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ハンターシリーズ137
『るびーぷりんせす』

作・てぃーえむ

 

 道端に女の子が倒れていた.
 いきなりなんだと思うかもしれないが,車道のど真ん中に倒れ伏していた.
 紅色の腰まで届くふわふわ巻き毛に,赤いふりふりドレス.全身に葉っぱがくっついていて,よくよく見れば,小さな鳥の足跡っぽいものも付いている.強く握りしめているのは紳士が手にしているようなステッキだった.
 その娘を見つけたのは一仕事終えての帰り道でのことだった.昼間だというのに空はどんより曇り模様で,雨が降るかもなーとぼんやり思いつつ運転していたら,視界に赤い物体が飛び込んできた.慌てて急ブレーキをかけて,車を降りたら…….
「だっ,だいじょうぶ!?」
「ほらどいて」
 荒事にも少しずつ馴れてきた二岡だったが,やはり倒れた人に遭遇するのは心臓に悪いらしい.慌てている二岡を押しのけて,トランクを持った臼井が女の子の傍らにしゃがみ込んだ.
 まず横に向けてから,顔色を見る.年のころ17歳前後だろうか.勝ち気そうな美少女だが,病的なまでに真っ白な肌をしていた.
「う……」
 女の子が口を開いて,僅かにうめいた.自ら仰向けになり薄く目を開き,臼井と二岡の顔を交互に見やっている.
「意識はあるんだね.出血はないけれど……」
「うぅ……おなか……」
「お腹? お腹が痛いの? 吐き気は?」
 最悪の可能性を思い浮かべつつ,ベストな対応を模索する臼井の耳に,女の子の言葉が小さく響く.
「おなか……が,すいた……」
「……………………」
 臼井は沈黙した.
「えっと,もしかして……腹ぺこで倒れてたの……かな?」
 半分安堵しながら二岡が言うと,女の子は彼をじっと見つめてきた.
「な,なんだい?」
「にーちゃん……うまそうだな」
「は?」
 二岡は耳を疑った.今,彼女はうまそうだと言ったのか.
 ここで二岡は閃いた.それは天恵と言って……いいものかどうか解らないが,確信が胸をよぎる.
「もしかして……もしかしなくても君は……」
「貴女,バンパイアでしょう」
 いつの間にかやって来ていた空奈が二岡の言葉を先取りすると,女の子はこくりと頷いた.



