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 ハンター本部1階奥にあるトレーニングルーム。
 
 ――といっても、予備の倉庫を補強して転用した程度の代物だが。
 部屋の半分ほどにはマットが敷かれ、その奥にはベンチプレスやサンドバッグなどがちらほら。反対側は小物を入れておくのだろうか、ロッカーが数個といった実に簡素なものである。
 かつては立派なトレーニングルームがあった……らしいのだが、その面影は皆無に等しい。
 その所為か、メンバーの中には自室に器具を揃えている者も少なくないようだ。
 
 青白い蛍光灯が照らし出す、どこか無機的な部屋の片隅に、背の高い女性が一人。
 
 すらりとした無駄肉のないプロポーション、露出した細く白い腕には健康的な汗が光る。濃い緑色のタンクトップの下では、ほぼノーマルサイズながらも主張している形の良い双丘。
 腰近くまで届く、輝くようなブロンドの髪が美しい。幼さを残した顔つきで、開けた額の先端には長い一束の毛が飛び出ている。
 
 もっとも――“彼女”が今の姿になったのは……ほんの一週間ほど前のことだが。
 
 “彼女”が腰を落とし、脚を軽く踏み込んで拳の弾を解き放つ――
 だが、縫い目が破れかけた古ぼけたサンドバッグに、申し訳程度の乾いた音が響いただけ。
 
「くっ……なんてザマだ」
 
 苦虫を噛み潰したような表情でつぶやく、ハンター80号“ヤオ”。
 こう見えても元々は、宇宙の彼方からやってきた、屈強なるエージェントだったのだ。
 
 

ハンターシリーズ174
『哀愁の80号/第3話・少女と爆弾とハイヒール』

作・G−maGDW

 
 
「ん?……なんだ、いたのか80号」
 
 一汗流したヤオが、タオルを引っ掛けてトレーニングルームから出かけた時。ダンベルや鉄アレイを数個ほど持った女性が、入れ替わるように入ってきた。
 チャームポイントのメガネこそしていないが、顔つきや口調はまさに10号――半田燈子である。
 
 さすがに早朝の所為かいつもの“女教師スタイル”ではなく、ラフなジャージ姿だ。元男だけに色気の演出など皆無だが、それがかえって健康的な美しさを引き出しているのは1号と同じ。細いながらも引き締まった肢体は、一級のアスリート選手を連想させる。
 もっとも……男時代に比べれば、運動量もかなり減ったらしいが。「運動のし過ぎで体形が変わる」ことを、ボスから厳しく禁止されているという。
 
 そんな10号も軽く汗をかいている。
 どうやら、そこらでジョギングでもしてきたらしい。その汗が乙女独特の柔らかな香りを運び、肌のつやを引き立てている。
 
「珍しいな、こんな朝早くからここを使うメンバーはほとんどいないと思ったが」
「朝は早い方でね……2日に1度は、使わせてもらっているよ――ところで、そのダンベルは?」
「あぁこれか?私が使っていた物なんだが、増えたんでここに寄付でもと思ってね」
 
 ハンター本部でも指折りの体育会系――屈強なハンターたちの中にあって――である燈子は、当然のように自室に運動器具を置いており、しかもその数も半端ではない。性格的に考えても、こういった器具を事あるたびに買い込んでいることは想像がつく。そんな中で溢れ出した“おさがり”を、ここに持ってきたのだろう。
 
 というより元々、このトレーニングルームの運動器具のほとんどは、そうした寄付によるものだ。だから例外なく、擦り切れるほどに使い込まれているのである。
 
 ……もっとも“アイドルハンターの使い古し”目当てで、ここに来る者もいたようであるが、まぁそれはそれ。
 
 燈子はふと――ヤオの手足を眺めた……まるで品定めでもするかのように。そして納得したように軽く頷く。
 
「ふむ――最初に会った時より少しは引き締まった気がするな?」
「……そうかな?まだたかだか一週間そこらだが」
「いや、私の目に狂いはない……まぁ頑張ってくれたまえ♪」
「10号くらいに筋肉がつけば、結構な自身になるんだろうがなぁ」
「私に追いつくにはかなりの鍛錬が必要だぞ……まぁ、その心意気は買っておこう。何なら、私が使っている運動スケジュールを試してみるかね?」
「……考えておくよ」
 
