ハンターシリーズ133
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バレンタインデー。 その起源は昔のローマにまでさかのぼるが、そんなことを詳しく知っている人は沢山はいない。重要なのは、愛する人や親しい人にプレゼントを贈る日として今日に伝わっているということだ。 その伝統とお菓子メーカーの先導により、世の中の女の子達は御菓子作りに励み、あるいはお店で購入してあんな人やこんな人に手渡ししたり自分へのご褒美にしたりするのである。 そんなバレンタインデーを間近に控えたハンター本部にて、一人密かにそわそわしている少女がいた。 影鳥空奈。中学生なのだが今は登校拒否中で、学校へ行く代わりにハンターとして活動している変わり者である。 「…………ふう」 今、彼女の目の前にはドアがある。親友が住んでいる部屋のドアである。よそのドアと同じく平凡な見かけのドア。しかし一カ所だけ違う所があった。認証システムである。掌の静脈の形を読みとることで識別するというセキュリティシステム。空奈の部屋のドアにも付いているものだったが、今はどうでもいい。 空奈は、こんこんっとノックした。 「千景?」 呼びかけると、部屋の中からうめくような声がした。程なくしてかちゃりと鍵が開く。空奈は迷わず取っ手をつかんで入室した。 中に入って最初に感じたのは、ほのかに香る甘さだった。キッチンの片隅に、和菓子作りのための道具が整頓されている。これが部屋の主の趣味だった。 更に奥に進むと、電源が入りっぱなしのパソコンが見えた。何らかの作業をしていたのだろう。しかし肝心の当人が見あたらない。 空奈はため息をつくと、ベッドまで近づいて、その下をのぞき込んだ。 「そんなところで何をしているの?」 部屋の主である千景がそこにいた。ベッドの下に潜り込んで、なぜか銃を構えていた。銀色の小さな銃。当人はエルたんといっていたか。名前は可愛いし中身は柔らかいゴム弾だが、殺傷力のある弾を発射することも出来るので、どう考えても銃刀法違反であった。 「…………ごきげんよう」 千景は、ぼそりと挨拶をした。どう見てもやる気がない顔である。 「そんなところにいないで、ちゃんとお仕事しなさいよ」 あきれながらも空奈はパソコンを指さした。あのパソコンは、彼女の仕事を効率よく行うためについ最近導入されたもので、情報部が使っているものと同じスペックを持っている。 では彼女の仕事は何かというと、警察から送られてくる情報の分析であった。警察に協力する名探偵、それが彼女の肩書きだった。そう、彼女はハンター本部に居候しているが、実は警察に所属する存在なのだ。 あまり知られてはいないが、彼女は怠け者で、働きたくないと思っている。出来る事ならばだらだらと寝て過ごし、たまに舞い込んでくる謎を解き、和菓子を食べるだけの生活をしたいと考えている。以前、将来何になりたいかと尋ねたら、和菓子職人かニートと答えたほどだ。そんな彼女が探偵だとか情報分析だとか面倒なことをやっているのは、謎解きもまた趣味だからだ。彼女は運命的に探偵にならざるを得ない状態になっていた。 パソコンをのぞき込んでみると、どうやら分析作業自体は終わっているようだった。後は文章を校正してから暗号化し、向こうへと送るだけのようだ。しかしそこで彼女は力尽きてしまったらしい。なるほど、確かに中身を見ればかなりの作業量ではある。とはいえ、彼女は一日徹夜した程度で力尽きるほど弱い精神力を持っているわけではないので、単に面倒になってきただけなのだろう。でもなぜベッドの下に潜っていたのかは解らない。彼女は時々、訳の分からない行動を取ることがあった。 空奈は一つため息をつくと、彼女に変わって椅子に座り作業に取りかかった。 かたかたかたかた。 しばらくタイピングの音が部屋に響き渡る。 「はいおしまい」 メールの送信ボタンを押して、空奈は軽く伸びをした。 「いや、すまないな」 気が付くと、千景が背後に立っていた。 「そう思うのならちゃんとすることね」 「善処する。ところで今日は何用かな?」 友人が訪ねてきて何用だとはなんだと思うが、彼女に悪気はない。空奈の雰囲気から頼み事があってやって来たのだと見抜いたのだ。 「ええ、それなんだけど……」 空奈は一瞬だけためらう仕草をしてから答えた。 「私、自分で言うのもなんだけど、人付き合いが苦手でしょう? でも、組織にいる以上はそれなりにとけ込む努力をする必要があると思ったの」 「立派な心がけだ」 「それでどうすればいいか考えたの。ほら、もうすぐバレンタインよね?」 「なるほど、そういうことか」 千景はこくりと頷いた。 「チョコレートを配ろうというのだな。たとえば二岡さんとかに」 「……。少なくとも、お世話になっている人たちには配らないとと思っているわ」 「ふむふむ。どうせなら手作りが良いが、しかし作り方が解らない。だから私の所へ来たと」 「その通り。一人で渡すよりは気楽だしね」 「私も渡すのか?」 「貴女、居候してるでしょう。こんな時くらい謝意を示した方が良いと思うわ」 「……。まあ、そう言われると言い返せないな。……ふむ、私は和菓子が好きだが洋菓子も嫌いじゃない。いいだろう、一緒に作るとしよう」 「決まりね。じゃあ、早速買い物に出かけましょう」 空奈はぽふりと両手を打ち合わせ、千景はいそいそと男物のコート……ではなく、ゴスロリチックなコートを羽織る。 