を走り、なぜか千景探偵事務所というプレートがかかったドアを開こうとする。
鍵がかかっていることに気が付き、着込んでいるコートのポケットを探った。鍵らしき物を見つけ出し取り出して、落とした。鍵と一緒に落ちた懐中時計を見ると、三時五十四分。あの瞬間から五分と経っていないが、今はどうでもいい。
 鍵を開け、室内へ。そして千景は驚愕した。
 まず長年かけて集めた銃器が、すべてぬいぐるみに変わっていた。
 整備器具は、綿や布、針に成り代わっている。 
 薄汚れていたモスグリーンの壁紙が、落ち着いたパステルグリーンになっていた。
 机の引き出しから業務日誌を取り出すと、それは事件ファイルに化けていた。中身を覗くと、これまでこなしてきた殺人はすべて、殺人事件の解決にすり替わり、まさに名探偵と呼べるほどの活躍ぶりだった。住所録を開くと、なじみの武器商人や昔の傭兵仲間の名前はなく、代わりに刑事や、探偵仲間の住所と備考が記されていた。
 寝室に入るとそこは少女趣味な部屋で、タンスを開けると、いかにも女の子な服と下着が詰まっていた。
 そして。
「!?」
 立てかけてあった姿見を覗いて、千景はとうとう声にならない悲鳴を上げた。
 そこに写っていたのは少女だった。おそらくは十四か五歳の少女。きれいな顔立ちをしていて、十年後が待ち遠しいくらいだ。腰まである黒髪はつややかで、これだけで自慢になるだろう。服装は、丈の短い黒のワンピースに白いニーソックス。胸元のリボンには本物のエメラルドがあしらわれていた。これだけならよく似合っているが、羽織っているコートが違和感を発している。
 変わっていないのは青みかかった緑の瞳だけだった。
「っ!!」
 たまらず千景は姿見に拳をたたき付けたが、ヒビ一つ付かない。ただ拳が痛いだけだ。己の非力さを実感して、うなだれる。
 真城華代。その恐ろしさが今になってようやく身にしみた。
 依頼人は、かつて自分が戦った者達と同類かそれ以上と言ったが。
 大間違いだった。次元そのものが違っている。
 ファイルには、彼女は男を女に変えるとだけあったがとんでもない。彼女は、世界を書き換える力を持っている。神と言ってもいい。そんな存在を殺そうとは・・・。
「は・・・はは」
 自身の認識の甘さと傲慢ぶりに、千景は弱々しい笑い声を漏らした。

 名も知らない街の、廃れたビルの谷間で。千景はただ、座り込んでいた。前日から降り続く雨に濡れているのにも関わらず、身じろぎ一つしない。
 あの日。
 千景がまず行ったのは、長い髪を切り落とすことだった。それからアパートの管理人に事務所をたたむ旨を連絡した。書類の類はすべて燃やし、あとはすべてリサイクルショップに売り払った。机も、服も、ぬいぐるみもすべてだ。電話も解約した。そして、元いた街を飛び出した。つまり、逃げた。
 それから一月。今、手元にあるのはそこそこの金が入った財布と、預金通帳、懐中時計、そしてなぜか懐にあった、おもちゃの拳銃だけだった。服装も替わっていない。替えなど持ってこなかったからだ。
 先日拾った新聞には、自分の活躍が報じられていた。そして、これでもかとばかりに褒め称えられていた。そのすごさに、千景は苦笑を禁じ得なかった。その名探偵が今はこんな汚れた形をしていると知ったら、この記事を書いた人間はどう思うだろう?
 そんな問いの答えなどどうでもいいことではあったが。聞けるのならば聞いてみたいとも思う。
「?」
 ただ呆然と雨に打たれていた千景は、気配を感じてその方を見た。
 初老の男が傘も差さずに立っていた。
 スーツを完璧なまでに着こなしているが、その上からでも分かるほどに彼の体は堅牢だった。威風堂々とした雰囲気と、すべてを貫くほどに鋭い眼光は、彼が人の上に立つ存在であることを知らしめる。
「ようやく出会えた、翠碧の名探偵」
 男は、聞く者に畏怖を与える低音で言った。
「私は名探偵ではない」
 千景は鋭くささやいたが、男は動じなかった。
「それでも、誰もが君をそう呼ぶ。君の実績がそうさせる」
「だが、違う・・・」
「・・・そうか」
 男はどうでもよさげに頷いた。そしてこう確認してきた。
「柳瀬浩三を知っているな?」
 記憶にはあった。住所録に、その名を持つ人物の情報が書かれていた。警察署長で、両親のいない自分を世話してくれた。らしい。
「彼が私に依頼をした。私個人にだ。だから私は部下を使うわけにはいかなかった。私混混同はしない主義でね。だから、君を見つけるのに三週間を費やさねばならなかった。そう、私は君を連れ戻しに来た・・・」
 ここで男は一間を置いた。
「君は戻るのがいい」
「断る」
「なぜ?」
 千景は黙った。男もまた黙り込む。
 十分の時が過ぎて、千景は口を開いた。
「真城華代」
 その言葉に、男は初めて気配を動かした。はっきりと動揺であると分かるほどに。
 彼は彼女を知っている。千景はそう断定し、次の言葉を口にする。
 彼女を知るものなら、これで分かるはずだった。
「私はその子供の殺害を画策した。そして、こうなった」
 言って千歳は力無く首を振った。
 実際、それだけの言葉で男は理解したのだろう。
「まさか・・・いや、それならば・・・」
 男は空を見上げた。ビルの隙間にある、未だ泣き続ける雲たちを。千景もそれに習い、つぶやく。
「私は・・・死は怖くなかった。例え誰にも知られず死んだとしても。なぜなら私が生きた事実は残るからだ。誰もが忘れても世界は覚えていてくれる。だから殺されるだけならば、耐えられたのに・・・。私はその存在すら・・・消されてしまった。皆は作られた私だけを見て・・・元の私など誰一人知らない・・・。世界ですら・・・私は・・・・ものの数分で・・・すべてを」
 千景は、雨音の中に長いため息を聞いて口をつぐみ、男に視線を戻した。
「ハンターを知っているか?」
 唐突な男の言葉。
 千景は頬を引きつらせた。
 ハンター。
 その言葉はかつて聞いていた。はっきりと覚えている。ビルの屋上で少女が言っていた・・・。
「真城華代を追っている。私が・・・統括する組織だ」
 男は無感動な瞳を向けて、ただ手を差し出してきた。
「去るのなら追わない。柳瀬にも君のことは黙っておこう。だが、来るのなら」
 男は言葉を断ち切り、じっと立っている。
 千景は、瞬きの間に戸惑いを見た。それは暗殺者の自分が持っていたプライドなのか。名探偵と歌われる少女の見栄なのか。分からないままうつむき、それでも振るえる手を伸ばして。
 やがて指先が男の手に触れた。途端、小さな手は大きな手に包まれる。
 初めてだった。差しのばされた手に掴まるのは。形容しがたい何かがあふれ出し、それを抑えるために千景は目をきつくつむる。
 だが無理だった。
「あ・・・・ぅ」
 千景は空に感謝した。雨でそれをごまかすことが出来たから。


次回予告               
 
 誰にも開けられない筈の金庫。そこから忽然と姿を消した五号の宝を取り戻すべく、翠碧の名探偵が立ち上がる。果たして犯人を捕らえ、宝を取り戻すことが出来るのか? 悲みの縁に沈む五号を救い出せるのか、浅葱千景!?
 次回! いちごちゃんシリーズ(?)ミステリー風味『今宵、貴方に人形を』
 お楽しみに!



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