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ハンターシリーズ122
『呪いのカツラにご用心』

作・てぃーえむ

 

 湖畔は、薄い霧に包まれていた。
 耳を澄ませてみたけれど、音は聞こえなかった。虫の音も無く、足音すら意識して踏み鳴らさない限り響くことはなかった。
 湖を囲う森からは小さく妖獣の気配を感じる。気まぐれに目をこらしてみたけれど、姿は見えなかった。早々にあきらめて空を見上げれば、遠く望月がかすんでいた。
 ここは、彼女の住む世界だった。人の住む世界の隣にあり、日が昇ることが無い、闇の眷属が住む世界。
 人によっては魔界と呼ぶのかもしれない、そんな世界を、エミルネーゼは機嫌良く歩いていた。鼻歌交じりで、時々くるくると回りながら、自分の眷属が住む屋敷へと向かっている。
 前にここへ戻って来た時は、ちょうど人狼族のお祭りだった気がする。人の世界のお祭りよりは質素だけど、皆が笑顔で過ごしていた。ネーゼの住まう屋敷でもささやかなパーティーを行っていたし、よその血族は舞踏会を開催していたらしい。もっとも吸血鬼は、闇の貴族を自称する者が多いから、何かにつけて豪奢な舞踏会を開いているのだけど。
 それから何年か。あるいは十数年かもしれない。とにかく久方ぶりの帰還だった。
 ネーゼは人界が好きだ。正確には、人が好きだ。すぐに死んでしまうけど、にぎやかで愚かで時に恐ろしい、いろいろな可能性を感じさせる人間が好きだから、それを見るために彼らの世界を旅している。
 確かにあそこには太陽がある。結界や呪縛もある。元々身につけている封環のせいもあって、生まれたての吸血鬼にも劣る力しか出せなくなってしまう。それでも人の血があれば多少はまともな力を振るえるだろう。でも、力を得るためだけに血を求めるなんて、とてもする気にはならなかった。だから血を吸うのは、必要な時に最低限だけにしている。おかげでいつも体がふらふらしているし、すぐに体力が尽きてしまうけれど、それでも良いのだ。
 強大な力などに、彼女は価値を見いだしてはいなかった。百万の天使を屠る魔王より、美味しい料理を作るシェフの方が、よほどすごいのだと常々思っている。
 そういえば、ここに来る前に食べたラーメンは美味しかったな、と回想していると、屋敷が見えてきた。
 足を速め、門をぬけると、広大な庭が出迎えてくれた。月光花の小道を抜けて、玄関へと至る。
 ノックも無しに扉を開けると、ちょうど出かけようとしていたらしい男と出くわした。もちろん顔見知りだ。見た目は二十歳半ばほどのひょろりとした男。仲間入りしたのは60年ほど前。百年以上生きている者が多いこの屋敷の中では、最年少クラスの吸血鬼である。
「あ、ただいまっす〜」
 びしっと敬礼しつつ挨拶すると、男は親しげな笑顔を浮かべた。
「おかえり。ネーゼお前、今まで何してたんだよ」
「あはは。いろいろ食べ歩いてたっすよ」
「食べ歩きねえ……。まあ、ふらふらするのは良いけどさ、ちゃんと気を付けろよ。お前弱いんだからさ」
 からかうような声色。でも彼の瞳は、心底心配している者のそれだった。吸血鬼は誰もが自分の血に誇りを持っていて、それ故に自分と同じ血統に対しての仲間意識がとても強い。特に霧姫の血統は気が細やかな性質を持つ事で有名だった。だからこそ、仲間に対しては人一倍心配性だ。
 それを誰よりもよく知っているネーゼは、脳天気に笑った。
「大丈夫大丈夫」
 すると、彼は肩をすくめて見せた。
「やれやれ。まあいいけどさ。あ、そういや、ついさっきお前宛に手紙届いてたぞ」
「手紙っすか?」
「メネシリウル様が預かってるから取りにいけよ。んじゃ、俺は出かけるから」
「いってらっす〜」
 ネーゼは手を振って男を見送ると、早速、屋敷の最上階にあるメネシリウルの部屋を目指した。
 途中すれ違う同胞達に挨拶しつつ、目的の部屋までたどり着く。
 他と比べて一等大きなドアを軽くノックすると、ドアが勝手に開いてくれた。中にいる者が開けてくれたのだ。
「ただいま戻りましたっす」
 ドアを開けてくれた銀髪の女性に敬礼しつつそう言うと、彼女はクスリと笑いながら、お帰りなさいと言ってくれた。二十歳半ばの外見とは裏腹に、五百年の時を生きたベテランの吸血鬼、ノエルだ。メネシリウルの秘書を務めている。
 部屋に入ると、奥に座って書類仕事をしている男が顔を上げた。
「ああ。来たか。君宛に手紙が届いている。受け取りなさい」
 事務的な口調でそう言う老紳士こそ、数千年の時を生きた霧姫の直系、吸血鬼界の重鎮でありネーゼ達の血族の最長老、メネシリウルである。
「はーい。でも誰からっすかねえ……」
 ひょこひょこ近づいていくと、デスクに、いろいろな書類に紛れて茶色い和封筒が置いてあるのが目に映った。途端、ネーゼの頬が引きつる。