かくして二人は、街へ出た。 はらりはらりと雪が舞う街の中。いくつかの店舗ではバレンタインフェア中らしく、そのような店はフェア好きの人たちで良く賑わっていた。 「ねえ千景」 「なにかな」 「目立っている気がするわ」 空奈は、少しだけ顔をしかめて言った。 「確かに目立っているな。地味な格好なはずなんだが」 二人とも、色だけ見れば地味かもしれない。 「貴女のそのフリルは地味と言わないと思うわ」 「君の喪服も回りから浮いてしまっていると言わざるを得ないな」 「…………」 「…………」 沈黙する二人。 確かに二人の服装は普通とは言い難かった。かたやゴスロリ、かたや喪服。そうお目にかかる服ではないし、仕立てが上等だから余計に目立つ。しかし二人が注目を浴びているのは何も服のせいだけではない。元が上等だからこそ余計に目を向けられるのだ。 「あのデパートだ」 千景が指差した先にあるのは大きなデパート。老舗らしく、堂々とした佇まいだ。 「あそこでは今、チョコレートフェアをやっている」 「まあ。つまりチョコがいっぱいあるのね」 「その通り。いろんな国のチョコレートが買えるぞ。少々値は張るが」 「その辺りは大丈夫。ちゃんとカード持ってきたから」 空奈は名家のお嬢さんなので、自分用のゴールドカードを持っていた。しかも一応は給料をもらう身だったので小金持ちであった。 二人並んでデパートのドアをくぐる。中はやはりというか混雑気味だった。しかし立ち止まるほどではない。空奈は人混みが苦手であったが、なんとか我慢できる程度だった。 案内板を確かめると、フェアの会場は6階らしい。 エスカレーターを利用して、どんどん上っていく。 到着すると、若い女性で賑わっていた。中には男性もいて、その中の大半は居心地が悪そうだった。しかし一部だけ堂々とチョコレートを購入していて、空奈には彼らがなんだか偉大な存在であるかのように見えた。このような逆境の中で堂々としている人間は格好良く見えるものである。もちろん錯覚だが。 「さて。決めていなかったが、どんなチョコを作ろうか?」 「そうね……」 尋ねられて空奈は考えた。 「素人でも作れるかどうかは別として、いくつか種類があった方が好ましいわね。トリュフと生チョコ。チョコケーキ……。あとフルーツも使うと良いかも。苺とかバナナとか苺とかオレンジとか、あとチェリーとか苺とか」 「ついでだ、全部作ろう。フルーツは……バナナを購入しようか。生チョコはオレンジリキュールを使おう」 「そうね。あと苺もね」 そんなやりとりをしつつ、千景はかごを手にとって、次々に材料を投入していった。小麦粉に砂糖に生クリームに、もちろんチョコレート。 「……クーベルチュール?」 空奈は、千景が先ほどかごに放り投げていた板チョコレートを手にとってみた。御菓子自体は好きでも、材料についての知識に乏しい空奈は、そのチョコレートの名前に興味を持った。 「プラリュ……? 美味しいのかしら」 よく分からないが、きっと上等なものなのだろう。値段も一等高くついているし。 隣の棚のチョコレートもいくつか手に取ってみる。 「こちらはウェ……いえ、ヴェイスね。ほかにもいろいろあるのね……ん?」 一瞬だけ目の端に、銀色が映った。チョコレートを棚に戻し、きょろきょろと辺りをうかがってみる。すると、黒髪や茶髪に混じって、銀髪が見え隠れしているのを発見した。自分と同じ年頃の少女だ。ジーパンに、白いふわふわコートを着込んでいて、それがよく似合っていた。 銀髪の少女は、エスカレーター近くに設置された長いすに腰掛けると、手にしていたお菓子を頬張り始めた。このフロアでは製菓材料だけでなく洋菓子が売られていて、それを購入したらしい。少女は幸せそうにブラウン色したクレープを食べていた。 空奈はその少女にひょこひょこと近寄ると、後ろから声をかけた。 「ごきげんよう黄路さん」 「うわあ!?」 少女は危うくクレープを落としそうになったが、3度ほどお手玉してなんとか落下を回避することに成功した。 「き、君か。驚いたぞ。なぜここに……」 「チョコレートを買いに来たのよ。千景と一緒に」 「なんだって」 きょろきょろ。 「誰を捜しているのかな、疾風」 「うわあ!?」 こっそり近づいていた千景が、空奈の背中から顔を出した。そばにはカートが置いてあって、大量の材料が積まれていた。 「何故貴様までこんな所に!? それといつものコートはどうした!?」 「私は今、探偵としてでは無く空奈の友としてここにいる。よってコートも替わるのだ。ここにいる理由はもちろん、チョコレートを買いに来たのだよ。そう言う君は何用かね。そのコートも一体どうしたのかね?」 「うっ」 疾風は言葉に詰まった。普段から武士っぽいどころか本物の剣士の彼女だが、どうやら女の子っぽい姿や行動を指摘されると恥ずかしいらしい。しかし端から見ると、ほんのり頬を染めている女の子なので、とても可愛かった。 「まあどうでもいいことか。それはともかく君も手伝いたまえ」 「手伝う……だと?」 疾風は瞳に猜疑心を一杯込めて睨み付けた。その言葉に一体どんな罠が仕組まれているのかと警戒しているのである。彼女は今まで、千景の口車によって幾度もなくしてやられていた。 「そう。我々はこのバレンタインデーを利用して、日頃世話になっている組織の人たちに感謝の意味を込めてチョコレートを渡そうと画策している。今回はその材料を購入しにここまで来たのだが……、君も一緒にやらないか?」 