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ハンターシリーズ179
『【秋葉原のとある一日】 ウェイトレスになってみよう』

作・てぃーえむ

 


 文香は、秋葉原に対して幻想のようなものを抱いていた。
 つまり、左を見ればリュックにポスターを差したオタクが歩いていて、右を見ればニセメイドがいて、上を見ればアニメ調のキャラクターの看板がある、といった感じだ。
 この幻想は、あながち間違ってはいない。通行人の何割かはアニオタだし、メイドさんっぽい女の人が案内や店の宣伝をしているし、アニメキャラっぽい看板があるところにはある。しかし、それでもここは、ただの現実の街なのだと文香は思った。別にファンタジーランドでも無ければ聖地でもない。変わった雰囲気なのは確かだが、たいして気にかけるほどでもない。コスプレした男女が連れ立っていたとしても、ここはそういう場所だと思えば、違和感など感じないのだ。
「まあ、ここで良かったとは思いますね」
 携帯電話を片手に秋葉原を歩く文香は、電話の向こうにいる人物にそう話しかけた。
『そう。まあ、傷害事件でないかぎり、何が起きてもイベントですませられそうな気はするわね』
 通話相手である凛は、いつも通りの冷静さで答えてくれた。秋葉原にいる文香には当然見えないのだが、凛は今も本部にいて、自分の仕事をこなしているはずだった。キーボードを叩き、いくつもの書類を処理しつつ、ハンズフリーで文香と話しているのだ。
 そんなことをしているのは、もちろん理由がある。
 8月30日の午後。つまり今日。この街での大規模な華代被害が予報されたのだ。すでに何人ものエージェントがこの街に張り付いており、文香もまた例外ではない。しかし文香が凛と連絡を取り合っているのは、とある装備のテストを行うためだった。組織の正式な命令で作られた物ではないのだが、人様に迷惑をかける代物ではなく、成功すれば組織の未来に貢献できるから大丈夫だろうというのが、二人の間での認識だった。まったく、組織がいい加減なら、そこで働く人もいい加減だ。
「メイドさんが出歩く姿ってシュールだと思ったんですけど、案外普通ですし」
 歩道を渡ろうとしたところ、信号が赤になってしまったので、一旦立ち止まって周囲に視線を送ってみる。すると、ピンクなメイドさんがなにやら配っていた。その姿は街にとけ込んでおり、これはこれでありだと思ってしまうほどだ。
『ふうん……あら?』
「どうしました」
『歌が聞こえるんだけど』
 凛は、急に真面目な声でそんなことを言った。歌は確かに聞こえている。信号待ちの車が大音量で歌を流しているのだ。文香は、かすかに眉をひそめた。
「ああ。まったく、迷惑ですよねえ……あ、でもどこかで聞いたような……」
『どこかもなにも、この前、私がカラオケで歌ったでしょう』
「え?」
 言われて、文香は改めて歌に耳を傾けた。なるほど、確かに彼女の言うとおり、2週間ほど前に行ったカラオケで凛が歌った歌だった。 
『どこから聞こえてくるのかしら』
「信号待ちの車ですよ。なんか、アニメキャラが描かれて、なるほどあれが痛車なんですねえ」
『痛車ですって? 描かれているのはだれ?』
「誰って……」
 文香は痛車を観察した。
「なんか、ツインテールの女の子ですけど。小さい弓持ってますね」
『ミ○トアローだわ!』
 興奮ぎみに、凛は叫んだ。
『何をしているの。早く写メを送るのよ! これは課長命令です』
「あの、ぼくは一応、部長代理なんですけど……」
 そう主張しつつも、別に拒否するようなことでもなかったので、今使っている物とは別の、携帯電話型試作機で写真を撮ろうとして。
「あ」
『なに?』
「ごめんなさい。信号青になって、車行っちゃいました」
『なんですって!? ……くっ、まあ仕方ないわ。でも、次回はちゃんとすること。いいわね』
「次回があるのかないのか……」
『ああ、そこで止まって』  
「はいはい」
 文香は指示の通りに立ち止まった。文香の携帯には発信器が付いていて、凛はそれで文香の動きをとらえているのだ。
『左向いて』
「はいはい」
『そこが今回の現場。正確には五階の喫茶店だけど』
「でもまだ時間ありますねえ。まあ、お茶でも飲んでまったり待ちましょうか」
 時間まで喫茶店でのんびりしようと思った文香だが、凛がそれを止めた。
『その前に、そこの一階でお買い物して貰うわ』