 その時だった。
 廊下の向こうから、黄色い悲鳴が聞こえてきた。
 
「――今のは?」
「事務の沢田さんだな……大方、またゴキブリでも出たのだろう」
「ゴキブリ、ねぇ……」
 
 ヤオはサンダルを細い爪先にちょいと引っ掛け、廊下に出た。
 
 
★☆★☆★
 
 
 事務室の方から、焦げ臭い空気が漂ってきた。
 間違いなく、火薬の臭いだ……ベテランハンターでなくてもまず、気付かぬ者はいないだろう。しかし一体、何が起きたというのだろうか。
 
「――ちっくしょぉぉ、俺を馬鹿にするなぁぁ!!」
 
 ふと――事務室の方角から響き渡る、可愛い絶叫。
 その一声で、ヤオは事態をほぼ理解した。
 
「……原因は“アレ”か」
 
 ヤオの口元に、苦笑いが浮かぶ。
 この声質で一人称が“俺”、しかも逆ギレキャラと言えば限られている――おまけに火薬の臭いまで漂わせているとなれば、もはや“彼女”しかいない。
 
 案の定……事務室ではその“少女”が、涙目でOL軍団を相手に暴れていた。
 桃色がかったツインテール、背格好は明らかに小学生。小さな手にはピンポン球くらいの黒い塊を握り締めている。
 
 少女の視線の先には、OLの一人、沢田愛が怯えた顔で立っている。その手にはフリルとリボンのついた、可愛らしい子供服。
 
「で……でもねナオちゃん、これきっと似合うと思う……」
「うるさいうるさいうるさいっ、そんなもの誰が着るかっ、これでも――」
 
 ナオと呼ばれた少女――ハンター78号“前原ナオ”が、か細い腕を振りかぶった。その指先には“導火線”のついた黒い塊が……いつ点火したのか、すでに白い煙を上げている。
 
「喰らえ――」
「おい、78号!」
「んだよ、邪魔すん――あっ!?」
 
 出し抜けに背後から聞こえた声に、ナオは虚を突かれたようだ。
 振りかぶった腕が急激に減速し、その指先からポロリとこぼれ落ちる黒い球体。床にぽとりと落ちたそれは、コロコロと背後の声の主――ヤオに向かって転がっていく。
 
「あ――危ない!」
 
 もう一人のOL・水野真澄が声を上げたが、ヤオは眉一つ動かさない。
 冷静に片足を上げ、その真下に転がってくる球体から伸びた導火線の先端を……
 
 ――ジュッ
 
 引っ掛けたサンダルのヒールで、狙い済ましたように踏み潰した。
 
 火薬の臭いと入れ替わるように、溶けた樹脂の臭いがかすかに立ち上る。
 今や不発となった黒い球体――ナオ自慢のカンシャク玉を、ヤオは爪先でこつん、と軽く蹴った。
 ベクトルを入れ替えられたカンシャク玉が、申し訳なさそうに主人の足元に戻っていく。
 
「気持ちは分からんでもないが……室内の火遊びは感心できんな――78号?」
 
 呆気に取られ、ぽかんと口を開けて立っているナオに、ヤオは澄ました顔で言った。その後ろではOLコンビが、複雑な表情を浮かべて立っている。
 そのコンビに向かって、ヤオは「にかっ」と笑いかけて事務室を出て行った。
 
 童顔だけに、まるで少女のような微笑だった……もっとも、本人は気付いていなかったが。
 
 
★☆★☆★
 
 
「……ハンター組織ってのはこういうこともやるのか」
 
 本部から程近い商店街。
 
 ヤオの目の前には、「チャリティーコンサート」の横断幕が掛かった特設舞台。
 すでに7割方組み上げられ、今まさにオーナメントの装飾に入ったところだ。午前の軽い任務を終えたヤオは、本部からの指示でこの現場に回されたのだった。
 
「表向きには“なんでも屋”に近いからな、これも重要な収入源ってこった」
 
 アーケードの片隅に止まっている、これまた年季の入った軽トラック。
 そこからオーナメントの入った段ボール箱を出しながら、半ば呆れ顔で立っているヤオに言ったのは1号――半田いちごである。
 
