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ハンターシリーズ143
『はじめての……』

作・てぃーえむ

 

「まだ引きこもっているようですよ」
 毎度おなじみ,ボスの部屋.
 やはりおなじみになった部下の男が言った.
「まったく……あいつらは何かあったら引きこもらずにはいられないのか?」
 ボスは頭痛を堪える仕草を言いながらぼやいた.
 そのうち,頭痛薬を常備するようになるかもしれないなと部下の男は密かに思う.いや,もしかしたらすでに懐に入れているのかもしれない.
「でもまあ……同情はしますけどね.珊瑚被害を受けたことがある身としては.2度目の被害を受けた時,このままで万が一にもあれが来たらどうしようって,ずっと思ってましたし」
「そこに気が回るとは,なかなか君も図太いんだな」
「それほどでもないですよ」
 肩をすくめてみせる部下に,ボスは軽く手を振って答えた.
「にしてもだ.疾風のお祝いの末に引きこもり多数とは,あいつら,打たれ弱くなってないか?」
「それ,以前にも聞きましたね.でもお祝いと言っても,あれのお祝いでしょう?」
「……まあな」
 ボスは苦笑し,部下の男もボスと同じ顔をする.
 そう.
 あれのお祝いとやらが行われたのは,今から三日前のことだった.


 その日,疾風は調子が悪かった.
 どうにも体がだるく,下腹部が重い.鈍痛を感じるほどではないにしろ,違和感はあった.それらのせいなのか,精神的にも不安定さを感じる.毎朝の日課である剣の稽古も,まるで集中できていなかったので,早めに切り上げて今に至る.
 風邪でもひいたのかな.
 疾風はここ最近の生活を見直しながら考えた.しかし,無精はしていないはずだった.栄養のある食事と,運動.ちゃんと睡眠もとっている.病気になる要因は無いはずだったが,それでもなるときはなるものだ.
 とりあえず,今日は千景を追いかけるのはやめにしておこう.
 そんなことを決定しつつ廊下を歩いていると,ばったりと見知った顔に出くわした.
 自分よりほんの少しだけ背が高い,栗色の髪の可愛い女の子.緋色の瞳は,いまいちどこを見つめているのか解らず,いつも通りに真っ黒なツーピースを着込んでいる.
 影鳥空奈だった.
「ごきげんよう,黄路さん」
 彼女は控えめな声で,挨拶をしてきた.
「ああ……おはよう」
「……?」
 疾風の声に何を思ったのか,空奈は小首をかしげた.
「どうしたの?」
 心配そうな声色.どうやら此方の不調に気が付いたらしい.
「ん? いや……どうにも調子が悪くてな……風邪だろうか……」
 下手にごまかしても何にもならないので,疾風はお腹をさすりつつ,正直に答えた.
「そう.可愛いおへそだとは思うけど,だしっぱなしは冷えてしまうわよ?」
 疾風は基本的にへそだしルックであった.
「う……面目ない」
 返す言葉がなかったので,疾風は素直に謝った.
「とにかく暖かい格好をする事ね.それとちゃんと体を休めて」
「ああ……そうする…….……?」
 突然,じゅくり,となった.
「!?」
 本当にそれは突然だった.突然すぎて,いったい何なのか,まったく把握できない.ただ,脈拍が速くなるのだけは解った.
「どうしたの?」
 そんな問いかけにも,疾風は答えられなかった.自分に何が起きているのか,解らなかったからだ.
 空奈はまた小首をかしげた.そして疾風をじっと観察する.頭の先から,目線をどんどんおろしていき,やがてずっとお腹に当てていた掌までたどり着く.そこで彼女は瞬きをした.
「もしかして,はじまっちゃったの?」
「え? は,はじまる?」
 疾風は,彼女の言葉が理解できなかった.ただ,下腹部に起こった何かに,精神が揺さぶられるのみだ.そんな疾風の様子に,空奈は確信を得た表情になった.
