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ハンターシリーズ162
『続・るびーぷりんせす』

作・てぃーえむ

 

 闇の眷属が住まう常夜の世界。知恵ある魔獣の国の端、黄昏の塔と呼ばれる古い塔の最上階の部屋にて。紅舞の眷属の長は、頭を垂れて主の言葉を待っていた。
 石造りの部屋は広く、巨体を誇る長でも悠々と歩き回ることが出来る。調度品はすべてが赤い。赤い宝石、赤い金属、赤い木を、名工の手によって加工した逸品ぞろいである。どれ一つとっても、見た者から絶賛を受けるほどに美しく、容易に値段を決めることが出来ないほどだろう。オークションにでも出品した日には、目の色を変えた紳士達が、それを落とそうと値をつり上げ続けるだろう。だがこの部屋においての至高は、それらではない。
 長は、視線を感じて僅かに顔を上げ、ネグリジェ姿の主が見えて、慌てて視線をそらした。先ほどまでベットに寝そべっていた主が、今は端に腰掛けて此方を見つめていた。
「舞踏会……てか、パーティーかこれは」
 主であるリシェリアリエスが、豪奢な封筒をもてあそびながらそう言った。視線が僅かに強くなっているのは、何故目をそらしているのかと責めているからだろう。だから長は、視線を戻して彼女の姿を見て、思わずため息を漏らしそうになった。人ならば10代後半あたりと見るだろう、少女の姿。ネグリジェに包まれた白い裸体と顔の造形の美しさ、複雑な曲線が生み出す奇跡はもう誰にも生み出すことは出来ないに違いない。赤い髪と瞳は、紅舞の血族の特徴である。正確に言えば彼女の持つ特徴が、紅舞の血族にも現れるのだが。なによりも美しいのは、彼女の纏う暗黒だ。あらゆる闇の眷属を魅了する暗黒、その一欠片が僅かに覗いている。出会ってから幾千年過ぎたか、あの頃と何一つ変わらぬ容姿と暗黒を持ち続ける彼女を自分ごときが見つめ続けるなど、無礼の極みであると同時に身に余る行為だと長は思っているが、彼女は違うらしい。長の態度から思考の一部を読みとったのだろう、彼女は少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「……で、おれにこれに出ろと? ていうか、誰だよこれ。クリストファ・エフィルリーゲンって、そんなのいたっけ?」
「クリストファ様は、エフィルリーゲン大公の3番目の息子であらせられます。姫様も、一度会っているはずなのですが」
「おれが? ……うーん。そうだっけ?」
 腕を組み、悩み出す主。
「クリストファ……クリス……。んー……。ん? クリス。あ、もしかしてあれか。クリス坊やか!」
「はい」
「そうか、あの子供がねえ。それが大公の城でパーティーを行うと」
「はい」
 エフィルリーゲン大公の子供達は、皆自分の城を持っている。だから普段は、そう言った催しは自分の城で行うのだ。にもかかわらず、クリストファは父の城でパーティーを行うというのだ。それはつまり。
「次期当主のお披露目か」
「その通りでございます」
 長は深く頷いた。別にそうしなければならないという決まりがあるわけではないのだが、いつの間にかそういう習わしになってしまったのだ。次期当主が確定した際は、その者が本家にて舞踏会やらなにやらを行うと。その催しには、種族を問わず可能な限り多くの客を招待する事になっている。ついでに言えば、呼んだ客が高貴であればあるほど、次期当主の評価も高まるのだった。
「なるほど、ならおれらが招待されるのも解るっちゃ解る。が、面倒だな……出たくないから他の四姫に任せたいってのが本音だが……無理そうだな」
 主は眉をひそめて、むむむと唸った。
 最源四姫というのは、よく分からない存在がはびこる魔界でも一際特殊な存在だ。バンパイアであるのは間違いないが、同時に高次元の知性体でもあり、暗黒の精霊っぽい存在でもあり、4体しかいない。強い弱いで計るのならば、昔はともかく今の彼女たちはとんでもなく弱くて、長ぐらいの実力者ならば小指一本で瞬殺出来るほどだ。しかし彼女たちの持つほんの小さな暗黒の欠片は、魔帝だろうが獣神だろうが魔神王であろうが問答無用で魅了するほどで、しかもいつからいるのか解らないほど古い存在なので、彼女たちは一等特別な扱いを受けている。だから先方も是非来て頂きたいと思っているだろう。こちらとしても相手は同じバンパイア、しかも王族バンパイアであるエフィルリーゲン家だから、出来れば出席してやりたいところだ。