「どうしたの?」
 後ろを付いてきた女性が、ネーゼの異変に気が付いたのか声をかけてきた。
「い、いやなんでも、ないっすよ?」 
 そう答えたものの、動揺は隠せていなかった。
 女性は困惑したが、それを押し流すかのように、メネシリウルが口を開いた。
「ノエル」
「あ、はい」
「これを届けてくれ」
「はい」
 ノエルは、佇まいを治してから差し出された書類の束を受け取ると、ネーゼに微笑みを残して速やかに退出した。
 ネーゼは、ノエルの姿が消えるのを確認してから、封筒を破って折りたたまれた手紙を抜き出した。
 一呼吸してから、彼女は手紙を読み始める。
 最初は、まだ落ち着きがあったと言える。
 しかしそれもすぐに消えて、頬の痙攣がひどくなっていく。一枚目を読み終わり、二枚目に突入した頃には手が震えていた。
 そして。
 すべてを読み終えた瞬間、ネーゼは手紙をくしゃくしゃに丸めて、絨毯にたたきつけた。
 ネーゼの指にはまっていた指輪がぴしりと音を立て崩れ、同時に丸まった手紙が一瞬だけ白いもやに包まれて粉みじんになって消える。
「メネシリウル」
「はい」 
 老紳士は、先ほどとはうってかわって恭しく返事をすると、便せんと万年筆、コンパスらしきもの、粗末な指輪を引き出しから取り出した。
 ネーゼが万年筆を手に取ると、五枚の便せんはたちまち日本語で埋め尽くされた。
「これを月編の馬鹿に届けなさい」
 ネーゼは指輪とコンパスらしきものを手に取ると、便せんを差しだしながらそう命じた。
 もしもほかの吸血鬼がこの場にいたならば、その者はおそらく目と耳を疑っただろう。最弱の吸血鬼であるはずのネーゼが、最長老を執事のように扱っているのだから。
「かしこまりました。行ってらっしゃいませ、姫様」
 老紳士は、すべてをわきまえていた。手紙を受け取り、深々と頭を下げる。
 彼が頭を上げたとき、すでにネーゼは姿を消していた。


 カツラが落ちていた。
 艶やかで、絹糸のようななめらかさの黒髪。かぶればおそらく、おかっぱ頭になるだろう。
 それが廊下に落ちていて、二岡は首をかしげた。
 ここはハンター本部。二岡の職場である。
 今日は非番なので、存分に二度寝を満喫し、今はちょっと遅い朝食を取ろうと喫茶店に向かう途中だった。
 そこで見つけた一つのカツラ。
 誰かが落としたのだろう。この職場にはちょっと変わった趣味の人も多いので、誰かがこういったアイテムを持っていても可笑しくはない。それとも、タダ単にハゲの人が落としたのだろうか。いやいや、それは無いだろう。無いと思う。
「うーん」
 ともあれ、見つけた以上は捨て置けない。
 事務室に届けるために、二岡はカツラを拾った。
 すると。
『取ったな』
「何奴!?」 
 突然声が聞こえて、二岡はびびった。彼はびびり君だった。
『わしじゃよわし。ほら、おぬしが手に持っている』
「……。は?」
 二岡はカツラを見つめた。見れば見るほど美しい光沢のカツラである。
『気が付いたか』
「か、カツラがしゃべってる!」
 すぐさま放り投げようとする二岡。しかしカツラが離れない。どういうわけか、手にくっついてしまったらしい。
『無駄無駄。無駄なのじゃ』
「くそっ……カツラがこんなところでなんの用だ!」
 気を持ち直したのか、二岡は威勢よく言った。最近、彼の回りは事件続きだったので、不思議なことにも耐性が付いたらしい。
『ふむ。何用といわれてもな……。ん? おぬし』
「な、なんだ?」
『将来禿げるな』
「………………。は?」
 思わず、髪に手をやるが、異常はない。いつも通り、ふさふさの髪である。
「何を言ってるんだ。うちは代々ハゲはいないぞ」
『どうかのう……』
 カツラは思わせぶりに言った。
『わしには解るのじゃ。おぬし今日、枕に毛が付いていなかったか?』
「え、ええと……付いてた……気がするけど、それくらい普通だろ?」
 枕元を思い出しつつ、そう答える。しかしカツラは鼻で笑った。
『ふふん。普通か。だがわしには解る。おぬしはこれから数年、同じような事を思いながら生きていく』
「なにを……言っているんだ」
 二岡は、嫌な予感に包まれた。この声をこれ以上聴くべきではないと直感が囁いていた。しかし、カツラは手から離れなかった。
『ある日、同窓会でおぬしはこう言われるだろう。あれ? おまえちょっと髪薄くなってない?』
「はは……馬鹿な」
 引きつりながらも、今度は二岡が鼻で笑ってみせる。だが、虚勢に過ぎないのは明らかだった。
 カツラは言葉を続ける。
『おぬしは答える。そんなことないって。と。だが、そんなことはあるのじゃ。おぬしの髪は少しずつ、少しずつ抜けていく……』
 その時、二岡の目の端に何かが映った。
「え?」