「トイレ」
「えっ」
「近くにトイレがあったのは幸いね.行きましょう」
 空奈は疾風の手を取ると,足早にトイレのある方向へと歩き出した. 
「えっ,あ,なんなんだ?」
「……普通ならおめでとうと言う所なんだけど……貴女の場合はご愁傷様と言った方が良いのかしら?」
「一体何の話を……」
 まるで解らない.
「はっきり言った方が良い? つまり初経の話よ」
「……………………しょ……? え?」
 その言葉を聞いてもなお,疾風は呆然としたままであった.


 空奈に進められるままトイレの個室に入り,言われたとおりにズボンとショーツをおろして便座に座る.
 そうして始めて,疾風は何が起きていたかを目の当たりにした.
「うっ…………」
 ショーツは赤く塗れていた.それを認識したら,今度はにおいがやって来た.疾風の知っている血のにおいとは違う,今まで嗅いだことのないにおい.
 まずはふき取らなければ.
 僅かに残った理性に従い,疾風はトイレットペーパーを巻き取って,それでショーツをぬぐった.何度もぬぐいつつ,ようやく頭の中に生理という言葉が思い浮かんできた.
 こんな風になるのかと,疾風は驚きを隠せない.想像を遙かに上回る状態だった.
 それはもちろん,知識として知っていたことだった.健康な女性ならばすべからく起こってしかるべき現象.血が出るとは解っていた.それにしてもここまでとは,認識が甘すぎたらしい.
 疾風は今でこそ,愛らしい少女の姿をしているが,元々は男性であった.そしてこの体になってから今まで,未発達な体だったせいか生理が来ることはなかった.だからだ.生理に対しての心構えも,準備も,何もしていなかった.
 先ほどから違和感が続いている.何かが排出されるような感覚.男ならば絶対に感じないだろうその感覚.ぽちゃん.と,音がした.今までまったく意識していなかった所から,血がしたたり落ちたのだ.
「……うぅ」
 泣きそうになった.
 いつか来ることは解っていたことなのになんの備えもせず,ちょっと女性特有の生理現象に見舞われたくらいでかつて無いほどに動揺しているふがいなさ.
 情けなくて,泣きそうだった.
 それを堪えることが出来たのは,一重にライバル視している少女の存在があったからだった.これは,彼女も相対している問題なのだ.相手は平然とこのイベントをこなしているであろうに,自分がここで泣いたら,まさしく負けではないか.
 ショーツの処理を終えると,自分自身の汚れた部分を手早くふき取った.空奈に教わった通りに,ハンカチを折りたたみ,ショーツに当ててそれをはく.
 水を流し,手を洗ってトイレを出ると,すぐそこに空奈が待っていてくれた.
「こう言っては何だけど,ひどい顔ね」
 空奈は,疾風の顔を見ることなくそう言うと,疾風の手を取った.
「め,面目ない……」
「普通の女の子でも初めては戸惑うし,ショックも受けるから,そう気にすることは無いわよ」
「すまない……」 
 空奈が先導する形で歩き出す.疾風は手を引かれつつ,後に続いた.向かうは疾風の部屋だ.
「部屋に付いたらまずはシャワーね.ちゃんと綺麗にすること.ズボンもショーツも洗濯して……まあ,捨てた方が良いかもしれないけれど.ちゃんと暖かい格好に着替えるのよ.これは数日から一週間くらい続くから,その期間中は,なるべく清潔にね.あとお腹を冷やしたら駄目よ.といっても貴女,お洋服は…….まあ,単衣を着ていなさい」   
「あ,ああ……わかった」
 こくりこくりと頷く疾風.
「それと,ナプキンを一つあげるわ.それでとりあえずは凌げるから,その間にナプキンを買いに行きなさい」
「な,なぷきん?」
 聞いたことはある名前だった.しかし実物を見たことはない.
「……部屋に付いたら手渡すし,使い方も教えてあげる」
「ほんとうにすまない……」
「別に」
 空奈の声に気負いはなかった.どうと言うことも無いかのように前を見て進んでいる.でも,疾風の手を握る彼女の手は,柔らかく優しかった.
