ハンターシリーズ111
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人が生きる社会には、二つの顔がある。 皆のよく知る一般社会と、科学ではなかなか解明できない不可思議な力が幅をきかせている裏社会だ。 二岡はどちらかというと裏側に生きる人間だから、そのことをちゃんとわきまえている。見たことはないけれど、実際にお化けはいるし、神様もいる。離れたところにあるスプーンを曲げられるエスパーもいるし、なんでも宇宙人とかもいるらしい。 この国にもちゃんと、そういった存在に対処するための機関が存在している。ハンター組織もその一つと言えるだろう。空奈の話に寄れば、文化庁かどこかの下には、かの有名な陰陽寮みたいなのが存在しているとのことだ。他にも、独自の組織を作って活動している所もあるという。そのことが一般社会に知られていないのは、よほど優秀な人たちが情報操作を行っているからだろう。実際、ハンター組織の情報部にも優れた人材が取りそろっている。 だからまあ、二岡は不可思議な存在がいることを知ってはいたのだ。 しかし、実際に眼にするのは今日が初めてだった。 「ふい〜。生き返ったっすよ〜」 口元についた赤い液体を手でぬぐいつつ、その少女は脳天気な笑顔で言った。 年の頃は、よく分からない。空奈と同じくらいにも見えるけれど、上のようにも下のようにも思える。癖のない金髪ロングに、闇色の瞳。フリルで飾られたブラウスの胸元には赤いリボンが飾られていて、黒のスカートは見るからに上等な生地が使われている。そして、黒のマントを身に纏っていた。どことなく漂う気品が、どこかの国から抜け出してきたお姫様みたいだった。 彼女に出会ったのは、任務の最中のことだった。 日が沈んでまもなくのこと。空奈と臼井の三人で、逃げ出したペットの猿を探し回っていた時、犬に足を噛まれて泣いている彼女と出くわしたのだった。 「ええと、エミルネーゼちゃんだっけ?」 二岡がおそるおそる声をかけると、彼女は笑顔を向けてきた。 「あ、にいさん、血、あざーっした。久々だったもんで、うまかったっすよ。それとあたしはネーゼでいいっすよ」 「じゃあネーゼちゃん。こんな場面を見ておいてこう聞くのはどうかと思うけど……君はその、本当に吸血鬼なのかな?」 彼女は、自分は吸血鬼で、足の怪我も血を飲めばすぐ治ると主張したのだ。初めはもちろん半信半疑だった。世の中には嗜血症というのも存在するのだ。でも、彼女の怪我の具合を診た臼井が信じられないものを見る目で、彼女は少なくとも普通の人間ではないと断定した。彼女の医者としての腕が確かなのは知っているけれど、やっぱり疑いは捨てられなかった。でもネーゼが泣いて頼むので、仕方なく二岡は臼井の指導の元10tだけ血を与えることにしたのだった。 「えー。本物っすよ。ほら、怪我も治ったっしょ」 そう言って足をぶらぶらさせるネーゼ。確かに、さっきまであった傷口が消えていた。 「た、確かに……。でもなあ」 「うーん。そんなに信じられないなら、こういうのはどうっしょ?」 そう言うと同時に、彼女の指先が白く染まった。それから薄くなり、解れて、虚空に散っていった。解れはどんどん上って行って、終いには腕が無くなってしまった。いや、無くなったのは腕だけではなく、体もだった。ただ白い顔だけが闇の中で浮いている。 「こっ、これは……霧?」 目をこらしてみると、白いもやが浮いているのが解る。確か、吸血鬼は霧に変化することが出来るという。 「本物だ! うわあ!」 「あはは、驚くのが遅いっすよ〜」 ネーゼは笑いながら、元の姿に戻った。 「もういいでしょう」 ここで、今まで風上に立って背を向けていた空奈が口を開いた。 「お仕事を続けましょう」 珍しいことに、普段のクールな声色とは違って、感情がにじみ出ている。