 今回のような大きな催し物があった場合、『夢織』フェルミラータが出席するのが常だった。しかし、彼女は今、夢幻回廊の調整に忙しい。なんでも夢魔族と淫魔族の争いの影響で、夢幻回廊が不安定になってしまったのだという。夢幻回廊は、あらゆる生き物の夢に直結しているので、なんとしてでも安定化させなければならず、よって、彼女がその場を離れることは出来ない。
 では『月編』シチリはどうかというと、通例によると彼女は出席しない代わりに、なにか特別な品を贈呈する事になっている。今回も、エフィルリーゲン大公から何かしらの注文を受けているはずで、出不精の彼女はそれを理由にして欠席するだろう。毎度のことである。 
 最後は『霧奏』エミルネーゼだが、彼女はそもそも公式の場には姿を見せない。姿を見た事がある者すら少なく、記録によると彼女の姿……と言っても霧を纏っていてよく見えないのだが、とにかく確認できたのは800年前で、以降は見た者はいない。実際は身分を偽って堂々と歩き回っているのだが、とにかくそういうことになっている。
 となると。
「おれが出るしかねえか。しかし……ああ、めんどいなあ……うーん……ん?」
 足をばたつかせて顔をしかめていた主が、突然立ち上がった。それを見て長は不安に駆られた。これまでとは一転して、にんまり笑っていたからである。それは今まで幾度と無く見てきた顔だった。なにかよろしくないことを思いついたときの顔。
「良いこと考えた。耳を貸せ」
 そして長の耳元で、そっとその考えを告げる主。
 なんてこったと、嘆くことは許されない。
「仰せのままに、姫様」
 長はただ、恭しく頭を垂れたのだった。 



 黄昏時。
 二岡はハンター本部の玄関で、ルビーを夕日に向けて立ちつくしていた。
 服装は黒スーツだが、普段使いではなく、特別な時専用の、ちょっと値段が高めのスーツを着ている。ネクタイもネクタイピンも靴もベルトも時計もハンカチも財布も、すべて普段の物よりワンランク高い物を着用していた。
「なにやってんだ?」
 声をかけられて、二岡は顔だけ振り向いた。
 そこには、ハンターの先輩である少女、いちごがいた。二岡の様子を不審に思ったらしい。
「それ、ルビーか」
「あ、はい。実はなんと言いましょうか、こうして待っていろってリシェちゃんからメールが来て……」
「指示通りにしてるって?」
「はい」
「お前も大変だな」
 いちごは同情するかのように、二岡の肩を叩いた。
 二岡がバンパイアの少女と友好を持っていることは、ハンターならば誰もが知っていることだ。特にリーゼとリシェはちょくちょく顔を出しては何かしらの騒動を起こすので名前が知れ渡ってしまったのだ。二岡はその騒動に一方的に巻き込まれたあげく血を吸われて貧血になるため、すっかり同情の対象になっていた。
「まあなんだ、がんばれよ」
 そう言って、いちごは去っていった。
 そんな感じで、立ち替わり現れる顔見知り達に同情されていると、すっかり日も暮れて夜のとばりが舞い降りた。
 すると、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
 見れば、なんと馬車が此方に向かって来るではないか。やたらと豪奢な馬車だったが、それは気にならなかった。なぜならそんな物よりももっと凄い物が目に飛び込んできたからである。
「首が無いー!?」
 二岡は思わず叫んだ。そう、馬車を引く馬は、首がなかった。さらに御者もフルメイルな上に首がなかった。誰がどのように見ようとも、デュラハンである。その隣に座る赤髪の男には首があったが、恐ろしく大きかった。目測だが2メートルは軽く超えるだろう。スーツを着込んでいるが、その下の筋肉がアピールしすぎている。
 馬車は二岡の目の前に止まった。
「二岡光吉だな!?」
「はいっ!」
 大男の形相に、思わず背筋を伸ばして返事をする二岡。
「極めて不本意だが……姫様のご命令だ。同席することを許してやる。だがな」 ここで大男は、二岡を睨み付けた。あまりの眼力に、二岡は4歩ほど後ろに下がってしまうが、それを気にせず男は続けた。
「姫様に不埒なまねをしてみろ。挽肉にして地獄に送り、そこでまた八つ裂きにしてやるからな!」
「え、と、ひ、姫様?」
「わかったか!?」
「了解しました!」