 床を見て気が付いた。映った何かは、二岡の頭から抜け落ちた髪の毛だった。
「そ、そんな……あり得ない……」
 動揺を露わにする二岡をあざ笑うかのように、声は続く。
『30を過ぎた頃……おぬしの生え際はMの字になっている……』
「嘘……う……嘘だ……」
 思わず耳を塞いだ。しかし声は聞こえてくる。語りかけてくる。
 声が、聞こえるのだ。
『だがそこで終わらない……おぬしは努力する……今一度あの髪を取り戻すために……だが無駄……無駄なのじゃ……抜け毛が排水溝にたまっていく……』
「そんな……そんな……」
『年を経るごとに……おぬしの髪は……薄くなる……』
「うっ……ううぅ……」
『生え際が後退する……どんどん……どんどん下がっていく……そして……』
「い……言うな……それ以上……言うな」
『40を過ぎた頃……おぬしはバーコード禿げになる!』
「うわああぁああああああああぁあああ!」
 二岡の膝が折れ、彼は床に手をついた。
 絶望に震える彼に、カツラはさっきとはうってかわって優しく囁く。
『だが案ずるな。わしが救ってやろう』
「救う?」
『そうじゃ。わしをかぶれ。そうすればわしが頭皮の状態を良くし、未来を変えて見せよう』
「み……未来を……変える」
『そうじゃ。変えるのじゃ。さあ、かぶれ。そしてその手で未来を変えるのじゃ』  
「う、うおおおおお! 俺はカツラをかぶるぞおおおお!」
 優しくそそのかされた二岡は勢いよく立ち上がると、そのままカツラを頭にかぶせた。
 かぽり。 
 その瞬間、二岡の体が強い光を放った。目をくらませるほどの閃光が廊下を一瞬白く染め上げる。
『今の光は……』
 二岡は呟いた。いや、呟いたつもりだった。
 しかし、口は動いていない。不思議に思って首をかしげようとしたが、動かなかった。
『あれ……?』
 二岡の心が焦燥にむしばまれていく。 
『ど、どうなって……』
「ふむ」
 口が勝手に開いて二岡は驚いたが、本当の驚きはその後だった。
「あーあーあー。うむうむ、声は合格じゃな」
 いつもの声ではなかった。聞こえてきたのは、高く澄み切った女性の美声。『どどどどどどどどどうなってるんだ!?』
 パニック寸前の二岡に、口がのんきな口調で答えてくれた。
「わしじゃよわし。ほれ、頭の上に乗っている」
『も、もしかして……カツラ?』
 おそるおそる尋ねる。すると、こくりこくりと首が縦に振られた。
「うむその通り。悪いがちょっと体を乗っ取らせてもらったぞ」 
『はあ!? なんでカツラが俺の体を乗っ取ってるんだよ! しかも何で女性の声!?』
「そりゃおぬし、カツラだけじゃ動くのも一苦労ではないか。それにわしは女性用のカツラじゃ。当然、着用者は女性であらねばならぬ。よって、おぬしの遺伝情報をいじって、女体に変えさせてもらった」
 とんでもないことをさらりと言ってのけられて、二岡の頭は沸騰した。近年まれに見る大激怒である。
『も……もらったじゃねえーーー!! 大体さっきの髪の話はどうなったんだよ!』
「うん? ああ、あれか」
 カツラは、しれっと答えた。
「あれは嘘じゃ」
『ぎゃーーー!! てめえぶっころ……って、あ、こら、何処行くんだよ!?』
 勝手に体が動き出して、二岡は慌てて叫んだけれど、カツラはそんな声など何処吹く風だ。 
「容姿を確かめるのじゃよ。出来れば美形になっててくれてるとよいのじゃが……」
『くわー! 知るかー! とっとと元に戻せー!!』
「まあ、わしを外せば戻れるがのう」
『じゃあとっとと離れろ!』
「嫌じゃ」
 そんなやりとりをしながら、二岡の体はずんずん前へ進んでいき、やがて自室までたどり着いた。どうやらカツラは二岡の記憶をある程度読みとれるらしく、ポケットから鍵を取り出してドアを開けた。そして迷うことなく洗面所までやって来る。
 備え付けの鏡を見て、二岡は息を呑んだ。
「ほほう……。これはまた上玉よの……」
 カツラも驚きの声を上げていた。
 そう、鏡に映った二岡の姿は、おかっぱ頭の美女であった。
 肌は透き通り、鼻立ち良く、目元は涼やかで、でもどことなく元の二岡の面影も残っている。今はぶかぶかのスーツを着ているが、それでもなおスタイルの良さが解った。胸も結構あるらしい。 
「冴えない凡庸な顔をしたゴボウ野郎だったから不安だったのじゃが……。おぬし、もったいないことしたのう。女に生まれておけば良かったものを」
『し、知らないってそんなこと……』
 先ほどの怒気はどこへやら。二岡の声には力がなかった。
「さてと。確か金庫が……」
 戸惑っている間に、カツラは洗面所を離れ、タンスの最下段の隅にしまってある小さな金庫の鍵を開いた。
 そこにしまってある金額、二十万円。実は先日、密かに購入していた宝くじが当たったのである。彼はこう見えて、毎週1000円を宝くじにつぎ込むタイプだった。