「ふむ……」 疾風は腕を組んで思案顔になった。 「案ずるな。私が企みごとをしているわけではない。ただこの機に、皆とより親しくなるチャンスを得ようと、空奈が言ったのだ。たとえば二岡さんとか」 「二岡さんはともかく、貴女もこんな時くらいは謝意を示した方が良いと思うわ」 「空奈。それは本日二度目だ」 「あら本当だわ。でも本当のことでしょう」 千景は淡々と、空奈はぼんやりと言葉のやりとりを交わす。そんな様子を見て疾風は、この二人は相変わらずだなあと思った。 「…………。まあ、その考え自体は理解できるがな……」 「なら決まりね」 空奈は、ぽふりと両手を打ち合わせた。疾風はやや納得のいかない顔をしていたが、それでも否定することはなかった。 「早速、会計をすませてこよう。疾風、君、全額払いたまえ」 「割り勘に決まっているだろう!」 というわけで、疾風が仲間になったのだった。 ハンター本部にはいろいろな施設がそろっている。カフェやバーもあるし、休憩室もある。そしてもちろん調理室も。だから本来はその調理室を使うべきなのだろう。しかし空奈達が今いるのは千景の部屋であった。別に深い理由があるわけではなく、単にそこは他の人が使っていただけだった。 今、テーブルの上には大量の材料が鎮座している。不特定多数の人間に配るので大変な量になってしまったのだ。そして床には潰された状態の小箱の束。お菓子が完成した暁には、この箱にしまってラッピングするのだ。 「こうしてみると壮観ね」 「うむ。出費はかさんだが、その分上等な材料がそろった。珍しく事件に遭遇しなかったし、ここまでは上々だ」 「お前達は出かけるたびに事件に遭遇するのか?」 疾風が些細なところを突っ込んできたが、千景は無視して話を進めた。 「さて。これから調理を開始するわけだが、制作するお菓子を確認するぞ」 エプロンを装着して、ゴスロリメイドさんみたいになった千景は更に続ける。 「まずはトリュフ。それからオレンジリキュール入りの生チョコ。バナナ入りのチョコケーキ。そしてチョコ苺。結構な品数になるし空奈は初心者だが、幸い疾風はそれなりに経験があるから、無事作りきることは出来るだろう」 「まあ、黄路さんはお菓子作りをしているのね」 感心する空奈は、シンプルなピンクのエプロンをつけていた。 「…………な、なんで貴様がそれを」 ショックを受けているらしい疾風は、白いふりふりエプロンだった。 「洋菓子好きが洋菓子を作ろうとするのは自然な成り行きだよ。それに情報収集は基本だ。それより君、空奈の横に並んでくれ」 「?」 ハテナマークを浮かべつつも言われたとおりにする疾風。 「はい、チーズ」 かしゃり。 デジカメに、にっこり笑顔の二人が納められた。 「はっ。貴様、いきなり何をする!」 「記念撮影だ。さて、早速作ろうか。ああ、チョコレートのテンパリングは私がするから安心したまえよ」 「むうっ」 むすっとしながらも準備に取りかかる疾風。なんだかんだといってもお菓子作りが楽しみらしい。空奈も千景の指示の元動き出した。 粉をふるったり、生クリームを混ぜたり、苺のへたを取ったり、バナナをバターでソテーしたり……。 いろいろやって、数時間。そこから更に箱詰めに1時間。 かくして、ざっと百人分のチョコセットが完成した。 「できたわね」 パソコン席に座ってホットチョコを飲む空奈が、床に積まれた箱を見て言った。 「我ながら見事な手腕だったな」 自分のベッドに腰掛けてホットチョコを飲む千景が、自画自賛しながらうんうんと頷いた。 「…………ふん」 キッチンにあった椅子を持ってきて座りホットチョコを飲む疾風が、悔しそうにそっぽを向いた。本当に千景の手腕が確かで、自分よりも優れていたのでそれが気に入らないのだ。彼女はきっと、隠れてお菓子修行をすることだろう。疾風は何事でも千景には負けたくない質なのである。 「それにしてもこれ、おいしいわね」 「……プラリュのチョコを使ってるんだ。美味しいに決まっている」 空奈の呟きに、疾風が答えた。 「詳しいのねえ」 「そうでもないさ」 感心する空奈に、疾風は素っ気なく答えたが、よく見るとちょっと嬉しそうである。基本的に彼女は単純思考であった。 「美味しいのは千景の腕もある。くやしいが見事なテンパリングだった」 おやっと空奈は思った。彼女が素直に千景のことを褒めるのは珍しいことだった。とうの千景は、我関せずと言ったふうで、黙ってチョコを飲んでいる。 「テンパリングって、チョコレートを溶かしてかき混ぜることでしょう。そんなにも難しいことなのかしら?」 「難しい。まずチョコレートにはカカオバターが使われているのだが、そのカカオバターは複数の油脂分によって構成されていて、それぞれ融点が違うのだ。その融点を合わせるためのテンパリングで、失敗すると白くなったりする。成功すれば、あれのように艶やかなチョコレートになる」 疾風は積まれた箱を目で示しながらそう説明した。 「へえ……」 「まあ、それはともかくだ。後は配るだけだな。しかしこれだけあると運ぶのも一苦労になるな」 「その点は問題ない」 今まで黙っていた千景が口を挟んだ。 「確かに大量ではあるが……。だが疾風なら持てる。君なら出来る、私はそう信じている」 「俺が運ぶのか!?」 「まあ。黄路さんはたのもしいわね」 「もちろん。彼女はすごいからな」 「何を決定事項のように言っているのだ!?」 抗議する疾風。しかしもちろん、それが通るわけが無いのであった。 