 突然の展開に二岡は状況がつかめないが、このままだと本当に殺されそうなので、慌てて敬礼しつつ返事した。
「よし。では馬車に乗れ」
「はいっ!」
 ここで逆らうという選択肢は存在しない。二岡は可及的速やかに、馬車に乗り込んだ。そしてそこでまたもや、驚きの声を上げることになる。
「ええっ!?」
「よう、にーちゃん。ま、とりあえず座れや」
 燐光を放つ謎の球体が照らし出す車内。そこに座っていたのはリシェだった。しかしいつもの彼女とは明らかに違っている。
 まずは服だ。普段の3割ほどフリルが少なく、生地も目に見えて上質だった。地味ではあったが、ネックレスやイヤリング、指輪などの装飾品も身につけている。 
 声も違っていた。いつものちょっとしわがれた威勢の良い声ではなく、高く澄み切った可憐な声色だった。それで口調は同じなので、違和感が凄かった。
 そしてなにより、雰囲気が違う。お行儀良く背筋を伸ばして座る彼女は、どう見てもお姫様だった。
「な、なんなんだ……一体何が起きているんだ……俺は何処へ連れて行かれようとしているんだ……!?」
 気が動転する二岡に、リシェは奥ゆかしい微笑みを浮かべて見せた。
「ちょいと、ヴァインシューレント城へな。パーティーがあるんだよ」
「ぱ、ぱーてぃ? 城?」
「ああ。ほら、外見てみろよ」
 言われたとおり、窓を開けて外を見る。だが、よく見えない。よく目をこらしてみて、それでぼんやり見えてきた。
「……ここ、どこ?」
 二岡は顔を引きつらせながら、リシェに尋ねた。
 月明かりにてらされた街道。広がる広原。遠くに見える黒い影は森だろうか。どう考えても日本じゃない。
「魔界っつーたら、解るか?」
「魔界かよ!?」
 窓を閉めてリシェに詰め寄るが、彼女は笑みを崩さない。
「いやあ、実はな、これから城でパーティーがあるんだが、おれはどうにもそいつが苦手でねえ。ほら、堅苦しそうだろ? 実際は堅苦しいところと堅苦しくないところがあるんだが、おれにも守るべきメンツがあるんでな。それなりの態度を取らなきゃならねえんだよ。しかも、今回の主催者は王族バンパイアでな、それなりに付き合いがあるから外せねえんだ」
「それと俺が何の関係が……」
「実はだな」
「うん」
「連れてったら面白そうだなって思ったんだ」
「……そ、それだけ?」
「それだけ」
 二岡は頭を抱えた。彼女のことだ。本当にそれだけなのだろう。
「……で、このルビーはどうするの?」
 これ以上ごねていても仕方がない。というか、ごねたところで何にもならないのは経験上解っていた。だから二岡は席に座って、別の話をすることにする。
「ああ、それね」
 リシェは、二岡が持っていたルビーをひょいとつかみ取ると、軽くそれに口付けた。そしてルビーを二岡に返す。
「お守りさ。万が一ってのはあるかもだしな」
「はあ……」
 万が一とやらが何を指すのかは分からないが、二岡はルビーをお守り袋に戻しておく。
 もう一度、窓を開けて景色を眺めてみた。月の明かりが強いおかげで、かろうじて様子を知ることが出来る。ふと空を見上げれば満天の星空で、鳥らしき影が群れを成して飛んでいく様子が確認できた。
「なんか、魔界って感じがしないね」
「そりゃ、人間の世界とたいして変わらねえしな。息だって出来てるだろ?」
「確かに……」
「もちろん、生態系は違うさ。神話やら作り話に出てくるようなイキモンも普通に存在してる。だが、人間の想像力を大きく超えるような奴はほとんどいないんだぜ。生活だって大した違いは無え。そうだな、にーちゃん、ゲームするかい? アニメや漫画でも良い。ファンタジー世界が舞台のやつな。あんな感じでみんな暮らしてる」
「お城があって、町や村があって?」
「そうだ」
 二岡はリシェに向き直ると、改めて尋ねた。
「それでその、なんとか城って、どんなとこなの?」
「ヴァインシューレント城。ヴァイン公国のエフィルリーゲン大公が住む城だよ。大陸屈指のでけえ城だ。ど迫力だぜ」
「ヴァイン公国……」
 魔界の知識がゼロである二岡にはちんぷんかんぷんだ。それをリシェも理解しているらしい、小さく笑いながら説明してくれた。
「まず魔界にはいくつかの公国がある。大抵は、似たような種族が集まって国を作ってるんだな」
「それぞれテリトリーがあるんだ?」