「……君がいてよかったよ…….もし他の人だったならば……」
 疾風は心底感謝しながら呟いた.もし,ほかの女性陣がいたならば.ちょっとした騒ぎになっていただろう.その騒ぎの中で,疾風はきっと恥ずかしい思いをしたに違いない.
「特に千景に知られたら……」
 どんな風にからかわれるのか,想像もつかなかった.
「あら,そんなことはないわ」
 疾風の恐れをなだめるかのように,空奈は優しい声で言った.
「千景はこう言ったことで貴女をからかったりはしないわよ.その当たりはちゃんとした子だから」
「……そ,そうか……?」
 いつもからかわれている当人として疑問符を浮かべざるを得ない.
「そうよ.本当に相手が傷つくような事はしないの.ああ見えて,優しい子なのよ」
「や,やさしい?」
「あら,眉唾物って顔をしているわね」
 やはり前を向いたまま,空奈は言った.
「だって,なあ……」
「確かに変わってるし気まぐれだし必要ならいくらでも猫かぶるし興味がないことにはいい加減だし変なところでネガティブだし敵対する相手には容赦ないし謎解きはしても犯人逮捕には興味なくて正義感なんてものがあるのかまったく疑問だけど……」
「す,凄い言われ様だな……」  
「……と,とにかく,悪い子じゃないのよ」
 自分でも言いすぎたかもしれないと思ったらしい,どもりながらも空奈は言った.
「そ……そうか」
「そうよ」
 ほんの僅かだけ握力を増した空奈の手を握り替えしながら,疾風は答える. 
「じゃあ,それを信じることにするよ」
 ここでようやく,ほんの少しだけ余裕のある笑みを浮かべることが出来た.


 自室に戻って一通りのレクチャーを受けた後,疾風は空奈に言われたとおりにシャワーを浴びることにした.
 洗濯機に衣類を放り込み,髪を解いて,バスルームへ.
 レバーをひねって,温めのお湯を頭から浴びる.そうすることで,少しでも気持ちを落ち着けたかった.
 たっぷり30秒間数えてから,今度は肩にお湯を当てる.
 ふと,自身の胸に目がいった.年の割には小さな胸.ぺったんこではないので,そこは救いだったかもしれない.今から何処まで大きくなるかは解らないが,少なくとも今よりは確実に大きくなるだろうと,空奈は言っていた.疾風はいつも小さい胸のことを気にしていたので,それに対する慰めのつもりらしい.しかしよくよく考えれば,胸は女性の象徴なのだ.そう考えるとまた恥ずかしさがこみ上げてきて,疾風はもう一度頭からシャワーを浴びることになった.
(やっぱりあいつに負けないくらい大きくなってほしいよなあ)
 それでも,ふとそう思ってしまい,自分の負けず嫌いには呆れるほかない.
 更に1分間浴びたところで,ついに下半身にシャワーを向けた.そうして,まだ赤が残っていた下腹部を綺麗にする.
 十分に洗い流してから,疾風はシャワールームを出た.素早く体をふき取り,ナプキン付きのショーツをはいて,肌襦袢を着て,単衣を纏った.
 シャワーを浴びる前,空奈はナプキンの使い方を教えた後,どのような形で売られているのか,ブラウザ携帯でその画像を見せてくれた.世の中便利なもので,大抵の物はネットで購入できるし,その画像を見ることも出来るのだ.
 そして,ドラッグストアへと出発した.
 根城にしているハンター本部は町はずれにある.それ故にお店は少し離れているし,ショッピングモールがある街の中心まではかなりの距離になる.しかし全国規模で展開しているドラッグストアは比較的,本部の近くにあったので,それは幸いだった.
 なるべく心を無にしながら歩き,普段より2倍ほどの時間を掛けてようやく目的地に到着した.お腹を気にしすぎて歩みが遅くなっていたのだ.
