![]() ハンターシリーズ160
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「別にこれと言って大したことがあった訳じゃないのよ」 その女性は、平然とそう言ってのけた。 「普通に海外に渡って、普通に大学を出てね。そりゃ、飛び級はしたし、時には論文が評価されたこともあったわ。でも、それってよくあることでしょう?」 凄いことを、表情一つ変えず当たり前の事のように言う彼女に、文香はさてはてと思った。 ここはハンター本部内にいくつか存在するオフィスの一つ。 ハンター情報部情報管理課のオフィスで、広い室内はいくつかのデスクと、大量の紙の資料で占められている。整理はきっちり行き届いているようで、資料は見やすく並べられ、誰のデスク上も整頓されていた。もちろん、床にはチリ一つ落ちていない。 しかし文香の目の前に座る女性のデスクだけは、混沌としていた。広い卓上に、ノートパソコン、重要書類、眼鏡のカタログ、麻雀の牌、トランプ、お菓子の箱、キャラクター物のフィギュア、携帯ゲーム機、何処の国の言葉かも分からない言葉で書かれた本も数冊。端っこには、医学書と電子工学の本と漫画雑誌がごちゃまぜになって積まれている。 ではそのデスクの主たる女性はどうかというと、服は清潔でしわ一つ無い白のブラウスと黒のタイトスカートで、細身のフレームの眼鏡をかけた美女だった。腰当たりまでのばした黒髪は美しく蛍光灯の光をはじいていて、肌は曇り一つ無くなめらか、細身でバランスのとれた肢体はファッションモデルのよう。容姿は特筆に値するほど整っており、瞳には鋭い知性の輝きが灯っていた。背筋を伸ばし、書類に美しい文字を書き連ねていく様子は、誰もが目を見張るだろう。 彼女こそが、ここ情報管理課課長、綾瀬凛。23歳の若さで課長を任された才女である。 ではなぜ文香と彼女が今ここで対面しているのかというと、例によってネタ収集のためであった。要するにインタビューである。 文香は報道部部長代理なので彼女と面識はあったが、それは会議の場で顔を合わせるといった程度のものだった。気軽にインタビューを申し込めるほど親しくはなかったし、普通に申し込んでもあっけなく断られて終わっていただろう。そんな彼女と接近できたのは、真城華代の調査のおかげだった。彼女も華代に関して思うところがあったらしく、手伝いを申し出てくれたのだ。それに対して文香は両手をあげて喜んだ。機密にアクセス出来る権利は得られたものの、その権利を振るう事に躊躇していたのだ。報道部という立場故に、下手をすれば管理課との摩擦を起こしかねない。でも凛のおかげで、文香は気兼ねなく華代に関する情報を得られるようになったし、こうして彼女と話をすることも出来るようになった。
彼女は書類になにやら書き込みながらも、そう繰り返した。 「まあ、ありがちな話ではありますけど……」 話としてはありがちだが、現実としては早々存在しないものではある。 「ここに来たのも、叔父……前任の課長だけど、彼になんとなく任されただけだし」 「いやなんとなくって……」 なんとなくで課長を任されるはずが無く、彼女の能力に惚れ込んでのスカウトというのが本当のところだ。 「でもまあ、退屈ではないけどね。やり甲斐もあるし、かといって根を詰めるほど困難でもない」 好きなことも出来るしと、彼女は小さく微笑んだ。 もちろん、情報部はそんなに甘くない。しかもここは、表だけではなく、真城華代を初めとした裏の情報まで入ってくる部署の、その情報を管理する課なのだから。あんな風に笑って言えるのは、彼女の能力がずば抜けているからこそなのだが、当人はそうは思っていないらしい。 「しかしそう言うって事は、ここに来る前は、退屈だったんですか?」 「ええ。私、友達も居なかったし」 凛はあっさりと頷いた。 「さ、さらりと言いますね」 「だって本当だし。議論したりする仲間はいたけどね」 「ははあ……」 「いろんな所へと足を運んで、あれやこれやと勉強してみたけれど……結局、中途半端に終わってしまったし。