「……香具師みたいなモンか」
「近いかも知れんね、ヤオは上の方を頼む……っと、靴は替えた方がいいな」
「ん?……あぁそうか、そうだな」
 
 いちごに言われて、ヤオは自分がハイヒールを履いていたことを思い出した。何しろ午前の仕事場から直接こっちに来たのである。
 
 別に好きで履いているわけではない……本部の室内用サンダルを除けば、これしか靴がないのだ。
 
 ただでさえ身長の高いヤオは、ハイヒールを履くと、文字通り見上げるようだ。ヒールの上乗せ分に、髪の毛のボリュームも考慮したら2m近いのではないだろうか。おまけに目の覚めるような金髪……彼女は明らかに目立っていた。
 どちらかといえば地味な黒っぽい服装なのだが、中身が目立つので余り抑制になっていない。隣に立っている白シャツ姿のいちごが、頭2つ近く小さく見える。
 
 ヤオはハイヒールを脱いで、傍らに置いてあったサンダルに爪先を通した。一気に10cm以上背が縮む……それでも180cm以上あるのだが。
 
 上着を脱いでタンクトップ1枚になったヤオは、細いゴムバンドで手早く髪を束ねた。いつもは風に流したままなのだが、さすがにこういう作業では邪魔になるからだ。
 カモシカが跳ねるように舞台に駆け上がり、長いオーナメントの端をつまんで引っ張り上げる。アーケードに吹き込む風に流されて、額の触覚のような髪が、まるで柳の葉のように揺れている。
 
 ……作業開始から一時間ほどで、大まかな設置作業は完了した。
 
「……まぁこんなもんか?」
「あれ?オーナメントが足りないぞ」
 
 箱の中をごそごそ、と探っていたいちごが声を上げた。
 予想していたより、オーナメントの数が1割ほど足りないのだ。
 
「箱を間違えたか?」
「いや……多分この前、倉庫でボヤがあった所為だ」
「……色々なことが起こるな、あの本部は」
「仕方ない、近所のスーパーで買うか、戻ってる暇もないし」
「あぁそれじゃ、俺が行こう」
 
 買出しの役目を買って出たのは、ヤオだった。
 
「済まんな、頼めるか?」
「問題ない、この辺りの地理を把握しておきたかったところだ」
「それじゃあ、今リストを作るから待っててくれ」
 
 
★☆★☆★
 
 
「ここか……」
 
 スーパーは、商店街の中心部から歩いて数分のところにあった。
 微妙に商店街の中にはなく、後から建てられたような目新しい雰囲気がある。老舗の多い商店街と客を取り合っているのが、目に浮かぶようだ。まぁこういうのは、チェーンのスーパーの方がたいてい強いものだが。
 商店街のイベントも恐らくは、スーパーに対抗して企画されたのだろう。
 
 そんなスーパーでイベントの装飾品を買うというのも、ある意味皮肉ではある。
 ……そんなことを考えて、ヤオが苦笑いしながら雑貨売り場に足を踏み入れた時だった。
 
 見覚えのある顔が、隣の日曜大工コーナーをうろうろしてることに気がついた。
 スミレ色のツインテールが愛らしい、小学生くらいの少女。どう考えても日曜大工コーナーの客とは思えないが……
 
「何やってるんだ、78号?」
 
「へっ!? あ、えーと、あんたは確か……バトルだっけ?」
「パドルだ、惜しいな……まぁ、今はヤオでいい」
「それじゃ俺のあだ名と被るなぁ」
「ナオだったか?一文字違いだ、被ってはいないぞ」
「まぁ、別にどうでもいいけどね」
 
 今朝まで涙声でわめいてたとは思えない、外見不相応にぶっきらぼうな口調。
 まぁ無理もない……元々は少女どころか、高校生の少年だったのだから。
 
「で、何やってるんだ?」
「ん……まぁえーと……部品を探してるんだ」
「部品ねぇ……大方、カンシャク玉に使う導火線か何かか?」
「えっあっいやっそのっ……」
 
 図星だったか、あからさまに狼狽した様子のナオ。
 
「た、頼むよ、ボスには内緒な?禁止されてんだ」
「そりゃ、逆ギレして事務所でカンシャク玉投げるような事されちゃ困るからだろ」
 
 傍目には可愛い少女と長身の美女が会話しているようにしか見えないが、口調は紛れもなく少年と中年である……耳を澄ませば「?」となること請け合いだ。
 
「まぁ別にいいけどな、重大事件を起こさないんなら……例えばボヤとか」
「――うぅぅっっ」
「……やっぱり、倉庫のボヤもお前だったか」
「だ、だって、暗いからこけて、その拍子に導火線が摩擦で……」
「電気をつければいいじゃないか」
 
