ハンターシリーズ141
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空奈がロビーを抜けて外に出ると、そこに犬が立っていた。 たくましい犬だ。瞳は熱く静かに燃え、毛並みは美しく、その下に隠された筋肉は十分に鍛え上げられている。 「あら。ロッキー。ごきげんよう」 「ごきげんよう」 空奈が声をかけると、ロッキーは律儀に答えてくれた。 「どこかにお出かけかな?」 「ええ。あのね、知ってる? 街に新しくフライドチキンのお店が出来たの。私、そこのビスケットが大好きだから、今から買いに行くのよ」 「ほう。あの街にもついにケ○タッキーが」 「貴方も来る?」 「ふむ……」 ロッキーは腕を組んで考える仕草をした。しかし思考していたのはほんの一瞬、すぐに腕を解いて頷いた。 「そうだな。街に出るのも悪くない」 「そう。では行きましょうか」 空奈はロッキーの首輪のロープをつかむと、街へ向かってゆっくりと歩き出した。 ロッキーの足の速さから考えると、そのペースは明らかに遅すぎるだろう。しかし彼は、空奈に合わせて四足歩行する。ロッキーは良くできた犬であった。 途中、立ち止まって道端の草にくっついていたバッタを眺めたり、空を見上げて雲を見たりしながら街へと近づいていく。そんなのんびりとしたお散歩。穏やかな風と日差しが一人と一匹を優しく包んでいた。 しかし、そんな平穏は、街に着いた途端吹き飛んでしまった。 人だかりである。 「困ったわ。お店はこの先にあるのに」 空奈は眉をひそめた。漏れ聞こえる話し声から察するに、どうやら騒ぎの中心はその店らしいのだ。 「ふむ。しかしなにやら事件のにおいがするな……。行ってみるか?」 「そうね」 空奈は、人垣をうんしょうんしょとかき分けながら進んでいき、やがて騒ぎの中心地までたどり着いた。 そこに居たのは数台のパトカーと、警察官。そしておそらくは刑事であろうスーツを着た二人組であった。 「なぜこんな所に……」 まず、若い方の刑事が呟いた。 「知るか。犯罪者が犯罪するのに理由がいるかよ」 それに対して老いた刑事が答える。 「失礼。一体何があったのですか」 ロッキーが刑事達に尋ねた。しかし二人はきょとんとしている。 「田中先輩、犬ですよ」 「ああ。犬だな……。しかしなんでワンワン言ってるんだろうな?」 どうやら二人にはロッキーの言葉が通じないらしい。犬だから当たり前だった。 「彼はこう言っているわ。とっととビスケットを渡せと」 「えっ? ビスケット?」 さりげなく自身の要望を交えた空奈の言葉に、若い刑事が小首をかしげた。 「犬語を解する君は一体……」 「謎の通行人、少女Aよ」 「少女Aさんですか。変わった名前だね。僕は近藤っていうんだ。よろしく」 「よろしく。それで、これは何の騒ぎなの?」 「ああ。実はあの店に立てこもった奴が……」 近藤が現状を話し始めたその時だった。 扉が開いて、覆面男が姿を現した。手には当然、銃。ウィンチェスターだった。 「キャー! 覆面よ!」 「銃だ!」 「ギャー」 今まで呑気していた一般市民達は慌ててお店を取り巻く輪を広くした。 「こんなところに立てこもって、一体何を望んでいるんだ!」 老いた刑事、田中が果敢にも問いかけた。 すると覆面男はこう答えた。 「フライドチキンの味の秘密を明かせ! 5分以内にだ! さもなくば中の人質は……こうだ!」 どん! ウィンチェスターが火を噴いて、店先に立っていた白ずくめのお爺さんの頭を打ち抜いた! 「な、なんて事を!」 驚愕する近藤。 「ほかの奴らもこんな風にされたくなければ、とっとと秘密を明かすんだな! 5分後にまた顔を出すからそれまでに調べておけ!」 言うだけ言うと、覆面男は奥に引っ込んでしまった。 「ちくしょう! 救急車を呼べ! おい、近藤!」 「あ、はいっ!」 近藤はほかの警察官と共に、倒れたお爺さんの救出へ向かった。抱きかかえ、速やかにどこかへと運び去る。 「むう。どうやらやっかいなことになってきたようだな」 「そうね……」 空奈は恐怖で震えていた。そんな少女に対して、犬は優しく少女の側に寄り添った。 「田中先輩!」 近藤が戻ってきた。 「容態は?」 「はい……。言いづらいことではありますが……額を打ち抜かれて貫通して……正直、手の施しようがありません。