かなり不機嫌だった。それもそのはず、空奈は血が苦手なのだ。 「えー。もう行っちゃうんすか」 「私達は暇じゃないの。手当てしてもらえただけありがたく思いなさい」 「そんなあ。助けてくださいっすよ〜」 「今さっき助けたじゃない」 「そうじゃなくて、実はわたし、落とし物探してるんすよ」 「なら警察行きなさい」 「小一時間前の話っす。道を歩いてたらカラスに威嚇されたんすよ〜」 「何勝手に話を進めてるの……その前に貴女、吸血鬼とか言ってなかった? なんでカラスなんかに……」 「びびって後ずさったらネコのしっぽ踏んじゃって、引っ掻かれて……」 「ネコに負けたの?」 「で、いきなり猿に襲われたから逃げたんすけど、その時カバンを落としちゃったんすよ〜。その後は犬に追いかけられて噛まれるし、災難だったっす」 「貴女ほんとに吸血鬼なの!?」 「ふひひ、サーセン」 何時の間にやら振り向いてつっこみをいれてる空奈と、頭を掻いてるネーゼ。 面白い光景だなあと笑って見ていると、空奈が険しい眼で睨んできた。想像以上に怖い顔だったので、二岡は笑みをこわばらせた。 「あの、いいかな?」 臼井が、おずおずと間に割ってきた。 「今、猿って言ったよね? それって、青い首輪してなかったかな?」 ネーゼは腕を組んで、首をひねりながらも答える。 「へ? 首輪っすか……。なんか鈴がついた奴っすか? それならしてたっすよ」 「それだ」 臼井はぱちんと手を合わせた。空奈は引きつった顔になり、一瞬遅れて二岡も気がつく。探していた猿に間違いないだろう。 「その猿なんだけど、今僕達が探してる猿なんだよね。何処で会ったか教えてくれないかな。替わりと言ってはなんだけど、カバンも探してあげるよ」 「マジっすかねえさん! あざーっす!」 ネーゼは、臼井の手を握ってぶんぶか振った。 「……仕方ないわね……。いいわ、付き合ってあげる」 自分の感情よりも合理的な判断を優先したらしい空奈は、それだけ言うとさっさと歩き出してしまった。 「あ、そっちじゃないっす。あっちっす」 「……早く行くわよ!」 素早く方向転換して先を行く空奈の背中。後に続く臼井とネーゼ。そして二岡は、笑みを深めながらもゆっくり歩き出すのだった。 「しかし吸血鬼っているのは知ってたけど……ホントに会うなんてなあ」 「まあ、最近はみんな引きこもっちゃってるみたいっすからねえ」 二岡の隣を歩くネーゼは、のんきな顔でそう言った。ちなみに空奈は10歩ほど先を一人で歩いている。一緒に歩くつもりはないらしい。 「うちらを滅ぼしたいって願う奴らがいるのもあるっすけど……。なにせ近代化ってのが進んで、すっかり都会は明るくなっちまったっす。あたしは平気ですけど、明るいの苦手って奴は吸血鬼に限らず多いっすからねえ。やっぱ元々闇のイキモンっすから」 「君、明るいの平気なの?」 「平気っすよ。さすがにお日様が顔出してる時は無理っすけど、雲で隠れてさえいりゃ、昼間でも出歩けるっす」 「でも吸血鬼って、太陽の光ちょっとでも浴びたら灰になるって聞いたんだけど……」 「まあ、そうなんすけどね。あたしはちょいと特殊なんすよ」 「はあ……」 確かに、鳥や動物に負ける吸血鬼など聞いたことがなかった。 「そういえば、見たところ外国の人みたいだけど」 我ながら間抜けな質問だなと思いつつも尋ねると、ネーゼはこくこく頷いた。 「そうっすよ。生まれはヨーロッパあたりっす。どれくらい前になりますかねえ……日本には100年くらい前に、船に乗ってきたっすね」 どうやら、彼女は見かけ以上に長生きらしい。 「吸血鬼って流れる水の上は駄目だったんじゃ……」 「それは人によるっすよ〜。駄目な奴もいれば、大丈夫な奴もいるっす」 どうやら、弱点は個性によって違うらしい。二岡の心に好奇心が生まれた。 「じゃあ、にんにくは?」 「大好きっす〜。