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ハンターシリーズ163
『夢織姫さま、人界に行く』

作・てぃーえむ

 

 昼下がり。
 空はどんより鉛色で、今にも雨が降り出しそう。天気予報によれば、降水確率30パーセント。これは事実上、雨なんて降らないと考えても良い確率だったし、実際に気象予報士は晴れのち曇りで昼頃から雲が広がるでしょうとしか言っていない。もっとも雨が降らないとも言っていないので、予報が外れたとは言えないのかも知れない。なにせ、降水確率30パーセントである。雨が降る確率を提示しているのだ。それでも騙されたと思ってしまうのが、人の性なのだろう。
 やはり傘を準備するべきだったかと、入田利康は内心で苦笑した。
 なにせこれから迎える存在は、自分が思いつく限りで一番のVIPなのだから。万が一にも無礼があってはならない。本来ならばこのような場所、駅前の時計塔で待ち合わせるような存在ではない。此方からお迎えに上がるのが筋なのだ。しかし、彼女はそういった堅苦しいことが嫌いで、今回もここで待ち合わせるよう指示された以上は仕方がない。ただ、そのご意志に従うのみである。
 今からでも傘を準備するべきか。迷ったが、結局今は購入しないことにする。天気はもうしばらく持ちそうだったし、一つ考えが浮かんだからだ。
 時計の針が午後5時を指したその時だった。にわかに、ざわめき声が聞こえてきた。それにつられて顔を向けると、此方に向かって来る女性の姿が見えた。ざわめき声は、彼女を見た通行人の感嘆の声だった。
 地味だが清楚な印象を与えるブラウスとロングスカート。長い銀髪は輝いて見えるのに、なぜか光を飲み込んでいるかのように思える。容姿の美しさもスタイルの良さも芸術的だが、何よりも彼女が醸し出す雰囲気が、他の人間達とは比べものにならなかった。彼女の本質である暗黒が僅かに漏れ出ているのだと気が付いたのは、この場では入田だけだった。
 彼女こそが、すべての生き物の夢に直結している夢幻回廊を守護せし魔界の賢者、最古の鬼と言われる最源四姫が一鬼、『夢織』フェルミラータであった。入田にとっては信仰の対象でもある。
「おまたせしてしまったでしょうか?」
 緩やかに歩を進め、入田のそばまでやって来ると、彼女は穏やかな微笑みを見せた。
「いえ……」
 本当はちゃんと頭を垂れるべきだったが、それを望まないと知る入田は、軽く会釈するのみで迎えた。
「ご無理を言ってしまってごめんなさいね」
「とんでもございません。"夢"様のご命令とあらば、いつ何時であろうと」
「ふふ。ありがとう」
 神妙な顔で告げる入田に、フェルミラータは満面の笑みでそう言った。その笑顔の美しさと言ったら、ちょうどこの場面を見ていた男達を『あのタキシード野郎め!』と嫉妬させるに十分なほどであった。
「ところで、この服装はおかしくありませんか? こちらの世界に合わせてきたつもりなのですが」
「いえ、とてもお似合いですよ」
「そう」
 入田が本心で頷くと、フェルミラータはほっと一息ついた。すこし、自信がなかったらしい。
「それでは、まいりましょうか」
「はい」
 歩き出すフェルミラータに寄り添い守るように、入田もまた一歩踏み出した。