 ヤオがそう言うと、ナオはジト目で彼女を見上げた。
 
「……手が届かなかったんだよ、悪いかっ」
「そんなに高いところにあるのか?――あぁ、そうか」
 
 ふと――記憶を手繰り寄せるヤオ。
 言われて見れば確かに、本部のスイッチは比較的高い位置に設置されている。子供が使うなんて全く想定していなかったからだろう。自分が長身だと、そういうことには余り気付かないものだと、ヤオは苦笑を浮かべた。

「……そう言えば、あんたは――ヤオは何でここにいるんだ?」
「俺か?俺は――任務だ、一応……な」
 
 そう言って、ヤオは苦笑しながら手にしたオーナメントを振って見せた。
 赤や金色のビニール細工が、白い手の下でひらひらと揺れ、小川のせせらぎのようにきらめく。
 
「ふーん、体につけるのか、それ?」
「……ンなわきゃないだろ」
 
 ……これは予想外の反応だった。
 
 
★☆★☆★
 
 
 ヤオとナオが、それぞれ目当ての品物を見つけ、レジの前に立った時だった。
 
 突然――4〜5人の覆面をした男達が、二ヶ所の入口から雪崩れ込んできた。
 
「動くな、手を挙げろ!」
「余計な動きをすれば撃つぞ、地面に這い蹲れ、ほら早くしろ!」
「裏口から逃げようと思うな、すでに固定してるからな!」
 
 店内がざわざわとするが、悲鳴を上げる者はいない。
 レジ係のリーダー格だろうか、中年の女性が怪訝な顔をして男達の前に近寄っていく。
 
「ちょっと、あんたたち……防犯訓練は今日じゃ――」
 
 そこまで言いかけた女性の胸に、男の1人はマシンガンを思わせる重厚な得物を突きつけた。
 
「悪いな奥さん、これは訓練じゃねーんだよ」
「えっ……?」
 
 ――――パリィィンッ
 
 後ろにいた男が短銃のような小さな武器を持ち上げ、天井に向かって引き金を引いた。蛍光灯の1つが粉々に砕け、破片がキラキラと光を浴びて舞い落ちる。
 事ここに至って、客と店員は事態の意味をようやく理解した。胸に銃を突きつけられた中年の女性も、さすがに顔が引きつる。
 
「ついでに言えば……これはモデルガンじゃねぇ、余計なことをすれば三途の川を渡るぜ?」
「っひ…………」
「お前らも騒ぐな、耳障りな悲鳴を上げた奴から撃つからそう思え!」
「レジ係は座るな、レジの前に立っていろ…… 一基ずつ改めさせてもらう」
「それから――そこのデカい女!」
 
「……へ?」
 
 いきなり呼びつけられたのは、座り込みかけた客の中にいたヤオだった。まぁ確かに、スーパーの客の中では一番目立つ容姿だったことは否定できない。
 
「そうだお前だよ……人質になってもらうぜ」
「ついでに横のお譲ちゃんにも付き合ってもらうか」
「横のお譲ちゃんって……俺のことか?」
 
 無論――ナオのことである。
 
「そうだお前だ……今俺って言ったか?どんな教育受けてるんだこの娘は」
 
 白昼堂々、スーパー強盗をやらかそうとする連中が言えた義理でもないが、それはそれ。
 
「悪かったなコンニャ――」
「やめとけ78号、ここは大人しく従った方がいい」
 
「よーし、大人しく歩いて来い、変なこと考えるんじゃねぇぞ」
 
 犯人グループより変な想像しているのは多分、ここにはいないと思うが、これもこれ。
 ヤオは立ち上がり、ナオを連れて犯人グループの横に歩いて行った。
 
 歩きながら、わずかに残った感知能力をフルに働かせ、犯人グループを凝視する。
 
 人数は見えているだけで四人……その他に裏口の見張りに一人ほど気配、合計五人だ。
 視界にいる四人のうち、三人まではマシンガンを思わせる重厚な火器を持っているが、これらは全てモデルガンだと、ヤオはすぐに感じ取った。
 ただし……その後ろにいる男が持っている、短銃は本物のようである。ダミーの中に本物を紛れ込ませ、全て本物と勘違いさせる手口というわけだ。確認を取ればボロが出るのは間違いないが、自分を盾にそんな賭けをする客などまずいないだろう。
 
