「それであなた。お名前は?」
自分は名乗ったがまだ相手の名前を聞いていなかった。
「川島……涼一」
可愛らしい声で男の名前を名乗る。
「どんな字を書くの? 良いって言う字?」
「違う。涼しいって言う字」
「それならねぇ……とりあえず『すずか』って呼ぶわね」
涼と言う字の読みを変えただけだ。
「な……なんでそんな女みたいな名前で呼ぶんだよ。それにお前誰だよ」
かっとなって往来にもかかわらず、甲高い声を張り上げる。
「ちゃんと半田双葉って名乗ったわよ。それにその姿で男の名前は変だから、女の子の名前を考えてあげているのよ。なんなら『くるみ』とか『美衣菜』なんて、生粋の女の子でも生まれたときから呼ばれ続けて、やっと馴染むような恥ずかしい名前で呼んであげましょうか? さすがに『涼子』じゃ安直で可哀相と思うから勘弁してあげるけど」
口げんかでは「オンナ」に勝てなかった。
「……勝手にしろよ。俺はいく」
踵をかえす。
「その格好でどこに行くつもり?」
笑みを含んだ双葉の言い回し。しかし怒るより先に涼一……すずかは我に帰った。
生まれて初めてのスカート姿。風がむき出しの太ももを撫でていく。
その露出した部分の白さは男にはありえない。
腹部のくびれは場合によっては、胸や腰以上に「オンナ」を強調していた。
小ぶりの胸元だが、それでも女のシンボルとしては成立していた。
「そんな姿で学校や家に行って『川島涼一です』なんて言っても誰も信じてはくれないわよ」
「じゃどうしたらいいんだよ!」
「うーん。そうねぇ。とりあえず喫茶店に入ろうか?」
「こんにちはぁ」
明るい声で店内に入る双葉。どうやら馴染みの店らしい。
「ふ、双葉ちゃん!」
しかし店主と思しき人物は慌てている。そしてカウンターの下のほうを見ている。
「ああ。違うわよ。マスター。今日はパフェ5セットとか言わないから」
「え…すると…」
双葉が甘いものを大量に食するのは殆どが『やけ食い』である。
従って面白くない事態に遭遇した場合であるが、これは違う。
もっとも普通でも半端ではない量の甘いものを食べるが。
「とりあえず今日は『お仕事』なの」
それで充分だった。双葉はダージリンを。すずかはコーヒーをオーダーする。
待つ間は双葉が一人で喋っていた。やがて注文の品が来てそれぞれが口にするのだが
「苦い……」
ブレンドコーヒーがひどく苦く感じられたすずかである。
「みんなやるのよねぇ。男と女じゃ味覚違うんだから。これからは今までみたいに苦いコーヒーや辛いものは食べられないと思わないとね」
「これからは」
そう。自分はずっとこの少女の姿なのかと思うと、すずかはひどい絶望感に見舞われた。
「とりあえずど、どうしてこうなったか話してくれる?」
吸い込まれそうな大きな瞳がすずかを見つめていた。
「なるほど。テニス部の彼女にもっと仲良くなりたいと思っている。そうその女の子に言ってしまったと。たぶん女の子同士なら親密になれると言う発想なんだろうなぁ。華代様ったら」
「華代……さま?」
怪訝な表情で鸚鵡返しするすずか。はっとなって口を押さえる双葉。
「今のナイショにしといて。立場上あたしは華代様……華代の敵なんだから。あたしにとっては恩人だから様くらいつけたいけど」
「敵?」
「あたしはこう見えても秘密組織の一員なのだ」
おどけて言うから信憑性がない。しかしそれは事実。
「なるほど。その組織の一員だから、やたらその『華代』とかに詳しいわけか」
何しろ実際に自分が変身している。信じないわけには行かない。
「まぁね。それにあたしはあなたの先輩なんだよ」
「え……」
意味がわからなかった。
「あたしもね……前は『男の子』だったの」
遠い目…というかどこか懐かしむような瞳。
「じゃああんたもオレみたいに……」
「あたしの場合は望んでだけどね」
世の中にはそういう人間がいるとは「すずか」も理解していた。
しかしにわかには信じがたい。
「まぁ色々あったけど今は女の子だよ。もう毎日が楽しくて」
ウソとは思えない双葉の笑顔。それがまじまじと見ている。
「な、なんだよ?」
今の自分は女の肉体。それを凝視されて恥ずかしいものがある。
「うん。サイズもそんなに違わなそうね。ねぇ。これからあたしんちに来ない?」
「はぁ?」
にわか美少女は似つかわしくない表情で声を出す。
「うわぁ……」
ずるずると流されるままに双葉の家に。ごく普通の一軒家。
初老の女性に出迎えられ、上がりこむ。
双葉の部屋に招き入れられて絶句。
壁紙は押さえた色使い。家具の趣味もそんなに悪くない。ただ足の踏み場がなかった。
無数のぬいぐるみのせいで。
「どう? 『女の子』の部屋って初めて?」
「あ…ああ…」
ぬいぐるみに圧倒されて「突っ張る」ことすら忘れてしまう「すずか」。
(コイツ本当に「元・男」か? 完全に女だろ。元・男がここまでぬいぐるみまみれのぶりっ子になるか?)
