![]() ハンターシリーズ147
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ハンター本部の一角に設けられた部屋. 隅っこに置かれた棚にはずらりと資料らしき物が並んでおり,8人くらいならば,快適に事務の仕事が出来そうな広さを持つその部屋.廊下のプレートには編集部とだけ書かれている. そう,ここはハンター組織で発行されている社内誌『月刊ハンターの友』の編集室なのである. しかし今はデスクがぽつんと一つあるだけだった.何とも寂しい光景,そんな部屋の中で頭を抱える青年が一人. ハンター組織唯一の編集者であると同時に記者である,武藤文也だ. 彼が新人として広報部にやって来た4年前は,まだ人は残っていたのだ.でも先輩達は高齢で,一人,また一人と定年退職してしまったのであった.しかも新人がまったく続かない.広報部はそこそこ激務であり,更にほかの部の仕事も回されるのだ.応募を募っても誰も来ない,声をかけても誰も応えてくれない,それほど不人気な部署だった. 規模が激減したせいで,貰える予算も激減.かつては各支部にいた記者も居なくなった.社内誌も100ページ近い無線綴じの本で『広報誌』と呼べるだけの物だったのに,今では2色12ページの中綴じ折り.この調子で予算が減り続ければ,2色から1色になるかもしれない. こうなってはもう,広報部が潰れて新広報部が出来るのは時間の問題であったが,文也はくじけなかった.たった一人で今までがんばってきたし,そのがんばりの結果か彼の作る広報は読者や上役から一定の支持を得て,存続が認められていた.一人で出来るなら,一人に任せておけば良いんじゃないかという,組織のいい加減すぎる考えもある. しかし……. 「ぐあー」 ノートパソコンの前で,文也は頭をかきむしった. ネタ不足なのだ. 通常,紙面の半分は,上役の訓辞や挨拶,組織の今後の動向や会議の結果などで埋められている.残りは組織内の事件や読者投稿,数独などのパズルで埋まっている. 今回も途中までは順調に隙間を埋めていくことが出来たのだが,ただ一カ所だけ空白が空いてしまったのだ. 具体的には,組織内で起きた事件,それも笑みを誘うような事件を報じる枠である. ハンター本部は結構騒がしく,珍事件も多いので,記事に困ることはあまり無かったのだが,時には平穏に時間が過ぎていくこともある.そんな時は足を使ってネタを探すしかないのだが,一人で出来ることには限界があり,したがってこのようなネタ切れが起きるのは仕方のないことといえる. 真面目で堅苦しいネタならば,手元にそこそこはある.それを使えば紙面を埋めるのは難しいことではない.しかし,それだけではどうにも味気ない.堅いネタと同じ量だけ楽しいネタも盛り込むのが文也のポリシーであったが,今回は珍事件ネタも無ければ,その代わりになるようなほのぼの系のネタもない. 「ネタ……ネタはないのか……」 キーボート上に指を走らせては,無意味な文字列を自作の文章作成兼組版ソフトに刻む.そしてバックスペースキーを連打してその文字列を消す.ネタがないときの彼の癖であった. 「……ええい! らちがあかない! 出るんだ……外へ!」 10分くらい無意味な行動を取った後,このままでは原稿が落ちてしまうという現実に気が付いた文也は,デスクの引き出しからデジタル一眼レフカメラを取り出すと,部屋を飛び出していった. 飛び出したのは良いのだが,ネタというのはそこら辺に転がっていそうで実はなかなか見つからないという,なかなか哲学的な代物であった. 1時間ほど本部内を歩き回って見つけたのは,日向で眠る猫みたいにソファーでまどろむ黒髪と銀髪の少女,ポニーテールの少女に吹っ飛ばされる男性の姿,カフェで大食いする女子高生,刃物を振り回している幼女を注意する女教師風の女性…….記事に出来なくもなかったが,どれもすでに日常的な光景過ぎて新鮮味がないのである.そもそもあの中には社内誌制作の協力者も混じっているから,どちらにせよ記事には出来ない. 「ん?」 その時,文也は声を聞いた.良く耳を澄ましてみると……. 「おい,ロビーでなんかやってるってよ!」 「ミニコンサートだってさ」 そんな話し声. どうやら,突発的にロビーコンサートが開催されているらしい.