「うは,うめえ〜.おっとねーちゃん,Bランチ持ってきてくれや」
 ハンター本部にあるブラインドカフェ.その一角に陣取った赤色の少女は,テーブル一杯に食べ物をのせて,片っ端から食べていた.しかも,見た目に反して乱暴な口調で更に注文をしている.
「君,凄い食べっぷりだねえ」
 二岡と臼井はその様子に感心し,逆に空奈は不機嫌そうにそっぽを向いていた.
 路上で彼女を保護した後.
 二岡達は協議の末,カフェに連れて行くことになった.二岡は前例にならって10tだけ彼女に血を与えたのだが,彼女は血以外の食べ物も欲したのだ.関係者以外立ち入り禁止の本部も,カフェだけは一般人をいれる事が出来たので,最寄りの飲食店であるそこへと向かったのだった.
「でもリシェちゃん,お金大丈夫なの?」
 ちょっと心配になって,二岡は尋ねた.リシェというのが彼女の名前で,本当はもう少し長いらしいのだが,彼女はそう呼ぶように要求してきたので,二岡達はそれに従うことにしていた.
「あ? 金?」
 食べ続けていたリシェは,ここで手を止めて顔を上げて,意外なことを聞いたかのように首をかしげた.
「ねえよそんなの」
「無いのおぉ!?」
 二岡は叫んだ.それじゃあこれは無銭飲食なのか.それとも自分が払うのか.愕然とする二岡の様子をしばらくリシェは観察していたが,おもむろに,ぱんっと柏手を打った.
「?」
 ハテナマークを浮かべる二岡に見せつけるように,リシェは重ねた掌を放した.
 ころり.
 小さな玉が転がって,食器と食器の間で止まった.それを彼女はつまむと,二岡にそっと手渡した.
「まあこれで勘定してくれや」
「これは…….はっ!?」
 よく観察して彼は気が付いた.
「ルビーじゃないか! しかもこの深い色,輝き,透明感……ピジョンブラッド!?」
 断定する彼を見て,臼井が一言.
「……君ってときどき凄いよね」
 しかしそんな言葉が聞こえなかったのか,二岡は意気込んでリシェに尋ねた.
「これ,何処で手に入れたんだ!? ていうかいきなり出てきたけど手品なの!?」
「手品? そんなんじゃねーよ.これがおれの力なんだよ」
「これが……力?」
 二岡は戦慄した.ピジョンブラッドに匹敵するルビーを作り出す力があるとすれば,それは大変なことだった.宝石市場が大混乱になりかねない.
「君って吸血鬼なんだよね? 吸血鬼ってそんなことも出来るの?」
「あ? そんなこと言われてもなあ.出来るもんは出来るし」
 当然のことを改めて問われて困惑しているかのように,顔をしかめるリシェ.
「そもそもにーちゃん,あんたバンパイアをなんだと思ってんだい?」
「なんだって…….血を吸うアンデッド?」
 二岡は逆に問われて,頭をひねりながらそう答えた.
「ほかには」
「ほかって……ほかにあるの?」
するとリシェはやれやれと肩をすくめた.
「仕方ない.まあ,飯喰う場所までつれてってくれた礼代わりだ.教えてやるよ」
「それは興味深いな……」
 臼井さんが関心を示し,聞く体制に入った.もちろん二岡も耳を傾ける.でも相変わらず空奈は知らんぷりだ.
「そもそもバンパイアってのはな,血を吸ってそれを力に変えるような奴らのことを言うんだ.そりゃあ,ほとんどは生き返った死体だから,全部アンデッドって考えるのも無理はねえ話だし,血を吸うアンデッドってのは確かに正解だがねえ」
「生きてる吸血鬼もいるんだ」
「ああ.妖精に近い奴らでな,数は少ないが確かにいる.こいつが結構な力持ちでね,そのせいか闇の王に連なるもの,王族だって自称してやがる.イキモンだからか寿命はあるが,血を飲みゃ,それも関係ねえ.ま,こっちの世界にゃ滅多に顔出さねえし,会うことは無えだろうがな」
「へえ……」
 二岡は感心した.世界はやはり広いものらしい.
「さっきも言ったが大抵はアンデッドだ.つぅても,どれも同じとは限らねえ.恨み辛みで蘇った者,バンパイアに血ぃ吸われて死んだ者,魅入られた者,儀式で転化した者,バンパイアの血を飲んだ者.転化理由はいろいろだし,特性もそれぞれだ」
