ハンターシリーズ114
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真夜中の廃工場。 彼女の眼下では、惨劇が繰り広げられていた。 太陽光に近い光を放つ大型ライトはすべて破壊されて、現代的な武器で武装した人間達が、必死に逃げ回っている。 人間を喰い殺しているのは、無数のコウモリと狼だった。 人間達は反撃を行ってはいた。彼らの持つ銃は、コウモリと狼を傷つける事は出来ても、致命傷を負わせるほどの力を持っていなかった。 並の相手ならば、あの大型ライトの放つ光で動けなくなっていただろう。銀弾に打ち抜かれて、たちまち滅びることだろう。 でも彼らにとって残念なことに、相手は並では無かったのだ。 廃工場からの脱出を試みた人間もいた。 もちろん無駄だった。 霧に包まれた廃工場から出られる者は無かった。 血の匂いが彼女の立つ場所にまで漂ってくる。 やがて悲鳴は消えて、動くのはコウモリと狼のみとなった。 それらは一カ所に集まって、一人の男の形になった。 執事服に身を包んだ体躯の良い男。隙もなく整えられた金髪が、彼の几帳面な性格を物語っていた。 男は震えていて、今にも飛び出して行きそうだった。 でも足は動かない。耐えるように、何かを待つように、そこに立っている。 彼女はここで見つめていた。 彼が人を食い殺す姿を。震え立ちつくす姿を。 働き手のいなくなった工場の屋根から、ずっと見下ろし続けていた。 「さて、仕事だ」 いつも通りのボスの部屋だ。しかしちょっと今日は様子が違った。 ボスの隣に、和服姿の女の子が二人立っていた。 共に銀髪を持つ、綺麗な女の子。一人はすっかり顔なじみになった黄路疾風。今は、ちょっと不機嫌そうな顔をしている。もう一人は凛とした雰囲気を持つ女子高生。疾風の妹、黄路美風だった。 「実は2日前のことなんだが、廃工場あたりを見回っていた警官が襲われたんだ。死ぬほど血を吸われて倒れていた。まあ、一命を取り留めたんだが。このまま死んでいたら吸血鬼が2体出来上がりになる所だったな」 「はあ」 「要するに警官は吸血鬼に襲われた訳だ」 「なるほど……。…………は?」 二岡は、一瞬我が耳を疑った。 「吸血鬼だ。まあ、最近はいわゆる闇の眷属って奴らもおとなしくなったんだが、やはりたまにはこういった事件が起こるものだ。だからうちの国にも、そう言った奴らを何とかするための部隊が存在している。早速出撃して、吸血鬼を撃滅しようとしたんだが、困ったことに返り討ちにあってしまったんだな」 「か、返り討ちですか」 「ああ。今まで第三次殲滅部隊まで結成されたんだが、全滅している。最新の装備を持った精鋭だったんだがな……いや、それがかえって悪かったのかもな。最初の警官とは違い皆殺しだった。いや凄かったぞ、高官達の反応は。あの慌てようは滅多に見られないものだった」 はははと脳天気に笑うボス。 「いやそれ笑い事じゃないと思うのですが」 「ああ、そうだな。そこでまあ、偉い連中も考えを変えたらしい。よその専門家に依頼してみようって事になった」 ここでボスは、隣に立つ少女を手で示した。 「お前も知ってるな、彼女は黄路美風。疾風の妹だな。彼女の家に正式に依頼が入ったのが今朝。見て解るとおり、早速、行動を開始したわけだ」 「黄路の家にですか? 確か、SPしてるんですよね」 そんな疑問にも、ボスはしっかり答えてくれる。 「確かに黄路は古くから守護の一族として名をはせていた。だが守護役というのは大変でな、雇い主に妖怪退治をまかされることもあったのだ。黄路もその例に漏れず、しかもこれがまた結構な活躍をしていたのだ。黄路流が持つ銀刃は破魔の力。それは、現在になっても受け継がれている。