この組織自体は金欠のせいで大した催しは出来ないのだが,その代わりに職員が独自に何かしらのイベントを開くことがあった.元々,呑気な気風の組織なのである. 「よし,これはネタになるぞ!」 文也は喜び勇んでそのコンサートを見に行くことにした. 廊下は走ってはいけないのだが,そんなのは関係ない.彼は全速力で駆け抜けた. しかし……. 「良い歌声だったな!」 「うちにあんな可愛い子がいたんだな!」 彼が見たのは,満足げに去っていく観客の姿であった. コンサートを開催していた人の姿は,何処にも見あたらない.すでに去った後なのだろう. そう,間に合わなかったのである. 悲しいかな,文也は機動力に難があった. 「いったい……どんなコンサートだったんだ!?」 立ちすくむ文也に,哀れむような目線を向けつつ歩み去っていく男達. 「なんだ,聴けなかったのかよ.残念だったな.ま,次があったらそん時に聴けばいいさ」 人の良さそうな男が文也の肩をぽんと叩いて去っていった. この反応からして,コンサートは成功を収めたようだ. 文也,まさに痛恨.上等なネタを掴むチャンスを逃す. 「ぐっ……」 心がくじけそうになった.でも,彼は屈しない. 「ぐわー! つ,次だ! 探すんだ! 次のネタを!」 そう叫びながら,心の中の弱い考えを捨てる. 何か面白いことはないのか.耳特情報はないのか. そうだ,カフェで何か新作を出す予定はないだろうか. そう考えた文也は早速,ハンターカフェへと足を運んだ. 声をかけて,責任者に時間を作ってもらう. しかし……. 「ごめんなさいね.今,どうにも行き詰まってしまいまして」 カフェのオーナー兼店長である春さんは,そう言うと困ったように小首をかしげた. 「そ,そうですか……」 文也は肩を落とした.そんな様子に同情したのか,かわいそうな者を見る目で春さんは言葉を続けた. 「けいさんはいろいろと発案してくれるのですが,どれもおかしな物ばかりで……」 「おかしな物?」 「ええ」 春さんは頷くと,キッチンの方を見た.それに倣ってみると,ちょうど小学生高学年くらいの女の子が,変な物体を持ってこっちにやってきたところだった.そう,変な物体だ.そうとしか言いようがない. 「見てくれ春さん! 新作パフェが出来たぞ!」 「パフェ!? それが……パフェ!」 文也は,女の子が持ってきた代物に目をむいた. 何故だろうか,モザイクがかかっているように見えてならないその物体は,確かにパフェのグラスに盛られている.何とか心の中のモザイクフィルターを外してみると,それは確かにパフェに見えないこともなかった.クリームで飾られているし,フルーツもある.オレンジ色のソースもよさそう.しかし何であろうか,何故か押し寿司らしきものに駄菓子らしきもの,赤い粒のついた白菜みたいなものやらが混じって見える.それに,異臭が鼻についた.いろんな物が混じったせいで形容しがたい臭いになっている. 「どうだ,キムチとフナ寿司とげんこつ飴のコラボレーション! これで客のハートもばっちり……うわあ! 何をするんだ春さん!?」 「却下です」 春さんは微笑みを絶やさないままパフェを掴むと,ひょいっとそれをキッチンの方へと放り投げた.それはちょうど空中で逆さまになると,その状態のままゴミ箱へと飛び込んでいった.割れた音はしなかったので,グラスは無事らしい. 「せっかく作ったのに!」 「そもそも,貴女は味見をしたのですか」 「いいえ,ちっとも……ごはっ!?」 パフェを作った女の子,ケイが回転した.床に尻餅ついた彼女は,おでことお尻を押さえて涙目になった. 春さんがケイを空中に浮かばせ,おでこを一撃し半回転させると,更にお尻を一撃してまた半回転.そんなことを目にもとまらぬ速さでやって見せたのだ.ハンター屈指の達人である春さんならではのお仕置きであった. 「次からは味見をすることです.わかりましたね?」 「すみませんでしたぁ〜〜」 新作はなかったが,このやりとりは,ほのぼの系のネタとしては使えるかもしれない.そう考えた文也はおそるおそる尋ねてみことにした. 「あ,あのー.今の記事にしたいんですけど……」 「却下です」 もちろん春さんは許可してはくれなかった. それから更に3時間. さまよいさまよい,しかしネタは見つからず,文也は途方に暮れた. 入稿の時は迫っている.