それだけならあきれ返るだけだが、思考が別の方向に発展した。
(それとも……俺もこうなっちゃうのか?)
途端に恐怖した。望まないのにまったく別の存在になってしまうそれに。
「適当に座っててて。ジュース持ってくるから」
そんな葛藤も知らずか、明るくもてなす双葉。
(オレは一体何をしているのだろう?)
鏡の前でぼんやりと考える「すずか」
「彼女」は今ピンクのブラウスと青いミニスカートという姿だった。
「うん。やはりサイズはそんなに大きく違わないわね。どう? こういうスカートもいいもんでしょ」
「ふざけるな。なんとなく誘導されてしまったが、何でオレが他の女物着なくちゃいけないんだよ?」
烈火のごとく怒る。
「だからいったでしょ。ぴったりの服があるって」
「女子制服」を脱ぎたかった「すずか」は双葉のその言葉を勘違いして取った。
「女物は仕方ないとしても……女だってジーパンはくだろ? 貸すんならそっちにしてくれよ」
「残念でしたー。あたしパンツルック嫌いなのよね。せっかく女の子になれたんだもん。スカート穿きたいじゃない? それにミニスカートを穿ける時代なんてそんなに長くないのよ」
「……こんなの一生穿きたくなかった……」
「そんなにそれが嫌なら他にこれは?」
ワンピースだった。それも水玉模様の。物の見事に「少女」の記号が付くであろう「フェミニン」な衣類。
それだけではない。「よくもまぁこれだけ」と言うほど可愛いデザインのものばかり。
「お前、部屋の中でまでこんなひらひらしたの着てるのか? 女ってみんなそうなのか?」
「うーん。他の娘は割とラフかも。あたしの友達も部屋じゃかなりゆったりしたの着ているみたいだし」
「お前はどうしてやらないんだよ」
「言ったでしょ。元は男だったって。気を抜いたら女じゃいられなくなっちゃいそうだし」
「そうまでして女になりたいのかよ」
理解不能だった。
「あなたは男になりたいみたいだけどね」
「『なりたい』んじゃなく『戻りたい』んだ。今までずっと男で生きてきたのに、今から女でやり直せるかよ」
「あら。結構やり直せるものよ」
ここで双葉は閃いた。
「よし。どれでもいいから着替えて。行くところができたわ」
結局は元の制服姿の「すずか」は、双葉につれられてとある建物に。
そしてその中の喫茶店に連れて行く。
「あれ? 双葉。お前今日は来る日だったっけ?」
抜群のプロポーションの美少女が、芯の強さはあるもののしっかりと女声。
それでありながら男のような口調で問いかける。
スレンダーでありながら胸元は女を強調すべく二つの丘が。
おろせば腰に達しそうなさらさらのロングヘアを無造作に束ねたポニーテール。
「ううん。ちょっと飛び込みのお仕事。あ。いちごちゃんにも後でお手伝い頼むかも」
「助っ人か? 珍しいな」
「そんなとこ」
会話をしつつもカフェの空いている座席を探す。やがて見つけてすずかをつれて移動する。
「いらっしゃい。双葉ちゃん。お友達も一緒?」
カフェは洋風だがマスターと思しき女性は和風だった。着物姿に纏め上げた髪。
落ち着いているが恐らくは20代。
「そうなの。それでね春さん。あたしチョコのホールケーキ」
「ちょっと待て? ショートケーキとかじゃないのか? とんでもない間違いをしているぞ?」
「ううん。いいんだよ。その証拠に春さんもビックリしないし」
「ええ。いつ双葉ちゃんが来てもいいようにちゃんと用意してあるのよ」
「わぁ。ありがとう」
これがいちごショート一切れとかなら可愛いのだが、丸ごと一つとなるととんでもない話である。
目の前の少女が「元・男」どころか、人間なのかも疑わしくなってきた「すずか」である。
とてもじゃないが食欲の出る状況ではない。
しかしお構いなしに旺盛な食欲を見せる双葉。その口がやっと食べること以外に使われた。