彼はセルロイド製でした……」 「そうか……」 しんみりとした空気が場を包む。しかし老いた刑事は落ち込んだままではいなかった。 怒りに燃える瞳で、懐から黒い物を取り出す。 「せ、先輩……それは!」 近藤は驚いた。そう、懐から取り出された物は銃だったのだ! 「そんな、それを使っては……」 日本は、銃の使用が極めて限定されている。それは警察官も同じ事、いや、警察だからこそその使用は厳しい制限が設けられている。ひとたび発砲すれば、例え正当だったとしても報告書を提出しなければならないのだ。場合によっては免職もあり得る。 しかし、田中は不敵な笑みを浮かべた。 「ふん。慌てるな。これをよく見てみろ」 「えっ……」 近藤はまじまじと先輩の手に握られた銃を観察する。そして気が付いた。この銃は、2回り、いや3回りほど小さかったのだ。 「子供の頃、お菓子屋さんで見たことがある。まさかこれは……!」 「そう、ゴム鉄砲だ」 ゴム鉄砲。 それは、輪ゴムを飛ばすための銃である。昔の子供であれば、誰でも一度は手にとって遊んだことがあると思われるおもちゃであった。 「さすが先輩! 子供心を何時までも忘れない!」 「もちろんだ。男は何時だって少年時代なのさ!」 田中は、少年のピュアハートを表現するため、このコンクリートジャングルを無邪気に駆け回り始めた! まさに、野原ではしゃぐ子供そのものだ! 「きゃほほーい!」 彼は走り回るだけではなかった。なんと警察官のスカートをめくり始めたではないか! まさに少年そのものだ。 「きゃー」 「いまいっちんぐ」 どんどんとめくられるスカート。実際には警察官は皆ズボンだったので、まったくめくれていないのだが、精神的には完璧なスカートめくりだ! 少年の心は留まることを知らず、ついに空奈のスカートに手をかけようと……。 その時だった! 「ロッキー。ソーラービーム」 「ワン」 ロッキーはどこからともなく鏡を取り、太陽の光を反射させた。 チラッ。 「うおっ。まぶしっ!」 田中がひるんだ隙に、空奈のさらなる指示が飛ぶ。 「ロッキー、今よ。地球投げ」 「ワオ〜ン」 ロッキーは田中の背後に回り腰をつかむと、思いっきり抱きかかえ、上下をひっくり返して、頭頂部を地面に撃ち込んだ! 「げふう!」 田中は戦闘不能になった。そんな彼に近藤はゆっくり近寄り、手錠をかけた。 「先輩……。申し訳ありません。しかし……今の貴方はおじさん。スカートめくりが許されるのは小学生まで! おじさんではただのわいせつになってしまうのです」 「ぐっ……うっ……。俺とした事が……なんてこった……そんな基本を忘れていたなんて……」 うなだれる田中。そんな彼の肩に、近藤はそっと手をのせた。 「仕方がありませんよ。貴方のハートはあの時、少年だったのだから。少年がスカートめくりをするのは必然。当然の理屈。ですが……貴方はそれでも成年だったのです」 「わかってるさ。さあ、速く連れて行ってくれ……」 「はい……」 近藤は、涙ながらに田中をパトカーに詰め込んだ。 一方、空奈達は。 「偉いわ、ロッキー」 「造作もないことだ」 「ご褒美を上げないと。骨を上げるわ。軟骨よ。塩とタレどっちがいい?」 「塩でお願いする。レモンも添えて」 「あ、あの……」 田中を見送った近藤が、空奈の元へとやって来た。 「あら。とんだ通っぷりを見せてしまったわね」 「いえ、かまいません、それより……」 近藤が何か言いかけたその時だった。 扉が開いて、中から覆面男が現れる。 5分経ったのだ! 「どうだ、用意できたか!」 「くっ、犯罪者め……!」 睨み付けることしかできない近藤。そんな彼を押しのけて、空奈は一歩前に出た。 「なんだお嬢ちゃんは」 「謎の少女Aよ」 「謎の少女がこんなところでなんの用だ!」 もっともなことを問われた空奈は、しかし堂々と胸を張ってみせた。 「ビスケットを買いに来たのよ。おとなしく渡せば、フライドチキンの味の秘密は独自に調合したスパイスにある事を教えてあげても良いわ」 「なんだと!? 小娘のくせに俺と交渉する気か! 笑わせてくれるぜ!」 そして覆面男は笑い出した。彼は交渉と哄笑を掛けたのだ。53秒間笑って疲れたのか、一息ついてから、彼は何かを取り出した。 「それは……鶏肉!」 めざとく近藤が指摘する。 「そうだが、それだけじゃない。これを見ろ!」 