 自動ドアをくぐり,平静を装いながら店内を闊歩する.目当ての商品は,店の奥の方で見つけた.女性向けの商品がそろった一角に,疾風は立つ.
 ナプキン以外にもいろいろとあるようだった.
 こういう時用のショーツもある.ウエットティシュみたいな物も.
 タンポンとやらもあったが,しかし空奈がそれをお勧めすることはなかった.自分が使うにはさすがに辛いだろうとの事だ.詳しく尋ねてみると,タンポンというものは,中にいれて使うらしい.
 たしかにそれは勘弁してほしかった.
「…………」
 脈拍が高い.
 今,自身に起きている現象と,今この場に立っていることが,否応に自分の姿を認識させる.この姿になったことに後悔は無いが,とんでもなく恥ずかしい.
 目の前には,ナプキンが一杯詰まった,30個入りの袋.20個入りもあるが,多い方が良いだろう.昼用と夜用,さらに多い日用や少ない日用まである.こんな多様なのかと,疾風はちょっと驚いてしまった.
 とりあえず,昼用と夜用,その両方を手に取ろうとする.
「………………ぅ」
 顔がほてっている事を自覚できた.
 間違いなく,あの千景も,同じものを購入しているのだろう.なんの疑問もなく,平然と.商品ごとの使い心地まで把握しているかもしれない.
(ええい,何であいつはそうも簡単に購入できるのだ?)
 疾風は八つ当たり気味に,心の中でわめいた. 
 その答えは簡単だ.自分は元男だが,彼女は元から女だからだ.
 どうせなら,自分も元から女だったら良かったのに.そんな世界にしてしまった真城華代がちょっと憎い.
 だが,千景が出来ることを自分が出来ないというのはどうにも許せない.ここは,なんということもないと言う顔で平然と商品を手に取るべきだ.
「……はっ」
 視線を感じた.
 買い物客が,此方を見たのだ.
 疾風は焦った.その視線に,なま暖かい物を感じたからだ.客観的に見れば,初めて生理用品を買いに来た少女の図であり,それはまさしくその通りなのだ.
「〜〜〜〜〜!」
 この時の疾風は,まさしく茹でだこだっただろう.ほんの数秒前まで平然としようと考えていたのに,そんな考えは宇宙の彼方まで吹き飛んでしまった.
 それでも目当ての物を二つ手に取り,ついでにウェットティシュのようなものもひっつかむと,レジへと急ぐ.
 やはりなま暖かい目で見つめてくるレジ係さんを無視し,お金だけ払うと足早に店を立った.


 帰りは,早足だった.もともと,絶対に運動してはいけないということでは無いのだ.調子が良いならば普通に運動しても問題ないし,調子が悪いならば控えればいいと教えられていた.
 本部に到着すると,一直線に自室を目指した.
 しかし途中,本部内にもうけられた休憩スペースの一角にて,あまり会いたくない人物と遭遇してしまった.
 ちょっぴりゴスロリチックな格好の少女.浅葱千景である.
 空奈は大丈夫だと言ったし,自分もそれを信じると口にしたものの,やはり不安はぬぐいきれない.
 彼女は,いちごやりくと言った半田姉妹数人と雑談を交わしているところで,めざとく此方の姿を見つけ出すと,穏やかな笑顔で声をかけてきた.
「おや,お買い物でしたか」
「うっ.あ,ああ」
 堂々としていればいいのに,疾風は目を泳がせながら頷いた.
 彼女はめざとい.すぐに疾風の様子から何か隠し事があることを見抜いたらしい.目を細くした.
「どうかしましたか?」
「どっ,どうもしてない」
 つっかえてしまった.これでは,どうかしたと明言しているようなものではないか.千景の後ろにたむろっている半田姉妹が不思議そうに此方を見ていた.視線を意識してしまい,疾風の顔に朱がさした.
「……ふむ.その袋,あのお店のですね」
「……」
 疾風は紙袋を後ろ手に回した.墓穴を掘っているのは自覚していたが,動揺しているせいかどうにも出来ない.