 四人とも体格は悪くないが、まず間違いなくプロではない。プロの犯罪組織がこんな開けたスーパーを襲うはずもないし、何より展開の仕方も素人だ。
 まぁモデルガンを持っている段階でこの辺は予想がついたのだが。大方、サバイバルゲームで知り合ったマニア同士といったところか。
 
 とはいえ、こちらも丸腰の女性コンビ……もちろん武器など皆無。
 経験値で遅れを取らない自信はあるが、20人を超す買い物客を人質に取られているこの状況で、怪我人を出さずに収束させることが可能か、と言われれば心許ないのも事実だ。
 ヤオ自身、格闘能力には並み以上の自信があるが、まだ今の体に慣れているとは言いがたい。今の体で20年も30年も生きてきたのなら、どうにかなったのかも知れないが。
 
「よーし……おらそこのレジ係、ボサっとしてないでさっさとレジを開けろ!」
 
おろおろするレジ係を急き立てて、男の一人がレジの中身を改めようとする。
その間も、他の男達は油断なく辺りを警戒し、短銃を持つ男は後ろに控えている。素人は素人なのだろうが、簡単に背中を見せるほど低レベルでもないようだ。
 
 ――さて、どうやって連中の注意を逸らせようか。
 
 警察が駆けつけるのを待つ手もあるが……ヤオには妙な予感がぬぐえなかった。
 スーパーの裏手に、かすかだが不穏な気配を感じたからだ。それがもしも強盗団の一味だったのなら、逃走ルートも確保済みということになる。
 あり得ないことではない……白昼大胆に襲撃したのならなおさらだ。しかし、今のヤオには確信が持てない……気配の感覚が曖昧だったからである。
 
 ――この程度の襲撃事件で判断に迷うとは、俺も墜ちたな。
 
 一か八か、相手の隙に乗じて起死回生を狙うのが良いのか。
 それとも、数分後には到着するだろう警察に全てをゆだねるのが良いのか。
 なまじ経験があるだけに、そして現状が万全ではないだけに、ヤオの心は揺れ、焦った。
 数秒でいいのだ、隙ができれば勝機はある。
 
 
★☆★☆★
 
 
 その時――すぐ横から声がした。
 
「――なぁ、どうするんだ?」
 
 ナオが小さな肘で、ヤオの腰をちょいちょいと突きながら話しかけてくる。
 それに気付いて、ヤオはふと考えた。
 
 ――そうか、コイツには得物があったんだったな。
 
「お前の“アレ”を、向こうの陳列棚に転がしてくれないか?」
 
「アレ?何だよアレって」
「今朝、“俺に踏ませた”アレだよ」
「……あぁ、アレか♪……転がせばいいのか?」
「ちゃんと使える状態でな♪」
 
「おい、何ごそごそ話してる!? 逃げようとしても無駄だぞ!」
「いや、この子が落ち着かなくて、ちょっとね――」
 
 ヤオが犯人グループの一人にそう言った瞬間、ナオの手が素早く動いた。
 二人の足の間を抜けていく、黒い球体……かすかな煙を噴くが、犯人達は気付かない。ナオ手製のカンシャク玉はそのまま中央の通路に向かって、吸い込まれるように姿を消す。
 