本日は待ちに待ったバレンタインデー。本部内は、どことなくみんなそわそわしていて、くすぐったい雰囲気だった。 そんな中で密かに意気込む少女が3人。 「さて、準備は良いな」 「もちろん。でもちょっと緊張するわね」 千景の確認にすかさず答えた空奈は、喪服のツーピースではなく、普通のおしゃれなツーピースだった。さすがにこんな時にまで喪服は着ない。 「…………」 むくれ顔の疾風は軽く頷くだけだ。何故むくれているかというと、一人、チョコを積んだカートを押す係だからである。まあ、ほんの数パーセントだけ、服装に対する不満もあるのかもしれない。彼女は今、いつものパンツルックではなく、ふりふりワンピースを着ていた。髪も縛っていない。もちろん千景と空奈が無理に着せたのである。しかし模擬刀だけは携えていて、それが似合っているような似合わないような。 「疾風。君はこうしてみると可愛いな」 「かわいい言うな!」 千景がしみじみというと、疾風は即座に叫んだ。そんな彼女の様子に千景は肩をすくめてみせる。 「やれやれ。褒めているというのに……」 「お前はただ、からかっているだけだろうが!」 「あら。わたしも可愛いと思うわ」 「………………ふん!」 空奈が口を挟むと、疾風はそっぽを向いてしまった。ほんのり赤くなっているのは照れているからだろうか。 「では行こう。まずはおじさまの所だな」 三人は出発した。 長い廊下を抜けて、ボスのいる部屋へとやって来る。 こんこんっとノックすると、程なく、どうぞ、と声が聞こえてきた。 「失礼します」 入室すると、おじさん3人と、幼い少女が1人。ボスとその傍らに部下の人、そしてハンター組織内の風紀を司る部署の長である柚木がいて、その傍らに寄り添うように烈がいた。どうやらお話中だったらしい。 「三人そろってどうしたんだ?」 「もちろんチョコレートですよ、おじさま」 千景が答え、空奈はみんなに対してチョコを渡した。 「どうぞ」 「あ、ああ」 3人のおじさんはまさか自分が事務員さん以外からチョコをもらえるとは思っていなかったらしく、驚きの表情をしていた。 「普段から世話になっているので、そのお礼です」 疾風がやや下方に目を向けながら言うと、ボスは笑みを浮かべた。 「そうか。それは……ありがたく受け取らなければな。なあ?」 「うむ……」 普段は厳しい顔をしているハンターガイストも、こんな時は違うらしい。いかめしい顔は相変わらずでも、その目は柔らかかった。 「ま、まさか……私が義理チョコではなく感謝チョコをもらえるとは……」 涙ぐんでいるのは名も無き部下A(仮)さんだ。 「しかし今は勤務中ですが」 一人顔をしかめた烈が、柚木にたいしてそう進言する。そんな彼女に、柚木は寛容な笑みを浮かべ、静かに言った。 「確かに。だがな、規則一辺倒も考え物だ。必要なのは許容と断罪のバランスなのだ。わかるか」 「……はい」 「力無き正義も、信念無き飾りの正義も愚かだが、人情なき正義もまた悪だと心得よ」 なんという格好いい台詞。空奈はちょっとしびれてしまった。表にはおくびにも出さないが。 「はい」 納得したのか、烈も小箱を受け取った。 「それでは、ほかの方達にも配りに行かなければならないので、これで失礼します」 「ああ。ありがとう」 3人はぺこりとお辞儀をすると次へと向かった。 「さて……次は休憩室かな。この時間なら」 そんな千景の呟きが廊下に響いたその時だった。 向こう側から同じ顔の二人組がやってきた。片方は疲労困憊で、もう片方は元気いっぱいの様子。最近やって来た95号ことクーゴとその祖母の冥だ。 「訓練の帰りですか?」 千景が尋ねると、元気な方が頷いた。 「ええ。まったくこの子と来たら、あのくらいでへこたれるなんて……」 嘆かわしいと言わんばかりに冥は首を振った。 「あの、でもいつもよりハードだったし……」 言い訳をするクーゴは、とっても弱々しかった。 「まあそれはいいとして。これをどうぞ」 千景は、チョコレートを二人に渡すよう疾風に指示した。まったくこいつはと心で呟きつつ、疾風は二人に小箱を渡した。 「おや。プレゼントかい?」 「バレンタインなので。日ごろの感謝を込めて知り合いに配り歩いているんですよ」 「ふーん。ま、頂いておくよ」 冥は早速ラッピングを解くと、トリュフをひとつまみ。口に放りこんだ。 「んん? おや。うまいじゃないか」 どうやらお気に召してくれたようだ。 「……それにしてもクーゴ、大丈夫か?」 一方、あまりにふらふらなので心配になったのか、疾風がクーゴに声をかけた。 「は、疾風ちゃん……」 可愛い子に心配されて、クーゴは感極まったらしい。 「心配してくれてありがと……う!?」 恐ろしい速さで疾風に抱きつこうとして……動きを止めた。クーゴの喉元に模擬刀の刃が触れていた。 「あ、す、すまん。つい」 いそいそと刀をしまう疾風。 以前、クーゴはむやみやたらといろんな可愛い子に抱きついていたので、いろんな可愛い子に警戒されるようになってしまったのだ。それは疾風も例外ではない。今はクーゴもちゃんと自重しているし、みんなもそれは解っているのだが。 「いや、その、剣士は同じ相手に二度負けられないと言うか、とにかく悪かったな」 よろよろの相手に刀を抜いてしまったことを悔いているのか、疾風は素直に謝った。 「うん、それはいいんだけど、今、抜く手も見えなかったし音も気配も無かったんだけど……?」 