今回の鬼退治にはぴったりといったところか」 「詳しいですね」 「当然だ。これくらいは常識だぞ」 「でも、七号先輩によると、疾風ちゃんのこと知らなかったって……」 「話を続けるぞ」 「はあ……」 二岡は生返事を返した。どうやら深く突っ込んではいけないらしい。 「実際に戦うのは疾風の仕事になる。普段はともかく……疾風は黄路の中で最も鍛錬を重ね、修羅場をくぐり抜けた剣士だ。相手は人を超える存在だが、それに立ち向かうための『力』を持っている。妹さんは、まあ見届け人だな。見取り稽古みたいな所もあるのかもしれないな」 「なるほど……」 「だがさすがになんの情報もなく立ち向かうのは無謀だろう? そこで君の出番というわけだ」 「俺ですか」 「君の知り合いに吸血鬼がいるだろう」 「確かにいますけど……あの子は……」 吸血鬼の少女、ネーゼ。最近知り合った子で、休みの日にちょくちょく会っている。彼女は正真正銘本物の吸血鬼のくせに犬にびびり、カラスに突かれては泣きながら逃げるのだ。とてもじゃないが、人を襲うようには見えない。むしろ子供達に追いかけ回されそうだった。 「そう言う意味じゃない」 ボスは、二岡の誤解を見抜いたらしい。 「吸血鬼には吸血鬼の社会がある。当然、今回の事件のことも話題になっているだろう。事件を起こした吸血鬼について詳しく知っているかもしれない。少なくとも人間側よりは多くの情報を持つはずだ。つまり君の任務は、この二人を連れて彼女に会いに行き、情報を得ることだ」 二岡は眉をひそめた。 「吸血鬼に、これから退治しに行く吸血鬼について聞きに行けと言うことですか」 「そうだ。なに、お前の心配するようなことはない。昔はともかく今では、吸血鬼がむやみに人を襲うのは、彼らの法に触れる行為だからな。吸血鬼達にとっても、今回の相手は罪人なんだよ」 「はあ……わかりましたけど。でも、こういってはなんですけど、うちとは関係ないですよね。お願いならともかく、なんでまた正式な仕事になってるんです?」 「大人の事情だ」 ボスは、物々しく答えた。 日は沈んだばかりで、空もかろうじて明るさを保っている。 風はなく、地面も木々も遊具達も、青い薄闇に包まれて静かに佇んでいた。 本部の近くの公園、そこに設置された自販機の前で、二岡達は待っていた。 「あのう。その、今から来る吸血鬼はどのような方なのでしょう」 美風がおずおずと尋ねてきた。 二岡はちょっと困ってしまった。彼女はおそらく、恐ろしくも美しい気配を纏った吸血鬼を想像しているのだろう。琥珀色の瞳の奥に、緊張が見られた。しかし、今から来る彼女は、そう言ったものとは無縁の存在だった。 「ううーん。一言で言えば可愛い子だよ。うん」 「か、かわいい、ですか?」 美風はきょとんとした。 「まあ、すぐ解るよ」 空を眺めつつ、二岡は答えた。 それから何分かして、どこからかコウモリの群れが飛んできた。 「来たよ」 「あ、はい」 緊張が声にも出てきた美風と対照的に、疾風は興味がないようだった。彼女は今日はずっと、こんな感じだった。 コウモリの群れが、ばさばさっと音を立てて二岡のすぐ側に降りてきた。 そして瞬く間に組み合い、人の形を取った。 見た目、疾風と同じくらいに思える、金髪の少女。今日は真紅のゴスロリチックなワンピースを着ていて、本当によく似合っていた。これで澄ましていれば、どこかのお姫様としか見えないだろう。 「ばんわっす〜」 ネーゼは、夜を吹き飛ばしそうなほど明るい笑顔で挨拶をしてきた。 「やあ。悪いね、呼び出しちゃって」 「いいっすよ。にいさんの頼みっす。で、なんの用事っすか? 空奈ちゃん、ただ来いとしか教えてくれなかったっすよ」 笑顔を困った顔に変えて、ネーゼは言った。 