 ここでリシェはヨーグルトドリンクを一気飲みし,たまたま通りかかったウエイトレスさんに,トマトジュースを注文した.
「変わり種が……そうだな,二種いるな.一つは自称王族の血を飲んだ奴らだ.こいつらはほかの奴らと違って強いんだ.自称王族には劣るがね.王族に認められたとかなんとか言って貴族を自称して偉そうにしているんだが……まあ,バンパイアをまとめて社会作って管理してるのはこいつらだから,偉そうにするのもうなずけるな.ちなみに,荒事避けて人間の偉いさんと接触しているのもこいつらだ.穏健派ってやつだな」
 二岡は黙って相づちを打った.この前あった吸血鬼の事件,その際にボスから聞いた話に出てきた吸血鬼の社会とやらを管理しているのが,その自称貴族なのだろう.
「で,もう一つが,これがおもしれえんだがな.人間のなかにゃ,バンパイアになるのが宿命つけられている奴がいてな.う゛ぇとなんたらだったっけかな.こいつがバンパイアとして生まれ変わると,一等強ぇ奴が生まれる.それこそ自称王族に匹敵するほどだ.この世界にいるバンパイアの6割以上は,こいつの傘下つーか,関わっているって言っても過言じゃねえ.奴ら,創造主なんて呼ばれ方もするらしいが,まあ名前負けはしてねえな.人間達と争ってるのは大抵の場合,こいつの下にいる奴らだ」
「なるほど……」
 二岡が感心したところで,トマトジュースが運ばれてきた.リシェはそれを美味しそうに一口飲んだ.
「それで,君はどれに入るのかな」
 ここで臼井が質問をした.二岡もちょっと興味があったので,催促するように言葉を続けた.
「それ,聞いてみたいな」
「おれか.おれは……どれにも入らねえな」
 リシェはここで,眉を八の字にして困った顔をした.
「どれでもないの?」
「ああ.こう言っちゃあなんだがな,良く解んねえんだよなあ.夢の字が言うにゃ,精霊に近いらしいが…….解ってんのは,無茶苦茶昔から生きてるってことと,おれと同じなのはおれ含めて四体しかいねえって事くらいか.あ,自称王族のまねごとも出来るな.おれ達の血を飲むと自称貴族みたいなのが出来るし.ま,レアもんって奴かね」
 夢の字.四体.
 それを聞いて,二岡は頭の片隅に何かが引っかかった.
 腕を組んで考えて…….
 ふと,言葉がついて出た.
「もしかして……最源四姫?」
 するとリシェは,意外そうに口笛を吹いた.
「なんだい,その言葉を知ってんのか?」
「この前,夢のなかに出てきた吸血鬼がそんなこと言ってた.たしか,フェルミラータさんだったかな」
「夢? フェルミラータ? へえ,こいつはまた驚いた.にーちゃん,夢ん中で夢の字に会ったのか.そいつはレア体験だが,大変だったろ.あいつ,起きてる時は誰よりまともなのに,寝てるときは誰より変だからな.どうせいきなり出てきて訳のわかんねえ事で因縁つけられたんだろ.ま,なら別段隠すことはねえか」
 リシェはもう一口トマトジュースを飲み込むと,カチンっと一度,フォークで皿をならして見せた.
「おれこと『紅舞』リシェリアリエス,今出てきた『夢織』フェルミラータ,あと『月編』シチリと『霧奏』エミルネーゼ……いや,こいつは『霧姫』フルーゲンハイムのが通りが良いか.これらをまとめて最源四姫と呼ぶんだ.おっと,勘違いするなよ.おれたちが言い出したんじゃねえぞ.どっかの研究者がそう名付けて,なんとなくそれが広まっただけだ.ま,自己紹介にゃ便利だからたまには使うがねえ」
 ほかにも知った名前が出てきたが,二岡はそれには驚かなかった.だが,疑問に思ったことがある.
「なんで,ネーゼちゃんだけ名前が二つあるんだろ?」
 疑問を口にすると,リシェは目を丸くした.
「ネーゼちゃんだあ? にーちゃん,霧の字とも知り合いか? あいつはほかの吸血鬼達の前に出るときは霧で姿をかくして,名前も別のを使ってたんだ.その時の通り名がフルーゲンハイムで,いつも霧に包まれてたから霧姫って呼ばれたわけだな.しかしにーちゃん,まさか,月の字とも知り合いとはいわねえよな」