「何かほしい物でもあるんですか? まあ、かまいませんけど後でも良いような」  
『忘れないうちによ』
 急かされて、文香は入店した。なんだか可愛らしくもいかがわしい、端的に言えばエロい女の子のポスターが貼られていて、ちょっと入りづらい。中は本がいっぱいで、奥の方ではゲームやグッズも売られているようだ。美少女キャラばかりが目に付くので、男の子用のお店かと思ったが、ちゃんと女子向けのコーナーもあるらしい。凛は、その女子向けコーナーへ行くようにと指示を出した。
『新作コーナーがあるでしょう』
「まあ、ありますね……。ありますけど」
 乙女ゲーだとか、BLゲーだとか書いてある。美男子がやたらと艶っぽい。
『次の物を購入すること。いいわね、まず……』
 言われたとおりの物を手に取っていく。一つ二つ、三つに四つ。乙女ゲーばかりだがどれもエロいので、とてもじゃないがお子様には見せられない。文香は、こういったものに理解のある人間だったが、実際にお店で現物を前にすると恥ずかしさが先に立つ。それと時折、お客や店員(どっちも男)から向けられる視線が痛かった。
「意外ですね。こういうのに興味があるとは」
『私はこう見えて夢見がちな乙女なの』
「へえ。で、品物を手に取っておいて何ですが……。これ、誰が払うんですか」
 今更ながら文香は確認した。値段は、おそらく六万円は下らないのだが。
『貴女よ』
「そんなお金ありませんって」
 品物を元の場所に戻そうとした時、凛は言った。
『冗談よ。実は貴女の財布に私のカードを入れておいたの』
「え。マジで」
 文香はポケットをまさぐって財布を取り出した。すると本当に見慣れないカードがあった。
「貴女正気ですかこんなのを人に預けるなんて! しかも黙って! そもそもどうやって入れたんですか!」
『問題ないわ。さ、それで早く会計を済ますのよ。その店はちゃんとカードが使えるから大丈夫』
「……まったく」
 ため息をつきつつ、レジへ行く。レジ係の男性は、ちらりちらりとこちらを見ながら、バーコードを読みとっていた。乙女ゲーの内容を現実で実行出来そうな容姿の文香が乙女ゲーを購入することに対して、何かしらの思いがあるらしい。目を合わせて、小首をかしげてみせると、彼は顔を赤くした。なぜだ。
 支払いを済ませ、ビニール袋に入れられた乙女ゲーを受け取ると、また凛が指示を出してきた。曰く、バックに帆布製の買い物袋を潜ませておいたので、そこに入れろとのこと。これまた何時の間に仕込んだのだろうか。
『そろそろ良い時間ね。現場へ向かってちょうだいな』
「はいはい。ところでこのゲーム、やる時間あるんですか?」
『仕事中にやるからいいのよ』
「仕事してください!」
 そんなことを言いつつも、文香はエレベーターに乗り込んだ。



 さて、午後1時頃。
 喫茶店に、一組の男性グループがやって来た。
 彼らは、ネットゲームのオフ会で集った仲間達であり、昼食がてら、女の子のレベルが高いと有名な喫茶店の様子を見に来たのである。
「あれ。制服違うな」
 ジョージ(キャラ名)は、店員の制服を見るなりそう言った。
「今日は、『きらめき☆カタストロフ』のタイアップイベントだってポスター貼ってあるじゃんか」
「うおっ、ホントだ」
 ミーシャ(キャラ名)の指摘に、痛恨の表情をするジョージ。彼は、この喫茶店の標準制服を心より愛していたのだった。
「それより早く座ろうぜ」
 アンドレ(キャラ名)に促され、ジョージ達は席に着いた。
 各、好きな物を注文すると、魔法少女っぽい衣装のウエイトレスさんが、笑顔で注文を復唱した後、短いスカートを翻して去っていった。
 そして始まる、おしゃべりタイム。話題は、ネットゲームの世界で起きている事件と今後の行方、それとDQNプレイヤーについての話であった。
「マトレフってある意味凄いよな。周りの忠告無視して、あれだけ自由にやれたら気持ちいいだろうな」
「真似したくないけどな。でもあれ、一応聞く耳を持ってるつもりらしいぜ」
「ああ俺、注意したことある。話全然かみ合わなかったけどな」
 会話に混じりつつも、ジョージの心は晴れなかった。もちろん、いつもとは違う制服のせいだが、そんなことはおくびにも出さない。制服を普段通りに戻してほしいと口にするのは簡単だ。しかしそんなことを口にした日には、仲間達から白い目で見られるのは明白だった。そんなことで目くじらを立てるとは、小さい男だとレッテルを貼られる。まあ、実際はそんなことはないのだが。ジョージは、仲間達のことを人として一目置いているし、これからも末永く付き合っていきたいと考えていた。