『はっ!? 貴様、俺の貯金に何をするんだ!』
「服を買うのじゃ。ふうむ、結構な額よの。これなら良い物が買えそうじゃ」
『てめ、この、え、服?』
 ここで二岡はふと気が付いた。
 カツラは、これから服を買いに行くと言う。
 そうすれば、当然着替えるだろう。当然下着だって購入して身につけるだろう。
 この体は自分の体ではあるが、動かすことは出来ないし感覚も無い。所有権はカツラにある。つまり事実上、誰よりも近くで女性の着替えを客観的に見ることとなる。まあ、鏡があることが前提なのだが。
『………………』
 詰まるところ、二岡も男の子であり、しかも彼女いない歴イコール年齢であった。
 こんな目に遭っているのだから、せめてそれくらいの役得は……と、密かに煩悩を燃やす二岡の耳に、カツラの声が聞こえた。
「言っておくが、鏡の前で着替えるつもりはないぞ」
『……………………え?』
「ははは。上を向いて着替えをしてやるぞ。いや、目をつむるか。ざまあみろ」
『ち、ちくしょおおおおおおお!』
 まあ、このようにして。
 二岡は、カツラに体を乗っ取られたのであった。


 カフェの一番奥の席にて。
 空奈は、分厚い本を広げていた。表紙を見ればロシア語表記。昨日はフランス文学だったが、今日の彼女はロシア文学に興味があるらしい。この子はそれほどまでの語学力を持つのかと驚いたけれど、実は堪能というわけではない。手元には電子辞書があって、それを頼みに読解しているようだ。
「ほんとに本が好きなんだね……」
 空奈の向かいに座る臼井がぽつりと呟く。すると、少女は一瞬だけ目線を向けた。
「具体的にどうしてと言われると返答に困るけれど、そうね。とても好きよ」
 すぐ文章に向き直りながらも、そう答えてくれた。彼女は基本的に律儀で、話せばちゃんと相づちを打ってくれる。
 世の中には、影の薄い人というのが存在する。外食に出かけた際になぜか注文を無視されたり、置いてけぼりにされたり、話を無視されたりする人だが、特に臼井はその傾向が強い。そんな彼女にとって、ごく普通に接してくれる空奈は貴重な存在だった。
「中学生からトルストイは今時珍しい……かな」
「そう? でも、基本でしょう」
「確かに」
 空奈は読む手を止めず、電子辞書を操作しつつも、しっかりと言葉を返す。
 大した乱読家だと、臼井は内心で呟いた。興味を持てば、何処の国の本だろうと手を伸ばす。しかもこの子は頭が良いから、きっと何年か後には、電子辞書無しでいろんな国の言葉を読解できるようになっているだろう。
 そんなことを考えつつ紅茶をすすっていると。
 もやもやもや。空奈の隣に、白いもやが現れた。
「ん?」
 臼井の戸惑いに気が付いたのか、空奈も脇を見る。二人の目の前で、そのもやは濃度を増していき、やがて人型をとった。瞬間、色が付いて、金髪の少女の姿となった。よく知る人物……いや人ではないが、顔見知りの吸血鬼、ネーゼである。今日は白いふりふりドレス、ホワイトロリータな服装だった。
 彼女は開口一番、
「カツラをみなかったっすかはあ!?」
「いきなりどこから出てくるのよ」
「角! 今、角だったわ!」
 分厚い本で頭を叩かれたネーゼは、いつもとは違う、あるいは本来のものかもしれない口調で空奈に詰め寄った。
「うっさいわね! 今度からはちゃんとドアから入ってきなさい!」
「仕方ないでしょ火急の用事なんだから!」
 がるるるるっとけん制し合う二人。彼女たちは、個々ならば温厚で知的なのに、なぜか顔を合わせるたびに張り合ったり言い争ったりしているのだ。それだけ仲が良いとも言えるけれど、さすがに店内でやられては他の客の迷惑になるだろう。
 だから、臼井は割ってはいることにした。
「それで、カツラがどうしたの?」
「あ、それよそれ」
 ネーゼは自分を落ち着かせるかのように一つ咳をすると、姿勢を正して着席した。
「こほん、ええと、改めて尋ねるっすけど、カツラ見なかったっすか? 黒髪のおかっぱカツラなんすけど」
「見てないわよ。そもそもなんでカツラ?」
「実は……その……」
 空奈の問いに、ネーゼは答えようとはした。しかしよほど憤っているのか、出てきたのはちゃんとした答えとは言い難いものだった。
「あ……あの……馬鹿が……あれほど言ったのに……でも最近落ち着いてたから安心してたのに…………」
「よく分からないけど、少し落ち着きなさい。ほら、ココア上げるから」
「うん……」
 差し出されたココアを一気に飲み干して、ネーゼは大きく深呼吸した。
 そして、今度こそちゃんとした説明を始めた。
「あたしのダチのことなんすけどね。こいつが発明好きで、いろんなもんを作っては悦に入ってるんすよ。でもこいつ、時々やっかいなものまで作っちまうんすよね」