「月ってシチリさんのことだよね.一度顔を合わせたことがあるけど」
「……にーちゃん.あんたこいつは激レアだ.四姫全員と会った人間なんて前代未聞だぜ.こりゃあ運を使い切ったな.そのうちバナナの皮で滑って頭打って死ぬんじゃね?」
 リシェが真面目な顔で言うものだから,二岡はちょっとびびって,ひそかに今度,開運グッズを購入しようと思った.効果のほどはあまり信じていないが,こういうのは気分転換にはもってこいなのだ.
「でも……さっきのルビーの事と言い,もしかして,君達って凄い吸血鬼なの?」
 運の話から目をそらすため,二岡は尋ねた.
 最源なんて名が付けられるほど古い存在なのだ.よほど強力な力を持っているのではないだろうか.しかしリシェは首を振った.
「あー……自分で言うのもなんだが,昔はそりゃあ大したもんだったさ.だが今じゃたいしたことはねえ.いろいろあってな.はっきり言って,生まれたてのひよっこにも勝てねえ……」
 リシェは思いっきり肩を落とし,うつむいてしまった.
「血を飲めばそれなりに力を出せる.一時的なもんだがね.限られた場所や時でならやっぱりそれなりに力を出せる.たとえば夢の字なら夢ん中とかな.だが,それもたかがしれてやがる.まったくなさけねえ」
「悪いけど力がどうとかは興味ないの」
 突然,空奈が口を開いた.
「でも貴女は今,とても肝心なことを口にしたわ」
「ん,なんでぇ?」
 きょとんとするリシェに,空奈は携帯電話を見せつけた.
「つまり,貴女はネーゼの同類なのよね?」
「まあ,そうだが……」
「じゃあ,することは決まったわ」
 そう言うと,空奈は携帯電話を操作した.そしてしばらくして.
「ごきげんよう」
『あっ.空奈ちゃん!? わっ,今,立て込んでて……ぎゃっ!?』
 電話の向こうから,ネーゼの声が漏れてきた.それと,なぜか破壊音やら悲鳴やら.
「そう.でも,こっちも急用なの.今,リシェって子がいるのだけど」
『え,リシェ?』
 絶句したのか,ネーゼの言葉が途切れた.
 その代わりに,
『ひー!?』『ぐわー!』『た,たすけてきりちゃ〜ん!?』『しちりさまー!』『お助けする,ぎゃー!!』
 と聞こえてきた.どうやら修羅場らしい.
「どうかしたの?」 
『あ,いや.その,紅舞が……リシェリアリエスがそこにいるんすか?』
「いるわよ」
『じゃあ,代わってほしいっす』
「そう」
 空奈は,リシェに携帯電話を渡した. 
 彼女はひょいっと受け取ると,軽い調子で応対を始めた.
「ようっ,その声,霧の字か? ひさしいなあ,200年ぶりか?」
『2000年ぶりよ! 貴女,今までどこほっつき歩いてたのよ!? 貴女の所のが心配してずっと捜索してたのに!』
 二岡の耳に届く,ネーゼの怒鳴り声.どうやら,リシェはずっと行方知れずになっていたらしい.
「あー? そうさくぅ? なんでぇ,修行の旅に出るって言っといただろうが…….やれやれ」
『やれやれはこっちの台詞.とっとと戻って……いえ,こっちから迎えに行くわ』
 そうネーゼが言った直後,今度は爆発音と,やっぱり悲鳴が聞こえてきた.
「べつに来なくても出向いてやるぜ……っと今の声,もしかして月の字か? あいつあんな声出すような奴だったっけ?」
『いいから待ってなさい! それじゃ,空奈ちゃんに代わって』
「へいへい」
 リシェはめんどくさそうに返事を返すと,携帯電話を空奈に渡した.
「代わったわ」
『あー.申し訳ねえっすけど,しばらく紅舞を預かっててほしいっす.夜には迎えに行くっすから』
「そう」
 空奈はなるべく早く来るように念を押してから,電話を切った.
「夜には迎えに来るそうよ」
「夜ねえ…….まだ時間があるじゃねえか……」
 リシェは壁に掛かった時計をじっと見つめてなにやら考え事をしていたが,やがておもむろに立ち上がった.
「じゃあ,霧の字が来る前にやることやっとくか」
「やることってなあに?」
 小首をかしげる空奈に,リシェはにやりと笑ってみせる.
「もちろん決闘さ」
「…………」
 空奈はもちろん,二岡も臼井もぽかんとした. 