ラーメンにたっぷり入れるとうめえっすよ〜。でも、ペペロンチーノの方が好きっすね」 「なら十字架」 「どうってことないっすよ。キリストさん信仰してる奴は駄目みたいっすけど」 「水は? 聖水はどうだろう?」 「水も大丈夫っすけど、力のある聖水は嫌っすねえ。あれ、かぶると熱いっすから」 「十字路」 「問題無いっす」 「心臓に杭」 「あはは、そんなの誰でも死ぬっすよ〜」 一通り尋ねた終わったところで、今度はネーゼが質問をしてきた。 「じゃあ、こっちもいいっすか?」 「うん」 「にいさん達、あたしのこと知ってもあんま驚かないっすね。普通は信じないか、退治しようとか思うもんじゃないっすか」 ネーゼは悲しそうに目を伏せた。実際に狙われたり、知り合いの吸血鬼が退治された事があるのかもしれない。 「でも普通に話してるし。一体なにもんっすか?」 「何者って……うーん、言っても良いのかな」 二岡は後ろを歩く臼井に尋ねてみた。 すると彼女はあっさりと頷いたので、二岡はまたネーゼに顔を戻した。 「じゃあ、言うね。俺達はハンターなんだよ。といっても妖怪の類をハンティングする訳じゃない。ただ組織の名前がハンターって言うだけでね」 「はあ、物騒な名前っすね……」 ちょっとばかしあきれた顔をしてネーゼは小さく呟いた。 「うん。で、君は真城華代って知ってるかな」 「華代っすか? まあ知ってるっすけど…………あ」 ここでネーゼは何か思い出したらしく、指をぱちんと鳴らした。 「もしかしてあれっすか。華代の尻ぬぐいしてるっていう組織」 「へえ、知ってるんだ」 「あの天然娘の集団に相対してる組織っすよ。うちらの間じゃそこそこ有名っす」 「て、天然娘って。もしかして知り合い?」 「一度話したことあるっすけど、あんなのと渡り合おうなんて、にいさん達もご苦労様っすよ」 ネーゼは、真城華代に対してはあまり良い印象を持っていないらしい。眉が逆八の字になっていた。 「まあ、華代のことはどうでもいいっすね。それよりも聞きたいことがあるっす」 気を取り直すためなのか、ネーゼはぶんぶんと頭を振って、顔をぐにぐにマッサージした。そして、先を歩く空奈の背を見つめた。 「あの子のことなんすけど。名前はなんて言うんすか?」 「ああ、そう言えばあの子だけ自己紹介してないな……。あの子は影鳥空奈ちゃんだよ。一応ハンターだけど、事実上は見習いかな」 二岡が答えると、ネーゼの瞳は、納得したような、あるいはなにか懐かしいものを思い出すかのような、そんな淡い光に揺れた。 「影鳥っすか……。あ、ここらへんっすよ。猿に襲われたのは」 「ん。じゃあ、早速聞き込みしてみようか」 目的地に着いたようなので、二岡は話を切り上げて、仕事に取りかかった。 「確か、あっちの方で見かけた気がするねえ」 「そうですか。ありがとうございました」 ぺこり。と、二岡は近所のおばさんに頭を下げて、その背中を見送った。 これまで集めた目撃証言によると、猿は、ネーゼを襲った場所一帯をうろついているらしい。 さらに、猿はカバンを持っていたという話も出てきた。まず間違いなくネーゼのカバンだろう。そう言えば、どこぞではたまに猿に荷物を取られるという事件が発生すると聞いた覚えがあったなと二岡は思い出す。 「あっちの方って、確か公園があったよね」 臼井は記憶を探るように虚空を見ながら呟いた。それに、二岡は頷く。 「ええ。結構、広い公園で、木も一杯植えてあります」 「猿と言えば木というのは安直だけど、とりあえず行ってみるかな」 その言葉を聞いて、空奈はさっさと歩き出した。二岡達も足を進める。 「ねーねー。空奈ちゃん」 「……」 相変わらず先頭を行く空奈に、ネーゼは駆け寄って話しかけた。 しかし空奈は答えない。 「もしもーし」 「……」 「あーうー。なんで無視するんすかあ。あたしのこと嫌いっすか?」 