「それがカツラなんだ?」
「そうっす、ねえさん」
 ずびしっと臼井に人差し指を向けるネーゼ。
「で、昨夜の事なんすけど、そいつ、実験に失敗して爆発事故起こしたらしいんす。それでアトリエは月まで吹っ飛んで、助手はフロリダ、あの馬鹿はモスクワまで飛んでって、ついでに封印されてたカツラもすっ飛んでいってこのあたりに落ちたらしいんすよ。ほかの発明品は助手と同じ所にあったそうっすけど」
「へえ。で、なんで月やらフロリダやらモスクワやらここやらまで旅行してくるわけなの?」
 空奈が言うと、ネーゼは困った顔をして、指を中空に彷徨わせた。
「んー。なんつーか、アトリエがある世界とこの世界は別なんすよ。位相空間ってやつっす。隣り合わせになってるっつうか。で、爆発の影響で世界を隔てる壁に穴が空いちまってそこからいろいろ飛び出していったんすよ……って、この説明で解るっすかねえ?」
 途中で不安になったのか、そんなことを訊いてくる。
「まあ、ファンタジー好きなら解るかもね」
 臼井は理解できたらしく、そう答えた。空奈もファンタジー小説は嗜んでいなかったけれど、持ち前のオカルト知識でなんとか理解に成功した。
「……で、そのカツラは何処が危険なの? かぶると体が乗っ取られるとか言わないわよね?」
「言うっすよ」
 ネーゼはあっさり答えた。
「大変じゃない!」
「大変っす。まあ、こいつに寄ればここら辺にあるらしいので、とりあえず空奈ちゃん達に聴いてみようって思った次第なんすよ」
 言いつつもポケットから取り出したのは、一見コンパスのようなものであった。今はくるくる回っていて……いや、回転がゆっくりになっていき、やがてある方向へ矢印を示した。
「なんか止まってるけど」
「へ? あ、動き出した? まさかもう誰かに取り憑いたんじゃ!」
 ネーゼは慌てて立ち上がると、出口に向かって一直線に走っていく。
「待ちなさい、今午前中よ!」
「大丈夫っす。今日は曇りっすか」
 ぼっ。
 ネーゼが外に出た途端、雲の隙間から陽光が差して、彼女に降り注いだ。
「ね、ネーゼ! 貴女、何、勝手に灰になってるのよ!?」
 灰と化したネーゼに慌てて駆け寄って行く空奈の背を見つめながら、臼井はため息をついてトランクに手を伸ばした。
 






『なぜこんなことに……』
 二岡はぼやいたが、口はもちろん開かなかった。ここに来るまでに、幾度と無く自力で動けないかとがんばってみたけれど、全くの無駄だった。そもそも二岡は、ハンター能力が使えるだけの一般人なので、どうにもならないのが当たり前であった。
 眼前では変な髪型……というかカツラなのだが、そいつをかぶった男達が、自分を、正確には自分に取り憑いたカツラを崇めている。
「うむうむ。良きかな良きかな」
 カツラは機嫌良さそうに頷いた。
 いま、二岡は着物を着込んでいる。街の着物屋で、214980円で購入した着物一式である。これは明らかに予算オーバーであり、二岡の財布は残金593円になってしまった。
 着替えの最中、カツラは本当に目を閉じたまま着物を着込み、再び目を開けたのは完全に着込み終えた後だった。二岡は殺意の波動に目覚めそうになったけれど、鏡に映った自分の姿を見て怒りは一瞬だけ吹っ飛んだ。二岡の好みにジャストアタックだったのだ。これが俺? 等のお約束の台詞を心中で呟いたりもしたが、物理的な行動は何一つ出来ないので、やっぱり怒りは再燃した。
 文句を垂れ流し続ける二岡を、カツラは口笛を吹きながら無視し、適当に目に付いたらしい美容室へと入っていった。
「いらっしゃいませ〜」
 男性の店員さんが笑顔で出迎えてくれた。店内は、店員さんとお客さんがちらほらと見受けられた。女性はいないらしい。どうやらメンズが集まる美容室らしかった。
 カツラは挨拶をしてくれた店員さん1に歩み寄ると、二岡の想像を超えた行動に出た。
「なんじゃその髪は。気に入らぬぞ」
「え?」
 いちゃもんである。当然、店員さん1は困惑する。だが真の驚きはここからであった。
「ずえりゃああああああああ!」
 カツラは、天井すれすれまで飛び上がると、そのまま落下して……。
 どすん。
 チョップの割には重たい音がして、店員さん1は白目をむいて倒れた。
『なにしとんじゃこらああああ!?』
「ダイナミックチ」
『それ以上言うなああああ!』
「ちっ」
 カツラは舌打ちすると、倒れ伏した店員さんに目を向けた。
『こ、これはっ』
 二岡は驚愕した。
 店員さん1の髪に異変が起きたのだ。髪が抜け落ちて、しかも床上で複雑に絡み合っている。それを見た店員さん2は、小さく悲鳴を上げた。
 はっきり言って、気色悪い。
『どうなってるんだ……』
「どうもこうもない。見ておれ」
 皆の見守る中、髪の毛は複雑にうねり狂って、やがて一つの形になった。
