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ハンターシリーズ136
『SP』

作・Bシュウ

 

※このお話はフィクションです.実在の地名,人名とは一切関係ありません.

 その日のいちごはすこぶる機嫌がよかった.今の姿になってから朝は調子が登らないことが多かったが珍しく今日は絶好調なのだ.

「ふんふふ〜ん♪」

 思わず鼻歌など漏れてしまう.意気揚々と本部の入り口に差し掛かった時,異様な気配を感じていちごは身構えた.

(殺気……?)

 何故だかわからないがいちごは最大限の注意を払って本部へと入っていくことにした.

(……気のせいか?)

 いちごは中に入ったが,別段変わったところはない.見慣れた風景だ.とりあえずボスの部屋へと向かう.そして食堂の前を通りかかった時,傷だらけのガイストが86号に手当てを受けているのが見えた.たくましい上半身に無数の生傷がついている.

 横目でそれを見ながらいちごは,

(……相変わらずいい体してるなぁ.男のときは俺だって…はぁ)

 ため息と共に視線を自分の胸元に向ける.そこには女性らしいふくよかな膨らみがしっかりとその存在を主張していた.ブラジャーによって支えられているが,歩くたびに確かにその存在を感じる.もうこの感覚にも慣れてしまった.

 ちなみにその時食堂の二人の間では,

「ぐっ!」

「あら……まだ動いちゃ駄目ですよ! 結構深い傷なんですから」

「そう思うならもう少し丁寧にやれ」

「まったく……『犬』に本気を出すなんてあなたらしくもない……」

「ふっ……ヤツとの決着は次に持ち越しだな……」

「もう……男っていうのは.ふふ……あなたももう若くないんですからね.あまり無茶はしないように」

「ふんっ……」

 という会話が交わされていたのだが,幸運(?)にもいちごの耳には届かなかった.

――――

「…………」

 ボスの部屋の扉の前でいちごはしばし立ち止まっていた.なんというか『熱気』がむんむんと扉の前から伝わってくるのだ.本部の入り口で感じたモノの正体はこれに間違いない.しかもいちごはその『熱気』に心当たりがあった……できれば思い出したくない記憶が甦る.

(いや……まさか……な……)

 限りない不安を抱え,祈るようにいちごは扉を開ける.そこにはボスと……もう一匹,2メートルはあろうかという筋骨隆々の大男.体のラインを際立たせるぶち模様の全身タイツを着ている.顔にはご丁寧に犬の鼻の形をしたマスクまで装着し,そして何故かサングラスをかけている.一度見たら決して忘れることのできないその風貌,アメリカ情報部所属対真城華代特別犬,ロッキーであった.

 いちごは眩暈をおぼえた.そしてボスが口を開く.

「君は以前一緒に任務についたことがあるから彼の紹介は省かせてもらう.今回の任務は急な話でね.時間が無い」

「はぁ……で,その内容は?」

「SP……要人警護だ.それも明日行われる日米首脳会談の……な」

「え!?」

 驚きの声をあげるいちご.確かにハンター組織も一応は国家機関なのでそういうことがあってもおかしくは無い.一応ちょっと前までは荒事になれている連中もたくさんいたわけだし(彼らは例外なく女性化してしまっているが).それでも今回の話は信じられない.

「なんでまたうちに……普通に警視庁の方が手慣れたスタッフがいるでしょう?」

 するとボスは一枚の紙をいちごに差し出した.

「先日,アメリカのTV局に送られてきた犯行予告だ」

 そこには武力でのテロ行為で有名な組織の署名と共にアメリカの体制や対外政策について書かれていた.そしてその中程に,

「『……なお期日までに我々の要求が受け入れられない場合.来たる日米首脳会談において神から賜りし『KAYO MASHIRO』の力をもって諸悪を殲滅せんとする』…って!?」

「まぁそういう訳だ……」

「いや……いたずらじゃないですか? 大体,華代なんて私達以外からすればうさんくさい都市伝説レベルの話ですよ?」

「上のほうでは,逆にこれほど有名な連中が名前をだしたことを危険視しているんだ.万が一にも一国の首脳が公衆の面前でTSされるなんてことがあれば国の面子が丸つぶれだからな」

 ボスが深刻な面持ちで言う.

「というわけで君には阿倍首相のスタッフという形で最前線にたってもらう.最悪,相手が直接的な手段に及ぶ可能性も残されているので十分注意してくれ」

 いつになく真剣なボスにいちご自身も気を引き締める.渡された資料に目を通していると,ようやくロッキーが口を開いた.

「会いたかったぞいちご……勘は鈍っていないだろうな?」

『むわっ』としか表現できないような目に見えない圧力がいちごを襲う.思わず仰け反りそうになるが踏みとどまる.