 そのわずか2〜3秒後。
 鼓膜を破るような破裂音と、オレンジ色の閃光が、陳列棚の間から解き放たれた。
 
「――なっ!? 何だ、今のはっ!?」
 
 犯人グループの全員が、音と光が放たれた方向へと向いた――いや、人質となった客も全員だ。
 
 ただ一人――――ヤオを除いて。
 
「この女っ、今何をし――ぐぇっ」
 
 横にいた見張り役が、全て言い終わる前に崩れ落ちた――その顔面に深々とめり込むヤオの肘。全体重をかけた急所への一撃は、例え女と言えど破壊力十分だ。
 緊張を失った指から離れかけたモデルガンを、細い指がすくい上げるように絡め取る。そのまま――天井に向かって引き金を引いた。
 派手な発射音がこだます。
 
 狙ったのは、天井の照明。
 モデルガンのプラスチック弾では衝撃が弱いが、数十発も叩き込まれれば同じこと。レジの横にいた男とその反対側にいた見張りの二人に、砕け散ったガラス片が降り注いだ。
 
「んなっ……」
「うわぁっ!?」
 
 二人が注意を逸らした瞬間に、ヤオの肢体がカモシカのように跳ねた。
 奥にいた短銃の男が慌てて銃口を向けるが、ヤオの持つマシンガンの反撃を受けてのけぞる。モデルガンと分かってはいても、数十発のプラスチック弾を自分から浴びに来る者などそうはいまい。
 次の瞬間――その長い脚が、横殴りにレジの前にいた男の顔面に突き刺さった。
 
「――ごはっっ」
「こっ、このアマ――」
 
 反対側にいた見張り男がモデルガンの引き金を引くが、プラスチック弾が直撃したのは仲間の背中。
 半分気を失ったレジ男が、ヤオに操られる形で見張り男の前に倒れこんで来た。すでに自分で立つことができないその体を避けて、見張り男がヤオに向かおうとしたその刹那。
 
 股下から突き上げる衝撃を受け、男は声もなく白目を剥いて倒れ伏した。
 
 ――後は短銃男だけだ、奴を仕留めれば後は警察に任せられる……
 
 ヤオが股蹴りで仕留めた男の襟首を掴んで、横に放り投げたその時――焼けるような痛みが頬に走った。
 彼女の目の前には、体勢を立て直した短銃男の銃口が、かすかな煙を上げている。
 
「大したアバズレ女だぜ……だが、これで終わりだ」
 
 ――ちっ、少し遅かったか!?
 
 しかし、男が引き金を引こうとしたその直前、目の前でオレンジ色の閃光が煌いた。
 勝利を確信した男の網膜に焼き付けられる、敗北の光。
 
「――うぉっ、しまっ……」
「ヤオ――今だっ、蹴り倒せ!」
 
 背後からナオが叫んだ時には、ヤオの体は既に動いていた。鋭い衝撃音と共に、頭上に蹴り上げられる男の短銃、そして――
 
「――え”う”っ」
 
 危機を察した男が飛び退くよりも早く、その脳天にヤオのハイヒールが直撃した。
 カエルを潰したようなうめき声を上げ、そのまま崩れ落ちる最後の難関。通路の奥に、蹴り飛ばされた短銃の金属的な余韻が響いている。
 