以前は軽く回避出来たはずの疾風の一撃を見切ることが出来なかったのが不思議らしい、クーゴは呆然としていた。しかし冥は感心するように頷いた。 「なるほど。目にもとまらず察知もさせず。例え見切れても避けられない居合いか。その若さで大した速さと練度だよ」 「おばあちゃん、見切れてても避けられない居合いってあるの?」 そんな素朴な問いかけに、冥は深くため息をついた。 「いくつも修羅場をくぐり、本物の達人の域に至れば、ああいった受けざるを得ない攻撃も出来るんだよ。剣に限らずね。それに比べてクーゴ、お前は年上だというのに情けないねえ……。こんな小さな子ですらあれだけ出来るというのに。避けろとは言わないけど、あの速さを見切れないでどうするんだい。おばあちゃん泣きそうだよ。どうやら相当仕込みが甘かったようだね」 「え? お、おばあちゃん!? なんで引きずっているの!? 行く方向逆だよ!? 戻ってるよ!」 「うるさい! しっかり鍛え直してあげるから覚悟なさい!」 「うわああああああああかんべんしてえええええええええ!」 こうして二人は元来た道を引き返していった。 「…………。なんだか解らないけど、大変そうね」 しばらくして、空奈の呟きが廊下に小さく響いた。 「あら?」 休憩室まで後少しといったところ。空奈は給湯室の側で佇む影を見つけた。 背は高く彫りは深く、筋肉は適度に鍛えられ、静かに佇む姿はよく鍛えられた海兵隊のようだ。 「ねえ、あそこに犬がいるわ」 「いぬ? ……い、いぬか? あれは?」 「うん? ああ、ロッキーか」 疾風は目をこすり何度も確認をし直し、千景はその者がそこにいるのが当然であるかのようにその名を言った。 「空奈は初めてだったか。ふむ」 千景は少し考える仕草をすると、一つ頷いてロッキーに近寄っていった。 「ロッキー。お手」 さっ。 「おかわり」 さっ。 「後転」 たんっ。 「ブレイクダンス」 たたったん、たたたたたたた、くるくるくる。 「よしっ。なおれ」 ざっ。 千景の命ずるままに高度な芸をこなすロッキーに、空奈はいたく感銘を受けた。 「すごいわ。あなた、賢いのね」 「いや確かに凄い動きだが、犬なのか?」 疾風がなにやら言っているが、空奈も千景もそれを聞き流す。 「空奈。ご褒美を上げてやってくれ」 「ええ。はい、どうぞ」 「つつしんで頂戴する」 ロッキーは両手で小箱を受け取ると、丁寧にラッピングを剥がし、深く味わうようにチョコを食べた。 「おい、今しゃべった! しゃべったぞ!? しかも手を使った!」 「まあ、賢いだけじゃなくて器用なのね」 「器用って、いや君はそれでいいのか!?」 疾風がまたなにやら騒いでいるが、空奈は軽くスルーした。 「あっ。ほらナオ、わんちゃんがいるよ」 後ろから女の子の声がした。 振り向いてみると、高校生くらいの女の子と、小さな娘が近寄ってくるところだった。紫苑とナオ、ああ見えても二人ともハンターである。 「ごきげんよう」 千景が声をかけると、紫苑は手を振って挨拶を返した。 「こんちは〜。今日は3人そろってどしたの? あっ、その箱もしかしてチョコ?」 「ああ。皆に配り歩いているところだ。お二方もどうぞ」 肯定すると、千景は小箱を二つ、紫苑に手渡した。 「おっ、わるいねえ。ありがたくちょうだいするよ。はい、これはナオの分だよ。ほらほら、ありがとうって言わないと」 紫苑は、自分の後ろに隠れているナオに小箱を渡しお礼を促した。しかしナオは、小箱を受け取ったものの、紫苑の背から出ようとはしなかった。どうやらおびえているようだ。 「もうっ、こう言うときはちゃんとお礼を言うもんだよ」 「…………」 それでもナオは、黙ったまま。紫苑はやれやれと言わんばかりに肩をすくめると、ラッピングをはがして小箱を開けて見せた。ナオはおそるおそる小箱の中身を見ると、瞬間、顔を輝かせた。 「こ、この苺、かぁぁいいよう!」 ひょいっと、チョコ苺をひっつかむと、反転して、スキップ混じりに駆け出した。 「おっもちかえりいいいいい!」 「あっ、ちょっとナオ! それ、あんたのにも入ってるって! まちなさい! まてぇ〜〜〜!」 慌てて後を追う紫苑。 こうして、後には空奈達と犬が残された。 「これは喜んでもらえたと思って良いのかしら?」 「良いと思うぞ」 空奈の疑問に、ロッキーは律儀に答えてくれた。 さて、休憩室にたどり着くと、ちょうど水野さんと沢田さんと安土さん、そして3号こと珊瑚さんが雑談していた。安土さんは大きなバックを持っていて、どうやら空奈達と同様にチョコを配り歩いているらしい。 「ごきげんよう」 「あ、3人ともどうしたの?」 千景が声をかけると、沢田さんがほんわか笑顔で応対してくれた。 「毎度お世話になっているので、そのお礼にチョコを配り歩いている所だよ」「はい。どうぞ」 千景が答え、空奈が4人に小箱を渡す。 「あら、愁傷な心がけじゃない」 「格好もいつもより可愛いのねえ」 「ふふ。中身はなにかな?」 「ありがとう。じゃあせっかくだから、こっちのも渡しておくね」 順に、珊瑚さん、水野さん、沢田さん、安土さんである。 「あ、どうもすみません」 チョコを受け取った空奈は、ぺこりとお辞儀をした。その様子はちょっと堅くて、それが伝わったらしい、安土は気の優しい笑みで空奈の頭を軽くなでた。 「あ、そうだ。空奈ちゃんちょっと頼みがあるんだけど」 沢田さんが何を思いついたのやら、そんなことを言ってきた。 「なにかしら」 「ほらこれ」 沢田さんが空奈に見せたもの。