 再び,二岡達は乗車した.
 向かうところは,リシェと出会った車道の近くの森である.実は歩きでもいけるほどの距離だったが,それでもやはり車の方が早くて楽なので,車で行くことになった.
「さっきも言ったが,おれらは弱い.そりゃあもう涙が出るくらい弱い.ま,霧の字とかとつるんでるんなら解るだろうがな」
 森へ向かう理由を尋ねた二岡に対して,後部座席に座るリシェはまず,そう切り出した.ネーゼの貧弱ぶりは何度か目の当たりにしているので,リシェの言うことはとてもうなずけた.
「でもな,おれはそれが我慢ならねえ.やっぱ弱いより強い方がいいや.だからな,おれは自分を鍛えるための旅に出たんだ……」
 遠い目をするリシェ.旅立ちから今に至るまでの出来事でも回想しているらしい.
「今までいろんな強敵に出会ってきた.路地裏に這う者エクトラブランシェ(蛇),疾駆する黒ダークストランド(カラス),十字路の支配者ラッテラミレス(犬)……どれもまさしく友であり強敵だった」
「なんか凄いね.いろんな意味で」
「ああ.しかしそんな俺の前に現れたんだ……最大の強敵が……」
 ぎりぎりっと音が鳴りそうなほどに強く拳を握るリシェ.
「戦いは長く続いた……お互い一歩も退かない……まさに互角の勝負だった.しかし……結果的におれは敗北した……」
 ここでリシェはしゅんと肩を落とし,悲しみを体全体で表現した.
「あ,もしかしてその後すぐに俺達が通りかかったの?」
 リシェは頷いた.あのとき,消耗し薄汚れていたのは,敗北直後だったからなのだ.
「なんとか道路に出ることは出来たがそこで力尽きたんだ.だが……,にーちゃんたちのおかげで力は回復した! そこで早速リベンジに行こうってわけだ! うおおおおおお! 燃えてきぎゃっ!?」
 勢いよく立ち上がったリシェは,天井に頭をぶつけてまた座り込んだ.
「そんな勝負にこだわらなくてもいいじゃないの……」
 理解できないという風に,空奈は呟いた.基本的に彼女は争いごとが嫌いな質なのだ.
「それはいけねえ.おれの敗北は,今までおれと戦い倒れていった者達の誇りを汚す行為だ.負けたままでいるわけにゃいかねえよ」 
 実に熱い台詞だった.しかも本気でそう考えているらしく,バックミラーに少しだけ映っている彼女の瞳は真剣そのものだった.どうやらリシェはそういう性格らしい.44号辺りと気が合いそうだ.
「そう……」
 空奈は一つ頷きちらりと後ろを見ると,前方に視線を戻した.
 おや,と二岡は思った.今まで空奈の表情にあった角が取れていたからだ.
 実は,空奈はああいうような熱く誇り高い台詞に弱いのだが,二岡はそれをまったく知らないのであった.