やる気の問題かしら」 「そう……なのかな?」 凛のスキルと知識は多岐に渡り、そのどれもが本職と比べても遜色ないレベルだった。しかし、第一線で活躍するようなスペシャリスト達には敵わないだろう。恐ろしいほどに多才だが、極めたものはまだ一つもない。そのあたりを、凛は気にしているようだった。 「思い返すと、本当に私は退屈な青春時代を送っていたのね。ちょっと鬱だわ」 凛は、鬱など欠片も感じられない表情でノートパソコンに目を向けると、左手でタイピングを始めた。右手は相変わらず書類をしたためていて、その器用さに文香は目を見張った。しかし、デスク上がごちゃごちゃしすぎていて、やっぱりちょっとやりにくそうだ。 「えーっと、ぼくが口を挟むのもなんですが……、机、片づけた方が……」 「私としては、ちゃんと機能的に配置してるつもりなんだけどね」 しかしどう見ても、眼鏡のカタログが執筆の邪魔をしているようにしか見えない。 「せめてそのカタログを……」 「これが一番重要なのよ」 凛は、眼鏡カタログをぽんと叩きつつ、そう言った。 「眼鏡、新調するんですか?」 「いいえ。でも、気に入ったのはとりあえず買うことにしてるわ。おかげで、結構たまってる」 そう言いながら、彼女は引き出しを開けた。覗いてみると、眼鏡ケースで一杯だった。ざっと見て10ケースはある。 「ど、どんだけ買ってるんですか」 「なんとなく……」 そう呟いてから、彼女は何かに気が付いたみたいに数度瞬きをした。 「そうそう」 「なんです?」 「一つだけあったわね。楽しかったこと」 凛は文香に向き直ってそう言った。 「小さい頃の話なんだけどね……」 「おっ。なんかネタの予感」 文香は身を乗り出した。 「私には幼なじみが居たの。隣の家に住んでた子なんだけど。物心付いた時から一緒にいて、何をするにもやっぱり一緒だったわ」 「ほほう、幼なじみでずっと一緒ですか」 「みーくんっていうんだけど」 「みーくん。ですか」 心のメモ帳にその名前を書き留めつつ、文香は先を促す。 「私はとっても嫌な子供でね、周りの大人や子供達をからかってはその反応を見てはおもしろがっていたのだけど……。そうしたら誰も私に近づかなくなってね。でもみーくんだけはずっと側にいてくれてた」 「おおー。それはまた」 まさに、ひねくれた天才幼女と優しい男の子の図である。 「それである日……小学1年生の頃ね、彼が空を見上げて言うのよ。あの雲は医療戦隊ヤブレンジャーのヤブブルーの武器に似てるって。私、もしかしたら彼には特別な感性と才能があるんじゃないかって思って能力開発に励んでみたんだけど……」 「の、能力開発ですか?」 「結局、思い違いだったわ。やっぱり彼の才能はどれも平凡なものだった。でもサポート能力はあるようだったからそれを伸ばすようにしたわ」 「なるほど。それで、具体的にはどのようなことを行ったんです?」 「ランドセル持たせたり棒ジュース買いにいかせたり」 「パシリじゃないですか!?」 「そうとも言うわね」 こともなげに頷いてから、彼女はふと、顔を曇らせた。 「その頃は、何年経っても一緒だって思っていたけれど……。やっぱり別れって言うものはあるのよね。3年生に上がる頃、海外行きが決まってね。それで楽しい日々はおしまい。あとは、さっき話したとおりの、つまらない日々の始まりよ。その頃になると、私もそれなりに世間体ってものが理解できたから、せいぜい真面目な子供を気取ってやったけど……正直、それは失敗だったかもね。いえ、その結果ここにこられたんなら、正解なのかな? 貴女はどう考える?」 いきなり問われて、文香は少し考えた。 「んっと、今はそれなりに楽しいのなら、それでいいんじゃないですか?」 そう答えてから、文香は思った。 もしかしたら。 彼女が子供らしい我が侭を言えたのは、そのみーくんと共に過ごした時間の中だけだったのかもしれない。