「わざわざ隠さなくても良いのに.ということは…….なるほど」
 ここで千景は得心を得たという表情になった.
「生理用品ですか」
 どくんっと,疾風の胸が跳ねた.完全に悟られたにちがいない.この件でいじられでもしたら,為す術もなくやられるだろう.
「今まで用意していた形跡はないので,急に買い求めたと言うことは…….なるほど,はじめてですね」
「…………ううっ」
 疾風は完全に怯んだ.しかし,意外にも千景は意地悪な顔をしていなかった.とうとう来てしまったんだなあという感慨みたいなものが浮かんで見えた.
「なんだ? もしかして,あれか?」
 いちごや,ほかの娘もこっちにやってきて,疾風の顔を見つめた.その視線に含まれているのは,紛れもなく同情心であった.
 こうなっては隠しても意味がない.
 疾風はこくりと頷いた.
「きちまったのか………….そうか……大変だな……」
 りくがしみじみと呟く.もし彼女に背丈があったなら,疾風の肩を叩いていただろう.
 意外な展開に,疾風は戸惑った.だが考えてみれば,半田姉妹の境遇は自分と同じものなのだ.普通の女性とは違って,元男としての意識がある.だから自分の気持ちを理解してくれるのだ.千景がいじってこないのは,空奈の言うとおりネタは選ぶと言うことなのか.
「俺も最初は戸惑ったよ…….いや,衝撃だったな,あれは」
「りくって…….ああそうか.その姿の前は……」
 いやな記憶を無理矢理懐かしんでいるようなりくに,いちごは以前のりくの姿を思い出したようだ.
「俺もいずれは来るんだろうな……」
 そう漏らしたのは未来だった.彼女の身体年齢を考えると,早い子ならば来ていてもおかしくはない.
「この前授業で習ったが…….ううん……」
 未来は現在,小学校に潜入中であった.
「ただでさえ辛いのに,周りの反応がまたきついんだよなあ…….正直やってられないが,世話になってるのも確かだから無下には出来んし」
 そう言うりくに,いちごは苦笑を漏らした.口にはしないが,同じ思いを抱いているのだろう.
「ああ……わかります,それ」
 みこが言った.
「初めての時の家族の反応と来たら…….学校でもそうですし……」
 愛らしい顔立ちを情けなくゆがめて,肩を落とす.彼女は,見た目と実年齢が同じ現役の高校生だ.大人のいちご達でも辛いのに,精神的に不安定な若者にとっては一際辛いだろう. 
「みんな苦労しているんだな……」
 疾風はどこか安心したように呟いた.仲間がいることに気が付いて,心が軽くなったのだ.
「まあなんだ.辛ければ言えばいいさ.アドバイスできることはしれてるし,ほとんど聞いてやることしかできないだろうが……」
「いや.十分だ.ありがとう」
 照れているのか,頬を掻きながら言ういちごに,疾風は頭を下げた.
 そして頭を上げたとき,千景の顔が目の端に映った.
 なんだか興味深そうに場を見つめていて,不思議に思った疾風は尋ねた.
 すると彼女はこう答えた.
「別に.ただ,元からの女性なら,こうはいかないでしょうね」
「………………」
 確かに.普通ならば,お祝いが先に来るだろう.それから,今後続く苦痛に対する同情と苦労を共にしているという仲間意識について,早口できゃいきゃいと騒ぐに違いない.実際にそれを体験したであろういちご達は,苦笑を漏らしたり同意するように頷いたりしていた.
「でも,お前さんは元々女性だろうに」
「あいにく,私は良く出来た女性なんですよ」
 いちごの問いに,千景は堂々と答えた.自分で言うなよと誰かが突っ込むと,場が少しだけ和んだ.
 その時,メロディが流れてきた.いちごやりくの世代には懐かしいであろう,有名な昭和歌謡曲だ.千景の携帯電話から流れてきているらしい.彼女はポケットからそれを取り出すと,周りに断りをいれてから応対を始めた.