早くなんとかしないと.そんな思いが胸中を廻るが,無い物はどうしようもないのである. 文也はベンチに腰掛けて,小さくため息をついた. それでも,足掻くことが出来るだけましなのかもしれない.10年前なら,とっくに入稿を終わらせていた時期だ.今,ネタ探しを行えるのは,ひとえに印刷業界の発展のたまものであった.オンデマンド上製本システムが確立されたおかげで,昔と比べて格段に製本納品までにかかる時間が短くなり,その分,原稿制作に時間を割くことが出来るようになったのだ.更に文也は,自前で組版,校正して完全な状態にし,それを印刷会社に合わせた形式でデータ化して送っているので,その分入稿までの時間を稼ぐことが出来るのであった. それでも,時間が押し迫っている事実は変わりようがないのだが. 顔を上げると,窓から差し込む西日が目に映り,それがやけに暑く感じた. 「どうしましたか」 心配そうな声が,文也の耳に届いた. 「何か悩み事ですか?」 いつの間にか,隣に少女が座っていた.いや,幼女と言った方が良いかもしれない.仕立ての良いワンピースを身に纏った愛らしい女の子が,優しく微笑んでいる. 「えっと……」 文也は戸惑った.この組織は,基本的に一般人は立ち入り禁止である.となると,この子は組織の関係者なのか.いや,関係者の連れ子というのが一番あり得る話だろう. 「あ.そのカメラ,格好いいですね.写真家さんですか?」 「いや,記者なんだけど……」 随分と落ち着いた感じの子だなと思いつつ,彼は答えた.すると女の子は目を細めた. 「なるほど,記者さんでしたか.でも,何を悩んでいたんです? お聞かせください.不肖の身ではありますが,力の限り私が解決してご覧に入れますよ」 「解決?」 「はい.遅れましたが,私,こういうものです」 女の子はポシェットから名刺を取り出し,文也に手渡した.名刺には,真城華代と書いてある. 「あ,どうも.ぼくはこういうものです」 いつもの癖で,文也も名刺を懐から取り出して華代に手渡した. 「どうもです.あ……,ハンターの友って,ここの広報ですよね」 名刺に目を通した華代が,華やかな笑顔でそう言った.広報のことを知っていると言うことは,やはりここの関係者なのか. 「難しい話はよく分からないんですけど,面白い事件やパズルが載ってますよね.あれ,好きなんです.次回も楽しみにしてますね」 「ありがとう……でも」 文也の顔が曇り,それを彼女は敏感に察知した. 「でも? あ,もしかして悩みってそれですか?」 「……うん」 どうやらこの女の子には,人の持つ悩みを見抜く力があるらしい.普通ではない雰囲気からして,見た目よりもずっと,中身は大人なのかもしれない. 「白状すると,記事のネタに困っていてね」 「ネタですか.そうですかネタがあれば良いんですね!」 「あ,いや違うかな」 「あれれ?」 間髪入れずに否定されて,華代は肩すかしを受けたように体を傾かせた.こんな所は外見通りの反応だ. 「ネタに困っているのは確かで,求めているのも確かさ.でもね,それよりぼくが不甲斐ないのがいけないんだと思う」 「不甲斐ないのですか?」 「うん.せめて,ぼくにもっとフットワークがあればなあ……」 先ほど,足の遅さのせいでロビーコンサートを取材し損ねたのを文也は思い出す.俊足だったならば,コンサートの終わりくらいは写真に納められただろうし,取材も出来ただろう. 「ははあ,フットワークですか」 「情報があれば,一刻も早く現場に向かって取材をする.そのために足の速さは重要なんだよ」 もっとも,情報がなければそのフットワークも使いようがないのだが. 「ふむふむ……」 「仲間がいれば,フォローしあえるんだけど…….人を集められないのは,やっぱりぼくの未熟のせいなのだろうね……」 文也は自分で言っておきながら,その言葉に打ちのめされた.現実は厳しいのである. 「人が集められないって……え,あの広報,もしかして」 「うん.まあ一応,数人協力者はいるけど,基本的にはぼく一人で作ってるんだよ」 「そうだったんですか……」 華代は立ち上がって,腕を組んでうんうん唸っていたが,やがて腕を解いて大きく頷いた. 「解りました.つまりこうすればいいんですね!」 「え?」 いきなり視界が下がった. 「うええ?」 