彼女の連絡先を知るのは空奈だけだったので頼んだのだが、ちゃんとした説明はしなかったらしい。 「あの、二岡さん」 「あ、ごめん。彼女がその、吸血鬼のネーゼちゃんだよ」 「はあ……」 美風は眼を白黒させていた。イメージとはまったく異なるネーゼを見て、混乱しているらしい。 「紹介するね。こちらが……。ん? どうしたの?」 美風と疾風を紹介しようとした二岡だったが、ネーゼが変な顔をしているのを見て首をかしげた。 「げ」 「げ?」 「げえー! なんで黄路の人がいるっすか!? こーめいの罠っすか!?」 どたばたと二岡の背中に隠れるネーゼ。 「どうしたの?」 「どうしたもないっすよ。聞いてほしいっす、にいさん。百年ほど前、まだ日本に来たばかりの時っす。ちょうど血が物いりだったから、道行く人に血をくださいって言ったんす。そしたら物の怪だ〜って逃げてったあげく、援軍引き連れて襲いかかってきたっす。その時、先頭立って刃を向けてきたのが黄路の人だったんすよ。黄路の人は眼の色と気配が違うからすぐ解るっす」 「いや、見知らぬ人に血をくださいっていうのはどうかと思うけど……」 問答無用に襲わないところが彼女らしかった。 「でも仕方なかったっす。ちょっと無理したせいで血族が3人ばかり滅びそうだったんす。別に争いたい訳じゃないし、死なせるほどほしいって訳じゃない。痛くしない方法もあるし、それ以上の迷惑をかけるつもりも無いって説明したのに、問答無用っす。人の世のことは知ってるつもりっすから、怖がるのは仕方の無いって事は理解できるっす。それでもやっぱり、あたしは黄路の人は嫌いっす」 そう言うネーゼは、当時のことを思い出したのか眼には涙がたまっていた。 「そ、そうなんだ……困ったな」 さすがに長生きしているだけあって、いろんな人間といろんな因縁があるらしい。 「しかし、出来れば協力して頂きたいのですが」 美風が一歩、歩み寄って来た。 「協力ってなんすか」 ネーゼは話を聞くつもりがあるらしい。二岡の背に隠れながらも、顔だけは出していた。 「2日前、人を襲った吸血鬼がいます。知っていますか?」 「……知ってるっす」 ネーゼは頷いた。 「黄路の人がそう言うって事は……、そっすか。再三やられて頭来た人間の偉いさんは、黄路に依頼したってことっすね。それで情報得るために、にいさん使ってあたしを呼んだって訳っすか」 普段から脳天気で頭の悪そうな言動を取るネーゼだが、決して馬鹿ではない。むしろ聡明だ。知識もあり、それを操る為の知性も持ち合わせている。だからちょっとした言葉だけで、いろいろと推察したり理解してくれるのだ。 でも、今のネーゼの言葉には刺があった。 「あ、違うよ。まあほとんどその通りなんだけど、違うよ。俺が君を呼んだのは、うちのボスの命令だよ」 「にいさんとこのっすか。確かあそこのボスさんは食えない奴だって聞いたことあるっす。……十中八九、点数稼ぎっすね」 二岡が慌てて繕うと、ネーゼは珍しく皮肉な調子でそう言った。 「それで黄路の人は、ホントに依頼を受けたっすか?」 「はい。黄路は確かに、依頼を引き受けました」 「そっすか……」 美風の返答に、ネーゼはため息混じりに頷いた。そして顔に表れていた悲憤をすべて奥に押しやり二岡の背から出てくると、予想外の行動に出た。 「なら、あたしからもお願いするっす。どうか、彼を殺してやってほしい」 二岡は、車を走らせていた。 今、助手席にはネーゼが座っている。後部座席には美風と疾風。美風は顔がこわばっているように見える。自身が戦うわけではないけれど、これから強力な吸血鬼と相対しに行くのだから当然かもしれない。実際に戦うことになる疾風は、普段通りの表情に戻っていた。 あの時。黄路を嫌っていることを暴露したばかりにもかかわらず、ネーゼは頭を下げて、同族の死をお願いした。 