「そうだ。昔は領土取り合ったりしてたんだが、今は概ね平和なもんさ。たまに内乱があるくらいでな。で、ヴァイン公国だが、こいつはちょいと変わった国でね。大陸のど真ん中にあるから流通の中心になってるし、いろんな種族がごちゃ混ぜで住んでいる。だから、魔界でも最も栄えている国の一つになっている」
「なるほど。それで、今向かっているのがその、ヴァイン公国って所の、大公さんのお城だから……」
 そこまで言って、二岡は一瞬言葉を失った。
「大公って確か、公国で一番偉い人だよね?」
「ああ。人じゃないが、偉い人だな」 
「そんなところに俺が行って良いの?」
「良いんだよ。招待されてりゃ」
「俺はされてないけど」
「従者は入れるんだよ」
 つまり二岡は従者扱いという訳だった。
「…………まあいいんだけどね」
「なんでえ、不満かい?」
「いいえ、どこまでもお供致しますよ、姫様」
 顔をきりっと引き締めて頭を下げる二岡に、リシェはようやくいつも通りの笑顔を見せた。
「まったく似合わねえぜ、にーちゃん」
「……違いない」
 そして二岡は頭を掻いた。 



 多分、一時間くらい経っただろうか。
 たわいのないおしゃべりを楽しんでいたら、突然馬車が止まり、ドアが開いた。降りるよう指示が出たので、二岡は先に外に出る。そしてリシェをエスコート しようとしたが、でっかいスーツ男に睨まれて、苦笑しながら後ろに下がった。
 どうやら、ここが馬車の乗り降りを行う場所らしい。石の壁に囲まれていて、すでに城の中のようだ。
「ご苦労。おっちゃんも、ありがとな」
 リシェが御者に話しかけると、彼はぺこぺこと頭を下げた。いや、頭部は彼の膝の上に鎮座していたので、下げたのは頭ではないのだが。そして馬車を操りい ずこかへと行ってしまった。
「じゃあ行くが、先に言っておくぜ。こっからおれはお姫様モードで、にーちゃんは従者モードだ。なに、黙っておれの後ろに控えてりゃいいから。挨拶も、黙って頭下げときゃいい。それに必要なことは全部、こいつがやる」
「おまかせを」
 指を指された大男は、深く礼をした。
「大公への挨拶が終われば、メシを食う時間も出来る。それまで我慢しててくれや」
「解った。でも、ここの料理って、人間でも食べられるの?」
 異世界の料理だし、人間が食べたらたちまち溶けてしまうような食材が使われているかも知れないと、危惧していたのだが。
「大丈夫。このパーティーには、人間のお偉いさんも来ているはずだからな」
「そ、そうなんだ……」
「では」
 リシェが前に進み出す。それに続いて大男と二岡。天井が遙か遠くにある、長大な廊下をひたすら進んでいくと、やがて、大きな扉に行き当たった。側には執事服を着込んだリザードマンらしき人が佇んでいる。扉の向こうからは、聞き取れない謎の音が漏れてきていた。
 大男がその執事にはがきのようなものを差しだし、二岡の知らない言葉でやりとりをした。すると執事は懐から小さな何かを取り出して、大男に渡す。大男はそれを確認すると、二岡に差し出した。
「これを指につけていろ。翻訳機みたいなものだ」
「あ、はい」
 手にとって眺めてみると、それは粗末な指輪に見えた。魔法のアイテムなのだろうか、おそるおそる人差し指にはめてみると、途端に扉の向こうから聞こえる音の意味が理解できるようになった。それは、向こう側にいる人達の話し声だった。
「では姫」
 大男の呼びかけにこくりと頷くと、リシェはまた歩き出した。その歩みに反応するかのように、扉が開いた。  
「うっ」
 二岡は驚き呻いた。
 そこは大広間だった。途方もないほど広い大広間に、ファンタジーな姿の者達がたむろっている。普通の人間の姿をした者、耳がとんがっているだけの者、翼を持つ者、獣の顔を持つ者、獣そのものや竜までいる。
 そんな中をリシェは堂々と歩を進め、その姿に気が付いた招待客達は、そろって感嘆していた。
 おそらく5分は歩いただろう。突然リシェが止まった。彼女が顔を向ける先には、どこかの王子様みたいな格好の金髪青年と、どこかの王様みたいな格好の老人がいた。二岡も、職業柄いろんな人間に会うおかげか、雰囲気から相手がどんな地位にあるのか大まかにだが察することが出来る。だからあの二人が、特別偉い存在であると解った。もっとも、とりまきの貴族っぽい人達の態度を見れば、誰でも理解できるだろうが。  
「おお、リシェリアリエス殿! 来てくださったか」
「ご無沙汰しております、大公」
 優雅にお辞儀をするリシェ。とうとう、姿だけでなく言葉遣いまでお姫様っぽくなってしまった。