文香の調べによれば、学生時代の彼女の評判は品行方正の大和撫子というものだった。常に礼儀正しく、相手を立てて、失敗をしない。完璧を絵に描いたような少女だったと、彼女をスカウトした『叔父』は語っていた。 「あの〜」 と、その時、文香の後ろから誰かが凛に声をかけてきた。 振り返ってみると、それは見知った男だった。黒いスーツに冴えない容姿。手には大量の資料を抱えていた。 「あれ。二岡くん?」 「あ、どうも」 二岡は文香にぺこりと頭を下げると、凛に顔を向けた。 「で、これはどうしたら……」 「棚に戻しておいて」 「へーい……」 凛に命令されて、二岡はよろよろと資料棚の方へ向かっていった。 「あのー、いいですか」 「なあに?」 「なんで二岡くんが?」 彼は、もちろんここの所属ではない。何故こんな所にいるのか。 「空奈ちゃんを知ってる?」 「知ってますけど」 「あの子と取引したの。彼を雑用に使って良いのなら、外国語を教えてあげるって」 「はい?」 文香はクエスチョンを浮かべた。 「なぜにそこに二岡くんが出てくるんです? ていうか、そこに彼の意志は関わっているのでしょうか? そもそも、空奈ちゃんと貴女とはどんな接点が?」 「空奈ちゃんは、うちの図書室の常連だから。そこでよく顔を合わせるのよ。それでまあいろいろあって、教えることになったの」 「あ、なるほど……そこでしたか」 ここには職員の教養という名目の元に、文学や専門書の類が集められた図書室があり、職員ならば誰でもその本を読むことが出来るようになっている。その図書室の管理もまた、情報管理課の仕事の一つであった。もっとも、利用している人はほんの僅かしかいないのだが。集められた本が難しすぎるのが原因である。 それにしても、彼女が他の所属の人間に対してこんな横暴を行うとは。普通ならば考えがたい行為だ。何処よりも規律に厳しく、情報の取扱に厳格な課の課長が行うようなことではない。そもそも、彼女はそんなことをするような性格では無いはずだった。それとも、よほど彼を信頼しているとでも言うのか。 「まあ、ちゃんと働いているし、良いじゃないの。上だって許可くれたし」 「なんていいかげんな組織なんだ……!?」 とそこで、お昼を告げるサイレンが響いた。 「あら、もうお昼ね」 「……そうですね」 文香は、お腹に手を当てて頷いた。お昼だと気が付いた途端、お腹が減ってきた気がしてきて、そんな自分に思わず笑みが漏れる。 「昼食取ってきたら? ああ、貴方も、それ後で良いわ」 凛は、文香と二岡にそう言うと、自身はパソコンに向き直った。 「よかったらご一緒しません?」 そう文香は声をかけたが、凛は首を振った。 「一段落付けてからにするわ」 それだけ言うと、凛は恐ろしいスピードでタイピングを始めた。 文香は、小さく肩をすくめると、ついでと言わんばかりに二岡を昼食に誘うことにした。
文香は、ホワイトソースのかかったオムライスを口に運びつつ、向かいの席に座ってたぬきうどんを啜っている二岡に尋ねた。すると二岡は箸を止めて、宙を見つめて眉をひそめた。 「えっと……。うーん、なんでだろう?」 「いやぼくに聞かれても」 「なんか突然、空奈ちゃんに言われて、あのオフィスに出向いて、そしたらこれ運べって資料の束を渡されて……それから1週間経ったけど、あれ? なんで俺、あんなところで働いてるんだ?」 真剣に悩み始めた二岡に、文香はあきれ果てた。 「…………君、お人好しにもほどがあるんじゃないかな。本業はどうしたの?」 「やってるよ? ただ、いつの間にか本部待機の時はあそこで雑用をすることになってて……」 「……………………」 「だ、だってさ!? なんか逆らえないんだよ彼女には!」 「力説されても。やさしいのは君の美点だと思うけど、さすがに今回のはどうかなあ。空奈ちゃんにも馬鹿にされてない?」 「ううっ……そ、そうかな? 俺、ちょっと駄目かな?」 二岡は肩を落とし、実に情けない顔と弱々しい目で文香を見た。そんな彼に、文香はため息をついて見せた。 