「ねぇ。どうしてそんなに男の子に拘るの?」
「どうしてって……そりゃあ今までずっと男だったんだぜ。それがいきなり女として生きろと言われても……今までの男として生きてきた日々がなんだったんだってことに」
「案外そうでもないかもよ」
悪戯っぽく笑う双葉は「いちごちゃーん」とポニーテールの少女を呼んだ。
「大声を出すな。みっともない」
「オヤジくさい」注意をする少女。いちごと呼ばれた彼女が近くによる。
「それで。どうすりゃいいんだ?」
「仕事」の流儀など人それぞれ。
ましてやこの場面。機械的に修正というわけではないらしい。
(何かカウンセリングじみたことしてないか? こいつ)
そんな印象を抱くポニーテールの娘。
「ねぇ。すずかちゃん。この人が昔は渋いおじさんだったなんて信じる?」
「えっ?」
そりゃあ驚くだろう。
どう見てもモデル顔負けのプロポーションの美少女だ。
見た感じ自分たちと年齢も大差ない印象。
「本当だよ。ハンター1号と言えば一人で一部隊を倒せるほどのプロフェッショナルだったんだから。物凄い大男でね」
「この人が……?」
ぴんと来ないすずか。どう見ても華奢な女子高生である。
テニスとか短距離走で世界を舞台に戦ったというならいざ知らず、戦闘のプロとはとても思えなかった。
一方、なんとなく姿勢のよくなるいちご。
決して自慢話をするタイプではないが、褒められて悪い気はしない。
「でもね。今はこんなに可愛い女の子なんだよ」
双葉の言葉で奈落の底に叩き落されるいちご。
「お前は人を貶めるために呼んだのかっ?」
文句のために復活した。
「えー。だって本当に可愛いし。ウチの組織のアイドルなんだよ」
今度はすんなり信じたすずかである。少なくとも戦闘のプロよりは、アイドルの方が納得行く。
「異論なし。ただし組織じゃなく、いちごはボクのアイドルなん……ぶきゃっ」
ドサクサ紛れに抱きつこうとしたハンター5号。五代秀作の顔面に肘鉄を叩き込むいちご。
制裁というよりかなり昏い感情が混じっている。
肩を落として立ち去るいちご。それに替わってりくが呼ばれた。
一応は助けに行くウサギの耳を頭にいただく幼女。
「か……可愛い」
それは男として「可愛い女の子」を見た反応か?
それとも女として「可愛いもの」を見た反応か?
目を輝かせるすずか。これだけでりくは結構嫌な気分になった。
それに追い討ちをかけるべく双葉が続く。
「この娘もねぇ、もともとはおじさんだったんだけど、今はこんなに可愛い女の子なんだよ」
「そ……そうなのか? それじゃあの女の人も?」
すずかの視線の先には珊瑚。
「あたし? あたしが元・男だって言いたいの?」
彼女はもともと女性である。それが元は男の面々と同一視されて、「女のプライド」がずたずたにされた。
その後も何人かに精神的ダメージを与えつつも「実例」を説明する双葉。
「これでわかったでしょ。元は男でも今では立派に女の子として生きている人がいると。今からでも女の子でやり直せるよ」
「ダメだ! 男でないとダメなんだ!」
とうとうその目に涙が浮かぶ。それを見て双葉の表情が変わる。笑みが消えて真摯な表情になる。
「……そんなに、男に戻りたい?」
「……ああ」
「そう。残念ねぇ。せっかく新しい性別でやり直せるチャンスなのに」
本音かは疑わしい口調。続く言葉がそれを証明している。
「わかったわ。そこまで『男として生きていく覚悟』があるというなら戻してあげる」
「本当か!?」
戻した場面を見せていないのだが、既にすっかり信じ込んでいるすずか。
「あたしの言うことを二つきいてくれたらね」
「う……わかった」
何か理不尽な要求かと身構えたが、男に戻れるならと受け入れることにした。
「それじゃ一つ目。目をとじなさい」
「え?」
どんなことを言われるかと思ったらそれか?