「コーラ!? ま、まさか……」 「そうだ、こうするのさ!」 なんと覆面男、鶏肉をコーラに浸したではないか! このままでは、コーラのパワーで鶏肉が柔らかくなってしまう! 「貴様! なんて事を!」 近藤は怒り狂った。彼はコーラ派ではなく、メープルシロップ派であった。怒りにまかせて前に出ようとする近藤。しかしそんな彼を押し止める者がいた。 「お前では無理だ。俺がやる」 「い、犬。なんて言っているのか解らない!」 混乱する近藤に、空奈はそっとこう伝えた。 「彼はこう言っているわ。俺はロッキーだ。わおーん。と」 「ロッキー……それが彼の名前!?」 今まで謎だった犬の名前を意外なところで告げられて、近藤は更に戸惑った。 その隙にロッキーは空奈の更に前へと進み出た。 「次は犬か……。ふん、犬無勢がこの銃に勝てると思っているのか!」 覆面男は自慢のウィンチェスターを構えて見せた。 だがロッキーは余裕の顔だ。まるでデートの30分前に待ち合わせ場所に到着した男の子のように余裕である。 「ふっ、まさか貴様、俺がただの犬だと思っているのか?」 「違うのか!?」 覆面男は警戒した。彼にはロッキーの言葉が分かるらしい。 ロッキーは多くの面前の中、ゆっくりと自分の背中に手を回した。 そして聞こえる音。 ジッ……ジジジジジ。 「この音は……ジッパー!」 ロッキーはジッパーをおろしていた。そして脱ぎ捨てられる着ぐるみ。そう、彼は着ぐるみを着込んでいたのだ! 「貴様まさか……」 「そう。俺は犬ではない。虎だ」 着ぐるみの中から現れたのは、縞模様をした、雄々しき一匹の虎であった。 「名前はケイシーだ。以後よろしく」 ロッキー改めケイシーは、丁寧にお辞儀をした。そう、彼は雄々しさだけではなく礼儀正しさも併せ持つ漢であった。 「くっ! 死にやがれ!」 銃を撃とうとする覆面男。しかしケイシーの方が圧倒的に早い! 「アイガー。アイガー」 ケイシーは間合いを詰めると、しゃがみこんで両拳を突き出した。それは見事に覆面男の腹部を直撃する! 「げふっ」 慌ててジャンプして空中へ逃げる覆面男。しかし! 「アイガーアパカッ」 「ぐはあ!」 ケイシーのアッパーカットが、見事に覆面男を捕らえ、撃墜させた! 「ふっ。空中に逃れようとは……そんな浅はかさだから○ガットに勝てぬのだ」 「くうっ。俺が○ガットに勝てない腹いせに友人のス○2を売りさばいたという秘密を見抜くとは!」 「俺の観察眼なら容易いことだ。さすがに初めて購入したゲームソフトが激震フ○ーザだったことまでは解らなかったがな」 「ううっ、そこまで。俺の完敗だ……」 あらゆる秘密を見抜かれた覆面男は銃を捨てて降参、すぐさま近藤の手によって手錠をかけられた。 かくして、街の平和が戻ったのである。 「これでビスケットが買えるわ。でもロッキー。貴方、猫だったのね。名前は何というの?」 「ほう、俺が虎の芝居をした猫だと気が付くとは。さすがだな。俺は……だ」 「そう、……というのね」 「ああ。よろしく頼む」 二人の話し声は、緩やかな風に乗って街の空を渡っていった。 「という夢を見たの」 朝食中の空奈は、やはり朝食中の友人二人に聞かせて見せた。 「なかなか面白い夢ですね」 そう答えたのは黒髪の女の子、千景。 「何とも奇天烈な事だな」 そう答えたのは銀髪の女の子、疾風である。 「でもあの子なら、それくらいのことをしてくれそうだと思わない?」 そう言って、空奈はミルクをかけた麦のお菓子をスプーンでひとすくい。彼女にとって、朝食といえば基本的にこれであった。 「いやさすがに犬から猫には……なれそうで怖いな……」 やはり麦のお菓子を食べてる疾風は、否定しようとして途中で考え直したらしい、複雑な表情を見せた。 「でも最後に名前が聞き取れなかったのが残念ね……」 「まあ、夢とはそういうものだろう。そうそう、猫と言えば最近は……」 猫から何を連想したのやら、千景がなにやら話し始めた。彼女は話し上手なので、ただ黙って聞いていても退屈はしない。それを知っている二人は静かに耳を傾ける。いや、疾風は突っ込みをいれているけれど、空奈は時折相づちを打つのみだ。 こうして、三人の朝は穏やかに過ぎていったのだった。 |
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