 さて、何故に彼女が人の世界にやってきたかというと、事の始まりは三日前だった。
 その日、フェルミラータは魔界にある魔族領の最秘奥、夢幻の宮殿にて、夢幻回廊の安定に努めていた。
 と言っても、特別難しいことを行うわけではない。彼女がそこにいるというだけで、回廊は安定する。よほど大きな揺らぎが発生しない限りすることはない。そう聞くとヒマそうに思えるが、実際は魔界中で行われているパーティや式典に引っ張りだこなので、休むヒマは少なかった。だが、たまたまこの日はなんの予定もなく、おかげでのんびりと過ごす事が出来た。
「よう夢の字」
 軽い調子で姿を見せたのは、紅色ふりふりドレスの美少女。フェルミラータの姉妹であり同質であり同一であり……と、なんだかよく分からないことになっているが、とにかく最も親しい存在である、リシェリアリエスであった。
「紅さまがこんな所にやって来るなんて。珍しいですわね」
 そう言いつつも、嬉しそうにフェルミラータはリシェをもてなす。
「こっちもひさびさなんでね。いろいろ回ってみてるんだが、さすがに二千年も経つと、変わるモンだな」
「それはそうでしょう。流転こそ生の本質ですから」
「ここもお前も変わってないようだがねえ」
「あら、変わってますよ? 鬼として特定の時間軸に縛られている以上は、私たちも時の流れの影響を受けざるを得ませんから」
「そんな難しいこと言っても、おれにはわかんないぜ」
 そう言いつつ、リシェは右手をひらひらさせて、それから左手に提げていた小箱を掲げて見せた。
「それよりこいつだ。おみやげ」
「まあ。何かしら」
 リシェは箱をテーブルに置くと、ゆっくりと蓋を開けて見せた。はたして、箱の中に鎮座していたのは、いちごのショートケーキであった。
「これは確か……人の世の……そう、ケーキでしたかしら。なんだか不思議な香りがしますわね」
 賢者と言われるフェルミラータではあるが、人の世界に足を踏み入れたことはなく、よって人の世界の知識は伝聞や本、そして夢で見たものばかり。闇の眷属達が催す式典では人の世界の料理が並ぶことが多々あり、それによく足を運ぶ彼女は目にする機会はあったのだが、生憎それらを賞味したことはなかった。魔界でも特別な地位にある彼女は、他の権力者達の対応で手一杯になるからである。だから、こういった食べ物を見る事はあっても食べたことはなかった。
「この前見つけた店の奴だ。『プチローズ』とかいったかな。これはうまいぞってなわけで、お前さんにも一つ食わせてやろうと思ったわけだ」
 いそいそと、持参した小皿やらフォークやらを用意しつつ、リシェは笑った。
「あらあら。ならば遠慮なく頂こうかしら」
 小皿に乗っけられたショートケーキをフォークで小さく切り取って、ぱくり。
「まあ」
「どうだ」
「これはそう、甘くてふわふわで、赤いのが甘酸っぱくて」
「うまいだろ」
「ええ」
 満面の笑みを浮かべるフェルミラータだったが、ふいにその笑顔を曇らせた。
「紅さま」
「んん?」
「人の世界は、そんなにも楽しいのですか?」
「なんでえ、藪から棒に……」
 突然の問いかけに、リシェはきょとんとした。しかしすぐに表情を改める。彼女の気持ちが分かったからだ。
「基本的にゃ、この世界と変わりはねえ。そりゃ、生物も建物も違うが、根本的には同じようなモンだ。だが、寿命が違うからだろうな、流れは向こうのが速え。そんな中で生まれるモンを見て回るのは、なかなかに面白い。なにより飽きねえしな」
「でしょうね」
 フェルミラータが頷くのを確認してから、リシェは続けた。
「霧の字は、人間を見るのが好きらしい。馬鹿で聡明で同じ事を繰り返してため息ついてたと思ったら喜んでたりする様が良いらしい」
「よくそう言ってますわね」
「俺も人間は嫌いじゃねえ。特に、上手いメシを作る所が気に入っている。たとえばそのケーキとかな」
「確かにこれは美味しいですね」
「そんでもって、あっちには太陽がある。俺達の対極に当たる存在である太陽が。だから、あっちの世界は明るい。ま、これも無い物ねだりって奴かな」
「…………」
 黙り込むフェルミラータを見つめて、リシェは口を開き、少しためらった。それを幾度か繰り返して、ようやく彼女はその言葉を口にした。
「行ってみるか?」
「え?」
「あっちの世界」
「興味はありますが……ですが、私がここを離れては」
「回廊なら、霧の字にでもまかせとけ。一時なら制御できる」 
「しかし血族の皆さんのこともありますし……」
「おれの説得ならここの奴らも納得するだろ。てかさせる」
「でも、これからしばらく式典の予定とかがつまってますし」
「それくらいおれが出りゃ良いだろ」
「でもでも」
 見るからに異界に対する興味が満ちあふれているのに、それでもしぶるフェルミラータに、リシェはしびれを切らした。
「あーもう! お前もたまには我が侭言いやがれ!」
「は、はいっ」
 大声に吃驚して、フェルミラータはつい返事をしてしまう。
「よし決まりだ。向こうの案内は……あー、おれらが出られなくなるから……」
 リシェの頭によぎったのは、お人好しな青年の顔だったが、彼は駄目だった。フェルミラータは彼を快く思っていない。と言うより、特定の個人に四姫が深く関わることを好く思っていないのだが。
「よし、入田かイルダだかに任せよう。いいな?」
「え、ええ……」
 こくこく。勢いに飲まれて、フェルミラータは首肯した。そんな彼女を見て、リシェは呆れた様子でこう言った。
「まったく、寝ぼけてる時はあんななのにな……」
「あ、あれは眠たいから仕方がないのですわ」
 フェルミラータは赤面した。寝ぼけている彼女は本当にぽけぽけで、普段の真面目で賢者然とした様子は欠片も見あたらない。改めようと努力した時もあったのだがどうにも直らないので今は諦めていた。
「まあ、とにかく楽しんでこい」
「ええ。ありがとう」
「礼を言われるようなことじゃねえ」
 そっぽを向くリシェに、フェルミラータは微笑むだけで何も言わなかった。リシェがフェルミラータの気持ちが分かるように、彼女もまたリシェの気持ちが理解出来ていたからである。 
 