 リシェは王子様っぽい青年を見つめると、優しく微笑みかけた。
「見違えましたわ、クリストファ殿。これほど立派になられては、もう坊やなんて言えませんね」
「そ、そんな、まだまだですよ。これから学ぶべき事が山積みで」
「ふふ。あら、そのペンダントはシチリからの?」
「はい。本当に、素晴らしいものを頂けました」
「良くお似合いですよ」
「お、恐れ入ります……」
 クリストファと呼ばれた青年は、頬を染めてかすかに目を泳がせていた。どうやら、彼はリシェに気があるらしい。なんだか微笑ましい光景だなと思っていると、彼は二岡に気が付いて、不思議そうに目を瞬かせた。
「人間……ですか?」
「ええ。私の従者です」
 目配せを受けて、二岡は黙って頭を下げた。
 クリストファは浮かない顔をしている。人間嫌いなのだろうか、それとも別の理由なのか、とにかく鬱陶しく思っているのは確かだ。もしかしたら、雰囲気から、二岡がリシェと親しいという事を読みとったのかも知れない。それで二岡は内心で苦笑した。こういった社交場で自分の感情をこうも露わにするとは。
 あ、いや、ここは魔界だし、人の世界と違って社交場でも素直なつきあいをするのが常識なのかも知れない。集まっている人達も、和やかに会話を楽しんでいるし。大公は穏やかな微笑みを浮かべたまま、クリストファを見ていた。地位ある者としてではない、父親の眼差しが混じっているのが解る。
 とにかく、ここはひっそり目立たぬよう務めるのが吉だろう。そう二岡が思った時、大公がこちらを見た。一瞬目があって、二岡は慌てて目をそらす。完璧に思考を読まれたのが理解できた。元々、二岡は考えが表情に出やすい質なのだ。
「不思議な人間だね。貴女が気にするのも解る気がするよ」
「この通り凡庸なくせに、なぜか楽しいのですわ。それにとても美味しい」 
「ははは、確かに美味しそうだ」
 実にすがすがしく笑い声を上げる大公に、二岡は顔が引きつりそうになった。美味しいというのは、もちろん血のことだろう。彼らはバンパイアなのだ。こっそりクリストファの様子をうかがってみると、彼は実に複雑な表情をしていた。気に入らないが、美味しそうなのは認めざるを得ないといった顔だ。ついでに彼の後ろに控えていた取り巻き達も、あれは美味しそうだと頷き、なにやら囁き合っていた。 
「あのっ」
 二岡の話題を吹き飛ばそうとでも思ったのか、クリストファが声を上げた。
「よろしければ、一曲踊って頂けませんか?」
「そうですわね……」
 誘われて、リシェは一瞬考えるそぶりを見せた。
「では久しぶりに、一緒に踊りましょうか」
「はいっ。では早速用意を」
 顔をほころばせながら、取り巻きの一人に指示を出すクリストファに、二岡はやっぱり微笑ましいものを感じた。
「二人は、そうですわね、あそこで食事でもして待っていてくださいな」
「はっ」
「あ、はい」
 リシェが目で示したのは、テーブルに用意された料理の山。淡く輝く花びらに照らされた料理達はとても美味しそう。二岡のお腹が、ぐ〜っとなった。
「では、失礼します」
 二岡と大男は、リシェと大公に礼をして、料理の山へと向かっていった。



 大男は、知り合いを見つけたとかで、早々に二岡の側を離れてしまった。
 仕方がないので、適当に目に付いた食べ物を食べることにする。
 テーブルに並ぶ料理は、自分の世界の料理とまったく同じようだ。少なくとも外見と臭いは変わらない。とりあえず、鶏肉の唐揚げみたいなものを皿に乗っけて食べてみる。
「あ。おいし」
 普通に美味しい唐揚げだった。しかも熱すぎず冷めすぎずという、良い塩梅の温度だった。続いて、春巻きのようなもの。やっぱり春巻きで、素直に美味しいといえる味。ほかにも、タコスみたいなものやエビフライのようなものを食べてみたが、どれも美味しい。実に素晴らしい料理だった。統一感がないのは気になるが、それは集まっている者達にも言えることだし、きっとこいういうものなのだろう。
「やあ、これはめずらしい」
 料理を楽しんでいた二岡に、話しかける者がいた。
「え? あうわ!」
 隣を見ると、何時の間にやらそこにいた。獣の体に老人の顔、サソリのしっぽにコウモリの翼。どこからどう見ても、マンティコアである。
「やや、驚かせてしまったかな?」
 彼は……多分彼だろう、陽気に笑いながら二岡の足を、ぺちぺちと叩いた。手加減しているのは解るのだが、痛い。