それは雑誌の占いコーナーだった。どうやら先ほどの雑談はこれについてだったらしい。 女性というのは占い好きなものなのである。 「これって結構当たるって評判なんだけど。プロの空奈ちゃんから見てどうなのかな?」 空奈は、カフェでのんびりしている時に限り、占いを請け負っているのだ。組織に馴染む活動の一環であり、おかげさまでそこそこのお客さんを集めている。沢田さんはその中でも常連さんであった。 「どうといわれても……」 空奈は中身を読んでみた。内容は良くある星座占いで、恋愛がどうとか仕事がどうとか書いてある。当たり障りのない、どんな場合でも当てはまるような訓辞が載っている。 「これは占いと言うのかしら? 確かにそれらしいことは書いてあるけど」 空奈が疑問符を浮かべると、沢田さんは不満そうに唇を尖らせて、反対に珊瑚さんはそれ見たことかという顔になった。 「こう言うのは適当に書いてあるもんよ」 「でもさー……ぶー。じゃあ、空奈ちゃん替わりに占ってよう」 だだをこねる沢田さん。なんだか子供みたいだ。 「なにを?」 「じゃあ、今日の運勢」 「今日ね。これといって波乱はないでしょうけれど、ちょっと楽しいことが起きると思うわ。つまりいつも通りね。でもあまりはじけすぎると引きこもっちゃうだろうから気をつけてね。フラグが立ちかけているから」 「ええ? ふらぐ?」 即断されて、沢田さんは戸惑った。空奈はいつもはタロット占いなのだ。希に夜になると星占いも行っているが、何の動作もせず答えられたことは無かった。しかもフラグときたもんだ。 「基本的に未来は流動的だけど、たまに不動になるものなのよ」 「あの、タロットは使わないの?」 そう言われて、空奈は小首をかしげた。そして千景の方を見ると、彼女はやってみたらと目で語っていた。その隣の疾風は興味深そうに此方を見ている。 「それじゃあ、やってみましょうか」 空奈はポケットからタロットカードを取り出すと、器用にカードをカットした。十分に混ざったところで、今度はテーブルに広げて沢田さんにカットさせ、まとめ、テーブルに置いてもらう。 「それじゃあ行くわよ。まず一枚目。現状。星の正位置」 空奈が一枚めくると、果たしてそれは星の正位置だった。 軽くざわめきが起きるのを無視して空奈は続ける。 「これは悪いカードじゃない。元気で明るく、太陽ほど激しく強くはないけれど、良い状態といえる。続いて2枚目、今日の運命。審判の正位置」 めくると、やはり言ったとおりのカードが現れた。 「これも良いカード。自分にとって良い方向へと転がるカードよ。きっと良い日になる。次は、その運命の裏付け。完全にうまくいくのか、それともどこかに穴があるのか。3枚目は、太陽の逆位置」 めくり、当然のように太陽の逆位置が現れる。 「よかれとしたことが裏目に出る可能性があるわ。あるいはやりすぎてしまうかも。ではどうすればいいのか。4枚目、節制の正位置」 めくり、宣言通りのカードを手にとって、空奈は言った。 「ほどほどにしましょうということ。つまり、いつも通りでしょう?」 「ほえ〜……」 ほうけた顔の沢田さん。見慣れているはずだが、それでも驚きを隠せないようだ。 「手品かしら……」 「いえ、そういったごまかしはしてませんし、カードも傷一つありませんよ。私が保証します」 珊瑚さんが疑いの目を向けたが、すぐに安土さんが否定する。彼女の視力は確かであった。 「本物はやっぱり凄いのねえ」 水野さんはすっかり感心して、カードを手に取っていた。 「おい」 つんつんっと、疾風が千景をつついた。 「ん?」 「あれか彼女の能力なのか?」 「そうだ。すごいだろう」 「ううむ……」 腕を組んで難しい顔をする疾風。以前、千景が疾風に言った、彼女は凄いという言葉の意味をようやく理解したらしい。 その時、かちゃりとドアがあった。 まず入ってきたのは、やはり事務員の華さんだった。綺麗だしいい人だが、話をちゃんと聞かないのが玉に瑕だ。噂によれはただ者ではないらしいが、その真偽は不明。 続けて入ってきたのは白髪三つ編みの女の子。事務員の制服を着ているものの、幼い外見のせいか、あまり似合っていない。でもあと5年くらいすれば似合うようにもなるのだろう。 しかし変だなと空奈は思った。四葉は半田姉妹の一人、つまり元男であり、それゆえなのかあの制服を着ようとはしなかったはずなのに……と思ったところで答えが浮かんできた。チョコを配るのは何も自分たちだけではない。事務員さん達もまた、日頃の苦労を労うために職員さん用のチョコを用意していたはずだった。おおかた、事務員としてチョコを渡すのだからちゃんと事務員の格好をしろと言われたのだろう。四葉は押しに弱かった。 「思ったより手間取ってしまいました」 「ごくろうさま。ほらほら、座って座って」 水野さんに勧められて着席する華さん。 「先輩、遅くなりました」 「もう四葉ちゃん、後少し早く来ればすごいの見れたのに」 「ええっ? 今すごいことがあったんですか?」 沢田さんの言葉に、四葉は目を丸くする。 「ま、次の機会があったら見ると良いわ。本当にたいしたもんだったから。それよりこれね」 「どうぞ」 珊瑚さんの後を継ぐように、空奈は四葉と華さんに小箱を差し出した。 「まあ、ありがとうございます」 「ぼ、ぼくももらえるんですかっ!?」 大人らしく、しとやかな笑みを浮かべる華さんと、うわーいと喜び小躍りする四葉。 