そして、『彼』についての話を聞かせてくれた。 「彼はエフルテトスって言うんすよ。殲滅隊を退けた事から予想がついてると思うっすけど、直系っす」 吸血鬼は二分できる。一つは、自然発生した吸血鬼。ヴァンパイアロードとかノーライフキングとか言われる、本物の闇の王だ。極めて強力だが数は少なく、人前はもちろん闇の眷属の前にすら滅多に姿を見せないと言われている、畏怖をもって伝説に語られる存在だ。もう一つは人が転化した者。血を吸われて死んだ後に生き返った者だったり、儀式で転生したりした者の事だ。人間によく知られている方だ。 直系は、後者に当たるが、その発生の仕方は他と異なる。直系とは、闇の王から直接血を授けられて転化した吸血鬼のことだ。他の吸血鬼達よりも強い力を持ち、吸血鬼の住む社会を事実上管理しているのが彼らだった。 「吸血鬼の大半は元々人間なのは知っての通りっす。普通は吸血鬼に転化した時に、心……というか魂もそれにふさわしいものに変化するっすよ。でもまれに、それが不完全なまま吸血鬼になっちまう奴もいるんす。そういう奴らは、初めは良いんすけど、だんだん吸血鬼であることが耐えられなくなるんす。そして終いには狂ってしまう。無茶苦茶をするようになるっす。こうなったら最後、戻すことは出来やしないっす。これは直系だろうと例外じゃないっす。過去にも幾度かあった事っす」 ネーゼは目を伏せながらも言葉を続ける。 「エフルテトスは良い奴だったっす。直系はみんな、自分のこと闇の貴族だとか言って気取ってるっすけど、彼は血筋も生まれ方も気にせず、平等に扱ったっす。紅茶をいれるのがうまい奴で、あたしもよくいれてもらったっす。美味しいって言うと、にっこり笑ってくれたっす」 彼との間柄がどんなだったかは解らない。そのあたりは、彼女は詳しくは話さなかった。でもよほど彼が好きだったのだろう。声が震えていて、それでもネーゼは話を続けた。 「でも、もう駄目っす。狂って、人を襲ってしまったっす。しかも、何人も殺してしまったっす。これは今の吸血鬼の社会にとって罪っす。今夜、彼が人の手で倒されなかったら、彼は他の直系達の手で殺される事が決まってるっす。これ以上、人に迷惑かけちゃ吸血鬼達に取って不利益になるっすから。だけどこれは最悪の汚点になるっす。狂ったあげくに同族に滅ぼされるのは、最大の不名誉っす。仲間のために800年間ずっとがんばってくれてたのに、こんなのあんまりっす。でも、別の存在と決闘して滅びたなら、まだ救いはあるんすよ。彼は、殲滅隊は殺したっすけど、警官は殺さなかったっす。それに普通の人には手を出していないっす。きっとまだ、一欠片だけ心が残ってるんす。なら決闘も成り立つはずっす。せめて彼の名誉を守ってほしいっす」 吸血鬼に限らず、闇の眷属には戦いの本能みたいなものがあるらしい。 強い相手との決闘に挑むのは、ある種、名誉ある行為なのだそうだ。 なるべく争いを起こさないという今の流れとは違い、古い考えではある。しかし長い時を生きて今もまだ存在し続ける吸血鬼の間には、そうした古い考えを尊ぶものが多くいるのだそうだ。だからこそ、ネーゼは黄路に頼んだ。 狂気に苛まれながらも強敵と戦い、狂った吸血鬼としてではなく、戦士として滅びる。その筋書き通りに行けば、まだ彼の名誉は守られるのだと、ネーゼは言った。犯した罪も、恩赦が許されるのだそうだ。 これらの説明を受けた美風は、かなり戸惑ったようだった。しかし疾風は違う反応を見せた。今までまったくやる気のない顔だったのに、覇気が戻ったのだ。 「正直、面倒な仕事だと思っていた。こんな事は父か、他の連中がすればいいのにと思っていた。だが、そういうことなら話は別だ」 疾風は、手にした模擬刀を掲げて見せた。 