「やったぜヤオ、完全勝利だ――って!?」
 
 満面に笑顔を浮かべて、ナオがヤオに駆け寄ろうとした時。
 勝負を決めたヤオの体が、ぐらり、と傾いた。そのまま――がくん、と膝を突く。
 
「お、おい、大丈夫か?――あっ、血!」
 
 ヤオの白い頬にうっすらとにじむ赤い筋を見て、ナオが小さな悲鳴を上げる。大騒ぎしないのは、やはり外見不相応の経験を積んでいるためだろうか。
 
「い、いや……大丈夫だ、心配するな」
「で、でも、何かヨロヨロして………… ――あ」
 
ふらつくヤオを心配そうに見ていたナオが、ふと足元を見てその“原因”に気付いた。
 
「な、何だ――そういうことか」
「……笑うんじゃねぇよ」
 
 
 今日一日、ハンターの任務に付き合ってきたヤオのハイヒールが、ぽっきり折れていた。
 よほど力いっぱい、食らわせたらしい。
 
 
「ま、まぁいいじゃんか、強盗倒したんだしさ」
「気を抜くな、まだ一人残ってるはず……裏口につながってる、奥の倉庫だ」
「えっ、そ、そうなのか!?」
 
 陳列棚の端を掴んで、ヤオがやっとのことで立ち上がったその時。
 
 
「あの……奥の倉庫に女の子がいたんですけど」
 
 
「…………はぃ?」
 
 
 レジ係の女性が、目に涙を浮かべた少女を連れて、ヤオたちの前にやって来た。
 歳格好は中学生くらいだろうか、可愛らしいセーラー服に身を包んだ可憐な美少女だ。
 
「興奮しちゃったみたいで、よく分からないことを言ってるんですけど……警察に言った方が」
 
 レジ係がそう言った時、スーパーの正面玄関から、いちごが飛び込んできた。更にその後ろには、今さっき到着したのだろう、数人ほどの警官もいる。
 
「――ヤオ、今このスーパーで華代反応が……って、何だこりゃあ!?」
 
 レジの横と奥に無様に伸びている男達を見たいちごは、素っ頓狂な声を上げた。それを聞いたヤオとナオは、思わず顔を見合わせる。
 “物凄く嫌な予感”が背筋を駆け抜けたからだ。
 
「……ま……まさか……」
 
 
★☆★☆★
 
 
「――で、結局その少女が華代被害者だったわけか」
「はぁ、強盗団の見張り役だったらしく、勝手口の外にいた仲間も被災したみたいです」
「80号と78号は華代が近くにいたのに気付かなかったのか?」
「たまたま探知機を持っていなかったみたいですね……おまけにあの騒ぎでしたし」
 
 その日の夕方、ボスの部屋、本日のおさらい。
 
 大きな机の上に肘を乗せ、頬杖をついているボス……何気にお茶目。
 話し相手である側近――いや、今や部下Aと呼んだ方が早いか――は、腰に手を当てている……いいのか、ボスの前で?
 
 ……まぁ、いいのかも知れない、こういう人たちだし?
 
「それで還元はしたのか?」
「一応したようですよ、その後警察に連行されたみたいですが」
「30代サバゲーマニアが結託してスーパー強盗か……物騒な時代になったもんだ」
 
 ……スーパー強盗なんか比較にならない生きた災害と付き合ってるんじゃないのか、あんたたちゃ。
 
「で、80号は治療中か?」
「いえ、かすり傷だったみたいですから、自分で処理したようです」
「びっこを引いてたように見えたがなぁ」
「……どこで見てたんですか……ハイヒールが折れたみたいですよ、カカト落としで」
「つまり80号は足技というわけだな」
「……?」
 
 
★☆★☆★
 
 
「おっ帰りーナオちゃん、ねぇねぇ、今度はこの服なんだけど――うっっ」
 
 本部に帰宅(?)してきた78号に、待ち構えたように声をかけてきたのは沢田女史である……どうやら、朝の騒ぎで懲りてなかったらしい。
 沢田をじろりと睨んだナオは、ふと――にやり、と不敵な笑みを浮かべた。いつも怯えて涙目になる少女の予想もしてなかった反応に、沢田はぎょっとした。
 
「まだ言ってるんスか?……ふふん、俺をバカにしないでもらいたいっスね」
「……大丈夫、ナオちゃん?何か悪いものでも食べたの?ケイちゃんの特製パフェとか」
「食わねぇよっ!!ってかケイのパフェは春さんの許可がないと出せないだろっ!」
 
 ケイのパフェって何だそれ、と思った方は彼女の活躍編を参照のこと。
 
「そう、大丈夫だったらいいんだけど……それでね、この服――」
「イヤだって言ってるでしょ、それとも……今朝のアレを食らいたい――  ってあれ?」
 
 思わせぶりにポケットに突っ込んだナオの指が――虚しく空を掴んだ。
 ごそごそ、ごそごそ、がさごそがさごそ。
 底まで指を突っ込んでも、目一杯かき回しても、埃も出てこない。彼女自慢のカンシャク玉は一体どこへ――
 
「…………あ」
 
 そして記憶がフラッシュバックする、数時間前のハイライトへ。
 ヤオの仕掛けた作戦に便乗して、オレンジ色の閃光が二度、スーパーを染めたこと。
 ここにおいて、彼女はようやく気付いた。
 