「あ,当たり前だ!」

「今回は任務以外にも合衆国の面子がかかっているからな.前のような腑抜けた態度は許され……」

「あーロッキーだ〜♪」

 その時,コーヒーを持ってきた水野さんが部屋に入るなり歓声をあげる.満面の笑顔でロッキーの頭や腹筋をなではじめる.

「わふっ!」

 ロッキーはいつのまにか四つん這いの犬スタイルで水野さんに擦り寄っている.その異様な絵面にいちごは目をそむけるが,ある事に思い当たった.前にロッキーがきた時は水野さんは確かに奴の正体に気付いていたはずだ.

「水野さん,そいつを見て変に思わないんですか?」

「何が?」

「えーと.つまりこう……変態的な意味とかその辺がですね……」

「私さ,前のときは連れてきただけでろくにかわいがれなくって.今度来たらぜっったいかわいがろうと思ってたのよ! あ〜ん毛並みツヤツヤー♪」

「わふんっ!」

「…………」

 呆然とするいちごにロッキーは得意そうに言った.

「腕を磨いていたのはおまえだけじゃないってことだ」

 いちごは本日二度目の眩暈を覚えた.

――――

 都内某所――首脳会談が行われるホテル内ではスタッフ・マスコミが互いの仕事をすべく慌ただしく動き回っていた.その一角で,

「これが,PASSと身分証.あーはい別にわかってますから……はい,よろしくお願いします」

 謝りながらさっていく相手に愛想笑いで答えつついちごはため息をつく.

「ったく.これで三度目だよ」

「彼らもプロだからな.疑わしきは罰せよとはよくいったものだ」

 それは何か違うだろう,と独りごちるいちご.わかってはいたことだがさすがにうんざりする.きちっとしたパンツスーツにやや濃い目のメイクで何とかごまかそうとしたがいちごの見た目はSP達に混ざって働くには若すぎた.その為かいちいち人に捕まることが多くてうんざりしていた.落ち着きを取り戻そうといちごはロッキーに話しかけた.

「しかしアメリカ側が華代対策にほとんど人員を割いていないとはね.向こうから言い出した事だって言うのに」

「合衆国もプロパガンダに使えないところには厳しくてな……貨物一台分しか予算がでなかったのだ.おかげでランディは留守番なわけだ」

「犬は貨物……か」

「俺が奴の分まで働けば済むことだ.たいした問題じゃない」

「……おまえも色々大変なんだな」

 そこに通路の向こうから3号が現れた.

「犬に話しかけるなんて……いつからあんたそんな少女趣味になったの?」

「……ほっとけ」

 相変わらずいちご以外にはロッキーの演技……は解らないらしい.昨日ロッキーを連れて散歩へいった48号も擦り寄るロッキーをうれしそうに撫でていた.可愛らしい少女と2mの犬男の散歩を思い出してしていちごはげんなりとした.

「記者会見場の様子は?」

「今のところは異常無しよ……まだまだ人の出入りは激しいからわからないけどね」

「本当にヤツがくると思うか?」

「どうだか……最悪あたしが触っておけば相手を欺くことはできると思うけど.それにしても……あんた」

「ん?」

 3号は意地悪そうに微笑んで,

「まったく似合ってないわねその姿……面接にきた学生みたい」

「……ほっとけ」

――――

 会談が行われる部屋.

 彼は悩んでいた.やっと念願の総理大臣になったというものの,内外に残された問題は山積み.さらに前の総理が劇場型政治と呼ばれる位,派手なパフォーマンスを得意としていたせいもあり,ただ堅実にやっていこうとしているだけで世間には「地味」と揶揄されてしまう.

「くそっ…なんで私がこんな目に」

 何とか自分の足元を固めようとしても,まるで謀ったように新たなスキャンダルが沸いてくるし,党の連中は協力しているような素振りを見せるのはうまいが本心なんてわかったもんじゃない.この上アメリカの機嫌まで損ねてしまってはもう終わりである.きっと相手からはまた無茶な要求がくるに決まっているがそれでもここは何とか良い印象で終わらせたかった.

『……国民は外交においての強い意志を期待しており……阿倍総理のリーダーシップが試されるといえます』

 部屋のモニターから,ニュース番組が流れてくる.それを見て思わず独り声を荒げてしまう.

「政治はそんな簡単にはいかないんだよ! ……おっと」

 どこでマスコミが聞き耳を立てているかもわからない.今はこの会談をうまく乗り切ることが重要なのだ.心を落ち着けるため深く椅子に座りなおす.その時,

「おじさん!」

「!?」

 彼の目の前にあらわれたのは年の頃,10歳程の少女だった.本来この場にこんな少女がいるはずがない.とりあえず扉の向こうにいるSPに声をかけようとしたとき少女が一枚の名刺を差し出してきた.

「私こういう者です」

 その名刺には連絡先も住所も電話番号も無く,こう書かれていた.