「俺は難しいことなど解らんが、決闘が戦士にとって神聖なものだというのは理解できる。俺も剣士だからな」 二岡達はエフルテトスがいるという廃工場に向かっている。 ネーゼは、無表情に正面を見ていた。 「吸血鬼は永遠に存在するっす。だから永遠に耐えられるようになってるっす。でも人間は違う。人間の心は永遠には耐えられないっすよ」 そう呟いた時の泣き顔は、今も二岡の脳裏に焼き付いている。 彼女はやはり、人間とは別の存在なのだなと、ようやく理解出来た気がした。 20分ほど走っただろうか。 町はずれにある工場団地までやって来た。 かつては栄えていたものの、今ではほとんどの工場が閉鎖していて、その寂れた空気が何となく伝わってくるようだった。 「ん?」 二岡は眉をひそめた。 いつの間にか、霧がかかっていた。薄い霧だが、明らかに不自然だった。 「大丈夫。もう少し進めば霧も晴れるっす。そしたら車を止めるっすよ」 ネーゼの言葉通り、霧は晴れたので、二岡は車を止めた。 よくよく目をこらしてみると、離れたところに男が立っているのが見えた。黒い服を着ている。執事服だろうか。今日は雲一つ無く、月も大きく明るいからなんとか視認できた。 まず、疾風が車を降りた。次に美風。二岡もネーゼも降りた。 疾風は刀袋から模擬刀を取り出すと、ゆっくりと男に近づいていった。美風はその場に残った。彼女は、戦うために来たのではない。戦いの見届け人としてこの場にいるのだ。 疾風が一歩進むごとに、二岡は場を包む空気が重くなっていくことに気がついた。きっと錯覚なのだろうが。しかし、それを感じているのは美風も同じのようだった。うっすらと汗を浮かべ、固唾を呑んでいる。 男が身じろぎした。 と思ったら、バラバラになってコウモリの群れになった。 どんっ! 二岡には何が起きたか解らなかった。 大きな音が起きて、コウモリ達が吹っ飛んでいった事しか解らなかった。でも隣に立つ美風が興奮気味に教えてくれた。 「さすが兄さんです! あの無数の群れを一撃で全部たたき落とした!」 「い、一撃で!?」 疾風は刀を抜く手を見せなかった。それほどの速さを持つ抜刀だった。正眼に構え、次の攻撃に備えている。 コウモリ達は疾風を囲い、四方から攻撃を始めた。いや、コウモリだけではない。数匹の狼もいる。 疾風はそれらを、踊るように交わした。軽やかな舞いに、幾筋もの銀閃が混じる。踊りながら刀を振るっているのだ。 「あの素早く細かい攻撃を全部避けている……すごいです……」 「そ、そうだね」 二岡は頷くことしかできない。 疾風の動きは恐ろしいまでに速かった。普段、本部で見せる動きなど遊戯としか思えないほどの速さと強さだった。 「この前、私と手合わせした時なんて比べ物にならない。これが兄さんの本気なんですね……」 憧憬と嫉妬の眼差しを向ける美風。そんな彼女に二岡は疑問に思っていたことを尋ねた。 「ところで美風ちゃん。俺にはその……刀が光ってるように見えるんだけど」 実際には刀だけではない。疾風は、淡い銀色の輝きを全身に纏って戦っていた。 「あ、はい。黄路流の技、鬼剣です。剣気を刃として振るい、鬼を滅ぼす技です」 そう説明する美風は自慢げであった。あれこそが、ボスの言っていた破魔の銀刃なのだろう。 コウモリ達は、二岡達の方へはやって来なかった。一対一を守るつもりなのか、あるいは同族のネーゼがいるからなのか。どちらにせよ、やはりまだ僅かに理性が残っているのだろう。でなければ、無差別に襲いかかっていたはずだ。 疾風は傷を負うことなく、切られたコウモリ達も、すぐに復活してまた疾風の攻撃を繰り返す。膠着状態はしばらく続いたが、それにしびれを切らしたらしい、コウモリと狼が一カ所に集まった。 