 それから数分ばかりかかっただろうか.出会った場所に到着した二岡は,路肩に車を止めた.もちろん施錠はしっかりする.そしてリシェの先導に従い森の中を進んで……,おそらく一分も歩いていないだろう,すぐに開けた場所に出た.
 リシェはステッキを無理矢理地面に突き刺し,それから腕を組み仁王立ちした.
 すると,まるで運命付けられていたかのように,向こう側の茂みから何者かが現れた. 
「え……?」
 二岡は目を疑った.
 現れた何かは,赤い鶏冠を持つ鶏であった.
「来たな,レッドヘルム!」
「コケー!」
 リシェに応えるように鶏は一声鳴いた.どうやらレッドヘルムというのがあの鶏の名前らしい.
「に,にわとりが……強敵なの?」
 一人,木の陰に隠れるようにしている空奈が呟いた. 
「どうやらそうらしいけど……」
 答える臼井も,やっぱり信じられない物を見るような目をしている.
 しかしリシェとレッドヘルムはそんなことなどお構いなし,熱い視線を交わし合った.
「あの敗北を……おれはおれの魂の力でもって勝利に変える……」
「コッコッコッ……」
「見ててくれよ……ホシェットじいさん……あんたがくれたこのステッキで……奴を倒す!」
 二岡は,誰だよそのじいさんはと突っ込みそうになったが,緊迫していたのでやめておいた.
「いくぞー!」
「コケッコー!」
 二体が同時に駆け出した.
 初撃はリーチで勝るリシェからだった.上段から叩きつけるようにステッキを振るう.
 ヒュン! 
 風切り音が二岡の耳にも届くほどの速さで放たれるステッキを,しかしレッドヘルムは左に回避した.
「は,速いっ……」
 鶏とは思えない動きに,二岡は唸った.
 リシェはステッキを素早く払った.通常なら回避は難しい攻撃.それをレッドヘルムは空中に羽ばたいて更に回避,その勢いのままリシェに突っ込んでいく.
「ぐうっ!!」
 かろうじてリシェは,レッドヘルムの突撃を交わした.しかし鶏の攻撃はこれだけではなかった.
「コケッ!」
「うっ!」
 リシェの側頭部に,レッドヘルムの蹴りが入った.
 だだだだんっと音が聞こえそうなほどの連続蹴り.リシェはたまらず後退したが,ほっぺたにうっすらと鳥の足跡が残る.
 レッドヘルムの攻撃は執拗であった.更に翼を広げて飛ぶ方向を変えると,更に蹴りを放ってくる.
「このっ!」
「ギャッ!」
 腕を振るい,レッドヘルムをたたき落とすリシェ.ここで初めてリシェの攻撃が入ったが,当たりが浅かったらしい,レッドヘルムは地面に足から着地するとすぐに距離を取った.
 そして動きを止める二体.
「うわあ……すごいね……」
 臼井が小さく感想を漏らした.この感想には二岡も賛同であり,思わずカメラにとってどこかの大賞に送りたくなるほどであった.
「さすがに……速いぜ……」
「コッコッ……コケーコッコッ……」
 レッドヘルムが歩き出した.首をカクカクしながら,悠然とリシェの周囲を回る.
 ステッキを構え,警戒するリシェ.顔に浮かぶ緊張からは,これから繰り出されるであろう攻撃に対する恐れが見て取れた.
「コッコッコッ……」
 空気が緊迫していくのが解る.張りつめていく緊張の糸.二岡はつばを飲み込んだ.直に鶏の攻撃が来る.もうすぐ……いや今だ.
「コケーーー!!」
 レッドヘルムが羽ばたいた.天高く.雲を貫けとばかりに飛翔する!
「飛んだわっ……」
 空奈が驚きの声を上げた.鶏が飛ぶ所など初めて見たのだろう.二岡自身も,十数年前,テレビに投稿された映像でしか鶏が飛ぶところを見たことがなかった. 
 しかし本当の驚きはここからだった.
「これはっ……!」
 二岡は驚愕した.レッドヘルムが高速で回転し始めたのだ.縦に.そして突っ込んでいく.常識を超えた速さでリシェに向かっていく!
「この技はまさか!?」
「知っているの!? 二岡くん!」
「これは絶・天鶏抜刀嘴! かつて一羽の鶏がツキノワグマを倒す為に編み出した奥義だ!」
「な,なんでそんなこと知ってるのー!?」
 思わず解説してしまう二岡と,それに突っ込む臼井.
 リシェはステッキを大上段に構えて…….
「うおおおおおおお! 同じ技で何度もやられるかー! 輝け! おれのルビースプラッシュ!!」
 ブオン!
 力の限りステッキを振り下ろすリシェ.しかしタイミングが早すぎる.レッドヘルムはまだ遙か遠い間合いにいる!
「あっ.しまった! ルビーはさっき出したんだっ……」
 どうやらルビーを飛ばす予定だったらしい.
「コケコッコーーーーー!!!」
 ぐさっ.
「ぎゃふう!?」
 レッドヘルムの嘴が,リシェの額に突き刺さった.そして鶏は後方に駆け抜けていく.
「ぐっ……はあ……」
 倒れようとするリシェ.そんな彼女の瞳に,木陰に隠れる空奈が映った.それを見て,リシェは目を見張った.彼女が此方を見ている.そして何か訴えている.それはほんの瞬き一つの間の交信であった.
『もう倒れてしまうの?』
『だって……足に力が入らないんだ……それにこのまま立っていてもあいつ,凄く強いんだ……勝てないよ……』
『何故そんなことを思うの? 貴女はまだ動けるじゃない』
『でも……おれの足を支えてくれる者は……もういないんだよ……』
『それは違うわ……だって貴女には……』
『おれには……? はっ!?……おれは……!』
 ざっ!
 リシェは一歩踏み込んで,倒れる体を強引に持ち直した!
「うおおおおおおお!」
 森に響くリシェの咆哮. 
「そうだ! おれの足下は……おれと戦い散っていった者達の血と魂で固められている! だから……倒れられねえんだ!」 
 ステッキを構えるリシェ,そんな彼女に向かっていく! 一つの影! 再び放たれる抜刀嘴!
「おれは二度と倒れないと,このステッキに誓う!」
「コケーーーーーーーコーーーーーー!!」
「おおおおおおおおおお! 食らえ! これがおれのおおぉ……『紅 石 結 界』!!!!」
 ぴきいいいぃぃぃん!
 世界が赤い閃光に包まれた.
 それが一体どんな技だったのか,二岡達が理解することはなかった.しかし一瞬後,レッドヘルムが地面に倒れ伏して目を回していたのは確かであった.
「実に……2500年ぶりにこの技を使ったぜ……」
 誰にも聞こえない声でリシェは呟く.そして空奈に笑顔を向けた.
「見ていてくれていたか.お前がくれた勝利だぜ……ってあれ? 空奈?」
 空奈は気絶していた.そんな彼女を介抱していた臼井がリシェに一言.
「君,額から血が吹き出てるよ」
「へっ? ぎゃあああああいえてええええええ!?」
 今頃になって痛みがやって来たのか,リシェは額を抑えて地面を転げ回った.綺麗なドレスがたちまち土と葉っぱで汚れていく.
「なんだかしまらないなあ……」
 二岡はやれやれと肩をすくめた. 
 