「すまないね、若い人間を見るのは久しぶりでねえ、つい話しかけてしまった」
「あ、いえ。その、かまいませんよ」
 佇まいを直し気負い無く応える二岡を見て、マンティコアのおじいさんは軽く目を見張った。
「ほほう。なかなかどうして、度胸が据わっているじゃないか。大抵、若い人間が私を見ると怯えるもんなんだがね」
「いやあ、ははは」
 もし道端で出会っていたらびびっていただろう。しかしここは人外が集まる場所のど真ん中なのだ。今更、怯えても仕方がないのである。 
「あ、それ、ビーフシチューですか?」
 おじいさんの傍らに浮かんでいる大きな鍋の中身を覗いてみる。それは見た目も香りもビーフシチューそのものだった。
「おお、いかにも。これはお主の世界の料理だが、ワシはこれが大好きで」
 そう言いながらビーフシチューを食すおじいさん。よほど美味しいのか、幸せそうだ。
「まったく、人間というのは素晴らしい料理を考えるものだが、お主はなにか料理が作れるのかね?」
「えーと、カレーなら……」
 二岡の料理レベルは、一人暮らしの男性の平均値であった。
「カレーか。あれも素晴らしい料理だ。あの辛さと香りが良い……」
 味を思い出しているのか、おじいさんはうっとりしている。さすがはマンティコア、食いしん坊だ。
 と、その時、音楽が流れてきた。それは二岡も知っている、古いパヴァーヌだった。
「おお……」
 おじいさんが食事の手を止めて、感嘆の息を漏らした。手を止めているのは彼だけではない。その場にいるすべてが、しゃべることも忘れて一点を見つめている。
 二岡も、彼らの視線の先を追って、それを見つけた。
「……すごい」
 リシェとクリストファが踊っていた。一見クリストファがリードしているように見えるが、そうではない。リシェが、クリストファを導いているのだ。クリストファが下手というわけではなく、むしろかなりの腕前であることが解るのだが、それと比べてもリシェがあまりにも凄い。すべての存在を魅了するリシェの踊りに、二岡は本気で見ほれてしまった。
「まさか、またあの方の踊りを目にすることが出来るとは……」
「おじいさんは前にも見たことが?」
「いかにも。あれはそうじゃな、人の時間で2200年ほど前のことじゃったよ。ワシはちょうど、お主と同じくらい若く、あそこで踊るクリストファ殿も、ほんの小さな子供じゃった。その時も、あのお方はああして踊っておったよ。幼いクリストファ殿とな」
「そうだったんですか……」
 クリストファにとって、リシェはあこがれのお姉さんだったのかも知れない。年を経て成長し、彼女を見下ろすほどに大きくなっても、その頃の気持ちを持ち続けているのかも知れない。彼のリシェを見つめる瞳は、夢見る少年そのものだった。
 踊りは何時までも続くかのように思えたが、もちろん終わりはやって来る。オーケストラが最後の一音を鳴らし終えると、同時にリシェも動きを止めた。
 二人に対して鳴り響く拍手。ここでも拍手というのは絶賛の意味を持つのだなと感心しつつ、二岡もそれに習った。
「それにしても、あの頃と変わらんなあ……。まったく、最源四姫というのは不思議な存在よ。見るからに脆く弱く、しかし気高く美しい」
「花のようですね」
 ぽつりと呟くと、おじいさんは小さく笑った。
「お主、顔に似合わず気障なことを言うのう」
「……すいませんね、凡庸な顔で」
 むすっとしてみせると、おじいさんは朗らかな笑い声を上げた。
 それがきっかけだったのか、周りの者達もそれぞれのおしゃべりに戻っていった。
 和む雰囲気。このおじいさんとは何となく仲良くなれそうだと思いつつ、二岡は何かをしゃべろうとした。   
 その言葉が投げかけられたのは、まさにその時だった。



「おい、人間」
 明らかにこちらを嘲るような声色だった。 
 見れば、豪奢な衣装を着た若者が3人。あのクリストファの側にいた者達だった。口元から覗く八重歯は、やはりバンパイアの証なのだろう。彼らの持つ雰囲気にも馴染みがあった。
「お前、本当に美味しそうな匂いしてるよな」
「に、におい?」
 なんてことだと、二岡は嘆いた。自分は匂いからして美味しそうだったのか。吸血鬼的な意味で。
「それは冗談かね? このような場にふさわしくない冗談じゃが」
 まったく嘆かわしいと言わんばかりのおじいさん。そんな態度が気に入らなかったらしい、吸血鬼はおじいさんを一睨みした。
「黙ってろ」