服もぶかぶか,靴もぶかぶか. どうやら,体が縮んでしまったらしい. 「なんだこれ……」 呟く声もやけに高く澄んでいる.まったくもって自分の声ではなかった. 戸惑っている間に,変化は更に続いた.黒のスーツがうねったかと思うと,縮み,変色し,たちまち別の衣装へと替わっていく.コートにベストにシャツ,そしてズボンのセット.ズボンはベルトではなく,サスペンダーでつられていた.男性紳士の服装だが,よく見れば生地は柔らかい.もし第三者が居たならば,どことなく繊細な感じがするシルエットに感心したかもしれない.元は男性の為の服装でありながら,女性が着るために特別にこしらえ直した服のようだった. 「あ,胸はこれくらいはあった方が良いかな」 「うわわわわ!」 みるみる間に胸が腫れ上がっていった.思わず押さえつけると,掌にギリギリ収まらない程度に盛り上がっていた.続いて服の中で肌着がうごめき変化して,文也の胸部を締め付け,できたての胸が綺麗な谷間になるよう矯正した. 「記者と言えばやっぱりこれですね」 とどめとばかりに,女の子はどこからともなくキャスケット帽を取り出すと,文也の頭にかぶせた. 「えっと,あれ? その,なにこれ.あわ.あわわわわ」 自分の身に起こった出来事が理解できず,パニックになる文也.そんな彼,というかもはや彼女の様子をまったく気にもかけず,華代は満面の笑みを浮かべた. 「ばっちりです.これで貴方の悩みは解決します.その姿なら,きっと皆さん手伝ってくれますよ! それとフットワークの件もちゃんとフォローしておきました.よかったですね」 「え.よか? えええ?」 「それじゃあ,私行きますね.次回の広報,楽しみにしてます.それじゃあ!」 言うだけ言うと,女の子は瞬く間にいなくなってしまった. 立ち上がり,周りを探してみてもやっぱり居ない.名刺以外の痕跡は何一つ残っていない. ついでに言えば,いつもどんな時も存在していた感触,男にとって最も大事な部分が綺麗さっぱり無くなっていることにも気がついた. こうして,後には華代被害者だけが残ったのだった. 「なるほど,俺はようやく理解したぞ.あいつは,とりあえず依頼人を美少女にすればどんな問題も解決すると思ってるんだ」 ほんの一時間前の出来事の報告を受けて,ボスは部下にぼやいた.半分笑っていて,ジョークのつもりらしい.それにしてもアメリカンなジョークだった. 「いや今更ですけどねそれ」 素っ気なく部下だったが,そんな返答を予測していたのかボスは肩をすくめると,真面目な顔に戻った. 「で,彼……いや,彼女はどうしている」 「はい.この出来事を記事にさせてくれと騒いでいましたが……代わりのコーナーを設けることで納得して貰いました」 「ほう,代わり,とは?」 「私による,男の創作料理コーナーです」 「………………」 一瞬,ボスは沈黙した. 「それで,ちゃんと元に戻したんだろうな?」 「いえ,それが……元に戻せませんでした」 「戻せませんでした,だと?」 「はい」 部下はそれだけで十分な説明をしたと言わんばかりである.もちろん,ボスもその言葉の意味するところを即座に理解した. 「こんな近くに能力者がいたとはな……盲点だったな」 「はい.それでいかがなさいましょう」 そう尋ねる部下は,すでに答えが分かっている様子だった. 「お前が思っているとおりだよ.『彼』は明日付で『極秘の任務』につかせる.そして『彼女』を新人として華代対策班に迎え入れる.広報部に関しては,『彼女』が『彼』の後釜になる形にする」 「つまり兼任,ですな」 「そうだ.ナンバーは,あいつは武藤だから……,60が空いてたな.それで行こう.名前は……文也じゃなんだから変えた方が良いのか? まあ,当人の希望通りにしてやれ.あとはよしなに,だ」 「はい」 一礼を残して去っていく部下の背中を見つめながらボスは呟く. 「やれやれ.とうとう,一般職員からも華代被害が出てしまったか……」 ……これこそが,遠い未来,最も真城華代の秘密の核心に迫った記者として裏世界に名を馳せることになる(予定の)ハンター60号武藤文也改め文香の誕生の瞬間であったのだが,そんなことは当然,誰も気が付いていないのであった. |
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