「モヒカン……」
 客の誰かが呟いた。
 そう、抜け落ちた髪の毛は、モヒカンのかつらへと変貌を遂げたのである。しかも、緑と赤と青の三色モヒカン。
 カツラはそのモヒカンをひっつかむと、倒れている店員さん1を抱き起こし、モヒカンを頭にかぶせる。すると、店員さん1が目を覚ました。 
「目覚めたか、部下1よ」
「はっ」
 店員さん1改め部下1は、これ以上ないほど真面目な顔で跪いた。まるで王に忠誠を誓う騎士のようだ。 
『なんだこれ……どうなってるんだ?』
「説明しよう。わしの手刀を受けたものは、ことごとくわしの部下になるのじゃ!」
『な、なんだってー!?』
 ざわめきが店内に波紋のように広がった。
「う、うわー!」
 客の一人が悲鳴を上げて逃げ出すのを皮切りに、他の男達も出口へと殺到していく。
「ふふふ。無駄無駄。無駄なのじゃ。ふんぬ!」
 気合いと共に、二岡の髪と言うかカツラが伸びて、超ロングヘアになった。二岡の目の端に、ロングヘア姿の自分が鏡に映っていて、それはそれは美しかった。
 カツラは腕を組み余裕の笑みを浮かべながら、その長く伸びた髪を器用に操って……いや、本体なのだから操るも何もないのだが、とにかく逃げ纏う男達を次々に捕らえて、引き寄せた。そして、チョップを喰らわせる。
「あいたっ」
「ぐふっ」
「ぎゃん」
「あうち」
 男達の悲鳴が響き渡り、室内はすぐに静かになった。
 二岡の目前には、個性的なかつらをした男達十名ほどがかしずいている。
 カツラは満足そうにふんぞり返り……、それで今に至るわけだった。  
「さてと。では早速じゃが、お主らに働いてもらうとするか」
「なんなりと」
 部下1が代表して答え、顔を上げた。
「まず外を見よ」
 実際には音などしないのに、ざっ、と音が立ったと錯覚するほど正確に、部下達は顔を外へと向けた。
「どいつもこいつも、傷んだ髪をしておる。実に気に喰わぬ。奴らは皆、わしが生み出したかつらをして生活するべきじゃ」
「その通りでございます」
 間髪いれず、ドリル頭の部下2が頷いた。
「かつらをせずとも良いのは、美しい髪の人間だけなのじゃ。それらが上、それ以外が下じゃ。解るな?」
 どういう理屈だよ、と二岡は思ったが、男達はまったく疑問に感じないらしい。
「はっ」
「つまり、お主らがすべき事は二つ。一つは、ふざけた髪質の者達を捕らえて髪を剃り、かつらをかぶせること。もう一つは、美しい髪質の者達を捕らえて髪を切り、それでかつらを作る事じゃ」
「はっ」
「では行くぞ!」
「はっ!」
 カツラは意気揚々と店を出て、二岡はひっそりとため息をついた。


「えっと……あれ、そうじゃないのかな」
 呆然とそれを見つめながら、臼井が言った。
「まあ、そうなのでしょうね……」
 困惑の表情で、空奈が頷く。
「あの美人さんの頭に乗ってる奴っすね。間違いないっす」
 日傘をくるくる回しつつ、一人だけ明るい顔でネーゼが言った。
 一人だけ明るい顔でネーゼが言った。先ほどの失敗を反省したのか、雲で太陽が隠れていても、ちゃんと日傘を差している。
 日光を浴びてあっけなく灰になったネーゼを元に戻した(以前、灰になっても血を垂らせば3分で元に戻ると言っていたので、臼井が所有していた輸血用血液で試してみたら本当に復活した)その後に。コンパスのようなものが指し示すままに進んでいたら、最寄りの街にたどり着いたのだ。そこで三人が見たものは、異様なほど真面目な顔とおかしな髪型で御輿を担ぐ男達だった。その御輿には、黒髪の和装美人が乗っていた。会ったことがないはずなのに、なぜか見覚えがある女性だった。
 今まで彼女が一体何をしてきたのか、どうして御輿で担がれることになったのかはまったく解らないが、とりあえず男達を操っていることだけは解った。
「あれって……ハンターの職員さんよね?」
「まあ、その可能性は高いし見覚えある気がするけど……。あんな美人いたっけ?」
 空奈の問いかけに、臼井は考え込むように腕を組んで答えた。あれほどの美人なら、本部内で噂にならないはずがない。でも知らない顔であった。
 10秒ほどだろうか。沈黙が続いて、ネーゼがぽつりと呟いた。
「あれ、にいさんじゃないっすか?」
「……二岡くん?」
「そう言われると……」
 三人はそれぞれの眼でよく美人を観察する。 
「ああ、二岡くんだね」
「本当に二岡さんね」
「きっとカツラの魔力って奴であの姿になったんすよ」
 三人は、同時に断定した。
「でもとても美人だよね。女性の姿だと」 
「女性として生まれていればさぞもてたでしょうね。女性として生まれたならば」
「男の時はパッとしないんすけどねえ。人間、解らないもんっすね」
 あんまりといえば、あんまりな感想であった。
「むっ?」