二岡は驚きのあまり、一歩退いた。 3メートルはあろう、巨大な金狼が現れたのだ。 金狼はその巨体に似合わぬ速さで、疾風に襲いかかった。 瞬く間に間合いを詰めて、爪を振り下ろす。 「はっ!」 疾風は退かなかった。一歩踏み込んでぎりぎりで爪を交わした。風圧で疾風の頬が浅く切れて、髪の幾筋かと、髪をしばる紐がちぎれて飛んだ。疾風はさらにもう一歩踏み込んで、刃を打ち上げた。 ザシュン! 疾風の刀から巨大な気の刃が放たれて、金狼を見事に切り裂く。 「やった……!?」 おもわず歓声を上げた二岡だったが、すぐに驚愕に顔をゆがめた。 金狼の傷から霧が吹き出した。その霧は傷を覆い……すぐに傷口はふさがった。 「あの程度じゃ無駄」 「え?」 聞こえていた呟きに、二岡は耳を疑った。確かにネーゼの声ではあったが、普段知るものとはまったく違う声色だったのだ。 「ぐっ!」 金狼の前足が、疾風を打ち払った。まるで車にはね飛ばされたかのように宙を舞う疾風だったが、空中で体制を整えて足から着地した。 「兄さん……」 何事もなく刀を構える疾風の姿に、美風はほっと一息つく。 「霧が来るわ」 ネーゼの声が、不吉に響いた。 金狼が、大きく息を吸いだした。 具体的に何をするかは解らないが、さすがにこれは二岡にも感じられた。 なにか恐ろしいことをする気だ。 「シュゥゥゥゥゥゥ……」 金狼の口から漏れる音が、二岡達の元まで届いた。ただ息を吸い込んでいるだけなのに、途方もないプレッシャーを感じる。 「よく分からないけど……やばいんじゃ……」 「に、兄さん……よけて!」 美風も動揺しているらしい、そんな言葉が口をついて出る。 その瞬間だった。 音もなく、金狼の口から濃い霧が吹き出された。 霧は疾風を包み、その後ろに立つ工場までも包み込んだ。さらに霧は、二岡達の方にもやって来る。 「うわっ!」 思わず二岡は悲鳴を上げた。 「大丈夫」 逃げ出そうとする二岡の腕を、ネーゼがつかむ。 金狼からはき出された霧が到達する前に、ネーゼの足下から薄い霧が漏れてきて、二岡達と車を包み込む。金狼の霧は、ネーゼの霧を避けていった。 「ネーゼちゃん……」 「あたしも吸血鬼っす。これくらいは出来るっすよ」 彼女はいつも通りにっこりと微笑んだ。二岡も表情をゆるめようとして、しかしそれを音が遮った。 メキッ……バッ…………ガコン! 「なに……これ……」 美風が目を見開いて地面を見つめた。 二岡にもすぐに解った。アスファルトが少しずつ砕けていっている。すさまじい重圧を受けているのだ。 ガッ……ドォォォオオオオン! そこら中で、何かが崩れる音が響いた。工場が潰れているのだ。 「霧姫の血族が、人間の軍隊を滅ぼすために生み出した魔法の霧っす。放たれた直後は普通っすけど、物に触れた途端に莫大な質量を持つ霧っす。触ったら最後、潰れて死ぬっすよ」 「そ、そんな……兄さん!?」 美風が取り乱して疾風を呼ぶ。 「まさか……まさか、こんな……負け……」 「悲しい事を言ってくれるな」 返事があった。静かな返事。今起きている事などまるで気にし無いような、穏やかな声だった。 「俺の勝利をお前が信じてくれなかったら、誰が信じてくれるんだ?」 「に、兄さん! 無事なの!?」 その声は震えていた。安堵は混じっていたものの、霧に対する恐怖が強く現れていた。疾風もそれに気がついたらしい。 「美風。そう怖がるな」 「こ、怖がってなんか」 とっさに叫ぶ美風だが、その頬は赤く染まっていた。 「まあ、そうだな。確かに人知を越えた力だ。奴はどうやら、俺を遙かに上回る力を持っているらしい。『銀花』が無ければ死んでいたな。お前が怖がるのも無理はない力に思える。だがな」 疾風の声が、諭すように優しくなった。 「こんなものは、恐れるような力じゃない。