 

 入田の数歩先を、フェルミラータはゆっくり歩いている。アスファルトの道路を興味深く見つめていたと思えば、コンクリートの壁に触れ、自動車用道路を走る車に驚いていた。
 目的地としている場所は無い。ただ、彼女の気の向くままに歩き、そこにあるものに触れるのが目的である。そして入田の使命は、そんな彼女を守護する事であった。
「夢で見て、こうなっているのは知っていましたが、やっぱり自分の目で見ると違いますね。この道も、少し柔らかいですし。これは確か、そこそこ昔から使われているのでしたね?」
「はい。アスファルトは数千年前から使われていたはずです」
「向こうの世界は石畳が普通なので新鮮ですわ。似たようなものならばあるはずなのですが、何故使わないのでしょうね?」
「きっと、取扱が面倒なのでしょう。石は切るだけですから」
「確かに」
 フェルミラータはくすりと笑うと、ふいに空を見た。
「空もこんなに明るいなんて。叶うならば太陽を見てみたかったのですが」
 鉛色の空を見上げ、それでも眩しそうに目を細めるフェルミラータに、入田は首を振った。
「それは……いけません。灰になってしまわれます」
「あら。その時は貴方の血を使わせて頂きますわ」
「もちろんそのつもりですが……」
 生真面目に頷き、そして入田も空を見た。
「雨が降りそうです」  
「まあ、雨?」
 フェルミラータは楽しそうにこう言った。
「濡れて歩くのも面白いかしら」
「い、いえ……いけません! それではお召し物が」
「別に構いませんのに……」
 ちょっと不服そうにほっぺたを膨らませるが、入田の慌てようから、彼が何を危惧しているかを悟って、また笑顔に戻った。
「それでは傘が必要ですね。でも困りました、私達の手元に傘はありません」
「購入致しましょう」
 入田は言った。
「ちょうどこの先に、良い雑貨屋がありますので……、あ、あれです」
 買い物をする口実のために、入田はあえて傘を準備しなかったのだ。
「ではあそこでお買い物ね。ふふっ、楽しみ。早く行きましょう」
「あ、おまちください! 危ないですよ……」
 小走りで雑貨屋に向かうフェルミラータを、入田は慌てて追いかけていった。