 見つめていると、向こうも気が付いたらしい。二岡(女)が立ち上がり、こっちを向いた。
「ほほう、すばらしい。あれは良い髪じゃ……」
 うっとりと三人の髪を見つめている。こんな時は必ずと言っていいほど無視される臼井の存在にも気が付いているらしい。それにしても、妖艶な表情をしている。匂い立つようだ。
「なぜかしら、敗北感を感じるわ」
「まあ空奈ちゃんには色気が無いっすからね」
「貴女も無いじゃない。凹凸も無いし」
「……」
「……」
「いや今はケンカしてる場合じゃないから」
 臼井に咎められて、二人は寄せていた顔を放した。
「見たところ、やっぱりカツラに支配されてるね。あれ、外せば良いんだよね?」
「そうっす。取りゃ、にいさんも元に戻るはずっすよ」
 臼井の問いに、ネーゼが頷く。
「簡単ね」
「簡単っすよ」
 空奈とネーゼは、二岡(女)とその取り巻きを余裕の表情で見つめながらそう言った。
「じゃあネーゼ、ちょっと行ってきなさいよ」
「あはは、空奈ちゃん余裕なんしょ? 譲るっすよ」
 しかし二人は腰が退けていた。悲しいかな、二人とも体育会系の行動は苦手であった。
「ようし部下共よ、あの三人を捕らえるのじゃ」
「はっ」
 命令を受けた数十の男達が、どこかの兵隊さんみたいに整然かつ勢いよく押し寄せてきた。
「きゃあ!」
「ひい!」
 空奈とネーゼは悲鳴を上げながらも、素晴らしい身体能力で男達を華麗に交わす……ことなんて当然出来ないので、あっさり捕まってしまった。肩に担がれ、二岡(女)の元へと送られる。
「は、放しなさいよっ!」
「どこさわってんすか!?」 
「あー……やっぱり捕まっちゃったね……」
 じたばたする二人を尻目に、一人逃れた臼井がぼやいた。
「むむ? 黒髪……ほう臼井というのか、おぬし良い動きをするのう」
「それはどうも」 
 捕まえられなかったのが意外だったらしい。二岡(女)は感心したようだった。
「じゃが、人質があれば捕まらざるを得ないのではないか?」
「それはまたごもっとも。さて、困ったな」
 臼井はそう言い返しつつも考える。
 今さっき聞いた台詞。ほう臼井というのか。となると考えられるのは二つで、一つは二岡の精神が今も働いていること、もう一つは記憶を勝手にあさることが出来るということ。
(きっと前者だろうな。後者も出来そうだけど。でもまあ、それはどうでも良いとして)
 問題は、どうやってあのカツラを引き離すか、であった。それさえ出来れば、捕らわれた二人を助けることにもなる。
 一人で何とかするのは……どうにもスマートにとは行きそうにない。しかし二岡(女)の側にはネーゼがいる。
(それなら、なんとでもなる。いや、なんとでもしてくれるかな)
 相手はまったく気が付いていないけれど、すでに詰みの状態だ。臼井は一つ頷くと、何時の間にやら自分を包囲していた男達に目をやった。
「あ、ちょっと待ってて」
「?」
 制止してくる臼井の言動に、小首をかしげる二岡(女)。
 ゆっくりとトランクを開き、中から目当てのものを取りだして、それから風向きを確かめた。
「うん、良好。じゃあ、ちょっと眠っててね」
 臼井は、白い粉をばらまいた。それは風に乗って男達を包み込み……、やがてばったばったと彼らは倒れていってしまった。
「ごめん。一応、後で診てあげるから、許してね」
「ね、眠り粉!? おぬし、どこぞの忍びじゃ!?」
「あー。そのつっこみって二岡くんっぽいよね」
 思ったことを口にすると、二岡(女)はむっとした。
「わしのどこがこのゴボウみたいだというのじゃ!」
「ええと、性格かな?」
 二岡とあの女性(カツラ)の意識は全くの別物ではあるけれど、臼井はなんとなく近しいものを感じた。もしかしたらあれはあれで良いコンビなのかもしれない。カツラといいコンビと言われたら、二岡は怒るかもしれないけれど。
「むうっ! 決めたぞ、まずはおぬしの髪をかつらにしてくれるわ!」
 場違いなことを考えていると、二岡(女)は、髪の毛をぐいーんとのばしてそれで攻撃を仕掛けてきた。
「うわっ」
 臼井は横に飛んでかわした。しかし髪の毛は幾筋にも分かれていろんな方向から攻撃してくる。ひっきりなしに襲い来る髪の毛を、時には避けて時にはトランクで払いながら、一歩ずつ御輿に近づいて行く。
「ええい。これならどうじゃ。髪の毛ニードル!」
「そんな微妙に気を遣って……あいたたた!」
 針のような髪の毛が雨のように降ってきて、臼井は慌てて退避した。しかし数が多いので結構な量の髪の毛が刺さってしまった。痛い。しかしこれでいいのだ。臼井は、未だ担がれたままの空奈とネーゼにウインクを送った。ネーゼはきょとんとしたけれど、空奈は即座に気が付いたらしい。左足で右の靴を半脱ぎにすると、それを蹴り飛ばしてネーゼにぶつけた。そしてすぐさま二岡(女)に目線を飛ばす。