 そのうち、注文の品が届いて食事が始まった。ジョージが頼んだのはクリームのショートパスタ。定番メニューであり、美味しいと評判だ。
 食事中となると、会話もトーンダウンする。仲間達は、うるさくして良い場所では騒がしいが、ちゃんと場を弁えることが出来る人間だった。
 ジョージも、周りに習って食事をしていると。
「ねえ、おにいちゃん」
「ん?」
 何時の間にやら、隣に女の子が立っていた。白いワンピースの、可愛らしい娘。まず間違いなく小学生だろう。
「なにか悩み事があるよね? 顔にそう書いてあるもん」
「はあ」
 生返事を返すジョージに、女の子は満面の笑みを浮かべながら、名刺を差し出してきた。仕事での習慣から、思わず受け取って名刺を確認すると。
「真城ちゃん? セールスレディ?」
「はい。わたくし、セールスレディの真城華代と申します」
 ぺこり。営業戦士顔負けの、素晴らしいお辞儀だった。
「はあ。それで、なんなのかな」
 これは何かの冗談だろうか。それとも、この店の新サービスなのか。あり得る話だ。何せここは日本である。ことサブカルチャーにおいて、日本の右に出る国はいない。他国を遙かにぶっちぎって次元を超越していると言って過言ではない。と、ジョージは思っている。だから、こんなサービスが始まっても、おかしくはないというのが、彼の考えだった。
「はい。遠回しに言うのもなんですからぶっちゃけますと、おにいちゃん、今、何か悩んでますね? それを解決してみせるのが、この真城華代のお仕事なのです!」
「はあ、そうなんだ」
 また生返事を返す。すると、女の子は頬を膨らませた。
「あー。さては、疑ってますね? こう見えて、わたくしは数々の依頼を成功させてきたのです。専門はココロとカラダの悩みですが、それ以外でもお望みとあらば、しっかりきっかり解決して見せますよ」 
「そ、そうなのかー」
 さっと周りを見ると、仲間達が物珍しい物を見る目でこちらを見ていた。とりあえず、下手なことは言えそうにない雰囲気だ。万が一泣かせたりなんかしたら、きっと大変なことになるだろうな。
「うーん。確かに今、ちょっとあれなんだけど……」
「ほほう。あれですか。具体的には?」
「実は俺はウェイトレス服が大好きなんだが」
 ぽかり。
 ミーシャに頭を叩かれた。
「お前は何を言っているんだ」
「いや待ってくれ、違うんだ。俺はただ、ここの制服が気に入っていることを主張しようと……」
「そもそもメイド派じゃなかったのかよ」
「メイドや学生服やナースも良いが、やっぱりウェイトレスが一番だろう!?」
「いや聞かれても」
 そんな言い合いをよそに、女の子は腕を組んでちょっと悩む仕草をした。
「……ウェイトレスですか……ふうむ」
 彼女はこくりと頷いた。
「理解いたしました」
「はあ」
 言い合いを止めて、女の子に向き直る。彼女は、なんかすっきりした顔をしている。
「そういうことですか。なるほどなるほど。ええ、結構いるんですよそういう人。自分には似合わないかもって躊躇しちゃうんですよね」
「え?」
 ジョージは不安に駆られた。彼女の言っている意味が解らなかったのだ。
「えっと、君……なにを」
「いえいえ解ってますとも!」
 女の子は掌を向けて、ジョージの言葉を遮った。
「大丈夫、問題ありません。というか、得意分野です。わたくしにすべてお任せください」
「得意分野って」  
「叶えて見せますとも!」
 力強く頷いた、その時だった。
「うっ」
 体に異変を感じた。それは周りの客達も同じらしく、胸を押さえたり顔をしかめたりしている。
 その後に発生した事態を、彼は後日こう述べている。
「俺は体に衝撃が走ったと思ったら周り全員女になっていた。何を言っているか解らないと思うが、俺も何が起きたか解らなかった。メイクや早着替えなんて物じゃ断じてねえ、何か恐ろしい物の片鱗を見た気がするぜ……」
 と。 
 つまるところ、全員女の子になってしまい、しかもウェイトレスだったのだ。
「これは……この服は! この店の制服だ……!」
 ジョージは一目でそのことに気が付いた。
「おおおおおおおちおちおちいいいいいちちちつつつつつけけけけ」
 ミーシャと思われる女の子が、皆に落ち着くよう言い含めようとしていたが、まず最初に落ち着くのはお前だとジョージは思った。  