 自慢の得物を、持っていた分は全て、使い切ってしまっていたことに。
 
 いや、普通はもっと持っているはずだったのだ。
 しかし今日は足りなかった……スーパーに導火線用の縄を買いに出かけたのもそのため。
 それが――裏目に出た。
 
 “切り札”がないと察したか、沢田女史の表情が緩む。反比例するように青ざめるナオ。
 沢田の足がナオに一歩、反射的にナオの足が後ろに一歩。沢田前進、ナオ後退、前進、後退、前進、後退……
 
「ナ〜オちゃ〜〜〜ん♪」
「あ、いや、その……いや、だから……ちょっ、待ってえぇぇぇ!?」
 
 合掌。
 
 
★☆★☆★
 
 
「――ここにいたのか」
 
 事務室で悲劇(?)が繰り広げられていたその時、ヤオは本部の屋上にいた。
 階段室の方から聞こえた声にヤオが振り向くと、そこにはいちごが。

「……良くここだと分かったな?」
「いや、実のところ俺も涼みに来ただけなんだ」
 
 手すりにもたれかかる二人が、暗い屋上の床にうっすらと影を落とす。
 既に日は落ち、下界では光と闇が鮮やかに踊っている。ふと大空を仰げば――天空にも壮大な“夜景”が拡がっていた。天と地……二つの夜景が、地平線の彼方で交じり合っている。
 
 ……なんとなしに、いちごがつぶやいた。
 
「ヤオは……どの星から来たんだ?」
「さぁて、どれだろぅなぁ……いっぱいありすぎて分からん♪」
「はは……何だよそりゃ」
「宇宙には何兆という星があるからな……遠くにありすぎて、肉眼じゃ見えない星も多い」
「宇宙か……行って見たい気はするな」
「そう言えば、昔の写真を拝見したよ……あの体格なら、十分に宇宙飛行士にもなれそうだ」
「宇宙飛行士か……子供の頃は憧れもしたが……」
「子供の頃――か……」
 
 何となく気まずいと感じたのか……ヤオが視線を落とした。その視線の先には地上の星空――街灯りが輝いている。
 ヤオがぼんやりと眺めていると……またいちごがぽつり、とつぶやいた。
 
「この街のどこかに……華代がいるんだよな」
 
「そうだな……どこかにいるんだろうな」
 
 しばし――沈黙が流れる。
 
 
 
 
 
「――ん? そのハイヒールは?」
 
 ふと、いちごがヤオの足元を見て言った。彼女が履いている、黒いハイヒールが視界に入ったからだ。
 しかし確か彼女のハイヒールは、強盗を撃破した時に壊れたはず。
 
「新しい靴がいると思って、事務に行ったら……ちょうど14号がいてね」
 
 苦笑いするように、ヤオが言った。
 
「『エージェント専用の靴ができたから試着して欲しい』と言われたワケさ」
「エージェント専用の靴?このハイヒールが?」
「特製カーボンナノファイバー入りだそうだ、クルマを吊るしても折れないとよ」
「何だそりゃ?……というか、別にハイヒールである必要はないだろうに」
「俺もそう思うよ、だが14号が言うに、俺の足のサイズに合わせたんだそうだ」
「……ヤオ専用かよ」
 
 つられるように苦笑いするいちご。
 
「好評なら1号や3号、10号なんかの靴も作りたいとか言ってたが、どうする?」
「……勘弁してくれ、てか何考えてやがるんだあいつは」
「さぁね……発明家ってのは変人が多いというが、彼はどうなんだろうな」
 
 
 間もなく――二人同時に溜息が出る。
 その背中は、まるで“中年男のように”切なく見えた。
 
 
 
≪あとがきというか言い訳というかごにょごにょ≫
 
はいどーもー、隠れいちg(強制終了)
 
というわけでヤオ3話で御座いますw
……草稿は1年前にできてたのに、仕上げに1年かかる牛歩振りってどーよorz
あーそのアレですね、他にもやることがいっぱいあったりとか何とかうんたらかんたら。
 
今回、主な共演者として78号をお借りしますた、流離太さんありがとう御座いますm(_~_)m
 
……最後が何となくグダグダですいません(滝汗)
ナオちゃんの悲劇とヤオの屋上黄昏モードはどうしても入れたかったのです(ぇー
強引だけど、取り合えずヤオの戦闘形態は確立した、うん(何)
 
では、またお会いできる日までー(^^;)/~~~


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