『ココロとカラダの悩み,お受けいたします   真城 華代』

 いつのまにかTVの音も聞こえなくなっている.その中で少女――華代の声だけがやけに強く聞こえた.

「さぁ!悩みをいってください!」

「う……うむ.実は……」

 彼はたまっていたものを吐き出すかのようにしゃべりだしていた.

「――というわけなんだよ.せめてこの会談だけでもうまく収めたいんだが」

「なるほど〜総理大臣っていうお仕事も大変ですね〜.うーん……」

 華代はしばらく考え込んでいたが急に何かを閃いたかのように大きく頷くと,

「わかりました! 私の力でお手伝いさせていただきます!」

「へ?」

「大丈夫です! これならきっとうまくいきますよ!」

 阿倍総理が次の言葉を発する前に『変化』は始まった.

――――

「いちご! きたぞ!」

「何!?」

 一拍遅れて華代探知機が反応する.しかもその場所は,

「ちっ……よりにもよって!」

 一人と一匹(?)は急いで目的地――阿倍総理の控え室に向かった.扉の前には屈強なSPがいるはずだったのだが,

「う……うああああああ」

「こ……こんな……お,おん」

 華代の力の余波を受けたのであろう鮮やかな振袖に身を包んだ女性達が座り込んでいた.この分だと部屋の中はもう手遅れに違いない.それでも一縷の望みを持っていちごはドアを開けた.

「阿倍総……理?」

 そこにいたのは,華やかに四季の花が描かれた黒留袖とボリューム感のある菱柄唐織りの袋帯に身を包んだ和装美人だった.艶やかな黒髪をアップにし薄化粧を施したその姿からは日本的な色気がこれでもかというほど発せられていた.

「こ,これはまた……」

 着物の持つ一種独特の迫力に思わずみとれてしまっていたいちごは,我に返って『還元』作業を行う準備をはじめた.

――――

「HAHAHAHAHA.まったくこの島国ときたらやることなすことスケールが小さくて困るナ」

 モッシュ大統領は通路を歩きながら早口で補佐官に向かってまくし立てた.

「しかもこれだけ守りやすい場所で阿倍総理が襲われたという話じゃないカ……なんという平和ボケダ!まだまだ我々が『守って』やらねばならんナ」

 そうこうしている間に会談が行われる部屋に到着した.モッシュ大統領はここまでくる途中にいた振袖姿の女性達を思い出し,思わず緩みそうになる口元を締め扉を開けた.

――――

 阿倍総理を元に戻すことに成功したいちご達は彼のたっての希望で後方に待機していた.改めて周囲を警戒しながらロッキーに話しかける.

「それで今回の事,おまえはどう思う」

「十中八九,偶然だな」

「……だろうな.もし任意で華代を呼び出せるなら会談中か公式会見中にでも呼んだほうがより効果的だしな.3号達の方も特に異常はなかったそうだ」

 それを聞くとロッキーは不敵に笑い,

「華代がそれくらい簡単に手なずけることができるんだったら我々も苦労しないんだがな」

「……まぁな」

 その時ドアをノックする音が聞こえた.

「ハロー阿倍総理,襲撃を受けたと聞いたが無事なようでなによ……り……」

 努めて明るい調子で現れたモッシュ大統領はこちらを見るなり呆けたように黙り込んでしまった.

「モッシュ大統領?」

 阿倍総理の言葉も届いてないようで,ある一点,彼の少し後ろの方をずっと見つめていた.その後会談は恙無く終了した.

――――

 3ヵ月後.

 今,いちごがいるのはアメリカで最も重要な建物――ホワイトハウスであった.前回の会談での仕事がえらく評価されたようでアメリカ大統領直々の指名で華代対策のため前回のメンバーに数名のハンターを加えて派遣されることになったのだ.

 一応リーダーということになっているいちごは報告の為にこうしてホワイトハウスを訪れ緊張の面持ちで大統領執務室の扉の前にいる.緊張と不安と少しばかりの誇りを胸に一つ深呼吸をしてドアノブに手をかけた.

「失礼します!」

 扉を開けたいちごの視界はあふれんばかりの薔薇の花で埋め尽くされた.



「で……帰国するなりまた引きこもっているのかあいつは」

「はぁ,大統領の夏休みの間ずっとボディーガードという理由で傍にいさせられたみたいです.さらにこちらの政府からの圧力で常に女性らしく振舞うことを強要されたそうです」

「なるほどな……しかしそれにしても……」

 ボスはそういうなり手元の新聞の見出しに目を向ける.そこには「アメリカから日本にミサイル迎撃システム配備へ!! モッシュ大統領突然の政策転換に議会混乱!」と大きく書かれている.

「これはやりすぎではないか?」

「政府としては喜んでいるみたいですけど」

「……まったくいいから引っ張り出して来い……次は日仏会談のSPだからな」

「追加予算……大きいですね.」


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