 飯田あんずが駅を出た時、雨はすでに降り出していた。念のためにとカバンには折りたたみの傘を入れていたので事なきを得たのだが、それを持たない人達は空を見て途方に暮れたり、苦笑を漏らしつつも体を濡らして歩いていた。
「用意が良いわね」
 あんずは傘を広げる友人を見て言った。彼女はあんずとは違って普通の傘だった。さりげなく刺繍が施された、ピンク色した可愛らしい傘だ。
「占いに書いてあったのよ。今日は傘を持っていくと吉ってね」
 ウインクして答える友人、双葉にあんずは首をかしげて見せた。
「何の占い?」
「ほら『ハンターの友』の占いのところよ」
「ああ、あれね……」
 少し前に手渡された広報紙を思い出す。確かにそんなことが書いてあった気がする。
「あれって、やたら具体的というか、ピンポイントなこと書いてあるよね」
「それはなんといっても、本物だからねえ」
 彼女たちが勤める組織には、本物の占い師が居るのだ。
「でも雨が降ったってのは幸いよ。その分お客さんが減るもの」
 濡れた路面上を今にも跳ねそうな足取りで、双葉は道を行く。これから向かうお店に思いを馳せているのだろう。
「それはお店にとっては良くないことだと思うけど、あまり待たないで済みそうなのは良いかもね」
「売り切れの心配も少ないしね」
 そう言って、二人で笑い合う。
 これから向かうお店、それはケーキ屋さんだった。腕の立つパティシエがいて、そのおかげでケーキは美味しく、それに比例して客も多い。でも今日のこの天気ならば、普段よりは空いているはずだった。 
「あれ?」
 ふいに、双葉が不思議そうに声を漏らした。
「どしたの」
「あれって、入田さんじゃない?」
「え」
 指の差す方を見ると、ちょうど紳士服の男性が雑貨店から出てきたところだった。あんずは、紳士服を着こなし平然と街を闊歩するような人間は、今のところ一人しか知らない。最近仕事を共にすることになった、入田利康だけである。そして今視線の先にいる男性は、まさしくその入田だった。
「あの人もよく分からない人だよね…………。あれ!?」
 入田の後に店から現れた女性を見て双葉が驚愕した。
「ちょっとあんず、あの人、すごい美人さんじゃない! うわあ、綺麗な銀髪……。入田さんの彼女かな……あんず?」
 呆然としているあんずに気が付いて、双葉は目を瞬かせた。
「あんず、もしかしてあの女の人、知ってる人?」
「あ、うん……」
 女性の存在に驚き、絶句していたあんずは、こくりこくりと頷いた。
「確か、フェルミラータさん……って言ったっけ」
「へえ。で、彼女なわけ?」
「違うって!」
 大きな声で否定して、慌てて口元に手を添える。そして一息入れて、言い直した。
「違うって。あの人……って言って良いのかな、あの方? うん、あの方は入田さんの……えと、大事な方?」
「それって彼女なんじゃ?」
 ジト目を向けられて、あんずは慌てて言い換える。
「そうじゃなくって……えーと、信仰の対象というか……うん。つまり神様よ!」
「へー」
「信じてないでしょ」
「いやねえ、あたしがあんずのこと信じないわけ無いじゃない〜」
「もうっ」
 両手に腰を当てて、怒っているポーズをとると、双葉はえへへと笑って見せた。  
「でもほんと、何でここにいるんだろう?」
 あんずは改めて首をかしげた。彼女はあっちの世界の住人で、基本的にこちらにはやって来ないはずだった。仮に、入田と一緒にいたのがネーゼかリシェだったら、納得していたかも知れない。しかし、あそこにいるのはフェルミラータだった。この前、ハンターカフェに来ていたリシェから聞いた話によると、彼女は随分と多忙なのだそうだ。なんたら回廊を維持したり、どこかの偉いさんに呼ばれたりで、あまりヒマがない。ヒマがあったらあったで、今度は寝っぱなしなので、外に出てこない。寝るのが趣味らしい。だから、お出かけすることはほとんど無いとのことだった。
 うーん、と考え込んでいるあんずの耳に、双葉の声が届いた。
「ね、あの二人追ってみない?」
「えっ。そ、それはちょっと悪いんじゃ……」
「と言いつつそわそわしてるのは何でかな〜?」
「ううっ」
 なんとなく入田の邪魔はしたくないと思う一方で、やはり二人のことが気になって仕方がないのだ。
「ま、まあ、向かう方向が一緒なんだから仕方ないよね」
「あら、そんな言い訳するなんてらしくないわね。普段なら猫まっしぐらなのに」
 意外そうに言う双葉に、あんずはごまかすようにこほんと咳をすると。
「……とにかく行くわよ」
 そろそろと歩き出し、双葉もそれに続いたのだった。 
  