 
 
 黄昏が過ぎ,森に夜がやってくる.
 そのタイミングを計っていたのだろう,同時に二岡達の目前にあのふすまが現れた.
 そのふすまから現れたのは,まずネーゼだった.続いてシチリと,初めて見る顔の女性,おそらくシチリの助手なのだろう.そして筋骨隆々の男達だった.
 男達はそろって上半身裸で,赤い毛皮のパンツをはいていた.しかも例外なく皆,眼を潤ませて,中にはむせび泣いているものまでいた.
「姫様……ようやく会えました……」
 男達の中でもひときわ大きい者が,万感を込めた声と表情でもって,レッドヘルムを抱いたリシェの元へと歩み寄った.そして膝をつき頭を垂れる.傅かれたリシェは,複雑な表情で男を見て,頬を掻いた.
「ったく……またぞろぞろと来やがって.手紙置いといただろうが……」
「はい.拝見致しました…….しかし……なぜ修行の旅など!」
「強くなりたいからに決まってるだろ」
「そんな!」
 男は勢いよく顔を上げた.
「姫.姫は我々がお守りします.だからもう戦う必要はないのです! 力が必要とおっしゃるのであれば,我々が強くなります! だれよりも!」
「あのなあ……」
「姫様が行方しれずになって以来,捜索の傍ら,我々は更に肉体を磨きあげました.戦力を増強するため新たな同士も迎えました」
 その言葉が呼び声になったのか,後ろに控える男達の中から,二人,歩み出てきた.長い槍を携えた細身の騎士と,蛮刀を両手に持った筋肉だるまみたいな戦士だった.
「グーテルモールとドッキーゲルドン.共に優れた戦士であります」
 名を呼ばれた二人は,緊張の面持ちで礼をした.
「いやあのな? それよりおれが問題なんだよ.いい加減解れよもう」
「解れ.と? ……はっ! つまり我々の力を見せてみろとおっしゃるのですね!」
「ちげえよばか!」
 リシェは声を荒げて訂正しようとしたが,男はまったく聞く耳を持たなかった.
「よし! 者共! 姫様への忠誠の証の為に,我らの力を示すのだ!」
『『応!!!!』』
 男達が声を上げた.そして目に付いた相手と礼を交わすと,激闘を開始する.
 人外の力が衝撃波となって森に広がった.
「てめっ,話を聞き……うわあー!」
 余波を受けてリシェが吹っ飛んでいく.抱えられていたレッドヘルムは空へと逃げていった.
 何時の間にやら会話を交わしていた空奈とネーゼも,やっぱり吹っ飛ばされて,仲良く気絶した.もちろん,二岡も吹っ飛んだ.ごろごろ転がり,どこかのでかい木にぶつかってようやく止まる.
「なんなんだこの展開は……」
 逆さまになった視界に,女性の姿が映った.シチリだった.心配そうに,二岡の顔をうかがっている.
「あの……大丈夫でありますか?」
「え.あー,うん.平気……ってほどでもないけど……とりあえずは……」
 答えると,彼女はほっと一息をつき,おずおずとこう言ってきた.
「でもそこかしこ怪我をなさっている様子.よければ治療したい所存でありますが,よろしくありますか?」
「へっ?」
 二岡は戸惑った.しかしせっかくの厚意なので,頷くことにする.
「あ,はい.よろしくあります」
「では失礼するのであります」
 上着を脱がされ,傷口に謎の軟膏を塗っていくシチリ.成分は謎だが,効き目はあるらしく,二岡の全身を覆っていた痛みはみるみるうちに消えていった.
「あの……巻き込んでしまい申し訳ありません.紅舞の血族は根っから戦士の血族でありまして……」
「そ,そうだね……見ての通りだよね……」
 目に見えないほどの速さで拳を繰り出し,木々を倒壊させ地面をえぐっている男達を見ながら,二岡は引きつった顔で答えた.あんなのに巻き込まれたら命がいくつあっても足りない.吹っ飛ばされただけで済んだのは幸運だったと考えるべきだろう.
 それにしてもリシェが修行の旅に出たのはこれが原因ではないだろうか? 少なくとも,自分なら逃げ出す.二岡はしみじみと思った.
「ところで,わたくしのお守り……身につけてくださっているのでありますね」
「これ? うん.なんか効きそうだったから」
 以前,カツラの騒ぎの終わりにプレゼントされたお守り.それを二岡は小袋にしまい,紐を付けて首にぶら下げていた.御利益を信じるほど信心深くはないが,こう言うのは縁起物だから,身につけることにしている.彼はほかにも交通安全と健康祈願のお守りを財布に入れていた.
「あ.それ,もしかして,紅ちゃんのルビーでありますか?」
 めざとく小袋の小さな膨らみに気が付いたシチリが尋ねた.袋の中で,実物を目にしている訳じゃないのだが,どうやら彼女には解るらしい.
「ああ.さっき食事したときに,これで勘定してくれって言われたんだけどね.現金じゃなきゃ駄目だってレジの人に言われて替わりにお金払ったんだ.で,袋に入れて,後で返そうと思ってたんだけど……」
「別にもらっておいてもかまわないと考えるのであります.きっと,気にしないのであります」
「そ,そうかなあ?」
「はいであります.それより……」
 ここでシチリは顔を赤らめた.そわそわしているし,どうやらなにか言いたいことがあるらしい.二岡は彼女が話すのを待っていたが,一向に口を開かないので,こっちから問うことにした.
「なにか聞きたいのかな?」
「えっと.でありますね」
「うん」
「霧ちゃんに聞いたのでありますが……」
「うん」
「二岡さんの血はとても美味しいと……」
「うん…………はい!?」
「そこで,でありますね.あのその,ご賞味させて頂きたく思うのでありますが,よろしくありますか?」
 もじもじしながら顔を寄せてくるシチリに,二岡は焦った.願い事もそうだが,シチリは絶世の美女であり豊満わがままボディの持ち主だったので,二つの意味で焦った.
「いやそのあのですねなんというかええと」
「よろしくありますか?」
「ですからじぶんとしてはでありますねやはりこういうことは」
「よろしくありますね?」
「あのそのあのその……」
「いいからイエスと言え!」
「イエッサー!!」
 額同士がふれ合いそうなほどに顔を寄せられ,一瞬だけ鬼軍曹のような目で睨まれて,二岡は思わず首を縦に振ってしまった.
「感謝するのであります!」
「あ,でも100t! 100tだけだよ!?」
「大丈夫であります.わたくし,人を吸い殺したことはあまり無いのであります!」
「なにその微妙に不安になる台詞は!?」
「気にしないのであります.それでは……かぷっ.ちゅ〜」
「ぎゃー!?」 
 このようにして,二岡はまた血を吸われることになったが,同情する者は誰もいなかった.
 紅舞の男達の戦いは,気絶したリシェが目覚めるまで続いた.その後,2時間くらいリシェの説教が森に響き渡り……,夜明け前,彼女はネーゼ達につれられて魔界かどこかにあるという家へと帰っていった.
 かくして,ちょっとしたこの出来事は終わりを告げたのだった. 