実のところ、このようなやりとりは一度や二度ではなかった。文香、いや文也と二岡は大学の先輩後輩の間柄で、お人好しすぎて周りにいいように扱われる二岡を、文也は慰めたり叱ったりしていたものだった。 「ああ、駄目だね。ダメダメ駄目だ。駄目すぎる」 「そんな5回も……」 「そもそも空奈ちゃんも冗談半分だったんじゃないかな? 断ることを見越しての事だったのかもしれないよ。綾瀬課長は……よく分からないけど」 「俺がきっぱり断れば良かったと」 「それどころか、ちゃんと叱ってあげなきゃでしょ。まさか空奈ちゃん、最近は機嫌が悪かったりしないだろうね」 「ぐう」 二岡はぐうの音を出した。図星だったらしい。 「でも、今回はどうにもなあ……」 「おや、まだ言うことがあるのかい?」 あるのなら言ってごらんと、目を細める文香。 「どうにも断れなくって。というかそうするのが自然というか……」 「ふむふむ。まさか、彼女が相手だったからこそ、雑用を引き受けたとでも?」 「えっと……そう、かも」 歯切れの悪い二岡の表情に、文香は不思議な物を見た。何か懐かしむような、淡い感情だ。 「んー。とりあえずネタの予感かな。どれ、先輩に言ってごらんよ」 「えっと、ですね。昔の話なんですけど……」 「ほうほう」 文香は食べかけのオムライスを横に除けて、身を乗り出した。 「俺には幼なじみがいたんですよ。隣の家に住んでて、ずっと一緒だったんです」 「へー。で?」 どこかで聞いた話だなと思いつつも先を促してみる。 「その女の子は変わり者で、周りの大人によく分からないことを言っては、反応を見て笑ってて。俺もよくその子の言動に振り回されてたっけ。まあ楽しかったから良いんですけど」 「変わり者の女の子と、普通の男の子か。ふむふむ」 「小学一年生の頃だったかな。突然その子が、貴方はもしかしたらすごい才能が眠ってるかもしれない様な気がしないでもないような気がするからちょっといろいろやってみるわね、って言ってきて。それからもう凄かったですよ。あれこれやらされて」 「具体的には?」 尋ねると、二岡は自分でも何を言っているのか解らないと言わんばかりに困惑に満ちた声で教えてくれた。 「よく分からない哲学書みたいなもの読まされたり、料理やらされたり、変な生き物を押しつけられたり、抽象派の絵画展に連れて行かれたり、謎の化学式みたいなのを暗記させられたり。方程式もあったかな……。とにかくいろいろです。いろんな知識を頭に詰め込まれましたよ」 「本当にどんな幼なじみなんだい、それは?」 「とにかく凄い子だったんです。まあ、そんな無茶苦茶も直になくなりましたけどね。やっぱ勘違いだったみたい、とか言われました。それからは、やれランドセルもてとか、駄菓子買ってこいとか、私を自転車の後ろに乗せて運んでけとか……ってあれ? 今と変わらないぞ?」 よよよと崩れ落ちる二岡。 「君はそのころから女の子に良いように扱われていたのか」 「ま、まあ、楽しかったから良いんですけどね。それに……」 ここで、二岡はふと表情を変えた。 「3年生に上がる頃かな。その子とは別れることになりました。留学するとかで。それ以来、ですね……。あとは、ほんと普通に生きてきたなあ……あの頃が嘘のようだ」 「3年生、ねえ……」 文香は脇にどけていたオムライスを定位置に戻し、一口食べてから、ついさっき聞いた話を思い出してほくそ笑んだ。 どうやら、一つ良いネタを仕入れた……のかな? 「ずっと一緒にいたから、お別れはやっぱり辛かったな……。そうだ、まだあれ、持ってるのかな……」 二岡の呟きは、ただの独り言のようだった。自分の考えが表情だけではなく、こんな形でも外に出てくるのは彼の癖だった。 「あれって?」 さりげなく聞いてみると、彼はそれを懐かしむように小さなやさしい声で教えてくれた。 「出立する前に俺が選んだ彼女の初めての眼鏡。ずっと持ってるって言っていたけれど……」 「へえ?」 そういうことかと、文香は合点がいった。