「ええ」 空奈は前を向いたままきっぱりと答えた。 「な、なんでっすか?」 「吸血鬼だから。血を吸うなんて……おぞましいわ」 「そんなー。おいしいっすよ、血」 「知らないわよそんなこと」 「う。うえーん」 「泣かないでよ、うっとおしい」 「だって」 「そもそも、なんで私にかまおうとするの?」 ここでようやく空奈はネーゼに視線を向けた。質問されたのが嬉しかったのか、ネーゼは涙を引っ込めて笑顔で答えた。 「なんか昔の知り合いに雰囲気が似てるっすよ。懐かしい感じっす」 「ふうん。それで」 「え? それだけっすよ」 「……。えいっ」 ぺち。 突然放たれた空奈のチョップが、ネーゼの額にヒットした。 「あたっ。なにするんすか!」 「ふん。これに懲りたら私に近づかない事ね」 「あ、なんすかそれ。あたしに対する挑戦っすか? 上等っすよ」 ネーゼは、ボクサーみたいにフットワークを刻み始めた。しかし悲しいほど鈍重な動きだ。 それに合わせて、空奈もけん制のつもりなのかジャブを放つ。しかしハエがとまりそうな速さだった。 「いい? はっきり言うけど、私は貴女が大嫌いなの。あっちへお行きなさい!」 「なんすかなんすかそれ! もうあったま来たっす! 意地でも友達になってもらうっすよ!」 なんだか戦闘開始5秒前だ。 「あはは。二人ともすっかり仲良しですね」 「そうだね」 二岡は臼井と笑い合う。すると、二人が同時に此方を向いた。 「何笑っているの、二岡さん」 「こっちは真剣っすよ、にいさん」 「あ、ごめんごめん」 慌てて二岡は頭を下げる。 「……ん?」 頭を上げたとき、何かが視界の隅をかすっていった。 改めてよく見ると、そいつはいた。 ちょっと大きめの黒いカバンを両手で持って、がじがじ囓っている。カバンはそこそこ丈夫らしく壊れてはいないものの、キズはついていた。 街灯に照らされたその姿。青い首輪。 「ウキッ」 「さ、猿だ!」 二岡は指さし叫んだ。それを合図にしたのか、猿は片手でカバンを持ち直すと、素早く駆け出した。カバンを持っているくせに、やたらと素早い。 「あ、あたしのカバンー!」 ネーゼが走り出した。しかし遅い。二岡は難なく追い越して、猿を追う。 猿は公園に逃げ込むと、片手で器用に木に登った。そしてまたカバンを囓り出す。よほど気に入ったらしい。 「うわあ……、あんな高いところに」 すぐに追いついてきた臼井は顔を上げて感嘆の声を漏らした。 それからしばらくして、空奈とネーゼがどたばたとやって来る。どうやら二人の運動能力は互角のようだ。 「はあっ……はあっ……もう……すばしっこい猿……ね!」 「ふう……あ……あ、あんな……所に……ごふっ……」 「二人とも、まずは深呼吸しようよ」 臼井の言葉通り、二人は3回深呼吸を繰り返し、それでようやく落ち着いた。 「あうう、カバンが、カバンが囓られてるっすー」 「貴女も吸血鬼ならコウモリに変身するとかなさい。そうすれば近づけるでしょう」 上を見上げて涙を流すネーゼに、空奈は言う。 するとネーゼは、とんでもないと言わんばかりに首を横に振った。 「そんな! 噛まれたらどうするんすか!」 「噛み返せばいいじゃない。それとも、変身は出来ないの?」 「出来るっすけど。でも怖いっすよ〜」 「ええい、とにかくさっさと行きなさい!」 「ひいっ! サーセン!」 ネーゼの体が足下からバラバラになって散っていく。欠片の一つ一つが黒く染まり、無数のコウモリとなり空へと羽ばたく。そして、コウモリの一団は猿へと特攻していった。 「ウキャ!?」 たまらず猿はバランスを崩して落下した。 「捕まえ……ふぎゃ!?」 空奈は猿をキャッチしようとした。しかし猿は空中で一回転すると、空奈の顔に着地した。そしてそのまま20メートルほど走っていき、立ち止まった。カバンを両手で抱えつつ、此方に警戒の眼を向けている。 