 フェルミラータが購入したのは、ビニール傘だった。美しい刺繍を施された傘や、センスを感じさせるシルエットの傘などいろいろそろっていたのだが、彼女はそれをいたく気に入っていた。くるくる回したり、ビニール越しの景色を見つめてクスクス笑ったり。
「月さまはよくおかしな物を作りますが、人間も負けずに面白いですね。これ、合成樹脂と呼ばれる物でしたっけ?」
「はい。それは確か、ポリ塩化ビニリデンと呼ばれるものですね。ポリ塩化ビニリデンとは、塩化ビニリデンを50パーセント以上含んだ共重合体で……」
「そんな難しい話はわかりませんわ」
「すみません」
 入田の話をぴしゃりと止めて、フェルミラータは不思議そうに目を瞬かせた。
「あら、これって紅さまの台詞……」
 それからまた、あらあらと呟くと、今度はショーウインドウの方へと足を向けた。
「ねえ、入田。この服どうかしら。似合うかしら」
「あ、はい?」
 フェルミラータの指差すマネキンが着ている服を見て、入田はかすかに顔をしかめた。 
「このような服は"夢"様にはふさわしくありません」
「そうかしら」
 きっぱり言われて、フェルミラータは首をかしげた。街を行く人間の中には、あのマネキンに似た服装で出歩いている者もいるし、おかしくはないはずだ。しかし、服というものは、着る人を選ぶものだ。自分には合っていないのだろうか。確かに、あのマネキンが身につけているような小さなスカートははいたことがないのだが。
「可愛らしいシルエットだと思うのですが。ではこちらのは?」
 フェルミラータの知識によると、それはジャンパースカートと呼ばれる物だった。裾は膝の上あたりで、フリルが飾ってあって可愛らしい。
「いけません」
「あらあら。私には似合いませんか?」
「そのですね、似合う似合わない以前に、こ、このような丈の短いスカートは……」
 顔を赤くする入田を見て、ようやく気が付く。
「なるほど。入田は純情さんなのですね」
「い、いえ、そう言うわけでは……ない……のか?」
 動揺している入田を尻目に、フェルミラータはまた別のショーウインドウに移った。今度は和服が飾ってある店だ。
「なら、こちらはどうでしょう。月さまがよく着ている物と同じですね。この国の着物でしたっけ」
「あ、はい。こちらは好ましいですね。"夢"様にもよくお似合いかと存じます」
「あらまあ。入田は着物ふぇちだったのですね」
 とんでもないことを言われて、入田は慌てふためいた。
「違いますって! そもそもそんな言葉、誰に教わったのですか!?」
「霧さまですが」
「ああ、なるほど……ではなくて。とにかく、俺は着物ふぇちではありません」
「そんな、ムキにならなくとも」
「なっていません」
「そう?」
「そうですとも」
「そう。では、ちょっと寄ってみましょうか」
「えっ」
 何故にと問いかける前に、フェルミラータはさっさと自動ドアをくぐってしまい、慌てて入田も追いかけた。
 



 あんずは物陰に隠れつつ様子をうかがってみると、二人はなんだかとても楽しそうだった。見ようによっては、なるほど、恋人同士に見えなくもない。道行く男共が、入田に嫉妬の目を向けるのも解らなくもない状況だ。
「あんず、はい」
「ん。ありがと」
 双葉から、自動販売機で購入してきた暖かいお茶を受け取り、プルトップを開けた。口を付けると、雨のせいでちょっと冷えていた体に熱が戻る。それで気がゆるむのを感じて、あんずは知らずに自分が力んでいたことに気が付く。
「ふうっ」
「で、様子はどう?」
「見ての通りよ」
 双葉は、店に入っていく二人の様子を見て、小さく声を漏らした。
「ははあ。仲良いわねえ。というか、入田さん、なんだか甲斐甲斐しいね」
 そして一口、手にしたお汁粉ドリンクを飲み込んで、ちょっと物足りなさそうな顔をした。甘みが足りないらしい。
「そりゃ、信者だからじゃないの」
「え、あの人ほんとに神様なの?」
 意外そうに尋ねてくる双葉に、あんずはため息を漏らした。 
「そう言ったじゃない」
「確かに聴いたけど。でもあんず、そもそもなんでそんなこと知ってるの」
「それは、前にダークエルフの村に行ったときに……」
「ああ、言ってたわねそんなこと。確か、入田さんと一緒に魔界みたいな所に行ったんだっけ」
「信じてないの?」
「信じてるわよ。だって、この世界には華代様みたいなのもいるしねえ。今更、別世界があっても驚かないわよ」 
 あんずは、何故に真城華代に対して様付けなのだろうかと小首をかしげつつ、話を続ける。
「とにかく、あの人は確か夢の神様なの……かな?」
「かなって、なんでそこでそうなるのよ」
「だってよく分からないんだもん。ネーゼちゃんって知ってる?」
「確か、たまに二岡くんと一緒にいる金髪の子だよね」
「うん。で、あの子のお友達っぽくて吸血鬼なのは確かなんだけど」
「はい?」
 双葉は目をぱちくりさせた。
「神様だけど吸血鬼なの?」
「うーんと、それはつまり、吸血鬼が神様として祭り上げられてるって事、だと思うんだけど。ほら、天神様とかみたいな感じで」
「まあ、ありがたければみんな神様だもんねえ」
 日本以外では通用しそうにない解釈だった。 
「あ、出てきた」
 そんな双葉の言葉に、あんずはすぐさま店に目を向けた。
「何か買ったのかな」
「とりあえず、追いかけよっか」
 二人は、手にした缶の中身を飲み干すと、尾行を再開した。 




