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ハンターシリーズ102
『公園にて その2』

作・てぃーえむ

 夏の昼下がり。
 公園から聞こえてくる歌に、疾風は足を止めた。
 どこの国の歌かは解らない。技量もまだ未熟と言わざるを得ない。でも緩やかで、寂しい祈りが込められたその歌声は、水面を抜ける風のように聞く者の心を揺らしていた。これは鎮魂歌だ。死んでしまった人のための歌だと疾風は直感した。
 手にしたクレープを一囓りすると、誘われるように公園に足を踏み入れて歌い主を捜す。
 公園の奥の方、いつも休憩に利用しているベンチにその少女は座っていた。顔を空に向け、しかし目を閉じて歌っていた。
 年の頃はおそらくは今の自分と同じくらいだろう。喪服のような黒いツーピースの少女。普段は外に出ないのか、それとも遺伝なのか真っ白な肌をしている。なんとなく、古い人形店の奥でひっそりと眠るアンティーク人形を思わせるような少女だった。
 彼女は近寄ってくる人の気配に気がついたのか、突然歌を止めると、目を開いた。そしてぼんやりと、朱色の瞳で此方を見つめてくる。
「はじめまして」
「あ、ああ……はじめまして」
 声をかけられた疾風は、とまどいながら挨拶を返した。そんな様子がおかしかったのか、少女はおもしろそうに目を細めて立ち上がり、それから言葉を続けた。
「名乗るわね。影鳥空奈、一応、ハンターよ」
「ハンター?」
 お辞儀をする少女に頭を下げ返しながらも疾風は声を上げた。ハンターとは、疾風が居候している組織のエージェントのことである。政府の機関であるにもかかわらず、小さな子供から大きなおじさんまでそろっているので、見た目が中学生の彼女がハンターであることは別に不思議なことではない。華代被害者だろうか。
「どうぞ黄路疾風さん」
 彼女はベンチに座るよう、促してきた。やはりというか当然というか、彼女は此方の名前を知っているようだ。
「本当はもっと早く会いたかったし、基地内で会っても良かったのだけど……、貴女は随分と忙しそうだったから、ここで待つことにしたの」
 そんな空奈の言葉に、疾風は苦笑しながら、少女と少し距離を置いてベンチに座った。
 そう。あの浅葱千景と再会してから、いや、出会ってからずっと、彼女を追いかけることに没頭していたのだ。こうして一人で町に出るようになったのも最近のことで、それまでは何よりも千景を追いかけることを優先していた。今日だって、基地に戻れば早速、千景を捕らえるために行動することだろう。自分でも、なぜここまで彼女にこだわるのかと半ばあきれる思いだが、どうしても勝ちたいし負けたくないのだから仕方がない。きっとそういう運命だか宿命だかなにかなのだろう。
「ここで待つって……俺が立ち寄らないかもとは思わなかったのかな?」
「思わないわ。だって、いつもそうするようにしているのでしょう」
 疾風の手の中にあるクレープを見つめつつ、空奈は言った。
 確かに、街に出た際はクレープを買って公園のベンチで食べるのが最近のパターンだが、どうやら彼女は、此方のことは調べ済みらしい。
「ところでその髪型だけど似合ってるわね。浴衣にも合っているし。可愛いわ」
「…………」
 疾風は赤面した。普段はただ後ろでしばっている銀髪が、今は綺麗に結い上げられ、かんざしで飾られている。普段の疾風を知っている者ならば、話題にあげるのはごく自然なことだろう。でも面と向かって言われると恥ずかしい。
 それを察してくれたのか、空奈は話を変えた。
「今度の新作ケーキはどうだったのかしら。おいしかった?」
「ああ、おいしかった……。え、新作?」
「ええ。今日はあのお店、臨時休業だったでしょう」
「あのお店って……」
「ラ・フレーズよ」
「ああ。うん、まあそうだったが」
「ほらやっぱり」
 疾風がこくこく頷くと、空奈は明瞭を得たとばかりににっこり笑った。
「ちょっと……」
「貴方が街に出たのは1週間ぶりよね。臨時休業の知らせが出たのが三日前だから……貴女、店まで行って休みに気がついたのね。落ち込んでたらたまたま店長に会って、それで試作のケーキをごちそうになったのでしょう。あのお店、臨時休業の日は決まって新しいケーキを考えているから。それから髪をいじられたのじゃないかしら。あそこの店長は可愛い子が好きだから、貴女みたいな子を放っておくわけがないし」
「ちょっと待ってくれ。なんでそこまで解るんだ」
「あら、間違っていたかしら」
 首をかしげる空奈を見つめながら、疾風はさらに戸惑う。
「間違ってはいないが……。もしかして俺の後をつけてたのか?」