「空奈ちゃん」 慌てて二岡が駆け寄った。 空奈は10秒ほど地面に倒れ伏していたけれど、ゆっくりと起きあがって、猿を睨み付けた。そしてその体制のまま背負っていたバックから、黒い物体を取り出した。元は不審者や犯罪者を捕獲するために作られた、ネット射出装置である。有効範囲は10メートルを超え、ボタン一つで容易くネットが発射されるので素人の空奈でも扱える。 「あったまきたわ! 捕まえてやるっ」 「落ち着くんだ空奈ちゃん」 二岡は、今にも駆け出しそうな空奈を手で制した。焦っても動いても、自分の力だけでは捕まえられないことを悟っているのか、空奈は悔しそうに猿を睨んでいる。いつものクールさはどこへやらだ。 「大丈夫だよ。こっちは人数いるし、囲んじゃえばすぐ捕まえられるさ」 「ええそうね。四方から同時にネットを放てば確実ね!」 「あの、一人一個しかないんだけどね、まあいいんだけど……」 「さっさと捕まえるわよ。二岡さんは左、臼井さんは右へ。ネーゼ!」 「あ、はいっ」 空を回遊しているコウモリが返事を返した。 「貴女は奥よ!」 その命令に従い、コウモリの群れは猿を挟み込む位置に着地して、人の形を作り上げた。 「初めて名前読んでくれたっすね」 満面の笑みを浮かべるネーゼを、しかし空奈は鼻で笑った。 「そんなことで一々喜ばないでよ。うっとおしい」 「うーあー。やっぱケンカ売ってるんすか!」 仲の良いような悪いようなやりとりをする二人。 「あんな空奈ちゃん、初めて見ますね」 「よほど波長が合うんだねえ」 そんな会話をしつつも、二岡と臼井は配置についた。 「じゃあ行くわ……。……」 号令を出そうとした空奈が、いきなり黙り込む。そしてネーゼをじとーっとした眼で見つめた。 「な、なんすか?」 「貴女、コウモリになれるなら、狼の姿にもなれるわよね?」 「へ? なれるっすけど」 「なりなさい。貴女、そのままだと失敗するから」 「はーうー。それやっぱ時読みっすか?」 気になる単語を、ネーゼは口にした。時読み。二岡も何度か空奈の口から聞いた単語だが、よく分からない。おそらくは空奈の持つ能力、あの未来を予測する力のことなのだろうが。どうしてネーゼがそれを知っているのだろう。 「そうよ。早くなさい」 「はーい」 でも空奈は気にせず変身を促し、ネーゼは素直に返事を返した。 彼女は見る間もなく一匹の金狼に姿を変えた。人型の時とは違い、格好いい狼だ。ぐるるるっと威嚇すると、猿はそれにびびって身をすくませた。 「じゃあ改めてやるわよ。えいっ」 その瞬間を狙って、空奈は装置を作動させた。少し遅れて、二岡達も発射させる。 ぼしゅん! 3方向から放たれたネットは、見事に猿に被さり、絡まった。 「ウキャッ。キー! キー!」 「やったっすね!」 即座に元の姿に戻ったネーゼが、嬉々として猿に駆け寄った。二岡達もそれに続く。 「はいはい。ちょっとおとなしくしてね」 臼井が麻酔を取り出して手際よく注射すると、猿はすぐに眠りについた。 こうして、猿とカバンの回収は、無事に終了した。 「いやー、助かったっす」 ボロボロになったカバンを肩にかけたネーゼは、深々と頭を下げた。 「こんなかには大事なもんが入ってるっすから……」 「なら落とさないでよ」 「もう、空奈ちゃんは冷たいっすよ。まあぶっちゃけ、そんなところも好きっすけどね〜」 「き、気持ち悪いこと言わないで」 自分の体を抱きしめる空奈。鳥肌が立ったらしい。 「ふへへ。じゃ、助けてもらったお礼に一曲プレゼントするっすよ」 ネーゼはカバンの中から、6角形の楽器を取りだした。アコーディオンっぽいが、それにしてはかなり小さい。記憶の片隅に引っかかるものがあったが、二岡はどうにも思い出せなかった。とりあえず、これこそが彼女の言う大事なものなのは解ったけれど。 「コンサーティーナじゃないの。