拍子抜けしたすずか。
「早くしなさい。男の子に戻りたいんでしょ?」
「あ…ああ」
わけがわからなかったが、すずかは言われた通りに目を閉じた。
周囲がざわめく。それが気になるすずかだが、約束なので目を開けない。
「この感触。ようく覚えておきなさい。あなたが女の子としてする、最初で最後のキスなんだから」
「え?」
思った瞬間にすずかの柔らかいほっぺたに、何か別の柔らかいものがくっついた。
吐息を感じたことから、それが唇…双葉のそれとわかるまで時間を要しなかった。
「ええええっ?」
驚いて思わず目を開ける。すると頬を染めた双葉が、上目遣いで恥ずかしそうに見ていた。
すずかも赤面してきたが、自分の肉体が変化し始めて今度はそちらで驚いていた。
華奢な肩が広がり、長かった髪が短くなり、二つの丘が平原に。
身長も伸び、肌の色も浅黒く、そして幼さは残すものの精悍さを取り戻した顔。
女子制服が男子のものになる頃には、完全に男の肉体に戻っていた。
「別にわざわざキスじゃなくたって」
苦笑しているのはハンター27号。高荷那智。
華代被害者を戻すのにもそれぞれの流儀がある。
双葉は後悔しないかを徹底的に確認したうえで戻す。
キスというのは「女の子らしい可愛らしさ」を追求した結果であり、それ以外の意味はない。
「戻った…元に戻れた」
歓喜がじわっと沸いて来る「涼一」。絶望のふちからの生還。
本当に男に戻りたかったのが良くわかる。
微笑んでいた双葉だが、言葉を発する。
「よかったわね。それじゃ二つ目の命令を言うわよ」
翌日。
ハンター組織。ボスはしかめっ面をしていた。
「いちごが引きこもり。りくが公園でたそがれて、珊瑚がまた失踪か。また随分と『犠牲者』を出したようだな」
苦笑していた。
双葉はすずかの心を試していた。
本当に男に戻りたいのか?
この先、「あのまま女になっとけばよかった」と後悔する事はないのか?
だからいちごのように愛される容姿になった者を引き合いに出して「女の子も悪くない」と言っていた。
それだけであり、いちごたちを打ちのめすつもりは毛頭なかった。
ただし、被害甚大であるが。
「それでも『すずか』は男であろうとした。かつての自分が女になろうとしたように。だから双葉はその心情を理解して、元に戻したというわけか。で、その張本人は何している?」
「一応は学校ですが、先に『二つ目の命令』を見届けるとか」
「すずか」から「川島涼一」に戻った彼は『二つ目の命令』を遂行しようとしていた。
テニス部の朝練。その直前である。
「どうしたの? 川島君。昨日は練習あるって言ったじゃない」
髪の長い綺麗な少女であった。それに向き直る涼一。
「あのさ、杉本。俺……」
そこで口ごもる。が、「命令」を思い出す。
(いい? まだこれは仮なんだから。男に戻っておきながら、まだ告白も出来ないへたれっぷりなら女に戻すわよ。勢いで明日やっちゃいなさい!)
双葉の「二つ目の命令」はそれであった。
もちろんハンターに「もとの性別に戻す」ことは出来ても「わざわざ性転換」は出来ない。
いわゆる方便である。
しかし涼一はウソだと見抜けるはずもない。
いや。むしろわざと騙されていたのかもしれない。
「取引で仕方なく」という形で「背中を押された」。
赤い顔の少年が必死の思いで気持ちを伝える。
告げられた少女は信じられないという表情。そして嬉し涙を浮かべた。
物陰からそれを見届けた双葉は満足そうにその場を離れた。
(まったくもう。男の子って手間が掛かるわ。でも、あたしもステキな恋人がほしいな。まぁ今はあんずたちとの仲良し学園生活でいいかな)
そんなことを思いながら、彼女は学校へと急いだ。
その表情は上機嫌そのものだった。
「ラスト・ファーストキス」完