「ふふふ」
 フェルミラータは上機嫌で、側頭部に付けた髪飾りを弄っていた。それは黒い和布で作られた花をあしらえたもので、彼女の銀髪に映えて見えた。
「なんだか悪いですね。買って貰っちゃって」
「これくらいならば、安いものです」
 実際、あの髪飾りは高価なものではない。店にはそれこそ一般サラリーマンの月給が数ヶ月分飛んでいくような品が数多くあったが、彼女が選んだのは一つ千二百円の髪飾りだった。
「あらあら。では貰うついでなのですが、よろしいですか?」
 ニコニコしながら彼女はそう言ってきて、入田は思わずこくりと頷いた。初めから、よほどおかしな願いでない限り断るつもりは無かったが、そうした考えを無視して言うことを聞いてあげたくなるような、無邪気な笑顔だった。
「洋菓子店。たしか、『プチローズ』と言いましたっけ。そこへ行きたいのですが」
「洋菓子店……」
 入田は記憶を探って、そんな名前のケーキ屋さんを見つけ出す。幾度か聞いたことのある有名店だった。組織の女の子達が幾度かその名を口にしていたし、自身も店の前を通りすがったことがある。
「はい、解りました。確かこの道の先にあるはずです。近くですよ」
「よかった。では行きましょう」
 そう言って、彼女が駆け出そうとしたその時だった。
「あ、いたいた」
「うわ、まじですげえ」
「でも男連れだぞ」
「気にすんなよこんなタキシード」
 そんな男達の声に振り返ると、今時の若者が3人そこにいた。彼らは皆、フェルミラータを見つめて興奮気味だ。どうやら、彼女の魅力に惹かれてきたらしい。
 入田は思わず、ため息をついてしまった。こういった事態が起こる可能性は当然、認識していた。ただ、雨が降ってきたおかげで遭遇する確率は少ないだろうと踏んでいたのだが、そうでもなかったらしい。
「ねねっ、お嬢さん、ヒマある?」
 茶髪の青年が、フェルミラータに話しかけてきた。今のところ悪意は感じないし、軽薄ではあるものの、毛嫌いするほどでもない。話し合いで解決できるなら、それで良いだろう。そう考えて、入田は言葉を口にしようとして、先にフェルミラータが答えてしまう。
「あらあら。どうしましょう、これはナンパと言われるものでしょうか」
「え? あ、うん、そうそう。ナンパ」
 どこかずれたフェルミラータの反応に戸惑いつつも、そう答える青年。
「でどうよ、どこか遊びに行かない?」
「ごめんなさいね。これから行くところがあるのです」
「そうなの? 残念だなあ……」
 青年は苦笑いをしつつ頭を掻いた。連れも、強引に事を進めようとは思っていないらしかった。偶然に彼女を見かけて、それでつい話しかけてみたくなっただけなのだろう。もちろん、あわよくばという考えはあっただろう。しかしどうやら、無難に切り抜けられそうだと入田は安心しかけたのだが。
「おっ、いいじゃんあの女」
 別のグループが此方にやって来た。やはり軽薄そうな装いの男が今度は4人。「雨降って最悪て思ったら、運良いじゃんか」
「ねーねー、ちょっとヒマだよね? どっか行こうぜー」
「こんなのほっといてさ」
 目尻を下げてフェルミラータの肩を掴もうとする男達に、入田は怒った。一つ、礼儀というものを教えてやろうとポケットから宝石を取り出そうとした時、意外なものを見て手を止めた。
「んだよてめーら。ずーずーしいんだよ」
 最初に声をかけてきた青年が、後から来た男の手を弾いたのだ。
「あたっ。てめっ、んだよ。女の前でかっこつけたいんかよ。ばかじゃねこいつ」
「ああ?」
 そしてにらみ合い。これは予想していない展開だった。
 フェルミラータはちょっと困った顔をして、入田を見た。今すぐにでもケンカが始まりそうな雰囲気の中、どうしたらいいのかと目で問いかけてきているのだ。入田の力ならば、この若者達をどうにでも料理することが出来るし、仮に彼らが銃を持ち出したとしても、守りきる自信があった。それでも、より確実に彼女を守るため、少し下がらせ我が身で庇うことにする。
「お? やんの? てかできんのおまえ?」
「だとこら」
 それが若者達の乱闘の合図だった。