 翌日.
「あー,なんだったんだろあれは」
 すっかり指定席になったカフェの奥の席にて,二岡は呻いた.結局160tほど血を吸われた二岡の顔色は今もちょっと悪い.
「あれ? まあ,ちょっと変わった体験だったと思えば良いんじゃないかな」
 気遣うような笑みを浮かべて臼井が言う.
「ま,人生いろいろなんだろ.おうねーちゃん,Aランチくれや」
「貴女,なんで居るのよ」
 何時の間にやらそこにいて,脳天気に笑いながら料理を注文するリシェに,空奈が疲れた顔で問いかけた.
「ああ,あの森と家とを『繋げた』んだよ.ここの飯うめぇから,たまに食いに来ることにした! まっ,よろしくたのむわ!」
「………………」
 空奈はもう,しゃべる気も起きなくなったらしい.黙々と食事を開始した.臼井は困ったような笑みを浮かべ,二岡は頭を抱える. 
 どうやら二岡は,当分の間は吸血鬼のお姫様達に振り回される運命にあるようだった.



◆登場人物紹介◆

 二岡光吉……主人公。一応、一人前のハンター。凡人。最近は騒動続きで大変らしい。吸血鬼曰く、血が美味しいとのこと。

 影鳥空奈……ヒロイン。オカルト界の重鎮である影鳥家の最秘奥、時読みの使い手。不思議ちゃん。占いと歌が上手。

 臼井さん……医術に精通したベテランハンター。影が超薄い。男になったり女になったりするが、ここでは女性。



 エミルネーゼ……『霧奏』。空奈のお友達で、食べ歩きと楽器演奏が趣味のへっぽこ吸血鬼。四姫のまとめ役。

 リシェリアリエス……『紅舞』。趣味は自己鍛錬。四姫の中で一番運動神経が良いが、やっぱり弱い。食いしん坊。

 シチリ……『月編』。知る人ぞ知る発明家。役に立つ発明はあんまり無いが、たまには凄い発明もするようだ。

 フェルミラータ……『夢織』。いつも寝てるか寝ぼけてる。起きてる時はまともで賢者っぽいらしい。



 シチリの助手……知的美人な吸血鬼。たぶん苦労人だと思う。シチリのことを尊敬してる。

 紅舞の血族のみなさん……別名リシェファンクラブのみなさん。趣味は自己鍛錬。とっても強い。



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