「いいえ」
 空奈はきっぱり否定した。疾風としても、誰かにつけられていたのなら絶対に気がつくはずだった。
「それくらい見れば解るでしょう」
「いや普通は解らないだろう」
「そうかしら。でもその香り、紅茶の匂い袋よね。あのお店ね、以前に期間限定で匂い袋を配ってたのだけど。それが好評だったからまた配るって聞いていたし……、一足先にプレゼントされたのでしょう。クレープがいつもと違うのは、お腹にちょっと余裕がなかったからよね。今日は沢山ケーキを食べたから」
 確かに普段はボリュームのあるクレープを頼む。しかし今日はシンプルなものを選択していた。彼女の言うとおりの理由でである。懐にしまった匂い袋に触れつつ、内心で驚く。この子は、すごく頭がいいらしい。
「……君は、まるで探偵みたいだな」
 探偵として名が通っている千景よりもずっと探偵らしい。そう言ったら、空奈は首を振った。
「あら。千景は本当の探偵さんよ。わたしなんかよりずっとすごいわ」
 淡々としたその声色の奥には、羨望のようなものが混じっているように思える。この反応からして、どうやら彼女と千景は知り合いのようだった。
 空奈は、公園の時計に目を向けた。つられて疾風も見てみると、もうすぐ四時だ。
「そろそろ来てもいい頃なのだけど……」
「誰か呼んでいるのか?」
「呼んではいないわ。でも……あら、来たようね」
 今度は公園の入り口に目をやると、確かに誰かが此方に近づいてくるのが見えた。いや、誰かなんてものではない、千景だった。相変わらず、この暑い中でコートを羽織っている。手にした紙袋の中身は和菓子に違いないだろう。
 空奈は立ち上がって、千景を迎え入れた。
「ごきげんよう」
 千景は少しだけとまどいの気配を見せていた。どうして二人がここにいるのか解らないと言いたげな表情だ。
「ごきげんよう。どうして?」
 端的な問いかけだったが、その言葉の意味を正確にくみ取ったらしい。
「おしごとの途中でここに立ち寄ったの。あそこのクレープは美味しいって聞いたから、二岡さんによってもらったの。彼は車で待機してもらってるわ。ちょっと離れてるけど……この距離なら問題は無いでしょう。それとここにいる理由はもう一つ。今日は、二人がここをこの時間に通るから。話があるの」
「話か。ううむ……」
 一体何を想像したのやら、千景は眉をひそめた。
「別にそんな身構える事じゃないわ。もちろん、ちゃんと聞き入れてもらわないと困るけど」
 疾風には何のことだか解らない。しかし千景は覚えがあったらしい。
「それは……昨日の件か?」
「ええ、そうよ」
 空奈が頷くと、千景は途端に情けない顔をした。貴重な表情だ。
「決闘するのは結構だけど、あなた達、最近派手にやり過ぎよ。仲がいいのは良いことだと思うけど、周りの迷惑も考えてもらわないと」
 ここで疾風にも理解できた。連日の鬼ごっこに、とうとう苦情が来たらしい。
 しかし腰に手を当てて胸を張る姿は、まるで子供をしかる先生のようだなと感心していると、矛先が此方を向いた。
「黄路さん、貴女にも言っているのよ」
「は、すみません」
 ついつい敬語で返事をしてしまう。
「三日前は、カフェのテーブルを壊しちゃったでしょう? 春さんは働いて弁償することで許したようね……、まあ可愛い子がウエイトレスすれば客が増えるから、あの人にとっては怪我の功名なのでしょうけれど。でも上層部ではこれがちょっとした問題としてあげられたわ。それでその矢先」
 ここで空奈は疾風を睨み付けた。
「貴女、昨日は危うくけが人を出すところだったでしょう」
「うっ。そっ、それは千景がだな」
 とっさに言い訳しかけたが。
「…………」
「ごめんなさい」
 眼力に負けて、結局、疾風は素直に頭を下げた。
 確かに、あれはすこしまずかった。昨日もいつも通り、障害物とゴム弾を利用しつつちょろまかと逃げる千景を追っていた。初めはそれなりに冷静であったが、次第に千景の挑発で周りが見えなくなってきた。それも、人様に迷惑をかけぬように注意していたつもりだったが、所詮はつもり、あやうく職員をぶった切るところだった。たまたまなぜか踏み込んだ先にバナナの皮が置いてあって、それを避けた折りに体制が崩れて剣筋がそれたのだ。バナナの皮が無くとも寸止めを成功させる自信はあったが、万が一ということもあった。
「それと」
 空奈は千景に歩み寄って、その顔をのぞき込んだ。
「千景もどうしてしまったのかしら。屋内でゴム弾をばらまくなって危ないことをするなんて。昔はそんなことする子じゃなかったのに。なにが貴女を変えたのかしら? それに、そんな堅い口調で話すこともなかったわよね。以前の暗い感じよりはいいけれど……。記憶のことを考慮しても、やっぱり気にはなるわね。そもそも持ったことがある銃はエアライフルだけのハズなのに、なぜ拳銃をあんなに上手に扱えるのかしら?」