「ぐっ」
 途端、おじいさんは動きを止めた。苦しそうに顔をゆがめている。魔法に関してまったくの素人である二岡も、今、おじいさんが何かしら魔法的な束縛を受けているということが解る。
「お前、何をしてるんだ!」
 相手はいわゆる化け物で、自分では到底勝てっこない事は理解していたが、それでも二岡は詰め寄った。
「お。そっちから来てくれるのか。実はさっき見たとき、目を付けてたんだよな」
 舌なめずりする吸血鬼。
「どうせいつも吸われてるんだろ? 俺にも分けてくれよ」
 吸血鬼の目が光った。
「あっ」
 二岡は動けなくなった。指一本どころか、舌も動かない。呼吸すら緩慢にしか行えない。  
「じゃ、俺から頂くな」
「吸い過ぎるなよ」
「解ってるって」
 二岡の意志を無視して、3人の吸血鬼は笑いあっていた。
 助けは来ないものだろうかと、二岡は思った。だがその望みは薄そうだった。あの吸血鬼達を見つめる周りの者達の目は見覚えがある。気勢を上げて無礼をまき散らす若者を見つめる瞳。下手に近寄れば危ないことになるのが目に見えているせいで、うかつに近寄れないという目だ。クリストファの取り巻きだったことを考えると、彼らはそこそこ地位の高い存在なのだろう。おそらくは、貴族種と言われるバンパイア。だから余計に手出しが難しい。
 こんなところまで、人間の世界と同じらしかった。
 リシェの従者の大男が側にいたならば、あんな相手どうにでもなったに違いないが、今はいない。ならば自力で何とかするか。無理だった。元々、一般人なのだ。バンパイアに立ち向かう力はない。
 万事休すか。
 血に飢えたバンパイアの手が二岡の首にかかった、その時だった。
「ぐわっ!」
 二岡のお守り袋から赤い光が漏れて、それに触れた吸血鬼が手を押さえて後ずさった。
「え? これって……」
 呪縛が解けた二岡は、お守り袋からルビーを取り出した。赤い光の正体はそれだった。
「お、お主、そのルビーはっ!?」
 やはり呪縛が解けていたお爺さんが驚愕する。
「えっと、お、お守り?」
「そう。お守りだよ、おじいちゃん」
「あ、リシェちゃん……?」
 いつの間にか、二岡を守るようにリシェが目の前に立っていた。しかし様子が変だ。明らかに今までのリシェとは違う。ただの人間である二岡ですら理解できるほどに恐ろしい暗黒の気配は、これまで幾度かネーゼから感じた事があるものと同じものだ。それはルビーから放たれる光を吸収して、無限に増大していくように思えた。あまりに強大すぎるためか、周りの者達が畏れ跪いてしまうほどだった。
「さてお前達。彼が私の従者と知っての事ですか?」
 リシェの問いに、3体のバンパイアは答えることが出来なかった。
「答えなさい」
 再度問いかけると、彼らは痙攣した。目を見開き、その必要がないはずなのに荒く呼吸をする。
「答えなさいと言っているのですが」
 3度目の問いかけ。彼らはとうとう膝をつき、今にも見えない力に潰されそうになっている。
「ひっ、姫様!?」
 騒ぎを聞きつけてか、慌てて駆け寄って来たのは大男だった。手には鳥の丸焼きらしきもの。それを見たリシェは一言。
「遅い」
「ぐっはあああ!」
 リシェのでこぴんを受けて、大男は吹っ飛んだ。それを見て、周りの者達がくぐもった悲鳴を上げる。二岡もこれには驚いた。普段の彼女からは想像できない力だった。何せ普段の彼女は、猫やら犬やらと互角の戦いをするほどなのだから。あんな大男を吹っ飛ばす力など無いはずだった。
「す、すみません……」  
 すぐさま立ち上がり平謝りする大男。さすがに鍛えているだけあって、復活も早いらしい。  
 それに比べてあの3人組は、まだ何もされていないのに今にも気絶しそうだった。
「さて。答えるつもりはないのですね? ならば……」
 ゆっくりと3人組に指先を向けるリシェ。人差し指に赤い燐光が灯り、それは次第に大きくなっていった。
「ううっ……」 
 二岡の隣にいるおじいさんが呻いた。その顔面に浮かぶ汗が、あの赤い光の恐ろしさを語っている。 
 光はふくらみ続け、やがて……。
「ぱんっ!」
 大きくはじけた光は、小さな粒になって大広間に降り注いだ。
「へ?」
 間の抜けた声を漏らす二岡。呆然としているのは他の者達も同じで、特にもう殺されるしかないと覚悟を決めていたらしい3人組は、腰を抜かして間抜け面をさらしていた。
「やれやれ。お戯れが過ぎますな、姫」