彼が彼女に従うのも、優等生であるはずの彼女が彼に雑用を押しつける『我が侭』も。彼がやたらと博識な理由も、彼女があんなにも眼鏡を持っている理由も。 「ここ、よろしいかしら?」 声をかけられた。 顔を上げると、そこに凛がいた。昼時だからか、他の席は空いていないらしい。 「もちろん……あれ、その眼鏡、さっきと違いますよね」 着席を促そうとして、彼女の眼鏡が変わっていることに気が付いた。しゃれっ気のない黒縁眼鏡だが、不思議と彼女に似合っている。 「ええ。貴女にあの話したら、ちょっと思い出しちゃってね。初めての眼鏡と同じデザインのを引っ張り出して……あら、どうしたの?」 小首をかしげる凛。何事かと思い彼女の目線をたどると、なぜか二岡が驚愕していた。 「そ、その眼鏡っ! まさか!?」 文香と凛は顔を見合わせた。 「………………あら。もしかして」 「二岡くん、気が付いてなかった……とか?」 凛はその美しい眉間にしわを寄せて、文香は信じられない物を見た時の目で二岡を見た。 「ほんとにりんちゃんなの!?」 「君、だから雑用やってたんじゃないの?」 話の流れからして、そうであるはずだったのに。幼なじみと再会して、それで昔と同じように振る舞っているのではなかったのか。 「いや、つまりそのおかげで、女の人に強く出られるとどうにも逆らえなくってって話で……」 「はあ……」 文香は呆れて生返事を返した。 「貴方って人は……」 頭痛を堪えるように額に右手を当てた凛は、なにやらごにょごにょと呟いたが、それは文香の耳にも届かなかった。 やがて、額の右手を腰に戻した凜の表情は、普段の冷静な物とはかけ離れたものだった。本当に、美しい微笑み。美形がそろっているこの組織でも、そうは見られないほどに美しい完璧な笑み。しかし目は笑ってない。 「ねえ……、みーくん? 私の名前、ちゃんと覚えていたわよね?」 「ははははいっ!」 「私の顔も覚えていたわよね?」 「写真はアルバムにしまってありますっ!」 「じゃあなぜ気が付かなかったのかしら?」 「ごごごごごご」 「ん〜?」 「ごめんなさいだってそんなこんな所にいるとは思わなかったあわわわわわ」 「あら」 「あばばばばばばば」 「まあ」 「はぐう」 「で?」 「だ、だってこんな綺麗になってるなんて!?」 追いつめられた二岡は、顔を真っ赤にして叫んだ。 「…………」 凛は沈黙した。 「あ」 二岡も凍り付いた、と思ったら完熟トマトみたいな顔色をしたまま立ち上がり、無言で逃げていった。無銭飲食である。 「あーあ」 そんな二岡を文香は小さく手を振り見送って、それからやっぱりトマトみたいに真っ赤っかになっている凛を見上げた。 「で、どうします?」 「べ、別に。ただ仕事量を増やしてやるだけよ。止めておこうと思ってたけど、やっぱり『あの件』にも引きずり込んでやる…………何よその顔」 柳眉を逆立てて、凛は睨み付けてきた。怒っている様子だが、誰がどう見ても照れ隠しである。 「いえいえ。ただ良いネタにありつけたなと」 「そう。なら次に私が言うことは解るわよね?」 「さて、皆目検討も」 「本気で言ってるなら、私もしかるべき処置をとる必要があるわね」 ジト目のまま文香の向かいに座り、凛は言う。今度は本当に怒っているらしい。 「あははは」 美人が怒ると怖いと言うが、それは本当だな。そう思いながらも、文香は笑ってごまかした。
占い師が良く座ると噂のその席で。 「ふうん……。そういうこと」 ぼんやりした顔できつねそばを啜っていた少女は呟いた。 彼女の視界には、あれこれ言い合う文香と凛の姿。随分と楽しそうだ。 それを見て、少女は何を思ったのか。仮に、彼女の前に誰かがいたとしても、少女の思考と感情の色を理解することは出来なかっただろう。朱色の瞳には、なにも浮かんではいなかった。 「ふうん」 彼女はもう一度だけ小さく呟くと、視線をきつねそばに戻して、食事を再開した。 |
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