「……えっ?」
 驚き,聞き返す千景.珍しい表情だった.大抵のことには動じずに対応する彼女がこれほどまでに吃驚するのは滅多にないことだった.
 しばらくして,彼女は携帯電話から耳を話した.何かいじくって,それから疾風達の方を見た.
「あなた達は運が良いですよ.未来予報なんて,自分からは滅多に行わないのに」
「みらいよほう?」
 聞き慣れない言葉に,一同は小首をかしげる.そんな彼女たちに微笑みながら,千景は続けた.
「普通なら大金を用意しないと聴けないしろものですから,心して聴いてくださいね.それじゃあ,空奈」
『……ごきげんよう.聞こえているかしら?』
 携帯電話から聞こえてきた声は,紛れもなく空奈のものであった.疾風の心に不安が生まれた.おそらく,ほかの者達も同様だろう.良くない知らせを予感しているのだろう.彼女は,どこかで悪いことが起きそうになると,事前にそれを知らせてくれることで有名だったからだ.それは彼女が気が向いたときに行われるが,いまがその気が向いた時なのだろう.
『時間がないから早速始めるわね.もうすぐ,そこにいろんな人が集まるわ.主に女性陣ね.それで黄路さんのお祝いが始まるわ.それで,その流れだけど……』
 それはたっぷり3分ほど続いた.空奈の話が進むにつれ,ある者は情けない顔をして,ある者は深刻そうに眉をひそめた.
『……信じるかどうかはお任せするわ.さて,どうするのかしら?』
「逃げよう」
 いちごが言った.何の迷いもなく,当然のことのようにそう言った.その意見はもちろん,満場一致で可決され,早速逃走は開始された.
 …………のだが.


「みんなそろってどうしたの?」
「あっ.疾風ちゃん……」
 そんな水野さんと沢田さんの声.
 更に集まってくる女性の気配.
 結局,彼女たちは逃げられなかったのだった.


「報告によれば,女性陣が随分と突っ込んだ話をしたらしいですしね」
「まあ,元男としては聞きたくないだろうなあ……」
 部下の言葉に,ボスは僅かに同情を見せた.男には男だけの,女には女だけの内緒話があるものだ.それは決して異性の前でされることはない.半田姉妹は,その女だけの話の渦中にいたのだ.
「だが,未来予報まで聴いていてあの体たらくとはなあ」
 あらかじめ,ああ言う話になるのが解っていただろうにと呟くボスに,部下の男は首をかしげた.
「なんですかその未来予報って?」
「ん? ああ.天気予報みたいなもんさ.解るのが天気か未来かの違いはあるがな.確か……,儀式でもって時の記憶をのぞき見て,別の秘術で未来に続く道筋を知る……だったかな? 空奈の,影鳥の一族の十八番だな.未来が具体的に解るから,金持ち連中には重宝されているようだ」
「未来って……,それすごいんじゃないんですか?」
「まあ,その技でもって,影鳥家はオカルト界で盤石の地位を手に入れたからな」
「じゃあ,それを使えば華代被害も事前に防げますね」
 そんな部下の言葉に,ボスは渋い顔をした.
「そうなんだが…….これは千景や疾風にも言えるが,あの子達の力を此方の一存では使わせられないんだよ.偉いさん方との約束でね.金で物を言わせれば使って良いらしいんだが」
「宝の持ち腐れですね」
 そんな金は何処にもないと理解している部下の男は,きっぱりとそう言った.
「3人ともここにいるだけで組織存続の役に立っているから文句はいえんよ」
「うわ,それなんですか? 黒いですよ?」
「うるさい.それより,いい加減とっととあいつら引っ張り出してこい.疾風はともかく,いちご達は仮にも公務員だからな.給料分は働かないと国民に申し訳ない」
「それはまた殊勝な発言ですね」
「まあ,町内ゴミ拾い大会に参加させるだけなんだがな.ほら,とっとと行ってこい」
「はいはい」
 ボスにおっ払われるように,部下の男は半田姉妹を引っ張り出しに出かけたのだった.


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