  

「もうすぐ、お店に着いちゃうけど。どうしようか」
 ふと立ち止まり、数十メートル先を行く二人を見つつ、双葉が言う。それであんずは考えた。なにも、二人が別れるまで尾行し続ける必要は無いだろう。もうすぐ日が落ちるし、何時間も追い続けるなんて出来っこないし。
「もう良いんじゃない? 何か起こりそうな感じもしないし……」
「んー。それに冷静に考えてみるとねえ……」
 顔を見合わせて、二人して苦笑する。確かに入田は謎の人であり、その行動は興味深い。しかし、甘いお菓子と比べたら、やっぱり今は甘いものに傾くだろう。雨のせいか、気温も下がってきているようだし。 
「じゃ、ここまでにしようか」
 そんな双葉の言葉にあんずは頷いた。そして、あらためて歩き出そうとした時、それは起きた。
「あっ。あれって、もしかして」
「あー。ナンパね。あのフェルミラータさんって人、すごい美人だしねえ」
 フェルミラータに話しかける若者達の姿に、双葉は脳天気にそうコメントした。さもありなんと、あんずも思う。なにせ道行く男達は例外なく彼女の姿に振り向いていたのだから。女達も女達で、なんであんなのが存在するの? と言わんばかりの視線を向けていた。まあ、あそこまで綺麗だと声をかけづらい気もするのだが、身の程知らずというものは存在するのである。
「あらら。また別のグループが来ちゃったわよ」
「うわあ……あれ、やばいんじゃないかな……」
 一気に険悪になっていく様子が、ここからでも分かった。たちまちにらみ合い、そして殴り合いのケンカになるまで、時間はかからなかった。そんな中で入田は冷静らしい、フェルミラータを庇いつつ、静かに距離を取っている。
「こんな雨の中なのによくやるわねえ……」
 あんずは呆れて、そう呟いた。
「若い力を持てあましてるのかしら。いやん」
「いやんって……なに言ってるのよ貴女は」
「もうっ、あたしの口から言わせないでよう」
 頬を染めてぶりっこする双葉を見て、あんずはなんだか気が抜けてしまった。
「じゃあ聞かないことにするわ。さてあちらは」
 ほんの数分で、乱闘はすでに終わっていた。どうやら後から来たグループの圧勝だったらしい。今は、入田に向かって因縁を付けているようだ。ケンカで興奮したのか、荒い声がここまで聞こえてくる。それを見て、あんずは危機感を覚えた。入田に対してではない。あんずは、彼がどれだけ強いかを知っている。正確には、彼の持つ魔法の力をだ。だからこそ、あんずは焦った。
「やばっ。止めないと」
「なんで? あ、入田さん、もしかしてケンカ弱いとか?」
「違うの逆なの! あのままだと入田さん、多分やりすぎちゃう!」
「そ、そんな凄いの?」
 駆け出すあんずの後を追いつつ、双葉が尋ねてくる。
「入田さんはね、イルダさんなの!」
「は?」
 あんずの答えに、双葉はあっけにとられる。
「だから、イルダさんはね、入田さんが華代ちゃんの力で変えられた姿なの! それで、可逆なの!」
 あんずとは違い、双葉は結構長い時をハンター組織で過ごしている。だからそれだけの説明で理解するには十分だった。そして彼女はイルダのことも知っている。彼女のやり方がどう言ったものか知っているし、実害を被りそうになったらそれなりの反撃を行うことも知っていた。そしてその『それなり』というのは、一般的な日本人とは少々離れたものなのである。
「ああ、それはちょっと、やりすぎちゃうかもね」
 双葉はそう言うと、あっという間にあんずを追い越して入田達の元へと走っていった。
 
  
 