そもそも壊す力、相手を打ちのめす力など、大したものじゃない。せいぜい一つか二つ、出来ることが増えるかもしれないって程度だ」 「あの……にい……さん?」 「だから怖がる必要はないんだ、美風。お前もいつか解るだろう。本当の力とは……ああいうものじゃないんだよ」 霧が晴れて、疾風の姿が見えるようになる。 「あれ……?」 彼女の周りの地面は砕けていない。それに、銀色に輝く花弁が彼女を包み、舞っていた。それが風の壁を作り出し霧を防いでいたのだろうか、疾風の銀髪が緩やかに揺れていた。 「む、無傷!? すごいな……あれも黄路の技なの?」 「あれは……多分、気の刃の欠片です……。けど……私は知らないです……あんな技、黄路流にはありません……」 戸惑いながらも、美風は答えた。その様子が見えたのか、疾風はくすりと笑って見せて、すぐに表情を改めた。 「暴力など、つまらん力だ。その証拠に見ろ、あいつを。地面を砕き建物を倒壊させるほどの力を見せた吸血鬼が……俺には泣いているように見える」 二岡は、金狼を見た。美風も、ネーゼも、エフルテトスを見つめた。 彼は、ただうなり声をあげているだけだった。じっと佇み、無傷で立つ疾風を見つめているようだった。 「だが……その暴力で救われるものがいるのなら、振るってやろうと思う」 それは宣言だった。これからあの金狼を殺すとネーゼに告知したのだ。 ネーゼの、二岡をつかむ手が僅かに震えた。彼女は黙って頷いた。疾風はそれを認めて、刀を構えた。光が刃に宿り、強く輝く。 「よく見ておけ、美風。これが黄路流『真』鬼剣」 二岡はもちろん、美風にすら、疾風が動く姿は見えなかった。 ただ、白銀に煌めく残像だけが目に映った。 「銀花真撃」 カッ! 疾風の全力の剣閃は、無数の銀花を巻き込む竜巻となって金狼をみじんに切り刻み、夜天をも裂いた。 そして。 花弁のすべてが舞い落ちたとき、疾風の足下には、ボロボロになった男が倒れ伏していた。 エフルテトスの傍らに、ネーゼが片膝をついている。 疾風はすでに車に戻っていた。美風も。二岡だけは、車外でネーゼと倒れた男を見つめていた。 二人は穏やかに言葉を交わしているようだった。 でもそんな時間はすぐに終わる。 遠目からでも、男の体が少しずつ崩れていくのが解った。 やがて、男は完全に灰になった。風に吹かれて、どこぞへと消えてゆく。 それでもネーゼは動かなかった。そのままうつむいている。 二岡は一瞬迷った。 声をかけるべきか。そのままにしておくべきか。 結局、二岡はネーゼの元へ歩いていった。 傍らに立ち、小さく声をかける。 ネーゼは顔を上げた。その顔に表情はなく、眼は鋭く細められていた。普段とはまるで違う顔だった。明るい言動に押し込まれていた気品と、底の無い暗黒の気配が、今は表に現れている。 「感謝すると」 「ん……」 「感謝するって言ってたっす。今までありがとうって。処刑じゃなく決闘による死を与えてくれてありがとうって。最期を見取ってくれてありがとうって」 「うん」 「優しくて……馬鹿な奴だったっす。本当に……」 「うん」 「……最後まで馬鹿な奴だった。あたしは……」 ネーゼの眼が潤んだ。 「わたしは、こうなることが解っていた。だから忠告してやった。お前では無理だと。やがてこうなると忠告してやったわ。血を与える前に。結局こうなった。愚か者め……!」 「うん。でもさ……」 二岡は、ネーゼの頭をなでた。 「彼は、きっと満足だったんだろう?」 「…………うん……。うん……!」 ぽろぽろと涙がこぼれた。 ネーゼは声をあげて泣いた。 二岡はただ、彼女の側に佇んでいた。 |
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