傷は付いてないでしょうね?」 空奈は一目で楽器の種類が分かったらしい。これまでの意地悪な態度を一転させて、心配そうにコンサーティーナを見つめている。 「大丈夫っすよ。カバン、頑丈っすから。じゃ、弾くっすよ」 ネーゼの指と腕が動いた。それと同時に、どこか懐かしく素朴でやさしい和音が公園に響き渡った。 二岡は、しばらく陽気な演奏に耳を傾けていたが、途中でおやっと思った。 曲名は知らないものだ。きっと彼女の故郷の曲なのだろうけれど。その音の持つ雰囲気は、聞いた覚えのあるものだった。 頭をひねりながら、なんとなく隣に立っている空奈を見た。それで二岡は気がついた。 「なんか、空奈ちゃんの歌に似てるね」 「えっ」 空奈が、吃驚した顔を向けてきた。 「そうなの?」 「うん。曲の調子は違うけど、どことなく似てる。ねえ、臼井さん」 話を振られた臼井は、黙って頷いた。 「そうなんすか。じゃあ、一緒に歌ってみるっすか?」 「な、なんでそうなるのよ」 話し声が聞こえたらしい。ネーゼがそう提案してきて、空奈はうろたえたようだった。でもそんなことは気にせず、ネーゼは続ける。 「じゃあ、あれいくっすよ。歌えるっすよね?」 曲調が替わった。今まで明るい曲だったのが、緩やかな旋律に変わった。 空奈ははっとして、それから忌々しそうにむぅと唸り、最後は確信を得たかのような表情になった。 「そう。貴女は……」 小さく呟くと、空奈はどこか異国の言葉で歌い出した。 高く伸びのある歌声は、コンサーティーナの調べに乗って、公園の隅々まで満たしていく。高いレベルで完成されたネーゼの演奏と比べると、空奈の歌は未熟といわざるを得ない。 それでも、二つの音はうまく混じり合って、聴く者の心に深く届く。 今回の仕事はちょっとしたトラブルがあったけれど、それでもこんな歌が聴けるなら悪くはない。そう二岡は思った。 結局、この即興のコンサートは、近所の人が集まり人だかりが出来るまで続いたのだった。 「なるほど吸血鬼か。おもしろい」 いつものボスの部屋にて。 二岡の報告を受けて、ボスは愉快そうに目尻を下げた。そして湯飲みを傾けて、緑茶を美味しそうにすする。 「で、その吸血鬼はどうした?」 「はい。なんか旅してるらしくって。何処に向かうかは聞いてませんでしたが、空奈ちゃんなら知ってるかも。メアド交換してましたし」 歌が終わり、集まっていた人が去っていった後。 ネーゼは、携帯電話を取り出して、アドレス交換を空奈にせがんだ。意外だったのは、空奈がそれに応えたことだ。嫌そうな態度は相変わらずで、憎まれ口だったけれど、声色にどことなく親しみが込められていた。 二人の間に、二岡には解らない何かがあったのだろう。あるいはネーゼと影鳥の一族との事かもしれない。二人が、今日初めて出会ったのは確かだ。でもなんらかの繋がり、縁があったのだ。 「あたしはずっとこの時を待ってたんすよ。出会えて良かったっす。まあ、これからも仲良くしてほしいっす。そんじゃまた」 そう言って、ネーゼは去っていった。 彼女の言葉の意味を、空奈は理解していたようだった。でもあえて、二岡は尋ねたりはしなかった。 友達が増えてよかったねと、そう考えるだけだ。 「メアドか。最近の吸血鬼は携帯電話を持っているんだな……」 「あ。そう言えばそうですね。携帯料金どうしてるんだろ?」 また謎が一つ増えてしまったが、やっぱり気にしないでおく。 「さあな。それはともかく、ご苦労だった。吸血鬼のことは放っておけばいいだろう。どうやら、無害そうだ」 「あはは……」 ネーゼの貧弱ぶりを直に見た二岡は笑うしかない。 「それじゃ、下がって良いぞ」 「はい、失礼します」 二岡はぺこりと頭を下げると、部屋を出た。 |
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