「一体どうなってるんだ!?」
 一人ニコニコしている真城華代なる女の子に詰め寄ると、彼女はぽんっとジョージの肩を叩いた。
「その体ならばっちりお似合いですよ! これで思う存分ウェイトレスとして働けますね! あ、いえいえ! お礼は入りませんよ、お客様の笑顔こそわたくしの報酬なのです。え、それってボランティアじゃないかって? そんなことないですよお、これも立派なセールスレディの仕事なのです」
「なんで一人で話進めてるのお!?」
 全力で突っ込んだが、華代は欠片も気にしなかった。
「じゃ、頑張ってくださいね! あでぃおす!」
 そして華代は姿を消した。正確には、手を振りながら普通にドアから出て行った。
「……あ、あでぃおすって……、この状況どうするんだよおい!」
 叫んでみても、その声は何処にも届かなかった。周りの即席ウェイトレスは茫然自失としているし、元からのウェイトレスも何がなんだかさっぱりな顔をしてやっぱり茫然自失としている。
 一体どうしたらいいのか、混乱しながら仲間達の方を見たら。
「はっ!?」
「あばばばばばばばば」
 おそらくはアンドレだったであろう女の子がガクガク震えていた。
「しまった! アンドレは自分のことよりも、環境の急変でパニックになるタイプ! しっかりしろアンドレ! 落ち着いて素数を数えるんだ!」
「えええええととととと、1,2,3,4,5……」
 全然素数ではなかったが、これ以上はどうしようもないので放って置くことにする。
「ぐうううう…………この衝動……は……」
 続いて、ミーシャが胸を押さえて苦しみだした。慌ててジョージは彼……ではなく彼女の肩を抱く。
「しっかりするんだ。どうしたんだミーシャ!」
「じ、ジョージ……俺は恐ろしい……。こんな姿なのに、違和感を感じないんだ! そしてだんだん……給仕をしたくなってきたんだ」
「気をしっかり持つんだ。それはプラシーボ効果だ。ウェイトレス姿になったからそう思いこんでしまっただけなんだ!」
 プラシーボの使い道が正しいのか否かは解らないが、ジョージは自分に言い聞かせるようにそう言った。己もまた、同じ衝動に動かされようとしていたのだった。  
 周りの元客達も、やはりウェイトレス的な行動が取りたくてたまらないらしい。みな、苦しんでいた。
「なんてことだ……こんな状況……俺達はもう、ウェイトレスをするしかないのか。救いはもう無いのか……」
 絶望感に捕らわれて、ジョージが呟いた、その時だった。 
「はい、皆さん注目してください」
 明るい、しかし落ち着いた声が、店内に響いた。すべての人間が、その声の方を向く。するとそこには一人のウェイトレスが立っていた。
 美しくも愛らしい女性だった。少女のようであり、大人の女のようでもある、不思議な美女だ。豊満な体つきではないが、やたらとバランスがとれていて魅力的なスタイル。淡い茶髪は遠目でも艶やかに見え、やさしげな瞳はカラーコンタクトなのかそれとも元からなのか、すみれ色をしていた。ここにはたくさんの素敵なウェイトレスが存在していたが、彼女は一際輝いて見える。この状況で堂々としていて、しかも見目麗しくてふりふりウェイトレス服が似合いまくっているからだろう。こんなウェイトレスが働く店があったら、ジョージは毎日でも通ってしまうに違いなかった。
「秋葉原商店街非協賛突発イベント、君もウェイトレスになってみよう! は、お楽しみいただけたでしょうか」
「非協賛かよ!」
 ジョージは思わず詰め寄って突っ込んだ。
「いやだって、計画持ち込んだら係の人に十年ロムってろって言われたんで、仕方なく」
「嘘だ。特に十年のくだりは嘘だ」
「えへっ。まあ気にしないでください」
 くっ、とジョージは思わず黙り込んだ。あまりにも場違いな、和やかで茶目っ気のある笑顔を至近距離で見せられて、言葉がつまってしまったのだ。
「こ、これは一体、どうやったんだよ……」
 気を取り直して問いかける。なんだか力弱い声になってしまったが、彼女は馬鹿にする様子は無くちゃんと答えてくれた。
「集団催眠です」
「えー?」
「催眠術でみんなウェイトレスな感じに見えるようになってます。本当ですよ。ほら、この強制集団催眠装置を使って」
 そう言いつつ彼女が取り出したのは。
「携帯電話じゃねえか!?」
「格好いいでしょう」
 いい笑顔で彼女は携帯電話を掲げた。まあ、確かにセンスの良い配色の携帯だとは思う。それが売っているのを見かけたら、購入を考えてしまうかも知れない。