 これでネーゼも気が付いたらしい。即座にコウモリの群れに姿を変えると、ふんぞり返って高笑いしている二岡(女)に突進していった。
「ははははは。は?」
 途中で、ネーゼがコウモリに変わった事に気が付いたらしく、笑いが凍り付いた。
「なっ、まさか、吸血鬼!? 馬鹿な、そんな気配は欠片も……うぎゃああ!?」
 驚きのあまりか対処が遅れた二岡(女)はコウモリに包まれて……カツラをはぎ取られてしまった。
「残念。生憎だけど、わたしはちょっと普通じゃないの」
 人型に戻り、うごめくカツラを片手ににやりと笑うネーゼの姿は、どこかの王女様のようであった。
『うう……口惜しや……』
 その言葉を最後に、カツラは動きを止めた。
 それと同時に、操られていた男達はすべて倒れて、ついでに髪型も元に戻った。
 ぽんっと音がして、二岡も元の男の姿に戻る。
「やった元に……もどっ…た…ぐ……ぐええええええ」
 体は元に戻ったけれど、服装はそのまま。男と女ではウエストのサイズがまるで違う。つまり、帯で胴体を締め付けられた状態になってしまったのだ。
「あ。あー、にいさん? 今解くから我慢してほしいっす」
「何、悠長なこと言ってんのよ!」
 ネーゼと空奈が一緒になって帯を解きにかかる。
 そんな姿を見て、臼井は一言。
「あの……僕も怪我してるんだけどな……」    
 今更な感があったので、臼井はそれ以上はぼやかずに自分の手当を開始した。


 さて夕方。
 お日様が沈む寸前のハンター本部前。
 二岡と空奈、そしてネーゼが佇んでいた。臼井はいない。怪我が結構痛むらしく、一足先に部屋へと戻っていった。
「いやあ、なんて言ったらいいのか本気でわかんないけど、とりあえずそのカツラは二度と勘弁だよ」
「ははは。こいつはもう、厳重に封印するっすよ。てかさせる。絶対させる」
 ネーゼは、引きつった笑いで二岡に答えた。
「で、そのなんて言ったっけ。月編って吸血鬼の人だっけ?」
「わざわざ来させるの? カツラ、持っていってあげれば良いじゃないの」
 そんな二岡と空奈の言葉に、ネーゼは腰に手をやって、憤然として見せた。
「迷惑かけたんすから、謝りに来させるのは当然っすよ。まったくあの馬鹿は、本当に馬鹿なんすから」
 そんなことを言っている間に、お日様は完全に顔を隠してしまい、夜が訪れた。
 世界が深い紺色に染まったその時、二岡達の目の前にふすまが現れた。普通のご家庭にあるような生活感溢れるふすまである。それが左右に開いて、中から女性が現れた。
 二十歳に届くか届かないかといったところか。足まで届くほど長い黒髪で、和風のお姫様といった感じ。豊満で美しい娘だったが、服装は大工さんみたいだった。腰に巻いた帯には無数のポケットが付いていて、いろんな道具が収まっていた。
 彼女はかかとをならし、びしっと背筋を伸ばすと、旧日本軍人みたいに敬礼をした。
「月編シチリ、はせ参じました!」
「遅いわっ!」
「あうっ」
 ネーゼにカツラを投げつけられたシチリは、情けない悲鳴を上げた。
「まずにいさんに謝れ! それから後でわたしにも謝れ!」
「は、はいぃ! このたびは、わたくしの発明品のおかげで、ご迷惑をおかけしました! 申し訳ありませんでしたっ!」
 シチリはぺこぺこと頭を下げた。その様子があまりにも必死だったので、二岡は彼女を押しとどめるように両手を広げつつ、笑って見せた。
「いやいや。大事にならなかったしね? でもその、次からは気を付けてくれるととってもうれしいよ、うん」
「はいっ。善処します!」
 最敬礼で答えるシチリ。そんな彼女の腕を、ネーゼはため息混じりで手にとった。
「それじゃ、にいさん、空奈ちゃん。こいつはあたしがしっかり説教しておくので、安心してほしいっす。つうわけで、これにて失礼するっす」
「失礼しましたっ!」
 こうして、二人はふすまの向こうへ消えていき……。
「ほらさっさと歩く! 向こうに着いたら反省文50枚書かせるから覚悟なさい!」
「はーうー。それはあんまりであります霧ちゃん……」
 そんなかけ合いを遮断するかのようにふすまがしまり、瞬き一つする間に消えてしまった。後は、闇だけが残る。
「なんだか……さすがはネーゼちゃんの友達だねって感じがするよ」
「類は友を呼ぶのかしらね……」
 自分たちのことを棚に上げた二人はそう言葉を交わすと、本部へと戻っていった。


 後日、シチリからお詫びの印にと小さなお守りが送られてきた。
 それはそこいらの神社で手に入るような安っぽいお守りに見えたけれど、ちゃんとすごい力があるらしい。
 そのおかげで、二岡と空奈は窮地を救われることになるのだが……、それはまた別のお話。


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