「あそこまで喜ばれると悪い気はしないわね」 「まあな」 空奈の言葉に、疾風が頷いた。 「さて、次は医務室へ……」 と千景が言いかけたところで、今度は凄い勢いでやって来る男二人がこっちに向かってきた。27号こと高荷と、24号こと西だった。二人はストレッチャーを押していて、そこに寝転がる男が一人。5号こと五代だった。 「しっかりしろ、傷は浅いぞ! 多分な!」 「おい、痙攣が激しくなってきたぞ! 大丈夫か!?」 「大丈夫いける! 速さは俺の手の内にある!」 「なにいってんだ! ふざけるな!」 等と言いつつ、二人は爆走している。これがストレッチャーレースなら、かなりの好タイムが期待できるだろう。 ストレッチャーは途中で止まり、これから向かおうとしていた医務室へと入っていった。 「あら。どうしたのかしら」 「おおかた予想は付くが、入ってみるか」 千景の先導の元、医務室のドアをあけると、まず、痙攣している五代の姿が目に映った。 五代を診察するのはこの部屋の主である百恵と、その助手代わりの看護婦、さつきといづなだった。それをちょっと離れたところで見守る高荷と西。 「ん? 君たちか。どうしたんだ」 馴れた手つきで診察しつつ、百恵が尋ねた。 「日ごろの感謝を込めてチョコレートをと思いましたが、取り込み中みたいですね」 「ああ、予想はしているだろうが、5号がまた1号を怒らせたらしい。見た目よりはひどくないから、すぐに復活して1号の元へと向かうことだろう。……。そう言えば今日はバレンタインだったな」 「はい。とりあえずここに人数分置いておくので、よかったら食べてください」 「すまんね」 千景は小箱を6個隅に置くと、速やかに退室した。治療の邪魔になってはいけないからである。 ドアを閉めると向こう側から……。 「うおっ、チョコだ! チョコケーキだ!」 「苺もありますね。しかしまさか先輩が貰えるなんて……あいたっ!?」 なんて言うさつきといづなの声が聞こえてきて、思わず空奈はクスリと笑った。 「相変わらずだな、あの二人は」 「そうね。それで次はどこへ行きましょうか」 尋ねると、千景は一瞬だけ考えるそぶりを見せた。 「一番近いのはイルダさんだが、彼女はこの行事を良く思っていないし、カフェには春さん達がいるが、仕事の邪魔をするのも忍びない。やはり調理室へ行こう」 空奈はこくりと頷いた。 今頃、半田姉妹とプラスアルファがチョコレート作りに励んでいるはずだった。いや、すでにラッピングに取りかかっているかもしれないが。 「おや、こんにちは。その箱はチョコレートかい?」 ばったりと。曲がり角で白衣の男性と出くわした。 開発部の石川だった。白衣のポケットに両手を突っ込んで、のんきな顔で笑っている。 「はい、配っている最中です。石川さんもお一つどうぞ」 「わるいね〜」 石川は空奈から小箱を受け取ると、早速箱を開けて生チョコを手に取った。 「ぱくっ。……ん〜、おいしいよ。みぃちゃんも今頃こんなチョコを作ってるのかなあ」 「おや。それじゃあ石川さんも調理室へ?」 千景の問いに、石川は肯定した。 「うん。うまくやってるといいんだけどね」 心配そうな言葉とは裏腹に、彼は笑顔を崩していなかった。まあうまくやっているだろうと楽観視しているのだ。ちなみにみぃちゃんとはネコの名前ではなく、彼が生み出した生体アンドロイドだ。彼は見かけに寄らず天才科学者であった。 「なら、一緒に行きましょうか」 「そうだねぃ」 そろって歩き出す。 長い廊下をひたすら進み……調理室へとたどり着く。 ドアを開けると、そこはカオスだった。 「ねえ未央、これはこのリボンでよかったっけ?」 「違うそれは青色だ。あっ、こらニコ! そっちは食べちゃ駄目だ!」 「まあまあ、少しぐらいいいじゃん」 「がうー」 「まあ、お口がよごれていますわよ」 「いやモニカ、それよりも……」 「い、いちごー! こっち来てくれー!」 「りく? げえ!? 未来おまえなにやって」 「え? うわこれ小麦粉じゃないか!」 「きゃははははは!」 「そう言えば砂糖と塩を間違える人がいるけど、舐めればすぐ解るよね。ねえ、そうは思わないあんず」 「それはそうだけど、双葉? それはいれすぎだとおもうの」 「姐さん! こっちはラッピング終わりました!」 「ようし、よくやったぞ! 次は……あっ、待て伊奈! その手に持ってるのはなんだ!?」 「ねーねー睦美ちゃん。ちょこれーとに血を入れると美味しいってほんとかなあ?」 「違うって! 断じて違う! だから刺さないでー!?」 「ああもうみんな落ち着いて……ええい、こうなったら、なずなく……むぐっ」 「それはだめだ!」 「よくやったみこ!」 「……ワタシ、帰っていいアルか?」 「あはは。お菓子作りって楽しいねえ」 「うふふ。そうですわね華代ちゃん」 「みんなお菓子作りがおじょうずおじょうずなのですよ」 …………。 と、こんな感じに調理室は騒がしいことになっていた。なんだかすごい存在まで混じっている気がするが、それも気にならないほどのごちゃごちゃぶりである。 「おーい、みぃちゃ〜〜〜ん」 「あっ。お父様〜」 石川が呼びかけると、緑髪の少女が手を振りふりしながら駆け寄ってきた。手にはもちろんラッピングされたチョコレート。 「来てくれたんですね」 「やあ、みぃちゃん。どうやら上手に出来たようだねい」 「最初はちょっとたいへんだったけど、猫さんと一緒に作りましたぁ〜」 「は、博士」 此方に気が付いたねこが小走りでやって来る。 