「でも綺麗でしょう」
 すぐ側までやって来ていた大公が言うと、リシェはとびきりの笑顔でウインクして見せた。それにクリストファが赤面したが、リシェは見なかったことにしたらしい。
「ちょっとした花火ですわ」
「花火は打ち上げるものと聞いた覚えがありますが……まあ、確かにこれは美しい」
 大公は、掌で赤い燐光を包み込みながら、そう言った。
 それでようやく、張りつめていた空気がゆるむのを感じ、二岡は安堵の息をつく。
「お、お主、もしかしてあのお方の……」
「あ、従者ってことになってます」
「なんとまあ……」
 曖昧に微笑みながら答えると、おじいちゃんは言葉を失った。
 なんだか有名人の友達がいることを羨ましがられているような、そんな小さな愉悦を感じていると、リシェがとんでもないことを言い出した。
「それにしてもまったく、最近の若い者はこれだからいけません。彼の血は私のものだというのに」
「へ? あのそれって」
「ふふふ。助けたのですから、素直に吸われなさいな」  
「そ、そんな……助けておじいさん!」
 うろたえ、助けを求めると、おじいちゃんはとんでもないと目をむいた。
「喝! お主、こんな名誉をふいにするつもりか!」
「め、名誉なの? えー?」
「それじゃ、頂きまーす。かぷっ」
「ぎゃー!」
 悲鳴を上げる二岡を、のほほんとした笑顔で見守る闇の眷属の皆さん。
 結局、二岡にとって今日という日は、誰かに吸血される運命なのであった。



 その後、つつがなくパーティーは進んだ。
 食べることが趣味のリシェは十分に料理を満喫し、二岡はリシェに血を吸われるという名誉を受けたおかげか周りから、とくにマンティコアのおじいさんから丁重にもてなされた。帰る際にはクリストファから直々に、遊びに来てくれればいつでも歓迎するという言葉まで賜ったが、彼の瞳の奥には明らかに嫉妬の炎が宿っていたので、二岡は心の中で出来る限りここには近づかないでおこうと誓った。
 あの3人組のバンパイアは、結局お咎め無しであった。本来ならば重罰らしいのだが、リシェに心底恐怖を与えられたので、それで手打ちということになったのだ。二岡と、その主という名目を持っているリシェが許したのもある。
 そして今は、馬車に乗って帰路についているところだ。
「ところで、あのルビーの光ってなんだったのかな」
 小さなルビーの入ったお守り袋を弄りながら、二岡は尋ねた。
「黄昏の光だよ。ほら、黄昏にルビーをかざしとけって言ったろ。その光だ。あのルビーは、そーいう性質を持たせてんだよ。つまり、特定のものを蓄え、特定の時に放出するってな。今回は黄昏の光を蓄えてたって訳だ」
 すっかり普段通りの声と口調でリシェが答える。
「あれが黄昏の?」
「そ。だから、あの馬鹿の手を焼いただろ? 太陽の光だからな」
「でもリシェちゃんは……」
 あの場面を思い出すと、彼女は間近であの光を受けていたのに、何ともないどころか、パワーアップしていた様に思える。
「直射日光じゃない限りはな。それに前に言ったろ。おれ達は、特定の時や場所の中では多少は力が使えるって。おれの場合は、黄昏の光の中なんだよ」
「それであんな凄い力を……?」
 感心した風に言うと、リシェはいたずらっぽい顔をしてみせた。
「いや、あれは実は凄くない。ハッタリだ」
「そうなの?」
「そ。残念だが、あの程度の光じゃ、ほんの僅かしか扉を開くことが出来ないのさ」
 扉とはなんなのか、本当にただのハッタリだったのか。二岡は尋ねたが、その答えは返ってこなかった。その代わり、リシェは二岡の顔をのぞき込んで、小首をかしげて見せた。
「そういやにーちゃん、顔色悪くねえか?」
「……それは君が血を吸いすぎたせいだよ。まったく、死んだらどうするんだか」 
 するとリシェは、満面の笑みを浮かべてこう言った。
「そん時はおれらの仲間入りだな。歓迎するぜ」
「それは……なんだかなあ」
「むむっ。不満かい?」
「いやそうじゃなくってさ、俺は人間が良いかなあって……」
 上機嫌から一転、ほっぺたを膨らませるリシェと、慌てて言い訳をする二岡。
 御者の隣で、紅舞の血族の長がおろおろしたり青筋を立てたりしている事を二人は知らない。
 かくして、気ままなおしゃべりをのせた馬車はのんびりと街道を進むのだった。


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