「てかさっきの女の子はなんなんだ」
「華代ちゃんですがなにか?」
 当たり前のこと聞くなよ的に、彼女は言った。
「そりゃそう言ってたけどさ……」
「さて、そろそろ元に戻しましょうか」
「も、戻れるのか」
「そのままの方が良いならそうしますけど」
「戻ります戻ります」
 ジョージは慌ててそう言った。こんな訳のわからない状態、とっとと何とかしてほしい。そんなジョージを見て、彼女はこくりと頷いた。
「では行きますね」
 そのかけ声と共に、彼女の掲げた携帯電話がぴかーと輝いた。
「ぐわ。目が、目が」
 あまりにも強い閃光だったので、思わずジョージは目を押さえてしまう。
 そして。
「はっ!」
 数秒後。視力と元の姿を取り戻したジョージや他の人達は、まずすべてが元通りになっていることを確認した後、あの女性の姿を探したが、結局それをみとめる事はなかった。




 携帯片手に自動ドアをくぐる女性が一人。彼女、文香はまず空を見上げて空の様子を確認すると、手にしていた帽子をかぶり、それから先ほどのことを思い出してちょっと恥ずかしそうに顔をうつむかせ、歩き出した。
「ああいうのは慣れませんね」
『そう? 声を聞いてた限り、堂々としててよかったけど。ウェイトレス服姿が見れないのは残念だったわ』
 凛はからかうように、そう言ってきた。
「見られなくてほっとしてますよ。あんなふりふりは恥ずかしいし、きっと似合ってませんよ」
『あの店のホームページを見た限りだと、きっと似合ってたと思うけど』
「冗談はよしてください」
 文香は、身だしなみを整えるため化粧はするものの、恥ずかしいので自分から着飾ろうとは思っていない。素材はよいのでもう少し飾っても良いのではないかと凛は言うが、文香は言われるたびに拒否していた。そもそも、凛もシンプルな装いを好むのだ。オシャレしろと言われても、貴女に言われてもなあと反発してしまうのだった。
「そちらこそ、いっぺんあんな感じの服、着てみたらどうです」
『駄目よ。似合いすぎてしまうわ』
「それは冗談で言っているのですか」
『まあ失礼な』
 突っ込みつつも、凛がウェイトレス姿になったところを想像してみた。全然似合っていないのに恐るべき魅力が秘められているように思えた。凛の美しさと服のかわいらしさは、ベクトルが真逆で、それゆえに倒錯的と言えるかもしれない。だがそれが良いという男連中もいるだろう。女もいるかも知れない。
『それで、携帯電話の感想は?』
「ええ」
 話が変わって、文香は、佇まいを直した。
「防御は使い物になりませんね。1秒も持ちませんでした」
 一見、格好いい携帯電話に見える試作機。備え付けられた二つの機能のうちの一つは、対華代能力防御だった。しかし、その防御はまったくの無力であり、あっけなく砕かれてしまった。恐るべき華代の力である。
『そのようね。受け取ったデータも……、これはどうしようもないわねえ。お手上げといってもいいかもしれない』
「でも、もう一つの方はうまくいきましたよ」
『そりゃあね、貴女に合わせて作った物なんだから。結果を出して貰わないとね』
 ハンター能力の増幅。それがもう一つの機能だった。
『有効範囲は10メートル。還元終了まで約2秒。まあ、想定通りの性能ね。あとは……』
「耐久性ですかねえ」
 文香は苦笑した。彼女のポケットには、煙を噴いて壊れてしまった試作機が放り込まれている。
『人数が多くて、負荷がかかりすぎたようね。やっぱり、こういうのは実戦で使ってみないとわからないものね。まあ、そのあたりも追々何とかするとして、さて、それじゃあ次、行ってみましょうか』 
「そうですね。それで、次の予測地点は?」
 被害はあの喫茶店だけではない。これから各所であんな事が起こるのだ。防ぎに行かねばならない。
『え、予測地点?』
 凛の、きょとんとした声。
『買い物地点の間違いではないのかしら』
「綾瀬課長。言っておきますけどぼく、パシリじゃないですよ」
『……なんですって!?』
「本気で吃驚した声出さないでください」
『冗談よ。ただ、これから行く先の店の近くには限定グッズが』
「何のグッズですか、何の……」
 そんなやり取りをしながら。
 文香は次の現場へと、のんびり歩を進めるのだった。



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