「あ。あの。その、自分で言うのもなんですが結構うまく作れました。ので、えっと、うけとってください」 「うん、ありがとう〜。あとでゆっくり頂くとするよ」 いつもの元気は何処へやら、今のねこはちょっと挙動不審気味で、それに比べて石川はいつも通りであった。 「さてと、みぃ。済まないがこれを受け取って貰えないだろうか。みんなの分だ」 カートに乗った小箱達を指さす千景。それを見てみぃは朗らかな笑顔で承諾した。 「はい! みんな喜ぶと思いますぅ!」 この後、カフェに足を向けると、そこでは予想通りバレンタインフェア中で大忙しの様子だった。ウェイトレス姿の一郎と散が動き回り、春が調理をし、ケイがよく分からないチョコレートを発明しては怒られていた。 「おい、これはどうだ! イカの塩辛ウスターソース味のホワイトチョコだ!」 「却下です。あ、一郎、これを2番席へ持っていってください」 「はい」 「では……これはどうだ!」 「うわっ、大きい上に堅いっ。もう、ケイちゃんってば。普通に作ってくださいよ。か」 「それ以上言うな!」 「まだ何も言って無いじゃないですか兄上」 目が回りそうなほど動いてるが、楽しそうである。 空奈達は春にチョコレートを渡すと、邪魔にならぬよう速やかに退散した。 それからイルダさんに、これはバレンタインとは関係なくただの日頃のお礼だと言って受け取らせ、ついでに64号にも手渡して、さらに受付のお姉さんやらお花さんやらにも配り歩いた。しかし7号こと銀河には渡さない。嫌いだからではなく、渡せば彼が大変なことになるので、あえて渡さなかったのだ。 小箱も後2個となったところで、千景が言った。 「そういえば二岡さん達を見かけないな」 「出かけているのでしょう。何時帰ってくるかは解らないから、そこまで付き合わなくても良いわよ。会ったら私が渡すから」 「そうか。じゃあ、望遠カメラで捕らえるから、君は安心して渡したまえよ」 「カメラが出てくる理由が分からないけど、まあちゃんと渡させてもらうわ」 などと言っていたら、その二岡と出くわした。 「空奈ちゃん。千景ちゃんも……あれ、疾風ちゃんも」 「ごきげんよう、二岡さん」 「今日は黒い服じゃないんだね。うん、そういう服もいいよね……って、あれ、疾風ちゃんも何でそんな可愛い格好?」 「放っておいてくれ」 疾風はそっぽ向いた。 「それでね、これなんだけど」 空奈は薄く頬を染めながら、残りの小箱を手に取った。 「いつもお世話になっているからそのお礼よ」 「……ば、バレンタインの……チョコだって!?」 「大げさね」 「だ、だって……自慢じゃないけど、俺、母さん以外にチョコもらったこと無いんだけど!」 情けないことを告白する二岡。 「きみ、悲しい青春時代だったんだね……」 隣にいた臼井がしみじみと言った。 「あら、臼井さん。いたの?」 「いたよ! 僕はここだよ! ここにいるよ!」 そう叫ぶものの、彼女はやっぱり影が薄かった。なんだか二人から哀愁が漂って見えて、空奈は同情を禁じ得なかった。 「そう……。はい、臼井さんにもチョコレート」 「あ。ありがとう! やった、初めてチョコ貰えた!」 「…………臼井さんも悲しい青春時代だったのね」 和気あいあい。 千景にしか見分けは付かないだろうが、空奈はとても楽しそう。そんな彼女を、千景と疾風は遠巻きに見つめていた。 「ふむ……」 千景はデジカメを取り出すと、ぱしゃりと一枚。 それを見て疾風が問いかける。 「前々から思っていたが……」 「なにかね」 「貴様は写真が趣味なのか?」 「いや。……いやそうだな。これも趣味なのかもしれないな」 「なんだそれは」 あきれた顔の疾風に、千景は言い返すことはなかった。 その代わりに。 「はい、チーズ」 ぱしゃり。 にっこり笑顔が撮影された。 「はっ!? 何勝手に撮っているんだ!」 「君、実はモデルに向いてるんじゃないか? 写真もたまってきたし、今度写真集を作ってやろう。ありがたく思いたまえ」 「作るな!」 こうして、空奈のバレンタインは終わった。 調理室ではちょっとした騒ぎがあって引きこもりやらなんやらが発生したようだが、概ね良い日になったといえるだろう。 夜。 空奈はお風呂に入ってパジャマに着替え、ベッドに腰掛ける。 「一つ訊いていいか?」 やはり湯上がりパジャマ姿の疾風が、立ったまま仏頂面で問いかけてきた。 「なあに?」 「何故俺はここにいるんだ」 「あら。パジャマパーティーって知らないの?」 「いや、そうじゃなくってな」 「疾風はこう言ったことが初めてだから緊張しているんですよ」 疾風の言葉にかぶせるように、千景が言った。彼女もやっぱりパジャマ姿で、表情も口調も柔らかく上品だった。元々の彼女はお嬢様っぽいのである。「ふうん。まあそう堅くなることはないわ。とりあえず、ゲームでもして緊張をほぐしましょう」 「いやそうでも無くってな…………げーむ?」 「ええ。勝負してみる?」 「まあ、勝敗は決まってますけどね」 不敵に微笑む空奈と千景。疾風の頬が引きつった。先ほどのお風呂での勝負では完敗だったのを思い出したらしい。何の勝負かは聞いてはいけない。 「むっ。……いいだろう。俺の力を思い知るがいい!」 かくして、勝負が始まった。 どうやら空奈の今日は、もうしばらく続きそうだった。 |
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