 彼女が飛び込んできたのは、まさに入田が魔法を使おうとしていたその時だった。普段の彼女からは想像も付かない鮮やかさで男達をたたきのめすその姿に、入田はあっけにとられざるを得なかった。手にしていた宝石のやり場に困り、結局ポケットにしまい込んだのと、男達が完全にぶちのめされたのは同時のことだった。不意打ちとはいえ、大したものである。
「あなた達はあたしに殴られた方が幸せなのよ!」
「いやそれ、よく分からないよ双葉」
 遅れてやって来たあんずを見て、また入田は驚く。
「飯田さん?」
「えっと、こんにちは入田さん。それと、フェルミラータさん」
 ぺこりとお辞儀すると、フェルミラータは顔をほころばせて、お辞儀を返した。
「あら。貴女はあの時の子ね。ごきげんよう。こんなところで会うなんて、奇遇ですわね」
「いや、あはは。そうですねー」
 どういう訳か、あんずはちょっと引きつったような笑顔で頭を掻いていたが、ふいに小首をかしげた。
「なんだか雰囲気が違うような……」
「雰囲気?」
 あんずの呟きを聞いて、フェルミラータは初めきょとんとして、すぐに恥ずかしそうに目をそらした。
「あの、それはきっと、寝ぼけていたせいだと思いますよ」
「そ、そうなんですか……」
 納得したようなしないような、微妙な表情を浮かべるあんず。
「それで、そちらの方は?」
「あ、はい。あたしの友達の……」
「双葉です」
 佇まいを直し、丁寧にお辞儀をする。すると、フェルミラータも同じようにお辞儀を返した。
「フェルミラータです。以後お見知りおきを、双葉さん。ところで、何故お二人はここに?」
 無邪気な顔で尋ねられて、あんずと双葉は一瞬言葉に詰まったようだった。顔を見合わせて、またフェルミラータに向き直った時、二人は普段通りの顔をしていた。
「実はこの先にあるケーキ屋さんに行くところだったんです」
「そうしたら、お二人の姿が見えて。ねえ、あんず」
「ええ。こんな事になって、びっくりしましたよ。……双葉の活躍も吃驚したけど」
「まあ、伊達にあそこで働いてる訳じゃないってことかな」
「あらまあ。そういう訳だったのですね。うふふ」
「そうなんです。あはは」
「えへへ」
 朗らかに笑い合う3人。しかし、あんずと双葉は何となく額に汗を流している様子。不思議に思う入田だったが、あまり深く考えなくともよいようなので、追求しないでおく。 
「ところで飯田さん。そのケーキ屋さんというのは『プチローズ』のことですか?」
「うん。そうだけど、入田さん、知ってるの?」
「はい。実は、これから向かうところだったのですよ」
「そっか。道理で、同じ方向に歩くわけだ。それじゃあ、一緒に行きます?」
「そうですね……。よろしいですか? "夢"様」
 答えは分かっていたが、一応確認してみる。もちろん、彼女は頷いた。
「では、一緒にまいりましょうか」  
「はい」
 こうして、入田達はそろってケーキ屋さんへと出向き……。

「お会計、8750円です」
「………………」
 ケーキ代は、もちろん入田が支払う事となっていた。





 フェルミラータが自分の部屋に戻ると、リシェとネーゼがそろってテーブルに突っ伏していた。
「ただいま戻りましたわ」
「ああ……おかえり」
「思ったより早かった……かしら」
 二人はなんだかお疲れのようだ。慣れない仕事をしたからだろう。
「で、楽しかったか?」
 突っ伏したまま尋ねてくるリシェに、フェルミラータはとびきりの笑みで頷いた。
「おみやげも買ってきたのですよ。一日20個限定のケーキだそうです」
「へえ、どこの?」
 リシェと同じくネーゼも突っ伏したまま問いかけてくる。
「プチローズですが」
 途端、二人は体を起こした。
「皿とフォークがいるな」
「お茶、いれるわね」
 さすがは食べ歩きが趣味の二人である。プチローズの限定ケーキがどういったものなのか理解しているらしい。
 てきぱきと作業をこなす二人を見つつ、フェルミラータは席に着く。
「これで月さまがいれば全員そろいますのにね」
「なら呼べばいいじゃないの」
「あいつこの前、和菓子派とか言ってたが、いいのか」  
「いいのよ。どうせあの子の分も買ってきたのでしょう?」
「ええ。それに、おみやげ話もありますし」
 フェルミラータが頷いてみせると、リシェは仕方ないなあと肩をすくめた。
「しゃあねえ、呼んでくるか」 
「お茶が冷めるまでに戻ってくるのよ」
「へいへい」
 部屋を出て行くリシェを見送ってから、フェルミラータはネーゼに話しかけた。
「久しぶりに、ここもにぎやかになりますね」
「そうね。きっとあと2000年くらいはにぎやかよ」
 リシェが行方知れずになっていた2000年、この部屋はほとんどの時を静寂に支配されていた。でもこれからは違うだろう。かしましい話し声で満たされる一時が増えるだろう。
「あらあら。それは楽しみ」 
 かくして二人は、たわいのないおしゃべりを始めたのだった。 


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