 問いつめられて、千景はばつの悪そうな顔で目をそらした。
 空奈はため息をついた。そして疾風を横目で見る。
「いつもこの話をするとだんまりしちゃうのよね」
「…………」
 まるで疾風が理由を知っているかのような目だ。
「まあいいわ。話を戻しましょう」
 追及する気配を消して、空奈は千景から離れた。
「さすがにあんな事がおきては組織も放っておくわけにはいかないのよ。でもね、わたしとしては二人を押さえつけるようなまねはしたくないの。だからこういう事になったのよ。あなた達、ルールを作りなさい」
「ルールだと?」
「そう」
 疾風の反復に、空奈は答える。
「ちゃんと人様に迷惑をかけないためのルールをとり決めて、その上で仲良くケンカすること。組織としては最大限の譲歩よ。ありがたいでしょう。それに、平等なルールを決めれば、貴女にも十分に勝ち目がでてくるわよ」
「なっ。お、俺は今のままでも十分勝てるぞ」
 予想外のことを言われて疾風はどもりつつも反論したが、その言葉に力はあんまり無かった。なぜなら連敗を喫しているからである。
「まあ強がりさんね。でも恥ずかしがることはないわよ。少なくともハンター組織内では心理戦で千景に勝てる人はいないわ。探偵ですもの。元々そういうのが得意だし、情報収集もこまめにしているし」
 自慢するかのように話す空奈。対して千景は渋面だった。
「逆に単純な殴り合いになれば貴女が確実に勝つのだけれども……。毎回、心理戦に持って行かれてるから、だから勝てないのよ」
「むう……」
「まあとにかく、ちゃんとルールを作って、今日の……そうね、夜八時に、わたしに提出してね。部屋で待ってるから。不備があったら何度でもやり直しさせるから、そのつもりで」 さすがに、ノーとは言えない。
 疾風と千景は、おとなしく頷くほかなかった。

 これからもう一仕事あるからと言って空奈は去っていった。
 その背中を見送ってから疾風は、ぼうっとたたずむ千景に話しかけた。
「知り合いのようだったが?」
「ん? ああ。幼なじみだ」
 そう言う千景は、普段の鉄面皮がとれて、軟らかい表情をしていた。武器を所持した状態でこんな顔をするのは、いや、所持していない状態でも極めて珍しいことだった。それだけ彼女にとってさっきの少女は親しみを持った相手ということだろう。
「四歳が、五歳くらいか。それくらいからずっと友人だったよ」
「貴様、記憶がないとか言ってなかったか?」
「おぼろげながら残っている事もあるとも言ったはずだが」
 考え直せば確かに、そうも言っていた気がする。
「まあ、彼女と再会してから思い出したことも多いがね」
「そうか。それにしても、恐ろしく頭のいい子だったな……。あの子、俺の姿見ただけで俺の今日の行動を見抜いていたぞ」
「ああ。空奈は私よりずっとすごいからな」
 千景は、彼女の能力を誇るかのように断言した。なんだか先方と同じような事を言っている。
「仮にも秘密組織で働いているだけあるな…………ん?」
 ここで一つ、引っかかった。空奈は千景の幼なじみだという。ということは、彼女は華代被害者ではなく、見たままの年齢だということではないだろうか。つまり中学生だ。政府の機関がそんな本物の子供を雇っていいのだろうか?
 その疑問を口にすると、千景は少し悲しそうに笑った。
「使えるものは使う。それはこの国でも同じ事だよ、疾風。だから君もここにいられる」
「ふむ……」
「しかし、ハンター能力があったのは幸いだった。彼女の時読みは、よその機関にとっても喉から手が出るほどのものだからな」
「時読み?」
「バナナの皮だよ、君」
「?」
 なんだそれはと疾風は思ったが、それを問うことはなかった。千景は意地の悪い笑顔を見せている。こうなるとどうせ教えてはくれまい。怒って突っかかるのは簡単だが、それではいつも通りになってしまう。疾風は努めて、冷静になるように自分に言い聞かせた。
 それになんとなく、あの空奈という少女とはこれから長いつきあいになりそうな、そんな予感がした。きっと、そのうち答えを知ることになるのだろう。
「さて戻るか。早くルールを決定しなければならない」
「そうだな」
 二人はそろって帰路につく。
 公園を出てしばらく歩いた時、ふいに千景が言った。
「君、その髪型よく似合っているな」
「うるさい」
 疾風は顔を赤くした。



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